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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    某先生が日本で最初に「ストレス曲線」という用語を、その著作の中で、非常に御上手に、表現されていましたが、人間が感じるストレスの表現は世界中で沢山の言葉を使用しながらストレスを定義し、解決しようと、学者達は努力しています。ここで定義する「ストレス曲線」は「不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ」にまとめて、その「負のエネルギー」を表現しようとしています。その反対が「幸福曲線」なのですが、後日、細かく説明していきます。ここでの「ストレス曲線」とは人を最初に苦しめるのが、つまり、第一段階の負の感情と言われている感情を不安感と定義しています。その不安感を処理していないと、第二段階として、その不安感が変質して「怒りの感情」にまで押し上げられていきます。その不安や怒りが処理、解決されないと、眠れない、食欲が無い等の第...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分のストレスは他者には理解されないのが普通です。本人にしか分かりません。他者が理解してくれないと怒る人がいますが、怒るほうがおかしいのです。ストレスとは何か、という説明は沢山ありますが、生き甲斐の心理学では「自分のストレスとは自分の成育史上の理想と現実のギャップ」として理解しています。この原理を知らないと、何が何だか分からない状態で、怒りっぽくなったり、八つ当たりを周囲にしたり、他者には理解できない形で泣きわめいたりして、周囲の信用をなくし、相手にされなくなります。思い通りにいかない赤ちゃんが泣いているのと同じ原理です。ストレスが何故、起きるかといいますと、こうありたい、こうあって欲しい、あるべきだ、と言う想いと現実の解釈のギャップから生まれてきます。このストレスを五感と体感で感じた場合、そのストレスを...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は愛し愛される関係の中で初めて充実した日々が送れます。愛の孤独感は人を破壊していきます。そうかと言いまして、嫌いな人との関係性の中で、無理に愛し愛されようと努力すると、これまた人生が破壊されていきます。難しい領域です。愛の孤独感は夫婦間、職場、親友、知人、色々の人間関係の中で生まれてくる色々の種類の愛の姿です。愛の世界は一つの種類ではなく、万とある種類の世界ですので、心配は不要です。道端でふと、可愛らしい少女が、転んだ私に手を差し出してくれる姿も愛の姿の一つの姿、形です。問題は優しい少女の瞳にも感謝と親しみを感じ得るかどうかの問題です。道端の草花の中にも愛を感じ取れるこちら側の領域なのです。森羅万象の解釈の際に、愛を感じ取れる哲学を持てる人は本当に幸せです。愛の原型は幼い頃に形成されてはいますが、大人に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の生育史が嫌いな人、好きな人、と色々ですが、この好き、嫌いという感情は年代、年齢、環境の変化等で、相当変化してきます。人の傾向と渇望はあまり変化していない、三つ子の魂、百までも、と言われていますが、激変していくのも事実です。幼友達の内、悪童だった学友が何とも見事な魅力的な善人?に成長しているのを沢山見てきましたし、自分でも信じられないような性格と解釈を体験し、天に感謝している領域もあります。終戦を経験したり、職業の激変があったり、重病を体験したりしつつ、自分の歴史の記録である生育史が形成されていきますが、その一つ一つの場面が好きか、嫌いかは、年と共に解釈も変化していきます。今後の自分の人生を悔いなく生きていく為には、過去の嫌な記憶や見たくない人生が未だ心に潜在していると、これからの答えが見えにくいと言...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    魂を大事にする、という意味は古来から言われている「メメントモリ:自分の死を考えていこう」という領域で、楽しく明るく自分の死を考え、現在、厳しい現実を生きる場合も、幸せな日々を生きる場合でも、時々立ち止まり、自分が本当に魂というものを所持しているのかどうか、思索してみましょうと言う事です。人類誕生以来の大問題です。哲学史、思想史を見ても、答えは無く、最終的には個人が何を信じるか、その人の自由意思の問題です。臨終間際を色々と見ますと、取り乱して死んでいく人もいれば、悠々として死んでいく人もいますが、このメメントモリを若い頃から思索している人の死はそれなりのもののようです。臨終の体験が無いので何とも言えませんが飛行機事故の時の体験や海外での暴動で死の危険の場面を体験していると、何となく覚悟の内容を、どうすればい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐の心理学を学ぶ勉強会でも、時々自分の生育史が大嫌いな人に遭遇します。これは良いとか悪いとかの領域でなく、生き甲斐の心理学の学習を深めたい人にとって、一番重要で貴重なテキストがこの自分の生育史なのですが、その事に気付かない事が損失なだけです。勉強していく内に、自分の生育史が宝物であることに気付きだします。しかし、学習の当初は、どんな人でも過去の或場面を見たくも無いし思い出したくもないと思うのは当然なことです。生き甲斐の心理学を勉強していく内に、嫌いなものは嫌いなのですが、その解釈が少し変化してきます。どう変化するかと言いますと嫌悪感、劣等感、不信感が減少し、今日の自分の幸福は、あの嫌悪すべき場面を、人生を乗り越えたがゆえに、今の幸福が存在していることに気付きたすからです。生き甲斐の心理学で言う所の「...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼児から高齢者まで、地球のいかなる文化圏においても、その対処方法は類似しています。但し、キチンと勉強したレベルでのお話です。自虐現象の遠因を3つに分類しています。一つは「思考」からくるもの、二つは「感情」からくるもの、3つは「行動」からくるものです。比較文化論、比較宗教学の原理:A=B(X+Y):Aは現在生きている人の在り様、存在のこと、Bは魂(魂は愛そのもので、永遠不変なもの、病む事もなく、老いることもない、臨終と共に、身体から離脱する知的生命体のこと、Xは人の生育史のこと、赤ちゃんとしてうまれ、現在までの、その人の歴史のこと、Yは身体のこと、この方程式を意識しながら、自虐に対処していきます。自虐はその人の考え方(思考)に支配されていますし、衝動的な感情に支配されていますので、その人の感情の処理方法を洞...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼稚園児、小学生でも自虐的なのを見ると不思議でたまりません。何故、こんな幼い子が自殺をするのでしょう?リストカットをしたり、考えられない非行に走ったりするのを、ここでは「自虐」と定義しています。自分の身体を何故、大事にしないのでしょうか?成人した後も、この自虐は続きます。ここでは心理療法としての自虐について考えていきます。古代社会から現代にいたるまで自虐は継承されているので、どうも本能的な領域に自虐が含まれているようです。大昔は悪魔の仕業、という表現がまかりとおりましたが、現代では悪魔の仕業と表現したりすれば、たちまちにして精神病者扱いになります。魂の輪廻転生説でこの自虐を解決しようとしたりしますが、幼稚園児の自虐から高齢者までの自虐は、心理療法では何故、そのような現象が起きるか、説明する必要に迫れれます...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法を学習する場合、自分の心(臨床心理学)、身体(基礎医学)、魂(宗教学)の3つは必修学です。かつ、世界の比較文化論、比較宗教学を学習しないと、人の生育史を分析する事が出来ません。幼児から高齢者までの人間がする「思考感情行動」の背景には意識、無意識に拘わらず、この「自分の心」「身体」「魂」が織りなす自問自答がそれなりに行われているのです。この思索を暫くしていきます。自分の心と身体と魂を大事にするとは、どういうことでしょうか?皆様も楽しく考えてみて下さい。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私の友人に「自分は何の為に生きているのだろう?」という疑問を探すのが「自分の生き甲斐」だ、と断言する親友がいます。これもまた一人の人間の生き甲斐だと思います。或人は明確な目的で生きている人もいれば、答えが不明で苦しみながら生きている人もいます。何の為に生きているのだろう、という疑問は、どちらかと言いますと非常に哲学的な領域で、答えは、死んだ後の世界にも触れ、かつ、満足させる答えでないと正解とは言えません。神仏の領域と重複しないと軽いものになりがちです。しかし、生き甲斐となると太極拳(スポーツ、運動)、モーツアルト(音楽)、シャガール(絵画)、古代史(趣味)等、実に沢山出てきます。これが私の生き甲斐です、という答えは70億人(現在の地球上の人口)それぞれでしょう。生き甲斐があれば、当面は毎日、イキイキと明る...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界のあちこちの大学主催の心理療法の勉強会に出かけましたが、その後でのアンケート風の質問で一番、物凄い内容のものが「君は生きている価値があるか?」という一問だけの質問でした。欧米の一流の大学の勉強会でのアンケートでした。アンケートの対象者は心理療法を勉強している学徒ですが、私は素晴らしいものだ、と思いましたが、意見は相当分かれたようです。心理療法をしている学徒は、この質問には自分なりの明確な答えを所持していないと、仕事は出来ません。普通は10問程度、質問されるのが普通のアンケートですが、この某大学の質問は、たった一つですが、強烈でした。皆様は何と答えますか?今日のテーマは「自分は何の為に生きているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答集」です。この自分は何の為に生きているのだろう?」と問われた時、きちんと答...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」での「自己実現」は3つの意味をもっています。(1)自分は何の為に生きているのだろう?(2)自分の生き甲斐は何か?(3)自分の心と身体と魂を大事にしているか?以上の3つを何よりも大切に考えています。この自己実現を考えだすと、日常生活でのストレスの大半が消滅していくとも言われています。この3つを楽しみながら考える事自体が生き甲斐となってきますし、この3つを考える事自体が人類発生以来の幸福への道なので、人の大脳が心地よく刺激されだし、周囲の風景も全て意味を持ってきます。通勤電車での嫌な人々も、自分と同じ魂を持ち、模索し、苦しみ、愛しあい、挫折して生きているんだなあ、と思えば、足を蹴飛ばす必要もなくなります。何となく地球上で生きる同志のような気持ちも出てきます。自己実現は自分で探し決める領域で...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人の心を不自由にするもの、案外それはお金であったり、愛の孤独感であったり、希望通りの良い仕事に恵まれなかったり、病気の回復も期待通りに行かない、変な法律が生まれたので何となく恐ろしい予感がしたり、平和な国を築きたいのだけれど具体的にどう動いたらいいのか分からずにイライラしたり、嫌な上司がいなくなることを願ったり、希望は沢山あるのですが希望はなかなか思い通りにいきません。