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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「愛の感受性」の度合い測定法で一番有名なものが「愛の原型」を巡る知恵です。愛の原型とは自分の生育史を思い出し、その中で「あの場面が自分が愛されていた場面だ」と思える生活の一部分を愛の原型と呼んでいます。この愛の原型には大、中、小と程度の差がありますが、その差は本人んが決める問題です。他人からとやかく定義される問題ではないのです。愛の感受性の度合いについて思索すると、「愛されたことがない」と悩んでいる友人の対応を上手にできるようになります。愛されたことがない、と解釈している人には、ぞれぞれの理由があり、一番重要な原因が不安、怒り、鬱の感情が、その人の心の大半を占めている場合、防衛機制が働き、知恵の泉の蓋をされているので、中々、良い知恵が湧きださないのが原因だと言われています。ストレス曲線の蓄積が知恵が湧きだ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「或人は何故、愛を感じないのか、また、何故、或人はびんびんと愛を感じるのか?」。比較文化論、比較宗教学での大問題をこのブログで書こうと試みるのは非常に難しいのですが、体験の解釈、というコーナーでもし避ければ、片手落ちになります。愛を感じる条件という概念があります。これは70億の人類がいれば生育史の関係で全部違いますが、一つ一つを具体的に書きましても参考にはなりますが、理論を集大成する学問は樹立出来ません。仮説でいいから、とりつくキッカケを提示していく必要があり、良いか悪いかは全員で仲良く検討すればいいのです。無い知恵を駆使して学問的な体系を確立しようと努力するのが、その専門分野で生きている人々の使命でもあります。愛の孤独感が人々を哀しみと生き甲斐喪失、錯乱へと導きますので、照れくさがらずに自分の愛の孤独感...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「愛を感じる度合い」を心理療法はどう分析するか?これは大変難しく、かつ、学派により相当違いますが、私はこう考えています。精神病であれ神経症、人格障害、正常であれ、人類全ては必ず、それなりに愛を感じています。間違いありません。しかし、何故か、人により「自分は幼少の頃から人に愛されたことは一度もありません」と語るのです。何故でしょう?私はその発言に驚きますが、その人の言う言葉を信じるように努力しています。本人が愛されたことがないと断言しているからです。もし否定したら、その人は私から離れていくでしょう。私を訪問しなくなれば心理療法は展開出来ません。仕事上、その人を受け入れてスタートしないと職業も成立しません。かつ、人の身体は神の神殿という考え方をしている私としては、その人の中に住んでいる「全知全能の、愛そのもの...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「愛の深層心理学」と言う領域があります。異性を愛するのも、神仏を愛するのも、いづれも共通概念です、と言えば、道徳家からおこられそうですが、深層心理の領域では共通概念もありますので、その事を一言書いておきたいと思います。「愛を感じる」心の領域から、この話は始ります。愛の姿は人類の数の数百倍もありますので、その事を私が書ける訳がありません。異性の愛にしても神仏の愛にしても、愛を感じないと話になりません。この愛を感じられる人と感じられない人の話を暫く勧めていきます。赤ちゃん時代にどんな愛を受けたか、それがスタートになりますが、仮に、赤ちゃん時代に母親から虐待を受けた人でも、今後の意識化により、豊かな愛の人生も歩めますので安心してこのブログをお読みください。自己愛パースナリテイ障害の事例は難問中の難問ですので、こ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    構成概念が固い事例で一番多いのが「自分の理想から人を裁く人」でしょう。はたから見ると、その人は、非常におそまつなのですが、何故か、その人は人を批判し、裁くのが好きなようです。自分の理想像から他者を裁き、自分のストレスを解消している事例です。正しい信仰生活をしている人は本当に自然体で、人を裁くことに恐れを感じていて、自分の至らなさは当然理解していますし、恐れ多くて人の事を批判しません。謙遜は傲慢の始まり、という感じの謙遜ではなく、己の分をわきまえた感じです。宗教を持つ人、持たない人、信念の強い人、弱い人、頑固な人、そうでない人、どんな場合でも、この理想から人を批判する事例は私を含め、人間業の恐ろしい所でもあり、また、必要な部分もあります。自分が至らない人物である、という想いから、何もしない人もいますが、そう...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「構成概念を事実と勘違いする段階」はかなり健全ではありません。こういう私も時々、この失敗に陥ります。子供の頃からの思い込み、或時期からの思い込み、勘違い、宗教的な教え、そんな構成概念を事実と思いこんで、現実に対処していると、理想なのか、現実なのか、段々と識別出来なくなっている自分に気づいた人はラッキーです。そんな精神状態は周囲の人々は冷静に見ていて、あの人は変な人、思い込みの強い人にはかなわないなあ、付き合うのがめんどくさい、という事になります。柔軟に現実と向き合う事の出来ない人は段々と孤独になり、対応能力に欠落しているので、生きにくくなります。自分に都合のいいように解釈するので、ますます周囲の反発にあいます。現実の解釈と構成概念は深い繋がりがあり、ある種の人々は、そうしないと生きていけない場合もあります...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どんなに理論を勉強しましても、その理論が自分の生育史のどの事例に該当しているかを明確に意識化していないと、その努力は案外、実力として発揮されないものです。例えば「自己概念の固い人はひたすら日々の生活で自分をストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)に追い込む」という理論、考え方を勉強しましても、自分の過去の体験の中の、どの事例に該当するのか、を意識化しておかないと、同じ過ち、無駄なエネルギーの消耗、不愉快な気分等を生涯、繰り返していきます。構成概念を固めないと(強い信念を持たないと)厳しい現実を乗り越えられない事例もありますが、柔軟な概念、考え方を現実生活の中で意識化すると、今まで、感じたストレスを感じなくなり、明るく元気に爽やかに時を過ごし事も出来ます。体験の解釈を変えた途端に気が楽になった...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    あまりにも相手が好きになると人は胸がつまり自己の伝達に支障が出てきます。青春時代を思い出していただくと分かりますが、好きな人が、しかも、その心を伝達していない好きな人が直ぐ傍らに居ると、胸が熱くなり、言語障害気味です。知恵が無い、経験が不足している、度胸がないと、益々何も言えなくなります。青春の当時、大人を見て、何とも図々しく物を言うのを見て嫌悪感を感じました。この嫌悪感は何でしょう?自己の伝達が上手くいかない自分を嫌悪し、ずばすば図々しく言う大人を嫌悪する、この複雑な心理は大人にも共通しています。単なる青春談義として見過ごすのが普通の事ですが、心理療法を学ぶ学徒には、この事例はとても素晴らしい研究課題で、この原理を意識化しておくと、将来、自己の伝達の領域のクライエントと面談した折、この勉強が、その領域の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    田中角栄さんには大変お世話になり感謝していますが、お会いしてもいつもせっかちな感じで、落ち着いて人生相談などはする気がなくなりますが、あの方の魅力は大変おおきなもので、せっかちの汗っかきの割には人々に大変愛されていました。心理療法では「間」の取り方は重要で、原則論としては「ゆったりと間をおいて応答する」ように学習しています。せっかちで忙しそうな感じを与えたら駄目、と言われています。政治家と比較するほうが可笑しいのですが、生まれつきせっかちの心理療法家の場合は、田中さんのように、それを超えた魅力があれば大丈夫。人間嫌いの精神科医もいれば、せっかちな心理療法家も居て、大勢の人々に愛されている事例も沢山あります。原則論があっても、それを超える人間的な魅力があればカバーできますので、生まれつきの性格がマイナスだと...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自己愛愛パースナリテイ生涯という課題で書かれているテキスト「生き甲斐の心理学」第1章は少々難解ですが、自己愛はとても大事な領域です。専門的な勉強をしないと「あなたは自己愛に少々問題があります」とは言うべきでないでしょうし、専門家でも洞察力がなければ、社会問題になるでしょう。私のブログでも書けば書くほど誤解が生じますので自信がありません。しかし、案外、簡単な識別方法があります。識別のポイントは愛し愛されている関係であればあるほど、「有難うございます」という心からの感謝を口にしない人、つまり愛の伝達、感謝の伝達が出来ない人の場合、この第1章「自己愛パースナリティ障害」的な人と判断してもいいようです。心の底から有難う、と感じた場合、照れないで伝達しないと本当の幸せは逃げていくようです。「自己の伝達」で一番大事な...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    その人は、感じが良いので友情を深めたいなあと思うのですが、一歩も二歩も近付くのですが、何となく岩盤にぶつからないし、ふにゃらふにゃら、の感じが永続し、ついには深い友情も得られず、馬鹿馬鹿しくなり諦めて、あたりさわりなく永続している学友がいます。会えば楽しく会話も出来ますが、15分も過ぎると話題はこちらから出すばかり、ちっとも深まりません。この関係は疲れます。私ばかりが、そう感じているのか、気になりますので、40年来の親友達に聞いてみると、全員が嬉しそうにほっとして、それぞれが、自分の至らない友情に悩んでいた旨を私に告白してくれました。つい最近の大学の親友クラスメート会の話です。さて、自己の伝達問題に移りますが、家族、親戚、恋人、夫婦、地域社会での人間関係の中で、上記の事例は案外多く、問題点は、その自己否定...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    あまりにも相手が好きになると人は胸がつまり自己の伝達に支障が出てきます。青春時代を思い出していただくと分かりますが、好きな人が、しかも、その心を伝達していない好きな人が直ぐ傍らに居ると、胸が熱くなり、言語障害気味です。知恵が無い、経験が不足している、度胸がないと、益々何も言えなくなります。青春の当時、大人を見て、何とも図々しく物を言うのを見て嫌悪感を感じました。この嫌悪感は何でしょう?自己の伝達が上手くいかない自分を嫌悪し、ずばすば図々しく言う大人を嫌悪する、この複雑な心理は大人にも共通しています。