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2019/08/22

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  • 今年のウォーキング記録

    1年の締めくくりの先月のウォーキングは一日平均で八千三百歩で、この一年の平均、八千六百歩/日を下回った。月初の日光例幣使街道の最終回、5,6日目のロングウォーク以外は、真冬並みの寒い日が続いたこともあって近所の散歩程度だった。下は過去十年の記録。その平均も八千歩強(一日)である。1999年~2001年の伊能ウォーク隊の足跡を辿るバーチャル日本一周、最終第Ⅴステージは滋賀の草津から名古屋に着いた。ゴールの東京までは残り430キロあまり。2025年3月のゴールとなろう。さて今夜から都内に住む娘家族が「帰省」する。明日からの三が日はお休みを頂く予定。皆さま、よいお年を!今年のウォーキング記録

  • 今年もいろいろありました

    朝刊見開き一杯に今年の一年の出来事が載る。何といっても元旦の能登半島地震で幕を明け、とにかく激動の一年と言えよう。そしてこの年末、日本ではないが韓国機炎上事故で幕となるか。今日明日が無事であることを祈る。我家では昨年末に奥方が腰を痛めたため、この一年、私の家事が少しだけ増えたことが一番の出来事。しかしだいぶ回復したので元のぐうたら亭主に戻りつつある。 今朝は完全武装で久々江戸川の土手へ。月は新月、雲間の日の出   今年もいろいろありました

  • 非常戒厳に「反射」出来た韓国

    昨日の朝日朝刊コラム「多事奏論」は辛口編集委員の高橋純子の番。彼女が担当するのは月に1回ほどだから、今年最後であろう。いつもは時の為政者(首相)を取り上げ、痛快にこき下ろすのだが、今回の話題は野党の攻勢に怯えた韓国尹(ユン)大統領が「トチ狂って」発動した非常戒厳への対応。野党議員逮捕のため国会に乱入した戒厳部隊の銃を掴み「銃を下ろしなさいよ!恥ずかしくないの?」と叫んだ野党の女性報道官。彼女をはじめ非常戒厳に「即時的行動」を取った野党や国民。先の大戦で、日本は間違っている、負けるに決まっていると思いつつも「指一本」上げられなかった自分を顧みた哲学者、鶴見俊輔は、それが勇気や怠惰の問題ではなく「肉体の反射」がなかったからだと思い付く。権力が暴走した時、国家が個人を潰しに来た時、火に触れて瞬間的に手を引っ込め...非常戒厳に「反射」出来た韓国

  • 高校バスケは西高東低

    冬休みを利用した高校スポーツの全国大会が佳境である。その中でバスケットボールの男女ベスト4はいずれも西日本勢。今日行われる女子の決勝は熊本と京都、男子準決勝は福岡2校に鳥取、京都が挑む。一時は男子の秋田、新潟などの東日本勢も優勝していたが、最近は上位には進めないようだ。埼玉勢も男女とも3回戦の壁を突破できない。そして男子のラグビーが昨日から、今日からはサッカーも始まるが、さて東日本勢は? 今朝は朝焼けと二十八夜月が一緒に写る。明日の二十九夜月は?高校バスケは西高東低

  • ペロブスカイト太陽電池量産へ

    出身会社の株価が一気に跳ね上がり過去最高値を付けた。理由はペロブスカイト太陽電池の量産発表。堺市のシャープ液晶工場跡地に、数年後には原発一基分(1ギガワット)に相当する量産工場を作る。3日前には大阪万博の交通ターミナルに長さ250メートルのペロブスカイト太陽電池を試験施工したという記事もあった。軽く、薄く、曲げられる次世代太陽電池である。難しい発電原理はさておくとして、課題であったコスト、耐久性に目途が立ったということだろう。出身会社が得意な成膜、塗布技術がフルに発揮できる製造ラインとなりそうだ。 昨夕から今朝のアラカルトペロブスカイト太陽電池量産へ

  • 埼玉のグーグル検索1位「埼玉14区」

    県名と共に検索されたキーワードランク、埼玉県は「埼玉14区」が1位となった。そう、衆院選で公明党の新代表、石井啓一氏が落選した選挙区(三郷、草加、八潮の3市)である。当選したのは国民民主党の前職鈴木氏。落選により石井氏は就任したばかりの代表を辞任した。自公半数割れ、国民躍進の象徴とも言える選挙区となったわけである。衆院選の1年以上前から三郷市内には石井氏のポスターが目立っていた。地盤ではない選挙区での落下傘立候補だから知名度アップ狙いだろうが、党代表となっても三郷市での石井氏の投票率は3市の中で一番低かった。 今朝は低い雲からの日の出日の出で消えた二十六夜の月埼玉のグーグル検索1位「埼玉14区」