「諦める事」も人生、ときにより幸福への道ですが、諦める自分に対して何となく腹立たしいので、なんとか諦めずに、その内、チャンスをつかもうと考えている内に、人生の時が、どんどん流れ去っていきます。希望する、念じる、この毎日の想いをサラリとしながら生きる事は案外難しいのですが、問題意識を持つ人は幸せです。不満と悪口を口に出せば出すほど、周囲から人...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    厳しい現実に遭遇すると、人は慌て、錯乱します。もがきながら、本や他人に期待して右往左往するのは生身の人間にとり当然のことですが、暫く、この問題を思索していきます。納得のいく答えは最終的に本人が感謝するほどの体験が無いと、人はなかなか、この真理を信じないでしょう。学問の先輩が必死に教えてくださった「答えはいつもその人の中にある」という貴重な真理を無駄にしたくありません。何故、人は答えが自分の中に存在していると素直に信じないのでしょうか?防衛機制、現実吟味力、アイデンティティの統合の問題の領域なのですが、分かりやすく解説していきます。答えは自分の中に存在する、と信じると、あら不思議、自然と意識の上に答えが見えてきます。信じると見えてくるものがあるのです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今、「何とか法」が色々の意見として、マスコミに登場しています。昭和20年、終戦前、神奈川県葉山町御用邸裏の海岸で小学生徒の私達は遊んでいますとアメリカの艦載機が襲撃してきました。軍国少年の教育を学校で受けていまして「負けられません、勝つまでは」と帰校時、大きな声で歌いながら帰宅する時代でした。鞄を松林に置いたりして海で遊んでいると、時々、アメリカの戦闘機が飛んできます。4-5人の我々悪童がその戦闘機に向かいお尻を向けましたら機関銃をうたれたことがあります。パイロットが見える距離でしたので、あわてて松林に逃げ込みます。当時、そのような生活をしていますが、夜になると夢遊病のように何かうわごとを言いながら廊下を走ったりしていたようです。今、色々と聞きますと、当時の子供には夜、そのような精神現象がおきていたようで...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    本物の心理的不適応は、その人が五感と体感で受け入れたくないと思うもの(善悪に関係なく、その人の成育史上、受け入れ難く思う事)に遭遇した時、深層心理の世界で大きな緊張が生まれます。しかし教育、教え、経験があるので、ニコニコ笑いながら、緊張している事例が沢山あります。時間の問題で身体症状が出たり、爆発したりします。このような原理を意識化しておくと、セルフコントロールが上手になり、身体症状を出さなくても生きていくことも出来ます。この原理を意識化しないと抑えがたい感情に振り回され人生を棒に振る人もでてくるわけです。下記命題の引用はテキスト「生き甲斐の心理学:140頁参照下さい」:命題14:心理的不適応は、有機体が、重要な感官的・内臓的経験を意識することを拒否し、したがって、そのような経験が象徴化されず、自己構造の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前のお話ですが、ご縁があり伊勢神宮での正式参拝、そして日本の霊地・熊野への旅が実現しました。そんな旅の途上で出会う沢山の人々・旅人の、漏れ聞く会話にも楽しそうな会話もあれば、こんな喧嘩を旅先でしなければいいのにと哀しく思う会話も聞きながら旅をしてきました。さて、日常生活での会話、仕事上の会話、勉強上の会話、とにかく人間同志の会話の中で、いきなり否定されると話す気もなくなりますが、意見、感想が違いましても、一度、すんなりと受け入れた後、明るく自分の意見を述べる人々の雰囲気は幸福です。人は少しでもいいから、共感して欲しいものです。心理療法で対人関係の障害をチェックする視点「共感能力の欠如:他者がどのように感じているかを心でくみ取ることが出来ない」、程度の差はありますが、少しでも共感して欲しいのが人間です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    学生が先生に対して、または、初対面の男女が勝手に相手を理想化し、失望し、怒りだす事例が多く失笑する事例が心理療法の世界では大いに存在しています。勝手に理想化されてしまう相手は迷惑な話なお話ですが、現実の世界では本当にしばしば遭遇する事例です。少々、専門的な言葉で表現しますと「対人関係が過度の理想化と蔑視の両極端の間で激しく揺れ動く」。これが三番目の対人障害理論です。人間らしいといえば可愛いのですが、子供の世界では一番ある話ですが人生経験を積む内に、人間は、この理論になるほど、と納得し、成長していきます。また、信仰の世界でも、この理論を検証しておく必要もあるようです。例えば、神仏に対しても「努力すれば必ず報われる」と信仰するのは自由なのですが、現実吟味力が無いと、変な信仰心がうまれ、どんどん宗教を変えていっ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    悪気がなくても人間には右の特性がありそうです。「自己の欲望、出世、支配権のために他者を利用すること。他者の尊厳や権利をないがしろにする」。この二番目の対人関係の障害は身近に沢山あります。家庭、学校、友人、どんなコミュニテイでも、大中小の程度の差こそあれ、相手をちゃっかり利用していきます。たかり、おごりなどのおこずかいの世界から政治、国際政治を含め、この対人、対国家の政策にも、この人間本能の基本障害が付きまといます。この原理、視点からストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)を分析し、人、コミュニテイ、国家の平和構築を図ります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人々は誰でも、それなりに幸福になりたい、と一生懸命生きています。しかし、現実の生活では、その幸福追求のあまり権利と義務のバランスを考えている人は、私を含め、そう沢山いないものです。人間の種の保存の本能は自分を中心に考えるように出来ていますので、この意識を教育の過程で受けて初めて、そのバランスの重要性を考えるものです。ですから、時々、日常生活で、ストレスがたまった時に、待てよ、このストレスは自分が権利のみを主張し義務を怠った為に、周囲から嫌われたことによるストレスかもしれない、と反省する必要があるのです。権利と義務のバランスをとても上手に書いた言葉(DSM)がありますので参考にして下さい。対人関係の障害かな、と洞察したセラピストは次の理論を考えていくでしょう。「他者からの特別な好意を当然なこととして期待し、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    普通なら笑ってごまかすか、無視して平和な人間関係ですむことを、或タイプの人は、信じられないような反撃に出るか、冷酷な無視を平然とするか、こんな場面を見たり、体験したり、その渦中に巻き込まれたことはありませんか?自己愛パースナリテイ障害の判断基準の一つに下記の文章があります。「他人からの批判、無関心、あるいは自己の挫折に対して、冷酷な無関心、激しい怒り、劣等感、屈辱感、虚無感などの感情で反応する」。この精神現象をセラピストは注目します。永田町、霞が関、教育界、宗教界、それぞれの家庭、あらゆる文化、国、民族で、その識別は難しいですが、生身の人間が互いに幸せに、自己肯定他者肯定の平和な日々を送る為には、この人間の傾向をも意識化しておくと、生きやすくなります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    子供はまあ、しょうがないとして、大の大人でも、思い通りにいかないとすぐ、不機嫌になる人がいます。私も末っ子でしたので、あまり人の事は言えません。20代後半には自分であきれ果てたことがあり、こうして書いていても汗が流れてきます。自己愛パースナリティ障害を判断する基準となる一文「絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度」です。無視されるほど、切ないものはありませんが、ほどほどに注目されて生きていかないと、なんだか、自分の存在価値が無いようで切ないものです。私の父は13人兄弟、全員明治か大正の生まれ、その末っ子の叔父さんは、どこぞの校長先生で定年をむかえましたが、昭和30年代、私が東京から故郷長岡に帰った折に、久しぶりでお会いしても、昔話になり、しばしば聞かされた話がありました、その話といいますのは、その叔...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分をさしおいて、自分がこうありたい、こうあらねばならないという生育史上の理想の領域から人を批判する人がいます。人類の歴史からみれば、こういう人を悪いと断言するのは、いかがかとは思いますが、自分の身近に、もし、こんな友人がいたら、さぞかし疲労していくことでしょう。人類の歴史では自分はさておき、理想像を激しく追及してフランス革命、ロシア革命、明治維新なども流れていくわけですし、周囲の日常生活でも発展もありますので、一概に理想から人を裁く、批判する傾向を悪いとは言い切れない面もあります。しかし、日々の生活で、身近な友達が自分の事をさておき、ばんばんと私の事を攻撃、批判してきたら、逃げ出したくなります。自己愛パースナリティ障害の論文の中に「限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入」とい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日常生活で、相手が少しでも何かを知らないと、馬鹿にしたような、侮蔑したような言葉を吐く人がいますが、この傾向の人には要注意です。自己愛パースナリティ障害という少々厄介な領域がありますが、この対処の時に参考になるのが「自己の重要性、ユニークさに関する誇大感」というチェックポイントがあります。この意味は、例えば、「私はあなたと違い、とても個性的で、あなたよりはまともよ、とても大事な仕事もしているし、お金もあるし、社会的な地位もあるのよ」と言葉にはしませんが、意識のどこかで相手を低くみている人の話です。自分の傲慢性を反省して人と対等な感覚」を取り戻せば、その人も本当の友達が生まれますが、いつまでも、このような意識を所持していると心温まる親友を造るのは多分、永久に不可能でしょう。これから難しい領域ですが私自身の反...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    変な人、と感じる相手を大雑把に整理すると(1)自分勝手で憶測しがちな人、(2)気取った気分屋さん、(3)臆病で心配がり屋、と3つに大別出来ます。自分から相手を見て、変な人、と五感と体感で感じる場合を、臨床心理学として整理するとこうなるわけです。しかし、70億の人類の一人一人がそれぞれ相手を変な人、と感じていたとすると、どうなるのでしょうか?そこで「自分以外は全て驚きの対象」という仮説も生まれてきました。どこからが病理で、どこが健全かは、その文化で、国で、宗教で、家庭環境で、相当違ってきます。精神病理学でも、学派により、解釈が非常に違います。