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2019/08/22

  • 松本サリンから30年

    第一通報者を犯人と間違え自宅を捜査、前代未聞の猛毒ガスにによる無差別テロ事件に警察もマスコミも翻弄された。30年前の今日、松本市で起きたオウム真理教によるサリン事件である。一昨日の朝日朝刊によれば、6日後に長野県警科捜研で「サリン成分」と特定され、22日後にはオウムの関連会社が浮上した。長野県警が異臭騒ぎのあった山梨県上九一色村の土壌採取を採取。一ヶ月後警察庁の科捜研がその土壌からサリンを検出、更にその一ヶ月後、警察庁はオウムを捜査していた神奈川、長野、山梨、宮崎4県の合同捜査会議を開催・・・、朝日新聞が情報開示請求で入手した警察庁の内部文書からである。その後、上九一色村のオウム施設への強制捜査が検討されるうち、地下鉄サリン事件が起きた。強制捜査の動きを察したオウムの先制攻撃であった。警察庁、各県警の縄張...松本サリンから30年

  • 米兵少女暴行、沖縄県議選へ隠ぺい?

    昨年12月に沖縄で起きた米兵による日本人少女への性的暴行事件は今年3月に起訴されているが、政府は公表せず沖縄県にも伝えていなかったという。沖縄県警が捜査しているはずだからおかしな話だが、政府、県警の双方が沖縄県をはじめとする日本国民、マスコミに対して「隠ぺい」したとしたら、先般の沖縄県議選対策であった可能性が強い。逆にその公表が県議選前であったら選挙結果はどうだっただろう。沖縄の更なる基地化を進める政府、自民党、自民沖縄県連に対する批判が出たことは間違いない。 壬生(日光例幣使)街道の花たち(その3)これはホテルの部屋の絵米兵少女暴行、沖縄県議選へ隠ぺい?

  • 「護国神山」と呼ばれる会社

    ・世界で500社を超える優良企業の顧客を持つ。・この会社から調達できるか否かはビジネスの成否を決める。・軍事力を左右する場合がある。・それにも拘わらずこの会社の製品に刻印が押されることはない。・従業員の平均給与が1,500万円(国の平均は330万円)。・多くの社員は40代で辞めるが既に蓄えは充分である。さて何という会社か。通称TSMC、正式には台湾積体電路製造。最近熊本に日本第一工場を作ったといえば「あーそんな台湾企業があったな」であろう。世界最先端の半導体を作るが決して半導体の設計などの分野には手を出さない。顧客のライバルになることは「裏切り」だという。創業者の張忠謀(モリス・チャン)は「これからの20年は問題ないが、30年後に今の地位にいられるかは疑問だ」という。来年から出荷する2ナノクラス以降の半導...「護国神山」と呼ばれる会社

  • 遅れた日の出も亦好(マタヨシ)

    会社時代の同期入社の友人の訃報がきっかけで、同じ同期入社の懐かしい奴とメールを交換した。入社後同じ工場に赴任して独身寮でも一年近く同室だった仲だが、長いサラリーマン人生では互いの赴任地がいつも関西と関東にすれ違って没交渉となっていた。彼は定年退職後も専門技術を生かす仕事で長く働き続けたが最近自由人になったという。何と趣味が私と同じウォーキングというので話(メール)が弾んだ。一足早く天国へ行った奴のお陰である。 半月ほどずっと4時25分だった日の出時刻が夏至を過ぎてやっと1分遅くなった。しかし、今日は日の出時刻から20分近く経った雲の上。それもまた好し。遅れた日の出も亦好(マタヨシ)

  • 沖縄、79年目の慰霊の日

    沖縄戦での組織的な戦闘が終わった日とされる今日6月23日が「沖縄慰霊の日」。沖縄ではこの沖縄戦の学習を通じて反戦平和を学ぶ「平和学習」の時間がある。宜野湾市出身の猪俣日姫さんはこの「平和学習」が苦手だった。オーストラリアに留学した時に基地や戦争について問われ地元の歴史を学ぶ重要性を感じた。沖縄の県立高校生を対象にした4年前の調査では、半数を超える生徒が「家族や親族に戦争の話をしてくれる人がいない」という。猪俣さんは平和に関する学習を広まる会社「さびら」を起こして、各地の学校を回って議論のきっかけをるくる講義をしている。2022年にはフォーブスジャパン誌の「世界を変える30歳未満」の30人の一人に選ばれた。(以上、今朝の朝日新聞社説より)今朝のテレビニュースでもこの「平和学習」の様子を報じている。沖縄戦の経...沖縄、79年目の慰霊の日

  • 鹿児島県警「隠ぺい」幕引きの構図

    枕崎署員による盗撮事件、鹿児島県警本部長による「隠ぺい指示」があったとする内部告発は、「隠ぺいがなかった」として葬り去られようとしている。以下、その手順を推理してみよう。まずは、内部告発先のメディア関係者を急襲して本部長が隠ぺいを指示した「決定的な証拠」を消滅。後はストーリーをつくるだけ。そのキーワードは「誤解」。枕崎署長が本部長の言葉を「誤解」したことによって捜査が中断、誤解が解けて捜査再開、被疑者逮捕。誤解を生んだことは本部長の責任でそのことは陳謝、訓告の処分。警察庁の監査は、本部長会見により「隠ぺいがなかった」ことを前提にした顛末調査として、多少の問題点を挙げてチョン。警察諸階層における隠ぺいは公然の秘密でも、それなりに疑惑は払拭しなければならない。きっと「隠ぺい疑惑対応マニュアル」があるに違いない...鹿児島県警「隠ぺい」幕引きの構図

  • 国の干渉、大きなお世話(長洲一二)

    昨日「もう一つの改正と言う名の改悪法」と題して地方自治法の改悪を書いたが、今朝の天声人語も、半世紀前から神奈川県知事を5期務めた長洲一二(カズジ)氏の有名な言葉を引いている。国の干渉は「小さな親切、大きなお世話」、という名言である。直接選挙で選ばれる都道府県知事は「大統領と同じ」として辣腕を奮った。もし今も存命なら、彼が進めた地方分権型、住民参加型の地方自治の後退に大声で異を唱えることだろう。現在の知事さんたちからの声は挙がっていない。尤も、都知事選真っ唯中の小池さんはそれどころではないのだろう。ましてや自民、公明党推薦となれば口を噤むであろう。今朝の日の出は曇りで不発、一昨日の日の出も「何となく日の出」国の干渉、大きなお世話(長洲一二)

  • もう一つの「改正と言う名の改悪」法

    政治資金規正法の「改正」が成立した。日本維新の会が参院では反対に回ったのは、次の総選挙に向けたゼスチャー、アリバイ作りに過ぎない。政治資金改正法の「ザル法」についてはご存知の通りだがもう一つ、地方自治法も「改悪」された。具体的には何も定義されない非常事態における「国の地方に対する権限強化」である。新型コロナ対策を念頭においての「国民の安全に影響を及ぼす重大な事態」としてしているが、時の政権の「恣意的な定義」が十分予想される。戦前、自治体に対する国の権限が復活し「国家総動員体制」に突き進んだことを思い起こそう。戦後、新憲法の下で積み重ねて来た地方分権改革が後戻りする可能性があると識者は危惧する。 久々に地平からの日の出が拝めそうな今朝草むらから出て来た雉に気を取られ、日の出の瞬間を見逃す   もう一つの「改正と言う名の改悪」法

  • 東京都知事選のある「盲点」

    明日告示される東京都知事選、ある「盲点」があった。それを突くのが略称「N国党」。都内の選挙ポスター掲示板の数は1万4千ヶ所あまり、それに眼を付けた。今回50人以上と予想される知事選立候補者の半数以上がN国党。当然300万円の供託金は没収され、数千万円の損失となる。そこで、N国党の立候補者は選挙ポスターを貼らず、そのスペースを販売しその売上金で供託金分を賄うという。ポスターの内容は虚偽、誹謗中傷でなければ原則自由、貼る枠の売買も公職選挙法の「想定外」で禁止できない。枠の売価は1ヶ所1万円、掲示板一ヵ所のN国党分のポスター枠全てを使える。仮に都内1万4千ヵ所の半分が売れればペイし、それ以上は儲けとなる。東京15区の補欠選で他候補者の演説妨害などで逮捕された「つばさ」の党首もN国党の元幹事長だった。 さて、壬生...東京都知事選のある「盲点」

  • 何と親孝行なプロゴルファー姉妹

    一昨日の日曜日は父の日。女子プロゴルフ(ニチレイレディス)のテレビ中継を観た。双子姉妹の姉、岩井明愛(アキエ)が終盤にバンカーからのチップイン・バーディーなどで逆転優勝。妹の千怜(チサト)が先月の母に日に優勝しているので、姉妹で母の日、父の日に優勝をプレゼントという親孝行。姉妹とも父親似のガッシリとした体格で今後も活躍が続くことだろう。 壬生街道4日目(最終日)の後半、3日目に続き「命懸け」の車道ウォークの後で、壬生街道最後の板橋宿に着いたところである。この直前の左手に、日本橋から三十里目の板橋一里塚があった(はず)が、命懸けの車道ウォークで気が付かなかった。「日光市街7Km」はゴールの今市(追分)のこと。文挾(フバサミ)の二荒山神社の先からは実に2キロ半ぶりの信号がある板橋交差点の手前、この空き地のあ...何と親孝行なプロゴルファー姉妹

  • 壬生街道最終日も命懸けウォーク

    昨日の沖縄県議選の結果は、玉城知事を支持する革新系の与党派が16年ぶりの過半数割れとなった。自公政権は嬉々として工期も工費も全く先が見えない辺野古建設など、沖縄の更なる「本土防衛基地化」を愚鈍に推し進めるだろう。 壬生街道(例幣使街道)ウォーク最終の4日目は、文挾(フバサミ)宿からゴールの今市追分までの約11キロ。JR日光線の文挟駅からのスタートは街道沿いの杉並木の裏側の草道を歩く。一緒に降りて先行する男性は地元の方で大きなカメラで杉の木を撮りながら歩く。文挾交差点で街道に出る角の道標は「右鹿沼出流岩船左大谷田下宇津宮」らしい。今市(日光)方向から来ての向きである。出流は坂東十七番札所の満願寺、岩船は岩船山高勝寺、大谷は坂東十九番の大谷(オオヤ)観音、田下は大谷観音の手前の多気山不動のこと。宇津宮はもち...壬生街道最終日も命懸けウォーク

  • 第二奥州街道踏切と旧篠原家住宅

    壬生街道(例幣使街道)を文挾(フバサミ)まで歩いた3日目は、JR日光線で宇都宮に出て駅前のホテルに泊まる。観光地の日光よりも宇都宮のビジネスホテルが安いこともあるが、理由はもう二つ。一つ目は「旧篠原家住宅」。奥州街道宇都宮宿の北の入口にある。江戸時代から醤油醸造業や肥料卸商を営んでいた旧家。現在の建物は明治28年建造で国の重要文化財。後ろが泊まったホテルである。昼間なら中も見物できるが早朝散歩のついででは止むを得まい。二つ目は「第二奥州街道踏切」。壬生街道ウォークの初日に小山駅から喜沢追分に向かう途中にあったのが「第一奥州街道踏切」。第一があれば第二もあると調べると宇都宮駅の近くだった。西から来た奥州街道が篠原住宅前の交差点で左折、電線を地中化した電柱レスのすっきりとした広い通りを北上。四つ目の信号で東...第二奥州街道踏切と旧篠原家住宅

