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ブログタイトル
生き甲斐の心理学
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/cull-tntu
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自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。
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2019/07/09
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culltuさんの新着記事

1件〜30件

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    <愛している>という言葉の情報なくして、その愛を信じるのは愚かなことのようです。特に<察する>ことを要求する文化圏はややこしくなります。察するという営みは文学の世界では優美、優雅につながりますが、こと人間関係、国際関係、政治関係、組織の中では<愛しています、大事にしています>という情報をこちらが発していないのに<愛、親切>を要求する人は大きな過ち、不親切、信頼を失います。欧米の文化には多種類の文化圏人間が混在しているので常に<愛しています>を発信し、私はあなたの敵ではないとスマイルを連発しないと和が保てません。愛を発信し続ける必要があります。また信仰を得る場合でも神様のほうが先に人類を愛していて、人間が神様を愛したから神様がそれに応じて人間を愛するののだ、と誤解していると永久に信仰は得られません。基礎知識の無い...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    投影現象で一番重要な問題は相手の愛を感じとれなくなる事例でしょう。極端なケースとしては自己愛パースナリテイ障害という心の病気がありますが難しいので、ここでは日常生活で散見出来る事例を思索していきます。A君は親、兄弟、友人の愛情に恵まれ、楽しい日々を送ってきたのに、高校時代に陰湿ないじめに遭い、以来、何となく人嫌いになり、大学に入ってもその心の傷から人の愛を感じなくなりました。ご縁があり洗礼を受け信仰生活に恵まれましたが何故か神仏の愛がわからない、と悩んでいます。神仏の愛ばかりでなくせっかく生まれた素敵な恋人の、ふとした折の優しい愛も感じない、と悩みだすA君です。暫くこの愛を感じられない悩みについて思索していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    自分の心の世界をいつも明るく爽やかに保持しておくと世界が輝いて見えてきますが、自分の心がいつも暗く憂鬱ですと世界も暗く憂鬱に見えてきます。暗い心を長らく保持しているといつのまにか<あいつは貧乏神だ>とあだ名がつき、人々が離れていきます。とかく世間は暗いので誰でも暗い人を嫌います。森羅万象をどう受け止めて生きていくか、どう解釈するかはその人の自由なので、出来れば森羅万象を明るく解釈出来るよう修行して生きていきましょう。そうすれば投影を恐れる必要はありません、何故ならいつ自分の心が投影されても明るいものしか投影していかないからです。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    密かに好意を感じている相手がいます。その相手が自分に対して好意を軽く表現しただけなのに、こちらが勝手に過剰反応をしてしまい、何と熱い恋を自分にしているんだろう、と勘違いする事例が案外多いようです。微妙な心の世界なのですが、友情も愛情も、もともと少しずつ熟していく世界なので、その熱差が人生の喜劇、悲劇、誤解を生んでいきます。ここが人生での楽しい場面でもありますが、投影という防衛機制の作用が人間にはあります。<あれ何だか変だなあ>と思う現象に触れたら相手を非難する前にこの自分サイドの投影現象という事を少し意識すると正しい現実が見えてきます。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    投影という作用があるので時々人は周囲の人々の愛を感じなくなります。周囲はいつもと同じなのですが本人が今日は何となくうっとおしく、友好的な感情を周囲の人々に感じない場合、孤独になり愛されていない自分に気づきます。通勤電車でもこんな時はトラブルが起きやすいものです。肩に触れられただけなのに何か嫌な事をされたかのように思ってしまいます。周囲の人の愛を感じない時は案外、自分が周囲の人々を愛していない場合が多いようです。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    日々ある場面ですがいつもにこにこしている人が急に機嫌がわるくなったのに戸惑う事があります。あれ、と思って職場のトイレの鏡を見ると自分が何だか酷い表情をしていてハッとする事があります。こちらサイドが無意識に嫌な表情や態度、言動があったようです。