こんな社会ですので、人類社会での平和構築の際には「愛と許し」というとても重要な哲学も生まれてきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    責任をとるのが嫌いで、度胸もなく、いつも不安がり、臆病な相手には嫌になることがあります。いつも人のせいにするし、社会のせいにしますので、会話がイライラしてきます。このタイプの背景には回避性、依存性、強迫性、受動的だったのに突然理由の無い攻撃を開始するなど、とかく驚く現象が頻繁に身辺に生じます。この精神現象を日々、体験している場合は、少々、これからの対処方法を真面目に考え始めたほうがいいでしょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の相手はどうみても「気まぐれで、感情的で、演劇的」な人と感じたらその感覚を大事にしたうえで対処していく必要があるようです。この背景には演技性、自己愛性、反社会性、境界性の香りが少しあるからです。最初は素晴らしく見えても、すこし心のふれあいが深まると、この傾向がちらちら見えてきます。感情を抑えられない人には注意しましょう。感情が爆発し自分を暴走させる人が相手の場合は、こちらが余程愛しているか、心地よい何物かを所持している人なら、双方は幸せですが、我慢が出来ない相手の気まぐれならば、それは悲劇の始まりかもしれません。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    あなたから見て相手が奇妙な人、と本気で思っているなら相手は本当に奇妙なのです。五感と体感で奇妙だ、と感じているのに、自分の見る目が無いとか、人生経験がないからと劣等感的に自分の感じ方を否定しつづけ、我慢していると、色々と支障が出てきます。奇妙な相手だと感じたら、正直に自分の感性を信じたほうがよさそうです。折を見て、相手に奇妙な所を喧嘩をしないで正直に伝達してみましょう。この数回の努力をしないで離別していくと人生の幸福はいつまでも手に入りにくくなるようです。深層心理学では「自分以外は驚きの対象」という仮説がありますが、それでもなお自分の五感と体感で相手が奇妙な人と感じたら、その感覚を正中線に置いて、その上で色々対処したほうがいいでしょう。相手もあなたを変な人、と感じている場合が多いので、喧嘩をしないで明るく...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    家族、友人、恋人、夫婦、親友等の人間関係を観察していると、長く続く事例、直ぐに破綻する事例、色々です。この問題での「他者分析」は殆ど不可能に近いので、「自己分析」を中心に考えていきます。「私とあなた」と言う二人の関係の中での自己分析に焦点をあてつつ、話を進めます。つまり自分の生育史を大切にしつつ、自己分析をしないと暖かい愛は、どう育てられるか理解出来なくなります。現代はさっさと離別していきますが、生き甲斐の心理学を学習しつつ、悔いの無いように、軽率に離別しないように考えながら「明るく楽しく爽やかに生き抜いて」いきましょう。さて、愛は半々、自然体でお付き合いしていても、愛は半々、どちらかの意識の中に、いつも自分が損をしている、と不満があれば、その関係は永続しません。両方が自分はいつも損ばかりしている、いつも...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大好きなお母さん、と言うイメージがありますと、そのイメージが子供達に生涯、影響を与え続けます。良い意味でも悪い意味でも影響は非常に大きいようです。愛の原型と言われているものです。この愛の原型は意識、無意識の世界で、その子供たちの将来の判断基準になつていて、結婚する相手の選択も母親に似ているか、母親の反対の性格か、その子供たちの感覚が相手を選択していきます。ふーん、ほんとかなあ、と思う人がいたら、自分の生育史での親友、悪友、仕事上のパートナー等、周囲の人間関係の選択の際に、母親のイメージと比較考察していくと、心理療法を学ぶ学徒にはよき勉強となるでしょう。特に恋人の選択の際は、この幼少時代の母親のイメージは意識、無意識の世界で非常に大きな基準であることは間違いありません。愛の原型を考える際の幾つかの問題点を考...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法上の話ですが、私が母親の支配を未だ受けているなあ、と感じたのは母が死んで6年が経過した頃でした。未成年時代は親権もあるし、食べさせて頂いているわけですから、色々我慢するのが当然でしょうが、母が死んでいるにも関わらず、何故、母に支配されていのだろう、と真剣に悩んだものです。なまじ心理学を学びユングのグレートマザーという概念を知ったばかりにパンドラの箱が開いてしまったようです。知識は人を苦しめますので、なまじ知らないで生涯を送ったほうが良い場合もあります。丁度、文明開化の波が日本を襲った明治時代のような苦しみが、誰にでもあるのですが、このグレートマザーの支配という概念を学ぶと心の世界にも大きな混乱が起きてきます。このグレートマザーの支配という領域について暫く考えます。無意識で母に支配されていると、支配...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何が病的な慈愛で、何が健全な慈愛か、を識別するのは大変です。「人は慈愛を大切にすべきだ」と意識している事例を検討します。慈愛は人の道として重要な理想なのですが、或人の周囲はとても迷惑している事が多いのです。本人が命がけで理想の道を歩んでいこうと努力しているのですが、周囲、特に相手はとても迷惑を感じる場合が多いようです。父親が臨終の時、それぞれ信じる宗教が違う子供たちが、それぞれ信じる宗教から、父親の枕元で色々言うので、やっと手を持ち上げて、手を振り、もう「がちゃがちゃ言わないでくれ」と懇願する話を聞いたことがあります。子供たちは満ち溢れた愛で語りかけるのですが、宗教を持たない父親は多分、ウットオシク思い、必死で手を振ったのでしょう。生き甲斐の心理学では健全な慈愛、と病的な慈愛を、どのように識別するかと言い...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    知人の宗教家が臨終の時に某女子がお見舞いに行き枕元でわあわあ泣きました。知人の姉が私に電話をしてきて、あの方と弟と、どんな関係だったのか教えて下さい、と電話がありました。この事例を分析するのは難しいのですが、世間の常識では臨終の枕元で泣き崩れる女性を、訪問された親戚は心配するのがあたりまえでしよう。後で聞いた話ですが、泣き崩れた本人は見舞いに行って本当に満足したそうですが、その友人はあきれ果てて説教したようです。さて、話は変わりますが、Aさんは慈愛深い方として有名です。しかし、或人に言わせれば、おせっかいだ、と解釈しています。慈愛だと解釈する人もいれば、おせっかいだと解釈する人もいて色々です。病的な慈愛、健全な慈愛、という研究課題は心理療法ではとても大切なので、この問題を考えていきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    好きな人の事は気になるのが当たり前で、意識、無意識で支配したくなるのが本能でしょう。しかし何故か、古代の神話にも見られますが、自分の慈愛を注ぐ相手を支配するような精神に対して理性、教訓、色々の教えは警告を発しています。何故かといいますと、人間には「自由意思」があり、その自由意思を侵害すると、人は不幸になることを古代の人々は気づいていたのでしょう。自由意思は非常に重要なものですので、慈愛と支配の問題点を意識する場合、この人間の自由意思を尊重するかどうか、その視点を大切にする必要があるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    年齢により今日の首題に関心がある人、無い人、様々でしょうが、世界各地で聞く話です。何とも哀しい話ですが、戦場で死ぬ時、しばしば若者が叫ぶ言葉らしいです。ロシアの戦線でも南太平洋でも実際にその叫びを聞いた人の話を私は幾つも知っています。母の愛情は私にとりましても深いものがあり生涯、感謝し続けています。愛の元型のさいたるもので、この愛の姿と思い出とその折々の感情が私が生き抜いていく時の愛の感性の素をなしているようです。幼児時代に不幸にして、このような母の愛が無くても、その後のそれぞれの人生の中で、自分を愛してくれた人は必ず存在しています。愛し愛される幼児時代、少年時代、青年時代の思い出は大事にしておきましょう。その愛の元型について暫く思索していきます。母の慈愛、グレートマザー、私の心理療法の中で、この愛をどう...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私は男性ですので多分、女性の立場を推察するだけで分からずじまいでしょう。心理療法で女性の悩みを拝聴し明るく元気に爽やかにさせてきたわけですが、上手くいく場合もあれば、失望させる場合もあります。ユングは「女性性の中に潜む男性性の元型」をアニムスと定義して来談者に対応していますが、女性の来談者の中には自分が男性的であることを深く悩み苦しむ人も大勢います。アニマ問題、アニムス問題、両方ともセルフイメージの領域として私は対処していきます。このアニマ、アニムス問題は、その人の生育史上での理想と現実のギャップから生まれてきますが解決方法は理想の内容の点検と現実での解釈で、いとも簡単に解決するものです。どちらの問題でもその人を明るく元気に爽やかに、与えられた人生を生き抜けば良いのです。アニマ、アニムスの意識がその人の生...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私は男性ですので多分、女性の立場を推察するだけで分からずじまいでしょう。心理療法で女性の悩みを拝聴し明るく元気に爽やかにさせてきたわけですが、上手くいく場合もあれば、失望させる場合もあります。ユングは「女性性の中に潜む男性性の元型」をアニムスと定義して来談者に対応していますが、女性の来談者の中には自分が男性的であることを深く悩み苦しむ人も大勢います。アニマ問題、アニムス問題、両方ともセルフイメージの領域として私は対処していきます。このアニマ、アニムス問題は、その人の生育史上での理想と現実のギャップから生まれてきますが解決方法は理想の内容の点検と現実での解釈で、いとも簡単に解決するものです。どちらの問題でもその人を明るく元気に爽やかに、与えられた人生を生き抜けば良いのです。アニマ、アニムスの意識がその人の生...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「私以外は全て驚きの対象」と言う考え方を知ったお陰で、私の心は非常に安定しました。人の生涯は安定したり、不安定になったりして、繰り返し人生を終わる事は百も承知ですが、日々の生活の中で、非常に取り乱している男女を見ると、ああ、少し「生き甲斐の心理学」を勉強すれば、ああも見苦しく乱舞しないですむものを、と思います。「驚いてはいけない人に驚く事例」とは、どんな事を言うのでしょう?例えば異性を恋します、恋の初めは、ぼーっとして、全てが心地良いわけですが、ふと自分の生育史からすると、信じられないような言動に触れます。そして驚いたり、意外に感じたり、侮蔑したりします。段々と交際が深まりますと、がっかりする自分に驚いたり、相手からも驚かれたりします。また尊敬する先輩と議論したりしますと、意外と無知な先輩を意識したり、逆...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    母親にしばしば言われたキツイ言葉に「あなたは男の子、泣くんじゃありません」があります。