単なる青春談義として見過ごすのが普通の事ですが、心理療法を学ぶ学徒には、この事例はとても素晴らしい研究課題で、この原理を意識化しておくと、将来、自己の伝達の領域のクライエントと面談した折、この勉強が、その領域の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    高校生徒の或時期、喧嘩ばかりしていました。成績は下がる一方です。終戦直後の疎開先で私(小学3年生時代)を虐めた学友が、地方では少し有名な高校に入学してきたのです。私はまた、虐められそうなので、柔道部に入り腕を磨きながら、そろそろ、復讐戦を開始。時代が時代ですので周囲の先生も大人も見て見ぬ振り。しかし成績はどんどん下がり、私の心は自分に対しても、両親に対しても罪悪感と劣等感と混乱感で、今から想うと、心はめちゃめちゃでした。そんな私(泣き寝入りしない少年)を暖かく見守る某先生の授業は楽しく成績も良いのですが、そんな私を知り、答えられない少年と知りつつ質問をしてきて、答えられないと答えるまで授業中に立たせる先生の場合、もう身心が氷のように塊り、物も言えません。この思い出(心を伝達する勇気もなく、委縮した思い出)...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「憎まれ?、世にはびこる」ではありませんが、自分のストレスは発散されますが、周囲がストレスがたまる事例が沢山あります。私も人の事が言えないくらい、スパスパ物を言う事があり、後でまずいことをいったなあ、と反省しきりです。自分のストレスは発散されますが、どれだけ周囲の人々に負担と迷惑と哀しい想いをさせて、私は生き抜いてきたことでしょう。亡くなった母親を始め、友人、知人に改めてお詫び申し上げます。思い出しても汗が流れます。ビジネスでの戦いの現場で、喧嘩の折に吐いた暴言、忍耐の限界を超えて爆発した事、色々と反省しきりですが、さて、人はあまりの我慢をすると駄目になる事も事実です。ひたすら我慢する人生はやめたいものです。この自己の伝達の基準は何と言いましても自分の身体症状です。人に何と言われましても自分の身体症状を中...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「男は黙って?ビール」ではありませんが、人生、出来れば黙って生きていれば都合が良いのですが、長い人類の時代を勉強すると分かりますが、その時代によっては、沈黙ゆえに迫害されたり、殺されたり、憎しみの対象となったり、誤解が誤解を生み、戦争にもなります。意思の伝達は言いわけであろうが、相手に対して、屈辱を感じても、説明する必要があります。あまり周囲に影響を与えない人間の立場なら沈黙も時により美徳となりますが、この自己の伝達は人類社会ではとても重要な問題です。生き甲斐の心理学では、この自己の伝達をどう解釈していくか、解説していきます。自己の伝達に病理があり、その為に身体症状が出る事例の場合、どのように対応していくか、その物語です。専門的には7つの段階に分類するのですが、余程重症なら、その必要がありますが、普通は「...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「心理療法に於ける不一致」の領域はとても大事です。テレビ「水戸黄門様」のようにスカッとすれば楽しいのですが、この生身の人間の現実は、とかく、もやもやする日々が多いのですが、その原因はこの不一致現象への自分の対応策が下手なだけです。私を含め、わりきれない人間の優しさ、固執、難しい現実問題への解釈の難しさ等色々です。難しい自分の人生での難問を解決出来なくても、それでも明るく元気に爽やかに生き抜いている友達がいます。それはそれ、これはこれ、と明快に割り切り、その時が来れば果敢に戦うタイプです。良く観察すると、どうも「信仰」があるようです。全知全能で愛そのものである神様を信じているようです。どんな困難に遭遇しても揺らぐことがありません。そろそろ90才になります。水泳が大好き、彼とお付き合いしていると、こちらまで爽...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「五感と体感」は好きなのに「思考が拒否している」事例は相当難しい自己分析となります。例えば年頃の青年男女同志が結婚の意思が存在しているのに「思考が拒否」している場合、下記の遠因があります。(1)結婚の条件、(2)幸福の条件、(3)生育史上の現実吟味力に少々病的なものがある場合、例えば本能と理性の混濁、(4)防衛機制上の諸問題があり心因性の病理が多少、存在している場合、(5)考え方の整合性に相当の矛盾がある人の場合、以上5点です。このような場合、結婚相手の決定問題ばかりでなく、人生のありとあらゆる選択肢で悔いを残す場面が多発します。身体感覚と意思の不一致の領域です。この事例をもう少し分かりやすく解説していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    菅原道真が亡くなった年に平将門が誕生しましたので、平安京の貴族は道真の生まれかわりと恐れたそうです。1976年、NHK大河ドラマは平将門を流していましたが、その頃、私は台湾駐在をしていて、ゆえあってその企業を39才で辞職し独立して今日にいたります。独立するエネルギー・意気込みを平将門からもらいました。関東の新帝を選んだ将門の意気を無謀にも己に重ねた私の若気を今から想えば微笑ましく思います。さて、菅原道真と平将門の怨念は日本史に名高いものですが、決して恐ろしい幽霊ではなく、私には心地よい存在でした。この心地よさは何故なのか、多分、お二人への熱い同情心のようです。受験生が道真公に手を合わせて合格を祈り、私のように将門公へ独立の情熱を祈り求める、このように現代の私達は単純素朴に祈願する習慣があり、この習慣が人を...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心の中で意識して、わかっているのに、敢えて別な言葉(意識)を発する領域はここでは意味がないので書きません。切ない程、哀しい事例をお話します。好きなのに、嫌いと言う事例、怖いのに、怖くないと発言する事例が大事ですので書いてみます。この感情は原初感情と言われ、人類発生以来の大事な感情だ、と言われています。複雑な現代文明では感情の種類は万とありますが、この好き嫌い、怖い怖くないという感情を無視すると身体症状が確実に出てきます。何故でしょう?不一致現象で一番重視すべき大事な問題ですが、皆様はどう考えておられますか?アダムとイブの失楽園の悩み、ギリシャ神話から垣間見る悩み、古事記日本書紀に見られる古代人の悩み、その中でも好き嫌い、怖い怖くない事例をみると、古代社会でもこの不一致の問題が沢山書かれています。好き嫌い、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今日のこの課題では「無意識の世界」は思索の対象にしません。今日は「五感と体感」で感じている内容と「意識」が違うと、どんな悲劇が生まれるか、その領域を思索してみます。青春時代、特に嫁さんをもらう頃ともなると、好きか嫌いか、という領域で翻弄されます。五感と体感レヴェルでは好きなのに何故か、意識では嫌い、という現象が起こります。何故でしょうか?これは案外難しい問題なので明日から数回、思索していきますが、皆様はさてさて、どの視点から自己分析するでしょう?どんな視点から自己分析すべきか真面目に考えておいて下さい。「不一致」と言うプロセススケールの世界を意識しないと悔いのある人生を歩む羽目になります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    昨日の記事(私のお小遣い事件)に生きていた少年時代の話の続きですが、記憶では15日間ぐらい、そんな生活が継続されていました。今から想いますと、その頃の私は、まさにカールロジャースが言う「プロセススケール」第二ストランズ「体験過程」の底辺を生きていたようです。つまり見たくない自分がいて、心の奥の良心の呵責をひたすら抑圧し、逃避していました。他人事のような素知らぬ顔をして生活しているので、自分の良心の呵責も他人事として、逃避生活をしていたわけです。もし、このような自分の湧き出す感情を抑圧し、見ないで、鏡の向こうを歩く自分を垣間見ながら成長していくと、人格障害的な性格が形成されていきます。恐ろしい時代を私も体験したわけです。しかし健全になると湧き出す感情を経過現象として冷静に洞察し、これはまずいなあ、と意識化出...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    都合が悪い感情、私の場合、小学生の頃、母親から依頼されたお豆腐を買いにいき、お釣りをかえさないでお小遣いをためた時の良心の呵責、後日、母に優しく諌められ大泣きした記憶があります。この場合の「お釣りを返さない心のうづき、良心の呵責」を生涯忘れません。母親に「どろぼーのはじまりですからね」と諌められた時の衝撃は生涯の警告となっています。この場合の「都合の悪い感情」とは私にとりエリクソンの言葉、概念でもある「恥辱、罪悪感、自己混乱感、孤立感」です。この感情を何とか抑えようとするのですが、少年の私は暗い顔になっていて、こそこそした態度となり母親もその姿を哀しくおもっているわけです。夕日の沈む庭で怒声を出す事も無く、ひたすら優しく諌めてくれた母親の愛情を想うと今でも涙が流れます。この母親の愛情が私の「愛の原型」にな...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分にとり都合の悪い感情とは何か?何が都合の良い感情か?このように湧き出した異物のような感情に戸惑う時、どうしたらいいのでしょうか?。倫理道徳は大事ですが自分を心身症に追い込むような感情の処理理方法はよくありません。自分を心身症にしたり、錯乱させるような感情処理は非常に危険でもあります。錯乱すると本人も周囲も混乱していきます。その場の憎しみの感情に支配されて冒す殺人行為は悪です。しかし殆どの人間はこような殺人事件は犯しません。身辺は良い人ばかりです。しかも人間には自然治癒力と良心が確実に内在していて、どんな場合にも心に正しい方向性を示していますので自分を信じる力、人間の美しい理性と良心を信じてみましょう。ですから、この湧き出してしまった感情を抑圧しら体調を崩したとか、逆に理性が警告した感情を抑圧したお陰で...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が今、色々と努力して生きているけれども、果して良い方向に流れているのか、悪い方向に流れているのか心配なものです。どのような視点から自分を見つめたらいいのでしょうか?プロセススケールという理論で考えてみましょう。さてどんな環境で生きていても、その現実の中で湧き出す感情はそれぞれ深い意味があります。カールロジャースという学者さんの労作「プロセススケール」で比較考察していきます。さて、湧き出す感情を皆様はどう解釈していますか?自分にとり都合の良い内容の感情ならば楽しくスムーズに正面から取り組む気があるでしょうが、都合の悪い、見たくない内容ならば人は多分抑圧するでしょう。ここに自己分析の面白さが潜在しています。70億の人類にとり都合の良い、悪いは内容が全部違います。この問題について思索していきます。その内容が...