chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
culltu
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/07/09

arrow_drop_down
  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    心理療法は非常に難しいようですが、心の傷の解消方法は原理としては、どんな場合も同じなのです。ただ難しい点は生育史が違い、人生での出来事の解釈が人により全部違う点です。心の傷をストレス曲線として理解出来れば、あとは、先輩が苦労して創り上げた学問を応用するのみなのです。人間は愛である神様が創造されました。赤ちゃんから高齢者まで全部が全部、この「生き甲斐の心理学」を学習するわけにはいきません。しかし、原理さえ理解出来れば、簡単にストレス曲線に対処する知恵は身についてくるものです。明日、具体的に応用してみましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    親しい人に去られた時、残された方の心の哀しみ、傷をどう処理したほうがいいのか、「生き甲斐の心理学」ではどう処理するように勧めているのでしょうか?生育史が違いますので一概には該当しないかもしれませんが、キリスト教を背景にした心理療法では下記の事を勧めています。残された方の人の哀しみは当然なものであるので、まずは数日か、数カ月か、数年か、人によりその残像は時間的にどんなに対応しても無理なので、その間、ひたすらに心理療法家は傾聴に徹します。憎悪、挫折感、身体症状等、人により現象が違いますが、倫理道徳の視点は一切持たずに、五感と体感のレヴェルでの感情を、そのまま傾聴していきます。湧き出す感情には意味があり、その解釈も生育史により違ってきます。答えの内容は本人にしか分かりません。答えを心理療法家が教えたら、もう、そ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    食べ物、職業、趣味を除外して、まずは好きになる人間について考えてみましょう。好きになる対象・人間が自分の人生を決める、という考え方を納得されたでしょうか?変な相手を選択した為に、自分の人生がどんどん狂っていく、切ない体験をすると人はどうなっていくのでしょう?変な親に育てられるとその子供は無意識の内に変な人間に成長していきます。何が変なのかは、ここでは難しく、定義は困難を極めます。ここからが人間の偉大な所ですが、自分を省みて、何か変だなあ、と自分で気付くと、人はどんどん変化していきます。変な自分が変ではなく、親が変だった、と気付く50代の大人は沢山います。変な内容は万とありますが、ここで一番大事な哲学が「自己肯定他者肯定」か「自己肯定他者否定」か「自己否定他者肯定」か「自己否定他者否定」か、この4つの人間関...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    食べ物、職業、趣味を除外して、まずは好きになる人間について考えてみましょう。好きになる対象・人間が自分の人生を決める、という考え方を納得されたでしょうか?変な相手を選択した為に、自分の人生がどんどん狂っていく、切ない体験をすると人はどうなっていくのでしょう?変な親に育てられるとその子供は無意識の内に変な人間に成長していきます。何が変なのかは、ここでは難しく、定義は困難を極めます。ここからが人間の偉大な所ですが、自分を省みて、何か変だなあ、と自分で気付くと、人はどんどん変化していきます。変な自分が変ではなく、親が変だった、と気付く50代の大人は沢山います。変な内容は万とありますが、ここで一番大事な哲学が「自己肯定他者肯定」か「自己肯定他者否定」か「自己否定他者肯定」か「自己否定他者否定」か、この4つの人間関...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何が好きになるかで人生が決まるのは間違いありません。さて、皆様はなにが好きですか?生き甲斐の心理学では好きになる対象を3つに分類しています。魂の領域(信仰の世界、宗教学の世界等精神文化的な領域のこと)、成育史(自分の誕生から現在までの色々の出来ごと、固執障害、夢や理想等の、どちらかというと臨床心理学的な領域を意味します)、身体(五感、体感、病気、本能、その他生物学的、基礎医学的な領域)を意味します。この好きになる対象を心理学の立場から考察する場合、人間とは何か、という哲学的領域が明確な世界観を背景にした比較文化、比較宗教学の常識がないと、その話は次元の低い学問となります。好きになる対象は必然的にその人の人生を決定していきます。恋人を選ぶ場合もこの3点から、意識して選んで下さい。学問は事の表現を難しく表現す...