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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現実吟味力が健全ですと、どんな環境の中でも、明るく元気に爽やかに生き抜く事が出来ます。しかし現実吟味力が病的ですと、どんな幸せな環境でも周囲の人々を病的に疑い、周囲の人々も邪眼のその人を避けるので、益々愛の孤独感から、人を信頼しなくなります。こうして悪循環の人生を送る羽目になります。心理療法上、問題になるのは、過去の生育史上、何らかの哀しい出来ごとが重なり、人を疑う事が当然のような人生体験がある場合です。この当然、人を疑う幼児体験を自分がしている、という想いは自分を惨めにしていきますので、大人となっても、その出来ごとを抑圧し、見ないようにして成長するのが普通の人間です。カールロジャースという学者は「三つ子の魂、百までも」という日本の諺のような理論を命題として述べていますが、その理論は「一度幼児時代に形成さ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は基本的信頼感を持たないと幸福になれません。「邪眼の人生」と言う言葉がありますが、この意味は「あなたと私」、つまり二人が相対して語り合う時、その眼差しが何とも疑い深い目つきの人に時々遭遇しますが、本当に恐ろしい感じです。目の病気の場合もあるので、一概に、この人は邪眼だ、ときめつけるのは危険ですが、心が疑い深い場合は、そのまなざしが自然にそうなります。子供や犬、猫、カラス等の小動物はまず大人(人)の目を見て、逃げ出したり、近づいたりします。子供や動物は生き抜いていく為に相手が敵か味方かを眼差しで判断しているようです。アフリカの戦乱の国での基本的信頼と平和な日本での基本的信頼感の在り様、内容は当然、違ってきますが、ここ日本でも職場や電車での人への基本的信頼感は現実吟味力が無いとと識別できません。おれおれ詐欺...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    エリクソンという学者はその性格発達論の中で生き抜く力は0才から2才の間に「希望力の原型」が決まると説いています。臨床心理学は人間の現象を見ては理屈を述べていきますので、世界の学者の所説にいちいち目くじらを立ててはいけません。ふん、ふん、と聞いていればそれで十分です。物理学や数学のような感覚で臨床心理学の原理にいちいち怒る人がいますが、無駄なエネルギーを消耗するだけです。専門家への道を歩む場合は世界の学会に乗り込んで、楽しみながら論戦する必要もありますが、喧嘩をしてはいけません。専門家になる場合は厳しい学問の世界で大いに論戦して下さい。しかし、暮らしの中のカウンセラーの場合はあまり論戦は意味がありません、喧騒めいた論戦は馬鹿馬鹿しく、いつも楽しく優しく語り合う必要があるだけの話です。さてこの生き抜く希望は赤...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐の心理学を勉強する時、或人は精神病の事例研究をやたらに聞きたがりますが、私は生き甲斐の心理学では病棟の事例ではなく、楽しく歴史を勉強しながら原理のみを勉強するように勧めます。大学病院等で働きたい場合は専門の大学に進みプロの道を歩む必要がありますが、暮らしの中のカウンセラーとして身近な人々を支援する場合は、この章のように原理を学び、その上で歴史上の人物を他者分析したようが良いのです。人々が幸せに生き抜く上での基本原理を勉強していきます。暫く、人生での希望力と人を基本的に信頼する力と不信感の関係性について暫く思索していきます。疑い深い人は幸せをどんどん捨てていきますので、首題の事を誠実に考えてみましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    色々の歴史書で面白おかしく書かれているのが今日の首題のテーマです。持統天皇は息子を天皇にしたくてたまりませんが、姉の息子の評判は大変なものでした。子供の頃から可愛がっていた姉の息子・大津皇子を殺戮した為、どうも明日香には住んでいられない事情があり、山深い岡寺に身を隠すように住んでいた歴史書が沢山あります。さらには吉野の宮滝に30回以上も出かけている理由についても歴史は面白く書きたてます。現代の私達も会社が倒産したり老後になったり重い病気になったり、事件に巻き込まれたりしますと逃避する場所が必要となります。こんな時、自分を助けてくれる人々がいればラッキーですが、人生はそう上手く流れません。