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2019/08/22

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  • フリーパス最終日は善光寺宿へ

    一ノ関の売店で「オトキューのカードがあったら割引ますよ」と言われ、「?」と首を傾げた。「大人の休日倶楽部」をオトキューと略すらしい。その大人の休日倶楽部の5日間フリーパスも今日が最終日。みちのく古代城巡りの後は、信州の北国街道ウォークである。初日坂木(坂城)宿ー矢代(屋代)宿。2日目が矢代宿から篠ノ井追分宿。そして今日が川中島宿から善光寺宿である。毎日2万歩を遥かに超え、些かお疲れ気味だが気合を入れて行ってこよう。写真は「矢代の渡し」。千曲川が直角に蛇行するところ、北陸新幹線に沿うように千曲川を渡る綱引き式の渡し船があった。人が渡れる遠い遠い篠ノ井大橋まで約2キロの迂回の後である。その土手下のやや無造作なリンゴ畑に実が赤づく。フリーパス最終日は善光寺宿へ

  • 志波城(盛岡)あらまし

    大人の休日倶楽部の5日間フリーパスでまずは東北へ。平安時代の古城を巡る旅。まずは盛岡の志波(シワ)城址探訪を速報で。詳細は今日からの信州の旅の後となる。志波城(盛岡)あらまし

  • みちのく古城巡りへ

    JR東日本の「5日間乗り放題パス」で旅に出る。前半はみちのくの古城を巡り、後半は故郷信州の北国街道の予定。ということで明日から今月一杯、このブログは休みがちとなる。最近の散歩から、公園の花たちみちのく古城巡りへ

  • 日本人のルーツは千人の縄文人

    最近観たNHKBSの番組「フロンティアーズ」から。タイ南部の密林で今も古代の狩猟生活を行こなう、わずか30人ほどのマニ族。最近の詳細なゲノム分析で日本列島の「縄文人」の祖先であることがわかった。アフリカ発祥のホモ・サピエンスが約6万年前に西アジア(中近東)に進出し、そこからヨーロッパ大陸、ユーラシア大陸中部、南部と3つのグループで広がって行った。そのうちのユーラシア大陸南部グループがインドを経由して南アジアへと進み独自の狩猟文化を築く(ホアビニアン)。約2万年前、その中でフロンティア精神の旺盛な一団が海岸沿いを北上し日本列島に着いた。縄文人はユーラシア大陸中部へ進んだグループ(後のハン民族など)とは明らかに違うDNA特性を持つことがわかった。そして、最初に日本列島に上陸した縄文人は約千人の集団だったことも...日本人のルーツは千人の縄文人

  • 禊(ミサギ)解け?野田氏が立憲民主代表に

    中道保守を謳う「元総理大臣」野田佳彦が新しい立憲民主党代表に決まった。下野して11年、消費税上げ、総選挙惨敗の「禊(ミソギ)」が党内では解けたということか。その翌朝、明け方の気温は一気に17℃。3ヶ月ぶりに長袖、長ズボンの早朝散歩となった。禊(ミサギ)解け?野田氏が立憲民主代表に

  • 「置き配」で献花する監視国家

    最近の新築住宅は、郵便受けの下に大きな宅配ボックス付きが多い。そんな宅配ボックスが無い我家だが、一応門扉があり引き込み玄関で雨に濡れる心配がなく、冷蔵・冷凍品以外は「置き配(オキハイ)」で宅急便を受け取っている。そして、男児が襲われ死亡した深圳の日本人学校前の献花の多くは「置き配」と朝刊が報じる。足を運んでの直接の献花は当局(政府)の監視の眼があって「マズイ」という理由だ。近くの花屋で献花用の花束を買ったがすぐ返しに来たという中国人。日本人学校前には多くのの私服の監視員がいたためである。そんな中、自分の手で献花して日本のメディアの取材を受けた勇気ある中国人は、「2日後には(当局の)呼び出しがあるだろう」と語る。最近では少なくなった日本におけるデモ行進だが、どんな小さなデモでも、さりげなく脇を歩く私服警官(...「置き配」で献花する監視国家