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    20代と40代の「好き」と言う感情の取り扱いの違いについて、もうひとつ意識化しておきたいことがあります。40代での夢の実現の方法について知らないと晩年の人生が相当違ってきます。40代は人生を左右する年代です。それは何かと言いますと、生き甲斐の心理学で言うところの「3Vの法則」と呼ばれている知恵があるか、ないかでしょう。自分の夢を人が何と言おうと、下記の3つの事を楽しむ習慣が生活にあるかどうかが分かれ道のようです。自分の夢をイメージ、ヴィジョン、シュミレーション、といった手法で楽しむのです。更にはそのイメージをより正確な言語でノートに書きだす習慣をつけること、そして最後に、出来るかどうかを考えずに知人に電話してみるとか、行動してみるとかしつつ、実現に向けて行動してみること、この3つは普通、英語でvisual...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    例えば、自分の20代の「好き」という感情が自分の人生を狂わせるかどうか、あまり気にすると碌な事にならないでしょう。その20年代の「好き」という感情を今、?代でつらつら反省気味に思い出せば、当然、はらはらしますが、はらはらしながら、何とか?代まで生き延びたわけで、それぞれの年代で人はそれぞれ勝手に生き、そして早死にする人、長命に生きる人と、それぞれが天に向かって唾を吐きながら生きているわけです。さてこの激動の20代と、少し人生を知って多少落ち着いてくる?代の違いを「生き甲斐の心理学」はどう説明しているのでしょうか?一番の違いは「体験の解釈」だと思います。湧き出す感情の解釈が違ってきています。その理由は体験の蓄積からでしょう。何の為に生きているのか、自分の生き甲斐は何か、自分は自分の生育史を大事にしているか、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    好きと言う感情は、その場での人の心地を良くはさせてくれますが、果してその後の人生を幸せにしてくれる情動かといえば何とも言えない複雑な感情です。皆様は20代での「好きという感情」と40代での「好きという感情」の内容が、どこがどう違うか、意識化し言語化出来ますか?このあたりの識別について考えてみましょう。好きという感情を健康なもの、病的なもの、この違いを意識化出来るとこれからの貴重な人生を益々悔いの無いものとする事が出来ます。嫌いという感情に固執すると、これまた問題が出てきますので、今回から好き、という感情に焦点を当ててみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    今日の首題質問はイギリスの心理療法の国家試験にしばしば出題されました。いつの時代でも同じだと思いますので、皆様も自分のこれからの人生で必要な答えを自分で考えてみて下さい。私の人生では「嫌な感情」に流されて、自分の人生を狂わせたものの一つに、上司への嫌悪感がありました。私の上司:A:に対する嫌悪感が人事面で、私に非常に不利に働いていったのです。上司ににらまれたお陰で自分の人生予定がどんどん破壊されていきました。これは何でしょうね?逆に或事件で参考人として、好きな上司:B:の為に、断る事も出来たのに、わざわざ裁判所に出かけます。その時、恐ろしい検事に向かい私の上司が如何に正義感に満ちた人物であるかを堂々と述べました。この上司:B:が裁判で負ければ私の人生も不利になることは明確でしたが、カトリツクの私の信仰にか...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    感情転移は人間の本能に近い精神現象ですので、人間にはそのような精神作用がある、という事実を受け入れ、それを上手に応用して生きていくと楽になります。どんなに修行を積んだお坊様でも感情転移はしばしばあり、aさんにむけるべき感情をbさんに向けてしまい、bさんを哀しめた、などという現象は日常茶飯事です。ドンキホーテのような極端なものは困りますが、さしたることではない場合、例えば<あ、自分は今、感情転移をしているな>と気付いたら、相手に素直にその気持ちを正直に伝達することで親友を得る事例が多いのです。美しい感情転移もあります。薔薇の美しい香り、その優しさを友達に感情転移したら、されたほうは幸せになります。真善美からくる素晴らしい感情を臨機応変に使いこなすと、その人は素敵に輝いてきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    好き嫌いは人間の本能で、どう取り扱うかはその人の自由です。しかし現代の法治国家、特に日本のように、どちらかと言うと世界では信じられないような安全の国では、あまりにも自由すぎて人々は今後の生き方に自信がないようにも見えます。