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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は意識、無意識で自分が正しいと信じて生きています。ですから時々感じる寂しさとか愛の孤独感についても、その原因は自分には無い、社会のせい、人のせいにして生きています。また、そうしないと益々変になつていきますので、ある意味、今の解釈をよしとしないと生きていけません。しかし、どうしても切なくて哀しい時、心から自分を大事にしてくれる相談者がいればいいのですが、そんな人はあまり居ません。相談に行けばいくほど、益々、嫌な事態になるようです。癒してくれる人を持つ人は本当に幸せな人と言えるでしょう。そういう相手が居ない場合の解決方法はセルフカウンセリングの手法を覚える事しかありません。寂しさ、愛の孤独感はその人の生育史から捻出されてくる理想(こうありたい、こうあらねばならなし、というイメージ)と現実の解釈から生まれます...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    味覚を病気で喪失した知人は悲劇です。食べないと生きていけないので味が無くても毎食、必死で食べています。さて味覚を意識しなしと人生の醍醐味、生き甲斐が半減します。味わう事を意識化した人は幸福感が倍加するそうです。味覚を意識化すると平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感が確実に増加しますので、食事の折に、どんな味を今、感じているか意識と言葉にしてみて下さい。涙が出るくらい幸せになります。甘い、酸っぱい、辛い、美味しい、と意識化するのです。某大学病院での事例ですが、腐敗したものを意識して食べさせて鬼のような母親が心を病んで入院してきました。この事例は子供は心の病気にはなりませんでしたが、その母親が何故か、心を病んでしまったのです。この昔の体験は味覚の神秘をしみじみと私に沢山の事を教えてくれ、味覚研究の多方面...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    富士山への信仰は江戸時代に再燃しますが明治初期には「宮下文書」のように国家神道からも政府からも偽書として葬られていきます。古代富士王朝が存在したかどうかは、その筋の専門家におまかせするとしても、私達祖先が富士山や筑波山、大山、白山、磐梯山等への山岳宗教に平安感を感じ取り生きた歴史は消せません。邪教と言われた古代の宗教もある種の人々に幸福感を与えた事は事実です。「自己肯定・他者肯定」の思想がフランス革命の後、法律化されてきますが国連憲章でうたいあげる人類の基本的人権の思想を得るまでには長い歳月が必要でした。富士山信仰が時の政府を不安定にさせ、都合が悪かったからです。それほどに富士山信仰は日本人の背骨のような存在でした。富士山信仰を消滅させていく歴史の中でも一番面白いにが古事記、日本書紀の研究でしょう。何故、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    臨床心理学としての理由は「自然治癒力」という概念で納得します。ホメオスターシスとも言われています。森の散歩、海や山に行きますと理屈抜きに元気になるのと同じ理由です。五感と体感が快感と元気を与えてくれますので、もう、それで十分なのです。原初感情と言われている「怖い、怖くない、好き、嫌い」が原因だ、と洞察すれば、もう、それ以上の分析は不要と言われています。心理療法ではノイローゼの原因として激しい恋愛結婚はしたものの、数年すると大嫌いになる自分が許せなくて心の病気になる若い二人は沢山います。あんなに恋した自分が、そういともやすやす相手が嫌いになる、自己嫌悪になる、そんな相手を見抜けない馬鹿な自分ではない、と自問自答する、このような自己分析をしている内に、成育史の違いから、そう解釈する相手は当然だなあ、と理解すれ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今日の表題をご覧になり、あれ、何だろう?と思われる事でしょう。どの民族にも山を見ると安心する傾向があります。比較宗教学による心理療法では「イメージ療法」という手法を使用しますが、日本人の場合、富士山を見て嫌悪感を感じる日本人はまずいません。富士山をみると心が平安になるのが普通です。この民族の特性を世界的な学会でも注目し、それを人々の平安感を湧きださせる手法として使用します。さてどんな方法か明日説明します。