ずっと昔、(すでに中年になり遅い出発だったが、子どもたちも大きくなったということで 「お許し」が出て)若いころからしたかった登山をするようになった。 しかし、始めて数年で身体に障害を負ったので出来なくなった。 前に、私の数少ない登山の写真をパソコンで編集して(慰め半分か面白半分でか ともかく登山ができない体になった私のために)ツレが作ってくれたものを載せましたが 懐かしくなり、まったく同じものですが再掲します。 www.youtube.com
55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています
2023.6.30 「普通の農家」にできること(札沼線・新十津川駅)
今日は、「普通の農家」にできること(札沼線・新十津川駅) 「(「科学的知見」に基づいた防除技術や施肥技術の導入) 私は、「施肥設計」(作物に応じた科学的な肥料のやり方を事前に考えること)や 「発生対応型の防除」(現実に発生した病害にのみに対応した防除方法を施す)という 農家にとっては常識ともいえる概念を…知らなかったし、現代ではコメの「おいしさ」を理化学的に 計測でき、とりわけ「タンパク値」は農家のウデ(施肥技術)によって左右されるがゆえに、 政策上のモノサシとしてすでに利用され、農家やコメ産地がシビアな競争に晒されているという 現実をまったく知らなかった。… 有機農業は全体のわずか1%にも満…
2023.6.27 タンチョウと私の「ねじれ」(釧網本線・茅沼駅)
きょうは①「タンチョウと私の「ねじれ」(釧網本線・茅沼駅)」 「タンチョウと私の「ねじれ」(釧網本線・茅沼駅) もめごとのタネは、つねに人間の側にあるのであって、タンチョウや自然の側にはない。 タンチョウを狩猟の獲物にしたり、かと思えば一転、手厚い保護の対象にしたり、 観光の客寄せにりようしたり…と、 ものごとを複雑にしているのは、いつも人間の方なのだ。 … 「でも釧路湿原を逃げ場所に選んでくれたってのは、ある意味では正解だったんですよ。 もしそれが札幌や旭川周辺の水田地帯だったとしたら、昔の強い農薬で全滅してた可能性があった。 トキやコウノトリの二の舞だったかもしれない」 … 「(タンチョウ…
何かでこの本のことを知り、書名にも惹かれて読んだ。 分厚く(800ページ近い)2500円と高価。 もちろん図書館から借りた。 こんな本が気軽に読める図書館のありがたさを、あらためて感じた。 (働いていたときは「借りる・返す」のが面倒で、図書館を利用したことはない。 夜のホッとした時間は新聞に費やされ、その後の読書は眠くて2、3ページがやっと。 で、読みたい本は少なく買っていた《少なくても「積読(ツンドク)が多かった》) 全部で七つの話がある大著で、私の読書力ではずいぶん時間がかかり、結局 四つはとばした。 半分も読まなかったが、買っても惜しくないほどよかった。 『北の無人駅から』 渡辺一史 (…
「複製技術時代」 「複製技術時代 (具体的な個別の文章は)それぞれの生の文脈から生み出され、その中で書くことに尽きている。 一方、作品として流通する文章の評価には、当然のことながらマーケットメカニズムが作用する (つまり、「売れなくてはダメ」「売れる文章、売れる小説が求められている」) … 現代という時代精神をたとえ不愉快に感じていたとしても、私たちは間違いなく現代人である。 不愉快なるがゆえに、現代を去ることはできない。 … 職業として文学を書く人も、インターネット上のブログに日記を書く人も、 それぞれの個別の生の切実さから言葉を吐いていることに変わりはない。 一人称的な生の営みとしては、そ…
「世界を引き受けるために」 大風呂敷を広げるような話ですが、私もよく広げます。 (でも、「大ぼら吹き」とは思っていない) 実際がどうでも、気もちだけ壮大であっても、世界の創造主(もしも、そのような方が おいでになれば、これ以上ない寛容なお方に違いない)は、お許しになるに違いない。 ーーーーー 「現代物理学は、統計的な意味における決定論に立つことになった。… 同じような「個」を沢山集めてきた集団の統計的なふるまいについては、 原理的には完全に予言できる。 … (苛酷な環境の南極で、ペンギンたちが、そのまま寒さと飢えに耐えつづけて死ぬか、 待ちかまえるオットセイに食われる危険を冒しても生きるため、…