電車の中で、人前で堂々とするお化粧の女性がもし、ロンドンでしたら、多分、紳士淑女が堂々と説教に向かうでしょうし、若い人でも注意すると思います。日本では自由でも世界に共通しる意識を持たないと国は滅びます。戦争に突入していく第二次世界大戦前の日本政治家だけが悪いのではなくこうした日常の礼儀作法が政治に深い影響を与えます。さて嫌な感情として日本社会で自分を滅ぼすもの、それは何でしょう?暫く思索してみます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    ギリシャ神話には人間の大半の感情を意味する神様が登場しています。例えば「衝動の神」はエロース、死者の哀しみの象徴「ベルセポネー」等です。日本でも沢山の神々が居て、それぞれの気持ちを代表していますが、現代ではそれぞれの神社仏閣が商売繁盛、病気効能、恋愛等にききめがある、と人々の心をとらえていますし、善男善女がお参りして心を平安感に満たしています。この国、地方、文化での信仰について日本国憲法は信仰の自由を大事にしています。さて、嫌いという感情を無視すると人は心が不安定になりますので取り扱いに注意する必要があり、頭から抑圧しないで何故、自分は嫌うのか、軽く思索してみましょう。嫌いという感情は自分の独特の生育史上の何らかの考え方と現実のギャップから生まれてきます。つまり理想と現実のギャップが嫌い、という感情を生み...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分が感じる「嫌い」という感情の裏に人類の生存を支配するものがあるらしい、と思ったことはありませんか?ふん、と思う人は、この記事は読まないほうがいいでしょう。しかし、嫌いという感情の裏には、神聖で深く大きな幸福を示唆する知恵への道かなあ、と少しでも感じとれた方は是非、読み続けて下さい。嫌いという感情には自分の生命がかかわっているのです。例えば、神様が嫌い、と本気で思う人は死ぬ時、どうなるのでしょうか?自分が何が好きで、何が嫌いか、その傾向を楽しみながら勉強していきましょう。京都奈良を旅をして、どんな神社仏閣が好きで、どんな所が嫌いか、正直に五感と体感で感じ取れる人は幸せ者。何が好きで、何が嫌いかを口に出す必要はありませんが、意識の上で正直に感じ取る訓練を楽しみましょう。どんな神様、仏様が好きか、嫌いか、ど...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現代のギリシャは森がありませんがギリシャ神話が書かれた昔は森に囲まれた豊かな国だったようです。現代のギリシャの、森の無い風景から考えてしまうので、ギリシャ神話の面白さと理解の程度の深さを見失っている日本人が多いようです。森の中の虫や動物とかかわっていたればこそ、あの素晴らしい神話が生まれたのです。日本の古事記物語も豊かな大自然に恵まれていたので書けた名作でしょう。さて日本人の嫌いという感情は実に複雑です。砂漠の民に比較すると、とても感情は複雑で、表現も微妙となります。源氏物語を読んで下さい、あの何とも言えない複雑な感情表現は日本人でないと理解出来ないのでは、と思います。平安の貴族の存在は色々の問題を提示はしていますが、この好き、嫌いという感情の発達の程度と、その深さは文学としては世界に誇るものを持っていて...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    アフリカで人類が誕生し、色々の発達があり、その中の一つに原初感情と呼ばれている感情があります。人類を生き延びさせた重要な感情の一つですが、その中に「嫌う」という感情がありました。好きか、嫌いか、その感情で異性を選び、食物を選び、好きな道を選んで、数万年をかけて地球に人類が蔓延していきます。嫌いなものを無理にすると変になりますが、考え方が病的だと何でも嫌いになり、結局は自分を滅ぼしていきます。この嫌いという感情について暫く思索してみましょう。自分を成功させるのも、破滅させるのも、この「嫌い」という感情にかかわってきます。さて、縄文時代の日本人にとって山は大切な信仰の対象でした。山や森や美し川の流れを嫌う人に私は今まで遭遇した事はありません。恐ろしい山、恐ろしい自然は感じますが、アニミズムではありませんが、自...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    身体は実に正直なものです。どんなに理性を働かせてセルフコントロールをきちんとしたつもりでも身体症状は必ず出てきます。出てこないほうがおかしいのですが自分に限り理性が優先されていて大丈夫だと過信している人が大半です。例えば嫌いな人が多すぎる場合です。健康な時は自分にとり、多少気にいらなくても見過ごせるのですが、不健康な精神状態の時はとても批判的で人を毛嫌いし人を避けて通ります。