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たつや(雑賀弘行)さんのプロフィール

住所
城東区
出身
福島区

「いにしえララバイのブログ」の内容 http://historyman.blog.jp/archives/cat_325686.html タイアップしている任意団体 「隠された古代史を探索する会」 http://www.kodaihistory.org/

ブログタイトル
いにしえララバイのブログ
ブログURL
http://historyman.blog.jp/
ブログ紹介文
にほんブログ村に帰ってきました。以前は、Yahoo!のブログで投稿していましたが、2019年12月15日でブログのサービスを終了。そこで、Livedoor Blogに移転しました。今後も「いにしえララバイのブログ」をよろしくお願いします。
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たつや(雑賀弘行)さんの新着記事

1件〜30件

  • 中国とヤマト王権の<倭国>の認識

     中国側から日本を表すのに「倭」を使用し、この表現は紀元前1,000年頃、周王朝から独立し、呉を建国した太伯・虞仲時代からのようです。その当時の倭人の風習は、髪を短く切り、刺青をする。これは、海に潜って魚を捕る素潜りのため。この様相は、呉国の海岸線の人達とよく

  • お茶の話

     日本茶は、世界でも例のない製造方法で作られています。それは、原木のチャノキの葉っぱを「蒸す」という工程です。それは、酸化や発酵を防ぎ、蒸し終わった葉っぱを乾燥させる。そのことによって、緑茶が出来るわけですね。乾燥させた茶葉にお湯を注ぐ。私達がよく飲むお

  • 任那とヤマト王権の関係

     戦前までの任那に対する認識は、紀元前3世紀頃の弁韓=任那。そして、任那は倭国(日本)の領土。『日本書紀』に記載されているように、任那日本府が存在した。神武天皇が橿原の地で即位したのが、紀元前600 年頃だと信じられていた時代だから、任那はヤマト王権の領土だと

  • カバネから見える初期ヤマト王権

     倭国大乱の時代、2世紀から3世紀頃、日本では「倭国」とか「ヤマト王権」と言った統一国家ではなく、縄文時代からの集落の延長線上にある小さな国が存在していた。その小国には、稲作を中心にした人達や多少の土器、青銅器、鉄器などを製作する工房があり、そこで作業する

  • いにしえララバイ 3-4-1

    第3部 大和朝廷樹立 第3章 伊都から援軍(1) 娜国を攻略するために、イハレビコ達の拠点となる岡田の宮殿に重臣達が集まってきた。その中には、日向からのイッセに従ってきた家来の他に、豊の国からイハレビコのお爺さんにあたるワタツミの家臣やウサツヒコの家来も含ま

  • 富士山とさくらの話

     富士山は、どの場所から見ても綺麗な山の姿を見せていますね。この美しい姿はいつ頃から存在しているのでしょうか。富士山の形は、滑らかな斜面状になっていて、古来の大和言葉で、そのような形態を「フジ」といった。現在の「富士」という漢字が使われる前、『常陸国風土

  • ヤマト王権の領土分配とカバネの話

     弥生時代中期における国としての体裁は、どのようになっていたのだろうか。その当時の人口と実際の住居環境は、どのようになっていたのだろうか。学問的には、歴史人口学という分野。その第一人者で、現在、静岡県立大学の学長をされている鬼頭宏先生によると、縄文時代晩

  • 屯倉と部民制と姓名の話

     縄文時代晩期に水田式稲作が九州北部で始まり、血族関係の各集落によってコメの収穫を分散して生活をしていました。弥生時代の初期までは、平和で平等な社会だったと思われます。現在でも、世界でも有数の平和国家を構築しているのは、過去の農業主体国家が長く続いた日本

  • 土偶とひな人形の話

     人の形をした造形物の最古のもの。人形の起源が今から約13,000年も前、縄文時代早期の土偶。この土偶は、滋賀県の永源寺の近くの東近江市永源寺相谷町の相谷熊原遺跡から発見された。この時代に竪穴式住居が現れたころで、新石器時代の人たちが永住し出した頃。縄文人の始

