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いにしえララバイのブログ http://historyman.blog.jp/

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たつや(雑賀弘行)
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2019/04/29

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  • 卑弥呼の世界 後編8-3

    第8章 親子の再会 第3節 物部伊那部は、裏山から薪を担いで帰ってきた。そして、祭事場に薪を肩から降ろして、薪を組んだ。集落の人達を祭事場に集まるように声を掛けた。伊那部の住居に。 「おぉい、お祝いだ 祭事場に来い みんなが集まるぞ」 そう声掛けた時、日向馬の

  • 卑弥呼の世界 後編8-2

    第8章 親子の再会 第2節 物部日向馬は、息長遼瀬依を連れた布留の里に戻った。この里では、布留川から水路を造り田んぼに水が流れるようにしてあった。物部一族は、普段、この地で農作物を作り、稲の栽培をして、自給自足の生活を送り、いざ戦いになれば男子は戦場に行き、

  • 卑弥呼の世界 後編8-1

    第8章 親子の再会 第1節 開化天皇が大倭国に着いて、崇神天皇が新たな天皇に就任した宮殿の居間での集まりが終わり、それぞれに思いを噛みしめながら宮殿を出た。そこには、開化天皇に付いてきた1000人程の竪穴式住居も用意されていた。息長遼瀬依にも宮殿の側に住まいがあ

  • 卑弥呼の世界 後編7- 6

    第7章 いざ大倭国へ 第6節 開化天皇は宮殿に入り、居間の正面に座った。そして、物部大綜麻杵命と物部伊香色雄命は対面で座り、左側に息長遼瀬依以下、今まで開化天皇に同行してきた面々が、右側には物部日向馬以下、物部大綜麻杵命の配下の者が座った。 「皆の者、これか

  • 卑弥呼の世界 後編7-5

    第7章 いざ大倭国へ 第5節 物部日向馬は、首長の日下部途美倭(くさかべとみや)に会うため、草香邑に向かった。 「ヒュウマさん、白肩の浦に得体の知れない船団が近づいて来て、大倭国に攻めるのではないかと それで孔舎衛坂から攻撃しました 激戦になったのですが、敵軍が

  • 卑弥呼の世界 後編7-4

    第7章 いざ大倭国へ 第4節 五所の里で鉄器の軍備品が完成し、吉備からの軍勢も高島宮に集まって来た。おおよそ、その吉備の軍勢を合わせて、1000人程が集まり、大倭国に行く船も息長一族、安曇一族、和邇一族合わせて100隻以上になった。その先頭には、安曇の船で海路を誘導

  • 卑弥呼の世界 後編7-3

    第7章 いざ大倭国へ 第3節 開化天皇の指示で、息長一族は五所の里で密かに鉄器の軍用品を作り、それも大詰めに差しかかった。その軍用品の運搬は安曇一族が担当していた。墨ノ江の里から群家の里経由で高島宮へ。その運搬船に曽根の里や四ツ池の里に派遣されていた大伴賀馳

  • 卑弥呼の世界 後編7-2

    第7章 いざ大倭国へ 第2節 和邇日田斗は、中臣摩耶彦や息長遼瀬依との再会に笑顔で応えた。そして、宮殿に向かう時に部下に。「馬を連れてこい」と声を掛けた。開化天皇に貢ぎ物として、韓の国から連れてきた。 日本に蒙古産の馬が入ってきたのは、弥生時代後期でモンゴル

  • 卑弥呼の世界 後編7-1

    第7章 いざ大倭国へ 第1節 275年に晋国の洛陽で疫病が流行り、この疫病は結核だと推定できる。晋国の武帝(司馬炎)もこの結核に罹ったようです。それまでの日本では結核菌など存在しなかった。この結核菌は、中国から朝鮮半島に。そして、日本に上陸した。韓の国との付き合い

  • 卑弥呼の世界 後編6-3

    第6章 兄弟の出会い 第3節 息長遼瀬依は高島宮に着いて、開化天皇に会うため、宮殿に入った。その時、大倭国からの来客が来ている事を聞いた。 「リョウセイ、いい時に帰ってきた 今、大倭国の物部大綜麻杵命から使者が来ている 物部日向馬と言って、以前、日向にいている

  • 卑弥呼の世界 後編6-2

    卑弥呼の世界 後編6-2  息長遼瀬依は母親の葬儀を終え、遺体を甕棺に入れて、土を掘り、埋めた。そして、謎めいた話、今まで知らない話。兄弟がいる。果たして、兄弟がいるという話だけで、後は何も分からなかった。納棺する時に現れた老人がいた。彼は、昔、息長安操の下

  • 卑弥呼の世界 後編6-1

    第6章 兄弟の出会い 第1節 息長遼瀬依は中臣摩耶彦と別れ、濊人の鍛冶技術者を多家の里へ連れて行った。多家の里では、蘇我三千比古が木ノ山で500枚の三角縁神獣鏡の複製を作り終えていた。その後、開化天皇一行は、吉備国の高島宮(岡山県岡山市南区宮浦)に移る。この高島

  • 卑弥呼の世界 後編5-8

    第5章 邪馬台国の終焉 第8節 中臣摩耶彦が数日、原の辻の里で滞在していただろうか。ある夕暮れの日に内海湾に晋国で作られたと思われる船が現れた。そして、原の辻の里の船着場に。その船から晋国で誂えた服装で降り立ったのは掖邪狗でした。 「エキヤクさん、お帰りなさ

  • 卑弥呼の世界 後編5-7

    第5章 邪馬台国の終焉 第7節 中臣摩耶彦を乗せた和邇水軍の船は、壱岐島の内海湾(うちめわん)から幡鉾川(はたほこがわ)の河口から原の辻の里の船着場のある幡鉾川を上った。幡鉾川は、河内川とも言われ、原の辻の里(長崎県壱岐市芦辺町深江栄触・深江鶴亀触)が壱岐の

  • 卑弥呼の世界 後編5-6

    第5章 邪馬台国の終焉 第6節 和邇日田斗は馬忽の里に行き、濊の酋長にあった。そして、鍛冶技術者を集めて貰うことを依頼した。濊人は人の頼みを素直に聞く性格を持ち、裏切ることはしなかった。そして、鍛冶技術者を10人程用意してくれた。その準備が整うまで中臣摩耶彦は

  • 卑弥呼の世界 後編5-5

    第5章 邪馬台国の終焉 第5節 和邇日田斗は、若狭地方を本拠地とした海人系の和邇一族の出身で、日本海を挟んで朝鮮半島東海岸中部の元山湾(朝鮮民主主義人民共和国江原道元山市海岸洞)に渡った。この地には濊人が多く住み、太陽信仰を持つ鍛冶集団から鉄器を仕入れていた

  • 卑弥呼の世界 後編5-4

    第5章 邪馬台国の終焉 第4節 掖邪狗一行は、牙山の里に着き、帯方郡に向かう。帯方郡では卑弥呼の生前時代の帯方郡太守(弓遵)は、治めていた地元の中心となった首長が反乱を起こし、鎮圧している間に戦死し、太守がいない状態になっていた。それも魏国の弱体が原因の一つ

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