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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    時々変な気象があり不思議な現象があります。身体が暑さ、寒さで少々参ってきても元気であれば乗り切れます。さて。今、改めて吉川英治の新平家物語を楽しんでいます。この楽しい、という気分が異常気象を忘れさせるのでしょう。健全な好奇心があると次から次へと別なものに関心が深まり変な気象やロシアの嫌なニュースをも忘れさせてくれます。昔、若い頃、密かに或る女性に憧れ、恋心に振り回されても、暑さも寒さも関係ありません。何かに大きな関心を持つと連鎖反応のように意欲が湧きだし幸福感を感じます。好奇心と意欲は人生の宝物ですので、どんな小さな興味でも大事にしていきたいものです。この小さな興味がなくなると悪い連鎖反応が始まり生きていく目的も生き甲斐も自分を大事にしようとする心がけも生まれてこないものです。健全な好奇心を大事にしたいも...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私は24才の頃、人生の方向がやっと定まりました。人によっては子供の頃からの夢を楽しんだり、苦しんだり、努力しながらその道をひたすら歩いている人生もあります。収入の大小はあまり意識にもなく、ひたすら幸福曲線を歩んでいるようです。かりに理想や夢が実現していなくても、その方向を歩んでいくと、統御感だけは必ずあります。成功、到達していなくても、何とか方向性がきちんとしていて悔いを感じないならば、それで十分でしょう。青年時代の心の世界は嵐のような領域なので壮年、高齢者のような安定感はあるはずもありません。若い命はいつも戦いのような世界です。迷い、混乱、不安定、この中にも、若い生命は輝いています。苦労も苦労と感じないのがこの頃の姿でしょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人が幸せに生きていくには<忠誠心>が必要で、恋人に忠実とか、国を大事にする、会社を、家、社会、それぞれ立場は違いますが忠誠心が支柱となる場合があります。傍目には悲劇ですが江田島の旧海軍兵学校の資料館に行きますと第二次世界大戦の折、特攻隊で戦死した青年の親への手紙が展示されています。その内容は読む人の心をうちます。歴史の評価はさておいて親を想う若者の気持ちに涙が出ます。悲劇ではありますがこの手紙の青年は国の平和の為に死んでいく自分を心から幸福だ、と感じていました。国に忠誠を尽くし親に忠誠を尽くし自分を誇りに思って死んでいきました。神様に忠誠を尽くして殉教していくキリシタンの手紙も驚きます。ネロ皇帝の迫害にあいローマの競技場でライオンに食べられていく殉教者の忠誠心も驚きですが、どうも何かに忠実である事の喜びは...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人生でも一番重要な体験、それが青年時代の混乱感だと言われています。青年時代の混乱感の意味を、当時、先生がきちんと教えてくれていたら大人になって混乱しても悲劇にはならないと思います。子供の頃の混乱感は成熟していない混乱感なのです。エリクソンという学者は13から22才頃の混乱感を心理療法での重要指標としています。この年齢の頃の混乱感がとても重要だ、と言われている理由は、壮年時代から高齢者の人生課程での混乱を治療する時に、13-22才ころの生育史での混乱感の原型を調べて、その成功例をもとに治療していくと短期間の間に治療がうまくいくのです。例えば<私って何と変な人間だろう、私っていつたいどんな人間、私は誰?>と悩んだ13-22才の頃の思い出がそれ以降の人生でも繰り返し同じ傾向と渇望を与え続けます。またこの時代に有...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    青年時代を想い出すと何となく胸が熱くまります。激しい一途さ、いいかげんさ、怠惰、甘酸っぱい恋、自己混乱感、孤独感、色々です。当時の日記は全部、燃やしてしまいましたが、青春は帰らずで、この時代の思い出が現在を支配しているなあ、とも思います。しばらくエリクソンを念頭に、忠誠心、愛、アイデンティティーの統合を今後、どう図りながら悔いのない人生を歩んでいくか、思索したいと思います。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分に生きる希望を与えてくれる世界の名作、この世界の名作を読む事は実に優れた方法です。世界中で読まれている名作は生き甲斐の心理学が主張する<理論>が背景にあるようです。作者は意識していないのでしょうが、その小説で語られている文章を読むと読者は人を信じる美しさを認識します。人を信頼するとは、どういう事なのか、不信感を持つと、どんな運命を歩まざるをえないか、を嫌というほど知らされます。意志力を持つ必要性を感じさせ、その力を自分でも持てると思わせる文章、恥辱を感じたまま生きていると、どんな結末になるか、疑惑を感じたまま生きると、どんな不幸な日々を送る羽目になるのか、この領域を美しく現実味を帯びて書かれた名作は大勢の人々に明るく爽やかな希望を与えてくれるのです。嗅覚で傷ついた人々は美しい香りで癒され、音で傷ついた...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    エリクソンを実際の臨床の現場で使用する場合、患者さんによっては、人生に希望を持つ手法を知らない人に遭遇する場合があります。その人は赤ちゃん時代に余程、十分なお乳やおむつの面倒をしてもらえなかったのでしょう。そんな場合は赤ちゃんは人をあまり信用していませんし、人に不信感をもっています。意志力も欠落しているし自律性も欠落、しかし恥辱と疑惑は人一倍大きい事例があります。この範疇の患者さんは今からの学習で十分回復出来ます。成功体験を積まれるように心理療法家がカリキュラムを作成していきます。年月は必要ですが、必ず成功します。人生に希望を持つノウハウはその人の生育史に合わせて作成されていきますので具体的な教科書はありません。その人の今までの成功体験の事例を聴きながら自信を持たせるカリキュラムを、どう作れるか、心理療法...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    子供は両親の影響を受けて育ちますのでしばしば言われている<ーーーコンプレックス>には該当しません。ーーーコンプレックスと定義する条件は下記の通りです。プロセススケールが7つとも底辺か、或いは(1)アイデンティティーの統合に病的な乱れがある(2)14の防衛機制に病的な乱れがある(3)現実吟味力に病的な乱れがある、以上の診断をきちんとしていない判断は信用できません。日常生活の会話ならばいちいち目くじらをたてるほうが可笑しいのです。笑い飛ばしあいながら楽しく生きていきましょう。さて私はそうは言いましても父親の生育史に大きな影響を与えられていますし、その影響を大変、楽しんでいます。海外の危険な仕事をする時は軍人である父親の悲しさ、辛さと比較想像しながら忍耐していましたし勇気を天国の父親に祈りをささげながら危機を脱...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    結婚するまで女性を見ると聖母マリアに見えてしまい色々の女性に迷惑をかけたようです。なかには<私はあなたが想像するような女性ではありません>と去っていつたかたもおられました。今から思うと私の病理現象だったと思います。この私の病理は少年時代の体験から来ています。小学生の頃、私は色々、悪さをしては母を泣かしていました。母は私の悪さを謝罪に近所の村の家を歩いたようです。海軍の職業軍人であつた父が戦犯にかかり数年家にいませんでしたし疎開先の新潟の田舎は父や祖先が育った村でもあり戦争中は村では父を大事にしていたようです。村の沢山の男達が戦死したのに戦艦陸奥の副長をしていた。父が生き残ったので私達家族への恨みは戦前と戦後は180度変化しました。母が私を諌める時は兄弟の前や人の前では諌めず私を一人呼んで静かにこんこんと諌...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    社会での生存競争、生き抜いている間に色々の大人の体験を積んでいく内に、子供の頃の夢は、遠いかなたに消えてしまっているようです。小学生時代の夢はどんどん変化してはいますが、その頃の生き甲斐のようです。少年少女時代の夢を実現した大人の話は沢山ありますが、普通の人は美しく懐かしい頃の思い出として時々思い出すくらいのものでしょう。エリクソンという学者はぎょっとするような学説を打ち出していて、大人の性格のうち、希望、信頼、意志力、自律性、恥辱感、疑惑、目的志向性、勤勉、劣等感などは、ほとんど、この少年少女時代の後半には原型が確立されている、と主張しているのです。素晴らしい洞察力なのですが順調に人生が流れている時はこの思想はまあ、ふーん程度に考えているかもしれませんが人生に破綻したり幻滅したり神経症になつたりした時の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    身体症状は日常生活に原因がありますので、先ずは、自分のストレス曲線(不安感、怒り、欝等)を自覚する必要がありますが、お金、社会的な地位、学閥、人間関係など多分、死ぬまで消えない問題を私達はいつも抱えています。ストレス曲線は冷静に考えると案外、自分の心がけが原因のようです。そこで古来から面白い質問を賢者は考えてくれました。それは自分は何の為に残りの人生を生きていくのか、という質問です。答えは中々すぐには出ないのですが、非常に勇気が湧いてきます。身体症状はこの質問を自分に浴びせることで何となく消えていく場合が多いようです。生き甲斐の追求も身体症状を消してくれます。その理由を神学者は魂のエネルギーだと答えている人もいます。自分が所持する魂はこの質問が大好きなようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    身体症状が半減していく共通現象があります。何がなんだかわからないイライラが身体症状を露呈させます。フロイドの治療目標の理論は<無意識の意識化>ですが、この意味は下記の事を意味しています。自分が何をイライラしているのかその内容をノートにきちんと書ける事例ならば解決は近いのですが何をイライラしているのか不明な事例が一番危険です。最悪のシュミレーションが描けるようになれば神経は大分落ち着いてくるものです。ましてどんな結末が自分にとってのハッピーエンドなのかが描かれればもう大丈夫です。その為にはイライラなどの気がかりを幾つくらい今、自分は所持しているのかを冷静に数える必要があります。その中でもどれば一番気がかりなのかを選択する案外難しいので、今の自分にとってどれが一番大事なイライラかを選択するだで身体症状は軽くな...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    新平家物語の中に架空の人物と推察しているのですが崇徳天皇の柳の水の守り人として登場してくる麻鳥という人物がいます。