人は無意識に心の奥底に潜む<思考、感情、行動>が投影という精神作用で相手に届く事がある、という事を知っておくと人間社会が平和裏に収まる事があります。人間が持つこの心の仕組みを知っておくだけで自分も相手も平安感が得られます。この仕組みを知らないと、憎しみのスパイラルに巻き込まれます。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    身近に時々ある現象ですが独りよがりタイプの人が相手に向かって<あなたは独りよがりなんだからー>とぶつぶつ文句を言う場面に出合います。あなたと私の関係はその二人だけにしかわからないので一概に断言できませんが<投影>という防衛機制が人間の心にはだれにでも働いていることを知っておくと便利です。人は自分の鏡、という諺がありますが、暫くこの独りよがりと投影の関係を思索していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    カトリツクであれ仏教であれ信仰を持つ人は本当に幸せです。信仰と学問は違いますが学問をしながら信仰を得るとその相乗効果が非常に高くノーベル賞を得た学者でも非常に謙遜に宇宙の前に膝まづきます。宇宙の中の人間を冷静に見れば傲慢になつている暇はありません。宇宙誕生の原因を考えたり最近非常に進歩しているDNAの分子生物学を少しでも学ぶと宇宙に潜むサムシンググレートの存在にはたと思いつきます。信仰を得る、そして神様の愛を本当に信じると自分のストレス曲線(日々の生活で感じる不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)の中にも神様の愛を感じだします。ストレス曲線に神様の愛を感じられるような信仰を得ると生き抜く力と知恵、勇気がどんどん湧いてきます。ました幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感)が湧けば益々神様の愛に感謝する...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    最近の青少年の犯罪や大人の犯罪記録を見ると殆どが不安感が原因です。その犯罪者の経歴を見ると胸を痛める内容が多く、自分の心を静かに見守る教育を受けていないようです。何故受けないか、その原因も調べていくと自分を静かに見守る習性がないようです。本当に辛いと思います。妄想で一番怖いのが不安感を意識しないで、ただひたすらに感情発露をしようとしている姿です。不安には過去、現在、未来からくるもの、そして身体、成育史、魂からくる疼きが原因なのですがその分類方法も知らないとお手上げです。自分の不安感が何処からくるのかをしつかりと見極める必要があります。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    奈良時代の歴史は日本という国家がどのように形成されていったか、という世界に興味のある人々にはたまらない魅力があります。しかも政治史だけでなく宗教、文化、芸術、色々の原型を作り出しています。東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、当麻寺、一言主神社、御霊神社、この神社仏閣だけでも語り出したら一日かかります。今でもこの場所に立つと古代の色々の霊気を感じる人がいるようです。この古代の怨霊は妄想の歴史でもあり、とても楽しい刺激を与えてくれます。妄想は宗教を生むし文化、芸術、音楽のエネルギーでもありますので人類にとつて悪いとは断言できませんが、個人史ではあまり歓迎出来るものではありません、本人にはあまりにも辛く切ない病理だからです。古代の人のように妄想にさいなまれる自分を知覚した場合は古代の怨霊を祭る神社仏閣に祈りにいくのも大...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    真実の姿を把握し理解するのは案外難しいものです。例えば癌の告知は真実を伝える、という事ですが、癌だと誤診している場合もあるので、真実とは何か、と常に考えていく必要はあります。ここでは妄想について考えていきます。妄想とは真実ではない事を真実かのように錯覚する無駄なエネルギーのことです。自分の会社が倒産した、どう生き抜いていくか、全てを諦めて自殺する場合、相当、病的な妄想に襲われます。しかし死んだ気になつて生き抜いていく戦いは人間として美しい姿です。妄想の原因は不安感の取り扱いを知らない所から生まれてきます。不安感だと知覚すれば手のうちようはいくらでもありますので、妄想とは戦わない決意が必要です.自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    戦うべきものと的確に戦う人はあまりいません。これが普通の人間のありようですが、心理療法の仕事で感じる切ない人間のありようは無駄な戦いが多すぎる事です。私を含めてですが、どうしてこんなにも無駄な戦いをしてしまうのでしょうか?戦う場合、先ず心の中で戦い始めます。疲れ果てて寝る時は、なんでこんな無駄なエネルギーを使ってしまつたのだろうと哀しくなります。