生育史がそれぞれありますが、自分が生きている意味を悟っていれば道は拓けるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    古代史大好きの人々には多武峰の談山神社という言葉に触れただけで、もう古代史に胸がわくわくしだすものです。大化の改新は天智天皇と中臣鎌足で行われましたが、その密議を積み重ねた場所が、ここ談山神社と言われています。現場に立つと、何故、この場所が選ばれたか、その地形から理解出来ますが、私達も密議を図る場所で成功したり挫折したりします。しばしば電車の中で上司の悪口と深刻な密談をアルコールからみで声が少々大きかったら、そのまえの席に上司の夫人が居て大騒ぎになった映画のような、笑い話のような、哀しい話を昔、聞いた事があります。どこまで本当か分かりませんが謀(はかりごと)は相応し場所でしませんんと悲劇が生まれます。談山神社には藤原系氏族の一覧表が売られていて、私も買いましたが、今まで清和源氏だと信じていましたが、何故か...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    飛鳥寺で色々思索していると中学、高校生徒も沢山きているのに気付きました。私は最初は興奮していましたので学生の会話は耳に聞こえてきませんでしがが、一段落しますと、とても面白い会話が聞こえてきます。色々の学生がいましたが、私の興味をひいた会話は2種類でした。(1)はやくここを出て「何とかでゲームの店にいこぜ}(2)最初の仏教ってどんな事をおしえていた、と思うかい?。この2種類の会話のどちらが良いか、悪いか、という視点でなく、この中高生徒も今の段階で何に一番、興味があるのだろう、という視点です。(1)の会話も(2)の会話もそれぞれの今の彼らの生育史が紡ぎ出した言葉で、それぞれに深い意味があるのです。ゲームをやろぜ、という学生はひょっとして将来の電子機器の大学者になあるかもしれませんし、仏教の内容について真剣な眼...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    飛鳥寺は日本最初の仏教のお寺として有名です。その裏庭に犬小屋があり、そのワンちゃんの名前が何と「イブ」ちゃんなのです。アダムとイブ、このお寺の住職様は比較宗教学の研究をしたのかなあ、と旅仲間と談笑しつつ、もう少し先まで歩きますと、そこの大化の改新の際、首を切られた蘇我入鹿の首塚があります。何とも複雑で意味ありげな風景と思いませんか?最初の仏教のお寺の庭に可愛いワンちゃん「イブ」が私を迎えてくれたのです。何故か、老犬ですが、私にしっぽをふってくれたのも何となく意味を感じました。他の観光客には知らんぷり。昼寝をしていて、だらだらしていたのに、私の声に重たいからだを相当努力して起き上がり、互いに好意を表現しあいました。首塚を訪問し、歴史を思索し、また帰路、そのイブちゃんの所に来ますと、また昼寝をしています。他の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現代の日本は飛鳥奈良時代に原型が造られていますが、私達が学習する日本歴史の冒頭部分に近いページが大化の改新です。ご存じのように天智天皇と中臣鎌足が登場し、蘇我入鹿の首を刎ねる場面を見せつけられ驚き哀しみ、人の歴史の物凄さを少年時代に感じたものです。その645年に天智天皇の娘として生まれたのが持統天皇です。ここでは幼名時代の呼称を避けて書いていきますので了解下さい。畏れ多くも持統天皇と比較して恐縮ですが、私が生まれた年に2・26事件がありました。皆様も自分が誕生した時代に日本で何か起きていたかを意識化すると、とても楽に生きていけますので、是非、調べておいて下さい。持統天皇は645年に生まれたので、その年の歴史上の影響が生涯を左右します。天皇だから、と考えては勉強になりません。但し、どんな視点から自己分析をし...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人により相当反応は違いますが何故か、奈良、京都の旅は日本人にとって好ましい場所のようです。ニューヨークやロンドンへの旅も、それなりに刺激的で色々勉強にもなり楽しくもありますが、奈良京都への旅は日本人の心の故郷を旅するような心地良さを人々に感じさせます。現場に立つとその地の霊気のようなもの、独特の雰囲気を感じます。越後の山の中と、ここ地元の名刹・深大寺の森の雰囲気は相当違います。この違いは言語化するのは困難ですが、私の五感と体感から言語化すると二つのものを感じます。