心が健康な時は寛大に笑いながら大人(たいじん)のように明るく堂々とやりすごせます。嫌いな人が多い時が要注意な精神状態で、何らかの疼きとみなしたほうが良いようです。何故、あの人が嫌いなのかを自己分析していくと、そこに大きな問題が見つかる場合があるのです。嫌いな人が沢山いた場合、自分自身に問題が多いようです。嫌いな人だらけなのに神社仏閣を...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分を大事にしたいと思っても、どう対応したらいいのか、中々難しい問題です。専門の勉強をしてもそう簡単に識別出来ないのが実情でしょう。例えば胸のもやもや。理由はわからないけれども、何故か胸がもやもやするのです。色々と自己分析をする内に下記の3つの疼きらしいと何となく気付くこともあります。学説により違いますが生き甲斐の心理学では(1)魂の疼き(2)自分の生育史からの疼き(過去の失敗、挫折、罪深い反省、嫌な事件の思い出等、心の傷が未だ未解決のままの諸問題が潜在している疼き)(3)身体からの疼き。(1)の魂からの疼きの代表的なものが(a)自分は何の為に生きているのか(b)自分が死んだらどうなるのか、でしょう。この疑問は案外魂からの囁きのようですが、本人は色々の事情で気付きません。もし、この悩みから身体症状が出て病...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分を大事にする方法について、自分では知っているつもりでも、その方法が案外、正確に認識されていない現実に驚きます。私も自分の事となると、人に言えない沢山の失敗がありますので、信頼のおける人々と反省しあいながら生き抜いていきたいので、この記事を書かせていただきます。遺伝、環境、老化、自律神経、免疫、分泌の6要素がありますので、年代により考え方を修正していかないと自分でも呆れる失敗に遭遇する日々です。例えば若い頃は登山のベテランでも、身近の低い山で遭難する高齢者のような事例です。さて、どんな視点が「自分を大事にする事なのか?」と言いますと先輩としての学問は3点を指摘しています。(1)自分が所持している魂を大事にしているか(宗教学の視点)(2)自分の生育史(赤ちゃんとして誕生し今日までの思い出)を否定していない...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世界には色々の考え方があり、その勉強をすればするほど混乱していきますが、最後には「これではいけない、自分の基本思考は何だろう?」とハタと気付きます。基本思考の内でも一番大切なものが「悩みをどう扱うか?ストレスをどう処理するか?」という基本思考の重要性に想いがいたります。赤ちゃんから高齢者まで、この悩み、ストレスの取り扱いの基本思考を家庭でも学校でも教えてくれませんので、人々は人生を狂わせていきます。「健全な悩み、ストレス」が人生の知恵を生むのは確かですが知恵の泉を妨げているのが病的な悩み、ストレスなのです。何が健全か、何が病的かは難しいところですが、この健全な悩み、ストレスと病的な悩み、ストレスの違いを心の仕組みとして勉強していかないと無駄なエネルギーを消耗していきます。何回も言いますが、この基本的悩み、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    世の中には、すぐ人を侮蔑する傾向の人がいますが、侮蔑の心理は大事ですが、まあ、それよりも下記の記事を楽しみながらお読みください。80億の人類が今、地球で生活していますが、その人々が、どんな迷信を持ち、何を妄想して生きているのか、そのことについて、とかく私達は批判も侮蔑もせず、粛々と自分を正して生きていけば、もう、それでいいのです。奈良京都の神社仏閣をお参りして、もし、或所で、心が平安を感じ、何らかのストレスが解消し、生きる喜びを清々しく感じたならば、その時、素直に天に向かって「有難うございます」とだけは言いましょう。学問の神様、病気の神様、色々ですが、ムキニなって神学論争をしてはいけません。庶民の生活での信心をその民族独特の美しいものとして、比較文化論的に暖かく微笑みながら見守りましょう。「信じると見えて...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「蓄積されたストレス」が「答え」を見えなくするといいますが、その前にストレスの爆発の段階を熟知しておく必要があります。錯乱している人はまず、憂鬱な事を探す必要があり、憂鬱がみつかれば、身体症状にどんな現象があるかを調べます。身体症状をある程度確認したら、その原因である怒りを探します。怒りが判明すれば不安感を分析します。