『脳のなかの文学』 茂木健一郎 ・著 という本を読んだ。 たくさん刺激されることがあった。 が、初めにあった「世界を引き受けるために」と、終わりの「複製技術時代」の 二点だけ、次回と次々回に書くつもり。 その前に、今日はその二点を含めて本全体を貫いている(と、読者の私は感じた) 著者の人生観、世界観の「底」というか、根本的な思い、考えに触れます。 ーーーーーーーーーー それは、「偶有性」ということ。 私は前に、茂木さんの本から「偶有性」という、物事のとらえ方、見方を知り、 強い衝撃を受けた。 「自分は茂木健一郎だが、茂木健一郎でなかったかもしれない」 「茂木健一郎と生まれて、茂木健一郎として生…
最後は、③山本周五郎の言葉と深沢七郎の『楢山節考』からの「老いの価値」 ということです。 ーーーーー 「(山本周五郎) こうした人生の見えざる真実を後からくる若い世代にしっかりと伝えられるのは、 やはり人生の先を歩んで修羅をくぐってきた老人なのである。 … (深沢七郎の『楢山節考』より)又やんにはおりんとおなじような命の連なりにたいする確信が なかったからではないか。 死をあらんかぎり拒否し生にあらんかぎり執着する現代人は、 楢山で惨死した又やんとおなじではないか。」 ーーーーーーーーーー 山本周五郎の小説は、弱い人々、庶民の哀歓を感動的に描いたものが多い。 私は映画やテレビでドラマ化されたも…
今日は、②幸田文と田辺聖子の言葉です。 「(幸田文) 老人が軽いというのは、…「時間の扱い方が軽い」ということで、 「時間を軽く障りなく、淡々と扱っていく」ということである。… (それは「大事に扱わない」ということではなく)軽やかに扱うということである。… たとえば、日がな一日、あきずに花に見惚れている、「軽ささえも忘れているような時間を送る」 「老後の仕合せとは、小さい仕合せを次々と新しく積み重ねていくことではないか。… 仕合せには、永代続くものなどない…」 「改めてあたりを見廻すと、今まで気づかなったことで、なんとまあ興ふかいことがたくさんあるか、 おどろくのです」 (田辺聖子) 「私は何…
生きているから歳をとる。あたり前の事実。 その客観的な事実は自分にも当てはまり、たくさん年を重ねてきた。 しかし、その「事実」は私のアンテナに引っかかり、「意味」をもち「価値」にも なっている。 ともかく、私はジジイになった。 不思議な感覚だが、(鏡の前に立つのは別にして)老人になった実感はさほどない。 しかし、「ずいぶん歳とったもんだ…」という感慨は強い。 ーーーーー 『年をとって、初めてわかること』 立川昭二 (グーグル画像より) しみじみとした気分になった。 読んでよかったと思う本に出あえてよかった。 これも幸せの一つ。 本は小説、文学に表された老いをいくつか紹介し、著者の感想を述べたも…
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ずっと昔、(すでに中年になり遅い出発だったが、子どもたちも大きくなったということで 「お許し」が出て)若いころからしたかった登山をするようになった。 しかし、始めて数年で身体に障害を負ったので出来なくなった。 前に、私の数少ない登山の写真をパソコンで編集して(慰め半分か面白半分でか ともかく登山ができない体になった私のために)ツレが作ってくれたものを載せましたが 懐かしくなり、まったく同じものですが再掲します。 www.youtube.com
私は遠い昔、思春期ころから(小説を含めて本はほとんど読まなかったのに) なぜか「名言集」の類のものは少し読んだ。 (たぶん、いろいろ悩みが《死ぬことは思わなかったので深くはなく、ただ》あったのだろう) そういうわけか、読書していて、言葉にはすごく敏感になった。 今日は 『春を背負って』 笹本稜平・著 という山の小説から。 (グーグル画像より) ーーーーーーーーーー 「生きてるのって、自分のためだけじゃないんだって気がついたわけ」 「ここで働くようになって、だんだんわかってきたの。わたしはずっと勘違いして生きてきたのよ。 自分の人生は自分のためにあるんだって…。 そんなふうに人生を独り占めしよう…
今は昔。 コロナ禍のとき、あれほど「エッセンシャル・ワーカー」が注目されたのに いまではこのザマだ。 (私はそのとき「エッセンシャル・ワーカー」という言葉、言い方を初めて知った。 入院したとき医師や看護師だけでなく、毎朝ゴミを始末し部屋掃除の方にも世話になり、そのとき、 そういう労働の大切さ、有難さを意識した。 当たり前に見えるからこそ気づかれ意識されにくい、さまざまなエッセンシャル・ワークに支えられ 安全・安心な現実の日常生活が成り立っている事実が、皮肉にも社会全体がコロナ禍という パンデミック、非常事態に陥ったとき浮き彫りになった。 同時に、真逆の「なくていい」「クソどうでもいい仕事」《ブ…