  • 体力あるうちに断捨離を

    捨てたいけれど捨てられない、仕事をリタイアして以来いわゆる「断捨離」に心がけているが、なかなか進まない。朝日土曜版の「ランキング処分したいもの何?」では、ダントツの1位が「衣類」(洋服、着物、靴)で、2位以下に本、家具、食器、手紙・写真・アルバム、と続く。二十数年前に家を建て替えた時のコンセプトの一つが「収納の充実」だった。納戸二つ、各部屋の収納(押入、クローゼット)もタップリとった。振り返ればちょうど五十歳でモノが一番多い時だった。いまその収納を埋め尽くしているのがやはり衣類である。私の仕事着だったスーツ、コート、ワイシャツ、革靴などは一気に減った。しかし、リタイアのない奥方の衣類はほとんど減らないどころか、増えているようにさえ感じる。最近奥方がよく言うのは「断捨離する体力もなくなって来たね」。蓋し同感...体力あるうちに断捨離を

  • 安全ですが食べてくれなくて結構です

    福島原発事故で福島の米が売れなくなった。全数検査で合格しても風評被害で売れなかった。「福島の米は安全ですが食べてくれなくて結構です」と言い放った農家がいた。それから10年、福島原発の冷却水放出で日本の水産物を禁輸していた中国が「緩和」を言い出した。日本人学校の生徒が襲われて死亡した直後というのが気になる。これを受けて北海道のホタテ漁師は「何を今さら」という。激減したホタテ輸出も国内消費増などでやっとカバー出来て来たところ。価格もじりじりと上がっている。「中国が再び買い始めると更に価格が上がる。支えてくれて来た国内の消費者に申し訳ない」(ホタテ加工会社社長)と複雑だ。具体的な禁輸解除の時期はまだまだ先だろうが、中国に言ってやろう。「安全ですが食べてくれなくて結構です!」 明け方は珍しく四方晴れ 安全ですが食べてくれなくて結構です

  • 翔平、一気に50・50

    5打席5安打2本塁打7打点2盗塁。何という派手な50.・50達成であろう。3打席までに2盗塁を決め51盗塁。さあ後はホームランという4打席目でライトへ、続く5打席目でレフトに叩き込んだ。残り10試合、可能性は十分と思っていたが、こうもアッサリとかつ派手に達成するとは・・・、まさに開いた口が塞がらないという感じ。お祝いは夜明け前の暗いスナップだが、今朝の十六夜の月と花。翔平、一気に50・50

  • またも日本人学校生徒が襲われる

    満州事変(日中戦争)の発端となった柳条湖(溝)事件から93年の昨日、中国深圳で日本人学校に通う生徒が襲われて負傷した。(たった今のニュース速報で残念ながら死亡したという)日本人学校生徒が襲撃されるのは今年2度目。深圳と瀋陽、場所は遠く離れているが、「国恥の日」とされている柳条湖事件との関連が取り沙汰されるだろう。張作霖爆殺から柳条湖事件へ、清国滅亡から日本を含めた欧米列強の中国侵略、日本(関東軍)による傀儡政権樹立については浅田次郎の「中原の虹」三部作の最終「マチュリアン・レポート」が詳しい。 一昨日の中秋の名月に続く昨夜の満月は降雨で見られず、今朝も曇りで諦めていたが・・・。そして東の地平は曇り、日の出も諦めていたが・・・。またも日本人学校生徒が襲われる

  • 雲間から中秋の名月

    朝刊には能登の見附島(軍艦島)の脇に昇る中秋の名月の趣のある写真が載るが、三郷の街中では芒(ススキ)も見当たらない。早く流れる雲間から出た月を何とか捕まえる。そして今朝の日の出は地平からクリヤーに昇る。雲間から中秋の名月