人類誕生から神話が生まれアニミズムが生まれ、この自然崇拝心理は地球上の全ての文化に影響を与えています。この大事な心理を人々の生き甲斐に応用していくわけです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    縄文時代の日本人の信仰は山岳宗教とも言われています。まさにアニミズムで山、草、樹木、石への崇敬の念はとても美しいもので、この思想については諸説ありますが、今でも、大自然への崇敬の念は現代人にも通用する信仰心です。水の流れに罪の汚れを禊ぎ、互いに水に流して許し合い、決して恨みつらみから殺戮を避ける、この思想は現代の殺戮をとても見苦しく感じさせます。テロリズムや罪のない大衆への爆弾事件は、この日本の古代思想からは考えられない悲劇です。改めて和を大切にする古代思想に敬意を表します。古代日本にもそれなりに殺戮はありましたが大化の改新、壬申の乱あたりから、相当な大きな殺戮の歴史が始まります。山を、水を、岩を、草木の中にも自然の神の摂理を感じた古代人の信仰心に対して私は何とも言えないぬくもりを感じます。縄文時代の日本...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    良い天気の朝食は富士山を見ながらのトーストと紅茶ですが、いつも心に浮かぶのが大和朝廷誕生前の日本人の富士山への熱い信仰心のことです。私の愛読書の一つに「富士山を知る事典」という本がありますが、その本は富士山について何でも書いてあります。地形、植物、民話、伝承、富士信仰の歴史等などで、とても夢を豊かに育んでくれる辞典です。天照大神を祀る伊勢神宮の海岸線からも富士山が見えるそうですが、古事記、日本書紀にはこの縄文時代の信仰の山・富士山については書いてないそうです。万葉集にだけ何故が和歌が少し書かれていますが、この富士山信仰について少し書いていきます。富士山を見る私の心は平安感にみたされますが、この心境と平安感は深い関係があるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    他者が見る目が正しいのか、セルフイメージが正しいのか?セルフイメージは自分の人生を支配していきますので、とても大事なものです。色々の意見がありますが、結論は「セルフイメージ」がもし自己否定的ですと、そこに大きな問題が出てきます。他者がどんなに、その人の個性に美しさに感動して、そ点を褒めても、強烈な劣等感や自己否定的な人は平安感や幸福感を素直に感じないようです。本人のセルフイメージについて時々点検する必要があるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    古代の治水がうまく出来ない時代は、川が勝手に流れ民を苦しめました。京都の鴨川、外国では、揚子江、アマゾン、インダス等、そのように私達人間もセルフコントロールをうまくしないと、川の流れのように最終的に何処に流れていくのか分からないまま漫然と生きていくこととなります。せめてどこに流れていきたいか、その行く先だけはイメージしたいものです。例えば信仰の場合は天国に直行したいなあ、という激しい願いを私は持っています。どこに流れて生きたいか、幸せな国に流れつきたいと思えば人間はそうなるようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分でも理解不能のイライラがこの事例の代表的な事例です。自分がイライラしているなあ、と気付けば良いほうで、本人そのものが、イライラしている事に気付かず、周辺に八つ当たりしています。あなたの周辺に、このような人はいませんか?周囲も迷惑ですが本人は悲劇的です。そのうち誰も相手にしなくなるでしょう。たまたま企業の各部門の長、大官庁のそれぞれの組織での長、色々ですがその組織の配下がたまりません。このイライラの人の原因は70億の人類の、それぞれの生活環境で理由は全部違いますが、学問はその理由をその人の成育史での理想と現実のギャップからくるストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)が原因だと解釈しています。このストレス曲線は意識化されているものと、無意識の世界からの投影があります。こうありたい、あらねばな...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「生き甲斐の心理学」を学習していると、時々「無意識の世界からの投影」という言葉が出てきます。