一つは日本人としての私の魂の領域、もうひとつは私の生育史から感じるものです。このように日本人としての魂、私の生育史、この二つから、どう言語化していくか、暫く思索してみます。この二つの言語化から私が何の為に生きているのか、に焦点を当ててみます。越後...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」が一番重視しているのが「自己実現への道」です。この世界中に流布されている言葉ですが学派により微妙にちがっていて私達は3つの意味を明示していています。(1)自分は何の為にいきているのか(2)自分の生き甲斐とは何か(3)自分は自分が所持している魂、生育史、身体を大事にしているか。以上の3つの答えを学問を使用しながら、その答えを自分の生育史の中からあぶり出そうと努力しているのが「生き甲斐の心理学」です。少々難しいですが、奈良京都の旅をしながら、楽しく思索していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幸福の条件とは例えば結婚する相手に要求する経済的な条件とか職業的な要求とかをいいます。幸福感とは例え病気であっても本人が感情的に自分は何と幸せなんだろう、と解釈していれば、その人は幸福感に満ち溢れた人と言えます。この幸福、という問題を思索する時に(1)幸福の条件(2)幸福感、の2大分類をした上で考えていかないと惨めな生活を送る羽目となります。自分の生育史では、この2大分類をどう定義しているか、を明確化しないと絶対に幸福にはなれないと言われています。他人に幸福かどうか、言われたくない理由は人間は本能的にこの2大分類を潜在意識の中でちゃんとわかっているからです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    80億の人類が全員、自分は何と幸福なんだろう、と感じる日がくるのでしょうか?幸福だ、と感じるのと、幸福だと思うのとは心理的に相当違う世界です。終末治療の現場でも息を引き取る人の中にも幸福だったと感謝しつつ息を引き取る人と自分の人生を呪うかのような言葉を残して死んでいく人もいます。幸福だ、と考えたり感じたりするのは、その人の意識の問題かもしれません。他者から見て軽率に、あの人は不幸だとか幸せな人生だ、と断言するのは如何なものでしょう。この幸福について思索してみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」では小学生と大人、あるいは赤ちゃんと高齢者、全ての人間、どの文化圏であろうと、その不安感は全く同じもの、と理解しています。当然、その内容、性質、強弱は違いますが、不安感をストレスの一つとして把握させています。例えばお腹が空いて泣く赤ちゃんは思い通りの満腹感が無いので、お腹がすいて不安なので泣きますし、高齢者のある方は死ぬのが怖くて不安に思います。死んだら自分はどうなうのだろう、という不安もあります。このように比較文化論・比較宗教学を中心にした心理療法では、人類一人一人の生育史からくる「理想:こうありたい、あらねばならない、と言う願いのこと」と「現実」のギャップを不安感として把握し、その対処方法を学問として提示しています。ですから今日のテーは「小学生と大人の不安感は同じもの」として理解し...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    小田急線で珍しい会話を聞きました。小柄な小学生が背の高いのに向かって「君の家では参議院選挙はどの党?」、おや、と聞き耳を立てました。こんな子供もいるんだなあ、と興味津々。結局、おじいちゃんは、何々、お母さんは何々、御父さんはどうも迷っているらしい、もし僕だったら、憲法改正の人は嫌だから、こちら」といった会話でした。どちらにしても私は急に嬉しくなり思わずひと駅乗り過ごして聞いていました。この少年達を見て、私はとても幸せな気分になりました。私がこの少年の時代に第二次世界大戦が終わり疎開していきましたが、今でも元気な自分に感謝しています。戦場に立つ年齢で無かった自分の人生に感謝すると共に戦死していった父親の海軍仲間、フィリピンで散った従姉妹の従軍看護師、学徒出陣の従兄の戦死、何となく不気味な領土問題を思索しつつ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前のお話ですが、知人のAさんから孫の相談を受けました。孫が携帯ばかりを楽しんで、ちっとも勉強しなくなった、という相談です。Aさんは大学の先生で少々この世離れした知人ですが、とても優しい方です。