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kame710のブログ https://kame710.hatenablog.com/

55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています

カメキチ
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2019/02/15

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  • 2023.6.30 「普通の農家」にできること(札沼線・新十津川駅)

    今日は、「普通の農家」にできること(札沼線・新十津川駅) 「(「科学的知見」に基づいた防除技術や施肥技術の導入) 私は、「施肥設計」(作物に応じた科学的な肥料のやり方を事前に考えること)や 「発生対応型の防除」(現実に発生した病害にのみに対応した防除方法を施す)という 農家にとっては常識ともいえる概念を…知らなかったし、現代ではコメの「おいしさ」を理化学的に 計測でき、とりわけ「タンパク値」は農家のウデ(施肥技術)によって左右されるがゆえに、 政策上のモノサシとしてすでに利用され、農家やコメ産地がシビアな競争に晒されているという 現実をまったく知らなかった。… 有機農業は全体のわずか1%にも満…

  • 2023.6.27 タンチョウと私の「ねじれ」(釧網本線・茅沼駅)

    きょうは①「タンチョウと私の「ねじれ」(釧網本線・茅沼駅)」 「タンチョウと私の「ねじれ」(釧網本線・茅沼駅) もめごとのタネは、つねに人間の側にあるのであって、タンチョウや自然の側にはない。 タンチョウを狩猟の獲物にしたり、かと思えば一転、手厚い保護の対象にしたり、 観光の客寄せにりようしたり…と、 ものごとを複雑にしているのは、いつも人間の方なのだ。 … 「でも釧路湿原を逃げ場所に選んでくれたってのは、ある意味では正解だったんですよ。 もしそれが札幌や旭川周辺の水田地帯だったとしたら、昔の強い農薬で全滅してた可能性があった。 トキやコウノトリの二の舞だったかもしれない」 … 「(タンチョウ…

  • 2023.6.23 『北の無人駅から』

    何かでこの本のことを知り、書名にも惹かれて読んだ。 分厚く(800ページ近い)2500円と高価。 もちろん図書館から借りた。 こんな本が気軽に読める図書館のありがたさを、あらためて感じた。 (働いていたときは「借りる・返す」のが面倒で、図書館を利用したことはない。 夜のホッとした時間は新聞に費やされ、その後の読書は眠くて2、3ページがやっと。 で、読みたい本は少なく買っていた《少なくても「積読(ツンドク)が多かった》) 全部で七つの話がある大著で、私の読書力ではずいぶん時間がかかり、結局 四つはとばした。 半分も読まなかったが、買っても惜しくないほどよかった。 『北の無人駅から』 渡辺一史 (…

  • 2023.6.20 「複製技術時代」

    「複製技術時代」 「複製技術時代 (具体的な個別の文章は)それぞれの生の文脈から生み出され、その中で書くことに尽きている。 一方、作品として流通する文章の評価には、当然のことながらマーケットメカニズムが作用する (つまり、「売れなくてはダメ」「売れる文章、売れる小説が求められている」) … 現代という時代精神をたとえ不愉快に感じていたとしても、私たちは間違いなく現代人である。 不愉快なるがゆえに、現代を去ることはできない。 … 職業として文学を書く人も、インターネット上のブログに日記を書く人も、 それぞれの個別の生の切実さから言葉を吐いていることに変わりはない。 一人称的な生の営みとしては、そ…

  • 2023.6.16 「世界を引き受けるために」

    「世界を引き受けるために」 大風呂敷を広げるような話ですが、私もよく広げます。 (でも、「大ぼら吹き」とは思っていない) 実際がどうでも、気もちだけ壮大であっても、世界の創造主(もしも、そのような方が おいでになれば、これ以上ない寛容なお方に違いない)は、お許しになるに違いない。 ーーーーー 「現代物理学は、統計的な意味における決定論に立つことになった。… 同じような「個」を沢山集めてきた集団の統計的なふるまいについては、 原理的には完全に予言できる。 … (苛酷な環境の南極で、ペンギンたちが、そのまま寒さと飢えに耐えつづけて死ぬか、 待ちかまえるオットセイに食われる危険を冒しても生きるため、…

  • 2023.6.13 「偶有性」 「たまたま」

    『脳のなかの文学』 茂木健一郎 ・著 という本を読んだ。 たくさん刺激されることがあった。 が、初めにあった「世界を引き受けるために」と、終わりの「複製技術時代」の 二点だけ、次回と次々回に書くつもり。 その前に、今日はその二点を含めて本全体を貫いている(と、読者の私は感じた) 著者の人生観、世界観の「底」というか、根本的な思い、考えに触れます。 ーーーーーーーーーー それは、「偶有性」ということ。 私は前に、茂木さんの本から「偶有性」という、物事のとらえ方、見方を知り、 強い衝撃を受けた。 「自分は茂木健一郎だが、茂木健一郎でなかったかもしれない」 「茂木健一郎と生まれて、茂木健一郎として生…

  • 2023.6.9 老いの価値

    最後は、③山本周五郎の言葉と深沢七郎の『楢山節考』からの「老いの価値」 ということです。 ーーーーー 「(山本周五郎) こうした人生の見えざる真実を後からくる若い世代にしっかりと伝えられるのは、 やはり人生の先を歩んで修羅をくぐってきた老人なのである。 … (深沢七郎の『楢山節考』より)又やんにはおりんとおなじような命の連なりにたいする確信が なかったからではないか。 死をあらんかぎり拒否し生にあらんかぎり執着する現代人は、 楢山で惨死した又やんとおなじではないか。」 ーーーーーーーーーー 山本周五郎の小説は、弱い人々、庶民の哀歓を感動的に描いたものが多い。 私は映画やテレビでドラマ化されたも…

  • 2022.6.6 幸田文と田辺聖子の言葉

    今日は、②幸田文と田辺聖子の言葉です。 「(幸田文) 老人が軽いというのは、…「時間の扱い方が軽い」ということで、 「時間を軽く障りなく、淡々と扱っていく」ということである。… (それは「大事に扱わない」ということではなく)軽やかに扱うということである。… たとえば、日がな一日、あきずに花に見惚れている、「軽ささえも忘れているような時間を送る」 「老後の仕合せとは、小さい仕合せを次々と新しく積み重ねていくことではないか。… 仕合せには、永代続くものなどない…」 「改めてあたりを見廻すと、今まで気づかなったことで、なんとまあ興ふかいことがたくさんあるか、 おどろくのです」 (田辺聖子) 「私は何…

  • 2023.6.4 老いを読む

    生きているから歳をとる。あたり前の事実。 その客観的な事実は自分にも当てはまり、たくさん年を重ねてきた。 しかし、その「事実」は私のアンテナに引っかかり、「意味」をもち「価値」にも なっている。 ともかく、私はジジイになった。 不思議な感覚だが、(鏡の前に立つのは別にして)老人になった実感はさほどない。 しかし、「ずいぶん歳とったもんだ…」という感慨は強い。 ーーーーー 『年をとって、初めてわかること』 立川昭二 (グーグル画像より) しみじみとした気分になった。 読んでよかったと思う本に出あえてよかった。 これも幸せの一つ。 本は小説、文学に表された老いをいくつか紹介し、著者の感想を述べたも…

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