  • 加速する少子化

    今年の出生数が70万人を下回る見込みという。昨年の約72万7千人に対し今年は68万7千人程度。この勢い?で行けば数年後の出生数は50万人程度となる。2035年に60万人を切るという低位推計よりも更に早い少子化速度は留まるところを知らない。2030年代には(少子化が)反転するという政府予測も「甘い」かも知れない。電通の高橋まつりさんが亡くなって9年。これを契機につくられた過労死防止法も10年目。児童手当増額など「小手先」の施策ではなく、「政治とカネ」をウダウダ論ずるだけでなく「働きがいのある豊かで明るい国づくり」を本気で進めないとこの国に未来はない。 さて、世界遺産登録20年の熊野古道。十数年前の中辺路(ナカヘチ)、「大日越」の紹介である。泊まった南紀勝浦の国民宿舎で日の出を見て、バスで熊野川沿いを上り湯峯...加速する少子化

  • 熊野古道世界遺産登録から20年

    今、熊野古道を歩くのは日本人よりも外国人の方が多い。それも欧米人が主で中国人や韓国人は少ない。彼らが魅力を感じるのはスピリチャル(精神的)なところ。熊熊古道には「レイキ(霊気)」を感じるという。熊野山地は神道や仏教以前から山岳修修行者が集団生活をして祈りを捧げたところ。先祖や自然への崇拝という日本宗教の原初的形態だった。男女、貴賤を問わずという心の広さもあった。熊野古道が世界遺産に登録された20年前、大手旅行会社が組んだツアーで連日大型バスが乗り付け、押し寄せた観光客に地元は疲弊、大量のゴミにも悩まされた。そこで熊野古道の西の玄関口、田辺市が招聘したのはカナダ人のブラッド・トウル。国際交流で本宮市(今は田辺市と合併)の教育委員会にいた時に地元民も歩かないような山道を休日ごとに歩いていた。トウルは集落ごとに...熊野古道世界遺産登録から20年

  • 長野県勢、男女高校駅伝を制す

    男子の佐久長聖は2連覇を目指すダントツの優勝候補だが二十数年ぶりの優勝を目指す九州の強豪大牟田や東北の雄仙台育英とのデッドヒートとなった。しかし最終区2秒差の2位でタスキを受けたアンカーの石川の冷静な走りで下馬評通りの優勝を飾った。石川は大牟田のアンカー村上のラストスパートの切れがいいことを、一緒にやった夏合宿で知っていた。早目に追いつき差をつける作戦を取ったことが結果として、大牟田を抜いて来た仙台育英の猛追をかわしたといえよう。部厚い選手層から起用された成長株の石川だった。 一方、2年ぶり2度目の優勝を果たした女子の長野東の下馬評はそれほどは高くなかった。1年生2人を起用せざるを得ない少ない部員数が理由だった。しかし、各校のエースが集う1区を真柴が制すると、その後は一度も抜かれることなくゴールに飛び込ん...長野県勢、男女高校駅伝を制す

  • 朝日土曜版be、大チョンボ

    訂正記事自体は珍しくはないが、アンケート結果を正反対の記事にしてしまったと書かれる。そりゃないだろうと昨日の土曜版を引っ張り出してみる。年賀状を出すか出さないかの結果を逆にしてしまい、本文記事までそれに乗っかってしまった。出す理由、出さない理由などの母数の差をみればどうみても「出す」方が多いとわかるはずなのだが・・・。「時代変化で激減」とどうしても書きたかったのだろうか。朝日新聞土曜版beのファンである。広告ページを除いた10ページにいろいろ「休日向け」の柔らかい記事が満載で楽しめる。このブログでも時々引用させてもらう「街のB級ことば図鑑」(飯間浩明)や「歴史のダイアグラム」(原武史)など実に面白い。ファンだからこそ、今回のアンケートの真逆取違いは許せない。だからここで今回の大チョンボを「宣伝」しておく次...朝日土曜版be、大チョンボ