  • 若木・建木・扶桑の神木と仙人信仰

     神社を訪ねると森林に囲まれた環境にあり、中には巨木にしめ縄が巻かれた風景が見受けられる。古代人は、高い巨木頭上に天、神が宿ると考えていた。神社の発生は、いつ頃か等、定かではない。気温が低い山岳地帯で、落葉広葉樹林系のドングリやクリを主食にしていた縄文人

  • おかめ・ひょっとこの話

     現在では、美人でない女性のことを「おかめ」、おっちょこちょいの男性のことを「ひょっとこ」と軽視する言葉をあまり使わなくなった。おかめの面は、頬が膨らんでいて、ひょっとこの面は、片目で口を尖らせている表情、戦前までは大衆の娯楽、民間芸能でよく使われた。村

  • 吉野ケ里遺跡と邪馬台国の関係

     邪馬台国論議で、1986年に吉野ケ里遺跡が発掘調査されて以来、『魏志倭人伝』で出てくる邪馬台国の位置について、佐賀県唐津市の末ら国や福岡県糸島市の伊都国の位置と共に、邪馬台国が吉野ケ里遺跡ではないかと話題になりました。発掘されるまでは、大規模な遺跡、糸島市

  • 和凧と木工芸の話

     昔、正月には川縁りなどで凧上げをよく見たものです。最近は少なくなりましたね。凧揚げが盛んになったのは、江戸時代からのことでわりと新しい。現在では、ナイロン製の凧(洋凧カイト)が見られますが、江戸時代の凧は葛飾北斎が描いているように、竹で長方形に骨組み、

  • 鹿→志賀→滋賀と変化した言語と安曇氏との関係

     滋賀県の方言アクセントは、シガの「ガ」にアクセントを置くそうです。全国的な標準語では「シ」に置きますけれどね。福岡県の志賀島や長野県の志賀高原のアクセントはどうなのか。この志賀のアクセントは、「ガ」にアクセントを置きますね。この高原には志賀山があり、約2

  • 縄文の海人が占領した壱岐島

     壱岐島は長崎県に所属し、山岳地帯の多い対馬列島に比べて平野部の多い島です。『古事記』の国産み神話では、イザナギとイザナミがアメノヌボコをアメノウキハシから大地をかき混ぜて矛の先から落ちたしずくからオノゴロジマができ、その後、大八島を生み出していく。その

  • 琵琶湖北湖の湖底遺跡

     琵琶湖といっても現在の形になるまでは、凄い歳月を費やしました。今から30万年程前、琵琶湖の原型ができ、徐々に現在の琵琶湖に近づいていきます。縄文時代初期には、現在の琵琶湖より一回り小さな形で、彦根から坂田の間に入江内湖があったが、現在は米原市入江になって

  • 鉄器導入による経済・政治状況

     現時点で、日本での鉄器の最初の工房らしきものが発見されたのは、平成23年3月~5月にかけて、発掘調査がおこなわれた長崎県島原市有明町所在の小原下遺跡2区。縄文時代晩期の地層で、地面を掘りくぼめた炉のような遺構から鉄滓が発見された。縄文時代には、竪穴住居の中に

  • 鏡と化粧の話

     鏡と言えば、透明ガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属のめっきを塗って、さらに酸化防止のため銅めっきや有機塗料などを重ねたもの。女性の化粧には欠かせない道具ですね。このガラスの鏡が日本に入ってきたのは、わりと新しい。大航海時代にキリスト教と共に日本に

  • 物部氏と中臣氏

     人の名前をあらわす表現に氏名と姓名があります。氏名という表現は、公文書に使われ、姓名は一般的に名字を表します。氏名と姓名を使い分けされています。氏とは、古代の氏(うじ)として男系祖先を同じくする同族集団から来ていて、古代中国では同一の先祖から出た血縁集