女の子なら泣いていいのかなあ、と思いながら幼い頃を過ごしたものです。大人になりお酒の付き合いが始まりますと「あの人は女性的だ」と侮蔑的な会話が飛び交います。この男性的、女性的、とは、どういう意味なのでしょう?何が良くて、何を悪い、と言いたいのでしょうか?結論からいえば、男女ともに、もともと色々の性格がありますので、男性的、女性的、といちいち騒ぐ方が変なのです。人間の性格形成過程というよりも必要があって、色々の要素が潜在しているので、人類は今日まで種の保存が出来ました。生き延びる為のものと思われます。問題点は唯一つ。自分の中の女性性を嫌悪したり、過剰反応して、自分自身でストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    臨床心理学の勉強会では「ゲンケイ」という時に「原型」、「元型」と色々と使っていますが、私は現場では、そんなに意識して来談者に説明していません。生育史上の初期の体験が生涯支配するような初期の性格を言います。「三つ子の魂百までも」と言う諺を念頭に置いてこのブログを読んでいただければ幸いです。さて私の中にも人類のそれぞれの性格の中にも男性的な要素、女性的な要素として色々と人々は面白可笑しく語りたがります。どこから何処までが男性的なのか、女性的なのか、普通はそう神経質に識別する必要はありません。ただし、来談者の相談内容が相当深刻で、それが自分の性格が女性的であるとか、男性的であるとか、深刻に悩み、身体症状にまで露出している段階から私の仕事の領域になります。生身の人間の性格は宇宙の全ての要素が潜在していますので、い...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    病的な程の光と陰なら少々困りますが、健全な光と影のある友達のほうが楽しく共に送れます。のんべんだらりとしていて、凹凸がなく、喜怒哀楽も、考え方もはっきりしないと、あくびの連続かもしれません。極端な表現で気がひけますが、この微妙な領域で遠慮して語ると、私のブログは何を書いているのか不明になりますので、少々遠慮無く言語化しています。申し訳ありません。「私は私でいい」と覚悟が出来ていれば、自分の個性を、のびのびと発露出来ますが、自信もなく、おろおろしていれば、気ばかり使い、堂々と自己表現が出来ません。嫌われようが、愛されようが、自然体の中でいきいき、のびのび、楽しく会話を楽しむようになりたいものです。自然にふるまえば神様が独特におつくりしている人間一人一人なので、当然、そこに個性の美がきらめきあい、光と影が見え...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    嫌いない人を他者分析していくと、その性格の中に自分と良く似た性格を見出し、それがゆえに苦手だと感じる事例があります。相手を見ていると、あたかも自分とそっくり。であるがゆえに、嫌い、苦手、避けたい気分になるようです。つまり自分のシャドウを相手の中にも感じているわけです。言う事と行動が伴わない友達、例えば「あいつはケチだ」と悪口を言う人は案外、それ以上にけちん坊だったりします。この場合の未分化のシャドウには、意識として複数の考え方が未分化で混在しています。お金は大事、無駄は良くない、おごりたい、おごりたくない、どれが自己負担の領域か、どこが他者負担なのかという経済意識の違い、その他色々です。誘った人が負担すべきだ、という考え方があれいば、お別れする時、わりかんにしよう、と言われれば「なんだ、こいつはケチだ」と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    昔昔、若い頃、「あなたは私の影のような方ですわ」と言われたことがあります。あなたは私の影、どういう意味かと悩んだものです。普通の学友(海外の研究所)ですが、影のような存在という意味を一人思索する内にユングの言葉「シャドウ」の事だと気付きました。シャドウの定義をユングはこう語っています。「影の原型:主として自分と同性の姿をとり自からの未分化部分やマイナス面を具現化する」。この意味について暫く思索します。私達が日々、色々の厳しい問題に遭遇したり、何故、こんな意味不明な嫌な想いをしなければならないのか、いつもなら堂々と乗り越えていけるのに、何故、今回に限り、もやもやしていて、いつまでもすっきりしないのか、と悩むとき、生育史上、未だ解決していない過去の事例が、現在の或事例と重複して、上手く心が流れない、という問題...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「人生に絶望した」と言う言葉に触れた人は瞬間、わーっと感じて逃げ出したくなると思います。相手が若くても高齢者でも「絶望という感情」を吐露された人は、とても切なくなるものです。しかし、こちらの悩みを聴いていただく時の相手は、この絶望感を克服した人でないと、話しがいがありません。こちら側の悩みを相談して、相手から威圧感を感じたり、劣等感を感じさせられたり、逃げ出したくなるような相手でしたら、勇気を出して早々と引き上げたほうがいいのです。偉そうで、指導者振り、堂々としていて、一段と上の立場で威圧してくるような、そんな相手とは語してはいけないのです。エリクソンという学者は61才から死まで、人はこの絶望感と自我統合性と知恵の3つの領域を思索する必要があると主張しています。さて、この年齢での絶望感は実に深刻で自殺に繋...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人生の旅は本当に楽しく、その途上で時々お会いする女性とお話していて何とも言えない品格のお色気を持つ女性にお会いする事があります。品格あるお色気、これは男性を物静かに刺激し人生に夢と希望を与えてくれます。女性の立場からしても同じことだろうなあ、と推察しています。エリクソンは35才から60才の間に、この思考・感情・行動の領域での「停滞感、生殖性、世話の関係」について語っています。この品格あるお色気はエリクソンの理論から、私が一例として語っているだけの話です。以前、少し書いた話ですがイギリスの大学研究室時代の学友が南部のお家(大きなお城でした)に招いてくれたことがありますが、その妹であるお姫様が翌日私を乗馬にさそってくれましたが、私は初乗りでしたので、少々恥ずかしく、一度断りました。しかし、その数分後の乗馬への...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    プライドがありますので人は寂しいとは中々言えません。何とも寂しい時、あなたはどうしていますか?こればかりは他人の助言は無駄なようですが、エリクソンはしゃあしゃあ、としてこう言い切ります。孤立感は親密性の欠如から生まれるので愛の世界を確立しなさいと。今更、わかっていますよ、と怒り出す人々が大半ですが、この原理を鼻先で笑うと、天にむかって唾をするように、何とも言えない孤立感が人を襲います。親密性が必要と言われても、そう急には親密になれるような対象物がありません。普通、ひと肌が必要なので、自分の手を見ます。そして大事に、慈しむように手を合わせます。そこで感じる手の暖かさを感じたら、次は自分の心臓の音に意識を向けます。更には息をしている自分を意識します。この手法は古代から世界中で使用されている孤立感からの離脱方法...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生きていく為には毎日同じことをする必要があります。朝ごはんを頂き、学校に通い、色々あって夕食を、そして寝ていく毎日です。この同じマンネリズムがある人は本当に幸せな人々です。そんな幸せな退屈性の中で、ふと「私は何をしているのだろう?」と混乱し、悩んでいる自分を見つけると、益々、憂鬱になり意欲を失います。こんな雰囲気を打ち破る方法は或事を考えなさいとエリクソンは優しくアドヴァイスします。自分とは何者かを考えなさいと言うのです。先ずは自分は草原の風になびく弱い草ではなく、草原の中の大木である、と言い聞かせます。草ですと、何となく惨めで弱弱しく、頼りになりませんが、何の木かは今、決めなくても、その内にイメージが湧きだします。例えば、柳の大木だとか、樫の大木、杉の大木等と自分の好きな大木をイメージするだけで、元気に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分には何の取り柄もないとか、得意技が無いと、劣等感の塊のように、自分を卑下している人に出会います。親を選べない人間はどんな環境に生まれてくるのか分かりませんし、歴史や時代に翻弄されます。アフリカに生まれてくる人、イギリスや南米に生まれてくる人、それぞれです。生き甲斐の心理学では、どんな環境に生まれ育とうとも、自分の中に生きる目的、生き甲斐、役割をどうして見出すか、その方法について思索していきます。希望をなくし、諦めている人々の心を傾聴すると、それなりの理由を話されます。そうなるまでの生育史を傾聴していくと、なるほど、とうなずける環境に驚きます。さもありなん、と思いますが、人間、どうしてどうして、そんなに弱いものではありません。意思ある所に道あり。その気になれば明るく元気に爽やかに生きる知恵は無限にありま...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    小学生一年生の思い出は何と言いましても入学式です。昭和18年、神奈川県葉山小学校、同じ名前の人が二人いたので、私は二回も名前を呼ばれたので「あれ、さっき大きな声で返事したのに!」と思いながらもまたもや返事をしました。後で分かったのですが、私と同じ名前の子供は、とうとう返事をしない羽目になつていたそうです。この事が同級生に冷やかされて「あの気の弱い子に、悪い事をしたなあ」と罪悪感を感じました。その子は葉山小学校からの帰宅中、アメリカの戦闘機に機関銃を撃たれて大けがをするのですが、その子への遠慮がエリクソンの言う5-7才時代の私の罪悪感の原型となつたようです。暫くは遠慮して自発性に欠けるのですが、そうすると日々が遠慮で面白くありません。葛藤している内に「私は私」でいこうと考えたらしく、以後、堂々と自分らしく自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼稚園児から高齢者まで、弱い自分に悩み、迷う場合があります。信じていた親に裏切られたという想いから周囲の人に疑惑を感じると同時に、自分の心は千路に乱れ、何とかこの混乱から立ち直ろうと最後の意思力を発揮します。その結果、とんでもない人生に追い込まれ、意思に反しり、願いにそぐわない場面に遭遇し、あれは意思力ではなく、意地だった、と深く反省するのが人生のようです。この意思力と意地の違いは、そう簡単に分かりません。自分を律する必要性は百も承知、しかし、湧き出す感情の激しさ、自律性の問題(何を抑え、何を発揮すべきか、は混乱の最中はそう簡単にわかりません)、己の馬鹿さ加減から世間の嘲笑を買い益々恥ずかしい自分を感じて恥辱感は最大、こんな体験をエリクソンは何と2才から4才に原型が経験されると断言しているので、切なくなり...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生きている希望が無い」とは、どういう意味なのでしょう?Aさんが人生に失望した、という内容は失恋、Bさんの失望は事業の失敗、Cさんは変な旦那と結婚してしまった、Dさんは子供が中々自分の言う事を理解してくれない、Eさんは周囲に碌な人間がいないので毎日が地獄、と色々あります。「生き甲斐の心理学」はこの無限にある希望の無い現実を、どう分類して、そして対処していこう、としているのでしょう?