  • 荒川放水路100年

    明治43年(1910)、梅雨の長雨に二つの台風が重なり関東で大水害が発生し、本所、深川などいわゆる東京の下町が広範囲に水没した。荒川(今の隅田川)がまさに大荒れしたからだった。これを契機として荒川の大改修が計画され、赤羽岩淵から東京湾までの放水路(今の荒川)が完成したのが大正13年(1924)。前年の関東大震災を乗り越えての完成だった。今からちょうど100年前である。隅田川への水量を制御する岩淵水門(1982年更新、青の水門)が完全に閉じられたことは無かったが、5年前の台風19号の大雨で初めて完全に閉鎖され、全水量が荒川放水路に回されて隅田川の洪水を食い止めた。上流の二瀬ダム(秩父湖)の緊急放流が回避されたこと、1997年に完成した荒川第一調整池(彩湖)の約4千万トンの貯水機能も役立ったことも幸いした。荒...荒川放水路100年

  • 「たかが選手が」の渡辺恒夫逝く

    20年前、球界再編問題で会談を要求した古田敦也選手会長に対し「たかが選手が、分をわきまえろ」と侮辱した読売新聞主筆(巨人オーナー)が98歳で逝った。今朝の天声人語は「朝日新聞は一言でいうと嫌いだが、毎日最初に読まざるを得ない」、「ぼくは新聞人生の半分以上を朝日への対抗意識で過ごしてきた」という渡辺の言葉を引き、違いを大いに論じ合い、読者が判断するのが一番いいという持論を紹介している。積極的に権力の側に立つ言動が目立ったが、それも一つの意見と言う「大きな心」を持たないといけないのだろうが凡人には出来ない。 珍しく夕方の江戸川残念ながら富士は見えずこの山は?  「たかが選手が」の渡辺恒夫逝く

  • いじめの構図

    自分に自信がないと、自分の強さを確認するために「自分より下の存在」が必要になる。つまり差別は弱さの表れなのだ。 「差別」を「いじめ」に置き換えてもいいだろう。これは今朝の「折々のことば」(鷲田清一)が、インド独立運動の指導者であるマハトマ・ガンジーの孫の次の言葉を解説したものである。 ある集団を抑圧し、権利をはく奪するのは、彼らの長所を見たくないためでもある。(アルン・ガンジー「おじいちゃんが教えてくれた人として大切なこと」) 散歩アラカルト事故ではなく「自滅」風景いじめの構図

  • 今年の創作熟語、盗打随一

    住友生命が募集する今年の創作四字熟語、最優秀賞は「盗打随一」。もちろん大谷翔平の「50-50」の快挙である。優秀賞の中では能登の皆さんのやるせないダブル被災「震労浸苦」、謎の米不足「店店枯米」が秀逸である。締め切りが10月ということで、まさかのトランプ当選、韓国尹(ユン)大統領の乱心などは対象外である。それではと自分で作ろうと思うが、これがなかなか出て来ない。2万人強と言う応募者はどのように作っているのだろう。想像するに、まず今年の出来事の中からテーマを決める、それに関連しそうな元々の四文字熟語をいくつか選び応用を考える。あるいは逆に、四文字熟語の中から関連しそうなテーマを決め応用する、であろうか。 とは関係なく昨日から今朝にかけての十六夜、十七夜の月である。  今年の創作熟語、盗打随一

  • ある小学校の廃校

    今月初旬に日光例幣使街道の最終回を歩いて以降、真冬並みの寒さになったこともあり引き籠る日が多かったが、風もなく日中は10℃を超えた昨日、少し郊外を散歩した。といっても家からはせいぜい1キロほどの半径の中。今年3月に統合で廃校となった、三郷市で一番最後に出来た小学校。名物の大時計はまだしっかりと時を刻む。1992年の開校、2023年の廃校の32年間。グランドに立つ記念看板?の数字(1~18)の意味はわからない。3月26日に閉校式が行われ、第一期の卒業生である鈴木直道北海道知事からメッセージが寄せられたという。また10月にはNHKドラマの撮影場所にも使用されたそうだ。常磐道の三郷北インター(工事中)に近いことから道の駅になるという噂もあるが反対もある。どうなることやら。大場川を渡り、街中に戻ったところの公園の...ある小学校の廃校