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理学の勉強は少々ややこしいですが、自分が悩んだり、愛する人、大事な人が苦しんでいる場合、そっと優しく言葉をかける、その内容が学習している人の場合と、そうでない人の場合、相当違ってきます。どうか気楽に読んでいって下さい。或日、ふと、私の文章を思い出してくださるだけで充分です。統御感、という領域の話が続いていますが、この自分が今、心理療法学で言うところの「統御感」に該当していれば、その人の人生、運命は「個性の美」にしたがって順調に流れているわけで、堂々と自信をもつて生きていけばいいのですが、何故か、素晴らしい人生を歩んでいるのに自信が無い人がいるのは、この自己分析方法を知らないからです。もったいない話です。さて、事実上、統御感が健全な人は心が自由です。「なにものにも」とらわれずに、のびのびと生活しています。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法上の「抑圧」とは「人からの避難、嘲笑等を恐れて意識、無意識に、何らかの感情、自己主張を我慢すること」と某先生は定義しています。更に「抑制」は抑圧より軽く、健全な心を抑えるもの、と定義しています。難しいのですが、湧き出す感情には深い意味がありますので、倫理道徳は大事ですが湧き出す感情を抑える程度が「抑圧」なのか「抑制」なのか、セラピストにはなかなか分かりませんが、身体症状にまで展開している人を見ると、あー、これは少々病的な心の制御をしているのではないか、と心配になります。抑圧、抑制をする前に、現実問題として湧き出した感情の意味を冷静に思索する習慣、セルフコントロールの仕方を努力して考えないと、誰も教えてくれません。自分の健康の為に、検討する楽しみを身につけるのも生き抜く知恵です。もともと抑圧も抑制も...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心身症の原因は日々のストレスが遠因ですが、自分の自然体の状態の心の安らぎとストレスが蓄積している時の身心の分析方法を知らないと、どんな頑強な人間でも疲労困憊していき、最終的には参ってしまいます。生身の人間の当然な現実でもあります。全てが順調な時は、こんなめんどくさい心の領域の問題に触れる気もありませんが、少々嫌な感情の日々が続いたり、落ち込んだ日々を送るようになると、自分は何故、こんな時間を送るのだろう、嫌だなあ、何とか、元の明るく元気な日々を送りたいものだと自問自答します。自問自答する人はまだ恵まれたほうで、殆どの人は自問自答すらしないで、ひたすら周囲に八つ当たりするか、ぶつぶつ文句タラタラの生活を送り出します。そうすると益々、周囲から嫌われ孤独になり悪循環開始の日々となります。明るい人には人は集まりま...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    80億の人類の一人一人の環境は全部違います。ですからそれぞれが逞しく元気に生き抜く為の思考、感情、行動の在り方は、これまた、全部違います。その為には自分の生きていく目的も明確であるのは当然ですが現実をその目的に合わせて取捨選択していく吟味力も必要です。この現実吟味力を発揮する際に、もう一つ考えねばならないのが、自分の経済力、知識、体験、意欲、能力、健康状態を十分認識しないと、どんでもない吟味をしてしまいます。人生の夢も大切ですが、この自分の現実吟味力を磨くと、日々がとても楽ですし、安心して自分を信じて堂々と一日を生きる事が出来ます。金に目がくらむ、美女に我を忘れる、地位にこだわる、倫理道徳に固執する、義理を過剰に大事にしすぎる、生活習慣を見直さない、その他心を縛る要素を分析していない等、日々の自分の心をい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    気分良く幸せに生き抜く為に、時々立ち止まり、楽しい気分で散歩しながら考えたい課題の一つに「アイデンティの統合はどうなっているか?」という自問自答です。自分にとって悔いの無い人生とは、どんな内容の人生か、そのあたりの考え方、セルフイメージが確立されていないと、何歳になりましても、この統御感は生まれてきませんし、生まれてくるわけがありません。セルフイメージを先ずは気楽に確立していきましょう。そうしないと、心と身体がどう統御したらご主人さまが満足するか、答えを与えてくれません。大脳と60兆の細胞の中のDNAは、種の保存方法として、いつもご主人様が身体の病気にならないように、また、心が乱れ、錯乱すると長生きしないので、何とか身心を明るく元気に、爽やかに生き抜けるよう知恵と答えを準備しているようです。問題意識を持つ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が今、健全な統御感で生活しているかどうかの識別方法は一般論としては下記のように言われています。(a)朝、目覚めた時、よし、今日も悔いの無いように生きていこう、(b)夜、寝る時、色々あったが、自分は良くやったなあ、有難い一日であった、と感謝と満足で熟睡する。この二つの精神現象が理想です。この状態に近かければ、現在、健全な統御感に生きている人、といえるでしょう。この二つの精神構造を形成する背景を説明するには、相当の時間をかけて理論説明が必要です。生き甲斐の心理学を学習している人に対して、何故、そう言えるかは大きな試験問題の一つですし、心理療法の試験問題としてしばしば提出される病理論の領域の試験問題です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「統御感」が無い人々の現実の意識の中に「流されっぱなしの我が人生」とか「私は何処へ流されていくのだろう?」と言う、ふらふらした嫌な、お化けのようなストレスがあります。人は考えた通りの人生となる、という諺がありますが、自問自答する場合に、どんな言語、意識を持つかで人生の流れがきまるようです。冷静に考えると、自分にも夢があり理想があり、意識、無意識にその実現に向かって人は動いているものです。何処に流されているのだろう、という自問自答は案外、自分を破壊させていますので、何処に流れていきたいか、その流れ着く先を意識化すると、この恐ろしい自縛の領域から離脱して、流れゆく先を意識することで統御されていきます。流されている、という意識は「セルフコントロール出来ていない愚かな自分」という意味です。;、言葉は恐ろしいもので...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日々暮らしていて、心がはっきりしない、何の為に生きているのかも意識化出来ない、あれこれ不満だらけ、感謝と満足感が無い、こんな心境の時のことを統御感のない日々と定義しています。日々いきいきとして明るく元気に爽やかで、仕事に深い意味を感じていて、色々ありましても、楽しく生きている状態を統御感のある日々と考えていいでしょう。もう少しきちんと説明していきますが、この反対の概念が錯乱、です。錯乱というと大げさですが、心が取り乱された状態、スカーッとしない日々はほぼ錯乱状態、と生き甲斐の心理学が大げさに定義している精神状態のことです。この統御感について思索していきます。統御感の無い人生は悔いをのこすでしょう。どうしたら統御感のある日常生活が送れるのでしょうか?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    エリクソンと言う学者はその人格発達論の中で、35才を超えるあたりから60才くらいの人々に注意を促しています。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素の関係で、人により相当「お色気の有り様」は違います。冷静?に勉強し、思索すれば、直ぐ分かる事なのですが、案外、世俗に流され、自虐的程に、自分を失う傾向の人が多いのです。この範囲の年齢に要求される努力目標があります。それは今まで色々の人々にお世話になりこの年齢層まで生きてきたのですから、そろそろ周囲の若い人々を親切にお世話しなさいと言う警告です。幼い子供から20才頃まで、人間は宇宙をさまようような生活をするものです。特に青春時代は嵐のようなものなので、取り扱いは難しいのですがお世話する対象が若くても、高齢者でも、そろそろ「世話」という領域に意識を向けないと...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    一番病に弱いのは私のような気がします。風邪で少し熱が出ると、もう死んでしまうのかなあ、と感じたり、弱虫になるからです。しかし、今日まで元気に生きています。皆様も笑いながらこの記事を読んで下さいませ。昔から直ぐ眠れる時と、なかなか寝付かれずに翌日の仕事にも影響が出て、辛い一日を送る羽目になる人生でもありました。しかし意思力と努力で仕事をこなしてきたわけですが、そんな体験と心理療法の勉強を通して、古い諺「病は気から」は本当だなあ、としみじみ昔の人の言葉に感謝しています。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素は、どんなに気張っても改善出来ない領域なので、その人なりの対応策が必要です。病は気から、と自分に言い聞かせたお陰で、どれだけ明るく元気に爽やかに生き抜いてこられたことでしょう。病でもないのに病だ、と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分も他者も色々と観察すると、それぞれ気になる身体症状があります。風邪から運動のしすぎによる筋肉痛、血圧、頭痛、言い出したらきりがありません。とても深刻な終末治療の現場でも、今回の健康感について、きちんと恐れずに思索する場合と、嫌な話題なので逃避して思索しない場合ですと、日々の生活が非常に明るくなります。極端な場合、家庭介護の日々の場合でも、その周辺の家族や本人自身の死の取り扱いの問題にしても、混乱する事無く、対処出来るようになるようです。健康感という領域の問題は精神的に錯乱すればするほど、現実以上に過剰反応してしまう領域なので、健康感については真面目に思索したほうが良いのです。私は死に直面した経験はありますが、未だ元気ですし、最終的な死を迎えた経験がないので、教科書通りに行かないことはわかりますが、色々...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」を勉強しなくても、ふと、良き友人との会話から「自分はどうしても人に対して基本的に友好的な感情が持てない種類の人間なのだ」と悩みだした話を聞く事があります。周囲の人に対して親しみとか友好的な感情が持てない、と悩みだす話です。この悩みを所持する人に色々の話をしましても中々理解されない場合、下記の話をしますと、ほっとされるようです。ストレス曲線と幸福曲線の関係は、とても面白い理論があります。つまり光と影の関係のように人間の怒りの感情の反対側の感情を友好的な感情と呼んでいる定義の話をします。不安感が解消した時のほっとした感情を平安感というように、或人への怒りの感情が解消して少しばかりですが「この人にも良い所があるんだ」と理解した時の感情も友好的な感情の領域に突入したと解釈しています。周囲の人間...