とうとう令和にも大晦日がやってきた。庶民にとっては、新年を迎える準備でおおわらわだ。毎年のことながら「この道はいつか来た道」と思う時である。老いるにしたがって、一年が早くやってくるように感じる。一年をゆっくりと顧みる間もなく、新年を迎えることになる。元日からどの店も、「福袋」の初売りに躍起だ。せめて正月三が日は休んでもらいたいもの。コンビニ業界にも休店の動きが出始めたようだ。今年も帰省客の大移動が始まった。交通機関も、高速道路の混雑は避けられそうにない。年に一度の核家族の再会を目指すのだろう。再会の喜びは格別だ。事故のないことを祈ってやまない。広島美術館にて令和にも大晦日がやってきた・・・
働き方改革、IT社会の変化、年金の先行き不安、老人目当ての詐欺等社会情勢の変化により、人々の思考が変わってきた。それに伴って、これまでの常識、慣行、しきたりが変わってきた。今まさに、社会の「ルール・チェンジ」が行われている。この「ルール・チェンジ」が世の中変わったと云われる所以ではないか。常識は過去のものとなり、通用しなくなる。老若男女とも「意識改革」が急速に求められてくる。若人にはすぐさま対処できるが、旧態依然のままの年寄りには追随できない。年寄りにとっては、住みにくい世の中になったものだ。今後とも、次から次へと変化は加速いていくことだろう。「ボーっと」している訳にはいかなくなってきた。そんな「ルール・チェンジ」が進行している。年寄りの意識改革は厳しい。旧家のかまど跡社会のルール・チェンジがはじまった・・・
顧客サービスの良否は、企業の死命を制する。そのため各社とも、お客様応対サービスの向上に全力投入されているようだ。最近の「お客様相談センター(CS))のサービスぶりは素晴らしい。利用する客も多くて、接続するのに時間がかかることもあるが、オペレーターの応対には、眼を瞠るものがある。会社のイメージアップのために、素晴らしい社員教育が実施されているのだろう。かつて、お客様サービス部門の任に当った私には驚異として映る。「取扱説明書」が解り難いことと、商品にマイクロチップの挿入されていることから、使用方法が複雑となり、益々利用されることだろう。取説がもっともっと簡単に記載されないものか。一工夫欲しい。詳しく記述されるのも良いが、判りやすさに目を向けて欲しい。メリーゴーランドは往くお客様サービスセンターは今・・・
日本人は、本来、謙譲を美徳として、控えめに自己表現する国民であった。戦後、何時の頃からか、派手なパフォーマンスをするようになってきた。自己を喧伝するために、「ヤッターマン」=「俺がやった」と誇張する人が多くなった。「ヤッターマン」とは、部下や他人が達成した成果をあたかも自分の手柄にしてしまう人間のことをいう。特に会社では栄達のために、他人の成果まで、横取りするようになった。部下や関係者の努力・協力まで自分の手柄にしたがる人達が多くなったように思う。「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」とあるように、多くの人の支えで、偉業は光り輝くのだ。地味で陰で支えてくれている人達が居ってこそのことだ。競い合うのは良いとして、経営者は目立たぬ所にも、光を当てて欲しいものだ。平櫛田中さんの作品縁の下の力持ちにも光を・・・
ベルリンの壁崩壊以来、世界は羅針盤なしに荒海を漂い始めた。行く先不明の旅路が始まった。群雄が自国第一を主張し合って、百家騒乱の時代の到来である。不沈空母と思えた大会社も倒産し、年金財政も怪しくなってきた。若い人達は何を目標に暮せば良いのか、不安一杯の社会になってきた。この時代に大切な事は、個人として、社会がどのように変わっていくかを見定めることだ。人物評価に欠かせない「洞察力」を磨いておくことだ。これは、個人の歴史観によるものだが、鋭い眼力を養っておくことだ。「ボーっと」暮してしたのでは、対処の仕方がなくなる。この時こそ、人間の本質、歴史感、過去の過ち等総動員する必要がある。歴史観を磨いておくことが、求められる。パリの凱旋門洞察力が大事な時代に・・・
