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kame710のブログ https://kame710.hatenablog.com/

55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています

カメキチ
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2019/02/15

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  • 2023.7.31 「不真面」のすすめ

    ともかく、これをお読みください。 (愛読のよんばばさんの記事です) hikikomoriobaba.hatenadiary.com とても考えさせられた。 (私は、政治は一人でも多くの人が暮らしやすい世の中、社会にするためにたいせつなことだと考え 若いころは積極的に、以降もそれなりに関わってきたけれど、年老いたいまは、日本の政党政治に うんざりし、正直、投票さえ投げ出したくなっている) 人間、自分の思いどおりにはならない。自身ばかりか他人も。 社会も望みどおりにはならない。 そもそも、生まれたとき、人生の出発点から(後にふり返ってみれば)思いどおりに なっておらず、人それぞれの違いがあり、差が…

  • 2019.728 いまの水のみ鳥

    4年前の2月1日に「水のみ鳥」(名前は「ピーちゃん」)、同じ年の8月18日と 翌年11月10日に「その後」という記事を書いた。 水のみ鳥は、若いころ喫茶店かどこかで見た懐かしさから、たまたま旅先で見つけ 買ってきた。 アヒルのような鳥(ガラス製)の置き飾り。 くちばしが水に浸される(飲んでいるみたい)だけで、(壊れなければ)いつまでも ギットンバッコン…、シーソー遊びのような動きを続けてくれる。 ーーーーー 朝起きたら水を用意、夜寝るとき水をとり、特別な用事のないかぎり日曜以外 (日曜は休みと決めている)、忘れないかぎり、毎日のます。動かす。 いまも元気。 今日は動画でいきます。 (水飲み《そ…

  • 2023.7.25 「あるがまま」を「あるがまま」に見る

    今日は『あるがまま』を『あるがまま』に見る」ということです。 ② 「あるがまま」を「あるがまま」に見る」 「(仏教の大きな教えの一つ、「中道」は)苦行にも楽業にも偏せず、 しかも「あるがまま」を「あるがまま」に見るというところに基盤をおく… そもそも仏教は風土や気候・時代・社会に合わせて新しい経典が制作されるべきものであって、 唯一絶対の教えや聖典でなければならぬというものではない … 仏教の智慧は、「あるがまま」を「あるがまま」に知見したとき、自ら生じる働きを伴うもの… そのような働きを伴わない智慧は本当の智慧ではない… 社会的な不正を「あるがまま」に知見することは、不正をそのまま放置するの…

  • 2023.7.21 業

    『仏教思想の発見-仏教的ものの見方-』 森 章司 著 「仏教的ものの見方」という副題にとても惹かれて読んだ。 実家は浄土真宗だけど、私が仏教に目覚めたのは、親鸞ではない。 (後に有名な「悪人正機説」という教えを知り、大きな衝撃を受けた) 突然の事故で障害者になり、「これからどういう気もちで生きようか?」と迷い 悩んでいたとき、本屋でたまたま手にとった禅語の文庫本からだった。 初めは禅語に凝縮された禅の教えだったが、そのうち仏教全般になった。 仏の教えだ。 仏教のどの本も、ためになることがいっぱいあった。 ところが、どれほど読んでいる最中、読後は感激していても、 悲しいかな私はすぐ忘れる。 忘れ…

  • 2023.7.18 〈私〉のこの肉体だけは、〈私〉にとって奇跡

    最後です。 この本は〈思考〉〈環境〉〈世界〉…といった概念がよく使われ、抽象的な議論が 多いので脳を酷使する。ちょっと疲れ、続けて読むのがイヤになった。 けれどもガマンし、大切なことが述べられていると思い、ムリして読んだ。 (ガマン、ムリをしてでも読んでよかった) 今日のところでいちばん深くうなずいた部分は 「私が存在することの自明性について」の部分と、 その私(自分)というのは、(あたり前のことですが)必ず「肉体」をともなっている ということ。 私のこの「肉体」は、私でしかあり得ないという事実。 「〈私が存在することの自明性について〉 「死」も「私が存在することの自明性」も…私たちの中に定着…

  • 2023.7.14 思考と視覚イメージ

    今日は2回目です。 「思考は第一義的には生きていくために、動物ほどは鋭くはない感覚の埋め合わせをしている。 動物は〈環境〉に対応して生きている… 人間にはまだ〈環境〉はあっても〈世界〉はない。… 〈世界〉という概念が生まれるためには、抽象思考が可能になっていなければならない。… 抽象を取り込んで以来、思考とは〈環境〉を離れて〈世界〉を対象とするものとなった … 科学とは、〈世界〉を〈環境〉のメタレベルと位置づけ、〈環境〉の中から個別の〈環境〉を離れた すべての〈環境〉に適用可能な一般則、つまり〈世界〉の法則を見つけ出そうとする考え方… かたや宗教や神話の〈思考〉が、〈世界〉を作り出す際に〈環境…

  • 2023.7.11 『世界を肯定する哲学』

    『世界を肯定する哲学』 保坂和志・著 (グーグル画像より) 書名にコロリと惹かれて読んだが、哲学者の本ではなかった。 (保坂さんは小説家だった) 「世界は…人生は…」という話が哲学的にでなく文学的にされている感じだった。 書名のとおり、それらを「肯定する」方向で書かれていた。 文学的な感性が足りない私には、内容がちょっと難しかったけれど、 読んでほんとうによかった。 しかし、何がよかったのか言ってみ!と言われたら、しどろもどろになって うまく言えそうにはない。 (すごく大事なことが述べられていたと思うので、ブログ記事として書くことによって反芻、 吟味してみたい。著者の意をきちんとくみ取っている…

  • 2023.7.7 「あれあれ以降」

    7月。夏になった。 あのときは(ことしは早く)ソメイヨシノは散り、遅咲のシダレやハナミズキが 満開だったことが印象ぶかかった。 3か月すぎた。まだ3か月か… でも、もう3か月。 ーーーーー 障害者。 自分のような、杖つく姿からハッキリとわかるものではなくとも、ツレも仲間に なったと思っている。 その私は今月でちょうど17年目の(自慢じゃないが)「大先輩」。 彼女なんか「ヒヨッコ」だ。 (「大先輩」すぎ、「ヒヨッコ」の心細さ戸惑いに鈍くなっている) ーーーーー 私の障害が少しでも軽くなるようリハビリなど正攻法だけでなく、秘策も凝らし 試してくれた(効果のほどはどうだったのか…ウ~ン?わからない)…

  • 2023.7.4 「村はみんなの「まぼろし」ー(石北本線・奥白滝信号場)」

    今日は最後の話、「村はみんなの「まぼろし」ー(石北本線・奥白滝信号場)」 いわゆる「平成の大合併」。 形としては対等な「合併」という立場をとりながらも、 実質は大が小を飲みこむ「吸収」に近く、近隣のより大きな町といっしょにされ、 いとも簡単に消え去った白滝村の無念。 「(「住民投票」を行い合併の是非を問うことは、小さい村にとっては村を二分する危険がある。 それでも村の地方自治を護ろうとする住民もいた) 確かに、間接民主制(議会制民主主義)においては、選挙で選ばれた首長や議員に、 行政や政治をまかせるというのが原則である。 そして、本来は彼らがすべき判断を、住民に丸投げするがごとき住民投票は、議…

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