『生命倫理とは何か』 市野川容孝・編 (グーグル画像より) 強く印象に残ったこと四つだけ書きます。 ーーーーーーーーーー ①「〈人体実験〉 ・動物実験は人体実験への誘い水と考えられた… (「動物実験はしょせんは一種の「必要悪」」 そして「19世紀終盤から20世紀前半にかけての多くの人体実験」の「被験者は実に周到に 社会的弱者をターゲットにし」「1972年にマスコミに暴露されるまで続いた」) ・七三一部隊の所業を、われわれ日本人としてけっして忘れてはならない。 それが無残な死を迎えた3000人以上の捕虜たちへの、せめてもの供養である。 … ・すべての医療は、多少なりとも実験なのである。… (けれ…
ずっと前にも記事にしたことあるWさんのことを久しぶりに書きます。 Wさんは、もうすぐ19年になる入院(仕事中の落下事故で障害者になり、同じ時期に 胃ガンが見つかって手術)時の「病友」で、Wさんは舌癌で入院中だった。 一年に一、二回会うだけの仲だけど、お互いが退院してから19年間続いている。 ーーー 私は自称(したことないけど)「家族第一主義者」だと思っている。 それはいいが、友人などとの交際との両立をうまくやる器用さがないだけだ。 で、家族以外との遊びや飲食など若いころからほんどしてこなかった。 そういう中で、Wさんとコーヒー飲みながら語るのは、一年に一、二回だけども 19年の長い間続いており…
今日はもう一つの話題、「幸福」。 (著者は臨床心理のクリニックを開業しています。 本は、実際のご自分の経験《ある若い女性のクライエントの具体的な症例、「不眠」》を例に挙げ 前回は「働くこと」「愛すること」という視点から、今回は「幸福」」という視点から悩み、問題を とらえていきます) ーーーーーーーーーー 「〈幸福は複数である ポジティブとネガティブ、そして純粋と不純〉 -幸福とはあらゆる目的の背景に潜んでいる「メタ目的」- (著者のいう「メタ目的」とは、突きつめて言うなら、人生そのものがいつも「幸福」であることを 誰も望むので、人の行いのすべての背景には「幸福」が潜んでおり、それが目指されてい…
『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』 東畑開人・著 (グーグル画像より) という本を読んだ。 またまた臨床心理士の東畑開人さんの書いたもの。 (「なんでも見つかる夜に」と聞いただけで読んでみたくとなった。 心って、他人のはもちろん、自分のだってわからない。 コロコロ変わるこころ《「こころ」の初めの「こ」の後に「ろ」を入れれば「ころころ」》 中学を出てから全寮制の学校にいたとき、友人との付き合いにずいぶん気を遣い、疲れた。 疲れたあげく、学校を辞めた) ーーーーー 前に読んだ本での「いる」と「する」。 「いる」と「する」は、次に読んだ著者の本にも出てきたし、 東畑さんの人間観、人生…
『おとなが育つ条件-発達心理学から考える』 柏木恵子・著 という本を読んだ。 (グーグル画像より) 何を読むか、読む本の選択はいちおう考える。 そして探す。 (ヒマな老人といっても、いくら自由時間がいっぱいあるとはいっても、残された時間、人生は 「後ちょっと」と思うと、それなりに焦り、真剣に探し、そして選ぶ。 昔から「人生に無駄などない」というけれど《それは正しいといまも思っているけど》、 現実に先が「後ちょっと」になったいま、「先がある若者」には正しい、と条件付きに変わった) この書名、「おとなが育つ」に惹かれた。 何十年もおとなをやってきて(老人になってからも十数年が経った)、 これ以上、…
『つくられる病-過剰医療社会と「正常病」』 井上芳保・著 (グーグル画像より) という本を読んだ。 初めから終わりまで、何度もなんども深くうなずいた。 (エピローグに本のすべてが要約されていると思うので、そこだけ引用、紹介し、 自分のことに重ねて思ったことを書きます) ーーーーーーーーーー (本の叙述通りではなく、私流に編集) 「「うつ病」(と医者には診断されていても)ではなく「正常病」(つくられる病)かもしれない… 飲むヒアルロン酸は本当に効くのか →(著者は述べる「モノアミン仮説は大いに疑わしい」と。 続けていう「セロトニンやドーパミン《これらをモノアミンという》の分泌薬が開発」 →「製薬…
