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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    臨床心理学の勉強会では「ゲンケイ」という時に「原型」、「元型」と色々と使っていますが、私は現場では、そんなに意識して来談者に説明していません。生育史上の初期の体験が生涯支配するような初期の性格を言います。「三つ子の魂百までも」と言う諺を念頭に置いてこのブログを読んでいただければ幸いです。さて私の中にも人類のそれぞれの性格の中にも男性的な要素、女性的な要素として色々と人々は面白可笑しく語りたがります。どこから何処までが男性的なのか、女性的なのか、普通はそう神経質に識別する必要はありません。ただし、来談者の相談内容が相当深刻で、それが自分の性格が女性的であるとか、男性的であるとか、深刻に悩み、身体症状にまで露出している段階から私の仕事の領域になります。生身の人間の性格は宇宙の全ての要素が潜在していますので、い...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    病的な程の光と陰なら少々困りますが、健全な光と影のある友達のほうが楽しく共に送れます。のんべんだらりとしていて、凹凸がなく、喜怒哀楽も、考え方もはっきりしないと、あくびの連続かもしれません。極端な表現で気がひけますが、この微妙な領域で遠慮して語ると、私のブログは何を書いているのか不明になりますので、少々遠慮無く言語化しています。申し訳ありません。「私は私でいい」と覚悟が出来ていれば、自分の個性を、のびのびと発露出来ますが、自信もなく、おろおろしていれば、気ばかり使い、堂々と自己表現が出来ません。嫌われようが、愛されようが、自然体の中でいきいき、のびのび、楽しく会話を楽しむようになりたいものです。自然にふるまえば神様が独特におつくりしている人間一人一人なので、当然、そこに個性の美がきらめきあい、光と影が見え...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    嫌いない人を他者分析していくと、その性格の中に自分と良く似た性格を見出し、それがゆえに苦手だと感じる事例があります。相手を見ていると、あたかも自分とそっくり。であるがゆえに、嫌い、苦手、避けたい気分になるようです。つまり自分のシャドウを相手の中にも感じているわけです。言う事と行動が伴わない友達、例えば「あいつはケチだ」と悪口を言う人は案外、それ以上にけちん坊だったりします。この場合の未分化のシャドウには、意識として複数の考え方が未分化で混在しています。お金は大事、無駄は良くない、おごりたい、おごりたくない、どれが自己負担の領域か、どこが他者負担なのかという経済意識の違い、その他色々です。誘った人が負担すべきだ、という考え方があれいば、お別れする時、わりかんにしよう、と言われれば「なんだ、こいつはケチだ」と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    昔昔、若い頃、「あなたは私の影のような方ですわ」と言われたことがあります。あなたは私の影、どういう意味かと悩んだものです。普通の学友(海外の研究所)ですが、影のような存在という意味を一人思索する内にユングの言葉「シャドウ」の事だと気付きました。シャドウの定義をユングはこう語っています。「影の原型:主として自分と同性の姿をとり自からの未分化部分やマイナス面を具現化する」。この意味について暫く思索します。私達が日々、色々の厳しい問題に遭遇したり、何故、こんな意味不明な嫌な想いをしなければならないのか、いつもなら堂々と乗り越えていけるのに、何故、今回に限り、もやもやしていて、いつまでもすっきりしないのか、と悩むとき、生育史上、未だ解決していない過去の事例が、現在の或事例と重複して、上手く心が流れない、という問題...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「人生に絶望した」と言う言葉に触れた人は瞬間、わーっと感じて逃げ出したくなると思います。相手が若くても高齢者でも「絶望という感情」を吐露された人は、とても切なくなるものです。しかし、こちらの悩みを聴いていただく時の相手は、この絶望感を克服した人でないと、話しがいがありません。こちら側の悩みを相談して、相手から威圧感を感じたり、劣等感を感じさせられたり、逃げ出したくなるような相手でしたら、勇気を出して早々と引き上げたほうがいいのです。偉そうで、指導者振り、堂々としていて、一段と上の立場で威圧してくるような、そんな相手とは語してはいけないのです。エリクソンという学者は61才から死まで、人はこの絶望感と自我統合性と知恵の3つの領域を思索する必要があると主張しています。さて、この年齢での絶望感は実に深刻で自殺に繋...