  • SYOGUN 今と昔

    約半世紀前の「SHOGUN」は、主演の三船敏郎、島田陽子の奮闘にも拘わらず、奇妙奇天烈な日本語が飛び交ういかにもアメリカ発の日本時代劇という感じだった。エミー賞(米テレビ界)で18冠に輝いた今回の「SHOGUN将軍」は、主演兼プロデューサーとして活躍した真田広之の執念の一作と言える。トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」に出演した時に着付けや刀の取り扱いにいろいろ意見を言ったが、それでも違和感が残るアメリカ発の日本映画であった。日本での人気を捨てロサンゼルスに飛び込んで20年、数々の作品に出て奇天烈な日本描写を正す活動を続けた。そして今回、俳優だけでなく時代劇の専門家を日本から多く招聘し、アメリカ作品ながら完璧な日本時代劇を目指した。残念ながら今回の作品(ドラマ)は今のところディズニーの有料配信サイトでし...SYOGUN今と昔

  • 福沢諭吉の「危うさ」

    一週間ほど前に「一万円札物語」と題して、戦前の紙幣の顔の中で唯一GHQに承認されたのが「和を以て貴しとなす」の聖徳太子だったことを書いた。一万円札でその聖徳太子を引き継いだ福沢諭吉について、昨日の朝日「日曜に想う」(有田哲文記者)から。福沢の「学問の勧め」にある「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」はその下に「言えり」が続いていた。「そうは言われているが現実はそうではない」というのが福沢の論旨。平等な社会を築くために学ぶのではなく、人の上に立つために学ぶ。そのための学問の勧めだった。西洋に伍して国を強くするためにも、学ぶに適する人が学ぶべきだと考えた。英国で生まれた優生学に影響された福沢の思想に危うさがあると指摘するのは「福沢諭吉幻の国・日本の創生」を最近著した池田浩士・京大名誉教授。「時事小言」...福沢諭吉の「危うさ」

  • 「ジャムの法則」と自民総裁選

    一昨日の「天声人語」に面白い話が載っていた。スーパーの店頭に6種類のジャムと24種類のジャムを並べたテーブルを置いたところ、6種類の時には試食した客の30%が買ったが、24種類では3%の客しか買わなかった。選択肢が多すぎると選べない。米コロンビア大のアイエンガー教授の「ジャムの法則」である。ゾロゾロと9人も立候補した自民党総裁選も同じことかも知れない。アイエンガー教授は「選択とは、将来をと向き合うこと」と言うが、いずれも「帯にもタスキにも短い」顔ぶれでは選択は難しい。もっとも選ぶのは我々ではない。 今朝は半月ぶりに日の出散歩をお休み、3日前の帰り道から江戸川沿いの完成したマンションその裏側の駐車施設三郷駅のホーム脇に建設中の14建てマンション、その脇の駐車場にも新たに12階建てマンション建設の札、いずれも...「ジャムの法則」と自民総裁選

  • 涼しくなったら・・・街道歩き

    猛暑の夏もそろそろ終わり、下旬には最高気温も30℃を切るという。今年の前半に御成街道、壬生街道(一部日光例幣使街道)を歩き、この秋は日光例幣使街道の残り(倉賀野ー楡木)を歩くつもりだったが、ここに来て「北国街道」もいいかなと思い始めている。坂木(坂城)宿は生まれた地、育ちが善光寺のお膝元、上戸倉宿には後の実家があった(今は貸家)など縁が深い街道である。追分から矢代(屋代)までは千曲川沿いを歩いた時のコースとほゞ重なる。よって、実際に歩くのは下戸倉宿以北となろうが、あくまで「検討中」である。 今朝の日の出散歩から久々の筑波山だが・・・南西の空の色日の出直前涼しくなったら・・・街道歩き

