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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の問題なのか、相手・他者の問題なのか混濁すると人は幸福にはなれません。更には理想と現実を混濁しても、幸せになれません。その混濁の理由は思いこみが原因なのですが、複雑なので、一つのフィルターという言葉を使います。私を含め、人は「一つのフィルター」から物を見てしまう傾向があります。例えば新聞のニュースを見ます。歓迎する人もいれば、同じニュースでも腹を立てる人もいます。この解釈の違いで、もし、無理をすれば、その人は心が落ち着きません。このように、人は自分の心を安定させる考え方、フィルターで解釈していかないと、とにかく、心が安定しないのです。つまり自分が安心して生きていける解釈を、ストレスがたまらないように、色々と言葉にしていうわけです。この傾向は悪い事ではなく種の保存、生命の維持に必要な精神作用だからです。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は、そえぞれの夢に向かって歩き出します。その際、「幸福感」と「幸福の条件」の違いを意識しながら生きていきましょう。幸福感とは少々持病がありましても散歩の途中に美し野草のお花を見て、しみじみと感動する「幸福感」のように、感情の世界での幸福感です。幸福の条件とは、例えば、結婚する相手は資産家、外交官、良家の息子や娘、或いは、財産は無くても、どんな環境で育った人でも、優しい性格、姑が居ない事、大都会の人、商家、農家等の条件提示を言います。この幸福感と幸福の条件を厳しく分けて、幸福、という全体像を考えないと、悔いの無い人生を明るく元気に爽やかに生き抜く事は不可能でしょう。幸福を追求するのは人間の本能ですが、この違い(幸福感と幸福の条件の違い)を明確に意識化して生きていくと、どんなに厳しい現実と遭遇しましても「幸...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    病気というものは嫌なものですが、考え次第で自分の人生が激変します。私は幸か不幸か大腸憩室が原因で色々苦しみました。突然、下血する驚きは大変な衝撃で、しかも、大好きな仕事ではりきっているので家族や周囲の方々にも大きな心配をあたえてしまします。どうも遺伝のようです。父は海軍の軍人で第二次世界大戦でも活躍しましたが、憩室で苦しむどころか、大いに飲んで戦争でも活躍していました。私も真面目に生きているつもりですが、この大腸憩室には苦しみます。さて、この病気とか事件、その他の人生の様々な試練についてかんがえますが、結論として生き甲斐を感じる要素として、人生での難問はとても必要なようです。体験の解釈次第で日常の幸福感が左右されますので人生の色々の哲学者、宗教家、釈迦とかキリストとか歴史に名だたる方々もいづれも大きな苦難...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幸福な自分を感じる場合、いちいち分析する必要は無いのですが、幸福病という概念もありますので、何故、幸福なのかを分析する必要があります。心の奥底で自分は不幸だ、と感じていても、立場上、不幸だと言えない宗教家が居たとします。立場上、檀上で幸福を説く場合、自分が不幸とは大衆の前では職業上言えません。そんな場合、いくら幸福論を説きまいても、身体全体、眼差しは不幸な心を全体として表現しています。これは恥ずべきことではなく、しようがない現象なのです。眼差しは正直で、哀しい時は、どんなに偽っても眼差しは哀しみを表現しているのです。不幸なのに幸福と錯誤したり、あえて幸福だ、と言うのが人間の美しい所でもありますが、病的な領域でもあるので、この分析が必要なのです。「不幸なら、不幸」と意識の上にあげ、堂々と不幸な自分を受け入れ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人の幸せはじわじわとせまってくるものですが、時により瞬間に、もうどうしようもない幸福をかんじてしまい、天にも昇る気持ちになる場合もあります。しかし、その感動が醒めると、また、何となく憂鬱になります。こうして赤ちゃん時代から高齢時代まで、喜怒哀楽を繰り返して、人は生きていきます。幸福感という心の流れを何故、心理学者が分析して、沢山の論文を書くかといいますと、幸福でありながら、不幸という来談者にキチンと説明する為でしょう。どの段階の幸福かを心理療法家は意識しておかないと仕事にならないからです。例えばもう少し知恵を身につけたり、具体的な指針に従って努力をすれば、人生での最大の幸福を手にするのに、段階説を知らない為に、途中で諦めてしまうケースがあるからです。素晴らしい恋人と出会い、幸せな結婚にもう少しで達成するの...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は不幸だ、と嘆き悲しむ人を生き甲斐の心理学は分析していきます。