忘年会シーズンだ、巷では忘年会が盛んにおこなわれている。「忘年会」も年々様変わりしてきているようだ。若い人たちは、世代間ギャップを嫌って、参加しない人も多くいると聞く。以前から、新入社員は入社してからすぐさま、約三分の一の人達が退社していくと聞く。会社は会社で人手不足で難儀している。世の中様変わりしたものだ。就職難を経てきた我々からすれば、贅沢極まりないように思える。社会人として、会社への「帰属意識」と「忠誠心」が無くしたのだろうか。辛抱する心が失せたのか。人が人として触れ合い、共に苦労を分かち合い、働く喜びを失くしてしまったのか。これを憂うのは、「年寄りの冷や水」なのか。世の必然的流れなのだろうか。聊か寂しい気もするが・・・。金子みすゞさん宅若者たちの帰属意識と忠誠心は・・・
先日、「中村哲」さんの死に対して、政府の対応について批判した。「自己責任」として扱われたのではないかと疑ったからだ。この度、政府から「旭日小綬章」と「感謝状」が贈られた。やや遅れた感はあるが、故人や家族は慰められたことだろう。海外の悲惨な有様を見て、己を捨てて、人道的に尽くしてくださっている人達には、頭が下がる。自然災害に真っ先に駆け付ける「国境なき医師団の人々」や「ボランティア」で活躍されている人達には、朗報だったに違いない。人命救助で活躍される方々に、心から拍手を送り、その心意気を称えしたい。思うに任せぬ世界だが、人々の善意で人命は維持されているのだ。エッフェル塔からの眺望「中村哲」さんの死に、旭日小綬章が・・・
むかし、むかしある時、川柳で「騙されて飲んだ胃薬頭に(脳)に効き」と詠んだことがある。これは実際に経験したもので、仲間が悪ふざけで、頭痛に胃薬を飲まされた時にできた一句である。薬も気持ち次第で、効くと信じて飲めば、効能があるをことを示した句である。その外にも、「白衣高血圧」といって、血圧を測定する時、医師の白衣を見て、緊張して血圧が上昇する現象をいう。これらを称して、医学的には「ブラシーボ効果」というらしい。信じて疑わずに飲む薬は、精神的に効能があるという。心で「信じる」ということは、いかに大切な事かを物語っている。医学用語として存在しているということは、科学的にも実証されているということだ。「病は気持から…」というが、あながち馬鹿にはできない教えでもある。アルプスの氷河病は気から・・・
大型店やデパートへ行くと30%~50%OFFの看板が目に付く。テレビやラジオの通販でも、初回に限り、格安の価格が表示される。商魂逞しいのは良いとして、「定価」は何処へ行ってしまったのか。信用と格式を誇った「デパート」でさえこの有様だ。デパートもスーパー並みに近づきつつあるようだ。いくら競争とはいえ、長い目で見れば「適正価格」があってもおかしくないと思う。日本に久しく「デフレ」が続くのは、それも一因になっているではないか。目先のことばかり考えていると、このデフレからの脱却は無いように思えてならない。安く買いたい心理は分るが、消費者も安物漁りばかりしないで、「適正価格」=「定価」が普通になる時代が待たれる。ロンドンの街角で定価は何処へ・・・
日本人は真面目でよく働くと云われている。しかしながら、効率的でないとも言われている。世界基準でいえば、労多くして効率的でないということか。長時間労働や過労死が問題視されて、「働き方改革」となった。確かに慣行やしきたりで、ダラダラと働いてきた傾向はある。最近、サラリーマンの一部には、早く帰宅せずに、フラフラと寄り道して帰る人が増えてきたという。これを帰宅恐怖症の「フラリーマン」というそうだ。働き方改革で得た時間の有効活用に苦慮するようでは、何のための改革かわからない。まさに「小人閑居すれば、不善を成す」の例え通りだ。「働き方」を変えつつ、「余暇の善用」を同時に考え直す必要がある。スフィンクス像働き方改革について一言・・・
平和の使者・少女「グレタ」さんは「COP-25」でも活躍さしているようだ。人類の平和と生存を純粋に求める発言には、説得力とインパクトがある。世界の指導者達がこれを茶化したり、皮肉ったりすることは、とても許せるものではない。リーダーは静かに胸に手を当てて、謙虚に反省してみてはいかがか。純粋な怒りにもっと耳を傾けるべきではないか。「COP-25」は、成果を生むことなく終了してが、早く纏ってほしいものだ。「京都議定書」から早くも10年の月日が経過した。地球と自然は待ってはくれない。地球規模の破壊は、人類の破滅を意味する。第一次産業(農林・水産業)にも影響が出ているというではないか。自国優先主義には困ったものだ。萩・笠山からの日の出グレタさんは平和の使者・・・