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    初対面の人に友好的な感情を持てる人はとても幸せな人生を歩めますが、初対面の人に対して常に意地悪な態度、偉そうな態度、ゆがんだ感情しか持てない人は割と、じめじめした暗い人生を歩いているようです。つまり基本的に「自己肯定他者肯定」の人格者は世間にあまりいない、という事です。お育ちの良い人は子供の頃から人を疑いません。騙されやすい性格と言ってしまえば、それまでですが、本人は意識しているか意識していないか分かりませんが、生き甲斐の心理学の法則からいいますと、騙す人よりは幸せな人生を歩いているようです。本来の性格を下記の4つのパターンに分類します。「自己肯定他者肯定」、「自己肯定他者否定」、「自己否定他者肯定」。「自己否定他者否定」。あなたは、どのタイプですか?先ずは自己分析してみましょう。残酷な質問ですが、この自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    朝、目が覚めて気分が悪いと何となく一日が落ち着きませんし、楽しい人生ではなくなります。しかし熟睡した朝は気分が良く、通勤電車の中でも、多少、足を踏まれても腹がたちません。勤務先に到着して、いつもなら挨拶したくもない相手に対して、こちらから友好的な感情で、おはようと言える日もあります。この「友好的な感情」を所持するには「平安感」が前提なのですが、どうしたら、この感情がもてるでしょうか?この「友好的な感情」が自分にとっても、周囲の人にとりましても、人生では大事な感情だ、と頭では分かっても、そう簡単に保持出来る範囲の感情だとも人は思っていません。つまり難しい感情なのです。相手がぷりぷりしていたり、偉そうな態度なのに、こちらが「友好的な感情」を示せば、プライドもあり、負け犬のような気分にもなり、卑屈な気分にもなり...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人により平安感や幸福感を感じる内容は全部違います。私の書斎には約3,000冊の愛読書があり、その表題を見ては、色々の種類の思索を楽しみ、勉強会のカリキュラムを練るわけですが、その時間は我が人生における至福の時でもあります。未読の本も沢山ありますが、未読とは言いましても、ぱらぱらと軽くは読んでいますので、大体、何が書かれているかは識別出来ます。イギリスの大学の図書館は中世紀からの古文書もあり、その香りは独特なものですが、私は、その香りに触れると魂が踊る感じです。私の書斎から野川を挟んで森が見えますが、その森は室町時代に出城があったようで何か独特の雰囲気と異様なものを感じさせる林です。時々、何とか言う種類のタカの夫婦が来ると、そこに住み着いているカラスの大群が恐れて、どこぞへ移動していきますが、先住民のカラス...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何故、このような思索、分析をする必要があるか、と言いますと、心理療法の世界で時々遭遇する来談者の中に、巡礼や神社仏閣の訪問、座禅会・瞑想会に参加したばかりに、少々変になる人がいて、そのカウンセリングをする場合に、この知識と対応策を知らないと、その人を元気にする事が出来ないからです。この知識がありますと、自分に相応しくない会合には今後、参加しなくなり、自分を自虐的に追い込む事もなく、自分に相応しい場を選択する知識も身についてきます。さて、聖地、霊地に立つと昨日お話した考え方、感じ方があるわけですが、どんな小さな感覚でもノートに書いておきますと、後日、とても役立ちます。人間の体は或場所に立ち、その場に立った時の感情が、どうして生まれてくるか、その仕組みを意識しておくと、とても人生が楽しくなります。アフリカで人...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    霊地と呼ばれている場所は世界各地に散在し、いづれも不思議な事に石が、そこに存在しています。石の形状は民族により違いますが、その理由はどんな形状に神秘性を感じるか、その民族により相当違いますが、共通は「石」です。何故、石に興味があるのか、その理由は学者が研究していますが、やはり比較宗教学の方程式:A=B(X+Y)を知らないと中々、結論が出ないようです。Aは、生きている人間である自分のこと、Bは臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である魂のこと、Xはその人の生育史、つまり赤ちゃんから今日までの人生の記録(セルフイメージ)のこと,Yは生物学的医学的身体のこと、この方程式のBが神秘性を大脳に与えているというのが私の採用している解釈です。神秘性を感じるものの、その表現方法はXとYが決めていきます。アフリカの青...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    霊地と呼ばれている場所は世界各地に散在し、いづれも不思議な事に石が、そこに存在しています。石の形状は民族により違いますが、その理由はどんな形状に神秘性を感じるか、その民族により相当違いますが、共通は「石」です。何故、石に興味があるのか、その理由は学者が研究していますが、やはり比較宗教学の方程式:A=B(X+Y)を知らないと中々、結論が出ないようです。Aは、生きている人間である自分のこと、Bは臨終とともに身体から離脱していく知的生命体である魂のこと、Xはその人の生育史、つまり赤ちゃんから今日までの人生の記録(セルフイメージ)のこと,Yは生物学的医学的身体のこと、この方程式のBが神秘性を大脳に与えているというのが私の採用している解釈です。神秘性を感じるものの、その表現方法はXとYが決めていきます。アフリカの青...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    憧れの熊野三山、この現場に立った時、恩師の言葉をふと思い出しました。世界には霊地といわれている場所が沢山ありますが、その古代からの霊地に立った時は、どんな小さな感情や思いもノートに書くべし、という恩師の言葉でした。今回の熊野の旅は、親しい人々と旅をしていたのですが、密かにノートに記録しました。ヒマになりましたら、色々と研究材料にするつもりです。さて、イギリスの大学の研究室でも、霊地に旅をしまして、後日、こういった旅先での互いの記録を研究室で互いに笑い合いながら発表させられるのですが、この発表会は最初の頃は見栄もありプライドもあるので、正直には中々いえません。と言いますのは、自分の心の中での自問自答の内容の程度に、そんな自信がないものですから、発表出来ないのです。ですから一応、気取って、表の顔で語りますので...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐の心理学では「平安感」という感情を大事にしています。朝、目が覚めて心がざわついていると、なにをしても落ち着きません。しかし、心が何となく安らいでいると、身辺の森羅万象がとても美しく見えてきたり、鏡を見ても、自分の眼差しが邪眼ではなく、慈しみに満ち溢れた眼差しをしていて、とても安心して新聞をぱらぱらと眺める余裕がありますが、心が不安定でイライラしていると同じ新聞の記事でも、そう落ち着いて記事を読む事も出来ず、どんな記事を見ても、イライラしてきて面白くありません。このように平安感という感情は生きていく上で、とても重要な感情なので、暫くこの幸福曲線上の「平安感」について思索していきます。この平安感は平素、不安に感じていた事柄が解決し、ほっとした感情を言います。自分の平安感を思索する場合、平素、感じている...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の問題なのか、相手・他者の問題なのか混濁すると人は幸福にはなれません。更には理想と現実を混濁しても、幸せになれません。その混濁の理由は思いこみが原因なのですが、複雑なので、一つのフィルターという言葉を使います。私を含め、人は「一つのフィルター」から物を見てしまう傾向があります。例えば新聞のニュースを見ます。歓迎する人もいれば、同じニュースでも腹を立てる人もいます。この解釈の違いで、もし、無理をすれば、その人は心が落ち着きません。このように、人は自分の心を安定させる考え方、フィルターで解釈していかないと、とにかく、心が安定しないのです。つまり自分が安心して生きていける解釈を、ストレスがたまらないように、色々と言葉にしていうわけです。この傾向は悪い事ではなく種の保存、生命の維持に必要な精神作用だからです。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は、そえぞれの夢に向かって歩き出します。その際、「幸福感」と「幸福の条件」の違いを意識しながら生きていきましょう。幸福感とは少々持病がありましても散歩の途中に美し野草のお花を見て、しみじみと感動する「幸福感」のように、感情の世界での幸福感です。幸福の条件とは、例えば、結婚する相手は資産家、外交官、良家の息子や娘、或いは、財産は無くても、どんな環境で育った人でも、優しい性格、姑が居ない事、大都会の人、商家、農家等の条件提示を言います。この幸福感と幸福の条件を厳しく分けて、幸福、という全体像を考えないと、悔いの無い人生を明るく元気に爽やかに生き抜く事は不可能でしょう。幸福を追求するのは人間の本能ですが、この違い(幸福感と幸福の条件の違い)を明確に意識化して生きていくと、どんなに厳しい現実と遭遇しましても「幸...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    病気というものは嫌なものですが、考え次第で自分の人生が激変します。私は幸か不幸か大腸憩室が原因で色々苦しみました。突然、下血する驚きは大変な衝撃で、しかも、大好きな仕事ではりきっているので家族や周囲の方々にも大きな心配をあたえてしまします。どうも遺伝のようです。父は海軍の軍人で第二次世界大戦でも活躍しましたが、憩室で苦しむどころか、大いに飲んで戦争でも活躍していました。私も真面目に生きているつもりですが、この大腸憩室には苦しみます。さて、この病気とか事件、その他の人生の様々な試練についてかんがえますが、結論として生き甲斐を感じる要素として、人生での難問はとても必要なようです。体験の解釈次第で日常の幸福感が左右されますので人生の色々の哲学者、宗教家、釈迦とかキリストとか歴史に名だたる方々もいづれも大きな苦難...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幸福な自分を感じる場合、いちいち分析する必要は無いのですが、幸福病という概念もありますので、何故、幸福なのかを分析する必要があります。心の奥底で自分は不幸だ、と感じていても、立場上、不幸だと言えない宗教家が居たとします。立場上、檀上で幸福を説く場合、自分が不幸とは大衆の前では職業上言えません。そんな場合、いくら幸福論を説きまいても、身体全体、眼差しは不幸な心を全体として表現しています。これは恥ずべきことではなく、しようがない現象なのです。眼差しは正直で、哀しい時は、どんなに偽っても眼差しは哀しみを表現しているのです。不幸なのに幸福と錯誤したり、あえて幸福だ、と言うのが人間の美しい所でもありますが、病的な領域でもあるので、この分析が必要なのです。