さて、私が人から相談を受ける方針は、ここに居ない人の対応は一切考えないという立場で、もっぱら孫への対処方法についてではなく、Aさんが何故、私に相談したくなったのか、Aさん自身の心を大切にして傾聴していきました。多分、二度と私の所へは来なくなるだろう、と推察してお別れしました。コーヒーをのみながらの一時間でしたが、Aさんは孫の相談をしている自分が馬鹿馬鹿しくなったそうです。Aさんの悩みは自分の小学生時代と孫の姿を重ねて思索していた自分に気付いたからです。戦争中の自分と今の孫の時代の違い、それぞれの志す所の違い、手書...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大和三山のような三角関係は人類社会では必然の現象なので、この現象にめくじらをたてて戦争するのは愚かな現象であると「生き甲斐の心理学」では解釈しています。ここから先の対応は個人責任として魂を神様に委ねるわけですが、生き甲斐の心理学では4つの対応を思索して、関係者の幸福への道を相談しあいます。自己肯定他者肯定(共存共栄への道)、自己肯定他者否定(傲慢、独善の対応策)、自己否定他者肯定(劣等感の対応策)、自己否定他者否定(破滅への対応策)、以上4点の人間関係策を心理療法という領域の中で誠実に会話をすすめていきます。このように展開していくと三角関係から悲劇も生まれますが、より美しいものも沢山、生まれてきて、人類に豊かな知恵とより良い道も生みだしています。悲劇的にのみ解釈する哲学者もいますが、解釈の道は無限に存在す...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私達のNPO法人が企画して「日本人のアイデンティティを探る旅」をして参りました。その折に畝傍山にも立ち寄り太極拳を楽しんだり歴史を語り合いつつ時をすごしました。畝傍山の麓での全員での太極拳は樫原神宮の境内内、という環境でもあり、人生では、そう味わえない貴重な場所での太極拳でした。演舞も終わり宿に向かって歩む時も、いにしえの万葉の歌を思い出し、なんとも言えない楽しい心境でした。日本が形成されていく万葉の時代の歌が今でも文化として残っている日本は何と素晴らしい国でしょう。男性である天香久山が美しい女性である畝傍山に恋をしていますが、その畝傍山は男性である耳成山が大好きなのです。この神話は色々の意味合いがあり、現代の私達の心を豊かにしてくれています。もう一度、深く味わって下さい。「香具山は畝火を愛しと耳梨と相争...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界各地には「聖地」といわれている場所があります。それぞれの民族がその聖地を訪ねては心に何かを感じて生きています。アフリカ、インド、中国、南米、それぞれの文化、宗教があり、それぞれ信仰している世界を持って民族は生きてきました。各地の文化、宗教を軽蔑すると、そこに大きな悲劇がうまれますので決して相手の文化、宗教を軽蔑してはいけません。さて、その聖地に立つと普通の人は、その雰囲気を感じるものです。「生き甲斐の心理学」では、その理由を「魂」が原因だと主張しています。アフリカで誕生した人類が数万年をかけて地球に拡大していくわけですが、気候、風土、地形で言語も変化し、感情表現も厳寒の地と熱帯の地では表現も異なってきます。こうして神話、民話、宗教、人間関係の在り方も、その地方、地方で独特の文化、言語が形成されてきまし...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前の話ですが、日本人のアイデンティティ形成を勉強する際に古事記、日本書紀はとても大切な物語で、歴史上の真実は歴史学者にお任せして、現代に生きる日本人の庶民の心に残るイメージを大切にしつつ暫くこの日本人のアイデンティティについて思索してみます。たまたま私達のNPO法人が6月6-8日、飛鳥奈良の旅に出かけました。最初の訪問先がこの樫原神宮と神武天皇御陵でした。盛り沢山の訪問先がある中で、この樫原神宮が最初の訪問先であることに、私は何故か、一人で感動していました。案の定、この現場に立った時、やはり私の心は何となく神聖で爽やかな感情に満たされました。歴史学者は色々いいますが、それはそれとして、私自身はとても心が満たされ感謝しました。何故でしょうか?各民族はそれぞれの原点の場所を所持していて、現代でも、人々はそ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    原因は過去の体験の解釈に感情的な原因がある場合と幸福の条件に固執する場合があります。