暫く無駄な戦いとなる深層心理の世界での妄想について思索していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    お化けと怨霊は意味が相当違うと思いますが、その解釈はそれぞれの学者にお任せして、ここでは日本文化でのお化けでも怨霊でもあの世の世界に関係する霊的な文化について考えます。あの世があるか、魂があるか、は多分、永遠に分からないでしょう。そのあたりの証明は学者に一任して、比較宗教学で行っている思考方法<信じて見えてくるもの、見えなくなるもの>という思考方法を楽しみましょう。この思考方法になれると案外簡単に心の安定が得られます。カトリツクの神様は<愛そのものの神様>ですのであまり難しい事は要求してりません。どんなに厳しい人生でも、どんなに罪深い人生をおくっても、神様の愛を信じていれば天国にいかれます、という思想です。神様の愛を信じない事が一番大きな罪だと主張する宗教です。神様の愛を信じるとはどういう事でしょうか?この1点...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    歴史の勉強を楽しみながら深めて、その上で奈良京都を訪ねるとその味は一段と増えて、来て良かったとしみじみ思います。しかし奈良京都はお金がかかりますので精神衛生を良くする一つの手段として歩いて一時間程度のあたりに歴史のある神社仏閣を探しておきましょう。最近の都会の僧侶、神主には相当利己的な宗教家がいるので要注意ではありますが、散歩気分で行き古代からの神社仏閣の聖なる霊に手を合わせると何とも不思議な感覚が訪れます。大自然に存在する霊気を大事にしたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    室町時代に完成したと言われるお能は日本の優れた文化の一つですがそれ以前にも神楽や色々の舞踏(白拍子を含む)宗教的な祭儀や遊びや呪術がありました。古代から人間の身辺に漂う怨霊めいたものは人間のストレスを実に巧みに解消しています。どの民族にもこれに近いものが色々あり、その文化のお陰で人々は錯乱を免れています。不幸にして心の病で人生を終わる人もいますが生身の人間には理解不能の出来事が次から次へと生起してきますので怨霊文化が発達しました。この日本独特の怨霊文化は精神衛生にとり非常に良いのです。楽しい歴史の勉強として学習してみませんか?案外、現代の優れた心理学以上の効果をもたらします。特にお能を観賞するのもその良い方法です。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    夢の中でお化けと出会う夢を見る人もいますが現実生活でお化けと出会う人は普通、夢の中にまで出てきません。むしろ夢の中では美しい現実の夢を見る事例が多いようです。その理由は学者も分かりません。さてお化けを本当に見た人は殆ど、その事実をあまり他者には言わないようです。しかし平然としてその話を他者に言うようになる頃にはもうお化けを見なくなるのが普通です。幻聴幻覚でも医師が本気で信じていくと、その幻聴幻覚は段々と消滅していくものです。大脳はバランス良く働いています。お化けを見た人はこの現象は全て大脳の生理現象だと解釈して間違いありません。何故見る必要があるか、その理由は分かりませんが大脳が見る必要があつたのだろう、くらいの解釈をすべきで、それ以上の解釈は意味がありません。はつきりしているのは相当の不安感(ストレス)が身体...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    珍しい人に会いました。お化けを見たと騒いでいるのです。この近所に世田谷城の刑場跡があり、その近辺は近代的なお家が静かに建っていますが殆どの住人はその歴史を知りません。10年ほど前、某駅からタクシーに乗り行き先を告げると<お客さん、かんべんして下さい>と運転手さんが言いますので、どうしたのですか、と聞くと、実は今、そのあたりでご婦人を乗せたのですが、この駅に来たら乗っていないんですよ、と青い顔をして私に言うのです。心理療法では患者さんがお化けを見たと錯乱している事例でも決してその言葉を否定しません。しかしこの現象を全てその患者さんの大脳の原因と解釈しています。その患者さんにはお化けを見る必要があったのです。幻聴、幻覚、お化け、全てを信じます。その患者さんの大脳はお化けを見る必要があり、もし見なければ他の病理が表出...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    どんな人でも<困った時の神頼み>をしますがこれは人間としての美しい習性でしょう。祈りについて色々の本がありますが難しく考えず、静かに心の中で手を合わせて<神様、どうかお願いいたします>だけで良いのです。全く祈らなくなると人の心は荒んでいきます。アフリカで人類が発生して地球のあちこちに散在していく歴史の中で色々の神話が生まれ宗教が生まれ歴史が流れ出します。その中で祈らない人種はひとつもありません。祈りの心境を忘れないようにしましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    ふと、寂しくなると皆様は、どう自分を対処しておられますか?