この人物は物語のスキマを美しく埋めてくれますし物語の隙間を楽しく、かつ、潤いを与えてくれる素敵な人物です。流刑先・讃岐の崇徳天皇を陰ながら訪れ塀越しに笛を吹く場面はしみじみと人間の情の温かみを感じさせます。後日物語を盛り上げていく祇王の少女時代、人さらいの明日香ちゃん(祇王の少女時代の名前)をこの麻鳥が救う場面があり、その少女が後日、清盛に愛される祇王なのですが、この人物を織り成していく吉川文学は実に楽しく生き甲斐の心理学が求める人生の夢をさらりと爽やかに理屈ぬきで人々の心に生命を与えていく筆に頭が下がります。人は魂、心(生育史)、身体で構成されていますが、この心は美の世界に触れないと死んでし...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    このブログは世界的な諸理論、例えばユング、フロイド、エリツクバーン、カールロジャース、そのほか、大学病院などで使用する考え方を私流で1冊にまとめたあり、私の著作:テキスト<生き甲斐の心理学>として東京四谷のサンパウロを発売元として愛読していただいています。是非お読み下さい。このテキストを自分の生育史を大切にしながら、生きようとしますと、自分のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱の5つ)が少しは減るはづです。とにかく答えは自分の中にあると信じて、学問を応用しつつ、その答えを意識の上にあぶり出す努力をしています。ですからどんな病気であつても、心の世界を明るく爽やかに、かつ、元気にして、その上で、持病がありながらも元気に生き抜いていける知恵を互いに努力しながら探求しようと模索しているわけです。色々の医...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    季節によりますが身体症状は色々とでてくるものです。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6つの組み合わせで人、様々なので一概に言えませんがこんな現象に左右されるのは馬鹿馬鹿しいので何とか知恵を巡らせて明るく元気に生き抜いていきましょう。身体の器質に障害がある場合でも考え方で相当良くなりますので一緒に楽しく思索していきましょう。考え方を変えたり解釈を変えると身体症状は驚く程、変化します。その目の付け所を精神病理学者は生涯をかけて思索し論文を書いてきました。その中から生き甲斐の心理学が役立つだろうと決断して書いたものが私達の<生き甲斐の心理学>です。このテキストは本当に自分と世のため、人の為に書かれた本ですので是非、座右の書として下さい。これから更に分かりやすく、その視点を書いてみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世の中には色々と偉い人がいるもんで、このところ私がしみじみと感謝している本があります。題名は<自分史年表:副題脳を活性化する>で、この本の左ページにはその年の出来事が色々と書いてあります。私が誕生した年の政治、事件、映画、流行歌、スポーツ、風俗、流行語、新商品、物価などが案外細かく書いてあり自分が育った毎年の歴史等の流れは良く理解されます。この本を読み、同級生を観察すると何となく類似した性格がみてとれます。自分が努力しなかったから、こんな自分になってしまった、などと余計な心配が吹っ飛んでいきます。性格形成はこの時代の流れが大きく支配していることに気づき何となく安心してしまうのです。座右の書として愛読するとこれからの生き方に沢山の知恵を与えてくれる本です。その上で自分流に生育史を大事にしよう、と決意しつつ過...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    悔いのない人生とは何だろう?そんな人生計画を樹立する際の貴重な記憶が自分の生育史ですが、嫌な思い出を許される限り勇気をもってあぶり出す事も場合により必要なようです。古傷にふれるのは少々危険なのですが、いつまでも古傷のまま放置しておくと、かえって人格障害のような現象が出る場合もあります。運命の悪戯、不可抗力の出来事、いろいろですが、せめてその古傷の解釈を変えてみる勇気も必要なようです。解釈を変えると暗い思い出が貴重な思い出に変身する場合もあるからです。更に、その上で、良い思い出、素晴らし思い出、幸福な思い出、爽やかな幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)の思い出、そのお気にいりのシュミレーションを描いていると、人は考えた通りの人生をあゆみだす、とも言われています。身の丈に合ったシュミ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が嫌いな人が意外の多いのに驚きます。本人に言わせれば自分が嫌いだとはつゆつゆ思っていないようです。例えば自分に非常に似たような人と会うと理由なしに嫌う現象です。この現象は誰にでもあることなので異常とか言う問題ではありませんので気にしないで読んでいただきたいのです。自分に似た人に会うと照れくさくなったり恥ずかしい感じも湧き出しますし鏡を見ているような気分にもなります。さて自分の過去の思い出は色々あるのですが自分の人生の記録である生育史が実は世界で一番重要な記録だと考えていない人がいるようです。どんな偉人の記録よりも自分の生育史がどのような意味で大事かを考えみましょう。悔いのない人生を生きたいと考えているのが条件ですが、悔いのない人生を造りあげる為のノウハウが、どの本よりも自分の生育史の中にあり、その分析...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    気になることを幾つかノートに書き出します。これを<エゴ・ダイナミックス・ノート>と言いますがこのノートは人に見られないように注意しましょう。ある時期にきたら燃やすか生ゴミに入れて処分していく習慣を付けると便利です。このノートに不安感を箇条書きにして書くのです。そしてこの不安感はどんな理想と現実のギャップから生まれているかを書いていくのです。現実吟味力の欠落に気づいたり自分の深層心理の働きの中にやたらと抑圧、抑制、逃避、感情の転移、投影などの働きに異常なものを見つけたり考え方に整合性がない自分を発見したりします。現実の解釈の仕方が暗いほうへ、暗いほうへと、解釈している自分にはっとしたりします、自分はどうして明るく解釈が出来ないのだろうか、悲観的で前向きでないのだろうか、希望力、信頼力がなく疑い深い人間なのだ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    不安感に苦しむ人には申し訳ありませんが、その対処の方法を基礎から学習していかないと生涯悔いを残します。不安感とはその人の生育史で構築された理想の領域(第二領域とも呼ばれる:こうありたい、あらねばならないと思い込んでいる考え方)と現実のギャップから生まれてきます。ここでは理想も解釈も病理的なものは無いという前提で説明していきます。健全で逞しい人は敢えて高い理想を掲げ、その現実とのギャップである負のエネリギーをバネにして理想を追求し努力する事を生き甲斐としていきていますが、少々人生に疲れると、そうもいきません。ひたすら悩み、不安を感じ、その扱いに苦労するのが普通の人間です。不安感には過去が遠因の不安感もあれば現実の問題処理への不安感もあり、将来への不安感もあります。更には魂の領域の不安感(宗教の領域)、生育史...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私を含め現実に暗い気分、不安な気分に陥ったときは、案外慌てているのに、その慌て状態に気づいていません。意識しているようで、おろおろしているのが普通の人間です。冷静なようで実は冷静ではないのです。私には信仰が少しあますので、自分が変だなあと感じるときは書斎で一人静かに神様に祈る習慣がありますから何となく落ち着いてきます。この繰り返しが私の人生のようです。人間の困る所はこの暗くて不安な時ほど過去の類似事例がどんどん重なり益々気分を悪い方向へと自分を押しやっていく傾向があるようです。ここで色々の宗教が学問を大事にしない傾向がありこの精神現象を悪魔とか悪霊とか民間信仰に結びつける文化です。ストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱の5の精神現象のこと)を信仰生活で思索する前に現代の臨床心理学できちんと対応して...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    精神病理学が定義する健全な人格の人が病理学でいう異常な人に遭遇した時、そこに言葉にならない不気味な感情が湧き出す事があります。この辺の勉強をしていませんと何だか自分が変になってきたような感覚にとらわれます。この湧き出してきた感情を<プレコックス・ゲヒュール>と言います。人間には不思議な才能と感覚を何故か備わっていて、インスピレーションのような直感による識別力で、治療に成功することもありますが、この感情の意味を知らないと健全な人が病的な人に流されていき自信喪失現象をお越します。生き甲斐の心理学でもこの自己愛パースナリテイ障害の研究は常時勉強していますし臨床体験の中で相手に迷惑をかけないように慎重に識別していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人を憎みますと無駄なストレス曲線がどんどん湧き出てきます。またむやみに他者を侮蔑したり独善的ですと益々ストレス曲線が増加されます。丁度、天に向かってツバを吐くような生活をしますと無駄な感情生活がどんどん湧き出します。日常生活での自分流の平安感をどう保持出来るか、これは心構え一つでずいぶんと左右されるようです。湧き出してしまった感情は処理不能ですが考え方を変えるのは感情の処理より遥かに簡単です。考え方を変えたり体験の解釈を変えたりしながら自分の不安感、怒り、欝などの暗い感情を洞察している内に段々と自分が自分を暗くしていることに気づきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    倫理道徳を大事にする事は必要ですが生育史が違うので心理療法ではケースバイケースで対処していきます。精神病棟の入居者の悲しさ辛さは体験してみないと分かりません。あの辛さは人生で味わいたく無い場面です。廃人のような辛い日々を送る前に倫理道徳を超えて冷静に処理の方法を自分流儀で考えておきましょう。湧き出してしまった感情を抑圧、抑制するのではなく感情転移、投影、合理化、昇華の手法を自分流儀で開発しておき上手にエネルギーを発散出来ます。具体的にどうするか、は教科書がありませんのでその人と個別に対応していく必要があります。発生した感情は抑圧処理ではなく流れを変えるのが賢明です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    毎日の生活で湧き出してしまった感情の取り扱いに失敗すると人は心を病んでしまいます。