その際に、当然、どこが不幸なのかを誠実に傾聴していきます。更には、自分の幸福とは何か、をも質問、または会話をしていきます。この際の質問は刑事さんの尋問のような雰囲気ではなく、楽しい雰囲気を醸し出す努力をしています。殆どの人が「自分の幸福とは?」という質問をしますと、答えられないのです。何故だと思いますか?人は「生き甲斐の心理学を学ぶ学徒」のようには勉強していませんし、それが当然でしょう。「生き甲斐の心理学」に出会ったことがなければ、または、興味がなければ、この勉強はする必要がないからです。しかし、自分は不幸だ、と嘆き悲しむようになった時、初めて自分の幸福、他者の幸福、日本人の幸福、アメリカ人の幸福、人類の幸福等など、比較文化、比較宗教学の視...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大人になり「幸福について」などという言葉に触れると、ふん、青臭いなあと馬鹿にする人がいます。そういう人に限り、生きる事にぶつぶつ文句を言ったり、周囲にやつあたりしたりする人が多いようです。人は時々、立ち止まり、自分の悔いの無い人生とは何か、とか、自分は本当に幸せなのだろうか、とか周囲の人々の幸福を真剣に考えて生きている類の人間なのかと自問自答する必要があります。暫く、幸福について思索していきます。日本の国際環境、政治、厳しい現実、災害地等問題は山積していますので、人の幸福について、どんな視点から思索すればいいのでしょうか?今回は7つの視点から思索していきます。人は自問自答の内容で人生が決まりますので、何を自問自答するか、生き甲斐の心理学の先輩達がどの視点から思索すればいいのか、エリクソン、フロイド、ユング...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「あなたは錯乱しています」と、信頼している医師やサイコセラピストに言われたら、多分、誰でも相当にショックを受けるでしょうし、相当、心が乱れるはづです。この第5段階の分類で使用する「錯乱」と言う言葉はあまりにも強烈だからです。しかし、もし70億の人類が悩みの相談に一人ずつ皆様の所を訪問して、色々の言語で、または、それぞれ勝手な感情表現で、ばらばらに、相談されたら、つまり、70億通りの悩みの言語で言われたら、皆様は対応出来ません。学問はそういう沢山の臨床事例を把握していますので、世界の学会で100年をかけて、事例研究をしてきました。そして、出来るだけ、簡単に、洞察する方法論を編み出してきました。フロイトは精神分析を、ロジャースは自己成長理論を、だれそれは何々を、と今では大きな学問上の病理論は8つくらい存在して...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    鬱とは何か?この定義は非常に難しくデリケートな問題です。鬱の範囲があまりにも広範囲で、自分が鬱になった、と気にする人にとりましては、このブログはあまりにも短い説明なので或意味、危険かもしれませんが私はどんな鬱状態でも、役に立つお話だと信じて書いていきます。器質障害の場合はお医者さんの範囲ですが、心因性の鬱の場合は、精神病(そう鬱症、統合失調症)、神経症、人格障害、健全でありましても、考えてみれば、人生そのもが非常に憂鬱の事が多いので、下記の対応は役に立ちます。生き甲斐の心理学では「鬱」を第4段階として取り扱います。つまり第一段階である不安感、第二段階の怒りの状態、第三段階の身体症状、そして今回の第4段階の鬱、ですから、根が深いわけです。生育史の背景もあり、遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素のか...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    明るく元気に生きているつもりでも生身の人間には、疲労が少しずつ蓄積していき、身体症状(警告)が出ているにも拘わらず,その症状に気付かず、あるいは、認めようとせずに疲れていき、ついには風邪をひいて寝込み、初めて、あれ、と自分の不調に気付く。この生活リズムは普通の現象ですが、私の知人には行政が時々誘ってくれる検診を馬鹿にして長年、受診しませんでした。何かを感じたのか、初めて検診を受けたのですが、とき、既に遅しで、終末期の癌だと判明し、その後、数け月で帰天してしまいました。何とも哀しい話です。自分は健康だ、医者にかかる必要はないと主張していただけに悔しい気分です。身体症状が出る前には、色々のシグナルが出ます。食欲減退、睡眠不足、お色気の消滅等、その人の遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素で、どんな身体...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    ストレスの蓄積を溜めるのはその人の責任なのですが、「知は力なり」と言われるようにストレスの処理の仕方を知らないと、長い人生で自分を駄目にしてしまいます。