  • 保険証マイナ化で閉院も

    今月から従来型健康保険証の発行が停止され、「マイナ保険証」への強引な切り替えが進む。だが、これに対応できない、いや対応したくない小さな医療機関の閉院も多いらしい。関東で200を超すという。理由の一つはマイナ保険証対応のシステム設置費用。もう一つは情報の漏洩の心配からである。従来の医療機関内だけの問題が外部と繋がることによるトラブルがないとは決して言えない。このような真っ当な考え方と併せて、医師の高齢化も閉院の理由の一つかも知れないが、医療密度過疎県埼玉では深刻な問題である。デジタル化の名の元、拙速な国の施策は更なる問題を引き起こすことだろう。 昨夕の満月今朝の満月そして日の出  保険証マイナ化で閉院も

  • K-POPとペンライトで尹弾劾

    尹大統領の弾劾訴追案が可決された韓国国会前、K-POPのリズムに合わせ「ユンソンニョル退陣!」を叫び、手には応援棒(ペンライト)の若者など20万人で埋め尽くされたという。7、8年前のパククネ大統領の弾劾デモでは「ろうそく」だった。与党議員から「風が吹けば消える」と嘯かれた。ペンライトは消えない。これも時代の変化ということだろうか。 例幣使街道沿いの紅葉をまとめた、順不同であるK-POPとペンライトで尹弾劾

  • AIおせち

    AIに未来、カラフル、豪華のキーワードを与えて「おせち」の中身を考えさせたところ、数の子、アワビ、青い包み紙のティラミス、金粉付き唐揚げなどを選んだという。一方、アンケートでZ世代が選んだおせち品目は、ローストビーフ、いくらの醤油漬け、ガトーショコラなどが上位という。元々は、節目の日に神に供えて食べる「御節供(オセチク)」だったが、江戸時代後半に「正月に食べるもの」をおせちと呼ぶようになった。明治になって重箱に詰められるようになり、一般家庭に普及したのは戦後。そして重箱入りのおせちが百貨店で販売されるようになったのは半世紀前、1970年代と言う。来年の正月用の三段重ねのおせちの平均価格は約二万八千円、今年からの値上がり幅360円は過去最低と言う。(今朝の朝日新聞社会面から)ここ十数年、我が家でも三段おせち...AIおせち

  • 例幣使街道、楡木(ニレギ)追分にゴール!

    例幣使街道ウォークの最終日も中間点を過ぎ、栃木市都賀町から西方町になる。空き地に集められた石仏群、簡素な神社(豊年神社)、消防の西方分署を見ながらなど3キロほど長閑なウォーキング。東武金崎駅入口あたりからが例幣使街道最後の宿場、金崎宿である。早速、旅籠跡か思われる古民家。その少し先に本陣跡の二脚門、柱が突き出ているのは珍しい。冠木門に屋根が付いたとも言える。長い長い本陣跡は道の反対側へ、そしてかなり離れないと入らない。金崎宿は本陣1軒、旅籠十数軒の小さな宿だったという。例幣使街道は旧道となり小倉橋に向かう。小倉橋が渡る思川は3年前に日光街道を歩いた時に寄った小山城以来である。思川を渡った例幣使街道は数百メートル土手道となった後で国道293号に合流し、そのまま楡木(ニレギ)追分まで3キロ続く。壬生街道沿い...例幣使街道、楡木(ニレギ)追分にゴール!

  • 例幣使街道、最終6日目(前半)

    伝統的建築物が2キロあまり続いた栃木宿と次の合戦場宿の間には東武日光線の陸橋が立ち塞がる。歩道は反対側なので階段を昇り降りする。何故か上り83段、下り73段。栃木宿から楡木まで海抜が50mほど上がるから、今日は全体に上り基調である。ここは東武日光線と宇都宮線の分岐点、操車場が広がる。戦国時代の1523年、宇都宮氏と栃木城主の皆川氏が戦った所ゆえ合戦場である。そのせいか馬力神、軍馬霊などが付く碑が多い。合戦場交差点の先、日立製作所の創始者である小平(オダイラ)浪平の生誕地の石碑が嫌でも目に入る。口碑によれば小平浪平は東大工学部の電気学科卒、秋田の鉱山会社などを経て明治43年に日立製作所を設立。この隣が本陣跡、向かいが脇本陣跡というが面影はない。それより真向いの米屋「中町の中屋」がいい。2024-150=1...例幣使街道、最終6日目(前半)