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人生の旅は本当に楽しく、その途上で時々お会いする女性とお話していて何とも言えない品格のお色気を持つ女性にお会いする事があります。品格あるお色気、これは男性を物静かに刺激し人生に夢と希望を与えてくれます。女性の立場からしても同じことだろうなあ、と推察しています。エリクソンは35才から60才の間に、この思考・感情・行動の領域での「停滞感、生殖性、世話の関係」について語っています。この品格あるお色気はエリクソンの理論から、私が一例として語っているだけの話です。以前、少し書いた話ですがイギリスの大学研究室時代の学友が南部のお家(大きなお城でした)に招いてくれたことがありますが、その妹であるお姫様が翌日私を乗馬にさそってくれましたが、私は初乗りでしたので、少々恥ずかしく、一度断りました。しかし、その数分後の乗馬への...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    プライドがありますので人は寂しいとは中々言えません。何とも寂しい時、あなたはどうしていますか?こればかりは他人の助言は無駄なようですが、エリクソンはしゃあしゃあ、としてこう言い切ります。孤立感は親密性の欠如から生まれるので愛の世界を確立しなさいと。今更、わかっていますよ、と怒り出す人々が大半ですが、この原理を鼻先で笑うと、天にむかって唾をするように、何とも言えない孤立感が人を襲います。親密性が必要と言われても、そう急には親密になれるような対象物がありません。普通、ひと肌が必要なので、自分の手を見ます。そして大事に、慈しむように手を合わせます。そこで感じる手の暖かさを感じたら、次は自分の心臓の音に意識を向けます。更には息をしている自分を意識します。この手法は古代から世界中で使用されている孤立感からの離脱方法...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生きていく為には毎日同じことをする必要があります。朝ごはんを頂き、学校に通い、色々あって夕食を、そして寝ていく毎日です。この同じマンネリズムがある人は本当に幸せな人々です。そんな幸せな退屈性の中で、ふと「私は何をしているのだろう?」と混乱し、悩んでいる自分を見つけると、益々、憂鬱になり意欲を失います。こんな雰囲気を打ち破る方法は或事を考えなさいとエリクソンは優しくアドヴァイスします。自分とは何者かを考えなさいと言うのです。先ずは自分は草原の風になびく弱い草ではなく、草原の中の大木である、と言い聞かせます。草ですと、何となく惨めで弱弱しく、頼りになりませんが、何の木かは今、決めなくても、その内にイメージが湧きだします。例えば、柳の大木だとか、樫の大木、杉の大木等と自分の好きな大木をイメージするだけで、元気に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分には何の取り柄もないとか、得意技が無いと、劣等感の塊のように、自分を卑下している人に出会います。親を選べない人間はどんな環境に生まれてくるのか分かりませんし、歴史や時代に翻弄されます。アフリカに生まれてくる人、イギリスや南米に生まれてくる人、それぞれです。生き甲斐の心理学では、どんな環境に生まれ育とうとも、自分の中に生きる目的、生き甲斐、役割をどうして見出すか、その方法について思索していきます。希望をなくし、諦めている人々の心を傾聴すると、それなりの理由を話されます。そうなるまでの生育史を傾聴していくと、なるほど、とうなずける環境に驚きます。さもありなん、と思いますが、人間、どうしてどうして、そんなに弱いものではありません。意思ある所に道あり。その気になれば明るく元気に爽やかに生きる知恵は無限にありま...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    小学生一年生の思い出は何と言いましても入学式です。昭和18年、神奈川県葉山小学校、同じ名前の人が二人いたので、私は二回も名前を呼ばれたので「あれ、さっき大きな声で返事したのに!」と思いながらもまたもや返事をしました。後で分かったのですが、私と同じ名前の子供は、とうとう返事をしない羽目になつていたそうです。この事が同級生に冷やかされて「あの気の弱い子に、悪い事をしたなあ」と罪悪感を感じました。その子は葉山小学校からの帰宅中、アメリカの戦闘機に機関銃を撃たれて大けがをするのですが、その子への遠慮がエリクソンの言う5-7才時代の私の罪悪感の原型となつたようです。暫くは遠慮して自発性に欠けるのですが、そうすると日々が遠慮で面白くありません。葛藤している内に「私は私」でいこうと考えたらしく、以後、堂々と自分らしく自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    幼稚園児から高齢者まで、弱い自分に悩み、迷う場合があります。