  • 命懸けの杉並木ウォーク

    教育とは学校で習ったすべてのこと忘れた後に残るものである。(アインシュタイン)今朝の天声人語は、ヒップホップ(ダンス)を禁止した中学校の部活動の話題の後で、上のアインシュタインの名言を引いている。信州の姪の子(姉妹)は習い事を古典バレエからヒップホップに変更したという。さすが教育県信州(もはや死語)? 壬生街道(例幣使街道)の3日目の最後は鹿沼の街を出て一路北上である。塩なめ地蔵尊がある松源寺を過ぎると間もなく右折して黒川を渡る。2日目に壬生町に入ってすぐ渡って以来の黒川を目にするのは実に20キロぶりである。渡る橋は御成橋、壬生町で渡った橋も確か同じ名前だった。橋の上の石板絵は例幣使の姿であろう。余談だが「ゆすり」の由来は例幣使の「駕籠ゆすり」にあるという。通る街々(宿々)で「入魂(ジッコン)料」という...命懸けの杉並木ウォーク

  • 日曜日、注目の沖縄県議選

    今度の日曜日は沖縄の県議選。現状の議席数は玉城知事の与党と自公などの野党がほゞ半数ずつ。自民沖縄県連は必至に「自民色」を消して、自民党本部からの応援演説も断っている。一方の玉城派与党も、辺野古など基地問題のトーンを下げて「裏金問題」で自民党を攻撃。公明も自民の裏金問題を批判してとばっちりを避けるのに必死と言う。 壬生街道(例幣使街道)後半の3回目、鹿沼市街に入るところ。杉並木の名残りも伐採される木も多い。何故か子供のサンダル。赤んぼの泣き相撲で有名な生子(イキコ)神社は街道から1キロ近く、当然パスである。雨に濡れるバラが好い。Y字分岐の大門宿交差点の道標は上部が欠落。「粟野、琴平、岩船、善光(寺)」などが彫られていたという。善光寺は信州ではなく御成街道沿い、川口の荒川沿いの善光寺だろう。かつて昭和の半ば頃...日曜日、注目の沖縄県議選

  • 小池百合子vs蓮舫、女の闘い

    小池百合子都知事が3選出馬を表明した。これによって都知事選は小池百合子vs蓮舫という、共に「上司にしたくない女性」上位二人による女性同士の与野党対決となった。コロナ禍、東京五輪などを乗り切った二期目の小池都知事には国政復帰も囁かれたが、「東京大改革No.3」を進めるとして都知事選恒例の後出し立候補となった。かつて自民党都連を「黒い頭のネズミたち」と揶揄した小池都知事に摺り寄らざるを得ない自民党、そのトップは日本が男女平等最下位のG7会議へ旅立った。国内とは違い伸び伸びと好き勝手を言える時。 さて壬生街道後半(2)。楡木(ニレギ)追分以降の壬生街道は、合流した「例幣使街道」の方が通りがよいようである。楡木宿を出てすぐ奈佐原宿という。宿と宿の中間に「間(アイ)の宿」がある場合があるが、ここはあまりに近過ぎる...小池百合子vs蓮舫、女の闘い

  • 壬生街道後半を歩く(1)

    壬生街道の後半を一泊して歩いて来たので2日お休みを頂いた。初日は朝方雨でのち曇りだが、涼しくていいだろうと宿を予約して決行。入梅前に是非終わっておきたかった。今日はサワリの楡木宿を紹介、雨なので暗い画面にご容赦を。予定を1時間遅らせて8時半に東武日光線楡木(ニレギ)駅を出発。弱い降りなので傘は差さずパーカーのフードを被るだけ。街道に出てすぐの小さ目な四脚門、本陣跡だろうと目星をつける。と、門の陰で一服するご主人と目が合い「本陣跡ですか」と訊く。この菓子屋の三代目という御主人、奥から何やらレジ袋を持って来る。子供のころここの家主から貰ったという将棋盤の裏。本陣跡候補は他にもう一軒あるらしいが「ここが本陣跡」と私が太鼓判を押してあげ、しばし楡木宿談義となる。すぐ先の成就院に珍しい「シダレアカシデ」があると言...壬生街道後半を歩く(1)

  • ノルマンディー上陸から八十年

    和暦の令和で6年6月6日と6が三つ重なる日、第二次世界大戦の終結の要と言える、連合軍によるノルマンディー上陸作戦が決行された日から八十年、欧米首脳らが出席して記念式典が行われた。断崖の上から容赦なく降り注ぐドイツ軍の銃撃で、断崖の下に辿り着こうとした多くの若い兵士が死傷した。式典に参加した当時21歳の米国兵士は運よくオマハビーチの崖下に着くが、地獄を見た。孫娘の勧めでSNSに体験を投稿し、80万人を超えるフォロワーから「真のヒーローだ」などと称えられるが「本当のヒーローは、あの日命を捧げた若者たちだ」と語る。これを描いた映画には「史上最大の作戦」「プライベート・ライアン」、「チャーチルノルマンディーの決断」などがあるが、いずれも上から降り注ぐ弾に倒れ、足元の地雷に吹き飛ぶ、実に壮絶である。南アジアや南太平...ノルマンディー上陸から八十年

  • 今も聞こえる ロックじゃねえ!

    今年の1月、朝日新聞の投稿欄「声」に載ったという大学生の「今も聞こえるロックじゃねえ!」について、俳優、松重豊がインタビュー記事(朝日「オピニオン&フォーラム」)で語る。記事の脇にその投稿が添付されているのでまずその概要を。 投稿者の大学生、森川葉の音(ハノン)さん(21)の小学生の時の担任は大のロック好き。教室にエレキギターを持ち込むほど。その先生はよく怒った。全力で怒った。「ロックじゃねえ!」と言って。宿題を忘れても怒らないが、ウソをついて言い訳をすると怒った。窓ガラスを割っても怒らないが、黙っていると怒った。怒りが頂点に達した合図が「ロックじゃねえ!」だった。先生の叫んだ「ロック」は音楽ではなく正直さとか揺るぎなさとか、そう言う意味だったと思う。自分の信念に反したことをしまった時、逆に何も出来なかっ...今も聞こえるロックじゃねえ!

  • 埼玉の令和6年6月6日

    昨日は令和6年6月6日。秩父鉄道では駅番号に6が付く4駅の記念乗車券セットを販売。通常は西暦下2桁の年号を特別に和暦の令和「6年」にして「6-6-6」の日付印としている。永田駅に乗降したことはないが、他の3駅は何度か乗降している。駅番号CR06の行田(ギョウダ)市駅は映画「のぼうの城」の忍(オシ)城、古代蓮、足袋の街、田んぼアートで有名。古い酒蔵での利き酒会でも訪れている。CR26の親鼻駅とCR36の白久(シロク)駅は埼玉の「母なる川」荒川の源流に近く、十数年前の荒川沿いウォークの中継駅として、ごく最近の秩父三十四ヶ所巡りでもお世話になった。6月3日の朝刊でこの記念切手の記事を見て、6はマイ・ラッキーナンバーなのでネット通販で買おうと思ったがアッと言う間に売り切れていた。もう一つ、6月6日の記事。埼玉...埼玉の令和6年6月6日

  • ちゃんとした失敗とは

    NHK朝ドラ「虎に翼」、一週間ほど前にここまでのあらすじを紹介したが、モデルとなった三淵嘉子を演じる伊藤沙莉(サイリ)が自分が演じる寅子(トモコ)を「ちゃんと失敗するところが好き」と評している。(今朝の「折々のことば」鷲田清一、朝日朝刊)三淵嘉子の出身校、明治大学での「虎に翼」イベントの番組で伊藤沙莉が実際にこれを語ったところも見た。「ちゃんとした失敗」とは何だろう。NPO失敗学会で数年活動した者として声を大にして言おう。「ちゃんとした失敗とは、その失敗を教訓にできることである」。「失敗は成功の母」もここから来ている。 想定外だったので・・・、事故や失敗の言い訳に多い言葉である。失敗学会の畑村洋太郎会長(東大名誉教授、機械工学)の口癖は「想定出来ることは起こり得る」。つまり事故や失敗は想定が甘いということ...ちゃんとした失敗とは

  • 自動車の検査より先「人検査」

    「ブルータスよお前もか」「自動車メーカーにあってはならないこと」。認証不正でのトヨタの豊田会長のコメントはまるで他人事、第三者的で、自社の製造現場でさえ遠い世界のことのようである。タイトル「自動車の検査より先『人検査』」は今朝の「天声人語」に書かれた昨年の朝日川柳。「人」は現場ではなく責任者、経営者と読もう。自動車業界だけでなく、今の日本は遍(アマネ)くおかしい。さて、約四半世紀前の「日本一周伊能ウォーク」は、伊能忠敬測量開始200年記念(兼朝日新聞創刊120年記念)であった。2年間職場を離れ、あるいは退職し、あるいは退職後のボランティア活動や余暇を離れ、1万1千キロを歩き通した「本部隊員」15人。実はもう一人いたが仕事の都合で途中で離脱している。年齢は30歳代1、50歳代5、60歳代6、70歳代3、平均...自動車の検査より先「人検査」

  • 「伊能ウォーク全記録」再見

    先日の大河ドラマ「光る君へ」は、備前国司に赴任した父に同行した紫式部(まひろ)が初めて覚えた中国語が再見(サイチェン)。意味はもちろん「さようなら、またお会いしましょう」だが、今日のタイトルでは日本語の文字通り「また見る」と解釈していただこう。趣味のウォーキングの結果を月一回「バーチャル日本一周」としてまとめている。その元になっているのが、日本沿海実測全図を作った伊能忠敬の第一次測量から200年を記念して、1999年1月から2年間で行われた日本一周「伊能ウォーク」の足跡である。2001年1月のゴールの3か月後に刊行された「伊能ウォーク全記録」から正味574日、11,030Kmの日々の区間と歩行距離をデータ化して毎月の到達位置をプロットしている。先日、臼杵市の位置を間違えたのは「大分県に入る」という記事の日...「伊能ウォーク全記録」再見

  • 人は一人じゃ生きていけない

    20年前の今日、蕨市で中学2年の女生徒がイジメを苦に自死した。その前日の「人権を考える」授業で女生徒が書いた作文が、両親の願いで調査報告書と共に公文書となった。その作文の抜粋から。・誰だって自分を否定されるのは嫌だと思うし、つらく悲しい。・イジメは自分をどん底まで沈めます。・人は一人じゃ生きていけない。だから友達をつくる。一人のさみしさが複数でいることの楽しさへ変わる。・生活の仕方とか全く同じ人はいない。だからこそ自分がいろんな感情を知り成長していけるんだと思います。 イジメについて考える授業でこの作文が使われた中学の生徒から手紙が来ることもある。「イジメをとめようと思うことが出来た」などと書かれる。まさに両親が願っていたことである。中学の時、教室の隅で大人しい同級生が4人に両手両足を掴まれてブランコのよ...人は一人じゃ生きていけない

  • 昨年の今日、越谷で4千棟浸水

    昨日のバーチャル日本一周ウォークの「臼杵市」の位置を間違った。臼杵市は大分県である、訂正を下記に。ブログ仲間にご指摘を戴いた、感謝である。  昨年の今日6月2日、台風2号接近の豪雨で越谷市の4千棟が浸水した。埼玉県東部の江戸川、中川、綾瀬川が流れる一帯は、旧利根川が流れていたところで「中川低地」と呼ばる。国道16号の地下50mに首都圏外郭放水路(長さ6キロ強、直径10m)が掘られ、豪雨時の貯水機能により何度か浸水を逃れて来ている。下流域では綾瀬川、中川、江戸川間のそれぞれの放水路により、豪雨時の水位調整を図って浸水対策が行われる。しかし、昨年6月2日の豪雨時、三郷排水機場のポンプ3台が停止して、中川から江戸川への放水が出来ず、綾瀬川、中川が氾濫危険水位を超えた。原因はポンプ回転軸を冷やす水回路のメッシュフ...昨年の今日、越谷で4千棟浸水

  • 生活と哲学、長谷川宏「語る」(3)