過去の思い出をいつまでも暗いほうへと解釈していて、あの体験があればこそ、今の成長した自分が存在していることにいつまでも気づかない人が案外多いのです。思い出しても嫌なあの事件、あの苦々しい自分は何と馬鹿ない事をしてしまったのだろう、あの自分は許せない、あの人は許せない、あの事さえなければ、といつまでも恨みつらみの感情に生きているわけです。この体験の解釈のありようがその人を生涯縛りこんでいて、固執障害の精神現象をキープしているのです。解釈を変えれば自由の心が獲得出来ます。もうひとつの頑固は、しつこいくらい過去に努力して形成した自分の幸福の条件に固執している場合です。幸福の条件を少年少女時代に形成してしまい、これ以外の幸福の条件...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    新婚さんの中に、時々、「親密な関係は危険なものとして避ける事例」があり、心理療法上、困り果てることがあります。新婚さんに限らず、親友でありましても、何故かふと疲労感を感じて一人になりたがる私がいます。これは異常な現象でしょうか?人を避ける原因は万とあり、全部ひとまとめにして解決するのは不可能なことですので、3つの視点から自己分析するのも一つの方法です。今回は「意思力、自律性、恥辱と疑惑」から思索してみます。人間関係の仕方の領域の問題ですが、病的な意思力、病的な自律性、病的な恥辱感疑惑感」から分析する、そしてもう一つ「健全な意思力、健全な自律性、健全な恥辱感と疑惑心」です。これ以上は具体的な事例として、その人の生育史を念頭に分析していきます。視点だけはきちんと学問にかなう視点から考えていかないと無駄なエネル...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    しみじみと幸せだなあ、と感謝することがあります。普通ならこのまま感謝していれば、それで不便なく生活出来るのですが、友人、知人に会う度に不幸だ、不幸だと口にするのを見たり、聞いたりしますと、ここで「生き甲斐の心理学」の出番となります。生活に困っているわけでもなく、病気でもなく、何を不幸だ、と感じている事自体が私には不思議に思うことがあります。人は「考え方、感情の処理の仕方、行動の在り方」が変な場合、幸福の条件が整っていても不幸だ、と感じる場合があるのです。「幸福の条件」と「幸福感」が全く違うもの、という哲学に気付いていないと、どんなにお金があり、病気でなくても自分は不幸」だ、不幸せだとぶつぶつ言いながら死んでいきます。どんなにお金がなくても、重病でも、自分の人生は何と幸福だ、と感情面で感じて満足して死んでい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    勉強仲間との奈良への旅は感動の連続でしたが、何故、こうも楽しかったのでしょうか?自分の幸福感を分析するのは少々気がひけますが、喜びや感動を専門的に思索するのも、これまた人生の生き甲斐とも思いますので挑戦してみます。幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)は普通、素直に感謝するので十分でしょうが、幸福だ、と言いながら目が死んでいる人、幸福だと建前は言うけれども、陰でぶつぶつ言う人は、実は幸福感と幸福の条件が混同している事例が多いのです。ふーん、何故、幸福の分析が必要なのか、暫くお付き合い下さい。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    高校生徒時代の劣等感、挫折感、孤独感は30代まで続いたようです。シカゴ大学の研究室時代もイギリスの大学研究室時代も、この劣等感は非常に大きく、それだけに嫉妬する資格は自分には無いと考えていたのが幸いでした。傍目には謙遜な青年に見えたようです。謙遜な青年だね、と言われると、私はこの人は人を見る目がないんだなあ、と内心考えていたようです。しかし研究室にいたW君の故郷のイギリス南部の家(お城)に招待され、その美しい妹君に会いますと、モンゴロイドの風体をした自分に嫌気がさした思い出があります。イギリスの貴族の息子達は色々いますが、えてして彫りの深い貴公子がいるのです。一目ぼれなどという資格は無いし、相手は単に礼儀を尽くしてお兄さんの友達を歓迎してくれているわけですが、その姫君が親友と颯爽と乗馬していて、私を誘いに...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    子供時代の嫉妬心の分析は「嫉妬する子供は当然な姿」なので今回は高校生徒時代以降について思索してみます。