この対処の仕方で人類の運命がかわっていきます。おおげさだなあ、と感じる方がいたら、困りますが、子供から高齢者まで、この「寂しいなあ」と感じる場面は非常に重要なのです。本を読むのも、どんな本がいいのか、その人により違いますが、結論を先に言えば、自分が持つ「魂」をめぐる哲学をすること、と古来から言われています。プラトンを始め、現代のそうそうたる哲学者、世界に共通する哲学書も重要ですが、なんといいましても今の孤立感を満たしてくれるものは、親密性と愛の領域だとエリクソンは断言します。これからの解釈と実践は、ホモサピエンス個人の責任において生きていく以外方法はなさそうです。親友と語りあいながら、明るく楽しく爽やかに生き抜いていきましょう。新型コロナ騒動で人の運命が...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    少々、次期がはずれますが、お盆になりますと、何となく日本人は郷里の菩提寺を思い出すようです。東京で生活していると自分の菩提寺の宗派を知らない人が増えてきましたが、せめて自分の祖先の菩提寺は大切にしておいたほうがいいようです。魂は確かに人間にあるようですがその自分の魂に対して何をしたらいいかは少し勉強しないと分からないようです。オカルトや奇妙な占いは人々を破壊していきますが祖先の菩提寺のお坊様とは縁を結んでいたほうが健康的です。そのお坊様も時代の流れに振り回されて吝嗇のお坊様と心の広い良いお坊様とに分かれ出したようですので本当のお坊様かどうか識別する必要があるようです。慈悲に富んだお坊様かどうかが一番重要な識別方法ですが祖先の菩提寺をまずは調べてみましょう。その上で吝嗇のお坊様なら新しい道を探すのも自分の魂の安寧...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    Aさんとお話していると色々の知恵が私に湧いてきます。Aさんは私に知恵の源泉を与える不思議な人です。また私から知恵をしぼりとるBさんは私の会話からいつも特許申請をしています。そのBさんは或日、私との会話から、昼寝をしている時に扇子を自動的に動かす装置を実験中、失敗して顔に怪我をして大騒ぎしていました。私は何だか責任を感じましたが相手が勝手に思いついてする行動なので無視することにしました。ところでAさんの話ですが誰と会話している時もその相手は何となく満足し感謝して別れるようです。Aさんには本質的な豊かなやさしさと知恵と愛情が身に備わっているようです。いつも静かに読書し旅を楽しみ講演をして歩いている人です。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    誰が見ても冷たい人なのにその人から<あなたは何と冷たい人>と言われると平素暖かい人と評判の人間は大きなショックを受けます。冷たい人ほど平然と周囲に人に対してこのような言葉を吐くものです。自分の内心では案外自分が冷たい人間だという意識はないのでしょう。何が冷たいのか暖かいのか一概に言えませんが愛の無い人はこの世にいませんので<私とあなた>の関係の中で思い通りにいかないと<冷たい>を互いに言い合うのでしょう。人間は誰でも<愛の孤独感>に苦しみ寂しいものです。更に人間は不安の動物と言われているように本質が不安と言う人間なので余程意識してこの不安感と愛の孤独感を取り扱わないと、どんどん変になつていきます。この複雑な人間の感情を安定させる為に防衛機制という作用を神様はおつくりになつたようです。14の防衛機制に気づいたフロ...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    けちん坊の事を吝嗇家(りんしょくか)と言いますが、誰が見てもけちん坊の人から<君は吝嗇家だねえ>と言われた友人が少々怒って私に哀しそうに苦情を言いました。自分から他人を御馳走したこともなく、何とか人にたかろうとする人から、君は吝嗇だ、と言われたので大変、驚き、かつ嫌気がさしたのです。自分がけちん坊なのに平然と、けちん坊でない他者をけちん坊、だと批判したのです。この現象を投影現象といいますが、この投影について暫く思索します。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    暗い感情とは何ですか?といきなり聞かれても普通はなかなか分かりません。心理療法の世界では暗い感情とは<不安感>ですと答えます。暗い感情としてほかに怒り、身体症状、鬱、錯乱がありますが人間で一番重要な暗い感情として<不安感>だと言い切れるようになるとその手当は意外と簡単なのです。不安感だと認識するまで人はプライドが邪魔をしたり恐ろしいものを意識化したくない心理が働いて、なかなかその不安感を受け入れようとしないのが人間です。自分を暗くしていく実体が自分自身の<不安感>だと分かると解決としてその不安感を生んでいる<理想と現実>を調べます。理想を低くするか、現実をあるがままに一旦受け入れるか、その落とし所を模索するうちに何となく答えが見えてくるものです。