この心の仕組みを知っておくと自分を虐めるような事、例えば修行が足りない、人間が出来ていない、学歴不足、経験不足等など。この反省は大事ですが、暗い気分にさせるくらい自分を追い込んでいく人を見ると、私はとても哀しくなります。無意識の世界は確かに存在していて、その中に人生での難問への答えが存在しているだけに、この心の仕組みを意識化する必要があるのです。意識してしまえば、もやは、それは意識の世界。無意識の世界に必ず自分に相応しい答えが存在している、と信じるだけで、人生が明るくなります。さて、どうしてその答えを意識の上に出していくか、ここが難しい所、人により意識化する方法が全部違いますが、明日からこの仕組みを考えていきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    しばしば自分は不幸だ、という方にお会いします。心の仕組みを意識化しておく必要があるようです。朝、目が覚める、その時、憂鬱な気分が出たら、すぐ、この心の仕組みを思い出し、手を打つのです。その心の仕組みとは例えば「あーあ、めんどくさい、今日も、ばたばた生きねばならない」と暗い感情が起きたら、朝だけはその暗い感情を抑圧するのです。普通、感情の抑圧は健康を害しますが、この月曜の朝だけは、暗い感情を抑圧したほうがよさそうですし、必要があるようです。そして無理をしてでも、何か気分が明るくなるような過去の思い出、特に幸福なイメージ(幸福感の原型)を思い出すと、何故か、その一日は幸福になるようです。人は考えた通りの人間になる、月曜は忙しい朝ですから、事例を思い出そうとすると電車に遅れますので、常にブルーの気分の時は、これ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    松本清張さんの小説・波の塔の主人公結城頼子さんが何故、樹海に走りこみその人生を閉じたのか、本当に残念でした。小説とはもうせ切なく哀しい愛の物語でした。体験の解釈を変えれば美しい人生が展開したのに、と残念です。人それぞれが経験する辛いこと、哀しいこと、嫌なこと、何故、そのような事が身辺に起きるかと言いますと、それは永遠の幸福な世界に、永遠の生命に入る為の試練だと解釈したほうがいいのです。その為に人類の祖先達は色々の神話や民話、伝説、宗教を命がけで誕生させました。現代の私達人類はその遺産を侮蔑したり嘲笑したり軽く扱つかっては宝物をどぶに捨ててしまうこととなります。その精神遺産を大事にして、その知恵をもとに体験の解釈を変えると世界が明るく変化していきます。一度、素直に解釈論として挑戦し、その真理を体験してほしい...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    小説「波の塔」のキーワード:生き甲斐の心理学から見た一番の問題点は「絶望」です。いかなる人生でも自分からした思考とその結果について反省は必要でしょうが、湧き出す感情・絶望感から、自殺するような思考は大きな過ちです。殺人から自殺までを含め、そこまで自分を追い込む思考の内容について、もし、自分の思考内容を反省して自己否定するならば、その考え方は間違っています。どんな反省でも、最終的に自分を許していかないと、多分、人の過ちをみて、その人を自殺に追い込むタイプの人間になるでしょう。どんな事情があるにしても、最終的には自己肯定・他者肯定の思考で納めていく人生を歩みたいものです。キリスト教ではこの人類の絶望感を贖罪という思想で解決しようとしています。どんな聖人君主でも、日本文化の中で流れている重要な意識:汚れと禊:か...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    松本清張さんの小説の話です。一時期、富士山麓の樹海での女性の自殺があり、枕元にこの小説がしばしば見つかる、という事件がありました。この小説を読む契機があり、今、下巻を読んでいる最中です。ここに登場する結城頼子さんは素敵な女性ですが、悲劇の主人公で、とても切なくなる物語です。この小説を読む契機は「謎の宮下文書」という古代史が契機でした。大和王朝が誕生する以前に、富士山のふもとに古代の王朝があった、という書物です。さらに松本清張さんがこの富士王朝を小説にしている、といううわさを聞き、私は数カ月、その小説を探し求めたのです。福岡の松本清張記念館にまで電話をかけて調べてもらいましたが、結果としては、どうも無い、という事で、非常に残念な思いをしていました。その小説の探索をしているインターネットで検索すると、必ずこの...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    どんなに学問を積んでも見えないものがあります。