  • 例幣使街道、最終日をスタート

    バイキング式の朝食をしっかり摂って、朝ドラ「おむすび」を観てからホテルを出発。今日の行程は約16キロ、目標6時間以下。栃木グランドホテルの斜め向かいは東武デパートだが、栃木市役所がこの中に入っている。最近よくあるパターンである。ホテルのすぐ近くにある「下野新聞社」は田中正造などが主幹した栃木新聞が前身で、肥料豪商、毛塚惣八の蔵屋敷を改修した建物。例幣使街道は万町交番の交差点で蔵の街大通りからクランクして、レトロな建物が続く嘉右衛門町通りになる。「伝建」、伝統的建造物群保存地区の名の通り、レトロな建物が続く。嘉右衛門通りの名の元になった岡田嘉右衛門の屋敷は記念館になっている。現在二十六代目という岡田嘉右衛門家。元々は武家だったが主家が断絶し帰農。このあたりの荒地を開拓し発展させ、代官も勤めた名家。その一角、...例幣使街道、最終日をスタート

  • 例幣使街道、栃木宿の夜

    ちょうど一週間前の12/3、日光例幣使街道はいよいよ最終の6日目となったが、今日は、前夜泊まった栃木グランドホテルのスナックの話。ホテル内の食事処「四季」で栃木名物などのミニ会席の夕食後、その向かいにあるスナックで久々のカラオケを楽しんだ。例幣使街道完歩の前祝い、前打ち上げである。アラフォー?アラフィフ?の四季の美人お運びさんの紹介もあったが、四季の常連さんらしい地元の同年代のお客さんが大手電気工事会社の出身で、建設現場の話、あちこちの飲み屋街の話で意気投合して「行こう」となった。そのホテル内スナック「楽しいや」のママは何と昭和19年生まれと言う先輩だが、お世辞なしで十は若く見える。訊けば(いや、自分から話した)、盛岡では名の売れたシャンソン歌手、ささき絢子。東北代表として何回も全国大会に出ていて、数枚の...例幣使街道、栃木宿の夜

  • 例幣使街道5日目、栃木宿に着く

    栃木宿まであと3キロの川連天満宮(川連城址)から街中に向かう。まず渡る道は国道11号でもあり309号でもある。そしてこれから歩く道も県道11号である。東から北へと左折する角のコンビニで最後の休憩。高架の東武日光線が寄って来て、やはり高架の両毛線を潜ると栃木駅近く。例幣使街道はこの先で一気にややこしくなる。簡単に言えば大きくクランクして栃木宿へと入って行く訳だが、直行する県道31号と駅前通りに寸断され、辻々の標柱がなければ正確には辿れないだろう。最後の角を曲がって宿場通りに出ると、電柱レスのすっきりした街道、宿場通りとなる。駅前からの蔵の街大通りに合流する室町交差点手前、巴波(ウズマ)川を渡る開明橋の袂、熊野神社の向かいの商家あたりが栃木宿の南の木戸だったという。巴波川は昔は暴れ川、轟轟と渦巻く波が巴印に...例幣使街道5日目、栃木宿に着く

  • 例幣使街道5日目、富田宿など

    例幣使街道の最終回を歩いている時に起きた韓国の非常戒厳事件。尹大統領の弾劾訴追は与党の欠席という狡猾な対応で否決となったが、与党内では尹大統領を見放す動きが報じられる。憲法違反といえる戒厳部隊(軍)の国会への展開など「小心者」尹の御乱行には、弾劾、罷免など厳しい対応が取られるべきである。 さて、例幣使街道5日目は小さな神社(天満宮)で昼食を摂った後の後半である。旧道は県道11号を横切り、1キロ先で反対方向から再び横切る。すぐに大きくゆったりとカーブして真北への道となる。 左手には岩船山から北へ伸びる山並みだが標高は百数十メートルくらい。このあたりの海抜が30mちょっとだから比高は百二十メートルほどである。例幣使街道はやがて富田宿へと入って行く。軍馬観音が立つ和久井家は本陣と同じ名である。後で判ったがここが...例幣使街道5日目、富田宿など

  • 例幣使街道5日目、犬伏宿は「犬伏の別れ」

    例幣使街道5日目をスタートしたところ、県道151号を東進する。台元寺の「佐野百観音」は早朝でお堂に鍵が掛かり見られず。このあたりから犬伏宿に入ったようだ。蔵を持つ大きな旧家は宿場の雰囲気充分。その向かいの犬伏小学校が本陣跡という。しかしその他の宿場情報は無し。犬伏町交差点を過ぎると正面に米山古墳が立ち塞がる。街道はここを迂回して行くが、その麓の薬師堂が「真田父子、犬伏の別れ」の有名地。1600年、上杉討伐に向かう途中、ここで陣を張った真田昌幸父子に石田光成挙兵の知らせ。この薬師堂で談合した父子はお家継続のため、昌幸、幸村は西軍に、信幸は東軍につくことを決めここで別れたという。大河ドラマ「真田丸」のこのシーンはよく覚えている。堂内には父子の鎧が置かれる。堂内には父子の鎧が置かれる。古墳の先を回り込んで進むと...例幣使街道5日目、犬伏宿は「犬伏の別れ」