「不幸なら、不幸」と意識の上にあげ、堂々と不幸な自分を受け入れ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人の幸せはじわじわとせまってくるものですが、時により瞬間に、もうどうしようもない幸福をかんじてしまい、天にも昇る気持ちになる場合もあります。しかし、その感動が醒めると、また、何となく憂鬱になります。こうして赤ちゃん時代から高齢時代まで、喜怒哀楽を繰り返して、人は生きていきます。幸福感という心の流れを何故、心理学者が分析して、沢山の論文を書くかといいますと、幸福でありながら、不幸という来談者にキチンと説明する為でしょう。どの段階の幸福かを心理療法家は意識しておかないと仕事にならないからです。例えばもう少し知恵を身につけたり、具体的な指針に従って努力をすれば、人生での最大の幸福を手にするのに、段階説を知らない為に、途中で諦めてしまうケースがあるからです。素晴らしい恋人と出会い、幸せな結婚にもう少しで達成するの...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は不幸だ、と嘆き悲しむ人を生き甲斐の心理学は分析していきます。その際に、当然、どこが不幸なのかを誠実に傾聴していきます。更には、自分の幸福とは何か、をも質問、または会話をしていきます。この際の質問は刑事さんの尋問のような雰囲気ではなく、楽しい雰囲気を醸し出す努力をしています。殆どの人が「自分の幸福とは?」という質問をしますと、答えられないのです。何故だと思いますか?人は「生き甲斐の心理学を学ぶ学徒」のようには勉強していませんし、それが当然でしょう。「生き甲斐の心理学」に出会ったことがなければ、または、興味がなければ、この勉強はする必要がないからです。しかし、自分は不幸だ、と嘆き悲しむようになった時、初めて自分の幸福、他者の幸福、日本人の幸福、アメリカ人の幸福、人類の幸福等など、比較文化、比較宗教学の視...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大人になり「幸福について」などという言葉に触れると、ふん、青臭いなあと馬鹿にする人がいます。そういう人に限り、生きる事にぶつぶつ文句を言ったり、周囲にやつあたりしたりする人が多いようです。人は時々、立ち止まり、自分の悔いの無い人生とは何か、とか、自分は本当に幸せなのだろうか、とか周囲の人々の幸福を真剣に考えて生きている類の人間なのかと自問自答する必要があります。暫く、幸福について思索していきます。日本の国際環境、政治、厳しい現実、災害地等問題は山積していますので、人の幸福について、どんな視点から思索すればいいのでしょうか?今回は7つの視点から思索していきます。人は自問自答の内容で人生が決まりますので、何を自問自答するか、生き甲斐の心理学の先輩達がどの視点から思索すればいいのか、エリクソン、フロイド、ユング...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「あなたは錯乱しています」と、信頼している医師やサイコセラピストに言われたら、多分、誰でも相当にショックを受けるでしょうし、相当、心が乱れるはづです。この第5段階の分類で使用する「錯乱」と言う言葉はあまりにも強烈だからです。しかし、もし70億の人類が悩みの相談に一人ずつ皆様の所を訪問して、色々の言語で、または、それぞれ勝手な感情表現で、ばらばらに、相談されたら、つまり、70億通りの悩みの言語で言われたら、皆様は対応出来ません。学問はそういう沢山の臨床事例を把握していますので、世界の学会で100年をかけて、事例研究をしてきました。そして、出来るだけ、簡単に、洞察する方法論を編み出してきました。フロイトは精神分析を、ロジャースは自己成長理論を、だれそれは何々を、と今では大きな学問上の病理論は8つくらい存在して...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    鬱とは何か?この定義は非常に難しくデリケートな問題です。鬱の範囲があまりにも広範囲で、自分が鬱になった、と気にする人にとりましては、このブログはあまりにも短い説明なので或意味、危険かもしれませんが私はどんな鬱状態でも、役に立つお話だと信じて書いていきます。器質障害の場合はお医者さんの範囲ですが、心因性の鬱の場合は、精神病(そう鬱症、統合失調症)、神経症、人格障害、健全でありましても、考えてみれば、人生そのもが非常に憂鬱の事が多いので、下記の対応は役に立ちます。生き甲斐の心理学では「鬱」を第4段階として取り扱います。つまり第一段階である不安感、第二段階の怒りの状態、第三段階の身体症状、そして今回の第4段階の鬱、ですから、根が深いわけです。生育史の背景もあり、遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素のか...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    明るく元気に生きているつもりでも生身の人間には、疲労が少しずつ蓄積していき、身体症状(警告)が出ているにも拘わらず,その症状に気付かず、あるいは、認めようとせずに疲れていき、ついには風邪をひいて寝込み、初めて、あれ、と自分の不調に気付く。この生活リズムは普通の現象ですが、私の知人には行政が時々誘ってくれる検診を馬鹿にして長年、受診しませんでした。何かを感じたのか、初めて検診を受けたのですが、とき、既に遅しで、終末期の癌だと判明し、その後、数け月で帰天してしまいました。何とも哀しい話です。自分は健康だ、医者にかかる必要はないと主張していただけに悔しい気分です。身体症状が出る前には、色々のシグナルが出ます。食欲減退、睡眠不足、お色気の消滅等、その人の遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素で、どんな身体...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    ストレスの蓄積を溜めるのはその人の責任なのですが、「知は力なり」と言われるようにストレスの処理の仕方を知らないと、長い人生で自分を駄目にしてしまいます。どんなに意思力があり人格が素晴らしくても、ストレスの処理方法を知らないと、早死にしたり、無駄なエネルギーを消耗する羽目になり、馬鹿馬鹿しいくらい自分を疲労させてしまいます。怒りの段階に発展していく理由と意味を熟知しておきましょう。どんな問題に遭遇しましても人はストレスがたまるように出来ています。ストレスは健康で逞しい人にとりましては、人生を前進させる為の重要な契機を与えてくれますので、人類からストレスが消えない理由は、人々を前進させる為の大自然の摂理なのでしょう。人にとり、理想通りに行かない場合に最初に生まれるストレスが不安感なのです。その不安感は理想と現...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」で何故、このような自問自答が重要視されているのでしょう?どの世界にも原理、原則のようなものがあります。例えば数学では1+1=2、のようなもの。生き甲斐の心理学で出会う人々の内、特に自分を責めている人の中に、平安感を保持出来ない弱い自分を自虐的に責めている人が沢山います。その人が段々と、この勉強を深めていく内に、人間の本質は平安感だと思って生きてきたけれども、そうではなく、人間の本質が不安感なのだ、と気付き、自虐的な解釈をやめて「人間の本質は平安感でなく、不安感である」という臨床的事例を意識化出来るようになると、今までのストレス曲線が解消していく体感を実際に感じるようになります。こうして人生そのものが、もともと安定ではなく、日本の大自然に四季があるように、人間の心も移ろいゆくものである、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    某先生が日本で最初に「ストレス曲線」という用語を、その著作の中で、非常に御上手に、表現されていましたが、人間が感じるストレスの表現は世界中で沢山の言葉を使用しながらストレスを定義し、解決しようと、学者達は努力しています。ここで定義する「ストレス曲線」は「不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ」にまとめて、その「負のエネルギー」を表現しようとしています。その反対が「幸福曲線」なのですが、後日、細かく説明していきます。ここでの「ストレス曲線」とは人を最初に苦しめるのが、つまり、第一段階の負の感情と言われている感情を不安感と定義しています。その不安感を処理していないと、第二段階として、その不安感が変質して「怒りの感情」にまで押し上げられていきます。その不安や怒りが処理、解決されないと、眠れない、食欲が無い等の第...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分のストレスは他者には理解されないのが普通です。本人にしか分かりません。他者が理解してくれないと怒る人がいますが、怒るほうがおかしいのです。ストレスとは何か、という説明は沢山ありますが、生き甲斐の心理学では「自分のストレスとは自分の成育史上の理想と現実のギャップ」として理解しています。この原理を知らないと、何が何だか分からない状態で、怒りっぽくなったり、八つ当たりを周囲にしたり、他者には理解できない形で泣きわめいたりして、周囲の信用をなくし、相手にされなくなります。思い通りにいかない赤ちゃんが泣いているのと同じ原理です。ストレスが何故、起きるかといいますと、こうありたい、こうあって欲しい、あるべきだ、と言う想いと現実の解釈のギャップから生まれてきます。このストレスを五感と体感で感じた場合、そのストレスを...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は愛し愛される関係の中で初めて充実した日々が送れます。愛の孤独感は人を破壊していきます。そうかと言いまして、嫌いな人との関係性の中で、無理に愛し愛されようと努力すると、これまた人生が破壊されていきます。難しい領域です。愛の孤独感は夫婦間、職場、親友、知人、色々の人間関係の中で生まれてくる色々の種類の愛の姿です。愛の世界は一つの種類ではなく、万とある種類の世界ですので、心配は不要です。道端でふと、可愛らしい少女が、転んだ私に手を差し出してくれる姿も愛の姿の一つの姿、形です。問題は優しい少女の瞳にも感謝と親しみを感じ得るかどうかの問題です。道端の草花の中にも愛を感じ取れるこちら側の領域なのです。森羅万象の解釈の際に、愛を感じ取れる哲学を持てる人は本当に幸せです。愛の原型は幼い頃に形成されてはいますが、大人に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の生育史が嫌いな人、好きな人、と色々ですが、この好き、嫌いという感情は年代、年齢、環境の変化等で、相当変化してきます。人の傾向と渇望はあまり変化していない、三つ子の魂、百までも、と言われていますが、激変していくのも事実です。幼友達の内、悪童だった学友が何とも見事な魅力的な善人?に成長しているのを沢山見てきましたし、自分でも信じられないような性格と解釈を体験し、天に感謝している領域もあります。終戦を経験したり、職業の激変があったり、重病を体験したりしつつ、自分の歴史の記録である生育史が形成されていきますが、その一つ一つの場面が好きか、嫌いかは、年と共に解釈も変化していきます。