  • 首長選びにご用心

    「政治は本来、地味な利害調整の積み重ねやのに、維新の会が輩出して来たような、トップダウン型の「強い」リーダーを持ち上げてきたメディアの責任も大きい。・・・さすがに今回は多くの人が学んだんとちゃいますか。「何か変えてくれそう」というイメージだけで首長を選んだらロクなことにならんと。・・・次は間違わんようにね」(西岡研介フリーライター)(今朝の朝日「耕論」暴走する首長より)神戸新聞出身の西岡氏は、長年自治省出身の知事が続いた兵庫県政に閉塞感があったのは事実。そこに改革、刷新を唱えた新しい知事に期待がかかったのも無理はないと言う。都知事選での石丸伸二の善戦も然り。しかし、エレベータの戸が閉まった、車から20メートルも歩かされたと部下に罵声を浴びせるパワハラ以外にも、「おねだり」が常態化していたという斎藤元彦兵庫...首長選びにご用心

  • 赤羽八幡神社「∞」の魔力

    赤羽駅の東口から北に数百メートル進むと宝幢院(ホドウイン)というお寺さんに突き当たる。御成街道はここを右折して荒川を渡る。その門前の口碑にある「江戸名所図会」に赤羽八幡神社が描かれる。左手奥の丘の上である。この春、御成街道を歩いた時に宝幢院前から足を伸ばして寄ってみた。今はその丘を埼京線と新幹線のトンネルが抉っている。赤羽八幡神社の境内の半分はそのトンネルの上にある。境内の端はトンネルの出入口、埼京線が出て来たところ。この赤羽八幡神社で売られる下元八運の「∞」をデザインしたお守りが事件を生んだ。「関ジャニ∞」(現在はSUPEREIGHTに改名)のファンの聖地になり、このお守りが飛ぶように売れたのである。7年間で2億5千万円の所得隠しが発覚、宮司と法人が1憶3千万円を追徴課税されたという。今年の2月からは...赤羽八幡神社「∞」の魔力

  • 公明党次期代表は埼玉14区

    公明党の山口代表が退任を正式に表明。次の代表は石井啓一幹事長以外は無いようだ。現参院議員の石井啓一は次の衆院選挙で埼玉14区の小選挙区からの出馬予定で、自公調整済みと思われる。旧14区は埼玉県東部、我が三郷市を南端とする江戸川沿いの南北に長い選挙区で概ね田園地帯。世襲自民三林の牙城であった。2年前の区割変更りで、新しい埼玉14区は三郷市、八潮市、草加市となる。東京都に隣接する3市は一部田園もあるが「概ね住宅地帯」で東京へ通う勤め人が多いベッドタウン。工場も多く必ずしも自民の牙城とは言えない。自民三林は新13区への区替えが決まっている。区割り変更以来、三郷市内には「公明石井」のポスターが少なからず貼られる。一方、野党の立候補予定は国民民主、共産、維新などで立憲民主の顔は見えない。国民・立憲の共闘だけでは・・...公明党次期代表は埼玉14区

  • 一力遼、悲願の世界一

    「白河以北一山百文」から取った河北新報は仙台市五橋(イツツバシ)に本社がある宮城県の地方紙だが、東北のブロック紙とも言われる。その創業家の二代目、一力雅之氏のひとりっ子が一力遼。4年に一度、オリンピックの年に開催される「応氏杯(応昌期杯プロ囲碁世界選手権)は世界一の棋士を決める最高レベルの大会。1988年の第一回から数えて今年で十回目。ここで初めての日本人として優勝したのが一力遼(本因坊、棋聖)なのである。ニ十世紀までの日本は囲碁の最強国。中国、台湾、韓国から天才たちが続々と来日して才能を開花させた。これらの活躍が母国を刺激し今世紀に入ると世界は中国と韓国の一騎打ち状態であった。長い間日本のタイトルを独占して来た井山裕太、若きライバル芝野虎丸らに揉まれて実力をつけ、日本囲碁界の悲願を達成した一力遼だが、...一力遼、悲願の世界一