    先月5月のウォーキング結果は、2回の壬生街道ウォークなどで一日平均九千歩半ば、4月を凌ぎ今年最高となった。伊能ウォーク隊の足跡を辿るバーチャル日本一周は大分県直前、宮崎の臼杵市へ。いやー、宮崎県は長い。都城市から臼杵市まで330キロ。先月上旬から2か月近くかかった。2000年9月26日、伊能ウォーク隊が臼杵市に入った日、鉱山会社2社が県道を走るダンプトラック延べ460台の運行を止めてくれたという。 哲学者、長谷川宏の新聞連載「語る」の最終、13・14回目から。東大哲学科博士課程を卒業後の研究生として全共闘活動を体験し、権威主義の大学を否定した者として、どこであれ大学に職を求めず、学習塾で生計を立てながら市井の研究者となった。その市井の中で長谷川宏が体得したのは、「哲学も一人ひとりの具体的な暮らしから生命を...生活と哲学、長谷川宏「語る」(3)

  • 薔薇は心のパン

    今日で5月も終わり。大谷翔平が10試合ぶりの14号ホームランを打った。シーズンを約6か月とすれば今年も40本は行けそうである。確か盗塁も13か14は行っている。このまゝ行けばメジャーリーグ初の40本塁打、40盗塁の記録に期待がかかる。NHKの朝ドラ「寅に翼」も丸2か月、全体6か月の1/3を過ぎた。日本で最初の女性弁護士、女性裁判官となった三淵嘉子の生涯を描くドラマだが、戦後に入ったところである。念願の弁護士となったが依頼人から「女には任せられない」と悉く断られ傷心の日々を過ごす。身を固めるのが一番と結婚するが状況に変わりはなく、戦雲濃く依頼も減った弁護士事務所を辞職する。終戦となり、招集された夫が戦地で病死していたことを知り二重の傷心で戦後の混乱に揉まれるが、新憲法の「法の下の平等」に発奮し、初の女性裁判...薔薇は心のパン

  • 過度な食糧輸入依存、施策なし

    今朝の「折々のことば」(鷲田清一、朝日朝刊1面コラム)は、「お金を払うというのは、自分で解決できない問題を他人にパスしているだけなんや。金融教育家田内学」 食料・農業・農村基本法の改正案が参院で可決、来月から施行されるという。「政局絡みで与野党の対話が機能しなかった印象」(元農水官僚、作山明大教授)。つまりほとんど審議されなかったということ。過度な輸入依存からの脱却を図る、などは付帯決議となった。お金を払って海外から食糧を買い続ける、即ち自分で解決できない問題の他国へのパスである。 先日散歩した朝霞台から朝霞への道沿いの花たち過度な食糧輸入依存、施策なし

  • 哲学者、長谷川宏の「語る」(2)

    今月8日に、東大安田講堂の攻防戦までの前半をここに書いた、哲学者、長谷川宏の「語る」の連載が終わった。今日はその続きをまとめてみよう。東大文学部哲学科研究生として参加した全共闘は「大学解体」もスローガンに含めた従来の権威主義的な大学への異議申し立てであった。その大学に職を求めることを潔しとしなかった長谷川は、ある国立大学の講師の誘いを断り「大学外」での研究に踏み出す。同じ思いで大学院を中退した女性と結婚した。その妻は保育士を目指した。長谷川は友人と二人で学習塾「赤門塾」を開いて生計を立てた。権威の象徴である「赤門」としたのは、反語的というか、パロディーである。しっかり教えるが勉強を強制はしない、テストもやらない、小説を読んで語らい盛り上がったらその日の授業は終わり。幅広い知的好奇心をもって考える主体性と、...哲学者、長谷川宏の「語る」(2)

  • 話題の東武東上線、朝霞台~朝霞を歩く

    最近NHKでは東武東上線の特集が続く。その東武東上線沿いの歩行記である。先日の日曜日、社会人になって最初に赴任した朝霞市の工場のOB総会と懇親会が行われた。その工場は数年前に60年の歴史を閉じて、約10万㎡の跡地は、大型商業施設を含む新たな住宅街へと変遷。昨年はOB会の前に様変わりした工場跡地の住宅街に足を伸ばしたが、今年は会場の朝霞市民会館に直行。武蔵野線の北朝霞駅から約2キロのウォーキングとした。武蔵野線と直交する東武東上線の朝霞台駅を抜けると、その自由通路の商店街は何とシャッター街!半端ない人々が通ると言うのに・・・。朝霞市民会館までは東武東上線の西側を黒目川まで下って上る道。朝霞台駅前からの坂道を下ると貸し農園や空き地が広がり、振り返ると抜けて来たマンション群が並ぶ。黒目川沿いに出ると桜並木のナイ...話題の東武東上線、朝霞台~朝霞を歩く

  • 壬生道ウォーク2日目、楡木(ニレギ)に到着。

    壬生道ウォーク2日目の後半。鹿沼市に入ると歩道が左(西)側になる。どちら側でもあれば有難い。鹿沼市の市長選があるようだ。ゴールの今市までは31キロ。今日このあと10キロ、新鹿沼駅まで歩けば残りは20キロほどとなって1日でも可能な距離になると「妄想」するが無理は止めておこう。鹿沼市入って1キロ地点の「判官塚古墳」が見えて来る。源九郎判官義経が兄、頼朝に追われ奥州に逃げる際に隠れたことで「判官塚」と呼ばれる。そうだ、あの古墳の上で昼飯としよう!水田の中のアクセス道を歩き麓に着く。口碑脇の巨石は石室に使われていたもの。全長70メートルの前方後円墳で、前方の幅の方が後円の直径より大きいことから6世紀後半のものとされる、など口碑から学ぶ。高さ5メートルの「登山」をして「前方」の上に出る。大木の木陰で下界を眺めながら...壬生道ウォーク2日目、楡木(ニレギ)に到着。

  • 皐月の満月はフラワームーン

    3日前の満月、月の出の7時前からずっと雲が出てなかなか丸く撮れない。7時過ぎ9時前就寝時間ギリギリの10時近くやっと丸く撮れた。5月の満月をアメリカの農事暦ではフラワームーンという。花の多い季節の月ということだろう。さて、壬生道ウォーク2日目の続きは、円仁慈覚大師生誕の地、壬生寺を出て本格的な街道ウォークに入ったところ。本丸一丁目の交差点のすぐ先で右カーブする国道352号線、右だけに歩道がある。しばらくは概ね北西への一直線、田植えが終わった田んぼや収穫直前の麦畑が広がる風景、時折の杉並木の名残りを見ながら黙々とひたすらに歩くが、ダンプや大型トラックとすれ違う時は風圧に身構える。約2キロ、北関東道を潜り上稲葉の交差点を過ぎた田んぼの中にポツンとあるのは「金売り吉次の墓」。奥に見える鳥居のところにお堂があると...皐月の満月はフラワームーン

  • 壬生町の壬生城と壬生寺を巡る

    壬生道(壬生通り)ウォークの2日目。スタートの壬生町巡りの続きは壬生城址公園。裏口とも言える北西隅にある精忠神社から入ると歴史民俗資料館と公民館ホールの間に出る。壬生城は天守や櫓のない館造り。歴史民俗資料館に展示されるという模型の写真を口碑から。その本丸あたりを眺めるのがこの位置である。壬生城は十五世紀の中頃、ここに来る前に訪れた常楽寺の西側に壬生胤業(タネヨリ)が最初の館(壬生古城)を建て、二代目の綱重がこの地に築城した。五代義雄の時、秀吉の小田原征伐で北条氏と共に壬生家は滅び、関ヶ原の後で信州高島城から日根野氏が入封。十八世紀の初めに入封した鳥居忠秀以降八代に渡って鳥居家が城主(藩主)を務め明治維新となり廃城となる。壬生城跡は一時中学校にもなったがそれも移転し、平成の初めに最後まで残っていた本丸前の堀...壬生町の壬生城と壬生寺を巡る

  • 文科省、報道の自由を侵す

    教員の定額残業代を4%から10%に増額すると言う働き方改革について「定額働かせ放題の枠組みは残る」としたNHKの報道に文科省は「一面的で遺憾」と抗議文を送ったという。教師はもちろん多くの国民も「働かせ放題の定額残業制」の本質が変わっていないことを知っている。「国民に誤解を与える表現」という文科省の「本質を誤解させよう」とする意図である。壬生道ウォークの2回目。まずは城下町かつ宿場町の壬生見物。地図を睨みながら、大師町南の交差点で西に曲がる壬生道の内側に点在する見どころをグルグルと左回りに巡ることにする。まずは壬生駅入口から少し北に歩いた本陣跡。「自転車屋さんのあたり」という先達の表現に、この増田輪業店だろうかと道を渡る。先達が歩いたころはなかった(?)口碑がしっかりと立つ。実はこれより手前にもっと「らしい...文科省、報道の自由を侵す

  • 横浜市教育委員会の嘘

    教育委員会は決して「教育者」ではないことを横浜市教育委員会も暴露した。教師の性加害裁判の傍聴に職員を動員して一般傍聴者を締め出したという。被害者(児童)のプライバシーを保護するためと言うが、もちろん被告教師(加害者)や教育委員会の体面の保護であることは明白。みえみえの嘘をつく「教育関係者」である。いじめ問題の報告書の提示要求を巡り、本人と母親に3年にも渡って様々な「いじわる」を繰り返した川口市教育委員会も、横浜と同じく教育者ではない。 さて、昨日は壬生道(日光西街道)2日目を歩いて来た。最低でも楡木宿(11キロ)、出来たら樅山(14キロ)か鹿沼宿(17キロ)までと思ったがやはり暑さでバテバテ。最低の目標に留まった。その詳細な紹介は明日からとし、とりあえず壬生(ミブ)の街中を出た左手(西)の風景を一枚。1...横浜市教育委員会の嘘

  • 経済制裁、イラン大統領を殺す?

    ライシ・イラン大統領一行が乗ったヘリが悪天候で墜落、全員が死亡したという。イスラエルの関与は否定されているが、半世紀も前に米国から輸入されたヘリで、その後の経済制裁で新たなヘリが輸入できず、老朽化していたのが遠因とも言える。そういう意味で「犯人の一人は米国だ」とイランの元外相が言う。 さて、壬生(ミブ)道ウォークの初日の続き。飯塚古墳群に寄り道して小山市から下野市に入ったところ。今度は右手の下野国分寺跡に寄り道。一昨年、3キロ東方の日光街道(国道4号)を歩いた時に足を伸ばそうかと思ったが往復5キロの寄り道はパスした。今回は往復1キロの寄り道で済むはずだったが、トイレを探して国分尼寺跡近くまで行ったため2キロを超える寄り道となった。南側の天平の丘公園、万葉植物園を含めた広々とした空間に距離感覚が狂ったのも...経済制裁、イラン大統領を殺す?