信じていた親に裏切られたという想いから周囲の人に疑惑を感じると同時に、自分の心は千路に乱れ、何とかこの混乱から立ち直ろうと最後の意思力を発揮します。その結果、とんでもない人生に追い込まれ、意思に反しり、願いにそぐわない場面に遭遇し、あれは意思力ではなく、意地だった、と深く反省するのが人生のようです。この意思力と意地の違いは、そう簡単に分かりません。自分を律する必要性は百も承知、しかし、湧き出す感情の激しさ、自律性の問題(何を抑え、何を発揮すべきか、は混乱の最中はそう簡単にわかりません)、己の馬鹿さ加減から世間の嘲笑を買い益々恥ずかしい自分を感じて恥辱感は最大、こんな体験をエリクソンは何と2才から4才に原型が経験されると断言しているので、切なくなり...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生きている希望が無い」とは、どういう意味なのでしょう?Aさんが人生に失望した、という内容は失恋、Bさんの失望は事業の失敗、Cさんは変な旦那と結婚してしまった、Dさんは子供が中々自分の言う事を理解してくれない、Eさんは周囲に碌な人間がいないので毎日が地獄、と色々あります。「生き甲斐の心理学」はこの無限にある希望の無い現実を、どう分類して、そして対処していこう、としているのでしょう?答えは、その本人の中にある、と信じている学派ですから、テキストの理論を駆使、応用しながら、何とかご本人が「これが答えだ」と確信出来るまで、鋭意、努力をしつつ、共に、その答えを探ろうとしています。人生の意味、人生の希望を置く領域が、あまりにも現実吟味力が無いと、無駄なエネルギーを消耗し、疲れ果て、遂には倒れてしまいます。その倒れさ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    Aさんと時間を共にしていて、遠慮しなくても居心地がいいのに、Bさんとは気を使い疲れ果てる、この違いは色々ありますが、あまり深刻に考えないほうが良いのです。自分の許容性が無いとか、まだ人間が出来ていないとか、とかく人は反省しがちですが、それよりも日々のその場、その場での「役割意識」を観察すると面白い現象が見えてきます。親友は無言の内に自分のその場での役割をさりげなく行ったり、配慮してくれています。それは当然のことで、長い付き合いもありますし、その人と何回も喧嘩をして、互いの性格を知っていますので、こうすれば機嫌が良い、こうすれば機嫌を損なうというコツを知っていますので当然ですが、未だ、あまり良く知らない相手ならば、未だ、どうしていいか不明なのです。この人と仲良くなりたい、とインスピレーションを感じたら、その...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    Aさんと時間を共にしていて、遠慮しなくても居心地がいいのに、Bさんとは気を使い疲れ果てる、この違いは色々ありますが、あまり深刻に考えないほうが良いのです。自分の許容性が無いとか、まだ人間が出来ていないとか、とかく人は反省しがちですが、それよりも日々のその場、その場での「役割意識」を観察すると面白い現象が見えてきます。親友は無言の内に自分のその場での役割をさりげなく行ったり、配慮してくれています。それは当然のことで、長い付き合いもありますし、その人と何回も喧嘩をして、互いの性格を知っていますので、こうすれば機嫌が良い、こうすれば機嫌を損なうというコツを知っていますので当然ですが、未だ、あまり良く知らない相手ならば、未だ、どうしていいか不明なのです。この人と仲良くなりたい、とインスピレーションを感じたら、その...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分をさしおいて、自分がこうありたい、こうあらねばならないという生育史上の理想の領域から人を批判する人がいます。人類の歴史からみれば、こういう人を悪いと断言するのは、いかがかとは思いますが、自分の身近に、もし、こんな友人がいたら、さぞかし疲労していくことでしょう。人類の歴史では自分はさておき、理想像を激しく追及してフランス革命、ロシア革命、明治維新なども流れていくわけですし、周囲の日常生活でも発展もありますので、一概に理想から人を裁く、批判する傾向を悪いとは言い切れない面もあります。しかし、日々の生活で、身近な友達が自分の事をさておき、ばんばんと私の事を攻撃、批判してきたら、逃げ出したくなります。自己愛パースナリティ障害の論文の中に「限りない成功、権力、知性、美、あるいは理想の愛といった空想への没入」とい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大事な人とお付き合いしている私達は、時々、あれ?この人の本音は何?、と心配する事があります。どうでもいい人の本音はあまり関係がないのですが、大事な人の本音を聴くには上手な傾聴をしていないと見抜けません。本音は何?