暗い感情の実体が<不安感>だと認識してみましょう、おのずから光が見...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    日々身辺に生じるストレスを一括するとそれは<不安感>でしょう。お金が無い、健康をそこねた、女房に逃げられた、会社が倒産した、友達に裏切られた等等です。健康で元気が良いときはこれらの不安は喜んで受け入れその解決に向かって激闘します。元気が無い時はしょんぼりして途方にくれています。健康で逞しい人々はあえて大きな不安感をねじり出しその達成にむけて努力しています。自分の不安感を楽しめれば人生恐れる事なしです。その気になれば誰でもなれます。夢を達成する為の不安感を楽しみながら自分の夢を実現するのが自分の生き甲斐だ、と言える人間になりたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    愛し愛される関係は美しいものですが或日恋人が<自分を愛しているのなら証して!>と迫ってきます。これは自己愛パースナリテイ障害の前兆だと推察して間違いないでしょう。自己犠牲というものは相手に要求するものではありません。愛の証に相手の犠牲を要求するのは愛ではありません。健全な自己犠牲はさりげなく自然に明るく美しく行われるものだからです。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    母親から優しくしてもらった思い出は生き抜くエネルギーですがこの思い出には想像を超えた大きな意味と力があります。教育者となっても政治家になっても、あるいは社会に出て部下を一人でも持つとこの思い出が人々を大事にするノウハウの基礎を構成しているのに気付きます。子供時代両親から適正な愛を受けていないと人を大事にするノウハウに揺らぎがありますが素敵な恋人をもったりすると自分の愛の揺らめきが修正されていきます。意識、無意識に子供時代の母親の暖かい愛が人生を左右しますがこの愛の領域をきちんと説明した人がエリクソンという学者です。人生はいつでも修正できますし問題意識を持つ事が出来れば必ず真実の愛と遭遇出来ます。真実の愛の姿とは何でしょう?この自問自答をしていかないと本当の愛に出合えません。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    信仰を持つ人にとかくありがちな悲劇があります。それは自己犠牲が神様のおぼしめしに合うと勘違いしている人々です。自己犠牲は安っぽいものではなく神聖な領域なのですが思慮の浅い人々は何故かこの自己犠牲にこだわります。神様から与えられた自分の生命、身体、心(成育史)は何よりも大事にしていく必要があるのに、いとも簡単に自分を犠牲にして人を愛したかのような、または神様の教えに従ったかのような錯覚を持ちます。挙句の果てには相当無理しているので不安神経症を呈し始めます。その人が愛だと信じ自己犠牲にしている実情は実は人迷惑なおせっかいであったりします。この自己犠牲について暫く思索します。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    山岡荘八の新太平記は何とも面白い小説です。生き甲斐の心理学の勉強会では時々、源氏物語の勉強をしたりギリシャ神話や日本神話を楽しく学びながら日本人独特のアイデンティティーを思索しつつ心理療法の力を養成していきます。現代日本人の深層心理を良く理解する為には日本独自の古典に親しむ必要があります。この小説を読むと日本人独特の美学を深く認識し改めて日本人の死生観に気づき感動します。古層の文化を現代人はしっかりと継承しているのです。それを知らないと健全なAを病理と思ってしまったり、異常なBを健全と解釈したりしてしまいます。知らないばかりに沢山の人々が自分を変だ、と誤解しているのは正面から堂々と見ないからでしょう。堂々と見る為にはこのような知識が必要ですし吸収することである種の平安感を獲得出来ます。自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

    どんな人にも気付かぬうちに変な怨霊が心の中に住み着いています。うわー気味が悪い、と思わないで、楽しみながら思索してみて下さい。例えば朝、最寄の駅に向かう路上にカラスの遺体を見ると何となくぎょっとして、あーあ、今日は縁起が悪いなあと思います。生活習慣か文化か、縁起が悪いと感じるのは国により文化により違います。日本では<あの娘は太陽のようだ>と言えば良い娘の例えですがインドでは悪い意地悪な娘という暗示です。縁起が良い、悪いの根拠はまさに人により違います。この遠因は人により表と裏、陰と陽、光と影の関係にあるので、何とも判断出来ませんが、それぞれの人が自分の心に取り込んでいる<怨霊のイメージ>が違うからでしよう。日本文化で生きている以上、自分に限り怨霊は関係がない、と言わないで、一度、どんな怨霊が住み込んでいるのか比較...自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

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