答えは、その本人の中にある、と信じている学派ですから、テキストの理論を駆使、応用しながら、何とかご本人が「これが答えだ」と確信出来るまで、鋭意、努力をしつつ、共に、その答えを探ろうとしています。人生の意味、人生の希望を置く領域が、あまりにも現実吟味力が無いと、無駄なエネルギーを消耗し、疲れ果て、遂には倒れてしまいます。その倒れさ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    Aさんと時間を共にしていて、遠慮しなくても居心地がいいのに、Bさんとは気を使い疲れ果てる、この違いは色々ありますが、あまり深刻に考えないほうが良いのです。自分の許容性が無いとか、まだ人間が出来ていないとか、とかく人は反省しがちですが、それよりも日々のその場、その場での「役割意識」を観察すると面白い現象が見えてきます。親友は無言の内に自分のその場での役割をさりげなく行ったり、配慮してくれています。それは当然のことで、長い付き合いもありますし、その人と何回も喧嘩をして、互いの性格を知っていますので、こうすれば機嫌が良い、こうすれば機嫌を損なうというコツを知っていますので当然ですが、未だ、あまり良く知らない相手ならば、未だ、どうしていいか不明なのです。この人と仲良くなりたい、とインスピレーションを感じたら、その...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    Aさんと時間を共にしていて、遠慮しなくても居心地がいいのに、Bさんとは気を使い疲れ果てる、この違いは色々ありますが、あまり深刻に考えないほうが良いのです。自分の許容性が無いとか、まだ人間が出来ていないとか、とかく人は反省しがちですが、それよりも日々のその場、その場での「役割意識」を観察すると面白い現象が見えてきます。親友は無言の内に自分のその場での役割をさりげなく行ったり、配慮してくれています。それは当然のことで、長い付き合いもありますし、その人と何回も喧嘩をして、互いの性格を知っていますので、こうすれば機嫌が良い、こうすれば機嫌を損なうというコツを知っていますので当然ですが、未だ、あまり良く知らない相手ならば、未だ、どうしていいか不明なのです。この人と仲良くなりたい、とインスピレーションを感じたら、その...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分をさしおいて、自分がこうありたい、こうあらねばならないという生育史上の理想の領域から人を批判する人がいます。人類の歴史からみれば、こういう人を悪いと断言するのは、いかがかとは思いますが、自分の身近に、もし、こんな友人がいたら、さぞかし疲労していくことでしょう。人類の歴史では自分はさておき、理想像を激しく追及してフランス革命、ロシア革命、明治維新なども流れていくわけですし、周囲の日常生活でも発展もありますので、一概に理想から人を裁く、批判する傾向を悪いとは言い切れない面もあります。しかし、日々の生活で、身近な友達が自分の事をさておき、ばんばんと私の事を攻撃、批判してきたら、逃げ出したくなります。自己愛パースナリティ障害の論文の中に「限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入」とい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大事な人とお付き合いしている私達は、時々、あれ?この人の本音は何?、と心配する事があります。どうでもいい人の本音はあまり関係がないのですが、大事な人の本音を聴くには上手な傾聴をしていないと見抜けません。本音は何?と文句を言う前に自分の傾聴の仕方の基礎を学習しておかないと、シグナルは出されているのに相手の本音が見えないのです。こんな場合、相手は、何と鈍感な人、と思っているかもしれません。特に日本文化は、さりげなく気づく、を要求している文化ですので、場が読めない人、としばしば馬鹿にする文化でもあります。生まれつき頭の良い人もいれば、遺伝上、あまり敏感でない人もいるので、このあたりが生き抜く上での難しい領域です。互いに愛と許しがないと、大事な人とは上手くいきません。もうひとつの重要な哲学があります。異文化交流、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の考え」が無ければやむをえませんが、考えている場合は、キチンと自己主張をしていないと、陰口を言われて当然です。森羅万象に対して自分の考え方をキチンと表現する必要が人類には必要です。もし不幸にして「ノウアイディア」なら、その旨を大事な人に伝えておく必要があります。そうしないと相手は不安がりますし、愛したくても愛し方を決められません。思考、感情、行動は、いつも自分らしく生きていかないと、自分も相手も幸福になれません。「私は私」なのですが、それなりの自分の傾向を意識化しておかないと、自分も相手も社会も混乱していきます。孤島で生きるのも大変ですが、法治国家で生きるのは安全ですが、それだけに思考、感情、行動の傾向は、常に「生き甲斐探索」上の対象として意識化しておく必要があり、その意識化が自分と周囲を幸せにしてい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    せめて好きか嫌いか、怖がっているのか、本当に怖がっていなくて平気なのか、だけは周囲に表現しておかないと、不気味がられます。感情表現を抑えている人とは本当に付き合いにくいものです。相手が正直に感情表現をしていないので、ついついこちらが図に乗って心をゆるし、本音を感情として表現したばかりに、あちこちで悪口を言われた経験はありませんか?あの人に裏切られた、とこちらも負けずに悪口を言いますので、国際関係同様、戦争状態となります。平和外交の基本は自分に正直でいないと平和構築は不可能です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生育史上の理由で本音を言わないで育った人が案外多いのですが、これが良いとか悪いとかの視点ではなく、それぞれの人生なのです。問題は本人が何故、自分は人間関係で非常につかれるのだろう、原因は何だろう、と哲学開始の時に、この「生き甲斐の心理学」が必要になるだけの話です。今日のテーマは「本音を言わない人」ですが、案外、自分の本音がわからない人、と言い換えた方が良いかもしれません。何回も言いますが、この傾向のある自分が悪い、という問題ではないのです。私はそういう傾向があるらしい、と解釈していくと「私は誰?」という自問自答の中で、私はそういう傾向のある人間だ、と解釈する事で、自我意識が形成されてきて、私は私でいいのだ、という自己信頼感も生まれ、個性の美に気付き、一人我が道を行く、と堂々と明るく元気になりだすのです。自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が嫌い、という人は実に沢山いますが、お付き合いすると、何とも優しく、親切な方が多いようです。不思議な話ですが、礼儀正しく、いつも人の事を考えていてくださり、私としては、その方と黙っていても安心なので、いつまでもそばにいたいくらいです。そんな方が或日、自己嫌悪感について語り出してくれました。同じ「自分が嫌い」という人間でも、その嫌いな原因は万とあるでしょうが、心理療法の立場からその遠因を分析する場合、好きなのに嫌いという意識があったり、嫌いなのに好きだと感じる事例が多いので、このあたりの洞察作業を開始します。この作業がとても難しいのです。自分が嫌いになるまでには、相当の時間がかかつています。そもそも「嫌いという感情」は、その人の生育史上の理想の領域に反するからですが、人はいちいち、その分析などしません。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人類永遠の課題を、ここのブログで語るのは不可能に近いのですが、心理療法の現場ではいつも、この難問を正面から叩きつけられます。私はどう対処しているのでしょうか?数十年を振り返ると、あまりの下手さに、じわじわと汗が流れ出します。幼稚園児から高齢者まで、この難問を自問自答しています。例えば幼稚園児は「母さんから嫌い、といつも言われている。家に帰るのが嫌!」この嘆きも私は誰?という変形です。この私は誰?というテーマをシャガールの絵画を考えながら思索していきます。心理療法の学問を考えたフロイト、ユング、その他の偉大な先輩は、いつもこの人類の総数が自問自答している言葉の群れを、いくつかの概念に集約して、解決しようと努力しているわけです。言葉の群れ、を学問としての概念、例えば上記の幼稚園児の場合の自問自答を専門的な概念...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    欧米に旅をして美術館や建築物を鑑賞する際に、もし、人間の罪悪感がキリストの十字架の贖罪の思想により救済され、かつ、人間の死後、いつの日にか人が復活する、という基本思想を理解していないと、ミケランジェロ、ダヴィンチ等の名画鑑賞の在り様そのものが、少々、残念な理解に終わるかもしれません。芸術鑑賞の際に、信仰の目で見る場合が良いともかぎりませんし、芸術は芸術の鑑賞の仕方は沢山あるとは思いますが、日本人の場合、何故か、キリスト教や宗教を激しく嫌う傾向があるようですので、残念です。古代ギリシャ、インド、中国、日本の古代史でも、宗教や魂の存在を学習上、冷静に理解しておかないと、真実が見えてこないのです。キリシタンとその流れであるキリスト教は邪教じゃ、とつぶやく現代人にお会いした事があり、大変驚いた事があります。さて、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    宗派の詳細は難しいので、ここでは省略しますが、世界の5大宗教(仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教、ユダヤ教)の共通性は(1)自分の行動に責任をもたせている事、(2)許しの精神、(3)平和と愛、(4)黄金律、(5)霊性、(6)魂の不滅問題、(7)超自然の偉大性、その他あるでしょうが、私は魂の不滅問題に関心がありますので、この魂論の中での面白い話をしてみます。アウグスチヌスという学者がもし人間が、魂と直接会話が出来たならば哲学も学問も誕生しなかったかも、と述べています。魂は不可知論の範疇ですが、魂と会話が出来たなら、何でも宇宙の真理が分かるので、もはや、学問の探究心は必要なく、天国のような平和な世界に存在出来たでしょう。改めて不可知論の存在しているこの地球に生まれて良かったとしみじみ思います。今の私の幸...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    絵画、音楽、建築、彫刻、文学の中の「天国」の世界を垣間見て、これなら是非,行きたいと感じたものは少ないです。しかし宇治平等院の雲中供養菩薩(51体)のお姿を拝見した折、そのあまりにも楽しそうで幸せそうな世界に触れ、こんな天国なら是非、行きたいと瞬間に感じ、願ったことがあります。単にイメージの世界で空想するだけでなく、目で見た雲中供養菩薩様、特に分類番号20の菩薩様は薄い絹の衣を肩から両腕で握り、左足を「楽の音」に合わせたかのように、軽やかに踊るかのように、腰を少し曲げた菩薩様は愛の象徴でした。51体の菩薩様が奏でる愛の世界を描いた絵画は、人々が互いに愛し合い、魂を賛美し、永遠の宇宙を飛び跳ね、森羅万象がこの愛と賛美と感謝の世界を五感で生き抜いている天国の世界だ、と思わせるものでした。この宇治平等院の雲中供...