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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    構成概念が固い事例で一番多いのが「自分の理想から人を裁く人」でしょう。はたから見ると、その人は、非常におそまつなのですが、何故か、その人は人を批判し、裁くのが好きなようです。自分の理想像から他者を裁き、自分のストレスを解消している事例です。正しい信仰生活をしている人は本当に自然体で、人を裁くことに恐れを感じていて、自分の至らなさは当然理解していますし、恐れ多くて人の事を批判しません。謙遜は傲慢の始まり、という感じの謙遜ではなく、己の分をわきまえた感じです。宗教を持つ人、持たない人、信念の強い人、弱い人、頑固な人、そうでない人、どんな場合でも、この理想から人を批判する事例は私を含め、人間業の恐ろしい所でもあり、また、必要な部分もあります。自分が至らない人物である、という想いから、何もしない人もいますが、そう...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「構成概念を事実と勘違いする段階」はかなり健全ではありません。こういう私も時々、この失敗に陥ります。子供の頃からの思い込み、或時期からの思い込み、勘違い、宗教的な教え、そんな構成概念を事実と思いこんで、現実に対処していると、理想なのか、現実なのか、段々と識別出来なくなっている自分に気づいた人はラッキーです。そんな精神状態は周囲の人々は冷静に見ていて、あの人は変な人、思い込みの強い人にはかなわないなあ、付き合うのがめんどくさい、という事になります。柔軟に現実と向き合う事の出来ない人は段々と孤独になり、対応能力に欠落しているので、生きにくくなります。自分に都合のいいように解釈するので、ますます周囲の反発にあいます。現実の解釈と構成概念は深い繋がりがあり、ある種の人々は、そうしないと生きていけない場合もあります...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どんなに理論を勉強しましても、その理論が自分の生育史のどの事例に該当しているかを明確に意識化していないと、その努力は案外、実力として発揮されないものです。例えば「自己概念の固い人はひたすら日々の生活で自分をストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込む」という理論、考え方を勉強しましても、自分の過去の体験の中の、どの事例に該当するのか、を意識化しておかないと、同じ過ち、無駄なエネルギーの消耗、不愉快な気分等を生涯、繰り返していきます。構成概念を固めないと(強い信念を持たないと)厳しい現実を乗り越えられない事例もありますが、柔軟な概念、考え方を現実生活の中で意識化すると、今まで、感じたストレスを感じなくなり、明るく元気に爽やかに時を過ごし事も出来ます。体験の解釈を変えた途端に気が楽になった...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    あまりにも相手が好きになると人は胸がつまり自己の伝達に支障が出てきます。青春時代を思い出していただくと分かりますが、好きな人が、しかも、その心を伝達していない好きな人が直ぐ傍らに居ると、胸が熱くなり、言語障害気味です。知恵が無い、経験が不足している、度胸がないと、益々何も言えなくなります。青春の当時、大人を見て、何とも図々しく物を言うのを見て嫌悪感を感じました。この嫌悪感は何でしょう?自己の伝達が上手くいかない自分を嫌悪し、ずばすば図々しく言う大人を嫌悪する、この複雑な心理は大人にも共通しています。単なる青春談義として見過ごすのが普通の事ですが、心理療法を学ぶ学徒には、この事例はとても素晴らしい研究課題で、この原理を意識化しておくと、将来、自己の伝達の領域のクライエントと面談した折、この勉強が、その領域の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    田中角栄さんには大変お世話になり感謝していますが、お会いしてもいつもせっかちな感じで、落ち着いて人生相談などはする気がなくなりますが、あの方の魅力は大変おおきなもので、せっかちの汗っかきの割には人々に大変愛されていました。心理療法では「間」の取り方は重要で、原則論としては「ゆったりと間をおいて応答する」ように学習しています。せっかちで忙しそうな感じを与えたら駄目、と言われています。政治家と比較するほうが可笑しいのですが、生まれつきせっかちの心理療法家の場合は、田中さんのように、それを超えた魅力があれば大丈夫。人間嫌いの精神科医もいれば、せっかちな心理療法家も居て、大勢の人々に愛されている事例も沢山あります。原則論があっても、それを超える人間的な魅力があればカバーできますので、生まれつきの性格がマイナスだと...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自己愛愛パースナリテイ生涯という課題で書かれているテキスト「生き甲斐の心理学」第1章は少々難解ですが、自己愛はとても大事な領域です。専門的な勉強をしないと「あなたは自己愛に少々問題があります」とは言うべきでないでしょうし、専門家でも洞察力がなければ、社会問題になるでしょう。私のブログでも書けば書くほど誤解が生じますので自信がありません。