と文句を言う前に自分の傾聴の仕方の基礎を学習しておかないと、シグナルは出されているのに相手の本音が見えないのです。こんな場合、相手は、何と鈍感な人、と思っているかもしれません。特に日本文化は、さりげなく気づく、を要求している文化ですので、場が読めない人、としばしば馬鹿にする文化でもあります。生まれつき頭の良い人もいれば、遺伝上、あまり敏感でない人もいるので、このあたりが生き抜く上での難しい領域です。互いに愛と許しがないと、大事な人とは上手くいきません。もうひとつの重要な哲学があります。異文化交流、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の考え」が無ければやむをえませんが、考えている場合は、キチンと自己主張をしていないと、陰口を言われて当然です。森羅万象に対して自分の考え方をキチンと表現する必要が人類には必要です。もし不幸にして「ノウアイディア」なら、その旨を大事な人に伝えておく必要があります。そうしないと相手は不安がりますし、愛したくても愛し方を決められません。思考、感情、行動は、いつも自分らしく生きていかないと、自分も相手も幸福になれません。「私は私」なのですが、それなりの自分の傾向を意識化しておかないと、自分も相手も社会も混乱していきます。孤島で生きるのも大変ですが、法治国家で生きるのは安全ですが、それだけに思考、感情、行動の傾向は、常に「生き甲斐探索」上の対象として意識化しておく必要があり、その意識化が自分と周囲を幸せにしてい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    せめて好きか嫌いか、怖がっているのか、本当に怖がっていなくて平気なのか、だけは周囲に表現しておかないと、不気味がられます。感情表現を抑えている人とは本当に付き合いにくいものです。相手が正直に感情表現をしていないので、ついついこちらが図に乗って心をゆるし、本音を感情として表現したばかりに、あちこちで悪口を言われた経験はありませんか?あの人に裏切られた、とこちらも負けずに悪口を言いますので、国際関係同様、戦争状態となります。平和外交の基本は自分に正直でいないと平和構築は不可能です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生育史上の理由で本音を言わないで育った人が案外多いのですが、これが良いとか悪いとかの視点ではなく、それぞれの人生なのです。問題は本人が何故、自分は人間関係で非常につかれるのだろう、原因は何だろう、と哲学開始の時に、この「生き甲斐の心理学」が必要になるだけの話です。今日のテーマは「本音を言わない人」ですが、案外、自分の本音がわからない人、と言い換えた方が良いかもしれません。何回も言いますが、この傾向のある自分が悪い、という問題ではないのです。私はそういう傾向があるらしい、と解釈していくと「私は誰?」という自問自答の中で、私はそういう傾向のある人間だ、と解釈する事で、自我意識が形成されてきて、私は私でいいのだ、という自己信頼感も生まれ、個性の美に気付き、一人我が道を行く、と堂々と明るく元気になりだすのです。自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が嫌い、という人は実に沢山いますが、お付き合いすると、何とも優しく、親切な方が多いようです。不思議な話ですが、礼儀正しく、いつも人の事を考えていてくださり、私としては、その方と黙っていても安心なので、いつまでもそばにいたいくらいです。そんな方が或日、自己嫌悪感について語り出してくれました。同じ「自分が嫌い」という人間でも、その嫌いな原因は万とあるでしょうが、心理療法の立場からその遠因を分析する場合、好きなのに嫌いという意識があったり、嫌いなのに好きだと感じる事例が多いので、このあたりの洞察作業を開始します。この作業がとても難しいのです。自分が嫌いになるまでには、相当の時間がかかつています。そもそも「嫌いという感情」は、その人の生育史上の理想の領域に反するからですが、人はいちいち、その分析などしません。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人類永遠の課題を、ここのブログで語るのは不可能に近いのですが、心理療法の現場ではいつも、この難問を正面から叩きつけられます。私はどう対処しているのでしょうか?数十年を振り返ると、あまりの下手さに、じわじわと汗が流れ出します。幼稚園児から高齢者まで、この難問を自問自答しています。例えば幼稚園児は「母さんから嫌い、といつも言われている。家に帰るのが嫌!」この嘆きも私は誰?という変形です。この私は誰?というテーマをシャガールの絵画を考えながら思索していきます。心理療法の学問を考えたフロイト、ユング、その他の偉大な先輩は、いつもこの人類の総数が自問自答している言葉の群れを、いくつかの概念に集約して、解決しようと努力しているわけです。言葉の群れ、を学問としての概念、例えば上記の幼稚園児の場合の自問自答を専門的な概念...