それは「神は愛なり」という考え方です。人類の歴史や現在の世界を見ると、愛である神様が何故、こんな悲劇を人間に与えるのだろう、神様が人類を愛していれば、こんな悲劇は起きるはずがない、と思います。しかしそれでも神様の愛を信じると、悲劇の中に神の愛が見えてくる場合があります。どんなに時間をかけてみても信じないと見えてきません。確かに歴史を見れば、何故、こんな残酷な事件があるのだろう、神が愛ならば、こんな残酷な事を地上に許すはずがない、と思います。私も海外の暴動に巻き込まれ身近に親しい人が死んでいくのを見ました時に、神は存在するのか、と叫びましたし「神は愛」などとは嘘だと叫びました。しかし今は色々の体験をしましたが、神は愛なり、と信じています。何故でしょうか?信じると...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    倦怠感の中でも誰でもが所持している魂がそのご主人様の幸せの為にあえてうづかせる場合があります。どういう場合かといいますと、何の為にいきているのか、生き甲斐は何か、死んだらどうなるのかの問題意識を持たせ臨終の時に、あーあ、若い頃から自分の死について、もうすこし真面目に考え居れば、こんなにばたばたしなくてもいいのになあ、と思わせないためです。この永遠の生命に関する領域での哲学問題はなかなか難しいのですが、避けて通るほどにいつまでも倦怠感、生き甲斐喪失問題では長く尾を曳きます。解決は簡単です。魂は愛そのもの、永遠不変なもの、病むこともなく老いることもない、臨終とともに身体から離脱する知的生命体である、という哲学もあるのだ、と思えばそれで十分です。信じると見えてくる世界があります。どんなに学問を積んでも見えない世...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    身体からくる倦怠感なのか、成育史からくるものなのか、なかなか識別しにくいものですが、難しく考えないで、ひょっとして年齢からくる生理現象かなあとか、遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌からくる何らかの医学的事情かなあ、と考えるだけで、倦怠感の正体が見えてくる場合があります。もやもやするカオスの世界が一番人を駄目にし自信を喪失せしめ希望を持たせてくれません。人格的な意思力の欠場だ、性格が弱い、駄目人間だ等と、自虐的にならないで、とにかく、成育史からか、身体からか、魂からか、と3つの視点から考える習性を身につけると面白いほど、物事が見えてきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私の友人でとても解釈の暗い友達が一人います。学生時代の貴重な友人なので、愛想をつかして付き合うのはやめた、というわけにもいかなので、我慢することも多いのですが、とにかく暗いのです。しかしとても優しくて命がけで友達の為に尽くすので結構長続きしているわけです。言い古された例ですが、1本のボトルに半分の水があります。或人はまだ十分にある、と希望を感じるのですが、その友達はもうない、と絶望的に解釈するタイプです。多分、死ぬまでこの傾向は変化しないでしょう。解釈を変えれば人生も明るく解釈できるのですが!自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    時々「全てが嫌になった、どうしたらいいでしょうか?」と聞かれます。現在の世界の人口は80億人だそうですが、この倦怠感というか、生き甲斐喪失の内容は、80億の種類がありますので個別にキチンと拝聴していかないと「生き甲斐の心理学」では答えようがありません。共通して断言出来る事は、今、その人は全てが嫌になつている事です。嫌になる、という内容は3つの発生源があると言われています。魂からのうづき、成育史からの発信、年齢による身体からのシグナル、この3つのどれから来ているのかなあ、と識別する事から始まります。この3つから来ている事は間違いありませんので、まずは、どれかなあ、と思索開始すると、身体は何となく、その答えのありかを教えてくれます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前のお話ですが、太極拳の仲間が同時に、いつのまにか金剛流の謡曲を練習するようになりました。太極拳仲間で筑波山へバス旅行した時に、その中にお能の先生がおられ、それがご縁で太極拳の仲間が謡曲にも手を出した次第です。