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    欧米に旅をして美術館や建築物を鑑賞する際に、もし、人間の罪悪感がキリストの十字架の贖罪の思想により救済され、かつ、人間の死後、いつの日にか人が復活する、という基本思想を理解していないと、ミケランジェロ、ダヴィンチ等の名画鑑賞の在り様そのものが、少々、残念な理解に終わるかもしれません。芸術鑑賞の際に、信仰の目で見る場合が良いともかぎりませんし、芸術は芸術の鑑賞の仕方は沢山あるとは思いますが、日本人の場合、何故か、キリスト教や宗教を激しく嫌う傾向があるようですので、残念です。古代ギリシャ、インド、中国、日本の古代史でも、宗教や魂の存在を学習上、冷静に理解しておかないと、真実が見えてこないのです。キリシタンとその流れであるキリスト教は邪教じゃ、とつぶやく現代人にお会いした事があり、大変驚いた事があります。さて、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    太陽の光、月の光はそれぞれの味わいは違いますが、人々に愛されています。特に宇宙からの光の研究は素晴らしいニュースをもたらせてくれます。光の中の情報は素晴らしく、例えばこんな例がありました。或学者が一つの光りを捕らえました。その光は120億年前に消滅した銀河の星のものだったのです。光の中には無限の情報があるようです。私の古いパソコンには数年をかけて努力して作成したA4版の25,000枚の貴重な資料がありました。それを新しいパソコンに赤外線による情報転送技術を使い数秒で転送しました。つまり光の中には私の貴重な資料25,000枚分の情報が入っているです。私・人間の目に見えない光の中にこの膨大な情報があるわけです。太陽の暖かいぬくもりの光りの中の情報を解析したり、その他の宇宙からの光りの中の情報を認識したり、実に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    太陽の光、月の光はそれぞれの味わいは違いますが、人々に愛されています。特に宇宙からの光の研究は素晴らしいニュースをもたらせてくれます。光の中の情報は素晴らしく、例えばこんな例がありました。或学者が一つの光りを捕らえました。その光は120億年前に消滅した銀河の星のものだったのです。光の中には無限の情報があるようです。私の古いパソコンには数年をかけて努力して作成したA4版の25,000枚の貴重な資料がありました。それを新しいパソコンに赤外線による情報転送技術を使い数秒で転送しました。つまり光の中には私の貴重な資料25,000枚分の情報が入っているです。私・人間の目に見えない光の中にこの膨大な情報があるわけです。太陽の暖かいぬくもりの光りの中の情報を解析したり、その他の宇宙からの光りの中の情報を認識したり、実に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    暗いイメージを持つ傾向の人は生涯、その傾向を無意識に所持しているようなので、心理療法では明るいイメージを持つ事による生きる喜びを体験させようと必死です。暗いイメージを持ちがちな人に明るいイメージを持たせる手法を「移植する」という言葉を先輩から教えられました。イメージ療法でしばしば使用する方法なのです。具体的には音楽療法、絵画鑑賞療法です。特に絵画鑑賞療法ではシャガールを使用します。言語療法の限界を補うのです。シャガールの螺旋状に上る幸福への階段の絵は言葉にしなくても人々にイメージを伝達してくれます。自分の身辺に生起する森羅場万象の解釈のイメージが暗い傾向にあると、生涯、その人は暗い解釈をしていきます。暗くて何処が悪いと居直る人がいますが、その場合、色々医学的に検証していくと、自律神経、免疫力、分泌の関係が...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    若くても歳をとっていても、ひたすら「自分の人生は落ちる一方」と嘆き、悩み、言葉にする人と時々、出会います。人は考えた通りの人間になる、とは古代から言われていますが、まさにその通りで、落ちると思えば落ちていくようです。病気になり、もう駄目だと思えば、ひたすら悪化しますし、本気で治りたいと思えば、落ちると思う人に比べて治癒率が高い統計もあるようです。このように自分が何処に流れていくか、その流れゆく先をいつも希望のある明るい場所をイメージしつつ乞い願う人は、それなりの人生を歩むようです。どんなに厳しい環境でも、心は自由な世界ですので、過去に暗い生育史があって、今、身体に少々問題がありましても、心だけは明るく爽やかに保持出来るように努力して生きていくと、必ず道が見つかるようです。螺旋状に幸福への道を歩みたいと願え...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私はいつもDNAが螺旋状に絡み合っている写真と人生の色々の事が複雑に絡み合って生きている風景に深い意味と示唆を感じています。毎日の喜怒哀楽の流れ、出来事の関連性、遺伝子の影響、人間関係の繋がり、政治の絡み合い、国際関係、どれを見ても直線で幸福曲線を突っ走る風景は無く、どの風景を見ても、努力と挫折の螺旋状態の中で、人々は小さな幸福、大きな幸福に愛と喜びを感じて生きているようです。ここが問題なのですが、自分の人生をイメージの中で、直線的に見ようする時に、いつも自分を苦しめているようですが、自分の人生を螺旋状態が当然の事として解釈すると、何となく幸福曲線を感じます。いつも直線的に、一発で成功しないと不機嫌になる自分がいるようです。人生、思い通りにいく事例は殆ど無く、あっても、それを恩寵と感謝と解釈すべき事なのに...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人の生き甲斐相談や悩みの対応の際に感じる人間のイメージの力について思索していきます。どんな理論家でも日々の生活は案外、理論的ではないのです。例えば、特に家族内や親友との会話は極めて感情的になる事が多いのは当然でしょう。子供の頃から怒りっぽいタイプ、何でも笑い転がるタイプ、何でも暗く解釈する人、その三つ子の魂は百までも、と言われるように、そう簡単に性格は変わりません。何かを選択する場合でも、対処する場合でも、数秒の間にしなければならないので、人は殆ど、大脳の中のイメージで動くものです。道路で車がいきなり飛び出せば、とっさの感覚、イメージで危険をさけるようなものです。このイメージの力について考えていきますが、イメージそのものが直線のようなイメージ(雲間の太陽光)もあれば、大自然の森の中を散策している時の木洩れ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    シャガールの絵は「和解と平和」を何となく示唆してくれます。不思議な絵描きさんで、余程、和解をしないと自分が平和になれない苦い体験があるのかもしれません。私も社会で出て相当鍛えられ、末っ子の我儘な性格に嫌という程、気付かされた事があります。世間が冷たいと感じていたのですが、私が我儘だったのです。この我儘は瞬間に直せるものではなく、自分としては和解への道へ努力したものです。世間が冷たいので私の心が平和ではない、と解釈していたのですが、私のほうから平和への道を模索する必要を感じだしました。こうして我儘な性根が世間から鍛えられつつ大人になつていきます。和解と平和という思想が哲学の中に存在していて、しかもその思想は古代から人類が探究していた思想史だ、という事を知ると、自分の劣等感も半減していきます。私が悪いのではな...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    シャガールの絵をじーっと見ていますと、自分の無意識の世界にシャガールの絵の世界が先ず浮かんできた後に、ふと気楽に愛の世界を垣間見れる瞬間あるのが不思議で、そのゆえに世界の心理療法家はシャガールの絵を活用するのかもしれません。子供時代に大好きな母親から親切にされ、しみじみと、ああ、自分はお母さんから可愛がられているなあ、と言う思い出が沢山あります。その思い出の場面を心理療法の世界では「愛の原型」と呼んでいて、とても大事にしています。生育史の暗い感情や現実の哀しい出来事から非常に孤独感に陥り切ない感情になつた時に、親友や大好きな人々が心に響くような愛情を示してくれると、その切ない孤独感が瞬時に癒される事があります。愛の原型を沢山持つ人は折に触れてこの愛の原型を現実の日々の生活のふとした場面で素直に思い出し、生...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    地球上には魂の定義は万とありますが、私はジーン・ドージャという神学者の定義が大好きです。魂は永遠不変のもの、愛そのもの、老いることもなく病むこともない、臨終と共に身体から離脱する知的生命体である、と定義しているのです。私はこの魂論を信じたお陰で、公私ともに救われました。憎たらしい友達の魂も、私にも、同じこの魂があると信じると、心と体は拒否反応をしているのですが、五感と体感では感じとれない魂の存在を信じると、憎たらしい友達も、そう親の敵のよな気分から解放されていった経験があります。人類が皆、このように信じたら醜い争い(戦争での殺戮を含め)も少しは軽減していくと思うのですが、色々の考え方があるので、なかなか平和は生まれません。しかし、この魂論を中心に生きてきた私ですので最後までこの考え方を保持しようと考えてい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    不安感を自分にもたらす要素は沢山あると思います。経済問題、人間関係等もそうでしょうし、将来、どうなっていくのだろう、という不安感もあります。不安感も、怒りの感情も、身体症状、鬱、錯乱も、どの場合も何かを信じると、いとも簡単に解決する事があります。不安を解消するものはお金だと信じている人は、人から侮蔑されようとも、せっせと貯金をしていきます。お金があれば大丈夫だと信じているからです。身体を壊してお金が貯められない健康状態ともなれば錯乱していきます。どんな厳しい環境でも、お金があろうが無かろうが、病気になっても、それでも不安感を解消してれるものを古代の人々は「魂」として語っています。魂の内容は文化、時代、国により違いますが、自分にも魂があると信じて、その永遠の魂に全てを託していくのです。不安感の状態が魂の存在...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    古代エジプトの文化、ケルト文化、中国、インド等の文化を研究していく内に、一番、重要な言葉が魂、だと気付きます。どんなに「魂」と言う言葉が嫌いな学者でも、この魂の内容について思索していかないと、それら古代文明の意味は理解不能となります。この魂の意味について思索する場合、一番良いのが自分の魂について色々の視点から自己分析するのが一番楽しく、かつ、他人事にならない良い研究方法だと思います。この魂論について思索していきますが。その方法は自分の無意識の世界から、どうしれば意識化できるか、その方法について、考えてみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日本で「あなたはヤマトタケルのような方ですわ」と美女に言われたら、こんな幸せはなく、欧米で「あなたはゼウスのような方ですわ」となれば、もう大変です。しかし、あなたはナルシスね、とか、君はヘラのようだ、と言われないように努力したものです。このようにギリシャ神話に登場する人物で日常生活の明暗の感情を諧謔を込めて会話しているのは大人ではなく小学生徒クラスなのです。日本では時代、文化により漫画の登場人物で日々の生活を互いに表現しあい、生きています。