どんなに意思力があり人格が素晴らしくても、ストレスの処理方法を知らないと、早死にしたり、無駄なエネルギーを消耗する羽目になり、馬鹿馬鹿しいくらい自分を疲労させてしまいます。怒りの段階に発展していく理由と意味を熟知しておきましょう。どんな問題に遭遇しましても人はストレスがたまるように出来ています。ストレスは健康で逞しい人にとりましては、人生を前進させる為の重要な契機を与えてくれますので、人類からストレスが消えない理由は、人々を前進させる為の大自然の摂理なのでしょう。人にとり、理想通りに行かない場合に最初に生まれるストレスが不安感なのです。その不安感は理想と現...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」で何故、このような自問自答が重要視されているのでしょう?どの世界にも原理、原則のようなものがあります。例えば数学では1+1=2、のようなもの。生き甲斐の心理学で出会う人々の内、特に自分を責めている人の中に、平安感を保持出来ない弱い自分を自虐的に責めている人が沢山います。その人が段々と、この勉強を深めていく内に、人間の本質は平安感だと思って生きてきたけれども、そうではなく、人間の本質が不安感なのだ、と気付き、自虐的な解釈をやめて「人間の本質は平安感でなく、不安感である」という臨床的事例を意識化出来るようになると、今までのストレス曲線が解消していく体感を実際に感じるようになります。こうして人生そのものが、もともと安定ではなく、日本の大自然に四季があるように、人間の心も移ろいゆくものである、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    某先生が日本で最初に「ストレス曲線」という用語を、その著作の中で、非常に御上手に、表現されていましたが、人間が感じるストレスの表現は世界中で沢山の言葉を使用しながらストレスを定義し、解決しようと、学者達は努力しています。ここで定義する「ストレス曲線」は「不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ」にまとめて、その「負のエネルギー」を表現しようとしています。その反対が「幸福曲線」なのですが、後日、細かく説明していきます。ここでの「ストレス曲線」とは人を最初に苦しめるのが、つまり、第一段階の負の感情と言われている感情を不安感と定義しています。その不安感を処理していないと、第二段階として、その不安感が変質して「怒りの感情」にまで押し上げられていきます。その不安や怒りが処理、解決されないと、眠れない、食欲が無い等の第...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分のストレスは他者には理解されないのが普通です。本人にしか分かりません。他者が理解してくれないと怒る人がいますが、怒るほうがおかしいのです。ストレスとは何か、という説明は沢山ありますが、生き甲斐の心理学では「自分のストレスとは自分の成育史上の理想と現実のギャップ」として理解しています。この原理を知らないと、何が何だか分からない状態で、怒りっぽくなったり、八つ当たりを周囲にしたり、他者には理解できない形で泣きわめいたりして、周囲の信用をなくし、相手にされなくなります。思い通りにいかない赤ちゃんが泣いているのと同じ原理です。ストレスが何故、起きるかといいますと、こうありたい、こうあって欲しい、あるべきだ、と言う想いと現実の解釈のギャップから生まれてきます。このストレスを五感と体感で感じた場合、そのストレスを...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は愛し愛される関係の中で初めて充実した日々が送れます。愛の孤独感は人を破壊していきます。そうかと言いまして、嫌いな人との関係性の中で、無理に愛し愛されようと努力すると、これまた人生が破壊されていきます。難しい領域です。愛の孤独感は夫婦間、職場、親友、知人、色々の人間関係の中で生まれてくる色々の種類の愛の姿です。愛の世界は一つの種類ではなく、万とある種類の世界ですので、心配は不要です。道端でふと、可愛らしい少女が、転んだ私に手を差し出してくれる姿も愛の姿の一つの姿、形です。問題は優しい少女の瞳にも感謝と親しみを感じ得るかどうかの問題です。道端の草花の中にも愛を感じ取れるこちら側の領域なのです。森羅万象の解釈の際に、愛を感じ取れる哲学を持てる人は本当に幸せです。愛の原型は幼い頃に形成されてはいますが、大人に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の生育史が嫌いな人、好きな人、と色々ですが、この好き、嫌いという感情は年代、年齢、環境の変化等で、相当変化してきます。人の傾向と渇望はあまり変化していない、三つ子の魂、百までも、と言われていますが、激変していくのも事実です。幼友達の内、悪童だった学友が何とも見事な魅力的な善人?に成長しているのを沢山見てきましたし、自分でも信じられないような性格と解釈を体験し、天に感謝している領域もあります。