特に宗教関係者での愛の孤独感と性の関係は余程上手に指導していかないと男女の聖職者を病気にさせてしまいます。どの宗教でもそうですが上司やその筋の指導者がきちんと生き甲斐の心理学を勉強していないとそれら若い聖職者は気の毒な人生をさ迷います。暫くこの湧き出してしまった感情の取り扱いについて思索していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    感情とはその人の生育史で構築された大脳内の理想領域(第二領域)と現実のギャップから生まれてくるもの、森羅万象に触れた時に生まれてくるもの、原因は色々の刺激ですが、どちらにしても赤ちゃんから今日までの自分の人生(生育史といいます)がほぼ100パーセントつながっています。湧き出してくる感情は実に貴重なもので、どんな感情でも意味があります。ですから湧き出す感情を否定することは自分を否定することになります。この系統図を生き甲斐の心理学ではしつこいくらい勉強していきます。一度しかない自分の人生を大事にしないと他者を大事にする意味、人を愛する意味すらわからなくなります。生育史は世界で一番大事な宝物。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どうも体調が悪い、何となくさえないなあ、と悩む事があります。または、どうしてこんな病気になったのだろう、と不思議に思い、あれこれ素人談義をしてしまいます。これもまた大事な自己管理かもしれませんが問題は悩みの内容いかんで、かえって症状を悪くしてしまうケースがあることです。ぐちゃぐちゃ悩むそのストレスが遠因で悪くしてしまわないように原因をすっきりさせる方法があります。心と身体の病気は、どんな場合でも下記の6つの組み合わせで発病しますので、この程度で納めておき、あとは専門医にある程度まかせましょう。その6つとは、遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6つです。この6つの組み合わせは人の生育史が違うので発病形態は違います。この6つの要素を意識しておくので十分です。感情の曼荼羅の世界を無駄な不安を混入させない配慮...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    趣味は沢山あり、毎日、あちこち飛び歩いていても、何となく本人は落ち着きがなく、本当にあれが生き甲斐なのか、と疑問に思う人が沢山います。本人の問題なので口は挟めまぜんが、本当の生き甲斐は一つでも十分なのです。感情の曼荼羅を冷静に洞察出来るようになると、同じ喜びでも、平安感に通じていて他の喜びに比較してじわじわと幸福感を感じるものがあります。なんと幸せなんだろう、と思います。統御感があり筋が一本ぴしーっと通った感じもしますし、あまりにも幸福感を感じるので、なんとなく周囲の人に感謝したくなります。つまり幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)をしみじみと五感と体感に感じてくるもの、これが本物といわれるものです。生きていて本当に良かったと言い切れるもの、それが本当の生き甲斐。五感と体感レベルで...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の感情の曼荼羅とは何か、と言いますと朝、目が覚めて夜寝るまでの色々の感情のことを生き甲斐の心理学では感情の曼荼羅と定義しています。この曼荼羅にはどんな知恵が潜んでいるかと色々の学者が研究しました。神学者は感情は魂の会話、という人もいれば、あらゆる知恵が感情に隠されているという哲学者もいます。生き甲斐の心理学では主に(1)何の為に生きているか、(2)生き甲斐は何か、(3)魂、生育史、身体をどのようにして大事にしたらいいか、この3つを感情の曼荼羅から探ろうとしています。例えば(1)の場合は、その人の虚無感に焦点を当てます。何となく虚しい、何をしても楽しくない、仕事も面白いし友人も沢山いるが、なにをしても充実感が無い、この事例は明らかに人生の目的を意識化しない限り解決しません。何の為にいきているのか、この答...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    毎日多忙な生活をしていますと自分の心の世界、特に感情の世界には<感情の曼荼羅>とユングが呼んだ世界がある、という意識すら無いのが普通です。たまに立ち止まりこの感情の曼荼羅、という世界をゆっくりと観察してみましよう。世界には名曲、名画、素晴らしい文学作品が沢山ありますが、視点をこの感情の曼荼羅、という目で自分を洞察する方法を知ると、何とも素晴らしい感動の世界が自分の中にこそ存在していた、と気づきます。暫くこの感情の曼荼羅の世界を垣間見てみましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    いつも欲求不満で文句たらたら、暗い顔をしてストレスだらけの人間に会う事があります。色々と事情を聞くと、こちらが惨めになりますが、何とも気の毒な人生に遭遇しているようです。しかし、段々と事情を深く聴いていくと森羅万象の解釈に問題があり、何に対しても良い解釈、明るい解釈が出来ない人だなあ、と思う事例を沢山垣間見てしまいます。コップに水が半分ある場合、まだある、と努力する人と、もうだめだ、と解釈する人の違いです。生き甲斐の心理学では、生育史の思い出の中から感謝、満足した事例を意識的に沢山思い出させます。この感謝、満足は第二領域(理想の領域)と現実の解釈の重なり部分から生まれる感情です。人生、いつも理想を追求して元気に活躍出来ればそれにこしたことはありませんが、たまに、立ち止まり、この第一領域を思索し、心を感謝と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    感情の世界(第三領域)が健全かどうかを検証する時、湧いてくる感情を倫理道徳から比較考察する心理療法家がいたら、それは問題でしょう。湧いてくる感情には生育史上、非常に深い意味があり、湧いてくる感情の意味を暖かく親切に解釈していかないと人間は破壊していきます。湧いてくる感情の意味をいつも自己実現(何の為に自分は生きているか、生き甲斐は何か、魂と生育史と身体を大事にしているか、この3つを自己実現と生き甲斐の心理学では定義しています)という視点から解釈していく必要があります。また、この感情の中には、無限の宝物、気づき、知恵、方向性、幸福のありよう、理想の内容が潜在していますので、感情の世界を学問として冷静に捉える必要があります。湧いてくる感情を否定も肯定もせず、その意味を冷静に解釈出来る勉強がこの生き甲斐の心理学...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    第二領域が現実離れしていて実現不可能の場合とか実力を超えた理想を描いている場合は人はいつもイライラしたり欝になったり劣等感をもつたりします。人の悪口を始終、口にしている人を観察すると、自分をさしおいて自分の理想から人をさばいています。この第二領域は自分と他者を混乱に押しやります。現実吟味力の無い人、心が欲求不満だらけの人(14の防衛機制:抑圧、感情の転移、投影、合理化など)、考え方の整合性の無いひと(アイデンティティーの統合に病的な乱れのある人)はこの第二領域に問題があるのでその異常性に気づかない限り,生涯苦しみます。自分の深層心理に潜在しているこの第二領域をあぶり出す方法は日々の感情(第三領域)を意識化し、不安感、怒り、身体症状、欝などの感情を記録しておき、その感情を逆に遡ると、どんなギャップから出てい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界的な常識として心理療法では人の心を3つに分類しています。第一領域:感謝、満足の世界、第二領域:こうありたい、あらねばならない、こうありたい、という理想の領域、第三領域:感情の領域、この3つの領域を意識化するだけで日々の混沌とした心の世界が明確になってきます。日々の不満、不安、イライラ、欝、これらは全て感情の領域、つまり第三領域と呼ばれているものです。この感情は理想の領域である第二領域とその人の現実のギャップから生まれてくると解説されています。理想と現実のギャップが感情となつて発露されてくるわけです。この流れ、原理を意識化しておくと、例えば欝の原因は第二領域と現実のギャップですから、自分はどうありたいのか、あらねばならないのか、あるべきなのか、という生育史上から生まれてくる考え方を模索、調査すると、その...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    精神現象の一つに異常があれば、それを個性の美なのか、病理なのか、慎重に洞察しつつ対応していきます。対処療法は必要ですがその終結には何の為に生きていくのか、生き甲斐は何か、自分を大事にする方法を魂、生育史、身体に分けて説明していく必要があります。どんな治療でも、何の為にこれからの人生を生きていくのかを必ず意識化させないと繰り返し同じ入院を繰り返してしまいます。どんな場合でもこの自己実現への道を意識化していないと今までの努力が無駄になりますので、答えがその場で意識化出来なくても、この自問自答を生涯、ぶつぶつ念仏のように自分に問いかける習慣をつけていただきたいものです。そうすると自分の人生に必要な悩みを喜んで悩み、不必要な悩みを排除出来ます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    精神現象の一つに異常があれば、それを個性の美なのか、病理なのか、慎重に洞察しつつ対応していきます。対処療法は必要ですがその終結には何の為に生きていくのか、生き甲斐は何か、自分を大事にする方法を魂、生育史、身体に分けて説明していく必要があります。どんな治療でも、何の為にこれからの人生を生きていくのかを必ず意識化させないと繰り返し同じ入院を繰り返してしまいます。どんな場合でもこの自己実現への道を意識化していないと今までの努力が無駄になりますので、答えがその場で意識化出来なくても、この自問自答を生涯、ぶつぶつ念仏のように自分に問いかける習慣をつけていただきたいものです。そうすると自分の人生に必要な悩みを喜んで悩み、不必要な悩みを排除出来ます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    昔、モスクワでの飛行機事故の際、スチュワーデスに向かって汚い言葉で罵声をあびせる高齢者を沢山見ました。若い人々は恐怖の叫びをあげてはいましたが罵声は飛び出しませんでした。私自身は心理療法の理論(終末治療)の一つである教授の言葉が脳裏を去来していましたが案外冷静で胴体着陸を経験しました。死を覚悟(アイデンティティーの統合)し、全てを神様に委ね(防衛機制を開放)、まずは救われる事はないだろう(現実吟味力)と判断し見苦しい死にかただけはやめようと滑走路に突入していきました。どんな場合でも生き甲斐の心理学は役立ちます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人から<あなたの努力は無駄>なんて言われたくありませんが、とにかく疲労困憊していく自分を観察すると、実に多くの無駄をしています。