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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「心理療法に於ける不一致」の領域はとても大事です。テレビ「水戸黄門様」のようにスカッとすれば楽しいのですが、この生身の人間の現実は、とかく、もやもやする日々が多いのですが、その原因はこの不一致現象への自分の対応策が下手なだけです。私を含め、わりきれない人間の優しさ、固執、難しい現実問題への解釈の難しさ等色々です。難しい自分の人生での難問を解決出来なくても、それでも明るく元気に爽やかに生き抜いている友達がいます。それはそれ、これはこれ、と明快に割り切り、その時が来れば果敢に戦うタイプです。良く観察すると、どうも「信仰」があるようです。全知全能で愛そのものである神様を信じているようです。どんな困難に遭遇しても揺らぐことがありません。そろそろ90才になります。水泳が大好き、彼とお付き合いしていると、こちらまで爽...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「五感と体感」は好きなのに「思考が拒否している」事例は相当難しい自己分析となります。例えば年頃の青年男女同志が結婚の意思が存在しているのに「思考が拒否」している場合、下記の遠因があります。(1)結婚の条件、(2)幸福の条件、(3)生育史上の現実吟味力に少々病的なものがある場合、例えば本能と理性の混濁、(4)防衛機制上の諸問題があり心因性の病理が多少、存在している場合、(5)考え方の整合性に相当の矛盾がある人の場合、以上5点です。このような場合、結婚相手の決定問題ばかりでなく、人生のありとあらゆる選択肢で悔いを残す場面が多発します。身体感覚と意思の不一致の領域です。この事例をもう少し分かりやすく解説していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    菅原道真が亡くなった年に平将門が誕生しましたので、平安京の貴族は道真の生まれかわりと恐れたそうです。1976年、NHK大河ドラマは平将門を流していましたが、その頃、私は台湾駐在をしていて、ゆえあってその企業を39才で辞職し独立して今日にいたります。独立するエネルギー・意気込みを平将門からもらいました。関東の新帝を選んだ将門の意気を無謀にも己に重ねた私の若気を今から想えば微笑ましく思います。さて、菅原道真と平将門の怨念は日本史に名高いものですが、決して恐ろしい幽霊ではなく、私には心地よい存在でした。この心地よさは何故なのか、多分、お二人への熱い同情心のようです。受験生が道真公に手を合わせて合格を祈り、私のように将門公へ独立の情熱を祈り求める、このように現代の私達は単純素朴に祈願する習慣があり、この習慣が人を...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心の中で意識して、わかっているのに、敢えて別な言葉(意識)を発する領域はここでは意味がないので書きません。切ない程、哀しい事例をお話します。好きなのに、嫌いと言う事例、怖いのに、怖くないと発言する事例が大事ですので書いてみます。この感情は原初感情と言われ、人類発生以来の大事な感情だ、と言われています。複雑な現代文明では感情の種類は万とありますが、この好き嫌い、怖い怖くないという感情を無視すると身体症状が確実に出てきます。何故でしょう?不一致現象で一番重視すべき大事な問題ですが、皆様はどう考えておられますか?アダムとイブの失楽園の悩み、ギリシャ神話から垣間見る悩み、古事記日本書紀に見られる古代人の悩み、その中でも好き嫌い、怖い怖くない事例をみると、古代社会でもこの不一致の問題が沢山書かれています。好き嫌い、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今日のこの課題では「無意識の世界」は思索の対象にしません。今日は「五感と体感」で感じている内容と「意識」が違うと、どんな悲劇が生まれるか、その領域を思索してみます。青春時代、特に嫁さんをもらう頃ともなると、好きか嫌いか、という領域で翻弄されます。五感と体感レヴェルでは好きなのに何故か、意識では嫌い、という現象が起こります。何故でしょうか?これは案外難しい問題なので明日から数回、思索していきますが、皆様はさてさて、どの視点から自己分析するでしょう?どんな視点から自己分析すべきか真面目に考えておいて下さい。