つまり人間のストレスは今起きている精神的なストレスの臨床体験とその現象をあるがままに見ていくと、やはり一番最初のストレスが不安感、その不安感を放置しておくと怒りの状態、それを放置すると身体症状、身体症状を放置すると鬱状態、そして錯乱の最終段階になります。この心の仕組みを知らないとセルフコントロールが出来ません、しればセルフコントロールの自信が湧いて来ます。神様は、そんなに難しい事を人類に要求...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    「答え」は自分の中にある、と言われていますが、見えない理由の一つに「ストレスの蓄積」があると言われています。具体的にどういう事かといいますと、不安感が心の主な部分を占拠していると推察されます。不安感はその人の生育史で培われて理想と現実のギャップですので、不安感の分析をする必要があります。理想は大事ですが現実的に不可能な夢か吟味しないと、その不安感があるかぎり、答えは見えてこないでしょう。答えを明確に浮かびあげ意識化させる為にもその不安感を見極め、そこからくる不安感を削除する必要があります。答えを湧き出す心の泉の蓋を重たい石(不安感)が塞いでいますのでまずは、その不安感の実体を見極めてみましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    この首題は人類の永遠の課題ですので、ここでスパーっと皆さまが納得出来る答えを書く事は不可能ですが、分からないから、と言って、ここで諦めたらこれまたきわめてもったいない機会ですので、お付き合い下さい。ここで一番大事な私の相手・仲間・同志は「今は、分からない」と答えて下さった方々です。比較文化・比較宗教学はこう答えます。「答えは自分の中にある」と。答えが何故、見えないか、その理由は「ストレスの蓄積」と分析しています。神社仏閣・御聖堂を訪ね、この問題意識をもって祈ると、突然、答えがひらめく場合もあれば、見えない場合もあります。このあたりの思索を暫くしてみます。自分は何の為に生きているのか?キチンと意識化して生きている人々も沢山いますので慌てず騒がず楽しみながら、この問題を考えてみましょう。分からないと答えた方と...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    10円入れて10万円当たった場合と1万円いれて300円貰えた場合、その結果についての心境は、80億の人々が現在地球上にいるそうですが、その気分は80億通りなので、その人に内緒で聴けば分かる事です。分析は馬鹿馬鹿しいことですが、あなたなら、どんな気分になりますか?あなたの気分が大事であって、他者の事例分析は意味がありません。この信心の世界、信仰の世界は自分の世界の問題であって、他者の問題として混濁すると戦争が起きてきます。私の問題なのか、他者の問題なのかを識別出来ない人々はいつも混乱の世界に生きる羽目になります。パワースポットに立って元気をもらえる人の共通事項は「信じて見えてくる事例」が大半です。ああ、ここに来て良かったと言いながら帰宅するのが普通で、ああ、奈良京都までの新幹線代金が無駄になった、と嘆く話は...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    神社仏閣での秘密の話ですが私の友人に宝くじを本気で当てたい場合、近所の神社仏閣は止めて、わざわざ奈良京都に出かける友達がいます。若い頃の話です。しかも何と億を当てたいのに10円をいれているようです。やむにやまれぬ事情があり何としても欲しい時、1万円いれたそうですが300円の当たりでした。10円入れて10万円当たった事もあったそうです。さて暫くこのあたりの信心について思索していきます。信じて見えてくるもの、信じてみえなくなるもの、という割と高度の宗教心理学のお話です。比較文化・比較宗教学に基づく心理療法のお話です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部、前ですが、私達のNPO法人CULLカリタスカウンセリング学会が奈良京都への旅をしたことがあります。その理由について少々、解説をしたくなりました。今までこのブログで、奈良の神社仏閣を書いてきましたが世界各地にパワースポットでの色々の心理学的な現象も、この日本でも、何故、これらのパワースポットが癒しの場所として話題になるのか、その原因について思索していきます。まず、その定義ですが、ここでは「そこに立つと心が癒される場所」と定義しておきます。或人は癒されますが、或人はかえって、心が乱されます。何故でしょうか?この原因について暫く考えます。富士山が世界文化遺産に指定されましたが、その指定要件の一つに「富士山信仰」がありました。私はこの「富士山信仰」という精神文化を大事にしている世界遺産の条件に対して心から敬...