高校生徒時代は喧嘩ばかりしていましたし、学業はどんどん落ちていくし、人生の意味も模索していた少年でしたので劣等感、挫折感、人生への希望なし、という今から想うと最悪の人生でした。その反面、嫉妬する資格の無い自分を認識していましたので、逆に嫉妬心から自分を傲慢にし、駄目にしていく秀才達とは違うお恵みに預かっていました。天下の秀才達を横目で見ていて、ああ、何とかわいそうだなあ、と感じた事が沢山あります。嫉妬し侮蔑しあう天下の秀才の姿は当時の私には非常に愚かにさえ見えたものです。こうして私は空しい人生に目覚め良いか悪いかわかりませんがカトリツクの洗礼を受ける決意をして、どんどん自分なりの生きる目的を思索しだします...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    有名な出雲の神様「アボノオオカミ:阿菩大神」の神話はとても楽しいお話です。大和三山の神話ですが男の神様である天香久山が女性である畝傍山に想いを寄せているのですが畝傍山は男性である耳成山に心を寄せています。ややこしい三角関係のお話ですが、その争いを出雲の神様「アボノオオカミ」が心配して仲裁に旅立つのですが、途中で解決したのでプリプリして出雲に帰ってしまいます。この嫉妬する自分が怖いと感じる事があります。嫉妬は人生を破壊していくことが多く人生体験から、嫉妬する自分を恐れる事例が案外多いようです。消そうとしてもこの嫉妬心は意識、無意識の世界に現れては消える感情で取り扱い注意の代表的感情です。嫉妬心について考えてみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大和三山の一つ、畝傍山、この神聖な山は橿原神宮を経て神武天皇御陵に向かう参道から登山道になりますが、その登山道の入り口に不思議な神社があります。東大谷日女命神社です。この神社に祭られている女性はかの有名な大国主命のお孫さんで、かつ、神武天皇のお妃様でもあります。この神社は私には何故か神秘的というよりは不気味な雰囲気を感じさせていましたが、その森で何故か太極拳が舞いたくなりました。早朝、太陽が木の間から差し込む辺り、落葉土で足が少し埋まる感じの土地で、いかにも古代の香りがする場所です。一人で演舞する内に何故か、気持ちが重くなり、もうやめようかなあ、と感じました。舞おうとするとその意思を妨げる嫌な気分になるのです。ここで止めるのも人生の敗北になるような気分も片一方に湧き出す不思議な土地でした。演舞を続けさせて...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    一時期、怖いという感情は男らしくない、という事で、折角、湧き出した「恐怖感」を否定したために、死にそうになったことがあります。1970年代のアルゼンチンでの事件でした。身体が恐怖感を感じてくれているのに、男らしくない、勇気がない証拠だ、と解釈した私は、別の道に暴動を避けて逃げた事があります。案の定、その逃げた道は怪しげな集団が待ち構えていましたので、また、元の道へと走り出し、結局、暴動の真ん中の群衆の中へと突入し、事件に巻き来られていきます。最初から自分の直感に素直に従ったならば、もっと安全だったかもしれません。無駄なエネルギーを避けられたように思います。このように五感と体感で感じる直感の中の「怖い」という貴重な感情について暫く思索します。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    80億の人類の生育史は全部違います。しかしストレス曲線の対処の方法は同じです。はてな?と思うでしょうが、本当に対処の原理は同じなのです。しかし対処の仕方は80億通りあるのです。ですから下記の事例は、その80億の一つです。A君は官僚の息子、新潟県の長岡で高校生活を送り、東京の大学に入学、しかし自分にどんな隠された才能があるのか把握出来ていませんのでこれからどんな人生を送るべきか非常に悩んでいます。大学の専門は法学部です。将来どうしたら自分の天命がわかるのか?「生き甲斐の心理学」では、この段階のA君について、どの領域に焦点をあてるべきか、思索します。人生は実際、自分の選択した道を生きてみないと、本物かどうか分かりません。青春のこの時期、確信をもって選択しても、その道を歩み出して、どうなるかは本当にわかりません...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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