人間の生涯での心臓の心拍数は決まっているようで大脳の寿命(120年)に合わせてその可能性は高いようですが、心がけでいかんで心拍数を支配することも可能です。小心者は一年中、はらはらドキドキしているのでその最高値に自分から無駄な心拍数を消耗していきます。生き甲斐の心理学はこの医学的範囲を無駄にすることのないように勉強をすすめていきます。大変ですがいつも自分は何の為に生きているのかを思索しつつ日々の方向性に無駄がないように配慮していく必要があります。方向性、生き甲斐が見えてくると、どーんと構えて無駄な時間がなくなります。無駄とは自分の方向性を妨げるもの。方向性がない人にとって何が無駄な...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    学生時代は自分にどんな能力があるか不明なので色々と挑戦しました。司法試験、外交官試験、パイロット試験とそれはそれは毎日疲労困憊したものです。ある日、これはもう無駄な努力だとやっと認識しパイロットの試験を断念したところ急にエネルギーが集中し、さらに司法試験を断念、外交官試験に集中しました。時、すでに遅し。合格したのは幼稚園の頃から英語を習っていた同級生でした。これにこりた経験から社会に入ると努力目標を絞り込む傾向になりましたが、ふと、自分を疲労させる原因が倫理道徳にあることが判明しました。価値観、人生観を絞り込みますと益々、自分の無駄なエネルギーがどこから生まれているかが明確化されました。人生経験と知識のなさもありましたが、思い込みの強い自分に反省したものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    このブログは心理療法の基本を、楽しみながら学習しようとしています。主に学問・教育の分野の話が中心になりますが、理論を知っていて失敗する場合と知らないで失敗するのとでは、人生の結果として大きな開きが必ず生まれてきます。臨床の現場では学問や理論がひたすら虚しくなりますが、それは応用解釈が下手だからで、この学問を無視するともっと大きな悲劇が生まれます。学問は虚しい点もあるけれども諸先輩が生涯をかけて生み出した理論を大切にして生き抜いていきましょう。暫く無駄な悩みについて思索していきます。無駄な悩みとは自分の価値観、人生観、倫理観の設定が自己実現とかけ離れていた場合、自分の日々の努力を無駄にしていくので、その分析をしようとしています。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    朝、目が覚めて夜寝るまでの時間に、いつも気楽に思い出せ、その言葉が自分を平安感にしてくれるものが一番良いとされています。その言葉が義務感を感じさせたり、なんとなく正義感を燃え立たせるものは長続きしません。自分をほっとさせる安心感が条件のようです。言葉にしてしまうと白けるのでここではあえて言いませんが、私の場合「ーーー」です。この言葉を心に浮かべるだけで、もう幸せ感が湧き出てきます。自分を元気にさせてくれる言葉は人により全部違います。しかし、なかなか見るかりませんので友達と会話してみて、どんな友達の言葉が自分を元気づけるか、のんびりと思索してみましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幸福感と幸福の条件は違いますが、この違いを明確に意識化しておかないと、とかく座右の銘は人生をダメにしていきます。普通、人々はこの二つの違いを意識して生きていません。幸福感はどんなに貧しくても病気の時でも感じますが、幸福の条件は自己実現の内容により違います。結婚する相手は外交官、金持ち、というものが条件ですが、幸福感はどんな環境でも感じます。終末治療で息を引き取る人が自分の人生は何と幸福であったことか、と感謝しながら死んでいく、その時の感情は幸福感の一つです。良い座右の銘を設定してもこの幸福感と幸福の条件を意識して活用したいものです。例えば「意思ある所に道あり」という座右の銘を所持している人の場合<幸福の条件>を意思で到達しようと努力しても、いつまでも<幸福感>は生まれません。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界中で使用されている「自己実現」という言葉ですがその意味は万とあるようです。どの意味でこの言葉を使用するかは、その人の自由ですが、生き甲斐の心理学での意味は3つあります。(1)自分は何の為にいきているか(2)自分の生き甲斐は何か(3)自分を大事にしているか、この3つです。この3つの答えを獲得するには生涯かかるかもしれません。ですからそれぞれの現在の立場から、この3つを意識して樹立する座右の銘が必要で、この3つを無視したりすると、せっかくの座右の銘が自分を苦しめる事となります。座右の銘は人生を勇気づけ希望をもたせ大きな喜びと平安感を生むものでないと意味がありません。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    教育事業はとても大切ですが教師は心と身体が発病寸前を識別するノウハウを持ちません。しかし、そうかと言って教師は心理療法家であつてはならないのです。国語の先生は国語を教えていればいいのです。教師は自分の専門科目の先生でいて下さい。相手がどんな心と身体の状態であつても数学の教師は堂々として信じるままに数学を教えていて下さい。疲れはてた子供を心理療法家が担当すればその子を元気に回復してくれます。気にしないでこの記事をさらりと斜め読みしてくださればそれで十分です。例えば<意思あるところ道あり>という座右の銘としましょう。患者の主訴は(1)何故、自分は意思力がないのだろう(2)何故、自分は道をぐらつかせるのだろう?、この二つの主訴を洞察したセラピストはその患者の生育史でシュミレーションされた理想と現実を洞察していき...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人生には大事なものとして昔から座右の銘を決めておき折にふれ意識するように先輩から指導されて生活しています。元気な人には関係ない話かもしれませんが、入院患者の中には、この座右の銘が遠因となり自分に相当無理をさせ、この無理の為に自分を疲労困憊させたとは想像出来ないようです。皆様はどんな座右の銘を意識して生きておられるでしょうか?座右の銘が極度のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込んでいないかどうか、再点検したほうがよさそうです。生育史により相応しくない座右の銘があるのです。皆様には信じられないでしょうが今までの事例を具体的に話しますと、<沈黙は金><木を見て森を見ず><義を見てせざるは勇なきなり><意思あるところ道あり><果報は寝て待て><七転び八起き>。何故だろう、どうして座右の銘...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    芸術を愛する人々は自分の五感と体感、感情の領域を大事にするので何となく現実吟味力が欠落しているように周囲から見られ、とかく変人扱いにされて育ちます。周囲の言動を人間は気にする動物なのでやむをえません。周囲の言動で人格が育つように神様はお創りになったようです。病気ではないのに、自分からこの周囲の言動に支配されてしまい自分を病気だ、と思ってしまう人々が沢山います。残念なことです。ここから神様が与えてくださった学問の出番が必要で、どこからどこまでが変人なのか、少し勉強する必要があります。この勉強は案外難しいのでこう考えたらいかがでしょうか?自分の心に湧き出す感情は魂の会話である、魂はあの世とこの世を結びつける重要なものなので、とかく永遠の世界を見る傾向があります。心(生育史で体験的に作られた価値観)と身体は大脳...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大事なものは血の出るような努力をしないと手に入りません。これは人類の鉄則です。楽をして貴重なものを手に入れたいという人間の願望が科学を発達させましたが私達庶民は努力、努力、また努力の人生なのです。このプロセススケールの知識を身につけるのは大変ですが人生の苦労に比べれば楽な範疇に入ります。生き甲斐の心理学第3章を見て下さいとここで申し上げても皆様何故か勉強してくださらないので簡単に書いてみます。7つの視点があります。(1)自分の湧いてくる諸々の感情を倫理道徳も大事ですが、ここではそれを無視して何故この感情が湧いてきがのか、その意味を暖かく見守りつつ自己否定しないで解釈すること(2)一日の心の流れを静かに見守りどんな流れをしているのか冷静に見ていくこと(3)心の奥底の感情、思考と意識の世界と発していく言葉が一...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日本は法治国家ですので医療の世界でも各種の法に基づき病名をつけ点数計算がなされ支払いがなされていきます。病名をつけるべきでない事例でも必ず病名をつけねばなりません。こんな微妙な事例でつけられた病名をある種の人々は不安神経症的にその病名で苦しみます。ここから暮らしの中のカウンセラーの出番が始まります。担当医師の名誉を傷つけることなく患者さんにきちんと臨床的な説明を開始していきます。器質障害の場合は医師と協力しつつ心理療法を展開しますが、医師がこれは器質障害ではなく心因性病理だと診断した所から心理療法家の出番です。微妙な領域の部分で仮に病気だとしても心構えで病気が完治する事例は山ほどあります。持病があっても心の世界は自由ですので明るく爽やかに心を維持するノウハウを覚えると身体の免疫力は倍加していくものです。自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「私以外は全て変人」と内心考えていたほうが案外正常かもしれません。他者の批判をする会話をいたるところで聞きますが、あまり良い感じがしません。70億の人類が互いに個性の美を認め合えば案外争いは激減するでしょう。相手を美化したり相手を勝手に理想化する所から恋や愛の領域で事件が起こります。勝手に理想化される人も迷惑でしょうし思い込むほうもエネルギーの無駄をしてしまいます。自分以外は全て変人、と思うと案外、平和が訪れてきます。しかし条件が必要で(1)相手を侮蔑してはいけない(2)自己肯定、他者肯定の思想が必要。この2点さえ心得ているとこの思想「自分以外は全て変人」は自分と他者をおおらかに安心して平和共存が出来ます。相手を馬鹿呼ばわりしたり奇人変人と侮蔑したり病人扱いしたりする悲劇はこの思想を持つとどんどん半減して...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日本にはカウンセラーの国家試験がありません。国家認定のカウンセラーと自称するような人がいましたら告発して下さい。イギリスやアメリカは総合的なカリキュラムに基づいた厳しい国家試験があり難関です。さて日本ではそれぞれの学派で良心的に長年の教育を経て資格認定をしている団体もあれば数箇月で認定するいい加減な団体もあります。