  • 一万円札物語

    7月上旬、ATMで生活費を引き出すと、何と福沢諭吉のピン札ばかりが出て来た。銀行の窓口なら10枚まで新札(渋沢)へ両替できるという。翌日、会社OB会から喜寿祝いが現金書留で届き新札を拝んだ。うーん、偽造防止の高度技術が使われていると言うが、何となく韓国旅行で初めて手にしたウォン札を思い出した。そう、まるでおもちゃのお札のようなあの感じである。朝日土曜版beの「はじまりを歩く」によれば、初めての一万円札が出来たのは昭和33年(1958)。前年に五千円札が発行されたのは千円札が足りなくて印刷が間に合わなくなっていたからである。時の蔵相佐藤栄作が「千円札が使われ過ぎて汚い」と一万円札の発行を提案、半年後に発行された。当初は「よほどの高級取りでないとボーナスや暮れの月給袋には入らない縁なき紙幣」と言われた。しかし...一万円札物語

  • 終盤のパリパラ、メダルラッシュ

    今日は二十四節季の「白露」、暦の上では夏が過ぎ、朝の草木に露が降り、秋の気配が深まるころという。とはまだ言えない暑さが続くが、スポーツの秋の話題三つ。先月28日に始まったパリ・パラも終盤、日本はメダルラッシュの毎日である。団体で個人で悲願の、あるいは初めての金・銀・銅を手にして喜色満面の選手たち。みな良い顔である。その一方で明日から大相撲秋場所が始まる。横綱照ノ富士はまたも休場と言う。横綱在位19番所で11回目の休場。2場所か3場所に一回出て来て優勝をさらって行く。何か面白くない。アメリカのメジャー・リーグでは大谷翔平の前人未到の「50/50」が現実味を帯びて来た。あと数本と数盗塁。異次元の野球人、ショーヘイならきっとやってくれるだろう。 昨夜の三日月と今朝の日の出終盤のパリパラ、メダルラッシュ

  • 秩父のイチローズモルト、またも栄冠

    埼玉秩父の地ウィスキー「イチローズモルト」に嬉しい話題2発。まずは、世界の蒸留酒からナンバー1を選ぶアジア最大級の品評会で最高賞「ベスト・オブ・ベスト」(ウィスキー部門)を受賞。もう一つは、英国の「ウィスキーマガジン」が社長の肥土伊知郎氏をウィスキー文化への功労者として「殿堂」入りを発表した。肥土伊知郎氏は江戸時代から続く造り酒屋の二十一代目。焼酎やウィスキーにも手を広げたが業績不振で倒産。その譲渡先も引き取りを拒んだウィスキーの原酒400樽が残った。ちょうどウィスキーの消費が低迷していたころに一人で「ベンチャーウィスキー」を企業し、引き取り手が無かった原酒の樽からの先進的なウィスキー造りが評価された。こうして生み出した「イチローズモルト」が大人気。販売量は少なく地元秩父でも入手困難なウィスキーである。二...秩父のイチローズモルト、またも栄冠

  • 三郷つながりの安曇野

    家の近くの三郷市立図書館(早稲田分館)の2階書架ゾーンの入口に信州「安曇野市」から寄贈された数十冊の本が並ぶ棚がある。2005年の合併で豊科、穂高、明科町などと一緒に安曇野市となった三郷(ミサト)村と三郷市は1985年以来の姉妹(友好)都市で、読みが違う奈良県の三郷(サンゴウ)町も含めた三つの「三郷」友好(姉妹)都市協定が安曇野市になっても継続されている。その安曇野市からの寄贈図書に見つけたのが「観音札所百番めぐり」。昨秋、日本百観音巡りを成就したこともあり思わず手に取った。著者の窪田雅之氏は1956年松本市生まれで國學院大文学部史学科卒。松本市立博物館長などを歴任している。1991年「週刊まつもと」(当時)に連載した「松本三十三番札所」をきっかけに、安曇野、仁科を加えた百番巡りを6年がかりで完結という...三郷つながりの安曇野