カッパブックスで「死の商人」という書物を読んだ記憶がある。死の商人にとっては、利益を上げるには、破壊=戦争=武器の商いが手っ取り早いという。米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と戦争が続いて歴史的にも疲弊してきた。映画の世界にも、その凋落ぶりがあるように思う。1950年代には、第2次世界大戦も終結して、「映画」は大衆の最大の娯楽であった。サウンドオブミュジック、ローマの休日、シェーン、カサブランカ等夢とロマンに溢れる名作が続いた。アメリカ社会もその頃が絶頂期だったように思う。戦争は「死の商人」を潤すが、国は衰退を招く。名画は見終った後に得も言えぬ余韻が残った。いずれの名作も、そのラスト・シーンが今観ても印象的だった。平和なトラファルガー広場米国の凋落を映画に見る・・・
小泉内閣の頃、「自己責任論」が盛んに言われた。経済社会の構造改革を進める為のものだった。過保護となっていた「規制措置」を開放して、社会の自由な競争をより促そうとするものだった。その際叫ばれたのが「自己責任」だった。法律の趣旨は良かったが、「自己責任」が独り歩きして、無責任体制を助長してきた感がある。責任者の責任逃れのための「隠れ蓑」になってきたように思う。「規制」というタガを外すと、無法地帯となり、ブレーキが利かなくなってくる。自己責任も大切だが、逆手に取った悪用にも困ったものだ。アフガンで殺害された「中川哲」さんは「自己責任」として扱われたのか。テロ集団の犯行と見られているが、政府はもっと鄭重な哀悼の意を示すべきではなかったのか。他国の方が哀悼を示してくれているのを見ると、情けないやら恥ずかしくなってくる。シ...自己責任は無責任・・・
私は子供の頃から、あまり深く物事を考えずに行動してきたように思う。つまり、深く考えずに直観的に振舞ってきたようだ。何時の頃からか、理性的でありたいと願うようになった。少しは大人になろうと、努力したのだろう。理性を自らに求めるようになると、少々理屈っぽくなりがちだ。また、理性は定量的かつ論理的思考に走りがちだ。小異に拘り過ぎて、大筋を見誤ることもある。他方、直観は定性的であり、大発見・発明には不可欠な要素でもある。直観は長年蓄えてきた経験則だから。漱石の「草枕」に、「智に働けば角が立つ、流れに掉させば流される・・・」とある」が、理屈っぽくなると人から煙たがられる。「理性」と「感性」のバランスは、人間関係に大きな影響をもたらす。経験的に言えることは、「感性」は直観力であり、「閃き」でもある。「直観」は、時に的外れも...理性と感性は・・・
世界史で、「ルネッサンス」について学んだ。中世ヨーロッパで、宗教による抑圧から解放され、人間性を回復し、芸術や学問分野に画期的変革を成し遂げたことを「ルネッサンス」という。デジタル革命は、「現代版・ルネッサンス」に該当しないだろうか。それほどに世の中を変えつつある。スマホ、SNS、YouTube等々上手く活用すれば、人間性の復興(ルネッサンス)になりうる可能性がある。巷の名も無き貧しい人でも、ネットを使って世界に向けて発信することができるのだ。為政者にとっては、時には脅威になるが、悪政には有効な抗議手段となりうる。有効に活用して、現代社会の改革に役立つ「ルネッサンス」の再来を期待したい。お伽の国・ノイシュバンシュタイン城デジタルは「ルネッサンス」の再来となるか・・・
オスプレイを岩国基地に受け容れた頃から、騒音が激しくなってきた。テレビやラジオを聴いていて、時には聴き取りにくいことがある。夜には夜間訓練が行われるのか、低空で凄い轟音が響く。住民も苦情を申し入れるが、改善の兆しが見えない。沖縄にある基地も同じだろうと推測される。独立国としてこれで良しとするのか、甚だ疑問だ。米国の核の傘にあるとはいえ情けないことだ。日米安保に地位協定、抜本的に見直す時期に来ている。沖縄県民の心労がよく理解できる。岩国基地の騒音は拡大して、その内に反対運動が巻き起こるのではないかと案ずる。スエズを航く騒音激しく、岩国基地・・・