  • 壬生道沿いの飯塚古墳群

    壬生(ミブ)道最初の宿場、飯塚宿に入ったところ。大きな敷地の入口の棟門。ひょっとしての思い通り、本陣の札が掛かる。壬生道は日光街道脇(西)往還とも言うから「日光街道」でも可なり。街道を進むと今度は大きな屋敷の入口に立派な薬医門が立つ。ここも本陣か脇本陣だったかと思うが特に表示はない。因みに本柱2本に屋根が載った門が棟門、本柱の後ろに控え柱があるものが薬医門、本柱4本が四脚門である。薬医門は医院の門の多かったからというが諸説あるようだ。四脚門はお寺さんの山門に多い。飯塚宿も終わりあたりの台林寺の交差点を右折すると、栃木県で最大の琵琶塚古墳、それに次ぐ摩利支天古墳などがある飯塚古墳群である。まだ9時半なので寄り道することにする。曲がってすぐの道脇にあるのが飯塚三十五号古墳。高さ4.5m、全長40mの前方後円...壬生道沿いの飯塚古墳群

  • 日光街道脇往還、壬生道は古墳の道

    壬生(ミブ)道ウォーク初日の続き。喜沢(キザワ)追分から数百メートルで小山ゴルフクラブが始まる。初日のゴール壬生宿までは一貫して県道18号を歩く。ゴルフ場入口から100メートルほど、ゴルフ場の中に一里塚の標識。喜沢追分から700メートルで一里塚?日光街道の小山一里塚からはちょうど4キロだから日本馬橋から二十里目の一里塚である。これは西塚だが、県道を挟んだ左手の茂の中も何となく盛り上がっている。坂道を上り続けるとやはり左手ゴルフ場の中に盛り上がるのはこの壬生道沿いに多い古墳群の一つ。ゴルフ場のフェンスが途切れて口碑まで近づくことが出来る。小山ゴルフ場の中に5つの古墳が取り込まれていると書かれる。坂を上り切ると広々とした田園風景。黒々とした畑土の大きな農家、ビニールハウスの風景が続き、梨や野菜直販の看板が...日光街道脇往還、壬生道は古墳の道

  • 日光壬生道を歩く(初日)

    好天の昨日、武蔵野線の一番電車で出発して壬生(ミブ)道を歩いた。先月末に次は壬生街道と書いたが、壬生道あるいは壬生通りと呼ぶのが一般的らしい。その他日光西街道、日光街道西往還などもあるが、以降「壬生道」としよう。壬生道はスタートの小山宿(の北)からゴールの今市宿まで約48キロ(十二里)、飯塚、壬生、楡木(ニレキ)、奈佐原、鹿沼、文挟(フバサミ)、板橋の七宿がある。日光街道の小山・今市間よりも5キロ強(一里半)短いので日光詣でにはこの壬生道を歩く旅人も多かったという。例によってのんびりウォークだから、多分4回(日)となろう。歩行記もなんびりである、まずはその初日。JR、東武、JRと乗り継いで7時前、宇都宮線小山(オヤマ)駅に着く。壬生道の起点は北へ3キロの喜沢(キザワ)追分。2年ほど前に歩いた日光街道...日光壬生道を歩く(初日)

  • 文化欄のちょっと気になる記事

    哲学者、長谷川宏の「語る」が連載される朝刊(朝日)の文化欄にちょっと気になる政治的記事が載った。上野西洋美術館(西美)の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえて来たか?」会場で、出展した美術家などの有志がイスラエルのガザ地区への攻撃をジェノサイドとして抗議する文書を読み上げたという。併せて、上野西洋美術館が公式パートナー契約を結ぶ川崎重工業がイスラエルから輸入した武器(無人機)の実証実験にも抗議している。田中館長は「他の作家へ迷惑をかけたことは遺憾だが、言論や思想信条の自由の観点は尊重したい」と慎重に振る舞った。しかし、その後の抗議活動は制止され警官が抗議者を外へ連れ出したという。美術館側では警察(上野署)には連絡や相談はしていないというが、たまたま警察官が企画展を見に来て抗議活動に遭遇し...文化欄のちょっと気になる記事

  • 彩の国のスポーツパワー

    彩の国、埼玉のローカル話題、スポーツ編。まずは女子サッカー、三菱重工浦和レッズレディースがWEリーグ2連覇、これによって来季から始まる女子ACL(アジアカップ)の出場権を獲得した(ACLプレ大会でも優勝)。ここ数年J1で中位に甘んじる男子の浦和レッズも何故かACLには強い。その男子のACL活躍に刺激されたという。次は男子バスケットB2リーグで越谷アルファーズが2位以内確定。来季のB1に昇格が決まった。越谷アルファーズの元は実業団チーム、大塚商会。最近までスポンサーだったが今は降りたらしい。バスケットリーグは一時揉めに揉めたが、地域密着型のBリーグ制度になって興隆している。日本三大阿波踊りの街である越谷市は男子のバスケットボールでも有名になりそうである。 日の出散歩の帰り道の花たち(2)   彩の国のスポーツパワー

  • 「あかんやん」を封じた鋼索技術者

    「新・プロジェクトX」、夢の架け橋、明石海峡大橋建設秘話の続き。原口神戸市長の「夢」を実現した技術者たちの話である。まずは「パイロットロープの渡海」。主塔が完成しいよいよ橋桁を吊る鋼索張りである。まずパイロットロープと呼ばれる細い鋼線を「船」で渡して張り、これを使って順次本番の鋼索を渡せるような太い鋼線にして行く。しかし、一日1500隻もの貨物船が通る明石海峡を船で横切るのは至難の業、というより危険である。そこで吊り橋工事では初めてのヘリコプターを使うことになった。40歳を少なからず過ぎそろそろ現役引退かと思っていたベテランパイロットの朝倉に白羽の矢が立つ。引退の思い出にと「ヨッシャ」と引き受けたが当日は強い風。強風にあおられながら順次後ろに伸びていく鋼線に引っ張られる。「後ろ髪を引かれる思い」なんて言っ...「あかんやん」を封じた鋼索技術者

  • 人生すべからく夢なくしてはかないません

    今日のタイトルは戦後の神戸市長、原口忠次郎の「名言」である。内務省の役人として四国にも赴任した経験から、四国が阪神地域と「橋」で繋がることが双方にとってメリットが大きいと確信した。連絡船は度々難破してそのたびに多くの犠牲者を出していた。土木技術者でもある原口は明石海峡を跨ぐ橋の建設を、国に請願し、市議会に調査費を提案するが、原口の「白昼夢」と笑われた。幅4キロ、強い潮流の明石海峡に橋を架けるなんてまさに夢の夢。それに反論したのが「人生すべからく夢なくしてはかないません」だ。原口の長年の調査活動などを知る議会は皆圧倒された。原口の生前に橋の建設が始まるかに見えたがオイルショックで起工式の直前に延期。原口は「墓は橋が見えるところに建ててくれ」と言って3年後に没する。明石海峡大橋の袂に「夢レンズ」というモニュメ...人生すべからく夢なくしてはかないません

  • 懐かしの大衆車1号

    ハイキングの最中に動けなくなったサザエさんとマスオ君。運よく通りかかった車に乗せて貰った途端にエンスト。降りて一緒に押す羽目に・・・。1961年10月17日の「サザエさん」。この約4か月前の6月30日に「トヨタ・パブリカ」が発売された。「サザエさん」の漫画の車はこのパブリカに似ている。700cc、28馬力で最高時速100キロ、価格は38万9千円。今の軽よりほんの一回り大きいだけ。今の価格では600万円相当の高額であった。その6年前の、時速100キロ、価格15万円以下という通産省(当時)の「国民車構想」の下に開発されたが、価格目標は無理だった。その上、価格を抑えるために「質素」にし過ぎて売れ行きは芳しくなかったという。(昨日の朝日土曜版の「サザエさんをさがして」から)この5年後(1966年)に発売されたトヨ...懐かしの大衆車1号

  • 復刻の味、半田「カブトビール」

    連休に愛知へ旅行した方に戴いたお土産はレトロな復刻ビール、半田市の「カブトビール」。グラス付き2本入りのパッケージから写真を、同梱のパンフレットからその歴史を紹介しよう。大阪から仕込釜、福岡から大麦、東京から瓶を調達し明治22年に三千本出荷された。明治31年からは「半田赤レンガ建物」で生産され、昭和16年まで生産された。明治33年(1900)のパリ万博では金賞受賞。ビール産業黎明期の工場の姿を遺す赤レンガ建物は国の登録有形文化財になっている。明治から大正期の日本のビールは麦汁濃度が高かったので色が濃く赤褐色、味は重厚で甘味、苦みが強かった。一方炭酸ガスが少ないためやや気が抜けた味で清涼感が欠けていた。大正末期以降はそれまでのしつこさを脱し、色も琥珀色、炭酸ガスが増えて心地よい刺激で飲みやすく、杯を重ねるの...復刻の味、半田「カブトビール」

  • 後ろ姿は全き完了形

    久しぶりに朝刊(朝日)一面「折々のことば」(鷲田清一)から。「自分の後ろ姿は全き完了形として手も眼も加えることが出来ない。思想史家藤田省三前や横を向いて歩く人間にどうしても見えないのが自分の後ろ姿。それは自分の「絶対的な過去」。人のまなざしには常に死角がある」 背中が語る、背を見て育つなどと言われるが、「絶対的な過去」と言われてはもう遅い。せめて残り短い人生は少し背中を意識しよう。久しぶりに晴れの明け方。早めに出て鉄橋の南側で日の出を待つ。玄関先は9℃だったが川は2,3度低い。今日から3日好天とな。   後ろ姿は全き完了形

  • 「舟を編む」、辞書に取り憑かれた少年

    5月1日の水俣病懇談会での「マイク切り」問題。最近の政治家や大臣、官僚なる者たちにロクな奴はいないと思っているので今回もその欺瞞的な弁明や謝罪の薄っぺらさにはさして驚かない。ただ、実際にマイクを切った担当職員さんへ。上からの指示とは思うが「切るには忍びない、後で叱られてもしょうがない」と思う気持ちは湧かなかったのだろうか。公僕とは国民に仕える者也。 NHKBSのドラマ「舟を編む」の3回目。「手を差し延べる」の語釈(意味)について。中型国語辞典「大渡海」の編集メンバーの一人であるアルバイトの国文科学生の辞書との出会いは小学生の時だった。観るとお菓子が貰えるというので行った市民センターの映画会。両手の無い女性の映画だった。足でなんでもやってしまうことに驚くと共に、何も背負っていないかのように、何とも闘っていな...「舟を編む」、辞書に取り憑かれた少年

  • 哲学者、長谷川宏の青春

    朝刊(朝日)に連載の「語る」は、いわば日経の「私の履歴書」的なコラムである。昨日の7話目で「タテカン」の写真を使ったのは哲学者、長谷川宏(1940~)。私も学生時代、授業をサボりよくタテカンを書いた。大きなものは、ベニヤ11枚を使って、縦2.7×横7.2メートルもあった。そんな思い出もあって、遡って読んだ長谷川宏の「語る」(3~6話)のまとめ。(4月の1・2話は既に古紙回収に出してしまった) 松江の中学へ通う汽車の中、国語教師からスタンダールの「赤と黒」は読んだかと声を掛けられたのがきっかけで世界文学全集に嵌った。1958年、東大文Ⅰに入る。警職法改悪反対闘争が起きていた。文学部哲学科に進んだ1960年は安保改定反対闘争が起きた。全学連(主流派)と共に国会議事堂に突入した。多数派(与党)の非民主的国会運営...哲学者、長谷川宏の青春

  • 懐かしの「タテカン」

    朝刊(朝日)をめくっていると懐かしい「タテカン」の写真を見つけた。「仏文完全スト」「本日全学ストに決起せよ」などの文字が並ぶ。連載コラム「語る」は哲学者の長谷川宏。今朝の7回目は安田講堂「落城」後の話。「多くの学部で授業が再開される中、文学部のストは続いた」の見出しで始まっている。これは是非昨日までの新聞(紙)を遡って読んでみよう。 連休中、4日続いた好天も今朝は雨。完成間近のマンション工事のスナップ。南棟112室、東棟84室、計196室。外構工事、植栽もほゞ終わりエントランス・ホールは工事の休憩場所か会議コーナーか隣接の商業施設(スーパー)との間懐かしの「タテカン」

  • 次期衆院選、立憲・共産よく考えて

    次回の衆議院選挙の立候補予定者数が、定数の2倍の約900人になると言う。埼玉県の小選挙区は10増10減で1増えて16選挙区となり、合計55人が立候補予定。小選挙区の埼玉の現職議員数は自民12、立憲3。比例区を含め、自民15、公明1、立憲5、維新2、国民1。新14区は公明(比例区から回る石井幹事長)、その他は自民で自公は完全協調。一方、立憲・国民の競合立候補はないが、立憲・共産は9選挙区で競合。裏金問題などで揺れる自公与党を追い落とす気があるのか。今後の「協調」に期待しよう。 連休最終日、昨日までと違い今日は曇りの予報だが明け方は晴れ。4日続けて日の出散歩。ニ十八夜の超眉月は細すぎて(明るすぎて)目を凝らしても見えず。今日も武蔵野線の上り一番電車を見てから土手を降りる次期衆院選、立憲・共産よく考えて