今後の自分の人生を悔いなく生きていく為には、過去の嫌な記憶や見たくない人生が未だ心に潜在していると、これからの答えが見えにくいと言...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    魂を大事にする、という意味は古来から言われている「メメントモリ:自分の死を考えていこう」という領域で、楽しく明るく自分の死を考え、現在、厳しい現実を生きる場合も、幸せな日々を生きる場合でも、時々立ち止まり、自分が本当に魂というものを所持しているのかどうか、思索してみましょうと言う事です。人類誕生以来の大問題です。哲学史、思想史を見ても、答えは無く、最終的には個人が何を信じるか、その人の自由意思の問題です。臨終間際を色々と見ますと、取り乱して死んでいく人もいれば、悠々として死んでいく人もいますが、このメメントモリを若い頃から思索している人の死はそれなりのもののようです。臨終の体験が無いので何とも言えませんが飛行機事故の時の体験や海外での暴動で死の危険の場面を体験していると、何となく覚悟の内容を、どうすればい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐の心理学を学ぶ勉強会でも、時々自分の生育史が大嫌いな人に遭遇します。これは良いとか悪いとかの領域でなく、生き甲斐の心理学の学習を深めたい人にとって、一番重要で貴重なテキストがこの自分の生育史なのですが、その事に気付かない事が損失なだけです。勉強していく内に、自分の生育史が宝物であることに気付きだします。しかし、学習の当初は、どんな人でも過去の或場面を見たくも無いし思い出したくもないと思うのは当然なことです。生き甲斐の心理学を勉強していく内に、嫌いなものは嫌いなのですが、その解釈が少し変化してきます。どう変化するかと言いますと嫌悪感、劣等感、不信感が減少し、今日の自分の幸福は、あの嫌悪すべき場面を、人生を乗り越えたがゆえに、今の幸福が存在していることに気付きたすからです。生き甲斐の心理学で言う所の「...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼児から高齢者まで、地球のいかなる文化圏においても、その対処方法は類似しています。但し、キチンと勉強したレベルでのお話です。自虐現象の遠因を3つに分類しています。一つは「思考」からくるもの、二つは「感情」からくるもの、3つは「行動」からくるものです。比較文化論、比較宗教学の原理:A=B(X+Y):Aは現在生きている人の在り様、存在のこと、Bは魂(魂は愛そのもので、永遠不変なもの、病む事もなく、老いることもない、臨終と共に、身体から離脱する知的生命体のこと、Xは人の生育史のこと、赤ちゃんとしてうまれ、現在までの、その人の歴史のこと、Yは身体のこと、この方程式を意識しながら、自虐に対処していきます。自虐はその人の考え方(思考)に支配されていますし、衝動的な感情に支配されていますので、その人の感情の処理方法を洞...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼稚園児、小学生でも自虐的なのを見ると不思議でたまりません。何故、こんな幼い子が自殺をするのでしょう?リストカットをしたり、考えられない非行に走ったりするのを、ここでは「自虐」と定義しています。自分の身体を何故、大事にしないのでしょうか?成人した後も、この自虐は続きます。ここでは心理療法としての自虐について考えていきます。古代社会から現代にいたるまで自虐は継承されているので、どうも本能的な領域に自虐が含まれているようです。大昔は悪魔の仕業、という表現がまかりとおりましたが、現代では悪魔の仕業と表現したりすれば、たちまちにして精神病者扱いになります。魂の輪廻転生説でこの自虐を解決しようとしたりしますが、幼稚園児の自虐から高齢者までの自虐は、心理療法では何故、そのような現象が起きるか、説明する必要に迫れれます...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法を学習する場合、自分の心(臨床心理学)、身体(基礎医学)、魂(宗教学)の3つは必修学です。かつ、世界の比較文化論、比較宗教学を学習しないと、人の生育史を分析する事が出来ません。幼児から高齢者までの人間がする「思考感情行動」の背景には意識、無意識に拘わらず、この「自分の心」「身体」「魂」が織りなす自問自答がそれなりに行われているのです。この思索を暫くしていきます。自分の心と身体と魂を大事にするとは、どういうことでしょうか?皆様も楽しく考えてみて下さい。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私の友人に「自分は何の為に生きているのだろう?」という疑問を探すのが「自分の生き甲斐」だ、と断言する親友がいます。これもまた一人の人間の生き甲斐だと思います。或人は明確な目的で生きている人もいれば、答えが不明で苦しみながら生きている人もいます。何の為に生きているのだろう、という疑問は、どちらかと言いますと非常に哲学的な領域で、答えは、死んだ後の世界にも触れ、かつ、満足させる答えでないと正解とは言えません。神仏の領域と重複しないと軽いものになりがちです。しかし、生き甲斐となると太極拳(スポーツ、運動)、モーツアルト(音楽)、シャガール(絵画)、古代史(趣味)等、実に沢山出てきます。これが私の生き甲斐です、という答えは70億人(現在の地球上の人口)それぞれでしょう。生き甲斐があれば、当面は毎日、イキイキと明る...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界のあちこちの大学主催の心理療法の勉強会に出かけましたが、その後でのアンケート風の質問で一番、物凄い内容のものが「君は生きている価値があるか?」という一問だけの質問でした。欧米の一流の大学の勉強会でのアンケートでした。アンケートの対象者は心理療法を勉強している学徒ですが、私は素晴らしいものだ、と思いましたが、意見は相当分かれたようです。心理療法をしている学徒は、この質問には自分なりの明確な答えを所持していないと、仕事は出来ません。普通は10問程度、質問されるのが普通のアンケートですが、この某大学の質問は、たった一つですが、強烈でした。皆様は何と答えますか?今日のテーマは「自分は何の為に生きているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答集」です。この自分は何の為に生きているのだろう?」と問われた時、きちんと答...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」での「自己実現」は3つの意味をもっています。(1)自分は何の為に生きているのだろう?(2)自分の生き甲斐は何か?(3)自分の心と身体と魂を大事にしているか?以上の3つを何よりも大切に考えています。この自己実現を考えだすと、日常生活でのストレスの大半が消滅していくとも言われています。この3つを楽しみながら考える事自体が生き甲斐となってきますし、この3つを考える事自体が人類発生以来の幸福への道なので、人の大脳が心地よく刺激されだし、周囲の風景も全て意味を持ってきます。通勤電車での嫌な人々も、自分と同じ魂を持ち、模索し、苦しみ、愛しあい、挫折して生きているんだなあ、と思えば、足を蹴飛ばす必要もなくなります。何となく地球上で生きる同志のような気持ちも出てきます。自己実現は自分で探し決める領域で...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人の心を不自由にするもの、案外それはお金であったり、愛の孤独感であったり、希望通りの良い仕事に恵まれなかったり、病気の回復も期待通りに行かない、変な法律が生まれたので何となく恐ろしい予感がしたり、平和な国を築きたいのだけれど具体的にどう動いたらいいのか分からずにイライラしたり、嫌な上司がいなくなることを願ったり、希望は沢山あるのですが希望はなかなか思い通りにいきません。「諦める事」も人生、ときにより幸福への道ですが、諦める自分に対して何となく腹立たしいので、なんとか諦めずに、その内、チャンスをつかもうと考えている内に、人生の時が、どんどん流れ去っていきます。希望する、念じる、この毎日の想いをサラリとしながら生きる事は案外難しいのですが、問題意識を持つ人は幸せです。不満と悪口を口に出せば出すほど、周囲から人...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    厳しい現実に遭遇すると、人は慌て、錯乱します。もがきながら、本や他人に期待して右往左往するのは生身の人間にとり当然のことですが、暫く、この問題を思索していきます。納得のいく答えは最終的に本人が感謝するほどの体験が無いと、人はなかなか、この真理を信じないでしょう。学問の先輩が必死に教えてくださった「答えはいつもその人の中にある」という貴重な真理を無駄にしたくありません。何故、人は答えが自分の中に存在していると素直に信じないのでしょうか?防衛機制、現実吟味力、アイデンティティの統合の問題の領域なのですが、分かりやすく解説していきます。答えは自分の中に存在する、と信じると、あら不思議、自然と意識の上に答えが見えてきます。信じると見えてくるものがあるのです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今、「何とか法」が色々の意見として、マスコミに登場しています。昭和20年、終戦前、神奈川県葉山町御用邸裏の海岸で小学生徒の私達は遊んでいますとアメリカの艦載機が襲撃してきました。軍国少年の教育を学校で受けていまして「負けられません、勝つまでは」と帰校時、大きな声で歌いながら帰宅する時代でした。鞄を松林に置いたりして海で遊んでいると、時々、アメリカの戦闘機が飛んできます。4-5人の我々悪童がその戦闘機に向かいお尻を向けましたら機関銃をうたれたことがあります。パイロットが見える距離でしたので、あわてて松林に逃げ込みます。当時、そのような生活をしていますが、夜になると夢遊病のように何かうわごとを言いながら廊下を走ったりしていたようです。今、色々と聞きますと、当時の子供には夜、そのような精神現象がおきていたようで...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    本物の心理的不適応は、その人が五感と体感で受け入れたくないと思うもの(善悪に関係なく、その人の成育史上、受け入れ難く思う事)に遭遇した時、深層心理の世界で大きな緊張が生まれます。しかし教育、教え、経験があるので、ニコニコ笑いながら、緊張している事例が沢山あります。時間の問題で身体症状が出たり、爆発したりします。このような原理を意識化しておくと、セルフコントロールが上手になり、身体症状を出さなくても生きていくことも出来ます。この原理を意識化しないと抑えがたい感情に振り回され人生を棒に振る人もでてくるわけです。下記命題の引用はテキスト「生き甲斐の心理学:140頁参照下さい」:命題14:心理的不適応は、有機体が、重要な感官的・内臓的経験を意識することを拒否し、したがって、そのような経験が象徴化されず、自己構造の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前のお話ですが、ご縁があり伊勢神宮での正式参拝、そして日本の霊地・熊野への旅が実現しました。