人間は、自然の営みの中で生まれ、やがては死に至る。権力者であろうとも金満家になろうとも死は確実に平等に訪れる。最近になって、私は二度の大病を患った。退院に際して「よくぞ生きて帰れましたね」と、主治医から言われた。「脳幹梗塞」とはそれほど重篤な病だったんだと知らされた。恐らくは現代医療を駆使しての生還だったのだろう。重病の患者さんは、「あと余命✖✖か月」と宣告されても、生き永らえている人がいる。私の場合は、即死に近い状態だったと思うが、今なお生かされている。人間の生命力は不思議なもので、医学では説明できない何かがあるようだ。精神力や気力が作用しているのかもしれない。生命の不思議と神秘さは、未だ、解明されていない。頂いた命は、余禄の人生として残された日々を生き抜きたい。太古からピラミッドは泰然と生命はいまだ解明されず…
情報化時代を迎え、メディアの進化は止まるところを知らない。まさに第4次産業革命の感がある。スマホの普及とともに、一億総カメラマン時代になった。5Gの時代を迎え、ますます進展を続けるだろう。スマホには「連写する機能」がある、「YOUTube」で簡単に動画をネットに乗せることができる。事件・事故に遭遇すれば、直ちにアップロードすることができる。一億総報道官時代の到来である。監視カメラ・ドライブレコーダーとともに、常に、お天道様に見られている状況で、凄い世の中になったものだ。悪用されると困る事態も予想される。使い方には慎重であって欲しい。犯罪や不祥事の証拠として活用すれば、嘘や誤魔化しは通用しなくなる。監視社会にならぬようにも願いたい。銀座の夜「YouTube」畏るべし・・・
如何なる境遇にあろうとも、人は心身一体となって初めて存在する。心の在り方は肉体をも左右する。心の構造は階層を成し、その表面は感性と理性があり、最も深層の部分に良心があるのではなかろうか。肉体が魂を包む外套とすれば、良心は魂=霊と共に存在すると思う。魂は「霊」であり、正義に反する言動を厳しく見張っているのではないか。正義に反すれば良心=魂が敏感に反応する。魂=霊は肉体が滅びても、永遠に不滅というが、「心」の奥には神殿があるのではないか。良心とは心の奥の奥にある「神殿」のように思う。嘘には良心が疼き、悪を働けば良心の呵責が待っている。これは、魂=霊=良心の世界ではなかろうか。「魂」という言葉は軽々に使ってはならない、良心は人間の心に備わった「核心」なのだ。香典に「御霊前」と書くのには、深い意味がある。良心に恥じない...良心は心の神殿か・・・
地位や名誉や富を築いて、成功した後、なお求めたいものがあるとすれば、それは何だろうか。それは心の安寧という人がいる。人間の究極的に求めているのは心の「安らぎ」だという。人は富や名声を求めて、アクセクするが、成功したからといって、なお、達成感は得られないのは何故かか。築いた富も名声もあの世へ持っていかれないからだろう。達成感がなければ、虚無感だけが残るだけだ。心は空しくなるばかりだろう。せめて、他人様のために尽くしたならば、満足感は残るのではないか。そんな心境が解るようになった今、これから何をなすべきかが大きなテーマだ。未来のある若者に残すものは、経験から学んだ知恵と励ましの言葉ではないだろうか。バッキンガムの衛兵功あって、なお、求めめたいものは・・・
「桜を見る会」や政治腐敗」を追求するとき、官僚たちの立ち位置が曖昧になってきてはいないか。政府の行政を担っている官僚の国会答弁は、「知らぬ・存ぜぬ・破棄した」一点張りだ。彼らは一体誰に為に仕事をしているのか、疑いたくなる。公務員は公僕であり、中立の立場であるべきだ。幹部官僚の人事権を「総理府(官邸)」に握られているから、官邸を忖度して答弁しているのではないか。国民軽視といって過言ではない。彼らは官邸の鼻息を窺っている。いわゆる「上目ビラメ」と言われても仕方がない存在に成り下がっている。政治主導の人事権は、高級官僚の姿勢を歪めてしまっている。腹の座った官僚の出現を期待してやまない。国民の期待に応えてもらいたいものだ。「文書改ざん」や「虚偽・隠蔽」はあってはならない。お天道様が見ているぞ・・・。窓ガラスに紅葉上級官僚の泣きどころは人事か・・・