私達は最低三年の教育カリキュラムを要求しており最初の試験が三級、5年以上のカリキュラムで二級、10年の勉強と臨床体験で本免許となります。さてここではどんな学派であれ、心理療法家、精神科医、色々のカウンセラーの大きな過ちについて思索していきます。一番大きな過ちは「病理」と「個性の美」を識別出来ない人々がいることです。非常に難しいのですが、個性なのか、病理なのか、を理論的にも臨床的にも言語化出来ない...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    政治家の仕事は本来神聖で愛にみちた仕事なのですが、なぜか、地球を汚す政治家が多いようです。この遠因は政治家にも責任がありますが、もともと人間が持つ<業:ごう><悪><愛の欠落>に原因があり地球上の至るところでの人間のぶつかり合いが素地となり国際政治での争いとなるのは、この為です。ローマンカトリツクではこの人類誕生以来の哀しい出来事を<人間の罪深さ、どうしようもない人間の非道な性格>を<贖罪と復活の思想>で解決しようとしてきました。仏教では<業>と呼び仏の慈悲にすがる祈りをしてきました。世界中に色々の宗教があり人間の救いを、それなりの文化の中で、なんとか解決しようと、あれこれ時代に応じて努力してきたわけです。金儲けの宗教が時々出現するものですから、心ある人々は宗教を毛嫌いしますが、美しい宗教、まともな宗教は...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心の世界は何と面白いことか!森羅万象の面白さ~宇宙、地球、植物の世界、人間の身体の不思議さ、全ては自分の心の目を通して、身体を通して、この私の五感と体感が感じ、大脳で意識化されています。感動したり悩んだりするのも、所詮は私自身の心の世界の出来事です。死んでしまえば、この感動はありません。さて、<独断と偏見>という視点は大切な反省のポイントですが、最近はあまりこの視点から人々は騒がなくなりました。多分、言語という狭い世界では表現出来ない事を、DNAの世界や量子力学の研究もあり、あまり言語で非難しあう愚かさに気づきだしたせいでしょう。相手を独断と偏見だ、と非難する人を色々調べると、その本人のほうが、案外、平然と独断談義をしていたり、偏見だらけな人である現実をインターネット化した現実から無意識に反省しているせい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    独断と偏見のどこが悪いか、といいますと心理療法の世界では<自己肯定、他者否定>の傾向にあり、かつまた発信者の個性が強すぎて傾聴に回る人が不快感を感じ幸福感を喪失させられるからです。聞かされるほうは恐怖、嫌悪感を感じていますし社会に暗い影を与えていきます。さて、独断と偏見の傾向があっても<自己肯定、他者肯定>の傾向があり自然体で明るく爽やかない人もいて、そんな人の周囲には人が集まります。政治家、組織の長の<独断と偏見>は人を不幸にしますが、それでは庶民である私たち一人一人はこの問題にどう修行していけばいいのでしょうか?孤島に一人で住むならば問題はないのですが、法治国家で生きる必要のある私たちですが、萎縮することなく、これからも堂々と自分の意見をなんと言われようと言い続けましょう。<真理を含む独断と偏見>も沢...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    相性というものもありますが自分の意見を持たない人と時をすごすとあくびがでます。失礼なのであくびは我慢しますが、何となく時間が無駄なような気がします。またあまり勉強もしていないのに、酷い意見を堂々と言う人もまたつまりませんし何となく恥ずかしくなり席をはずしたくなります。自分は何の為にいきているのか、を常に思索している人からは非常に面白い意見が出てくるものです。私の知人に最近、動物園にパスを購入して色々の動物を観察し、面白いブログを書いている人がいますが、この前はカールロジャースの人格形成論からチンパンジーを分析していました。この臨床事例をもし上手に書いたならば案外修士論文になるかもしれません。この方と会話すると数時間は続くでしょう。自分は何の為に生きているのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の魂、成育史、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <独断と偏見>に満ちた論文と言われた人が後日ノーベル賞をいただいたりします。ですから同じ事を言われても不安感に苛まれたり劣等感に悩まされたりしないようにしましょう。<私は私>として堂々と生きていこうとすると、とかく独断と偏見だ、と虐められる事例が多いようです。この独断と偏見について暫く思索していきます。さあ、腹を決めて自分の信じる意見を何と言われようと、まずは堂々と言いながら生きていく決心をしましょう。本当に人への愛に反する<独断と偏見>の場合は、世間が束になつて自分に襲いかかってきますから、その時は現実吟味力を発揮して対応していく必要があります。泣き寝入りしたり委縮していたら、いつまでも自分の成長はありえません。堂々と意見を言う人ほど、鍛えられ短期間に成長していくものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は案外気弱で優しいところがあり、周囲の評価を気にしながら生きています。褒められれば安心するし気分もいいものです。反省の傾向、劣等感、良心の呵責等などの要因から、人はとかく<私は私>という意識が欠落しがちです。小学生から高齢者まで、どんな人生の段階でも、私は私でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない自分として生きていこう、と中々気付きません。私は私、と言いながら勉強し、努力していくと、実に悔いのない人生が送れます。良い意味での居直りは自分を育ててくれます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    お金があれば人生、安心ですが、お金、お金、お金が全て、という人に時々お会いすると何となく人生が空しくなります。何故空しくなるのか、昔からその理由を哲学者は思索します。人間は魂と心と身体の3つで構成されていますが、魂が警告するようです。この魂とは何か、というと<魂は永遠不変のもの、病むこともなく、老いることもなっく、愛そのもの、臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である>と定義しています。諸説ありますが、この定義が一番、心理療法に役立ちます。心と身体は時々病気になりますが、神様が創造した魂は病むものであるはずがありません。何かに異常に依存すると良心の呵責、という形で心のどこかに警鐘が流されますので安心して生きていたほうがよさそうです。環境は激変していきますので、人は適応して生きていかねばなりません。あ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法の世界で一番恐れるのが<自己愛パースナリテイ障害>と呼ばれる精神現象ですが、この現象は人類発生いらい存在しています。しかし現代では6つ以上の精神現象が同時に併発していないとこの病名はつけない約束になつています。下記の精神現象を6つ同時に併発している事例はあまりありませんが、この現象は人間ですと全員がもつているものですので、参考にしておいて下さい。テキスト<生き甲斐の心理学>の132ページを転載させていただいています。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人という字は、一本の棒が寄り添っているように、いつの時代も男女は仲良く寄り添って生きています。依存しあう事は美しいことですが、時々、病的な依存関係が問題になります。人は一人で生まれてきて一人で死んでいきます。生まれてくる時には母親の世話になり、死んでいく時も誰かに世話になりながら死んでいきます。その長い人生の流れで異性と健康に依存しあいながら生きていかないと人間の心は異常をきたします。修道者も健全な異性関係がないと心がゆがみますので、何が健全なのか意識化しておく必要があります。肉の関係になくても異性の愛、友情、暖かい心は成立するものですが、このバランスの関係成立のノウハウを知らないと病的な関係になつてしまいます。神父の道を選んだ男は肉を絶っていますが往生際の悪い神父は時々話題に登場してきます。爽やかに女性...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <占い>にも健全な占いと病的な占いがあります。人類はもともと占いが大好きで、どの時代にも時の権力者は大なり小なり占いの有名人とお付き合いがあるようです。問題は人間の自由意思までも占いに支配され人権を無視したり自由意思を尊重せず冷静さを喪失した場合、人はどんどん不幸になっていきます。占いの結果を盲従するのが病的と言われる事例です。楽しみ半分に自由に占いをして自分を否定したり他者を否定することなくあくまでも選択肢に迷いを生じたような場合、参考に占いをして、自分の中の無意識の世界を意識の上にあぶり出し、そして、自分の自由意思で決断し責任を持ち間違っていたらすぐさま修正しつつ生き抜いていくならば、案外、変なカウンセラーと相談するよりもはるかに良い知恵が生まれます。問題意識を感じ、その答えがどんどん豊かに湧き出すシ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    こればかりは神の領域か、とおもいきや、どっこい、これほどの賭けの面白さは他にはないでしょう。選択の面白さ、賭けの面白さ、まさにこの選択は人生の醍醐味です。また、中間の納め所、で勝負をかけるのも楽しいと思います。こうした人生の醍醐味が生き甲斐なのです。皆様も是非、この勝負を楽しみながら段々と知恵を養成し、度胸を増加させ、人生の喜怒哀楽に泣き、豊かな悔いのない人生を歩みましょう。その為には、自分は何の為に生きているのか、生き甲斐は何か、自分を大事にしているか(魂、成育史、身体の3つを大事に)を意識しながら生きていると、突然、物凄い光明があるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は自由意思を所持しているので身辺に生起する森羅万象を勝手に解釈していいし、そうしていますが、生き甲斐の心理学では、自分を身体症状にまで執拗に追いこんでいく暗い解釈(ストレス曲線:不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の事を<病的な解釈>と定義しています。コップの水が半分の時、もう駄目だ、と悲嘆にくれる解釈ではなく、まだまだ希望があると解釈して、最後の一滴まで明るく解釈し元気に逞しく解釈していくことを<健全な解釈>と定義しています。解釈は世界を変えますし、自分を変えていきます。さあ、あなたは、どちらが御好き?:どちらを選ぶかは自由意思の領域です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    難しい課題ですが私もしばしば、はたと気づきますので、あまり他人の事は言えませんが、互いに健康に生き抜きたいので共に悩み思索させて下さい。