「不一致」と言うプロセススケールの世界を意識しないと悔いのある人生を歩む羽目になります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    昨日の記事(私のお小遣い事件)に生きていた少年時代の話の続きですが、記憶では15日間ぐらい、そんな生活が継続されていました。今から想いますと、その頃の私は、まさにカールロジャースが言う「プロセススケール」第二ストランズ「体験過程」の底辺を生きていたようです。つまり見たくない自分がいて、心の奥の良心の呵責をひたすら抑圧し、逃避していました。他人事のような素知らぬ顔をして生活しているので、自分の良心の呵責も他人事として、逃避生活をしていたわけです。もし、このような自分の湧き出す感情を抑圧し、見ないで、鏡の向こうを歩く自分を垣間見ながら成長していくと、人格障害的な性格が形成されていきます。恐ろしい時代を私も体験したわけです。しかし健全になると湧き出す感情を経過現象として冷静に洞察し、これはまずいなあ、と意識化出...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    都合が悪い感情、私の場合、小学生の頃、母親から依頼されたお豆腐を買いにいき、お釣りをかえさないでお小遣いをためた時の良心の呵責、後日、母に優しく諌められ大泣きした記憶があります。この場合の「お釣りを返さない心のうづき、良心の呵責」を生涯忘れません。母親に「どろぼーのはじまりですからね」と諌められた時の衝撃は生涯の警告となっています。この場合の「都合の悪い感情」とは私にとりエリクソンの言葉、概念でもある「恥辱、罪悪感、自己混乱感、孤立感」です。この感情を何とか抑えようとするのですが、少年の私は暗い顔になっていて、こそこそした態度となり母親もその姿を哀しくおもっているわけです。夕日の沈む庭で怒声を出す事も無く、ひたすら優しく諌めてくれた母親の愛情を想うと今でも涙が流れます。この母親の愛情が私の「愛の原型」にな...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分にとり都合の悪い感情とは何か?何が都合の良い感情か?このように湧き出した異物のような感情に戸惑う時、どうしたらいいのでしょうか?。倫理道徳は大事ですが自分を心身症に追い込むような感情の処理理方法はよくありません。自分を心身症にしたり、錯乱させるような感情処理は非常に危険でもあります。錯乱すると本人も周囲も混乱していきます。その場の憎しみの感情に支配されて冒す殺人行為は悪です。しかし殆どの人間はこような殺人事件は犯しません。身辺は良い人ばかりです。しかも人間には自然治癒力と良心が確実に内在していて、どんな場合にも心に正しい方向性を示していますので自分を信じる力、人間の美しい理性と良心を信じてみましょう。ですから、この湧き出してしまった感情を抑圧しら体調を崩したとか、逆に理性が警告した感情を抑圧したお陰で...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が今、色々と努力して生きているけれども、果して良い方向に流れているのか、悪い方向に流れているのか心配なものです。どのような視点から自分を見つめたらいいのでしょうか?プロセススケールという理論で考えてみましょう。さてどんな環境で生きていても、その現実の中で湧き出す感情はそれぞれ深い意味があります。カールロジャースという学者さんの労作「プロセススケール」で比較考察していきます。さて、湧き出す感情を皆様はどう解釈していますか?自分にとり都合の良い内容の感情ならば楽しくスムーズに正面から取り組む気があるでしょうが、都合の悪い、見たくない内容ならば人は多分抑圧するでしょう。ここに自己分析の面白さが潜在しています。70億の人類にとり都合の良い、悪いは内容が全部違います。この問題について思索していきます。その内容が...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理学の勉強は少々ややこしいですが、自分が悩んだり、愛する人、大事な人が苦しんでいる場合、そっと優しく言葉をかける、その内容が学習している人の場合と、そうでない人の場合、相当違ってきます。どうか気楽に読んでいって下さい。或日、ふと、私の文章を思い出してくださるだけで充分です。統御感、という領域の話が続いていますが、この自分が今、心理療法学で言うところの「統御感」に該当していれば、その人の人生、運命は「個性の美」にしたがって順調に流れているわけで、堂々と自信をもつて生きていけばいいのですが、何故か、素晴らしい人生を歩んでいるのに自信が無い人がいるのは、この自己分析方法を知らないからです。もったいない話です。