よく言われるし、私もよく言うけど、ホント、年取ると物を持ちたい、 所有したいという欲望が少なくなる。 (しかし、相手が「モノ」ではなく「立身出世」など「人の評判《名声》」を欲する年寄りは、 世の中は広いのでおられるようだ。 70過ぎても市長、知事、議員などに立候補する人をニュースで知る。そういう人たちは人のために なりたいとの徳からだろうが、権力欲、名誉欲もあるのかなぁと勘ぐってしまう。 《そういうゲスのような自分がイヤになるけど仕方ない》) 所有欲などは減っても、「欲望」そのものは生きることのエネルギーなので 欠かせない。 (だからやっぱり、立候補はいいことなんだろう) 私の場合は、いまは「…
社会の「常識」といわれていること。一度は疑ってみなければならないと思う。 「モラル」もその一つ。 『モラルの起源-実験社会学からの問い』 亀田達也・著 という本を読んだ。 (グーグル画像より) 初めに著者はいう。 人間の「全体としての行動は「生き残りのためのシステム」として理解でき」 それは、「自然淘汰と適応」だと。 (モラルも適応のためのためか) モラルは「歴史・文化という時間軸」においてあまりにも短いので、 「遺伝子に書き込まれていない適応」だともいう。 ーーーーー 本は、「モラル」といわれるものをその起源に立ち返って考えてみたら、 人間についてどういうことが言えるか?を述べたものです。 …
続きの⓹から終わりの⑧まで。 ーーーーーーーーーー ⓹ 「野の医者はいまだ病んでいて、癒やしを求めている。… 病むことと癒やすことが「生き方」になる (続いて著者はいう。「科学的な医学《の登場によって》によって初めて、癒やす人と病む人、 治療者と病者が別々のものになったのだろう」と)… でも誰か、究極に健やかな人っているのかな。 みんな病みながら生きていて、それを受け入れるってことが、ありのままなのかもしれない … 野の医者は治療を与えるのではない。ひとつの生き方を与えるのだ」 ⑥ 「野の医者の基本理念である「考え方が変われば、世界が変わる」という発想 (ポジティブシンキング、…)は、実は宗教…
前に東畑開人さんという臨床心理士の方の『居るのはつらいよ』を書いたが、 とてもおもしろかったので、またこの人のものを読んだ。 こんどは、『野の医者は笑う-心の治療とは何か?』 という。 (「グーグル画像」より) 「野の医者」とは、心の治療をする(というより「癒やす」)沖縄の民間では広く おられる「傷ついた心を療法する」人たちのこと。 (沖縄県は1972年5月15日に返還《本土復帰》されたが、在日米軍基地の多くが沖縄にあり貧しい (ネットによれば「沖縄県の貧困は、親の低収入、収入の不安定さ、高い生活コストそして 離婚率の高さなどが複合的に影響している…ひとり親家庭が多い…貧困の悪循環が深刻化」 …
(先に書いた若松英輔さんのフランクルの言葉)それより先にフランクル自身の本で 知って感動したけれど、いつの間にか忘れていたのを思い出させてくれた。 (「感動」して忘れるとは、それほど感動しなかったということだろうか。 いや、人間は「忘れる」動物という。 「感動」したことさえも忘れる) 若松さんが他の著作でもフランクルのことを述べている本を見つけて読んだ。 『生きる哲学』 という。 (グーグル画像より) (終わりの「伝える フランクルが問う人生の意味 人格は侵されない」だけ書きます) ーーーーーーーーーー 「〈伝える フランクルが問う人生の意味 人格は侵されない-フランクルの哲学〉 古典は歴史的…
やっと本の紹介です。 強く感じた四つのことだけ書きます。 ーーーーーーーーーー ① 〈アイデンティティからシティズンシップへ〉 ひとびとは、自分は本当に差別していないか、と省みることなく、差別者を批判している。 … 「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みがわからない」とはマイノリティがマジョリティにたいして しばしば非難の意味を込めて向ける抗議であり、論理である。 … アイデンティティをそう簡単に取りかえることはできない … シティズンシップの論理は、もしかしたら差別をしているかもしれないとみずからに問いなおすこと 差別とは何か、と考えるきっかけを失わせている。 ② 〈道徳としての「現代的レイシ…