  • 江戸川の日の出、3点セット

    連休後半の4連休は好天続き。3日続けて江戸川へ日の出散歩。だいぶ細くなった眉月を見上げながら土手の石段を上ると、おー、一面の川霧!川霧は下流の流山橋方向が厚く土手からあふれ出すほど。やがて陽が昇る。江戸川の日の出、3点セット

  • 埼玉の連休、二つの100

    加須(カゾ)市の利根川沿いで上げられる大鯉のぼりは長さが100メートル。春日部市(旧庄和町)の江戸川で上げられる大凧は百畳(15×11メートル)。いずれもこの連休中に2回上がる。加須の大鯉のぼりはクレーン車で吊り上げるが、風がなかったり弱かったりすると横になって泳がない。1回目の昨日は午後に風が出て無事横になって大空を泳いだ。春日部の大凧も適度な風がないと上がらないが、人力頼みなので風が強すぎるとコントロールが難しい。事実昨年は突風にあおられて落下し土手下の民家の屋根を壊した。今年は大きなデジタル風速計を見ながら綱を引っ張るタイミングを図って、これも1回目の昨日は無事上がったという。2回目は両方とも明日5日だが、大混雑とアクセスの悪さもあって今年も見送る予定。 江戸川早朝散歩から2キロ以上続く河川敷運動...埼玉の連休、二つの100

  • 憲法記念日に思う夫婦別姓選択

    憲法記念日に思う夫婦別姓問題。いわゆる選択的夫婦別姓(氏)制度である。現行民法の下で結婚後は夫または妻のどちらかの姓を名乗ることとされ、94%が夫の姓を名乗っている。歴代政府は「国民の理解が得られていない」として法改正には反対して来たが、実際は男社会に拘る「守旧派」だけが反対しているに過ぎない。企業内では結婚後も旧姓で仕事する女性も多い。私は時々配偶者を旧姓で呼ぶ。旧姓での○○△子と結婚したという思いを持ち続けるためでもある。当の配偶者は冗談だと思って笑っているが、「そう言えば私は〇〇△子だったのね」とも言う。 さて、ドラマ「舟を編む」について、今日はストーリーというか、ドラマの中で「なるほど」と思ったことについて。「言葉を紡ぐ」、糸を紡ぐようにして言葉を選んで文章をつくる、あるいは話す。真面目な馬締(マ...憲法記念日に思う夫婦別姓選択

  • ドラマ「舟を編む」ロス

    辞書と言う船に乗り暗い海面に浮び上がる小さな光を集める。最も相応しい言葉で正確に思いを誰かに届けるために。もし辞書が無かったら私たちは盲漠とした大海を佇む他ない。辞書は言葉の海を渡る舟、大海を渡るに相応しい舟を編む。これが私たちの仕事です。 上の文は弊ブログ、2月26日の冒頭の再掲で、NHKBSのドラマ「舟を編む~私、辞書つくります~」からの引用である。先々週の日曜日が最終回(10回)だった。今、舟を編むロス状態である。中型辞書(広辞苑クラス)の新規発行の十数年と言う長い苦難の過程が勉強になるが、今日はキャスト面からの感想である。何と言っても主人公の一人、ファッション誌編集から移って来た新人編集部員岸辺みどり役、池田エライザの素直な感性が光った。辞書なんてという最初の思いが日々変わって行く様を好演した。も...ドラマ「舟を編む」ロス

  • 昭和に思いをはせてー埼玉版

    埼玉県の広報誌「彩の国だより」5月号の特集は「昭和に思いをはせて」。「もはや戦後ではない」の30年代、40年代の出来事から。昭和33年川口の鋳物師親子、東京五輪用の聖火台を鋳造昭和36年昭和の大合併で戦後の323市町村から95市町村に昭和37年1月県人口250万人に、12月草加松原団地入居、以降、武里、みさとなどマンモス団地入居、「埼玉都民」昭和40年5月広報誌「さいたまけん」創刊、10月人口300万人昭和42年9-10月埼玉国体昭和44年1月県人口350万人昭和46年11月埼玉百年記念式典、11月14日が県民の日となる昭和47年市の数が38となり全国1位に昭和48年8月埼玉県民となる(私事)尚令和6年現在、埼玉県の人口は約735万人、市は40、町は22、村は1つ(東秩父村)で計63市町村。県都さいたま市...昭和に思いをはせてー埼玉版

  • 次の街道ウォークは?

    日光御成街道ウォークを終わり、次の街道を検討中だが、日光続きで「日光壬生道」が第一候補(下記の赤線)。栃木の小山市から今市までの50キロ弱。御成街道とほゞ同距離である。日光街道の脇往還とも呼ばれ、この間の日光街道よりも約5キロ(一里半)短いので東照宮詣での多くの旅人が利用したと言われる。また徳川将軍たちも帰りはこの道を通ったらしい。後半の楡木ー今市間は例幣使街道と同じ道となるので、この間は例幣使街道に含むという説もある。尚、日光例幣使街道は京都の天皇の代理者である例幣使が東照宮を表敬訪問する道。千人同心街道は、江戸の西の守りだった八王子千人同心が交代で東照宮の勤番に就いた時に通った道である。いずれこの道も歩いてみたいものだ。 次の街道歩きの話のついでに、一日早いが今月(4月)のウォーキング記録について。延...次の街道ウォークは?

  • 自民王国島根で完敗、解散遠のくか

    今、全国的な国民の審判を受けることは到底できない。三つの補選完敗(二つは候補擁立出来ず)で、今国会の会期末とも予想された岸田首相主導の解散総選挙は後送りされるだろう。一方、三議席増やした立憲民主も全国的には候補者を擁立できない選挙区が多くあり、基盤の弱さを露呈させている。次の衆院選挙から埼玉14区の区割りが変わり、我が三郷と草加、八潮の3市となる。この14区は自公の協調区で公明の石井幹事長が立候補する予定。岸田君と並んだポスターがあちこちに貼られるが、岸田君落ち目で逆効果と外されるかもしれない。とは関係なく世の中は大型連休中。円高も何のその、海外旅行は3割増とな。国民は強かである。 昨日紹介した日光御成街道ゴール近くの琵琶溜井記念館。構内にこのあたりを地盤とする自民M議員の像が立っていた。その題字は元首相...自民王国島根で完敗、解散遠のくか

  • 御成街道、ゴールの前の出来事

    まずは訂正。一昨日(26日)の「H3、技術者たちの348日」で、H3ロケットの1号の打ち上げを23年2月27日と書いたのは3月7日の間違い。逆に2号の打ち上げが今年の2月27日であった。348日ではなく「技術者たちの373日」になってしまっていた。 さて、日光御成街道を7日目でゴールしたが、そのゴール直前に訪れた「葛西用水琵琶溜井記念館」での出来事である。圏央道を潜った先の交差点に立つ道標を兼ねた馬頭観音の石塔を見て振り返ったところにあったのがこの風景。地図には葛西用水路の記念館と書かれる。用水路の奥に見えるレンガ色の建物だろう。どこから入るのか、フェンス沿いに歩くがなかなか入口がない。 一度曲がってやっと着いた入口の門は閉まるが、こんな案内板がかかる。原則、月・木曜日とあり今日は火曜日。早くゴールして打...御成街道、ゴールの前の出来事

  • 日光御成街道、幸手にゴール

    鎌倉街道への寄り道を終わり、和戸橋交差点で御成街道に戻る。6日目のゴール、和戸の交差点からは400メートルほど先である。その間の大落古利根川にかかる和戸橋、備前堀川にかかる小和戸橋を渡って逆行し、カーブの先の和戸の交差点を確認する。和戸橋の交差点に戻った左手、フェンスの中に「治水記念碑」。大落古利根川の整備を記念して昭和9年建立と言う。そのフェンスにかかる表示、昭和二十二年の洪水はキャスリーン台風によるものであり、私が生まれた九月であった。「赤い線」がないが、下のテープが退色したのだろう。地上約1メートル、川面からは5メートルほどある。和戸橋交差点のブロック塀の奥の碑は、この脇を通ったのに見逃した。わかりにくいが「参姑神」の下の2文字が分解されているという。参姑=三尸、三尸の神、すなわち庚申塔である。数百...日光御成街道、幸手にゴール

  • H3、技術者たちの348日

    先週土曜日、「新・プロジェクトX」で東日本大地震から3年で復活した三陸鉄道の「熱い思い」が放送された2時間後、もう一つのプロジェクトX(のような番組)があった。土曜スペシャル「H3ロケット失敗からの再起」。その副題が今日のタイトル「技術者たちの348日」である。2000億円と9年の歳月をかけて、H2Aの後継機として開発されたH3型ロケットは期待も空しく昨年2月27日の1号打ち上げに失敗。そして今年の3月7日、見事リベンジを果たすまでが348日である。技術陣にとってはまさに針の筵(ムシロ)の上の348日だったろう。2段目エンジン点火失敗の原因追及は困難を極め、時間ばかりが経過して行く中「何かお手伝いできれば」と申し出たのは、H3と共に海の藻屑と消えた大型衛星「だいち3号」の開発陣。だいち3号の弔い合戦だと思...H3、技術者たちの348日

  • 尼崎脱線事故から19年、安全体質は変わったか

    友人の娘さんが犠牲になったこともあり、尼崎での宝塚線脱線事故は忘れられない大事故である。今朝のニュースで、遺族会を引っ張って来た浅野弥三一(ヤサカズ)氏の活動が紹介されている。事故で奥さんと娘さんを失った方である。責任逃れの発言を続けるJR西日本の幹部に「責任追及は一旦横に置く、真の原因追及をしよう」と「安全フォローアップ会議」を提案し活動を続けて来た。以前ここで紹介した「軌道」に詳しい。娘さんを失った友人も、安全体質が変わるまでは示談交渉には応じないと言った。果たしてJR西日本の安全体質は変わったのか。今朝の浅野氏も「まだまだ」の思いである。JR東海や東日本に比べ私鉄との競合路線が多くドル箱路線が少ないJR西日本である。「まだまだ」採算優先の経営方針であろう。そう言えば、最近JR東日本も新幹線の停電な...尼崎脱線事故から19年、安全体質は変わったか

  • 御成街道ウォーク、最終日のイントロ

    日光御成街道のゴール、日光街道との合流点までの約4キロを残して6日目を終わったのには2つの理由があった。1.鎌倉街道中道(ナカツミチ)の高野の渡しなどへの寄り道2.15年ぶりに極太の手打ち蕎麦屋「一茶」を再訪する今朝は、2.を紹介して最終7日目のイントロとしよう。10時半、日光伊勢崎線の和戸(ワド)駅に着く。蕎麦屋一茶の11時開店に合わせるためである。15年前とは違いエレベーター棟が増えた和戸駅を眺める。県道85号に出て、6日目のゴール、和戸の交差点へとは逆の南へと右折。一茶までは数百メートルのはずだ。曲がってすぐの酒屋の店先、「末廣」は地酒なのだろう。二つ目の交差点手前の一茶に着くと開店10分前。既に先客二人が椅子に座って待つ。同年配と思われる男性は地元、隣の若い男性は春日部から車で来たという。駐車場...御成街道ウォーク、最終日のイントロ

  • 埼玉県、75歳以上増加が全国一

    総務省から昨年10月1日の人口統計が発表され、埼玉県では転入者と転出者の差「社会増減」は約0.5%増となり全国2位。都内に比べ割安な地価やマンション価格の影響と思われる。しかし、出生と死亡の差の「自然減」が少し上回り全体では約0.1%の減少となった。この減少幅の「低さ」は全国3位だが、75歳以上の増加率が5%近くで、これは全国1位と言う。我々団塊の世代が2年前から75歳を越えて来たことが要因であろう。「かつて地方から東京に就職し、広い土地などを求めて埼玉に移り住んだ団塊の世代が多いのだろう」と県の関係者は言う。広い土地ではないが東京(板橋)から埼玉(三郷)に移り住んだことは間違いない。また、県内総人口では日本人が減ったのに対し外国人が8%強増加しているという。我が三郷市でも、今歩いている街道沿いの街々でも...埼玉県、75歳以上増加が全国一