さて、事実上、統御感が健全な人は心が自由です。「なにものにも」とらわれずに、のびのびと生活しています。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法上の「抑圧」とは「人からの避難、嘲笑等を恐れて意識、無意識に、何らかの感情、自己主張を我慢すること」と某先生は定義しています。更に「抑制」は抑圧より軽く、健全な心を抑えるもの、と定義しています。難しいのですが、湧き出す感情には深い意味がありますので、倫理道徳は大事ですが湧き出す感情を抑える程度が「抑圧」なのか「抑制」なのか、セラピストにはなかなか分かりませんが、身体症状にまで展開している人を見ると、あー、これは少々病的な心の制御をしているのではないか、と心配になります。抑圧、抑制をする前に、現実問題として湧き出した感情の意味を冷静に思索する習慣、セルフコントロールの仕方を努力して考えないと、誰も教えてくれません。自分の健康の為に、検討する楽しみを身につけるのも生き抜く知恵です。もともと抑圧も抑制も...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心身症の原因は日々のストレスが遠因ですが、自分の自然体の状態の心の安らぎとストレスが蓄積している時の身心の分析方法を知らないと、どんな頑強な人間でも疲労困憊していき、最終的には参ってしまいます。生身の人間の当然な現実でもあります。全てが順調な時は、こんなめんどくさい心の領域の問題に触れる気もありませんが、少々嫌な感情の日々が続いたり、落ち込んだ日々を送るようになると、自分は何故、こんな時間を送るのだろう、嫌だなあ、何とか、元の明るく元気な日々を送りたいものだと自問自答します。自問自答する人はまだ恵まれたほうで、殆どの人は自問自答すらしないで、ひたすら周囲に八つ当たりするか、ぶつぶつ文句タラタラの生活を送り出します。そうすると益々、周囲から嫌われ孤独になり悪循環開始の日々となります。明るい人には人は集まりま...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    80億の人類の一人一人の環境は全部違います。ですからそれぞれが逞しく元気に生き抜く為の思考、感情、行動の在り方は、これまた、全部違います。その為には自分の生きていく目的も明確であるのは当然ですが現実をその目的に合わせて取捨選択していく吟味力も必要です。この現実吟味力を発揮する際に、もう一つ考えねばならないのが、自分の経済力、知識、体験、意欲、能力、健康状態を十分認識しないと、どんでもない吟味をしてしまいます。人生の夢も大切ですが、この自分の現実吟味力を磨くと、日々がとても楽ですし、安心して自分を信じて堂々と一日を生きる事が出来ます。金に目がくらむ、美女に我を忘れる、地位にこだわる、倫理道徳に固執する、義理を過剰に大事にしすぎる、生活習慣を見直さない、その他心を縛る要素を分析していない等、日々の自分の心をい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    気分良く幸せに生き抜く為に、時々立ち止まり、楽しい気分で散歩しながら考えたい課題の一つに「アイデンティの統合はどうなっているか?」という自問自答です。自分にとって悔いの無い人生とは、どんな内容の人生か、そのあたりの考え方、セルフイメージが確立されていないと、何歳になりましても、この統御感は生まれてきませんし、生まれてくるわけがありません。セルフイメージを先ずは気楽に確立していきましょう。そうしないと、心と身体がどう統御したらご主人さまが満足するか、答えを与えてくれません。大脳と60兆の細胞の中のDNAは、種の保存方法として、いつもご主人様が身体の病気にならないように、また、心が乱れ、錯乱すると長生きしないので、何とか身心を明るく元気に、爽やかに生き抜けるよう知恵と答えを準備しているようです。問題意識を持つ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が今、健全な統御感で生活しているかどうかの識別方法は一般論としては下記のように言われています。(a)朝、目覚めた時、よし、今日も悔いの無いように生きていこう、(b)夜、寝る時、色々あったが、自分は良くやったなあ、有難い一日であった、と感謝と満足で熟睡する。この二つの精神現象が理想です。この状態に近かければ、現在、健全な統御感に生きている人、といえるでしょう。この二つの精神構造を形成する背景を説明するには、相当の時間をかけて理論説明が必要です。