「橋弁慶」でしたかが、その練習時間よりもその後のお茶の時間のほが長いのでなかなか私は上達しません。しかし楽しくてたまりませんでそた。お茶の時間の会話の一部は、某所でのテロリストの話になり切ない会話となりました。フランス革命、ロシア革命、その他の事件、何故、このような人質を殺戮するような事件が起きるのだろう、という切ない会話でした。結論は自分達の身近で、それなりに平和構築に努力しよう、という当たり前の結論ですが、遠く離れたアフリカの事件ですが、普通の私達市民に出来る事は、平和解決の為の「祈り」しか...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    不思議なもので心が或状態になると次から次へと泉が湧き出すように知恵が浮かんできます。これは自分に才能があるからではなく人間の身体に備わっているシステムが自然に働きだすからです。どんな状態かと言いますと、例えば大自然の大地から直接湧き出す温泉につかり周囲の風景に感動している時が、この代表的な知恵が湧き出す事例です。防衛機制が働いてなく心が自由な時に、この泉が湧き出すのです。心が自由、という事は一時的な現象かもしれませんが、何者にも固執していない温泉の気分、この時、または、その後にふーっと気付く知恵が私に大きな幸福をもたらしてくれています。これを恩寵と呼ぶ人もいれば人間の素晴らしい能力と呼ぶ人もいれば色々の神々からの恵みと呼ぶ人もいます。長い人類の歴史を学ぶほどに、この知恵の定義を様々な文化、宗教がサムシング...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今、生きている80億の現代人が全て悔いのない人生を歩めるだろうか?その内の何パーセントが臨終のときに感謝しつつ息を引き取るだろうか?この答えは誰も知らない。しかし知らないといって放置出来るテーマではないような気がします。不可知論だとは理解出来るのですが、身近な友達の悩みを見れば放置できません。何とかしたいと思うのが人情でしょう。これに対する私の答えは「信じて見えてくるもの」以外には無いと確信しています。魂が無いと信じている友人は自分の死とともに世界が消滅する喜びを語ります。しかし死んだ時、もし魂があり、愛である神様に遭遇した時のショックは本当に気の毒です。愛である神様は優しく迎えてくれるでしょうが、私は生きている内から愛である神様を信じて死にたいと思います。信じて死んで、それで何もないならば、それはそれで...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    ふと不安になる、人はその時、どの道を選ぶのが良いのだろう、と。いつも不思議な想いでこの分岐点を考えています。或時は、なじみの道を選んで歩いたので、心が平安感を感じたまま歩けるのですが、なにか物足りなくて、少々冒険をして別な道を走りだします。そうした冒険をしたばかりに、大失敗して、立ちあがれない時がありました。こうして段々と知恵がついてきて、身分相応の道を選びながら今日に至りました。どの道を選ぶかは、その時の気分と健康度と願望の激しさ、熱のいれようで選んでいるようです。死んでしまいそうな選択と冒険をしたこともありましたが、何とか今日、健康で明るく元気に生きているという事実は、私なりに自分を大事にしてきたのでしょう。これからも、心の病気にならないように、健康を害さないように手探りで少々、冒険をしながら悔いのな...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    あちこちの世界の神話に時々、蛇の話が登場しますし、その脱皮の話を美しく描く神話もあれば、なにか気味の悪い話として書き遺している神話もあります。要は人間はマンネリズムに陥ると碌なころにならないよ、日々新鮮な心でイキイキと生きていこうね、と言いたいわけです。努力してやっと生きざまに安定感を与える指針や哲学を完成させたので、数カ月とか数年はその安定感のまま、堂々と日々を生きていくのですが、自分を取り巻く歴史環境はどんどん変化していきますので、時々立ち止まり点検しないと何となく、あれ変だなあ、と思うようになります。再点検すると「努力して確立した指針・哲学」の一部を、あるいは全部を脱皮させる必用を感じますが、人はそう簡単に新しい人にはなれません。昔の自分の成育史に固執して悶々とする人、サラリと新しい人になれる人、人...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    私の友人のs君は何故か「聖書」という言葉に触れると拒否反応を起こしていましたが、どうも私に内緒で、しこしこと陰で読んでいるようです。