この本を読んでつくづく思った。 人は誰でも「個人」として存在しているけれど、ある特定の社会の中で 生きているわけだからその社会の人、「社会人」でもある。 「個人」でいるだけなら問題にならないことでも、「社会」の中では単なる差異、 区別が差別にされてしまうことがある。 (社会には確実に、差別は存在する。 差別することにより得をする人たちがいる限り、差別はなくならない。 自分が差別で得をする加害者側、傷つき損をする被害者側、どちらになるのかはケースバイケース。 分からない) ーーーーー 人には社会に還元できない個人としてのあり方、姿(アイデンティティ)があり それは人間の本質、原点だ。 その本質か…
ここまで生きても、「あれっ?…」「そうだったのか!」と思うことが 新たに起きる。 知っていたつもりの大切なことが、実は間違っていたと気づく。 (訂正しなければならないのだから悔しいはずだけど《若いときだったらそうかもしれない》 こんな高齢になると逆に新鮮さを感じる) 「差別」もそう。 『「差別はいけない」とみんなはいうけれど。』 綿野恵太・著 (グーグル画像より) 「差別はいけない」と頭ではわかっていても、実際はどうなんだろう? 本には考えさせることがとてもたくさんあった。 (肝心の本の内容に関しては次々回に紹介します。 今日と次回は、「差別」についての私個人の思うことを書きます) ーーーーー…
最後の今日は平野啓一郎さんです。 ーーーーーーーーーー 「〈共感や同情ではなく、人権を権利の問題として捉える教育が必要〉 かわいそうかどうかという共感の次元で捉えてしまってい(てはいけない) すべての人の基本的人権を尊重するという大前提(がなければならない) 人間には生まれながらにして権利があるという話は、フィクションといえばフィクションですけど、 それをたくましい努力で守り抜こうとする思想は、偉大です」 「〈社会の分断と対立の始まり〉 (インドのノーベル賞受賞者の経済学者アマルティア・センは)個人を一つのアイデンティティに 縛りつけてしまうことがすべての社会の分断と対立の始まりだと分析… セ…
今日は若松英輔さんです。 テーマは「光は、ときに悲しみを伴う」 (「光」はすべての命の元。 明るく、希望の輝きだけども、「ときに悲しみを伴う」という。 何となくわかる気がする) ーーーーーーーーーー 「〈社会的な仕事と魂の仕事〉 社会的な仕事と魂の仕事とは、「生活の仕事」と「人生の仕事」 事実、私たちは、「社会的な仕事」に忙殺されて、「たましいの仕事」の意味と重みを忘れてしまう 「たましい」が深く響き合う時、人は涙を流す … 〈恩寵の訪れ〉 恩寵はしばしば、それだとわからない姿で私たちに寄り添うのではないでしょうか。 それは時に苦しみや悲しみという姿を取ることもある。 … 〈「伝える」とはどう…
自分の命より大事と思う人に自死されたり、強盗や通り魔に襲われ亡くしたとき 自分だったら…と想像してみる。 (けれど、想像できない。 というよりかそんなこと想像したくないので、すぐ止める) 2000年12月30日の「世田谷一家殺害事件」はあまりに酷かったので、 四半世紀たったいまも忘れられない。 その被害家族(宮澤みきおさん《44》、妻・泰子さん《41》、長女・にいなちゃん《8》、 長男・礼くん《6》)泰子さんのお姉さん(入江杏さん)が編集された本を読んだ。 『悲しみとともにどう生きるか』 入江 杏 編集 (グーグル画像より) 心に響いた柳田邦男さん、若松英輔さん、平野啓一郎さんの言葉を紹介し …
今日から本題。 (引用は「まえがき」からです) ーーーーーーーーーー 「〈周囲環境の安定が前提 予測不能 事故が起きたときの「責任」の問題〉 (何よりいちばんに)倫理的かつ法的な問題を解決しなくてなならない。 (しかるに現状は)とかく経済効果やビジネスへの配慮が先行 … 人間は実社会で必ずしも論理的厳密性にこだわって活動しているわけではない。… 「間違いはあってもだいたい合ってい(ればよい」と考えるのが現実的。 現在の《AIの》第三次ブームの技術革新の中核は「深層学習」とよばれる「パターン認識システム」。 だが、これは「単なる統計計算」にすぎない) ーーーーー 本では初めに、「AI」技術はすで…