  • (仮説)集落から氏姓制度へ

     太古の時代、稲作が浸透していく過程で、生活や経済基盤として血縁関係にある一族の集団が形成されていった。水田の土地や水路の確保が集団規模を決定し、各集団での争いや婚姻関係により、大きな集落が九州を中心に中国・四国地方、更に近畿地方へと広がっていった。これ

  • たつやの古代旅日記 7-4

    第7章 温故知新 第4節 たつやは、流正の先輩の「ヤマト王権の政治拠点について」の講義を最後まで見終えた後、ふと助手時代の「稲作の発展と灌漑の進歩」を思い出した。 「流正くん、貴重な先輩の講演を見せて頂いて、ありがとう。この講演を見ていると私が助手時代に北摂

  • 三嶋王権を探る

     神武天皇が橿原の地で天皇に即位し、三輪山を支配していた大物主神または、三嶋湟咋(加茂建角身命・八咫烏と同一神)と玉節姫から生まれた娘、媛蹈鞴五十鈴媛を皇后に迎える。記紀ではそのようになっていますが、実際には神話の世界での話。この神話を2世紀から3世紀のこ

  • ウッドサークルと仮面

     ウッドサークルを取り上げる前に、サークルの起源、ストーンサークルを。日本でも、最初に発見された北海道小樽の忍路環状列石、それに続くように東北秋田の大湯環状列石が有名で、おおよそ縄文時代中期後半から後期、紀元前2,000年~紀元前1,000年の間頃に作られている。

  • 古代から現在までのウイルス感染

     コロナ旋風が日本に押し寄せている現在、そんなウイルスが日本を直撃したのは、コロナウイルスだけではなかった。江戸時代末期から明治時代初期に大流行した結核菌もその一例です。その当時は、「労咳」と言われ、幕末の高杉晋作、新撰組の沖田総司、文芸人では、森鴎外や

  • たつやの古代旅日記 7-3

    第7章 温故知新 第3節 ホテルマンがドアをノックした。そして、コーヒーが運ばれてきた。 「先生、継体天皇の話がでてきたので、私の先輩が継体天皇を中心にして、ヤマト王権の政治拠点について講義されていますので、見てみませんか。」  「う~ん。さっきの居館の話と

  • 蝦夷のアイヌ人論争

     現在、蝦夷地とは北海道を指しますね。日本政府が日本の先住民として認めたアイヌ人。そのアイヌ人が北海道に永住しているので、蝦夷というとアイヌ人という固定概念をお持ちではないですか。北海道は確かに、本州と違った形で歴史が進んでいたのは確かで、縄文文化が永く

  • 邪気と疫病

     令和時代が始まったばかりなのに、新型ウイルスコロナのおかげで世界中が大混乱に陥っています。感染が市中にまで広がりをみせていて恐ろしい事態になってきました。そんな時、心がけないといけないのが平素の規則正しい生活です。睡眠を十分にとり、手洗いやうがい。それ

  • たつやの古代旅日記 7-2

    第7章 温故知新 第2節 たつやの講演の日、朝早くから流正はたつやが宿泊しているホテルにやって来た。 「先生、おはようございます。」 「渡部くん、おはよう。昨日、少し心斎橋から道頓堀辺りを散歩がてら歩いてきたよ。道頓堀も昔に比べてきれいになっていたね。それと

  • たつやの古代旅日記 7-1

    第7章 温故知新 第1節 正月も過ぎ、授業が始まる前に大阪の知人、畑山俊一先生から講演依頼があった。大阪に行くのは久しぶりで、たつやが助手の時代に「稲作の発展と灌漑の進歩」という論文を作成するために、仁徳天皇が行った茨田堤で河内平野を調査したことがあった。 

  • 【私考】古事記 イザナギとイザナミの決別

     イザナミがカグヅチによって死んでしまいます。それでも、神なのですね。黄泉の国、イザナミの故郷、出雲に身を隠したのです。そこで、イザナギはイザナミに会いたくて出雲まで会いに行きます。そこで、イザナギはイザナミに会うことができます。しかし、その姿は腐敗して

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