生き甲斐の心理学で定義する<理想>とは<成育史の中で独特に、個性的に固定化された(こうありたい、あらねばならない、すべきだ、という領域の事)を>理想という専門用語で定義しています。この無意識、または、もう当然な事として習慣化された理想が盲点なのです。この思い込みを所持しているといつも自分をストレス曲線に追い込み、身体症状まで露呈させているのですが、中々気付きません。無意識に選択してしまうので、案外、恐ろしいものです。健全な理想は自然に達成しますし楽しいものです。修行の為と自己弁護して自分を変にしていく理想は勇気をもつて棄却しましょう。健全な理想は、どんなに苦しくても、根の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <答え>は必ず問題意識を所持している人の中にあります。しかしその答えが見えない人が大半な理由は色々ありますが自分の問題なのか、他者、社会の問題なのか、明確に区別出来ないと永遠に見えてきません。例えば東京在住の人で放射能汚染を恐れて窓の目張りをしている話がしばしば出てきます。<変な人>と思うでしょうがこの人が相談に来た場合<変なあなた>ではすまされません。色々と洞察するとこの自分の問題と思ってノイローゼ状態になつたその人が心理療法をすすめるうちに、自分の問題ではなく別な問題であり自分の解釈に病的なものが存在していたと気付きます。解釈が病的とは、どんな意味でしょう?成育史を色々と語る内に自分はいつもこの混濁をしていて他者の問題なのに自分の問題と解釈していた自分に気付きます。解釈の仕方で悩みが半減します。言い古...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    精神医学も臨床心理学も勉強していくと嫌になるくらい色々の理論に遭遇します。その理論を臨床の現場で駆使して来談者と真剣に対峙してもその効果は中々現れません。そうこうしている内に自信喪失状態となります。こんな理論は役にたたない、と馬鹿にしだしたら、もうおしまいです。人の心は実に複雑怪奇ですから、簡単にいくわけがありません。悩みについて、今後、どう取り扱うべきか、その思索を暫くしていきますが、答えは必ず存在しています。人の身体は神の神殿と古来から言われていますが、厳しい現実を生き抜くノウハウを愛である神様が示唆しないわけがありません。答えは必ず見つかる、と信じるのも解決の一つのノウハウです。<信じて見えてくるもの>この法則は人類の長い歴史を観察していくと、なるほどなあと感動する事例が沢山あります。同じ時間を経過...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <人は考えるとおりの人間になる>と古来より言われています。ですから森羅万象の解釈を暗く解釈する傾向の人も、明るく解釈する人もいるのですが、何故か、古来から人間のこの傾向を悪用してお金儲けに走る占い師や宗教家が歴史のその悪名を残しています。人を計算しつつ不安感に人をおしやり、その不安感からお金を取りながら御殿を作る歴史が沢山ありました。確かに人間には健康な不安感と病的な不安感がありますので、この違いを巧みに悪用しているわけです。私たちは全員、弱い動物でもありますので、この弱点を十分理解しつつ生きていきましょう。無意識の世界には暗い世界と明るい世界の二つがあることを意識しておく必要があります。光と陰、表と裏、正義と悪、愛と憎しみ、このような宇宙と現実が何故、存在しているのか、その解明は哲学と宗教の世界なので伝...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <人は考えるとおりの人間になる>と古来より言われています。ですから森羅万象の解釈を暗く解釈する傾向の人も、明るく解釈する人もいるのですが、何故か、古来から人間のこの傾向を悪用してお金儲けに走る占い師や宗教家が歴史のその悪名を残しています。人を計算しつつ不安感に人をおしやり、その不安感からお金を取りながら御殿を作る歴史が沢山ありました。確かに人間には健康な不安感と病的な不安感がありますので、この違いを巧みに悪用しているわけです。私たちは全員、弱い動物でもありますので、この弱点を十分理解しつつ生きていきましょう。無意識の世界には暗い世界と明るい世界の二つがあることを意識しておく必要があります。光と陰、表と裏、正義と悪、愛と憎しみ、このような宇宙と現実が何故、存在しているのか、その解明は哲学と宗教の世界なので伝...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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    成育史は人類が80億いるとすると、その気付きの発生契機は80億通りあると言われています。厳しい試練から生まれる気付き、愛の激しい感情からの気付き、仕事の挫折からの気づき、重病からの気づき、それぞれ全部、気付きの誕生は人により違います。ですから信仰の世界からの解釈は神仏の恩寵であったり、深層心理学上の解釈は<潜在意識、無意識の世界>が音楽、芸術、香りなどの刺激による契機からの気づき、大脳生理学者は何らかの刺激により神経細胞が知識内臓の領域に伸びてそこに背潜在していた情報を意識の上にあげた、などなど、それぞれの専門分野で<気付き>の理由を説明しています。いづれにしても<答え>を人間の中に求めているのは正解でしょう。益々、気付きの原理は色々の学問が努力して、その原因をあぶりだしていくことでしょう。人間の素晴らし...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    言葉は<恐ろしいし便利だし宝物>でもあります。比較文化学という世界では<言葉>も大事にしていますが、何を言わんとしているのか、その本質を大事にしていて、決して<言葉>で論争したり激しい議論はしないのが普通です。思想が違う、という理由で戦争をするのは一番愚かな事だ、とも断言しています。ホモサピエンスがアフリカで誕生し、色々の気候風土の違う各地に移動していくと、アフリカでは見た事もない森羅万象に触れたり動植物に触れたりしますと新しい言葉、概念、感情表現をする必要に迫られてきます。土地になじむようにDNAが必死に働いて順応させた結果が人種誕生で、姿、形、皮膚の色がその地に順応しつつ変化して今日の人種が誕生しました。感情も同じなのですが、表現する言葉が違いますので、世界中に色々の表現言語が誕生しました。そんな長い...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今日の課題を読んで、あれ、無意識の世界って本当にあるのかなあ、と思う人も居れば、当然、存在している、と思う人もいるでしょう。DNAの研究が深まるにつれて確かに無意識の世界は大脳に存在するだろう、と今では殆どの学者が是認している世界です。無意識の世界とは意識する前の心を意味していますが、心理療法の世界では具体的には、どんな患者さんの問題でも、その答えは患者さんの中に存在している、とう事になり、治療に当たる医師やセラピストは学問を応用しながら、その答え、治療目標を患者さんの中から探しだそうと努力していきます。人の身体は神の神殿とも言われ、人間の尊厳もこの思想から生まれてきています。暫くこの無意識の世界について、どう取り扱うと私が益々私らしく幸福に生き抜いていけるかが、明瞭になってきます。無意識の世界には沢山の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <私は誰?>という自問自答をすることが人生で一番、重要だ、と古来から言われていますが、この自問自答を笑うような相手の相談者の場合は、あまり相談する価値のない相手だと考えたほうが賢明でしょう。それほど、この思索課題は古代ギリシャからこの質問は神聖なものと言われています。答えがみつからない難問ですがこの質問には3つの不思議が隠されています。1:人は何の為に生きているのか。2:生き甲斐は何か。3:自分は自分の魂、心、身体を大事にしているか。この3つです。この3つの自問自答を生涯して楽しんで生きていると、何となく答えが見えてくるそうです。マンネリズムが人を駄目にしていきますが、時々、この自問自答をすると何故か、天の神様がその自問自答を楽しむ人に聖霊を送り、知的な刺激を与えてくれ、生き甲斐を感じる人にしてくれるそう...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    古来から人々はその時代の不安感を抱えて生き抜いています。飛鳥、奈良時代も海外からの侵略をめぐり政治家は議論していましたし戦国時代も、明治維新も、それぞれ独特の不安感に国中が苛まれていました。今もそうです。不安感の処理の仕方は自分の成育史にあった方法でないと効果が出ません。ですから今<生きている自分が存在>していれば、それなりに不安感を処理しつつ生き抜いてきた証があるわけで、その成功の理由を学問としてキチンと説明出来ないだけの話です。不安感を克服した事例を3-4つ思い出す作業、不安感を処理出来ずに今日まで引きずってきている事例を3-4つ思い出してみましょう、そうすると自分の成功した傾向、うまくいかない傾向が見えてきます。どちらにしても成育史で養われてきた<理想:こうありたい、こうあらねばならない、こうあるべ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今でも放射能の数値を気にしながら生きておられる方々がいます。本当にご苦労様ですが、該当地のマイクロシーベルトの数字をキチンと読み解けば、該当する数値以外は、直接の被爆を恐れる必要はありません。遠慮しないで正規な担当医と相談して欲しいです。さて、私たちは現実の不安感から逃避しないで、きちんと対処していかないと、余計な経症を使い疲れ果ててしまいます。いかなる現実からの逃避は自分を益々、不幸にしますので厳しいようですが自分の不安感を上手に処理する方法を身につけていきましょう。不安感は自分の理想と現実からうまれますので、時々、自分の理想の内容を親友と語り合い、現実の解釈をも友達を語り合い点検しつつ生きていきたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私も時々、世間が悪い、とか他者のせいにして自分の不安感から逃れる場合がありますので、あまり人の事は言えません。何でもひとのせいにする人、そうかと言えば、何でも自分が悪い、と思う人,両極端の人もいたりして、様々です。さて、どうしたらいいか、という事になりますが、生き甲斐の心理学では<理想と現実>をとても大事にしています。自分の成育史は最大限に重視していますので、自分の成育史から生まれてくる<こうありたい、こうして欲しい、こうあるべきだ>という想いを<理想の領域>としておきます。<現実の解釈>も自分の成育史上の習慣的な解釈があり、その習慣的な解釈に病的なものもあり、その病的な解釈があるか、ないかを意識化しておく必要もあります。バランスのとれた<ひとのせい><自分が原因>、この二つの識別は案外、難しい。バランス...