これからの世界、未来のことは、もはや「AI」抜きには(「先進文明社会」では) 考えられない。 科学・技術文明はただただ前に進むほかない。後戻りできない。 そういう在り方は、「人類の(非科学的な表現だけど)宿命」みたいなもの。 科学・技術はあらゆる場面で「使い方次第」ということがいわれる。 それ自体は「中立」的存在で、使われ方で人を幸福にも不幸にもする。 AIもそう。 (先日、「生成AI」を悪用した全国初の犯罪があったことをニュースで知った。 少し前には視覚障害者の助けになるAIアプリの開発というニュースを知ったばかりだったのに) AIの原理自体はコンピューターの機能・働きだから、人間みたいな感…
私はおカネはほどほどにあればいいと思い、実際そうだったので満足している。 (「豪遊」という人生の楽しみもあるらしいが、余分なおカネはないので客観的に「できない」 というのが当たっている。だからその魅力を知らないのだろうが、知りたいとは思わないし、 「したい」と望むこともない) 一度は持った家も手放し、今はまた若いころと同じくアパート暮らしだけど、 不満はない。 そうは言え、「おカネでは買えない大事なものがいっぱいある」とはわかって いても、「いまの日本」で暮らしている限りは年寄りでも欲望はそそられるし、 おカネはあるに越したことないので、やっぱり多ければ多いほどいい。 そうは言え、詐欺を働く才…
今日で終わりです。 (⑯から⑱まで) ーーーーーーーーーー 「⑯〈痴呆を抱えて暮らす困難〉 「わたし」が壊れる →単にこれまでできていたことができなくなったと感じるだけではなく、 「わたし」が壊れていく、と感じられる →(「わたし」が指揮者なのに「奏者をまときれない感じ」) … 認知の障害、情動反応性の保持 自分が引き起こしたつまずきに自己の責任で対処することの困難という認知レベルの障害と、 自分が遭遇している事態を危機と感じ取り、さらには適切に対処できないことに不安や焦燥を抱く という情動反応性の保持との間のズレが存在する。 →周辺症状を生む源になる ⑰〈妄想の成り立ち〉 新たな生き方への強…
(前回は⑫〈徘徊の出現〉まで。 今日はその続き ⑬から) ーーーーーーーーーー ⑬〈時を駆けることができない〉 彼ら(認知症者、痴呆者)は「今・ここ」で暮らしていることを何となく居住まいが悪いと感じ… かつてこころ安らかに過ごし、プライドをもって生きていた時代に戻りたいのだろう。… 彼らが「帰る」「行く」とき、付き添って歩き、昔話に興じる。 そのとき彼らは、過去をもう一度生き直すのである。 … ⑭〈過去への執着〉 痴呆へのはじまりの時期にあって、痴呆を病むひとたちは未来への不安に怯えていた。 しかし、現在を生き生きと過ごせるようになれば、彼らの不安は消え、妄想は消える。 妄想を生み出さざるをえ…
認知症。 私が若いときはいまほどいわれていなかった。 (昔は長生きする人が多くはなかった。 その昔は「痴呆」と呼ばれていた。そっちの方が私には馴染みぶかくピッタリくる。 どう呼ぼうと、頭、脳が「痴呆」状態になったから、結果として「認識」「認知」がむずかしくなった ということだ。 そういえば議員さんが「認識にございません」「記憶にない」と言うのは、よく考えれば 「自分は痴呆状態」だから理解できない、忘れたと表明しているようなものだろう。 だったら即刻、議員は辞めるべきだと思う。 「秘書が勝手にやった」というのも、管理能力がない、あっても衰えたということで、痴呆状態までは 至っていないにしても、や…
今日で終わりです。 「〈「贈与」ということ〉 ムラブリ…の間では「ある(持っている)人」がない(持っていない)にあげることは普通のこと 見返りを求めない… (たとえば「お米」の話)→ お米が太陽からの贈り物であるという視座、太陽の視座とでも言いますか、 ぼくらのコントロールできない存在によって全ての物事は存在するという感性からすれば、 みんなhave (持っている)であると同時に与えられるしかない点ではhave not (持っていない)… →(要するに平等)奢るとか奢られる(贈与するとかされる)は、特別なことではなくなる。 「あなたも私も太陽に生かされているんだから」 資本主義というのは、所有…
人間、自分、生きるということ、世の中のことについて、子どもから大人へ 成長するなかで、誰でもそれなりに思い、考える。 そういうときだけ「哲学者」になる。 私もそうだったけど、それは自分の知っている世界の中だけの「井の中の蛙」 だったことを、仕事をやめ、自由に読書できるようになった今、「人類学」を 知ってつくづく思う。 ーーーーー 同じ地球人でありながら、たまたま生まれたところが「先進文明」からは 遥かに離れた、「進歩」とは無縁、昔ながらの生活、暮らしを(それ以外はあり得ない かのように)続けているラオスのムラブリやインドネシアのブナンの人々。 そんな人々と現地での生活、暮らしをともにすることに…