そんな旅の途上で出会う沢山の人々・旅人の、漏れ聞く会話にも楽しそうな会話もあれば、こんな喧嘩を旅先でしなければいいのにと哀しく思う会話も聞きながら旅をしてきました。さて、日常生活での会話、仕事上の会話、勉強上の会話、とにかく人間同志の会話の中で、いきなり否定されると話す気もなくなりますが、意見、感想が違いましても、一度、すんなりと受け入れた後、明るく自分の意見を述べる人々の雰囲気は幸福です。人は少しでもいいから、共感して欲しいものです。心理療法で対人関係の障害をチェックする視点「共感能力の欠如:他者がどのように感じているかを心でくみ取ることが出来ない」、程度の差はありますが、少しでも共感して欲しいのが人間です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    学生が先生に対して、または、初対面の男女が勝手に相手を理想化し、失望し、怒りだす事例が多く失笑する事例が心理療法の世界では大いに存在しています。勝手に理想化されてしまう相手は迷惑な話なお話ですが、現実の世界では本当にしばしば遭遇する事例です。少々、専門的な言葉で表現しますと「対人関係が過度の理想化と蔑視の両極端の間で激しく揺れ動く」。これが三番目の対人障害理論です。人間らしいといえば可愛いのですが、子供の世界では一番ある話ですが人生経験を積む内に、人間は、この理論になるほど、と納得し、成長していきます。また、信仰の世界でも、この理論を検証しておく必要もあるようです。例えば、神仏に対しても「努力すれば必ず報われる」と信仰するのは自由なのですが、現実吟味力が無いと、変な信仰心がうまれ、どんどん宗教を変えていっ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    悪気がなくても人間には右の特性がありそうです。「自己の欲望、出世、支配権のために他者を利用すること。他者の尊厳や権利をないがしろにする」。この二番目の対人関係の障害は身近に沢山あります。家庭、学校、友人、どんなコミュニテイでも、大中小の程度の差こそあれ、相手をちゃっかり利用していきます。たかり、おごりなどのおこずかいの世界から政治、国際政治を含め、この対人、対国家の政策にも、この人間本能の基本障害が付きまといます。この原理、視点からストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)を分析し、人、コミュニテイ、国家の平和構築を図ります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人々は誰でも、それなりに幸福になりたい、と一生懸命生きています。しかし、現実の生活では、その幸福追求のあまり権利と義務のバランスを考えている人は、私を含め、そう沢山いないものです。人間の種の保存の本能は自分を中心に考えるように出来ていますので、この意識を教育の過程で受けて初めて、そのバランスの重要性を考えるものです。ですから、時々、日常生活で、ストレスがたまった時に、待てよ、このストレスは自分が権利のみを主張し義務を怠った為に、周囲から嫌われたことによるストレスかもしれない、と反省する必要があるのです。権利と義務のバランスをとても上手に書いた言葉(DSM)がありますので参考にして下さい。対人関係の障害かな、と洞察したセラピストは次の理論を考えていくでしょう。「他者からの特別な好意を当然なこととして期待し、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    普通なら笑ってごまかすか、無視して平和な人間関係ですむことを、或タイプの人は、信じられないような反撃に出るか、冷酷な無視を平然とするか、こんな場面を見たり、体験したり、その渦中に巻き込まれたことはありませんか?自己愛パースナリテイ障害の判断基準の一つに下記の文章があります。「他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する」。この精神現象をセラピストは注目します。永田町、霞が関、教育界、宗教界、それぞれの家庭、あらゆる文化、国、民族で、その識別は難しいですが、生身の人間が互いに幸せに、自己肯定他者肯定の平和な日々を送る為には、この人間の傾向をも意識化しておくと、生きやすくなります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    子供はまあ、しょうがないとして、大の大人でも、思い通りにいかないとすぐ、不機嫌になる人がいます。私も末っ子でしたので、あまり人の事は言えません。20代後半には自分であきれ果てたことがあり、こうして書いていても汗が流れてきます。自己愛パースナリティ障害を判断する基準となる一文「絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度」です。無視されるほど、切ないものはありませんが、ほどほどに注目されて生きていかないと、なんだか、自分の存在価値が無いようで切ないものです。私の父は13人兄弟、全員明治か大正の生まれ、その末っ子の叔父さんは、どこぞの校長先生で定年をむかえましたが、昭和30年代、私が東京から故郷長岡に帰った折に、久しぶりでお会いしても、昔話になり、しばしば聞かされた話がありました、その話といいますのは、その叔...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分をさしおいて、自分がこうありたい、こうあらねばならないという生育史上の理想の領域から人を批判する人がいます。人類の歴史からみれば、こういう人を悪いと断言するのは、いかがかとは思いますが、自分の身近に、もし、こんな友人がいたら、さぞかし疲労していくことでしょう。人類の歴史では自分はさておき、理想像を激しく追及してフランス革命、ロシア革命、明治維新なども流れていくわけですし、周囲の日常生活でも発展もありますので、一概に理想から人を裁く、批判する傾向を悪いとは言い切れない面もあります。しかし、日々の生活で、身近な友達が自分の事をさておき、ばんばんと私の事を攻撃、批判してきたら、逃げ出したくなります。自己愛パースナリティ障害の論文の中に「限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入」とい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日常生活で、相手が少しでも何かを知らないと、馬鹿にしたような、侮蔑したような言葉を吐く人がいますが、この傾向の人には要注意です。自己愛パースナリティ障害という少々厄介な領域がありますが、この対処の時に参考になるのが「自己の重要性、ユニークさに関する誇大感」というチェックポイントがあります。この意味は、例えば、「私はあなたと違い、とても個性的で、あなたよりはまともよ、とても大事な仕事もしているし、お金もあるし、社会的な地位もあるのよ」と言葉にはしませんが、意識のどこかで相手を低くみている人の話です。自分の傲慢性を反省して人と対等な感覚」を取り戻せば、その人も本当の友達が生まれますが、いつまでも、このような意識を所持していると心温まる親友を造るのは多分、永久に不可能でしょう。これから難しい領域ですが私自身の反...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    変な人、と感じる相手を大雑把に整理すると(1)自分勝手で憶測しがちな人、(2)気取った気分屋さん、(3)臆病で心配がり屋、と3つに大別出来ます。自分から相手を見て、変な人、と五感と体感で感じる場合を、臨床心理学として整理するとこうなるわけです。しかし、70億の人類の一人一人がそれぞれ相手を変な人、と感じていたとすると、どうなるのでしょうか?そこで「自分以外は全て驚きの対象」という仮説も生まれてきました。どこからが病理で、どこが健全かは、その文化で、国で、宗教で、家庭環境で、相当違ってきます。精神病理学でも、学派により、解釈が非常に違います。こんな社会ですので、人類社会での平和構築の際には「愛と許し」というとても重要な哲学も生まれてきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    責任をとるのが嫌いで、度胸もなく、いつも不安がり、臆病な相手には嫌になることがあります。いつも人のせいにするし、社会のせいにしますので、会話がイライラしてきます。このタイプの背景には回避性、依存性、強迫性、受動的だったのに突然理由の無い攻撃を開始するなど、とかく驚く現象が頻繁に身辺に生じます。この精神現象を日々、体験している場合は、少々、これからの対処方法を真面目に考え始めたほうがいいでしょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の相手はどうみても「気まぐれで、感情的で、演劇的」な人と感じたらその感覚を大事にしたうえで対処していく必要があるようです。この背景には演技性、自己愛性、反社会性、境界性の香りが少しあるからです。最初は素晴らしく見えても、すこし心のふれあいが深まると、この傾向がちらちら見えてきます。感情を抑えられない人には注意しましょう。感情が爆発し自分を暴走させる人が相手の場合は、こちらが余程愛しているか、心地よい何物かを所持している人なら、双方は幸せですが、我慢が出来ない相手の気まぐれならば、それは悲劇の始まりかもしれません。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    あなたから見て相手が奇妙な人、と本気で思っているなら相手は本当に奇妙なのです。五感と体感で奇妙だ、と感じているのに、自分の見る目が無いとか、人生経験がないからと劣等感的に自分の感じ方を否定しつづけ、我慢していると、色々と支障が出てきます。奇妙な相手だと感じたら、正直に自分の感性を信じたほうがよさそうです。折を見て、相手に奇妙な所を喧嘩をしないで正直に伝達してみましょう。この数回の努力をしないで離別していくと人生の幸福はいつまでも手に入りにくくなるようです。深層心理学では「自分以外は驚きの対象」という仮説がありますが、それでもなお自分の五感と体感で相手が奇妙な人と感じたら、その感覚を正中線に置いて、その上で色々対処したほうがいいでしょう。相手もあなたを変な人、と感じている場合が多いので、喧嘩をしないで明るく...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    家族、友人、恋人、夫婦、親友等の人間関係を観察していると、長く続く事例、直ぐに破綻する事例、色々です。この問題での「他者分析」は殆ど不可能に近いので、「自己分析」を中心に考えていきます。「私とあなた」と言う二人の関係の中での自己分析に焦点をあてつつ、話を進めます。つまり自分の生育史を大切にしつつ、自己分析をしないと暖かい愛は、どう育てられるか理解出来なくなります。現代はさっさと離別していきますが、生き甲斐の心理学を学習しつつ、悔いの無いように、軽率に離別しないように考えながら「明るく楽しく爽やかに生き抜いて」いきましょう。さて、愛は半々、自然体でお付き合いしていても、愛は半々、どちらかの意識の中に、いつも自分が損をしている、と不満があれば、その関係は永続しません。