しかし、案外、簡単な識別方法があります。識別のポイントは愛し愛されている関係であればあるほど、「有難うございます」という心からの感謝を口にしない人、つまり愛の伝達、感謝の伝達が出来ない人の場合、この第1章「自己愛パースナリティ障害」的な人と判断してもいいようです。心の底から有難う、と感じた場合、照れないで伝達しないと本当の幸せは逃げていくようです。「自己の伝達」で一番大事な...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    その人は、感じが良いので友情を深めたいなあと思うのですが、一歩も二歩も近付くのですが、何となく岩盤にぶつからないし、ふにゃらふにゃら、の感じが永続し、ついには深い友情も得られず、馬鹿馬鹿しくなり諦めて、あたりさわりなく永続している学友がいます。会えば楽しく会話も出来ますが、15分も過ぎると話題はこちらから出すばかり、ちっとも深まりません。この関係は疲れます。私ばかりが、そう感じているのか、気になりますので、40年来の親友達に聞いてみると、全員が嬉しそうにほっとして、それぞれが、自分の至らない友情に悩んでいた旨を私に告白してくれました。つい最近の大学の親友クラスメート会の話です。さて、自己の伝達問題に移りますが、家族、親戚、恋人、夫婦、地域社会での人間関係の中で、上記の事例は案外多く、問題点は、その自己否定...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    あまりにも相手が好きになると人は胸がつまり自己の伝達に支障が出てきます。青春時代を思い出していただくと分かりますが、好きな人が、しかも、その心を伝達していない好きな人が直ぐ傍らに居ると、胸が熱くなり、言語障害気味です。知恵が無い、経験が不足している、度胸がないと、益々何も言えなくなります。青春の当時、大人を見て、何とも図々しく物を言うのを見て嫌悪感を感じました。この嫌悪感は何でしょう?自己の伝達が上手くいかない自分を嫌悪し、ずばすば図々しく言う大人を嫌悪する、この複雑な心理は大人にも共通しています。単なる青春談義として見過ごすのが普通の事ですが、心理療法を学ぶ学徒には、この事例はとても素晴らしい研究課題で、この原理を意識化しておくと、将来、自己の伝達の領域のクライエントと面談した折、この勉強が、その領域の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    高校生徒の或時期、喧嘩ばかりしていました。成績は下がる一方です。終戦直後の疎開先で私(小学3年生時代)を虐めた学友が、地方では少し有名な高校に入学してきたのです。私はまた、虐められそうなので、柔道部に入り腕を磨きながら、そろそろ、復讐戦を開始。時代が時代ですので周囲の先生も大人も見て見ぬ振り。しかし成績はどんどん下がり、私の心は自分に対しても、両親に対しても罪悪感と劣等感と混乱感で、今から想うと、心はめちゃめちゃでした。そんな私(泣き寝入りしない少年)を暖かく見守る某先生の授業は楽しく成績も良いのですが、そんな私を知り、答えられない少年と知りつつ質問をしてきて、答えられないと答えるまで授業中に立たせる先生の場合、もう身心が氷のように塊り、物も言えません。この思い出(心を伝達する勇気もなく、委縮した思い出)...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「憎まれ?、世にはびこる」ではありませんが、自分のストレスは発散されますが、周囲がストレスがたまる事例が沢山あります。私も人の事が言えないくらい、スパスパ物を言う事があり、後でまずいことをいったなあ、と反省しきりです。自分のストレスは発散されますが、どれだけ周囲の人々に負担と迷惑と哀しい想いをさせて、私は生き抜いてきたことでしょう。亡くなった母親を始め、友人、知人に改めてお詫び申し上げます。思い出しても汗が流れます。ビジネスでの戦いの現場で、喧嘩の折に吐いた暴言、忍耐の限界を超えて爆発した事、色々と反省しきりですが、さて、人はあまりの我慢をすると駄目になる事も事実です。ひたすら我慢する人生はやめたいものです。この自己の伝達の基準は何と言いましても自分の身体症状です。人に何と言われましても自分の身体症状を中...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「男は黙って?ビール」ではありませんが、人生、出来れば黙って生きていれば都合が良いのですが、長い人類の時代を勉強すると分かりますが、その時代によっては、沈黙ゆえに迫害されたり、殺されたり、憎しみの対象となったり、誤解が誤解を生み、戦争にもなります。意思の伝達は言いわけであろうが、相手に対して、屈辱を感じても、説明する必要があります。あまり周囲に影響を与えない人間の立場なら沈黙も時により美徳となりますが、この自己の伝達は人類社会ではとても重要な問題です。生き甲斐の心理学では、この自己の伝達をどう解釈していくか、解説していきます。自己の伝達に病理があり、その為に身体症状が出る事例の場合、どのように対応していくか、その物語です。専門的には7つの段階に分類するのですが、余程重症なら、その必要がありますが、普通は「...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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