終戦を経験したり、職業の激変があったり、重病を体験したりしつつ、自分の歴史の記録である生育史が形成されていきますが、その一つ一つの場面が好きか、嫌いかは、年と共に解釈も変化していきます。今後の自分の人生を悔いなく生きていく為には、過去の嫌な記憶や見たくない人生が未だ心に潜在していると、これからの答えが見えにくいと言...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    魂を大事にする、という意味は古来から言われている「メメントモリ:自分の死を考えていこう」という領域で、楽しく明るく自分の死を考え、現在、厳しい現実を生きる場合も、幸せな日々を生きる場合でも、時々立ち止まり、自分が本当に魂というものを所持しているのかどうか、思索してみましょうと言う事です。人類誕生以来の大問題です。哲学史、思想史を見ても、答えは無く、最終的には個人が何を信じるか、その人の自由意思の問題です。臨終間際を色々と見ますと、取り乱して死んでいく人もいれば、悠々として死んでいく人もいますが、このメメントモリを若い頃から思索している人の死はそれなりのもののようです。臨終の体験が無いので何とも言えませんが飛行機事故の時の体験や海外での暴動で死の危険の場面を体験していると、何となく覚悟の内容を、どうすればい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐の心理学を学ぶ勉強会でも、時々自分の生育史が大嫌いな人に遭遇します。これは良いとか悪いとかの領域でなく、生き甲斐の心理学の学習を深めたい人にとって、一番重要で貴重なテキストがこの自分の生育史なのですが、その事に気付かない事が損失なだけです。勉強していく内に、自分の生育史が宝物であることに気付きだします。しかし、学習の当初は、どんな人でも過去の或場面を見たくも無いし思い出したくもないと思うのは当然なことです。生き甲斐の心理学を勉強していく内に、嫌いなものは嫌いなのですが、その解釈が少し変化してきます。どう変化するかと言いますと嫌悪感、劣等感、不信感が減少し、今日の自分の幸福は、あの嫌悪すべき場面を、人生を乗り越えたがゆえに、今の幸福が存在していることに気付きたすからです。生き甲斐の心理学で言う所の「...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼児から高齢者まで、地球のいかなる文化圏においても、その対処方法は類似しています。但し、キチンと勉強したレベルでのお話です。自虐現象の遠因を3つに分類しています。一つは「思考」からくるもの、二つは「感情」からくるもの、3つは「行動」からくるものです。比較文化論、比較宗教学の原理:A=B(X+Y):Aは現在生きている人の在り様、存在のこと、Bは魂(魂は愛そのもので、永遠不変なもの、病む事もなく、老いることもない、臨終と共に、身体から離脱する知的生命体のこと、Xは人の生育史のこと、赤ちゃんとしてうまれ、現在までの、その人の歴史のこと、Yは身体のこと、この方程式を意識しながら、自虐に対処していきます。自虐はその人の考え方(思考)に支配されていますし、衝動的な感情に支配されていますので、その人の感情の処理方法を洞...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼稚園児、小学生でも自虐的なのを見ると不思議でたまりません。何故、こんな幼い子が自殺をするのでしょう?リストカットをしたり、考えられない非行に走ったりするのを、ここでは「自虐」と定義しています。自分の身体を何故、大事にしないのでしょうか?成人した後も、この自虐は続きます。ここでは心理療法としての自虐について考えていきます。古代社会から現代にいたるまで自虐は継承されているので、どうも本能的な領域に自虐が含まれているようです。大昔は悪魔の仕業、という表現がまかりとおりましたが、現代では悪魔の仕業と表現したりすれば、たちまちにして精神病者扱いになります。魂の輪廻転生説でこの自虐を解決しようとしたりしますが、幼稚園児の自虐から高齢者までの自虐は、心理療法では何故、そのような現象が起きるか、説明する必要に迫れれます...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法を学習する場合、自分の心(臨床心理学)、身体(基礎医学)、魂(宗教学)の3つは必修学です。かつ、世界の比較文化論、比較宗教学を学習しないと、人の生育史を分析する事が出来ません。幼児から高齢者までの人間がする「思考感情行動」の背景には意識、無意識に拘わらず、この「自分の心」「身体」「魂」が織りなす自問自答がそれなりに行われているのです。この思索を暫くしていきます。自分の心と身体と魂を大事にするとは、どういうことでしょうか?皆様も楽しく考えてみて下さい。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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