生き甲斐の心理学を学習している人に対して、何故、そう言えるかは大きな試験問題の一つですし、心理療法の試験問題としてしばしば提出される病理論の領域の試験問題です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「統御感」が無い人々の現実の意識の中に「流されっぱなしの我が人生」とか「私は何処へ流されていくのだろう?」と言う、ふらふらした嫌な、お化けのようなストレスがあります。人は考えた通りの人生となる、という諺がありますが、自問自答する場合に、どんな言語、意識を持つかで人生の流れがきまるようです。冷静に考えると、自分にも夢があり理想があり、意識、無意識にその実現に向かって人は動いているものです。何処に流されているのだろう、という自問自答は案外、自分を破壊させていますので、何処に流れていきたいか、その流れ着く先を意識化すると、この恐ろしい自縛の領域から離脱して、流れゆく先を意識することで統御されていきます。流されている、という意識は「セルフコントロール出来ていない愚かな自分」という意味です。;、言葉は恐ろしいもので...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日々暮らしていて、心がはっきりしない、何の為に生きているのかも意識化出来ない、あれこれ不満だらけ、感謝と満足感が無い、こんな心境の時のことを統御感のない日々と定義しています。日々いきいきとして明るく元気に爽やかで、仕事に深い意味を感じていて、色々ありましても、楽しく生きている状態を統御感のある日々と考えていいでしょう。もう少しきちんと説明していきますが、この反対の概念が錯乱、です。錯乱というと大げさですが、心が取り乱された状態、スカーッとしない日々はほぼ錯乱状態、と生き甲斐の心理学が大げさに定義している精神状態のことです。この統御感について思索していきます。統御感の無い人生は悔いをのこすでしょう。どうしたら統御感のある日常生活が送れるのでしょうか?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    エリクソンと言う学者はその人格発達論の中で、35才を超えるあたりから60才くらいの人々に注意を促しています。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素の関係で、人により相当「お色気の有り様」は違います。冷静?に勉強し、思索すれば、直ぐ分かる事なのですが、案外、世俗に流され、自虐的程に、自分を失う傾向の人が多いのです。この範囲の年齢に要求される努力目標があります。それは今まで色々の人々にお世話になりこの年齢層まで生きてきたのですから、そろそろ周囲の若い人々を親切にお世話しなさいと言う警告です。幼い子供から20才頃まで、人間は宇宙をさまようような生活をするものです。特に青春時代は嵐のようなものなので、取り扱いは難しいのですがお世話する対象が若くても、高齢者でも、そろそろ「世話」という領域に意識を向けないと...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    一番病に弱いのは私のような気がします。風邪で少し熱が出ると、もう死んでしまうのかなあ、と感じたり、弱虫になるからです。しかし、今日まで元気に生きています。皆様も笑いながらこの記事を読んで下さいませ。昔から直ぐ眠れる時と、なかなか寝付かれずに翌日の仕事にも影響が出て、辛い一日を送る羽目になる人生でもありました。しかし意思力と努力で仕事をこなしてきたわけですが、そんな体験と心理療法の勉強を通して、古い諺「病は気から」は本当だなあ、としみじみ昔の人の言葉に感謝しています。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素は、どんなに気張っても改善出来ない領域なので、その人なりの対応策が必要です。病は気から、と自分に言い聞かせたお陰で、どれだけ明るく元気に爽やかに生き抜いてこられたことでしょう。病でもないのに病だ、と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分も他者も色々と観察すると、それぞれ気になる身体症状があります。風邪から運動のしすぎによる筋肉痛、血圧、頭痛、言い出したらきりがありません。とても深刻な終末治療の現場でも、今回の健康感について、きちんと恐れずに思索する場合と、嫌な話題なので逃避して思索しない場合ですと、日々の生活が非常に明るくなります。極端な場合、家庭介護の日々の場合でも、その周辺の家族や本人自身の死の取り扱いの問題にしても、混乱する事無く、対処出来るようになるようです。