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    欧米に旅をして美術館や建築物を鑑賞する際に、もし、人間の罪悪感がキリストの十字架の贖罪の思想により救済され、かつ、人間の死後、いつの日にか人が復活する、という基本思想を理解していないと、ミケランジェロ、ダヴィンチ等の名画鑑賞の在り様そのものが、少々、残念な理解に終わるかもしれません。芸術鑑賞の際に、信仰の目で見る場合が良いともかぎりませんし、芸術は芸術の鑑賞の仕方は沢山あるとは思いますが、日本人の場合、何故か、キリスト教や宗教を激しく嫌う傾向があるようですので、残念です。古代ギリシャ、インド、中国、日本の古代史でも、宗教や魂の存在を学習上、冷静に理解しておかないと、真実が見えてこないのです。キリシタンとその流れであるキリスト教は邪教じゃ、とつぶやく現代人にお会いした事があり、大変驚いた事があります。さて、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    宗派の詳細は難しいので、ここでは省略しますが、世界の5大宗教(仏教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教、ユダヤ教)の共通性は(1)自分の行動に責任をもたせている事、(2)許しの精神、(3)平和と愛、(4)黄金律、(5)霊性、(6)魂の不滅問題、(7)超自然の偉大性、その他あるでしょうが、私は魂の不滅問題に関心がありますので、この魂論の中での面白い話をしてみます。アウグスチヌスという学者がもし人間が、魂と直接会話が出来たならば哲学も学問も誕生しなかったかも、と述べています。魂は不可知論の範疇ですが、魂と会話が出来たなら、何でも宇宙の真理が分かるので、もはや、学問の探究心は必要なく、天国のような平和な世界に存在出来たでしょう。改めて不可知論の存在しているこの地球に生まれて良かったとしみじみ思います。今の私の幸...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    絵画、音楽、建築、彫刻、文学の中の「天国」の世界を垣間見て、これなら是非,行きたいと感じたものは少ないです。しかし宇治平等院の雲中供養菩薩(51体)のお姿を拝見した折、そのあまりにも楽しそうで幸せそうな世界に触れ、こんな天国なら是非、行きたいと瞬間に感じ、願ったことがあります。単にイメージの世界で空想するだけでなく、目で見た雲中供養菩薩様、特に分類番号20の菩薩様は薄い絹の衣を肩から両腕で握り、左足を「楽の音」に合わせたかのように、軽やかに踊るかのように、腰を少し曲げた菩薩様は愛の象徴でした。51体の菩薩様が奏でる愛の世界を描いた絵画は、人々が互いに愛し合い、魂を賛美し、永遠の宇宙を飛び跳ね、森羅万象がこの愛と賛美と感謝の世界を五感で生き抜いている天国の世界だ、と思わせるものでした。この宇治平等院の雲中供...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    欧米に旅をして美術館や建築物を鑑賞する際に、もし、人間の罪悪感がキリストの十字架の贖罪の思想により救済され、かつ、人間の死後、いつの日にか人が復活する、という基本思想を理解していないと、ミケランジェロ、ダヴィンチ等の名画鑑賞の在り様そのものが、少々、残念な理解に終わるかもしれません。芸術鑑賞の際に、信仰の目で見る場合が良いともかぎりませんし、芸術は芸術の鑑賞の仕方は沢山あるとは思いますが、日本人の場合、何故か、キリスト教や宗教を激しく嫌う傾向があるようですので、残念です。古代ギリシャ、インド、中国、日本の古代史でも、宗教や魂の存在を学習上、冷静に理解しておかないと、真実が見えてこないのです。キリシタンとその流れであるキリスト教は邪教じゃ、とつぶやく現代人にお会いした事があり、大変驚いた事があります。さて、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    太陽の光、月の光はそれぞれの味わいは違いますが、人々に愛されています。特に宇宙からの光の研究は素晴らしいニュースをもたらせてくれます。光の中の情報は素晴らしく、例えばこんな例がありました。或学者が一つの光りを捕らえました。その光は120億年前に消滅した銀河の星のものだったのです。光の中には無限の情報があるようです。私の古いパソコンには数年をかけて努力して作成したA4版の25,000枚の貴重な資料がありました。それを新しいパソコンに赤外線による情報転送技術を使い数秒で転送しました。つまり光の中には私の貴重な資料25,000枚分の情報が入っているです。私・人間の目に見えない光の中にこの膨大な情報があるわけです。太陽の暖かいぬくもりの光りの中の情報を解析したり、その他の宇宙からの光りの中の情報を認識したり、実に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    太陽の光、月の光はそれぞれの味わいは違いますが、人々に愛されています。