ストレートな言葉よりも、有名な人物に例えて生活するのも人間の優しさか、怖さか、複雑ですが、言語表現には限界がありますので、心理療法としては注目する領域です。原書房で出された「ギリシャ神話:物語辞典」はとても良い本で、或程度、ギリシャ神話を読みこなした人々には座右の名作で...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つは実に神秘的なものなのですが、この暗い感情を嫌なものとして唾棄すると、人生が益々暗く、切なくなります。そもそも暗い感情、というものを尊敬する人はいませんが、ギリシャ時代から、この暗い感情を、排除しないで面白可笑しく書きたてたのがギリシャ神話でした。あのギリシャ神話を細かく読むとわかるのですが、主人公は神様達ですが、その実体は人間の万とある感情が神様の姿として出てきて、それの感情が主人公だ、と私は理解しています。感情ですから、する事、なすこと、でたらめのように思えるのですが、読む私は、この変な神様は私の少年時代のようだ、とか思いますし、この神様や女神は、青春の抑えがたい感情の激しい流れをこんな物語で表現しているんだなあ、と感動しつつ読んでいます。ギリシャ神話を面白く分か...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    もし気になる人が自分の人生から消滅したら、多分、人は幸福にはなれません。当たり前の哲学ですが、この当たり前がなかなか心底納得出来ない領域のようです。私は中高生時代、好きな先生と嫌いな先生がいましたが、今の私の幸福は嫌いな先生のお陰です。英語先生が一番苦手でしたが、20代から60までは英語が生きていく上で一番大事な言葉でした。中高時代の英語教室での挫折と劣等感が私を奮起させたのです。嫌いな人の存在は(1)自分の健全な人間観を育てる、(2)極度に厭な感情を体験させ、感情の抑圧の不健康さを教え、14の防衛機制(つまり、フロイドの14の防衛機制のことですが、抑圧、感情の転移、合理化、昇華、逃避等の、切ない人生体験をさせてくれる)から生まれてくる大人の知恵を無言の内に、人間教育をさせてくれている、(3)厳しい現実社...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    日常生活でしばしばお会いする人の存在が心地よい場合は問題はないのですが、少々気になり、何となく自分を不安にさせる人をどう解釈したらいいのでしょうか?ストレス曲線を全部排除するのは生きている限りは不可能なので下記の項目を全部ノートに書きだす事です。ノートに書きだす努力をしないと、多分、その人に無意識の世界で支配される事となります。ノートに書きだす内容ですが、(1)何故、嫌いか、倫理道徳を超えて、嫌いな感情を全部ノートに書きだす事、(2)現実的ではない事でもいいので、では、その人がどうなればいいのか、その人にどう対処したいのか、(3)その人の長所は、どんな事だろう?そして、その人と、どうなれば幸福曲線を自分が歩きだすだろう、この3点を真面目に書いていく内に、必ず納得いく答えが見つかります。書きだしたノートを再...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分以外の人は全て驚きの対象なのですが、いちいち驚いている人を見ると、疲れるだろうなあ、と心配になります。酷い言い方をすれば自分以外は全部、変な人、と考えたたほうが、良いようです。無意識の中で自分という種の存在に価値を見出さなくなりますと、どんな生物でも滅んでいくようです。どういう事かと言いますと、子供から高齢者まで、或いは、心を病んだ人も健全な人も、もし、自分の存在に意味と価値を喪失してしまうと、自然と病気になったり元気がなくなったり、死を選んだりしてしまいます。生きていてもしょうがないと考えると人は、どんどん生気を無くしていきます。他者から「死ね」などと言はれた人間は、強い人でも本当に厭になることでしょう。このような残酷な言葉を吐く不可解な人の存在の意味を考えてみます。この意味をあぶり出すのも無意識の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「無意識の意識化」という手法は対処療法の現場でも、生き甲斐探求の現場でも、或いは「今後、今の自分の職業上の難問をどう解決したらいいのか」という当面の問題解決の際にも応用されています。中高生徒から、どんな年齢、どんな職業の人でも、この無意識の意識化、という手法で、答えを自分の生育史からあぶり出せば、人に強要されて、いやいや一応礼儀作法上カウンセラーに「有難うございます等言いながら、上手く流れないカウンセリング」より遥かに良い結果を産むと思います。万とあるあぶり出す分野の中でも、一番効果的なあぶり出しが「自分は何の為に生きているのか?」と言う難問の答えを、自分の中から探し出す事だと言われています。こればかりは相当の努力と苦労を伴うでしょう。しかし、この答えは間違いなく本人の中に存在しています。一番良い方法は「...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    新聞、ラジオ、テレビ、友達情報、パソコン、スマートフォン等深入りすればするほど、情報過多で、心が乱されます。無駄な情報が多すぎますが、目に入るものを無視すると自分が世間から取り残され不利な立場に立たされないか、という不安感も現代人にはあるようです。周囲には親に食べさせてもらっている若者が増えていますが、この現象は親が死んだら、その若者は、どうして生きていくのでしょう?さて,生き甲斐の心理学の目指す所は、どんな環境でも明るく元気に逞しく、一人で生きていける知恵を身につける勉強をすすめていますので、時間をかけて人間の心の仕組みを学んでいきます。テキストは必要ですが出来るだけ、その学ぼうとしている勉強仲間の生育史を一番大事にしています。その理由は、いきなり関係のない偉大な人物の思想や著作を見せるよりも、その人の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心の奥深い領域は神聖な世界らしい、という感覚は大昔からの神話を読めば誰でも気づきます。人間の能力の素晴らしさでしょう。予知能力もあり複雑な人間心理を民話や神話の普及により子供から高齢者まで、また、どんな時代でも地球上の不思議な現象に触れると、そこに疑問が生まれ、この答えを予測し、予測が当たれば人々から尊敬されたり、或いは殺害されたりする人類の歴史は知られた分野です。この問題を学問として考えていくには、やはりフロイトの「無意識の意識化」から思索を開始しないと、オカルトめいた話になり、少々、危険でもあります。この無意識の世界について暫く思索をすすめます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    親しい人との会話はこの世の天国ですが苦手な人との会話は勉強にはなりますが、あまり楽しくはありません。親しい友人等と食事をしながら美味なワインで料理をいただき、好きな音楽が背景に流れていれば正に五感と体感のレベルでこの世の最大の幸せを味わう事となります。その会話では色々の価値観が飛び交いますが自己肯定、他者肯定の雰囲気があるので、何を語っても先ずは受け入れてもらえます。読書も楽しいですけれども、勉強仲間とか心許した人々との会話ほど、生き甲斐を彷彿とさせるものはありません。生身の人間との会話は視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感と体感をフルに活用し、人間成長には欠かせない貴重なチャンスです。9月6日から今回まで「意識と知覚」「五感と体感」の大テーマのもとに語り続けましたが、明日からは「無意識の世界」について思索...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何故かモーツアルトは音楽療法に応用されます。理由は色々でしょうが私が教えられた海外の研究室では病理論の中の諸説、その中でも、私が納得した理論はフロイドの「無意識の意識化」とカールロジャースの「自己概念の再構成」でした。例えば日本の演歌の中の某さんの歌は私の暗い感情を益々暗くし人生を絶望的にしていきますが、全ての毒素やストレス曲線が流れ出されます。無意識の意識化により猛毒が全部身体から出てしまうけれども希望、幸福曲線が補充されませんでした。所がモーツアルトは毒素、ストレス曲線が流れ出た後、生きる希望、幸福曲線が湧きだすのです。どの曲がこの現象を起こすかは、それぞれの生育史が決めますので、どれがいいかは皆さんが決める問題です。しかし、この聴覚による心の安らぎを確保する手法と原理を意識しておくと便利です。皆様に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    寂しい時、辛い時、親しい人がさりげなく手を握ってくれますと涙が流れる時があります。死にゆく人で物が言えない臨終の時も、手を握り自分の名前を言うと涙を流して嬉しそうに口元が少し緩む事もあります。臨終に間に合った私の父がそうでした。第二次世界大戦まで軍艦であちこちの海戦を経験した職業軍人でしたが、終戦から数十年後も生き抜いて畳の上で死を迎える事が出来ました。子供としては幸せでした。私が東京から新潟県長岡市の実家にかけつけるまで、必死で息子の帰郷を待っていたようで、到着、数時間後に臨終を迎えました。このように親しい人の触覚は人を幸せにし安心感を与えていきます。五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の5つ)と体感は人間の幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)とストレス曲線(不安感、怒り、身体症...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    野山に咲く花を味わうのは私の生き甲斐の一つですが、私の心の中の感動を更に深めてくれるのが万葉集の歌です。色々調べる学者さんが居て、面白い数字を見た事があります。約4500首に詠まれている植物の数はおよそ160種、色々の花を詠んでいるのですが一番詠まれている花の順位を下記のように統計されていました。一位:萩:142首、二位:梅:120首、三位:松:78首、四位:橘:75首、五位:葦:53首、六位:桜:42首、このような数字は古代日本人の美意識を現わしているようです。さて、この和歌を意識して身近な花を味わうと、私の心は一段と深い美しさを感じるのは何故でしょう?歴史や小さな情報が美意識を深めるのは確かのようです。近くの古い神社仏閣への散歩、多摩川の散歩で、ふと見ると、知らない野草が何とも美しく咲いています。写真...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    或事例のお話ですが「美しいと感じたんだから、それでもう良いじゃないか、何故、美しいと感じたか等、いちいち分析するのか」とその人は文句を言います。しかし退院されていく時は何故、美しいとあの時感じて、それにのめりこんでいったのだろう、と意識化されると、段々と身体症状が激減し精神が健全と定義される領域に入り、そして元気に明るく現実の生活を送られるようになりました。人の身体には自然治癒力という驚くべき回復力が誕生時から、身体に備わっています。環境により心の発病のメカニズムは多少違いますが、その人の置かれた環境の中で現実適応能力が欠落すると、心の病になりやすいのですが、本来、人間が所持している理性(真善美への渇望、更にデジデリウム「見神慾」といわれる宗教的感情、神仏への憧れ、天地万物という大自然への恐れを含む憧れ本...