前回は本の順番に沿って「パースペクティヴィズム」ということについて書いた けれど、ページの離れたところでまた言及されていた。 (とても大切なことがいわれていると感じ付箋でチェックしていたが、すっかり忘れていた。 あらためて何度か読み返し、また考えさせられた) 「〈パースペクティヴィズムと客観的事実〉 (「パースペクティヴィズム」にこだわれば) 人の数だけ世界があり、動物や虫など人以外の世界も無数にある。… パースペクティヴィズムを隙間なく適応すると、→「相手の立場にはなれない」 客観的事実がなくなり科学的基盤はなくなる→共通の言語の意味がなくなる … ーーーーーーーーーー 「パースペクティヴィ…
本は次に「パースペクティヴィズム」ということについて述べられる。 ここもとても考えさせられた。 (あるネットで検索するとこの言葉の出どころはニーチェとのこと。 「ニーチェのパースペクティヴィズムとは、見られるものからの視点や視座から、 見 ているものを捉える見方…。 しかし、視点や視座を管理し、自分の自らのものにしていると考える意識は、 ニーチェによると 「共同体的かつ群畜的な本性」に属しているので、いかに個人が視座を我が物としているように 考えようとも「共同体的かつ群畜的な本性」の ことに無自覚になっている…」) ーーーーーーーーーー 本には、 「他者の観点に立って、自分たちが見ている世界と…
8回にわたって「ブルトシップ・ジョブ」の本を紹介し、思ったことを述べてきた けれど、少しほど前に 『人類学者と言語学者が森に入って考えたこと』 奥野克己 伊藤雄馬 ・著 というのを読んでいた。 奥野さん(人類学)伊東さん(言語学)というお二人が、それぞれ異なる場所 (奥野さんはインドネシア、伊東さんはラオス)に行き、一緒に暮らすという(頭で思考する 机上の学問としてではなく)フィールドワークを通して、「人間とは?生きるとは? 生活するとは?」と問い、見えてくるものを学ぼうとする。 その見えたこと、気づいたこと、学んだことが述べられていた。 (その本から刺激されたことが多くあり、「ブルトシップ・…
今日は最終の第8講 ブルトシップ・ジョブとベーシック・インカム です。 ーーーーーーーーーー 第8講 ブルトシップ・ジョブとベーシック・インカム 〈エッセンシャル・ワークとジェンダー〉 労働が主要にモノの生産にかかわるものとみなされ、女性はその生産過程から排除され、 「私的領域」つまり家庭内で、その労働力を生産(出産、いわゆる「生む機械」)し、 再生産する(養育し世話をする)役割へと還元されていく。… 「愛の名のもとに」無償化される … 〈「家事労働に賃金を」〉 家事労働に対して賃金を要求することによって、「家事」の意味は一挙に「労働」へと転換する (「家事労働」は家庭の問題であるけれど、ジェ…
今日は第6講と第7講。 (最終第8講は次。 今日も述べられていることのうち、とても強く刺激されたことだけに触れます) ーーーーーーーー 「第6講 ブルトシップ・ジョブが増殖する構造 (「マネー資本主義」といわれているように現代の資本主義は) 金融、保険、不動産の比重が高まる… 現代の資本主義は「レント資本主義」(でもある) もともと自然のめぐみとして存在する土地にはそれ自体の価値が存在します。… (封建時代の「レント(地代)」が変質し)概念がより拡張され抽象的になる… (「土地」はそもそも「大地」として誰にも開かれた共有地、みんなのものであったのに、 「囲い込んで」特定の誰かの所有物となった。…
前記事を書いたすぐ後、最新の「世界の防衛費」をニュースで知ることになった。 ネットで検索すると → 世界の軍事費、昨年7%増で09年以降で最大の伸び 国際情勢を反映 [ストックホルム 22日 ロイター] - スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は22日、2023年の世界の軍事費が 前年比で実質7%増の総額2兆4430億ドル(約378兆円)になったと発表した。 国際的な緊張の高まりや、安全保障環境の悪化が背景にある。 378兆円 私は日本国憲法の前文、九条を信奉しているので、そこにあるよう、他の国などで 暮らしている人々を信じ、軍備は持たない方がよい(持てば信じていないか脅し…