  • 翔平、大リーグ176本目を打つ

    今朝は小雨、BSでドジャースの中継を観ていると大谷翔平が2ランホームランを打って先行した。松井秀喜の175本を超えた。これをきっかけにドジャーズ打線が大暴れし現在10ー0。さて、御成街道ウォーク6日目。岩槻宿の「おさらい」を終えてゴールの幸手に向けて出発。渋江の交差点から間もなく「浄安寺」。石畳の奥の山門は「槍返しの門」と呼ばれる。元々は、ここから少し先にあった岩槻城下「田中口」の木戸門。八代将軍の吉宗一行が日光に向かう時、槍を返さない(倒さない)と通れないので槍頭が門を倒せと岩槻藩に要求したが、藩主は頑として拒否。結局、槍を返して通ったという謂れがある。ここには初代藩主、高力清長の墓もあるが、藩校「遷喬館」を興した儒学者、兒玉南柯(ナンカ)の墓もある。何故か「南柯兒玉先生」と彫られる。東武野田線の高架を...翔平、大リーグ176本目を打つ

  • 日本語の学び手から教わる日本語

    今夜、NHKBSのドラマ「舟を編む」が最終回(10回)を迎える。ある中堅出版社が広辞苑のような中型辞典を新たに発刊するまでの十数年もの苦労を描いたドラマである。今朝の朝日「日曜に想う」で、オックスフォード英語辞典の改訂に際し23の日本語に由来する単語を新たに収録したと書かれる。その一つが「kintsugi(金継ぎ)」。「器のひびは人生の困難、挫折のようなもの、金継ぎは以前より強い自分になれることを思い起こさせる」(オーストラリア人)。「修復された器は、壊れる前の脆弱性と壊れた後の強さを教えてくれる」(ルーマニア人)。これらは、朝日新聞の記者を48歳で辞めた大森和夫氏(83)と妻の弘子さん(83)が私財を投じて続けて来た外国人を対象とした「日本語作文コンクール」からの引用である。「日本語の学び手から教わる日...日本語の学び手から教わる日本語

  • 岩槻宿を舐め尽くす

    昨日はブログを休み日光御成街道ウォーク6日目へ。武蔵野線の2番電車で出発。東武線春日部駅での乗り換えは待ちゼロの僥倖。岩槻駅に6時半前に着く。御成街道ウォークで初めての早朝出発は、岩槻からゴールの幸手(サッテ)まで16キロを一気にの思惑もあるが、本陣跡、一里塚など岩槻宿の「おさらい」が目的。元荒川を歩いた時、綾瀬川を歩いた時の中継駅、そして今月岩槻城址の桜見物、前回のゴール、出発の今日と7回目となる岩槻駅も見納めかも知れない。駅前通りを約三百メートル先の街道筋に向かう。右手少し奥まって「人形の町」岩槻で大手の東玉本店。街道筋〈市宿通り)へ出て間もなくの埼玉信用金庫岩槻支店が本陣跡という説もあるが、昔の街道絵では日光に向かった左手に本陣とあるので、右手のここは違うようだ。前回「このあたり」と書いた高札場跡。...岩槻宿を舐め尽くす

  • 東京15区補選、9人乱立

    長崎3区と共に自民党が立候補を見送った東京15区(江東区)の衆院議員補欠選挙に9人が立候補しそのうち4人が女性。下馬評は混沌としている。誰も法定得票数に達せず「再投票」の可能性も。不倫王(国民民主、都民ファースト)、極右保守党、公判中の元自民党、立憲を離党した参院から鞍替えの元ボクサーなど男性の候補には問題児が多いので女性陣から当選者が出る可能性は高い。投票は連休直前の4月28日。 久々の明け方散歩、日の出は不発街中の小菊三軒東京15区補選、9人乱立

  • 信州・武州、桜の競演

    故郷信州、長野市に住む高校の同級生から桜の便りが届いた。四季折々、プロ級の腕前で北信濃の風景を届けてくれている。善光寺の裏山にある雲上殿長野市街の眺望須坂市の臥竜公園そして母校の桜、昔の校舎は今は同窓会館今の校舎、昔は男子校、今は男女半々の共学一方、自宅近くの三郷早稲田公園では八重桜が咲き出した。信州・武州、桜の競演

  • 「ナッジ」ってなあに?

    埼玉県東部の8市町村が参加する東埼玉資源環境組合の広報誌「リユース」の今月のトップ記事が「ナッジってなあに?」。ゴミ箱の上にバスケットボールのゴールリングを付けたらゴミのポイ捨てが少なくなった、という例を引いている。またゴミ容器を透明にして中が見える様にしたら分別廃棄が進んだともいう。ナッジ(Nudge)とは、(注意を引くため)軽く肘で突っつくことを意味する英語。それとなく行動を促す、と言うことだろう。行動経済学ではナッジ理論という専門領域もあるほどの「学問」にもなっている。八王子市の例では、大腸がん検診の受診促進に応用され効果を挙げた。「受診すれば来年も検診キットを送ります」と「受診しないと来年は検査キットを送りません」の2種類をテストしたところ、損失を強調した後者の方が6ポイント受診率が高かったという...「ナッジ」ってなあに?

  • 忍者アイス

    信州・蓼科山の頂上近くから湧き出す水を採氷池で凍らせて1月下旬に切り出す。それを日本刀で切り付け、グラスの内側に沿ったカーブにすると氷が消える。岸久(キシヒサシ、58歳)が2000年に銀座一丁目に開業したバーのカウンターで造る「忍者アイス」である。31歳で創作カクテルの世界一に日本人で初めてなった。43歳で「日本の名工」に。今春「オーセンティックバー」が日本標準産業分類に入った。日本バーテンダー協会の会長を6年務めた岸の功績である。日本のオーセンティックバーは今、インバウンド客で賑わう。(4/13朝日土曜版「フロントランナー」より) 日光御成街道ウォーク5日目の後半である。中間点の上野田の交差点から1キロ半、徳川将軍たちが休憩したという光徳寺の先、膝子一里塚(東塚)跡に着く。前の一里塚が場所も名前もわから...忍者アイス

  • 小雨の御成街道、それもよし

    日光御成街道ウォーク5日目の続き。大門(上)の交差点を過ぎた大興寺あたりが大門宿の北の外れだろう。ここから左にカーブして、切通しを走る東北道と側道の国道122号を渡る。昔は大興寺の塀に沿ってもう少し北進してから曲がっていたらしい。東北道を跨いで少し歩くと大手運送会社「センコー」の大きな倉庫。広い門から出て来る大型トラックをやり過ごしながら見上げると、お、運転手は女性だ。前の道路にトラックが出てから写真を撮る。門の先のフェンスにドライバーと並んで保育士募集が掛かる。この敷地内に保育所があるのかも知れない。実はここは出身会社の配送センターだった。都内及び近隣県への配送拠点としては最高の立地。現役時代ここのリニューアル計画を担当して、今その通りの大型倉庫などが建っている。しかしその建設は数年後、運送を請け負って...小雨の御成街道、それもよし

  • 日光御成街道、大門宿

    この土日は各地で「夏日」になるというので、昨日花曇りの下、日光御成街道5日目を歩いた。曇りから晴れと言う予報が外れて途中のほとんどは小雨あるいは強めの小雨の中。「明日の天気も当たらないのか」とブツブツ言いながら歩いたが、逆に薄手のブルゾンも脱ぎ忘れるほどの涼しさは超ラッキー。というのも、今回の東川口ー岩槻間は鉄路の駅が無く、御成街道ウォークで初めて10キロ超を歩く日だったからである。ここまでは街道筋の距離で4,4,5,7キロと小刻みに歩いて来た。出発した武蔵野線東川口駅前の大きなモニュメントはシールド・マシンのカッターヘッドのレプリカ。ここで武蔵野線と直行する「埼玉高速鉄道」はほとんどが地下を走る。北口から線路沿いの急坂を上って御成街道に出るとちょうど10時。まずは約2キロ先の大門宿を目指す。狭い2車線、...日光御成街道、大門宿

  • 岸田訪米でトリプル安

    岸田首相の訪米中は(礼儀として)日本の財務省は介入しない、と円が急落。日経平均、10年物国債と併せトリプル安。岸田君のお土産は日米安保の日本負担増に違いない。米上下院合同会議で「下(原稿)を見ずに」演説する岸田君。やれば出来るじゃないか。尤も日本語(国内)でも抽象論ばかり、英語ならもっと抽象的だから「滔々」と喋ることが出来る。 三郷中央「にほどり公園」の桜風景(4/10)岸田訪米でトリプル安

  • 三郷中央でチェアリング

    チェアリング椅子を持って外に出て、好きな場所に置いて酒を飲むこと 2016年、雑誌「酒場人Vol.2」に載ったチェアリングの定義である。2018年の「Hanako」でも「チェアリング、新しいカルチャー」として紹介された。昨日三郷中央の「にほどり公園」で、前日の嵐に耐えた桜並木を見ながらチェアリングを楽しんで来た。今まで江戸川の土手などで時折楽しんだが、今回は久々である。ただし私の場合、携帯椅子を持ち歩くのではなく現地調達が原則。土手の石段、寺社境内の石垣やベンチなどでチェアリングを楽しむ。今回も第二大場川沿いの遊歩道の石段を選んだ。対岸の「にほどりコミュニティプラザ」のカフェにコロナビールが置いてあったのでテラスでチェアリングの二次会。花見チェアリング、オツである。三郷中央でチェアリング

  • あの「プロジェクトX」が還って来た

    今月から「新・プロジェクトX」が始まった。18年4か月ぶりの復活である。72歳になった中島みゆきもテーマ曲「地上の星」を新たに吹き込んだ。語り手は田口トモロヲが継続。事前のPR番組では、名司会だった国井雅比呂が熱く語った。彼も75歳になっている。そして司会者は新しくなった。復活第一回は「東京スカイツリー天空の大工事」。前のシリーズでも21作目で東京タワー建設が取り上げられたが、半世紀以上前とはいろいろな面で様変わりである。完成から12年の東京スカイツリー、過去色々な角度からドキュメンタリー番組が放送されたが、「主題は人なんです(国井)」のプロジェクトXでは、設計者、施工監理者、鳶(トビ)職人たちを取り上げた。中でも鳶職人たちの奮闘ぶりがメインとなった。 3本の脚部の組み立てはそれぞれ3つの会社の鳶たちが...あの「プロジェクトX」が還って来た

  • 岩槻城址公園も桜満開

    裏金問題で「国民の声を聴く」はずの車座対談。実際には自党の県連幹部など身内ばかり。街に出たら大変なことになる、賢明だと身内も評価。国民の財布を持って国賓で訪米、を最後にしてくれ。幸手権現堂堤に続き岩槻城址公園へ桜見物のハシゴ。東武日光線と東武アーバンラインを乗り継ぎ、次回の御成街道のゴール予定である岩槻駅に着く。8年前にリニューアルされた岩槻駅はやはり「お城」のイメージ。城下町岩槻は「人形の街」でもある。岩槻駅から1キ半の城址公園入りロの交差点を曲がると渋滞した車の列が長く続く。桜満開の日曜日、賑わう城址公園が見えて来る。以下、菖蒲池と八つ橋を中心とした岩槻城址公園の桜を。桜を撮る外人さんを撮る戻り道も依然として渋滞が続く。岩槻城址公園も桜満開

  • 幸手権現堂堤、満開の桜

    御成街道沿いには桜の名所が多いと書いた。見沼代用水路沿い、岩槻城址公園、そして何と言ってもゴールの幸手(サッテ)権現堂。桜の開花情報を見ると「今が見時」。ゴールの幸手に着くのは少し先になりそうなので、花見だけ先に済ませることにした。あとはゆっくりと好天日に歩けばいい。東武日光線の幸手駅に着くと、駅舎がリニューアルされている。一昨年2月、日光街道を歩いた時は400メートルほど離れた幸手駅に寄らず次の栗橋橋宿に向かったから、その数年前以来である。そう言えばその時、駅舎や駅前は工事準備の仮囲いで迷路みたいだったことを思い出した。満開の日曜日ということで駅舎も駅前も大混雑である。途中で寄った寺社仏閣は後回しにして早速「幸手権現堂堤」の桜並木を紹介しよう。1キロ続く桜並木の入口から。往復すると間違いなく1時間はかか...幸手権現堂堤、満開の桜