両方が自分はいつも損ばかりしている、いつも...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大好きなお母さん、と言うイメージがありますと、そのイメージが子供達に生涯、影響を与え続けます。良い意味でも悪い意味でも影響は非常に大きいようです。愛の原型と言われているものです。この愛の原型は意識、無意識の世界で、その子供たちの将来の判断基準になつていて、結婚する相手の選択も母親に似ているか、母親の反対の性格か、その子供たちの感覚が相手を選択していきます。ふーん、ほんとかなあ、と思う人がいたら、自分の生育史での親友、悪友、仕事上のパートナー等、周囲の人間関係の選択の際に、母親のイメージと比較考察していくと、心理療法を学ぶ学徒にはよき勉強となるでしょう。特に恋人の選択の際は、この幼少時代の母親のイメージは意識、無意識の世界で非常に大きな基準であることは間違いありません。愛の原型を考える際の幾つかの問題点を考...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法上の話ですが、私が母親の支配を未だ受けているなあ、と感じたのは母が死んで6年が経過した頃でした。未成年時代は親権もあるし、食べさせて頂いているわけですから、色々我慢するのが当然でしょうが、母が死んでいるにも関わらず、何故、母に支配されていのだろう、と真剣に悩んだものです。なまじ心理学を学びユングのグレートマザーという概念を知ったばかりにパンドラの箱が開いてしまったようです。知識は人を苦しめますので、なまじ知らないで生涯を送ったほうが良い場合もあります。丁度、文明開化の波が日本を襲った明治時代のような苦しみが、誰にでもあるのですが、このグレートマザーの支配という概念を学ぶと心の世界にも大きな混乱が起きてきます。このグレートマザーの支配という領域について暫く考えます。無意識で母に支配されていると、支配...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何が病的な慈愛で、何が健全な慈愛か、を識別するのは大変です。「人は慈愛を大切にすべきだ」と意識している事例を検討します。慈愛は人の道として重要な理想なのですが、或人の周囲はとても迷惑している事が多いのです。本人が命がけで理想の道を歩んでいこうと努力しているのですが、周囲、特に相手はとても迷惑を感じる場合が多いようです。父親が臨終の時、それぞれ信じる宗教が違う子供たちが、それぞれ信じる宗教から、父親の枕元で色々言うので、やっと手を持ち上げて、手を振り、もう「がちゃがちゃ言わないでくれ」と懇願する話を聞いたことがあります。子供たちは満ち溢れた愛で語りかけるのですが、宗教を持たない父親は多分、ウットオシク思い、必死で手を振ったのでしょう。生き甲斐の心理学では健全な慈愛、と病的な慈愛を、どのように識別するかと言い...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    知人の宗教家が臨終の時に某女子がお見舞いに行き枕元でわあわあ泣きました。知人の姉が私に電話をしてきて、あの方と弟と、どんな関係だったのか教えて下さい、と電話がありました。この事例を分析するのは難しいのですが、世間の常識では臨終の枕元で泣き崩れる女性を、訪問された親戚は心配するのがあたりまえでしよう。後で聞いた話ですが、泣き崩れた本人は見舞いに行って本当に満足したそうですが、その友人はあきれ果てて説教したようです。さて、話は変わりますが、Aさんは慈愛深い方として有名です。しかし、或人に言わせれば、おせっかいだ、と解釈しています。慈愛だと解釈する人もいれば、おせっかいだと解釈する人もいて色々です。病的な慈愛、健全な慈愛、という研究課題は心理療法ではとても大切なので、この問題を考えていきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    好きな人の事は気になるのが当たり前で、意識、無意識で支配したくなるのが本能でしょう。しかし何故か、古代の神話にも見られますが、自分の慈愛を注ぐ相手を支配するような精神に対して理性、教訓、色々の教えは警告を発しています。何故かといいますと、人間には「自由意思」があり、その自由意思を侵害すると、人は不幸になることを古代の人々は気づいていたのでしょう。自由意思は非常に重要なものですので、慈愛と支配の問題点を意識する場合、この人間の自由意思を尊重するかどうか、その視点を大切にする必要があるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    年齢により今日の首題に関心がある人、無い人、様々でしょうが、世界各地で聞く話です。何とも哀しい話ですが、戦場で死ぬ時、しばしば若者が叫ぶ言葉らしいです。ロシアの戦線でも南太平洋でも実際にその叫びを聞いた人の話を私は幾つも知っています。母の愛情は私にとりましても深いものがあり生涯、感謝し続けています。愛の元型のさいたるもので、この愛の姿と思い出とその折々の感情が私が生き抜いていく時の愛の感性の素をなしているようです。幼児時代に不幸にして、このような母の愛が無くても、その後のそれぞれの人生の中で、自分を愛してくれた人は必ず存在しています。愛し愛される幼児時代、少年時代、青年時代の思い出は大事にしておきましょう。その愛の元型について暫く思索していきます。母の慈愛、グレートマザー、私の心理療法の中で、この愛をどう...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私は男性ですので多分、女性の立場を推察するだけで分からずじまいでしょう。心理療法で女性の悩みを拝聴し明るく元気に爽やかにさせてきたわけですが、上手くいく場合もあれば、失望させる場合もあります。ユングは「女性性の中に潜む男性性の元型」をアニムスと定義して来談者に対応していますが、女性の来談者の中には自分が男性的であることを深く悩み苦しむ人も大勢います。アニマ問題、アニムス問題、両方ともセルフイメージの領域として私は対処していきます。このアニマ、アニムス問題は、その人の生育史上での理想と現実のギャップから生まれてきますが解決方法は理想の内容の点検と現実での解釈で、いとも簡単に解決するものです。どちらの問題でもその人を明るく元気に爽やかに、与えられた人生を生き抜けば良いのです。アニマ、アニムスの意識がその人の生...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私は男性ですので多分、女性の立場を推察するだけで分からずじまいでしょう。心理療法で女性の悩みを拝聴し明るく元気に爽やかにさせてきたわけですが、上手くいく場合もあれば、失望させる場合もあります。ユングは「女性性の中に潜む男性性の元型」をアニムスと定義して来談者に対応していますが、女性の来談者の中には自分が男性的であることを深く悩み苦しむ人も大勢います。アニマ問題、アニムス問題、両方ともセルフイメージの領域として私は対処していきます。このアニマ、アニムス問題は、その人の生育史上での理想と現実のギャップから生まれてきますが解決方法は理想の内容の点検と現実での解釈で、いとも簡単に解決するものです。どちらの問題でもその人を明るく元気に爽やかに、与えられた人生を生き抜けば良いのです。アニマ、アニムスの意識がその人の生...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「私以外は全て驚きの対象」と言う考え方を知ったお陰で、私の心は非常に安定しました。人の生涯は安定したり、不安定になったりして、繰り返し人生を終わる事は百も承知ですが、日々の生活の中で、非常に取り乱している男女を見ると、ああ、少し「生き甲斐の心理学」を勉強すれば、ああも見苦しく乱舞しないですむものを、と思います。「驚いてはいけない人に驚く事例」とは、どんな事を言うのでしょう?例えば異性を恋します、恋の初めは、ぼーっとして、全てが心地良いわけですが、ふと自分の生育史からすると、信じられないような言動に触れます。そして驚いたり、意外に感じたり、侮蔑したりします。段々と交際が深まりますと、がっかりする自分に驚いたり、相手からも驚かれたりします。また尊敬する先輩と議論したりしますと、意外と無知な先輩を意識したり、逆...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    母親にしばしば言われたキツイ言葉に「あなたは男の子、泣くんじゃありません」があります。女の子なら泣いていいのかなあ、と思いながら幼い頃を過ごしたものです。大人になりお酒の付き合いが始まりますと「あの人は女性的だ」と侮蔑的な会話が飛び交います。この男性的、女性的、とは、どういう意味なのでしょう?何が良くて、何を悪い、と言いたいのでしょうか?結論からいえば、男女ともに、もともと色々の性格がありますので、男性的、女性的、といちいち騒ぐ方が変なのです。人間の性格形成過程というよりも必要があって、色々の要素が潜在しているので、人類は今日まで種の保存が出来ました。生き延びる為のものと思われます。問題点は唯一つ。自分の中の女性性を嫌悪したり、過剰反応して、自分自身でストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    臨床心理学の勉強会では「ゲンケイ」という時に「原型」、「元型」と色々と使っていますが、私は現場では、そんなに意識して来談者に説明していません。生育史上の初期の体験が生涯支配するような初期の性格を言います。「三つ子の魂百までも」と言う諺を念頭に置いてこのブログを読んでいただければ幸いです。さて私の中にも人類のそれぞれの性格の中にも男性的な要素、女性的な要素として色々と人々は面白可笑しく語りたがります。どこから何処までが男性的なのか、女性的なのか、普通はそう神経質に識別する必要はありません。ただし、来談者の相談内容が相当深刻で、それが自分の性格が女性的であるとか、男性的であるとか、深刻に悩み、身体症状にまで露出している段階から私の仕事の領域になります。生身の人間の性格は宇宙の全ての要素が潜在していますので、い...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    病的な程の光と陰なら少々困りますが、健全な光と影のある友達のほうが楽しく共に送れます。のんべんだらりとしていて、凹凸がなく、喜怒哀楽も、考え方もはっきりしないと、あくびの連続かもしれません。極端な表現で気がひけますが、この微妙な領域で遠慮して語ると、私のブログは何を書いているのか不明になりますので、少々遠慮無く言語化しています。申し訳ありません。「私は私でいい」と覚悟が出来ていれば、自分の個性を、のびのびと発露出来ますが、自信もなく、おろおろしていれば、気ばかり使い、堂々と自己表現が出来ません。嫌われようが、愛されようが、自然体の中でいきいき、のびのび、楽しく会話を楽しむようになりたいものです。自然にふるまえば神様が独特におつくりしている人間一人一人なので、当然、そこに個性の美がきらめきあい、光と影が見え...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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