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    不思議な現象なのですが一つの理論を大切にすると必ず見えてくるものがあります。例えばNHKを見たい場合はそのヘルツに会わせるとNHKの画面が見えてきます。親の愛を信じると親の深い配慮が見えてきますが信じないと親の不快な干渉しか見えてきません。このように自然界にはそれぞれの定率がありその定率を知らないと四季の移り変わりの原因が分からないように、大事なものは目に見えないものです。人の心も見えにくいものですが臨床心理学の理論、例えばロジャース理論の自己成長理論とか、エリツクバーンの交流分析、エリクソンの発達論、フロイトやユングの精神分析理論など、どれかを一つ選んで自分流に調整しつつ人の心をあぶり出すと非常に面白いものが見えてきます。私を大学病院で支えてくれた理論はフロイト、ユング、ロジャースでしたので、その理論が...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何の為に自分が生きているのか、その答えが明確でない場合は、日常のこまごました不安感をあまり真面目に考える事は意味がありません。生きる目的、生き甲斐が明確な人は、ひたすらその方向に向かって突進していきますので、日常のこまごました雑な不安感を無視します。重要な不安感、例えば自分の生きる目的や生き甲斐を妨げるものは真剣に対処していく価値がありますので戦いますが、あとはほどほどに、かつ、ケ・セラ・セラで行きましょう。ここ一番、という領域でハッスルするエネルギーを蓄積しておく必要があるからです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    身体症状が出るまで我慢することを<自虐>と定義すると多分、大勢の哲学者、倫理学者、教師は反対するでしょう。反対する人は<不安感>の処理方法を知らない人が大半だと推察されます。不安感にも<健康な不安感>と<病的な不安感>があります。地域、国、文化により何が病的か、と識別方法がまた違います。例えば或地方では直系以外の親戚の納骨を本家のお墓に納めると<祟り>があると信じている地区があり、これに反する人を病的、変な人と断定しますが、逆にこの排除を病的と思う人もいるようです。その地区に住む人はその習慣に反すると周囲から排除され次第に身体症状が出てしまう人もいるようです。ですから、とりあえず、ここでは本人が身体症状になるまで我慢することを病的と定義しておきます。そのあと、その人の理想と現実の解釈の仕方を医学的に検討し...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    奇妙なお話で少々きがひけますが、ふと意識すると何かグレイの廊下を歩いていました。その先は行き詰まりになっていて、つきあたりにもグレイのドアがあります。ノックして開けてもらおうとしたのですが、シーンとしています。その向こうは天国だなあ、と明らかに感じていたのですが、開かないので諦めて、また、とぼとぼと廊下を戻りだしたのですが、眼が醒めました。実はこれは私が緊急入院していて意識を失っていたらしいのですが、治療室で目がさめた時の記憶です。血圧は40くらいだったそうです。後日、この話を信頼のおける友達のドクターに話しましたら、君は死にかかっていたよ、と言われました。この種の話は昔から知人や友人からきかされますが、私は馬鹿にしていましたが自分がこのような幻聴を体験すると昔の民話や神話を頭から軽蔑しなくなっている自分...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <人を大切にする>前に<自分の心を大事にする>という意味を教えてくれる人はあまりいないようです。子供の頃から<人さまに迷惑をかけないように>とか<人を大事にしなさい>と言われ続け<自分の心を優先して大事にしなさい>とはあまり言われた経験がありません。ここに大きな問題が潜在していました。<自分を愛するように人を愛しなさい>は欧米の基本哲学ですが、ここで忘れられている重要な事があります。それは人を愛する前に<自分を愛するように>という前提が忘れられている事でした。さて自分を大事にしないから、精神病院に入院してきた患者さんが大半でした。全てその方法を知らないで生きてきたからです。自分の身体症状が出るまで忍耐、我慢をする事を<自虐>といいます。不安感、怒りを抑えていると、どんな頑強な人でも眠れない、食欲がないなど...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    悩んでいる人への答えはその本人の中にあるという考え方をするか、しないかで大きな分岐点となります。その答えを本人に意識化させる方法として有名な手法があります。(1)うん、うん、と何もコメントを言わないで明るく爽やかに傾聴していく(2)相手の感情に会わせて傾聴し、偉そうな態度、一段上に居るような冷静な態度は示さず相手の感情に呼吸をあわせつつ傾聴する(3)相手の重要なつぶやきの言葉を選択し、その言葉を取り上げ確認するかのように反復する(4)来談者の感情はこのような感情ですか、と確認していく。以上の4点を意識して傾聴していくと来談者は自分で<あ、これが自分の答え、選択肢の一つだ>と気付いてきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世間には色々の<悩みの聞き方>があり、それぞれの良さがあります。大事にしたいものですが、悩みへの答えは必ず本人の中にある、という前提が無いものが大半です。聴くほうに答えがあると信じているようですが、答えは悩んでいる人のほうに存在しているのです。これがあなたの答えですよ、と言われても殆ど納得出来るものはありません。悩んでいる本人の中に答えがある、その答えをどのようにし共同作業として一緒に探すのが本当の悩みへの対処方法です。この方法について思索していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    博士号を取得しても藪医者、と言われる人が沢山います。某大学の研究室は博士号を殆ど所持している研究生で構成されていましたが変人と言われたりお馬鹿ちゃんと患者に侮蔑されたり色々でした。患者さんに何故、お馬鹿ちゃんと思われたか、といいますと愛が不足していたからです。人を大事にしないと患者さんに馬鹿にされます。学会ではさえなくても患者さんに名医といわれる人がいます。観察していくと自分の成育史と難しい理論がぴたりと重なっていて自分の人生を難解な理論で解説出来るのです。そのような人が患者さんから名医と呼ばれているようです。自分の成育史は、どんな難解な理論に遭遇しても、あてはまるものです。当てはまらない理論はあまり役立ちません。自分の成育史の色々の事例に当てはまる理論が患者さんの成育史の類似の事例に応用出来るのです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現代の心理学はフロイト、ユングから急速に発達したわけですが、その第一の原因は深層心理の発見です。DNAの発見から益々、人間の遺伝子と性格、DNAと人間の運命というか生きざまの有り様との深い関係の解明、遺伝子と発病の相関図、性格についての解明は目を見張るものがあります。この視点からどの時代、奈良時代であつても、現代であつても、また、ホモサピエンスならば縄文時代であつても、生き甲斐の有り様についてシュミレーションが描けるようになりました。例えばストレス曲線と病気の関係です。同じ津波でも体験しなくてもノイローゼになる事例もあれば、津波に遭遇して生き延びても元気な人がいます。心の傷や自分のストレスへのセルフコントロールは人によりその対処が違いますので、一概に言えませんが、どの時代でも感じる<不安感>の取り扱いいか...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私の友人で太極拳を習い始めた話を聞いて物凄く喜びましたが風の便りで数カ月で止めてしまいがっかりしました。学生時代から長続きしない友人でしたので、さもありなん、と哀しんだものです。生き甲斐は案外簡単に五感と体感で感じますが、何の為に生きているのか、という疑問ともなると、中々答えが見つかりません。自分はこれから何の為に生きていくのか、この疑問を自分の中から見つける事は可能です。<答えは必ず自分の中に存在している>という信念があるか、あえて勇気を奮い起して信じてみると答えというか何となくイメージというか、答えらしいものが見えてくるものです。<人の身体は神の神殿>と古来から言われているだけに、その答えが自分の中にある、と信じると何となくその答えた見えてきます。その答えは魂が促す領域のうづきなので伝統宗教に目を向け...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐相談をする場合、物知り顔に、こちらから色々示唆しても意味がありません。答えは問題意識を持った人の中にあるのです。この真理をしらないと支援者は失敗します。確かに知識が無ければ答えは見つかりませんが小学生にカントやプラトンの知識を教えても無駄です。むしろそれよりも童話や民話など彼らが知っている知識を利用しながら相談活動を展開します。問題意識を持つ人が子供から高齢者まで全て自分の知識と体験から悩みや疑問が生まれれてくるからです。悩みはその人の成育史の中から生まれます。この事をしらないと知ったかぶりの説教じみた嫌な相談活動となってしまいます。悩みはその人の成育史から生まれてくるので答えはその人の中から見つかります。学問の理論を駆使してその悩む人とともに共同作業として心理療法を展開させていきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今日からテキスト<生き甲斐の心理学>の第10章に入ります。第10章の大テーマは<どうして治療したらいいか、その方針をカルテに書きなさい>です。昔、イギリスにいたころ、その研究室では入院患者の診断をしたあと、その患者さんの治療目標を書かせられる試験がありましたが中々難解で単位がとれませんでした。同じ患者さんを何回も他者分析は出来ず、その都度、別の患者さんを診断していきます。難しく何度泣いたことか。もう帰国しようかなあ、とも思いました、才能がないと思ったからです。しかし経験を積むうちに生身の人間への愛情と学問としての興味を感じだすと、治療目標の立て方が上手になりました。人間への興味があるかないかでこうも上手になるものかと感動したものです。日本では医師でないと治療という言葉は使用禁止ですので相談への答えの指針を...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <自死>を選ぶ人の生涯を想うと、とても哀しくなりますが、それ以上に自分の孤独を見る事を大半の人は避けています。これは当然の精神現象で孤独な自分を意識するほど惨めな事はありません。何故、孤独感が重要視されるかと言いますと哲学の世界では孤独感から実にすばらしい思想が誕生してきているからです。神との出会いも孤独感から生まれてくるのが大半なようです。