  • 地震対応、台湾と日本の違い

    台湾・花蓮市などを襲った地震で避難所設営のスピーディーさがニュースになっている。地震1時間後市や支援NGOのグループチャットが立ち上がる2時間後避難所に個室テント設置3時間後被災者受け入れ開始4時間後設備がほゞ整うこのスピーディーさは6年前の地震の教訓だと言う。デジタル大国台湾ならではなのか。いや、もっと違うところがありそうだ。 日光御成街道ウォーク4日目の最後である。市神社(イチガミシャ)の小さな祠の前から地蔵院の入口に戻る。山号は箱崎山。山門までの長い参道は一般道になっているようだ。この道を含む五差路である。参道入口の石碑の正面には新四国霊場の五十九番札所と刻まれる。右側面は五差路を北東に向かう越谷道の道標になっている。新四国八十八ヶ所は現地に行かなくても廻れるようにまず北海道で始まり、その後全国各...地震対応、台湾と日本の違い

  • 鳩ケ谷の由来は「発度郷」

    花曇りの日が続く。どうも桜が開花してからというものパッとした晴れ日が無い。昨日は花冷えと言ってもいいような低気温。昨日、大阪造幣局の「通り抜け」が始まった。大阪には2年半、電車で30分の京都にも6年住んだが一度も行っていない。キタやミナミに出没しても花鳥風月とは縁遠い生活の時期だった。 御成街道鳩ケ谷宿、一枚だけ見つけたカラーマンホールだが、どうしてもカメラを構える自分の影が入ってしまう。今は川口市に編入合併したがこれは「はとがやし」時代のもの。鳩ケ谷の地名由来はいくつかある。まずは発度郷(ハットゴウ)と呼ばれた時期があったこと。台地の先端部、端(ハシ)がなまってハトとなった。また窪地を示すホトが「鳩」になった、などだが、いずれも周りが谷状になっていたので「谷」が付いたらしい。本陣跡や高札場跡がある本町...鳩ケ谷の由来は「発度郷」

  • 翔平、誠也の競演

    ドジャースの大谷翔平が1号ホームラン、カブスの鈴木誠也も2試合連続のホームランの「明るい」ニュース。次のドジャース・カブス戦では二人の競演が見ものだ。一方、暗いというよりも茶番なニュースは「コップの中の処分」(朝日二面の見出し)。自民裏金問題の39人処分だ。埼玉県では4人の安部派議員に党役職停止、戒告の処分。次の選挙への立候補に全く問題はない軽い処分である。 さて、日光御成街道ウォーク、4日目の続き、鳩ケ谷宿である。見沼代用水路東縁(ヘリ)を渡る吹上橋からの上り坂は「御成坂」。小公園に立つ「からくり時計」の口碑を見ると5分後の12時に開演と書かれる。次は3時だから何とい僥倖。御成行列の壁画を見ながら待つ。鐘突き坊主や三ヵ所の窓から出て来た街道旅姿の人形たちのユーモラスな動きに思わず微笑んでしまう。御成公園...翔平、誠也の競演

  • 英霊とは英国の幽霊?

    朝日朝刊「言葉季評」(穂村弘)から。歌人である穂村弘が、若者の言葉感覚のズレを詠んだ短歌を三つ紹介しているが、そのうちの二つ。 英霊を英国の幽霊と問う若者の顔まじまじと見つ(吉田鱒石)定年まで勤めて退職することを「寿退社」と思う若者(臼井慶子) 英霊はともかく、結婚しても辞めない女性が増え、定年まで勤め続けるのも大変な時代、「寿退社」の誤用は解らなくもない。 御成街道ウォーク4日目はSHR(埼玉高速鉄道)の南鳩ケ谷駅から。国道122号の地下深くを走る埼玉高速鉄道は、地上には小さな入口があるだけだが駅前(上)ロータリーは広く立派である。数分で新芝川を鳩ケ谷大橋で渡る。少し上流で3日目に渡った芝川から分かれ、ここから5キロ下流で荒川に注ぐ放水路である。この先の鳩ケ谷変電所前の植え込みにあるのは「松原晴嵐」碑。...英霊とは英国の幽霊?

  • 松本清張と森村誠一

    民主主義下の権力の犯罪は巧緻をきわめる。なぜなら民主主義という政治形態の基本は、政治の公開であるからである。公開原則の下に政治の不正は理論上ありえない。しかし国民から権力を預けられた者は、それを委任されている間にありとあらゆる手を駆使して権力を独占しようとする。教育を歪めて国民を権力者の都合のよいように洗脳し、法律を枉げ、司法を政府が支配し、国会の議決を得ないで国家の重要事項を決め、国民の目から政治を目隠ししてしまう。 上の文は最近読んだ森村誠一「死海の浮流」(1986)の作者あとがき(1986年)からの抜粋である。「死海の浮流」は、国家機密法成立のゴリ押しが絡んだ殺人事件のサスペンス小説。頓挫した国家機密法は「特定秘密保護法」として「ゴリ押し」で最近成立したばかりである。現在も38年前と何も変わっていな...松本清張と森村誠一

  • 日光御成街道、川口宿

    先月のウォーキングは一日平均7千歩弱、換算距離約140キロ。24年前の伊能ウォーク隊の足跡を辿るバーチャル日本一周は最終の第Ⅴステージ(名護ー東京)に入った。沖縄本島の名護ー那覇の約90キロを歩き終わり、鹿児島市を出発したところである。下図の日付は2000年の伊能ウォーク隊の足取り。約4ヶ月で踏破しているが、私は少なくとも1年はかかるだろう。 日光御成街道3日目の続きは荒川を渡り川口宿に入ったところ。本陣跡の「旧永瀬家」は「街道から路地を少し入ったところ」という先達の記述を元に「適当に」路地を選ぶが空振り。川口宿の入口近くまで戻ると早先の彼岸桜が咲く公園に出る。ここで遊ぶ家族連れに訊くと、パパさんが「この近くで見たことがある」と言うが、詳細にはわからないとのこと。公園を出て通りすがりの年配の御婦人に訊くと...日光御成街道、川口宿

  • 機動破壊、健大高崎初優勝

    3回の1点が決勝点となるとは・・・。初回、それぞれの好投手が集中打を浴び2点ずつ取り合った。解説者も「予想とは違った展開になりそう」と打撃戦を予想した。3回に健大が2連打で1点リードした時も、まさかこのまゝで終わるとは思わなかった。だが、このまゝ終わった。さすがに好投手の健大の石垣と報徳の今朝丸。ともに初盤以降ピタッと押さえた。攻守も続いた。そして女神は、強打と俊足の「機動破壊」を謳った健大高崎に微笑んだ。創部以来23年間、監督を務めている青柳監督は「優勝を狙える」チーム作りが出来たという。有言実行である。 御成街道ウォーク3日目の続き。T字路の突き当りの宝憧院に戻り先に進むと赤羽岩淵の大きな交差点に出る。王子駅で別れた国道122号が右から来て右折し新荒川大橋へ向かう。十数年前、荒川沿いを河口から遡って歩...機動破壊、健大高崎初優勝

  • 御成街道ウォーク再開

    一昨日の「桜開花」を受けて御成街道ウォークを再開。御成街道沿いには桜の名所が多い。芝川や見沼代用水路沿い、岩槻城址などだが、何と言ってもゴールの幸手(サッテ)宿の権現堂がメッカ。1、2日目と同様にあちこち寄り道しながらののんびりウォークをのんびりと紹介して行こう。前回2日目のゴールの赤羽駅に降りる。御成街道はこの赤羽駅を南西から北東へと斜めに通っていた。東口の少し先から斜めに伸びる道が御成街道である。この道は間もなく宝幢(ホウドウ)院というお寺さんに突き当たり右折して荒川に向かう。左から来る道が鎌倉街道中道(板橋道)で、門前に道標が立つというので渡ろうとするが、おや横断歩道がない。信号は左右とも100㍍ほど先。ミニパトをやり過ごしてからガードレールの隙間で渡る。今日は土曜なので少ないが、平日は荒川を渡る...御成街道ウォーク再開

  • サイタサイタサクラガサイタ

    昨日、嵐のような風雨が収まって陽射しが出た午後、2日ぶりに散歩に出ると早稲田団地の並木で桜がポツポツと咲き始めた。昨年「桜が開花」と書いたのは3月15日だった。三郷駅前からの中央通りを挟んで東西2本ある桜並木を右往左往して咲き始めた花弁を探す。仁王立ちで上空にカメラを向ける私を見て、通りすがりの人々が「おっ」「あらっ」などと声を挙げる。東京・靖国の標準木と同日開花は多分初めて。このぶんでは各地で一斉に咲き出す(咲き出した)ことだろう。「桜が咲くまで」と中断していた御成街道ウォークに早速出掛けよう。サイタサイタサクラガサイタ

  • 全て好試合、選抜準々決勝

    昨日の選抜甲子園、じっくりとベストエイトの対決を堪能した。中でも雨中の第4試合、近畿勢対決の報徳学園ー大阪桐蔭戦は最後まで気の抜けない接戦となった。2点先行した報徳を追う桐蔭打線は、今朝丸投手の好投や好守備に阻まれて7回まで無得点。それでも迫力ある打線がいつ爆発するかと息詰まる試合となり、早目の晩酌をしながらの観戦となる。ようやく8回に連打で1点返したときは、さすが桐蔭と「逆転」を予感したが、どっこい今朝丸投手が踏ん張り、逆にその裏の追加点で桐蔭を突き放した。昨秋の近畿大会のリベンジだった。今日は予備日で明日準決勝。星稜ー健大高崎、中央学院ー報徳学園の組み合わせ。決勝は健大高崎ー報徳学園と予想するが、実力伯仲で星稜ー中央もあり、星稜ー報徳、健大ー中央もある。(これでは全組み合わせとなって予想にならないな)...全て好試合、選抜準々決勝

  • スーパーフード「コウゾの芽」

    午後からの天気が心配だが、今日の甲子園はベストエイトが揃う選抜準々決勝。東北1、関東3、北信越1、近畿2、四国1の8校。唯一の県立高校、徳島の阿南光と石川・星稜の第一試合が始まった。その後は東北・関東の東日本対決が2試合続き、第4試合は近畿の隣県同志、大阪桐蔭と報徳学園が闘う。テレビの前を離れられない一日となりそうだ。 とは関係なく今日も埼玉のローカル話題を地方版から。楮(コウゾ)と言えば和紙の材料だが、使うのは幹の樹皮だけで8割は廃棄される。安価な海外産に押され国内の楮の栽培は減少の一途。栽培を維持するためにも捨てる部分に価値を見出せないかと活用策を探って来たのは「細川紙」で知られる和紙の里、埼玉県小川町。着目したのは「芽」。幹を太くするために春から夏にかけて新芽を間引く。これを天プラとして食べるとい...スーパーフード「コウゾの芽」

  • 花は咲けども

    花は咲けども春をよろこぶひとはなし毒を吐き出す土の上うらめしくやしと花は散るこの「花は咲けども」は、復興支援ソングとして定着している「花は咲く」のアンチテーゼ曲。原発事故で故郷を追われた被災者の怒りや嘆きを表そうという山形のフォークグループ「影法師」の歌。その「影法師」が呼ばれて歌う場所は川越市の自動車板金工場跡の「JUNホール」。オーナーは小林順吉さん(77)。JUNは順吉の順。10年前、「みんなに利用してもらおう」と義兄の工場を改装。その「みんな」の中に福島から自主避難して来た人々もいた。順吉さんは避難者同士の交流会を開く場所がないと聞き、自由に使ってもらうことにした。避難者向けの冊子を編集する部屋もある。順吉さんの妻、ますみさんが事務局を務めるNPO「PEACEやまぶき」は「一年に一度だけでも福島の...花は咲けども