  • 中山道の御宿場印

    日光、奥州、東海道、甲州街道などに続き中山道の御宿場印の販売が始まった。東京、埼玉、群馬の5つの信用金庫が連携して中山道の関東部分、日本橋から坂本の十七宿の御宿場印を売り出したと言う。5年前にこの関東の中山道を歩いたが宿場によっては既に観光案内所などに宿場印(紙やスタンプ)があるところもあった。鉄道駅の鉄印もあり、今や世の中「印」ブームである。昨秋の秩父三十四観音で西国、坂東併せた全国百観音を成就したが、目的はウォーキングなので御朱印は一枚も手にしていない。 さて、日光例幣使街道4日目の帰途、東武線の越谷~新越谷間での日の入りである。年明1月の中旬に富士の真上に沈むはずである。例幣使街道5日目を少し始めよう。館林からの東武佐野線も通学の高校生で満員だが佐野で一気に降りる。早朝の街中をUの字を描く様に歩いて...中山道の御宿場印

  • 小心者、尹(ユン)の怯え

    突然の「非常戒厳」の発布と解除、極めて軽い言動と言うしかない。弾劾訴追を迫る野党をけん制するための戒厳令とは・・・、驚きである。韓国の戒厳令と言えばやはり37年前の光州事件を思い出す。実際には映画「タクシー運転手」と言った方が正確だろう。ドイツ人記者を案内して光州に入ったタクシー運転手が見たものは・・・。韓国の国民は光州を始め多くの犠牲者の上に民主化を成した。それに比べ日本では敗戦後の駐留軍によってなされた民主化である。それでも何百万人もの戦争犠牲者の上に成された民主化とも言える。 さて日光例幣使街道4日目の最後である。岡崎山(古墳群)の麓の元三大師から佐野に向かうところ。県道に出る角に道標が立つ。右の道標の台座「東」は合っているが、上の「江戸道、館林道」は左(南)を向いていなければいけない。移設した時に...小心者、尹(ユン)の怯え

  • 例幣使街道フィニッシュ

    一泊して日光例幣使街道をフィニッシュして来た(5・6日目)。ゴールは壬生街道(日光街道西往還)との合流点、楡木(ニレギ)追分。その前に4日目の紹介を終わらねばいけない。東武伊勢崎線の福居駅(八木宿)から4日目をスタートして次の梁田宿に入ったところ。県道128号から左折して旧道になるあたりが梁田宿。曲がると数百メートル先に渡良瀬川の土手が見える。長福寺の入口に宿場碑が立つ。渡良瀬川の川留めに備え本陣が2軒あったそうだが、その情報はない。慶応四年(1968)、東日本での戊辰戦争の最初の戦いがここ梁田で起き、不意を突かれた幕府軍が完敗、数十名の戦死者を出した。長福寺境内に「戦死塚」が立つ。渡良瀬川の土手に出ると360度の眺望である。ここは舟渡しだったというが渡しの名は不明。遠く薄く見えるのは筑波山だろう。下流...例幣使街道フィニッシュ

  • バーチャル日本一周、草津宿へ

    先月のウォーキングは9月に続き、一日平均一万歩をちょっと超え、月間200キロほど。伊能ウォーク隊の足跡を辿るバーチャル日本一周は、兵庫から京都府を抜け滋賀の草津へ。40代のはじめ工場建設で2年近く草津で過ごした。草津宿は中山道と東海道の分岐・合流点で、宿場・街道情緒に溢れた街だが、残念ながら「夜の街」しか歩いていない(笑)。ゴールの東京・日比谷公園まで残り約600キロ。早ければ来年3月中に日本一周を達成出来るかも知れない。過去5年間の12~3月の歩数は一日平均で8200歩。距離にして656Km、ピッタリである。 さて例幣使街道ウォークの4日目は一泊した館林駅近くのホテルから。遅い晩秋の日の出を待たずにホテルを出て館林駅へ。前夜の居酒屋で館林の名物を訊くと「うどんかな」であった。福居駅をスタートし県道128...バーチャル日本一周、草津宿へ

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