親友がいない、愛してくれる人が居ない、と気付いた人はまずは神様が自分を愛してくれているというカトリツク神学を一度覗いてみませんか?人類の歴史そのものですから非常に面白いです。学問としてのこの思想は人類史上、一番重要な思想だと私は思っています。どんなに貧しい自分、汚れた自分、罪深い自分でも、神様が誰よりもそんな自分を愛してくださっていると信じる事が出来たら<自死>という...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界でもご高名な学者が平然として<病んでいる魂>という言葉を使用している文章に触れると、とても悲しくなります。比較宗教学の良い所は<魂は病むこともなく老いることもなく永遠不変のもので臨終とともに身体から離脱する知的生命体>であると信じる学説を提示している学問だからです。心と身体は大いに病む事も多いが神様が創造された魂が病むはずがありません。人類共通の魂はたがいに愛しあっているそうです。心と身体は戦争していますが魂は愛しあっている、と信じれば、この地上に希望が湧いてきます。魂が愛しあっているからこそ、良心の呵責が生ずるのです。日本での放射能汚染で世界が不安感に追いやられている一方、あちこちでは戦闘が続いています。敵と味方の人々の魂は愛し合っていると思えばまだ終結の希望がありますが、魂も心も身体も憎悪に入り乱...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <考える楽しみ>の醍醐味は自分の選択肢が果して良かったか悪かったか、その結果を見る楽しみかな、と思うのですが考える事が面倒だ、と思うと、どんどん自分を貧しくしているようです。どっぷりと甘えの構造の中を泳いでいるからです。失敗しても成功しても自分なりに考えて選択をしていかないと悔いを残す人生を歩むようです。アイデンティティーの統合に病的な揺らめきがある、という心理療法学上の概念はこのあたりの心のうごめきをも意味しているようですが、現実をどう解釈するか、この解釈を明るい方向へと解釈していくと考える事が楽しくなるようです。現実を暗い方向へと解釈すると考える事も行動することも生きることも面倒になります。森羅万象の解釈は自分を明るくする方向へ解釈したほうがよさそうです。考えるのも面倒、と思う日は結果として自分を惨め...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    医者にしてもセラピストにしても患者さんの具体的な症状に触れたときに咄嗟にどんな概念、イメージがスーッと頭に浮かぶかで、その仕事の世界での優劣が決まります。イメージが湧かない人はどんどん職場を去る羽目になります。さてこの場合は<不安感><環境適応能力><解釈>の3つが優れた概念です。aさんはこの大震災の雰囲気の中で津波や家の喪失に遭遇したわけではありませんが放射能被害や風評に<不安感>を感じています。あるがままの現実をどう<解釈>しているか、といいますと自分をストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)へ追い込むような解釈をしていて幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)へ押しやるような解釈はしていません。この傾向に気付いたaさんは環境にとにかく適応しようと努力開始をしましたら...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    東北関東大震災の影響で東京に住む大勢の人々も原発問題を含め心が不安定になつています。この現実は避けて通れませんので真面目に取り上げ考えてみたいと思います。長い人生の途上には次から次へと<不安感>が湧き出てきますが、この不安感の取り扱いには法則があるので、その法則を分かりやすく解説していこうと思います。発病のメカニズムという流れも大事ですが、環境不適応、という課題も飛び出してきます。ここでは同じ不適応でも現実の解釈の傾向、という課題も同時にこなしていかねばなりません。不安感、環境不適応、解釈、この3つを同時に学ぶ必要があります。この3つの課題を同時に勉強していく必要がありので、まずはこの3つの言葉を意識しておいて下さい。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    子供の頃は王子様になつたり剣豪になったり自由でしたが大人になると馬鹿馬鹿しくて夢のようなシュミレーションは描かなくなりました。しかし人生体験を積むと何故か、幸福のシュミレーションを描こうと努力する割には壮大なものが描けないのです。そこで美し小説や音楽、絵を鑑賞しだす必要に迫られます。感情を抑圧する生活をするとこの美しい想像力がどんどん委縮しだし、その委縮にさえ気付きません。実現不可能な夢を描く楽しみ方を大人になればなるほど、下手になります。心理療法の現場で委縮しないようにこれから益々幸福のシュミレーションを描いていきましょう。最悪のシュミレーションは何故か人は上手に描けますが、この両極端なシュミレーションをどうしたら楽しく出来るかを思索すると生き甲斐の道も見えてくるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <意思あるところに道あり>とは名言です。意思のないところには成功もなく喜びも低く棚からぼたもち、という怠惰のような哲学もあり、不思議なことに、意思もないのに欲求不満な人々が沢山います。これでは神様もお困りでしょう。人事を尽くして天命を待つ、それでも旨くいかない人生ですが私の知人に不思議な人がいます。自然の流れを大事にしていてその流れの中から自分の好きな選択をして幸せを掴み生活しています。夢は沢山あるのですが無理な選択はせず淡々とチャンスを待っているのです。努力もしているし勉強もしている、しかし<その時>を上手に待つています。意思もあるのですが自然体でその意思を貫いていくようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    難しい識別ですが基本的基準は<プロセススケール>です。これは7つの視点から洞察していきます。1:本物の感情が湧きだす人か?、2:心の流れ方、3:心の中の意識と発露されてくる言葉の内容が一致しているか、不一致か?、4:自己の伝達が正確かどうか、5:体験の解釈、6:人生で起きてくる諸問題に対する態度、7:人間関係の仕方、以上の7つです。事例によっては専門家は更に細かく分類して洞察していきますが、心理療法室では平素は低、中、高の3つぐらいで識別していきます。この7つの視点が正常で、それでも普通の常識からすると<変>なのは<個性の美>として扱い、決して病理とはしません。是非、この視点で洞察し周囲の美しい美を変人扱いにしないで下さい。天才や天与の才能を駄目にしていきますから。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <生兵法はけがの元>と言う言葉があります。キチンと最後まで勉強していかないと、治療完了なのか、そうでないのか分かりません。医者、セラピスト、カウンセラーでもこの微妙な領域を責任をもつて厳格に対応していないと患者さんは本当に気の毒です。酷い医者も沢山いて収入を考えて、もう来なくていいですよ、と断言しない事例が多すぎるようです。確かに難しのですが、ここが、どう変になつたら、また来て下さい、と明るく爽やかに言い切る人が案外いないのです。個性の美なのか、病理なのか、その識別訓練を積んでいかないと中々言えません。患者さん自身への終結間際でのアドバイスを私はいつもこう説明していきます。本人と私が考える<健康時点>と<病理時点>の識別を心理療法中に真剣に会話しておく必要があります。この体感、症状、知識の総合をしておく必...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <心の病気>と診断された人だけでなく健康な人々でも平素の悩みなど、その原因は程度の差はあれ、原因と対策の基本は同じです。症状も成育史により相当違ってきますが、基本原理さえ覚えてしまえば、どんどん健康になつてきます。対処療法にこだわる人々が多すぎますので困りますが<意思あるところに道あり>は真理に近い考え方です。この<心因性病理は必ず治る>という考え方は、とても大事ですので5回にわたり考えていきます。どんな場合でも心因性ならば何とかなるものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日本文化の中での<恥の文化>について、色々の人が色々の主張をしています。それぞれの意見を大事にしたいと思います。要は恥、という意識から自分を病的なストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込まないで欲しいのです。宗教を持つ人はそれぞれの宗教が持つタブーを大事にしていますように、日本人は<恥>を大事にして真面目に生きてきましたが、恥を受けるよりは死を選ぼう、とか辱めを受けるよりは死を大事にしよう、という文化が古代からありました。その文化を大事にはしたいと思いますが、現代では自死に結ぶような事だけはいけません。日本の古来からの恥の文化を幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)になるように使用して欲しいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    <甘えの構造>を敵視する人がいますが、少々残念なことです。確かに日本人独特の<甘えの構造>は心理療法の世界では重要な治療目標の一つではありますが、意識化することで逆にこの日本人独特の精神構造を健全化の手法に使ってほしいいなあ、と思う事例も沢山あります。例えば甘える事を知らない人の場合、何とか防衛機制をはずして恋人に甘えて欲しいのです。いつも緊張して人に甘える方法を知らない人に会うと何だか人生が哀しくなります。愛の世界はお互いに甘えたり、甘えられたりしないと成立しません。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    わびとさび、これは日本人が大好きな茶道の世界の話で、とても大事にされている考え方です。侘びと寂の世界に固執して日常生活で自分をストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込むことほど馬鹿馬鹿しい事はありません。この侘びと寂の世界は美の世界ですので人間を不幸にする思想ではありません。欧米のキリスト教世界の愛の思想から比較すると何となく寂しい孤独感、と誤解されますが、このやまとびとの美意識は地上の美しい世界の一部を表現しているのであつて人間を孤独にし悲劇的にする世界ではないのです。わびしいなあ、さびしいなあ、と呟く世界に近いのですが現代の若い人はやまとの文化をもういちど勉強して欲しいなあ、と思います。侘びと寂、これはとても人を幸せにする世界です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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