先日、久しぶりにテレビで「キューポラのある街」を見た。初めて上京した時、新宿の映画館で観たように思う。貧乏な家庭で懸命に生き抜いていく青春物語であった。主演は「吉永小百合」さんのデビュー作だった。当時の日本は、まだまだ貧相な暮らしをしていた時代である。貧乏な家庭で卓袱台を囲む家族の団欒が目に留まり、なんとも懐かしい思いが蘇ってきた。貧しくても温かみのある家族の姿を、そこに観た。初めて鑑賞してから50年以上経つが、当時の心温まる人情が今存在しているか。みんなで合唱していた「手のひらの歌」が懐かしく心に響いてきた。♪♪苦しいときには、見つめてみよう、仕事に疲れた手のひらを、独りだけが苦しいんじゃない、みんなみんな苦しんでいる・・・♪♪。当時の日本には、未来に向けて夢と希望と青春があったように思う。見応えのある作品だ...「キューポラのある街を」久しぶりに観た・・・
いよいよ師走に突入した、先週から寒さが一段と厳しくなってきた。寒さは脳梗塞にとっては大敵である。血管が収縮して脳梗塞の引き金になりかねないからだ。「脳梗塞」を再発すれば、命取りになる。既往歴のある人間には健常者以上に注意しなくてはならない。午前中のウォーキングは控えることにして、室内で行うことにした。午後には暖かくなるので、約2キロの散歩を続けることにしている。秋は文字通り釣瓶落としとなり、春暖の期間も同様に短くなってきた。地球温暖化の影響で日本の四季が失われつつあるのではないか。春秋の行楽期間にはゆったりした季節感を楽しみたいものだ。日本の四季は庶民にとっては宝ものと言っても過言ではない。啄む丹頂日本に四季が無くなる・・・
コミュニケーション・ツールとしてツイッターやSNSなどは便利な手段である。伝えたいことを簡単に相手に伝えることができる。最近では動画にも、適用できる。緊急事態となれば、速報も可能だし、世はまさに情報化時代だ。それらが善用されれば問題はないが、悪用されると大変な事件・事故となる。最近の事件・事故を見ていると悪用されるケースが多いのに驚く。「✖✖と鋏は使いよう」というが、悪用されないことを願いたい。子供達の使用にも注意を要する。便利の裏側には、凶器にもなり得るし、誤って使えば怖ろしいことになる。良きにつけ、悪しきにつけ、情報は一瞬にして世界中を駆け巡る時代になった。犯罪も世界規模に変わってきた。只今休憩中ツイッター、SNS等の悪用は怖ろしい・・・
Windows7を約10年間使ってきた。使い慣れると、バージョンアップは避けたくなる。過去には一度、Windows10に変えてはみたが使い難く、Windows7に戻した。マイクロソフト社のサポート期限が2020年に迫っていることから、思い切ってWindows10に変えてみた。最初の1か月は使い慣れないで苦労したが、慣れればその機能は格段に優れていることが解った。今では約3か月使ったことになるが、どうにか使いこなせるようになった。何事も「使い慣れる」ことが肝心と気が付いた。これまでにどれ程「食わず嫌い」で済ませてきたことか、反省することしきり。終りを告げる紅葉使い慣れると、Windows10も・・・
物事に素早く反応する人もおれば、鈍重な人もいる。反応の鈍い人を、「血の巡りが悪い」ともいう。血管は体中に張り巡らされていて、生きるための栄養と酸素を送り届けてくれている。また、血管には、動脈・静脈・毛細血管があって、体の隅々まで血液を循環させてくれている。この度の私の「脳梗塞」は「脳幹梗塞」と診断され、「動脈」に梗塞があった。МRIで検査したところ、他にも毛細血管が2~3か所に梗塞があることが解った。多分、それが後遺症の原因になっているのだと思う。「毛細血管」と侮ってはならない、細くて微小でも、チャンと重要な役割を果してくれるのだ。放置しても、バイパスが形成されて、時間とともに治癒することがあるという。血液が十分に身体を巡ってこそ、健康は保たれているのだ。毛細血管の梗塞を修復して、早く血の巡りを正常に戻したいと...血液は巡ってこそ・・・。