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    五感の中でも視覚による美、この美しいものを、しっかりと感じ取り、意識化出来る人は幸せか不幸か?芸術家の中で、あまりにも熱心に美を追求するあまり心のバランスを失う人がいますが、これは良い悪いの問題ではなく、心の精神衛生を無視した生活に問題があるようです。セルフコントロールを意識すれば芸術が成立しないような領域もありますので、難しい問題です。暫くこの美に対する生き甲斐の心理学の立場を思索していきます。美しい異性、宇宙の壮大な美、数学の合理的な美しさ、野に咲く小さな花達、可愛らし動物や小鳥たち、そのそれぞれの美しさは人々を本来、幸せにします。この美の世界についてどんな視点から生き甲斐の心理学はアプローチしているのでしょうか?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    五感の中でも視覚による美、この美しいものを、しっかりと感じ取り、意識化出来る人は幸せか不幸か?芸術家の中で、あまりにも熱心に美を追求するあまり心のバランスを失う人がいますが、これは良い悪いの問題ではなく、心の精神衛生を無視した生活に問題があるようです。セルフコントロールを意識すれば芸術が成立しないような領域もありますので、難しい問題です。暫くこの美に対する生き甲斐の心理学の立場を思索していきます。美しい異性、宇宙の壮大な美、数学の合理的な美しさ、野に咲く小さな花達、可愛らし動物や小鳥たち、そのそれぞれの美しさは人々を本来、幸せにします。この美の世界についてどんな視点から生き甲斐の心理学はアプローチしているのでしょうか?自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    紀元前330年頃、アレキサンドロスの時代にシンプリキオスという哲学者がいました。彼によるとカレンダーの語源ともなる古代カルディア人は、その頃、すでに過去1903年間の天体の記録を保持していたらしいのです。そして下記の事を既に熟知していたらしいのです。(1)月の平均運動速度は1日13度10分35秒と定めていた。(2)朔望月29日12時間44分、(3)恒星の年間運動の春分点を知っていて1年の長さを365日6時間11分、(4)黄道12宮を作成した、と書いているようです。「暦の歴史:創元社参照下さい」さて、生き甲斐の心理学講座で、何故、このような記事を書いたかといいますと、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触感の5つ)は正確な知識、或いは、情報を大脳が意識し知覚すると、それに伴い意識と知覚も変動する、という原理もある...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    古来から人は月により心を慰められています。世界各地の神話や民話では、太陽が善玉だったり悪玉だったり、月も善玉、悪玉にされたりと、文化により相当解釈が違いますが、この月は私の大切な宝物。月は私に大きな生きる喜びを与えてくれています。お月様のお陰で、私の心のもやもやは大いに癒されてきました。私の大好きな月に関する本は沢山ありますが、その中でも「根本順吉著:月からのシグナル:筑摩書房:¥1100」があります。:この名作は図書館なら読めると思います。さてこの本には色々の歌、和歌、俳句も掲載されていますが、清少納言の「月は、有明の、東の山際に、細く出るほど、いとあわれなり」、これも味わい深いとおもいませんか?心の不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱が月をしっとりと眺めて、平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感に激変...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    理性が自分の体感が変だと教えてくれますが、体感をあまりにも信用しすぎると人生が狂う事があります。心がいつも自然体で、どんな厳しい環境、例えば事件、災害、嫌いな人間の出現等の時、それでも、心は無防備で、相手の気持ちを推し量る余裕もあり、現実を受容する余裕感もあり、間をおく心の余裕、現実を理解しようとする気持ち、冷静な理解力、人(人間、人類、生き物)への愛情があれば、このような心の状態の時、体感は本物と言われています。このような平素の人間修行の努力もしないで、体感は宝、と言いきれない現実を認識する必要もあります。それでも心理療法家は赤ちゃんから高齢者まで、更には、どんな生育史の人でも、臨床の現場では、来談者の体感を非常に重視します。精神病と言われている領域の人を治療する場合でも、今ここでの体感が、どんな偏見と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どんな素晴らしい知識でも、その活用次第で、宝ともなり猛毒ともなりますが、その分かれ道は本人次第です。環境により、その活用の仕方も違います。例えば心理療法の勉強では体感を案外、重視していて、お固い倫理道徳学者が勉強不足から時々感違いして、この「体感は知恵の宝」という概念を侮蔑し警告を発します。人間は理性と感情の世界を所持しているのは当然で、理性が大事な事も分かるのですが、入院してくる哲学者、宗教家、信念の固い人、職業上の関係で感情や体感を抑え気味の人が、退院していく時は、自分の湧き出す感情や体感をあまり道徳から自虐しなくなっています。残念ながら生身の人間の心と体は理性で一応コントロールさされてはいますが、どんな人間の生活、心の生活、感情の生活でも、堂々と人前で披露できるようなものではありません。「自分は少し...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    親子でも、友人、恋人、学友でも「親密な関係は危険なものとして避ける」傾向のある人がいます。ロジャースはこの場合を低辺、「危険だという感じが減少する」を中辺、「瞬間的体験過程にもとづき開放的に自由な関係をもつ」を高辺、と解釈しています。この文章の解釈は面談の勉強会でも誤解されやすい文章ですが、とても重要な指標なのです。一番多い事例がお見合い結婚で散見出来る事例ですが、幸福の条件から見ても、デートの雰囲気から感覚的、体感的にみても、もう文句なし、という事例でも、少し親密な状態になりそうな場合に無意識で逃げ出す男女がいる話です。生育史上の理由があるので、何故、大事な時に、無意識で逃げ出し、折角の幸福への道を自分から閉ざしてしまうのか、とても重要な問題を潜在しているようです。生き甲斐の心理学は、この傾向を五感で恐...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    体感はとても重要な指標ですが、もし、繰り返し自分の人生に嫌な事がしばしば起きる事に気づいたならば、多分、それは五感のレベルが少々狂っているか、生育史上、身辺の森羅万象を身体で感じる時に、無くて七癖のような、習慣的な悪い感じ方があるのかもしれません。例えば、どんな場合でも人の意見に先ずはケチをつける親を持つ場合、知らず知らずに、その感じ方に素直でない人が沢山います。こう書いている私がそうです。私は5人兄弟の末っ子、どうしても母親から甘えさせられる傾向がありましたし、自分で、その傾向に気付いたのは何と、この心理療法を勉強しだした23歳頃です。何となくは分かっていましたが、肌がぞーっとするくらい、自分の甘えん坊に恐怖を感じました。自己嫌悪に入る事、しばしばで、恩師が同情するばかりでなく、固執障害者かと誤解される...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    よくある話です。母は嫌い、父は嫌い、と色々と、軽く、或は重く、友人と語り合います.倫理的には両親を嫌うことは、あまり良い事ではない、と心の奥底では自分の批判を気にしています。これが普通の生身の人間でしょう。例えば、湧き出した感情の意味について、幼児時代、虐待されたから、この憎しみは当然のことだ、と解釈すると少しは心が落ち着きます。年老いた親を高齢者施設に見舞い、親から幼児時代虐待した反省と涙に触れますと、この解釈もまた変化します。体験の解釈について、時々、立ち止まり、自分の解釈の方向性、傾向について、再考したほうが、これからの人生が幸福になるようです。出来れば、生き甲斐の心理学の理論を勉強しながら、この体験の解釈を、どの方向へ変更したら過去のストレスが解消し、今後の指針について良い知恵が浮くでしょう。現実...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界の名画は色々ですが、何故か心理療法ではシャガールの絵が使用されます。理由は明白で彼の絵を見た患者さんが心の中の何かを刺激され、治療に当たる担当者が望む「言葉、意識、言語表現」を言ってくれる回数が非常に多いのです。もちろん他の絵でも刺激されますが心理療法では「混濁現象」を一番恐れていますが、このシャガールの絵には不思議な力が潜在していて、光と陰、理想と現実、私とあなた、の混濁を整理統合する作用があるようです。特に生育史の関係で自分を表現する事が苦手な人は沢山います。悶々とした言葉にならない感情の世界を周囲に的確に伝達する能力は案外、修行し勉強しないと出来ないものです。シャガールの絵を軽く見ないで、このように世界の名だたる名人の心理療法家が何故、シャガールを活用するのか、謙虚に研究していただきたい所です。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    男女の恋の話はここでは複雑で私の手に負えないので語れませんが「あなたは大嫌い」と表現されても、その言葉と裏腹で「大好きだ」という表現だったと、はた、と気づく事は日常茶飯事のようです。人の感情と言葉、意識は複雑で、五感と体感は嫌っているのに、意識の上では、好き、と思う事例もまた結構多いのです。身近な例ではデパートで店員が「いかがですか?」と声をかけても、知らんぷり、しかし魅力的な景品をお上品にちらつかせられると、少々、慾心が芽生え、どんな人でも、少し心が騒ぎます。私も綺麗な店員さんが優しい眼差しで「如何ですか?」と声をかけられるとふらふらする場合もあります。プロセススケールは、この事例を下記のように語ります。思考と感情の領域で「不一致」に気をつけよう、と。例えば、本音と建前の場合、特に本音の領域の場合、奥深...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    健全な人は朝から寝るまで、その思考と感情は、どんどん水の流れのように変化していますが、どちらかと言うと健全でない人は、一つの事に固執して、寝ても覚めてもその恨みつらみ、怒り、復讐等、固執障害者のような一日を送っています。この傾向を意識化すると健全になるのですが、この流れに気付かないと身体症状が出てきます。個性と病理は紙一重のようなところがあり、健全な精神生活をする為には、自分の感情全体が川の流れのように変化しているか、或感情に固執して、じーっと、そこに停滞しているか、を先ず、識別し、意識してみましょう。健全な人の感情は新鮮な川の流れのように、どんどん変化していくものです。川の流れに一部が停滞すると、そこに藻が繁茂し、新鮮な水が流れなくなるイメージを持つと、案外、心が健康になる早道のようです。プロセススケー...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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