特に詩編を愛読し心を慰めているようです。私の大好きな86章は「生き甲斐の心理学」が必死で訴えている「自己実現への道」を子供でも分かるように上手に書いてあり、いつ読んでも人生での自分なりの生き抜く道を示唆してくれています。旧約の時代、特に詩編を書き遺してくれた人々は厳しい時代を生き延びながら、人々がいかに幸福に地球を生きたらいいかを教えてくれています。人類の知恵の宝庫を無駄にしないようにしたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    深大寺の案内書によると733年建立とあります。私の散歩コースに深大寺があります。隣接して東京都経営の神代植物公園があり、そこへの散歩は、私の生き甲斐でもあります。京都・奈良を旅する時も、時々、それぞれの神社仏閣での絵馬を、一枚だけ、ちらりと見させて頂く事にしています。今年、拝見させていただいた深大寺の絵馬には「良い娘婿がきますように」と書かれていました。この言葉から、それを書いた人を巡る色々と人生を想像していますが、この絵馬を書いた方が思い通りになればいいなあ、と思う一方、そのお嬢さんは案外、家を出たいなあ、と考えているかもしれないし、最初は良いと思われた娘婿さんも、その内、家庭を混乱させるかもしれない、人の運命は難しいからなあ、とか考えてしまいました。全国の絵馬での祈りと願いを全知全能の愛である神様は、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    書斎から眺める野川に50-60羽の白鷺が年に数回、集まり、ただひたすら沈黙の内に30分くらいいて、飛び立っていきます。平素は1-2羽が魚を時々食べています。1-2羽の時は、野生の鵜が邪魔をしたり、足元で野鴨がいたづらをすると怒りますが、今回の50-60羽の沈黙の会議では、何をするわけでもなく(魚を食べたり等)、ごちゃごちゃ会話をするわけでもなく、ひたすら沈黙して水の中に静かに棒のように立っているだけなのです。丁度、太極拳の立禅のような姿で。この不思議な光景の意味をどなたか教えていただきたいのですが、私は勝手に解釈しています。その解釈は「存在を五感と体感で確認し、安心して生きていこう」と決意しあう会合ではないかと!五感と体感で互いの愛を、友情を、親子の愛を確認しあう場合、言葉は不要です。一年の間に子供を産ん...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前の想い出ですが、sさんは、昭和2年生まれの元気いっぱいで、かつ、明るく爽やかなSさんは太極拳の仲間でした。その方のお世話で仲間達30名くらいが狛江の某中華店を借り切り新年会が開かれました。当時、「一番若い方は1980年生まれのご夫妻ですが宴会中の私のテーブルでの話題は古代史や、自慢話ではない、それぞれの生きざままでの楽しい会話が展開していました。さて太極拳を愛する身心ともに元気な方が大勢おられたせいもあるのですが、持病があっても病気の話は一切出ませんでしたが、生きるよろこびを追求する情熱に感動しました。好奇心が強く、それぞれが大好きな分野の勉強を楽しみ、かつ、この太極拳には、義務感からではなく強い興味に揺り動かされて精進している集団です。色々の哲学や宗教をもった人々の会合でしたが、共通の趣味である太...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    動物も植物も死を迎えます。その死の理由は医学・生物学に答えを求めて下さい。比較宗教学・比較文化での答えもエリアーデの「世界宗教辞典」のそれぞれの宗教の原理から皆さまが思索してその答えを自分で探して下さい。私の信仰は私にこう答えを与えてくれています。愛そのものである三位一体の神様に会う為に私は死にます。これだけの事です。長い厳しい人生を明るく逞しく生き抜いて最後に優しく親切で愛そのものである神様の所に私はまっすぐ飛んでいきます。信仰の力は他者から見ると大バカ者に見えるかもしれませんが私の信仰は私の死を楽しいものとして解釈させているのです。何度も死にかけた海外での事件や暴動での死への経験を通してもなお、私はこの信仰はゆるぎません。時々はぐらぐらしますが静かに黙想すると直ぐこの愛である神様への信頼がまた湧き出す...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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