健康感という領域の問題は精神的に錯乱すればするほど、現実以上に過剰反応してしまう領域なので、健康感については真面目に思索したほうが良いのです。私は死に直面した経験はありますが、未だ元気ですし、最終的な死を迎えた経験がないので、教科書通りに行かないことはわかりますが、色々...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」を勉強しなくても、ふと、良き友人との会話から「自分はどうしても人に対して基本的に友好的な感情が持てない種類の人間なのだ」と悩みだした話を聞く事があります。周囲の人に対して親しみとか友好的な感情が持てない、と悩みだす話です。この悩みを所持する人に色々の話をしましても中々理解されない場合、下記の話をしますと、ほっとされるようです。ストレス曲線と幸福曲線の関係は、とても面白い理論があります。つまり光と影の関係のように人間の怒りの感情の反対側の感情を友好的な感情と呼んでいる定義の話をします。不安感が解消した時のほっとした感情を平安感というように、或人への怒りの感情が解消して少しばかりですが「この人にも良い所があるんだ」と理解した時の感情も友好的な感情の領域に突入したと解釈しています。周囲の人間...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    初対面の人に友好的な感情を持てる人はとても幸せな人生を歩めますが、初対面の人に対して常に意地悪な態度、偉そうな態度、ゆがんだ感情しか持てない人は割と、じめじめした暗い人生を歩いているようです。つまり基本的に「自己肯定他者肯定」の人格者は世間にあまりいない、という事です。お育ちの良い人は子供の頃から人を疑いません。騙されやすい性格と言ってしまえば、それまでですが、本人は意識しているか意識していないか分かりませんが、生き甲斐の心理学の法則からいいますと、騙す人よりは幸せな人生を歩いているようです。本来の性格を下記の4つのパターンに分類します。「自己肯定他者肯定」、「自己肯定他者否定」、「自己否定他者肯定」。「自己否定他者否定」。あなたは、どのタイプですか?先ずは自己分析してみましょう。残酷な質問ですが、この自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    朝、目が覚めて気分が悪いと何となく一日が落ち着きませんし、楽しい人生ではなくなります。しかし熟睡した朝は気分が良く、通勤電車の中でも、多少、足を踏まれても腹がたちません。勤務先に到着して、いつもなら挨拶したくもない相手に対して、こちらから友好的な感情で、おはようと言える日もあります。この「友好的な感情」を所持するには「平安感」が前提なのですが、どうしたら、この感情がもてるでしょうか?この「友好的な感情」が自分にとっても、周囲の人にとりましても、人生では大事な感情だ、と頭では分かっても、そう簡単に保持出来る範囲の感情だとも人は思っていません。つまり難しい感情なのです。相手がぷりぷりしていたり、偉そうな態度なのに、こちらが「友好的な感情」を示せば、プライドもあり、負け犬のような気分にもなり、卑屈な気分にもなり...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人により平安感や幸福感を感じる内容は全部違います。私の書斎には約3,000冊の愛読書があり、その表題を見ては、色々の種類の思索を楽しみ、勉強会のカリキュラムを練るわけですが、その時間は我が人生における至福の時でもあります。未読の本も沢山ありますが、未読とは言いましても、ぱらぱらと軽くは読んでいますので、大体、何が書かれているかは識別出来ます。イギリスの大学の図書館は中世紀からの古文書もあり、その香りは独特なものですが、私は、その香りに触れると魂が踊る感じです。私の書斎から野川を挟んで森が見えますが、その森は室町時代に出城があったようで何か独特の雰囲気と異様なものを感じさせる林です。時々、何とか言う種類のタカの夫婦が来ると、そこに住み着いているカラスの大群が恐れて、どこぞへ移動していきますが、先住民のカラス...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何故、このような思索、分析をする必要があるか、と言いますと、心理療法の世界で時々遭遇する来談者の中に、巡礼や神社仏閣の訪問、座禅会・瞑想会に参加したばかりに、少々変になる人がいて、そのカウンセリングをする場合に、この知識と対応策を知らないと、その人を元気にする事が出来ないからです。この知識がありますと、自分に相応しくない会合には今後、参加しなくなり、自分を自虐的に追い込む事もなく、自分に相応しい場を選択する知識も身についてきます。