長寿100歳時代を迎えて、テレビもラジオも健康番組のなんと多いことか。先ごろ、テレビチャンネルを廻したところ、「健康番組」に出会った。健康を保つには、「ロング・ブレス(深い呼吸)」が大事だという。納得いったので、興味を持って聞くことにした。吸うを短くし、吐くを長くして、体内の空気を全て吐き出せとのことだった。子供の頃、父から教わった「深い呼吸」そのものだった。今でも時折、実践するが、長続きしない。「健康の源点」は「深呼吸」にあるのかもしれない。孫達にも伝えておきたい。或るお寺の紅葉健康の源点は呼吸にあり・・・
政治の不祥事は相変わらずだ。今年に入って早くも二人の大臣が辞職した。叩けば、どんどんと埃が出るようだ。彼らを任命した総理は、口先だけで責任を取らない。無責任国家といわれれても仕方がない有様である、情けない。権力ある所には、甘い汁を求めて人は集まる。日本の場合、それが「後援会」という「伏魔殿」だ。私も何度も「後援会」に加入するよう勧誘を受けたが、「うさん臭い集団」と断ってきた。政治家の不祥事と「後援会」はセットになっているようだ。政治家は問題が指摘されれば、「秘書」か「後援会」の所為にして逃れようとする。これを叩けば、不祥事は減るのではないか。政治家の身体検査は、「秘書」と「後援会」を徹底的に洗うことと見た。紅葉の終焉後援会という伏魔殿・・・
リハビリに明け暮れているうちに、何時の間にか師走になってしまった。今年は賀状の整理を早めたために、11月中に書き終えてしまった。毎年のように、焦らず済んだようだ。1通づつ、相手の顔を思い浮かべながら、コメントを書くのは楽しい作業だ。今年は、1行で簡潔にメッセージを記すように努めた。1行でいかに自らの気持ちを相手に伝えるかが勝負だ。賀状によるお付き合いは、さっぱりと整理することにした。整理に際しては、未練の残る方々も多くあったが、思い切ることにした。来年からは賀状が少なるなり、寂しくなるが・・・。年の瀬はゆったりするとしよう。冬の訪れ師走は気忙しい・・・
合理主義者には、益の見込めないものは、すべて「無駄・無益」と思われがちである。役に立たないものは、「無駄」だと切り捨てて仕舞いがちだ。「チコちゃん」によると、「肩こり」は、無駄な動きをする子供には起こらないらしい。大人は、デスクワーク等同じ姿勢でいる時間が長くて「肩こり」が起り易いという。「無駄」を無くすことは結構なことだが、大袈裟に言えば、世の中は「無駄」で成り立っているのかもしれない。「無駄」のない社会は、荒涼として「味気ない社会」だろう。「人情」は不合理な「無駄」で成り立っている社会かもしれない。人間社会にあって、「役立たず」と言って捨て去るものは、余り多くないように思った。松島の想い出世に無駄なものはない・・・
地域の中核病院は、連日賑わっている。かくも病人が多いのかと驚く、大方の人は、お年寄りだ。処方された薬を待つ人の多いのと、受け取る薬の多さにも驚く。まるで病院は、「薬の販売店」のようだ。察するに手遅れで重病になって訪れる患者さんなのだろう。中核病院は町医者や診療所から紹介されてきた重篤な患者さん達で、社会の縮図を見ているようだ。私もその内の一人だ。何故、未病の間に治療しておかなかったのかと悔やんでいる。大切な事は、未病の内に対策をしておくべきだったと反省している。現代の医療は、事後処置が主流になっている。自己の管理責任だが、予防対策の遅れが致命傷に成りがちだ。医療も生活指導等患者に対する助言にも力を注いで欲しいものだ。咲き誇るアンネのバラ医は仁術というが・・・
1940年頃までは、海外旅行は稀だった。恵まれた方達の特権だったように思う。高度経済成長が進むにつれ、一般の人々も海外旅行を楽しむようになった。団体ツアーで大勢の人達か゛欧米の各地へ出かけていった。パリではツアー客で溢れかえり、高級ブランド品を買い漁って顰蹙をかった。現在では、修学旅行・新婚旅行でも海外旅行は当りまえの風潮に変ってきた。日本を訪れる観光客を見ていると、丁度50年前の日本人を見ているようだ。京都など主要観光地では、外見では日本人と変わりない人達が、大勢見られる。彼らが使う言葉を聞くと、初めて外国の観光客とが判る。宮島では、過去には欧米人が多く見られたが、最近ではアジア系の人達が特に多い。それが、アジアが豊かになってきた証拠だろう。宮島の紅葉海外旅行の今昔・・・
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