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    東大寺の歴史は膨大なものですが、私は聖武天皇がこのお寺を建立するまでの行基との歴史を考えてみたいと思います。飛鳥奈良時代の仏教は天皇、貴族、豪族の独占のような香りがあり、魂の救いを必死で求める庶民には手に届かないようなものでした。行基という庶民派のお坊様が大勢の人々に愛され、聖武天皇があこがれるような素晴らしお寺・知識寺を河内に建ててしまいます。政府の力を借りないで、です。行基が庶民の力で見事に建立したのを見て、さてこそ、と何かを感じます。今まで権力側から迫害されていた行基を逆に活用する時代に変貌していきます。行基と庶民は旨い具合に聖武天皇に取り込まれていき、日本の宗教界も大きく変貌していきます。全国に国分寺がうまれ、日本人のアイデンティティ形成を形作っていきます。東大寺と日本人の性格形成は深い繋がりがあ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分を大事にしているか、していないか、その事自体が分からないのが普通です。仕事をして生きている人が前提ですが、自分で働き生き抜いている、その事自体、当然といえば当然の生き方ですが、そんな人生を生き抜く場合でも、自虐とまではいかなくても、自分を大事にする意味をしっかりと意識化しておく必要があります。解釈がよくないと、どんな幸せな環境にいましても不満だらけで、はたで観ていても何と我儘な人だろう、と思うのですが、本人は感謝する事もなく不満だらけ。文句ばかり言うのです。感謝する心がないようです。感謝をしない人を自虐性のあるタイプといってよいでしょう。キツイ言い方と思うでしょうが、自分を大事にする第1歩が感謝なのです。この愛と感謝の領域が生育史にないと、どんな難しい博士号を取得しましても自分を大事にする意味は不明の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分で自分の首をしめる、という言葉があります。しかし、本人がその事を意識化出来ないと、多分、永遠にそうなるでしょう。いつも自分を苦しめるように、何故か生きていくのです。「自虐性の個性」といいますが、その原因は生育史にあります。自虐しないと心がおちつかないのです。自虐性があるかどうかのチェックポイントは沢山ありますが、自分で自己分析する時は、過去の思い出を二つ意識化してみます。一つは何とものんびりとして楽しく温泉に入って美味しい料理をいただいた時のような幸福な場面を思い出します。もうひとつは一番嫌な場面を思い出します。この両極端の場面から自分の心のありようを意識化する以外方法はありません。出来ればこの自己分析を「生き甲斐の心理学」のテキストを読みながら振り返るのです。特に第1章の自己愛のページを大事に読んで...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現場に立ちますと当然、何かを感じます。感じ方はその人の生育史の違いから全部違うと思いますが、私の場合は暖かいものを感じました。私の生育史からの独断と偏見で読みこんだ歴史書の気分そのままで御陵に立ったからでしょうが、とても気分が良くなったのを思い出します。聖武天皇は複雑な人物で光と陰の濃厚な天皇です。解釈はばらばらですが、日本の歴史では欠く事の出来ない天皇です。東大寺建立の天皇は現代にも大きな影響を与え続けています。その御陵に立つ時、実に大きな気を感じました。複雑な歴史はありますが、何故か私はこの御陵が好きです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    聖武天皇の皇后・光明皇后の自筆には「積善の藤家」と刻印されているそうですが、いつのころからか光明皇后は藤原氏が沢山の善行を積んでいるのでご加護下さいますようにと祈りを始めています。天然痘が流行し藤原不比等の4人の息子達が殆ど同時に死んだのは長屋王の祟りだ、と思ったようですし世間もそう感じていたようで、藤原氏の悪行の数々を物部系、蘇我系の旧支配階級の子孫は、どんな気持ちで藤原氏を考えていたのでしょう?光明子は、この贖罪意識を敏感に感じ取り、法華滅罪之寺を建立したばかりでなく、法隆寺の東院伽藍夢殿を建立したとの梅原猛学説もあります。さてこの法華寺には光明子がハンセン病患者の身体を洗ったと言われている「カラ風呂:現存の建物は室町時代のものらしい」がありますが、このお寺を訪ねた時、皆様は何を感じるでしょう?私も億...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、culltuさんをフォローしませんか?

ハンドル名
culltuさん
ブログタイトル
生き甲斐の心理学
フォロー
生き甲斐の心理学

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用