さて、聖地、霊地に立つと昨日お話した考え方、感じ方があるわけですが、どんな小さな感覚でもノートに書いておきますと、後日、とても役立ちます。人間の体は或場所に立ち、その場に立った時の感情が、どうして生まれてくるか、その仕組みを意識しておくと、とても人生が楽しくなります。アフリカで人...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    霊地と呼ばれている場所は世界各地に散在し、いづれも不思議な事に石が、そこに存在しています。石の形状は民族により違いますが、その理由はどんな形状に神秘性を感じるか、その民族により相当違いますが、共通は「石」です。何故、石に興味があるのか、その理由は学者が研究していますが、やはり比較宗教学の方程式:A=B(X+Y)を知らないと中々、結論が出ないようです。Aは、生きている人間である自分のこと、Bは臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である魂のこと、Xはその人の生育史、つまり赤ちゃんから今日までの人生の記録(セルフイメージ)のこと,Yは生物学的医学的身体のこと、この方程式のBが神秘性を大脳に与えているというのが私の採用している解釈です。神秘性を感じるものの、その表現方法はXとYが決めていきます。アフリカの青...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    霊地と呼ばれている場所は世界各地に散在し、いづれも不思議な事に石が、そこに存在しています。石の形状は民族により違いますが、その理由はどんな形状に神秘性を感じるか、その民族により相当違いますが、共通は「石」です。何故、石に興味があるのか、その理由は学者が研究していますが、やはり比較宗教学の方程式:A=B(X+Y)を知らないと中々、結論が出ないようです。Aは、生きている人間である自分のこと、Bは臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である魂のこと、Xはその人の生育史、つまり赤ちゃんから今日までの人生の記録(セルフイメージ)のこと,Yは生物学的医学的身体のこと、この方程式のBが神秘性を大脳に与えているというのが私の採用している解釈です。神秘性を感じるものの、その表現方法はXとYが決めていきます。アフリカの青...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    憧れの熊野三山、この現場に立った時、恩師の言葉をふと思い出しました。世界には霊地といわれている場所が沢山ありますが、その古代からの霊地に立った時は、どんな小さな感情や思いもノートに書くべし、という恩師の言葉でした。今回の熊野の旅は、親しい人々と旅をしていたのですが、密かにノートに記録しました。ヒマになりましたら、色々と研究材料にするつもりです。さて、イギリスの大学の研究室でも、霊地に旅をしまして、後日、こういった旅先での互いの記録を研究室で互いに笑い合いながら発表させられるのですが、この発表会は最初の頃は見栄もありプライドもあるので、正直には中々いえません。と言いますのは、自分の心の中での自問自答の内容の程度に、そんな自信がないものですから、発表出来ないのです。ですから一応、気取って、表の顔で語りますので...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐の心理学では「平安感」という感情を大事にしています。朝、目が覚めて心がざわついていると、なにをしても落ち着きません。しかし、心が何となく安らいでいると、身辺の森羅万象がとても美しく見えてきたり、鏡を見ても、自分の眼差しが邪眼ではなく、慈しみに満ち溢れた眼差しをしていて、とても安心して新聞をぱらぱらと眺める余裕がありますが、心が不安定でイライラしていると同じ新聞の記事でも、そう落ち着いて記事を読む事も出来ず、どんな記事を見ても、イライラしてきて面白くありません。このように平安感という感情は生きていく上で、とても重要な感情なので、暫くこの幸福曲線上の「平安感」について思索していきます。この平安感は平素、不安に感じていた事柄が解決し、ほっとした感情を言います。自分の平安感を思索する場合、平素、感じている...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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