  • おわら風の盆、奥深し

    昨日まで越中八尾(ヤツオ)の「おわら風の盆」が3日連続で行われた(はずである)。それを前にした八月下旬、昨年の生中継番組が再放送された。過去二度観に行っているが、番組で初めて知ることも多い。江戸時代、全国屈指の養蚕で潤った八尾の旦那衆がスポンサーとなり、秋の豊作を願う素朴な盆踊りを芸術の域まで育てた。男の踊り手が着る羽二重は高価だが、その裏地も実に粋な柄であることを知った。おわら風の盆踊りは八尾の十三の町ごとに踊られる。旦那衆が通った割烹や料理屋の多い鏡町の「男女混合踊り」をテレビ画面から紹介する。町の中心街から長い階段を下ったところが鏡町の広場。男踊り、女踊りが終わってペアの男女混合踊りとなる。いよいよクライマックス、女の指は徳利、男の手は盃。「さ、旦那、おひとつ」、何とも艶っぽい。おわら風の盆、奥深し

  • 「暦のしずく」連載を終えて、沢木が語る

    昨日、沢木耕太郎の「暦のしずく」が連載を終えたことを書いた。その沢木耕太郎が今日の朝日朝刊に一文を寄せている。七、八年前のこと、沢木は郡上八幡を訪れ八幡町の古い城下町を散策した後、白鳥町の白山文化博物館に入る。そして「郡上一揆」のコーナーに一直線に向かった。目的は「傘(カラカサ)連判状」を見ること。首謀者が判らないように、横ではなく円形に名前を書く連判状だ。それを見た沢木はこう書く。あたかもダンゴムシのように丸くなることで身を守ろうとしているかのようであり、同時にそれぞれが中心に向かうことで固い団結の意志を示しているようでもあり、また、押されている印もまるで黒い血による血判のようにまがまがしさを放っていた。八幡町に戻り夕食を取った後、街外れのホテルに向かうタクシーの運転手が、映画「郡上一揆」にエキストラに...「暦のしずく」連載を終えて、沢木が語る

  • 沢木耕太郎「暦のしずく」了

    一昨年の10月に始まった朝日土曜版beの連載小説「暦のしずく」(沢木耕太郎)がこの度完結した。その第一回の結びは「長い日本の芸能史において、ただ一人だけによって死刑を処せられた芸人は、その名を馬場文耕という。講釈師だった」。市井の人情ものの講釈で人気の出た馬場文耕は次第にお家騒動、旗本や幕閣などの不逞を題材にするようになる。そして美濃郡上で続く百姓一揆の顛末を「故あって」事実通りに講釈し、他家の内実を流布した罪で捉えられ、市中引き廻しの上獄門となる。最終回の「了」の次に「※参考文献は単行本に明記」と書かれるので、すぐに発刊されるだろう。よって「故あって」の故はネタバラシとなるので差し控えよう。挿絵は茂本ヒデキチ。 夜中にも雷と豪雨があったが、台風一過の晴れの今朝、江戸川河川敷の冠水はやや減った。日の出の上...沢木耕太郎「暦のしずく」了

  • 江戸川河川敷が冠水

    予報は雨だが明け方には上がり、3日ぶりに江戸川の土手に散歩。台風10号の鈍足と進路は予想外だが、3日前に予想したように江戸川の河川敷が冠水。3日前土手一杯に冠水した今朝冠水で通れず南へ戻る人上流方向 先月のウォーキング(散歩)は、下旬の台風など天候不良もあって一日平均で八千歩台に留まった。九千歩に届かなかったのは4ヵ月ぶり。バーチャル日本一周(最終第Ⅴステージ)は山口県から島根県に入り、仁摩町(ニマチョウ)へ。仁摩町は伊能ウォーク隊が通った5年後、温泉津町(ユノツマチ)とともに大が田市に吸収合併された。これにより石見国時代からの邇摩(ニマ)郡は消滅。邇摩は備中国迩摩からの移住者による開拓地、あるいは大きな沼があったなどの由来あり。ここから東方の山中に石見銀山がある。 江戸川河川敷が冠水

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