  • 救急車寄贈社長のジョーク

    社会人になって最初の任地は朝霞市。その朝霞市の倉庫会社が県南西部消防局に高規格消防車を寄贈したと地方版に載る。コロナ禍に伴って全国で創設された「日勤救急隊」。朝霞、志木、新座、和光の各市に出動する県南西部消防局にも日勤救急隊が1隊組織されたが、救急車が足りず活動が制限されている。これを知った倉庫会社の社長が車両、装備代で4千万円にもなる高機能救急車を寄贈したもの。贈呈式で「地域の安全・安心を少しでもお手伝い出来たら嬉しい」と挨拶した倉庫会社の社長が続けて、「タクシー代わりに救急車を呼ぶ人もいると聞きます。そんな方に費用を請求できるよう料金メーターを装備しておきました」。もちろんジョークである。実に愉快な丸沼倉庫の須崎勝茂社長は昨年もトイレトレーラーを寄贈しており、今、珠洲市に派遣されているという。丸沼倉庫...救急車寄贈社長のジョーク

  • 香取海から利根川へ

    縄文海進で現在の霞ケ浦や利根川一帯が「香取海」と呼ばれる海だったことを昨日書いたが、下図左側、江戸川、中川、荒川も一体になって東京湾の入江だった。その入江の東縁(ヘリ)、流山の〇の左側が我が三郷市あたりだから完全に入江の中であったことになる。長い時を経て大地の隆起や砂の堆積で少しずつ海部が後退し、江戸時代の「利根川東遷」でほゞ現代の状態になった。利根川の水運を生かした物資輸送で江戸との行き来が増えると共に利根川を使った観光も盛んになった。JR東日本の広報誌から、利根川を下り成田山新勝寺へ大絵馬を奉納する歌舞伎役者の一行の「御礼参り贔屓絵船之図」をお借りする。成田街道を歩いた時に「木下(キオロシ)街道」の道標があったが、利根川の要衝「木下」から出る観光船は「木下茶船」と呼ばれて、新勝寺や東国三社(香取神宮、...香取海から利根川へ

  • 「香取海」について

    モスクワの劇場の銃撃テロ、大谷選手の通訳の賭博送金疑惑など「世間を揺るがす」事件が続くが、ノー天気に「香取海」について。下図は縄文時代の関東平野内部の「海」だったところである。いわゆる「縄文海進」で、海面が上昇し関東平野の多くが入り組んだ海になっていた。赤丸を付けた大宮と久喜の中間あたりの蓮田市に通っていた頃、事務所の近くを散歩すると「黒浜貝塚跡」という小公園があった。「え!何でこんな内陸に?」と思ったが、こうして見ると確かに海辺だったのである。小さな黒点は貝塚跡を示す。現在の霞ケ浦、北浦、印旛沼、利根川などが一体になったあたりは、7世紀頃にはやや海面が縮小したものの「香取海」と呼ばれた。香取海では舟を使って人や物資が行き交い、外部との交流が多く、大和朝廷が掌握し切れなかった王国を築いていた。龍角寺古墳群...「香取海」について

  • 昭和38年の「山中(温泉)会談」

    久しぶりに朝日土曜版「歴史のダイヤグラム」(原武史)から。昭和38年6月、自民党幹部(組織調査会長)の三木武夫は夫人と共に夜行急行で金沢に着いた。前夜に上野駅を出て11時間もの旅であった。金沢市内を観光した後。車で山中温泉に向かった。一方、この日、当時は名古屋空港経由のため2時間半かかった空路で小松空港に特別機で着いたのは、吉田茂、佐藤栄作などの自民党のお歴々。直行の特別機なので1時間のフライトだった。彼らが小松空港から向かったのも山中温泉。参院の自民党議員会長、林屋亀次郎(石川県選出)の喜寿を祝う会のためだった。片や11時間の列車旅、片や1時間の空路。この差は当時の権力構造の現れだった。しかし、喜寿祝いの陰で行われたのは、当時の首相、池田勇人の後継首相を佐藤栄作とする密議、所謂「山中(温泉)会談」と言わ...昭和38年の「山中(温泉)会談」

  • 反動校長の「お詫びと訂正」

    韓国でのMLB開幕戦、打者大谷翔平はまずまずのスタートだが、投手山本由伸は手痛い洗礼を浴びた。投手と打者の違いはあるが、かの長嶋も国鉄の金田投手に4打席4三振のスタートだったから由伸よ、ドンマイだ。 さて、自宅隣の三郷市立丹後小学校は今日卒業式。そんな予定が書かれる「丹後小だより」3月号にあるお詫びと訂正が載っている。では、「正しくない記事」(1月号)にはどう書かれていたのか。何と「陸海空軍の皆さんが来られました」という校長の挨拶が載っていたのである。写真付きでこの校長の挨拶が載った「学校だより」を見た父兄からの抗議で「止む無く」お詫びと訂正を約束したようだ。小学校に自衛隊を呼んだ主旨は判らないが、敢えて「軍」と呼んで迎え、そのまゝ記事でも訂正しない。これはもう校長の意図的、恣意的な「間違い」と言っていい...反動校長の「お詫びと訂正」

  • 新宿騒乱(1968)と武蔵野線

    我が三郷市の市政施行と武蔵野線の開業がほゞ同じ半世紀前のことという広報誌の特集から主に旅客列車として三郷市との関連について2回書いたが、貨物線としての特徴を少し補填する。昭和42年、新宿駅で山手貨物線から中央線に入ろうとした下りタンク列車と上り貨物列車が衝突。タンク列車は米軍立川基地へジェット燃料を積んでおり爆発炎上した。翌年の国際反戦デー(10/21)にはベトナム反戦、「米タン阻止」を叫んで「新宿騒乱(闘争)」が起きた。この「米タン」が米軍向けのジェット燃料を積んだタンク列車のことである。武蔵野線はまさにこういった都心(山手貨物線)での事故、騒乱やテロ防止のため全線立体交差(あるいは地下)となっている。武蔵野線の西の終点は旅客列車としては「府中本町」だが、貨物線としては鶴見までの「武蔵野南線」がある。東...新宿騒乱(1968)と武蔵野線

  • 武蔵野線と三郷市(2)

    三郷市の広報誌3月号の特集から「武蔵野線と三郷市」の続きを。元々は都内を通る山手貨物線の代替線として計画された武蔵野貨物線だったが沿線の要望で旅客列車も運行することになった。都内に行くには数少ない路線バスで常磐線の松戸か金町に出るしかなかった三郷市は「陸の孤島」と呼ばれていたが、昭和48年に待望の「鉄路」が出来、「街は大騒ぎ」いや、盛大な祝賀式が行われた。武蔵野線は開業当初から当時は珍しかった自動改札、自動精算機など置かれたが、車両は中央線のお下がりの101系(オレンジ色)。その後増両、増便が相次ぎ首都圏各線のお下がりが入り混じった。三郷ー吉川(5キロ)間には国内最大級の広大な操車場があったが、後にこの間に新三郷駅が出来ると、上下線のホームが300メートルも離れたためギネス記録となった。今この操車場跡は大...武蔵野線と三郷市(2)

  • 「飛ばないバット」で選抜始まる

    春の甲子園、選抜大会が始まった。開幕日の3試合中2試合が延長タイブレークという好試合続き。第一試合は二度追いついた八戸光星がタイブレークの十一回に3点を挙げて逆転勝ち。第三試合の近江ー熊本国府戦も1点を争う好勝負。2年前の選抜準優勝の近江のエース西山が14三振を奪うもタイブレークの十回裏、ワイルドピッチで甲子園初出場の熊本国府にサヨナラ負け。今大会から採用された「飛ばない」低反発バット。確かに外野手の頭の上を超す長打が少なく、いずれも1点を争う投手戦となった。単打とバントの懐かしい高校野球の復活となるか。 散歩から花たち「飛ばないバット」で選抜始まる

  • 武蔵野線と三郷市

    今日のタイトル「武蔵野線と三郷市」は三郷市の広報誌3月号の特集タイトルで、副題は「市と共に走り続けた半世紀の歴史を振り返る」。市制施行が昭和47年、武蔵野線開業が昭和48年であった。開業時の運賃表を見ると、初乗り(南流山など)が30円、一番遠い府中本町までは240円。現在は950円だから約4倍となっている。昭和48年に社会に出た私の給料が確か数万円だった。現在の初任給がおよそ20万円くらいだから、これも約4倍である。開業時の三郷駅の乗降者数は約3千人、現在は2万5千人というからこれは8倍である。また、当時の時刻表を見ると朝夕の通勤通学時間帯で1時間4本、昼間は1本ないし2本。このダイヤは、私が昭和54年に三郷市に転居し武蔵野線で通い始めた頃もほとんど同じであった。帰りの北朝霞発の終電は10時20分。当時、...武蔵野線と三郷市

  • やはり遅い日本のSAF対応

    SAF(SustainableAviationFuel)、持続可能な航空燃料のこと。聞きなれない言葉だが、航空機のCO2削減の切り札で、EUでは2050年に航空業界に70%の使用を義務づけている。SAFには、バイオ燃料、藻類や古紙、廃プラ、ゴミなどから取り出した油分、二酸化炭素と水素の合成などがあるが、コスト的には廃食油から再生されるものが「今は」一番である。それでも普通の航空燃料に比べれば割高で、これで飛ぶ航空機の運賃は割高になる。飛行機を利用することは脱炭素に反するとして「飛び恥」と言われている欧州では、食廃油混合比率による3段階のオプション料金のチケットが売られる。例によって世界に遅れる日本でも、このSAFが供給できなければ日本に飛来する航空機がなくなるとの危機感で「そろり」と国産のSAF開発が始ま...やはり遅い日本のSAF対応

  • 今日、北陸新幹線延伸だが

    金沢までだった北陸新幹線が今日、敦賀まで延伸する(した)。テレビニュースでは福井駅を出発する上り列車を見送る祝賀風景が実況中継された。思えば金沢までも乗ったことがなく、唯一叔父の葬儀で富山まで乗ったことがあるだけ。それでも大宮を出ると長野に停まるだけで富山まで2時間弱。ずいぶんと便利さを感じたものだ。そして今回の延伸で、曹洞宗の大本山、永平寺のある福井までは大宮から2時間半となった。年末の結婚五十年(金婚式)を祝って福井、金沢などへの旅行もアリか。やはり能登にも寄りたいが・・・。さて、北陸新幹線の仕上げは新大阪までの延伸であるが、湖東(琵琶湖の東)経由の敦賀ー米原の延伸で十分と思う。北陸住民の新大阪直行要望が強いとしたら、米原駅で乗り換えなしに東海道新幹線へ乗り入れるようにすればよい。しかしながら、湖西の...今日、北陸新幹線延伸だが

  • ブギウギに学ぶ昭和の歴史

    もうじき終盤を迎えるNHKの朝ドラ「ブギウギ」は、ブギの女王、笠置シズ子の生涯を描いたドラマ。主役の趣里が水谷豊と伊藤蘭の娘、淡谷のり子役が「ハリウッド女優」菊池凛子などキャストの話題性もあるが、昭和歌謡ファンにとっては「歴史」を学ぶドラマでもある。BSテレ東の特番「服部良一と笠置シズ子」は更に勉強となった。関東大震災によってジャズメンが東京から大阪に移ったことにより音楽少年服部良一に火を点け、これが後に笠置シズ子のブギシリーズや淡谷のり子のブルースシリーズの元となった。また昭和12年、日中戦争の勃発で上海租界に出入りするようになった服部良一がチャイナソングの渡辺はま子を産んだ。中国各地で慰問興行を続けていた渡辺はま子は現地で終戦を迎えしばらく捕虜となる。昭和12、13、14年と立て続けに淡谷のり子のブル...ブギウギに学ぶ昭和の歴史

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