特に宇宙からの光の研究は素晴らしいニュースをもたらせてくれます。光の中の情報は素晴らしく、例えばこんな例がありました。或学者が一つの光りを捕らえました。その光は120億年前に消滅した銀河の星のものだったのです。光の中には無限の情報があるようです。私の古いパソコンには数年をかけて努力して作成したA4版の25,000枚の貴重な資料がありました。それを新しいパソコンに赤外線による情報転送技術を使い数秒で転送しました。つまり光の中には私の貴重な資料25,000枚分の情報が入っているです。私・人間の目に見えない光の中にこの膨大な情報があるわけです。太陽の暖かいぬくもりの光りの中の情報を解析したり、その他の宇宙からの光りの中の情報を認識したり、実に...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    暗いイメージを持つ傾向の人は生涯、その傾向を無意識に所持しているようなので、心理療法では明るいイメージを持つ事による生きる喜びを体験させようと必死です。暗いイメージを持ちがちな人に明るいイメージを持たせる手法を「移植する」という言葉を先輩から教えられました。イメージ療法でしばしば使用する方法なのです。具体的には音楽療法、絵画鑑賞療法です。特に絵画鑑賞療法ではシャガールを使用します。言語療法の限界を補うのです。シャガールの螺旋状に上る幸福への階段の絵は言葉にしなくても人々にイメージを伝達してくれます。自分の身辺に生起する森羅場万象の解釈のイメージが暗い傾向にあると、生涯、その人は暗い解釈をしていきます。暗くて何処が悪いと居直る人がいますが、その場合、色々医学的に検証していくと、自律神経、免疫力、分泌の関係が...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    若くても歳をとっていても、ひたすら「自分の人生は落ちる一方」と嘆き、悩み、言葉にする人と時々、出会います。人は考えた通りの人間になる、とは古代から言われていますが、まさにその通りで、落ちると思えば落ちていくようです。病気になり、もう駄目だと思えば、ひたすら悪化しますし、本気で治りたいと思えば、落ちると思う人に比べて治癒率が高い統計もあるようです。このように自分が何処に流れていくか、その流れゆく先をいつも希望のある明るい場所をイメージしつつ乞い願う人は、それなりの人生を歩むようです。どんなに厳しい環境でも、心は自由な世界ですので、過去に暗い生育史があって、今、身体に少々問題がありましても、心だけは明るく爽やかに保持出来るように努力して生きていくと、必ず道が見つかるようです。螺旋状に幸福への道を歩みたいと願え...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私はいつもDNAが螺旋状に絡み合っている写真と人生の色々の事が複雑に絡み合って生きている風景に深い意味と示唆を感じています。毎日の喜怒哀楽の流れ、出来事の関連性、遺伝子の影響、人間関係の繋がり、政治の絡み合い、国際関係、どれを見ても直線で幸福曲線を突っ走る風景は無く、どの風景を見ても、努力と挫折の螺旋状態の中で、人々は小さな幸福、大きな幸福に愛と喜びを感じて生きているようです。ここが問題なのですが、自分の人生をイメージの中で、直線的に見ようする時に、いつも自分を苦しめているようですが、自分の人生を螺旋状態が当然の事として解釈すると、何となく幸福曲線を感じます。いつも直線的に、一発で成功しないと不機嫌になる自分がいるようです。人生、思い通りにいく事例は殆ど無く、あっても、それを恩寵と感謝と解釈すべき事なのに...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人の生き甲斐相談や悩みの対応の際に感じる人間のイメージの力について思索していきます。どんな理論家でも日々の生活は案外、理論的ではないのです。例えば、特に家族内や親友との会話は極めて感情的になる事が多いのは当然でしょう。子供の頃から怒りっぽいタイプ、何でも笑い転がるタイプ、何でも暗く解釈する人、その三つ子の魂は百までも、と言われるように、そう簡単に性格は変わりません。何かを選択する場合でも、対処する場合でも、数秒の間にしなければならないので、人は殆ど、大脳の中のイメージで動くものです。道路で車がいきなり飛び出せば、とっさの感覚、イメージで危険をさけるようなものです。このイメージの力について考えていきますが、イメージそのものが直線のようなイメージ(雲間の太陽光)もあれば、大自然の森の中を散策している時の木洩れ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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