第3講は「ブルトシップ・ジョブはなぜ苦しいのか?」 好きなことも我慢し、苦労し、難関突破の職業に就いて高給取りになり、 (物質的には)贅沢な暮らしができるようになった。 けれども仕事は忙しく、神経をすり減らし、疲れ、虚しさを感じ、辞めたい と思うようになった。 (このままの状態を続けるか? 辞めるか? 一回限りの人生を思うと、複雑…) ーーーーー 「ブルトシップ・ジョブはなぜ苦しいのか?」 人は「愛」、「自由」「平等」に生きるとか、「自分のため=他人のため」とか、 人生に存在感を感じるとか、(人それぞれにしても)ともかく生き甲斐につながること を求めて生きている。 (もちろん「生きる」ことに目…
今日は 第2講「ブルトシップ・ジョブってなんだろう?」 ーーーーーーーーーー 第1講では「ブルトシップの宇宙」ということで、世界中の声を五つに分けて 具体的な分類例が示されたが、第2講ではそもそもBSJとは何?と問われる。 それは「無意味」、「テキトー(適当)」、「ウソ」。 自分のやってる仕事はそうじゃないかと気になる。 「仕事ごっこ」している気分がする。 (だから「とりつくろわなければならない」。 「仕事ごっこ」参加者はお互い「空気を読み合う」必要がある。 「ヤクザは自分が「ごくつぶし」であるという認識があるが、BSJは認められない、 《お互い同士》そういわない約束《暗黙の了解》になっている…
今日は 第1講「ブルトシップ・ジョブの宇宙」 ーーーーーーーーーー この本の元は、世界的に注目され広く読まれたデヴィッド・グレーバーの 『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』という。 訳者でもある酒井さんは「すばらしい!」と感激したが、 原著はちょっと分かりにくいにくい。 そこで、新たに日本の一般の人たち向けに、より読みやすく書かれたのが本著 『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』 ーーー 第1講「ブルトシップ・ジョブの宇宙」では、「世界中から集まったBSJ (ブルトシップ・ジョブ)の「証言」ということで、取りあえず五つに分けて BSJが紹介される。 (あく…
本は八つの項目に分かれていますが、大事なことが述べられているので 最終の第8講「ブルトシップ・ジョブとベーシックインカム」まで、本に沿って みんな触れたいと思います。 今日は第0講 「クソどうでもいい仕事(ブルトシップ・ジョブ)」の発見 ーーーーーーーーーー 「〈ある観察者が見た世界〉 (その100年前のある観察者たちの)要求と予言をあわせるなら (現代では)一日4時間、週3日働けばすむ。…(であるのに、何でそうならないのか?) … 仕事はそれだけで尊い、人間は放っておくと…楽してたくさんのものをえようとするろくでもない 気質をもっている…(という考え方が当たり前のごとく世の中にはある) … …
コロナ騒ぎのとき、「ブルシット・ジョブ」や「エッセンシャル・ワーカー (ワーク)」という言葉、言い方を初めて知った。 それらが具体的にはどういう仕事を指すのか、何となくは分かっていたけれど、 こういう言葉で括って分けてみることは考えたこともないし、知らなかったので、 これらの言葉が意味することに強く惹かれた。 ーーーーー コロナはパンデミックで、世界中を不安に陥れた。 現代のパンデミックは、人間の生活に不可欠な仕事は何か?不要な(あるいは 「なくてもすむ」)仕事は何か?ということを教えてくれた。考えさせてくれた。 (生きていくのに必要不可欠なモノゴトと、別になくてもいいがあってもいいと思われる…
この前、いろいろな物書きの人のエッセイ集を読んでいたら、 一つだけ心を揺さぶるものがあった。 私はお名前も知らなかった小池昌代さんという詩人で、「かたじけない」という 題名だった。 ーーーーー 「かたじけない」という言葉は、時代劇なんかで侍が言うのを耳にするくらい。 現代では(わざと使ってみる場合もあるけれど)ほとんど使われない。 小池昌代さんは言葉を大事にされるので、「かたじけない」が気になっていたが、 あるとき同じ詩人、飯島耕一さんが『白秋と茂吉』という自著の中で、 「かたじけない」について北原白秋が書いていること、それへの飯島さん自身の 思いも知り、深く心を動かされた。 エッセイはそのこ…