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穢銀杏
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2019/02/02

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  • 彼岸の友よ ―老雄綺想―

    大町桂月は酒を愛した。 酒こそ士魂を練り上げる唯一無二の霊薬であり、日本男児の必需品と確信して譲らなかった。 何処へ行くにも、彼は酒を携帯していた。その持ち運び方が一風変わって、通人らしくまた粋で、竹のステッキの節をくり抜き、スペースを確保、たっぷり酒を詰め込んで、旅行はおろかちょっとした散歩にもこれを伴い、欲するままに呑んだというからたまらない。ぞくぞくするほどいなせ(・・・)な姿であったろう。 (平福百穂『桂月先生』) 礼儀とは、ようするに、人に快感を与ふること也。少しも不快の感を与へざること也。然るに人を見ると、すぐに己の不幸を訴へ、いつもしかめっ面を為して、にこともせず。人の気をしてめ…

  • 総督府の農学博士 ―加藤茂苞、朝鮮を観る―

    米の山形、山形の米。果てなく拡がる稲田の美こそ庄内平野の真骨頂。 古来より米で栄えたこの土地は、また米作りに画期的な進歩をもたらす人材をも育んだ。 加藤茂苞(しげもと)がいい例だ。 大正十年、日本最初の人工交配による品種、「陸羽132号」を創り出し、やがて「コシヒカリ」や「ササニシキ」へと派生してゆく壮大な系譜を拓いた人物。 紛れもない東北農業の大功労者、わが国品種改良の父。そういう男が庄内藩士の長男として生まれたことは、あんまりにも順当過ぎて天の作為を感じたくなる。 まあ、それはいい。 今回重要となる情報は、この加藤茂苞農学博士の経歴中に「朝鮮総督府」の五文字が見出せることだ。 昭和三年から…

  • 入浴以外の温泉利用 ―薩摩の場合、奥飛騨の場合―

    入浴ばかりが温泉の利用法でない。 鹿児島県の指宿温泉あたりでは、大正時代の後半ごろから昭和中期に至るまで、これを製塩に活用していた。 四角ばった呼び方をすれば泉熱利用製塩法。 発案者は黒川英二工学士。 80℃を超す高熱の湯を鉄管に引き、その鉄管を海水槽の中に巡らし、漸次あたため、蒸発させて塩を製する。言葉にすれば単純な仕組み。指宿温泉の特徴――豊富な湯量と場所によっては100℃に届く湧出温度はこの仕組みの実現に十分な条件を整えていた。 幸運にも、草創期の写真が残されている。 昭和四年、未だ同業者のない時代。もっともらしい科学知識をタテマエにした詐欺事件はこのころ既にありふれている。これはいった…

  • 夢路紀行抄 ―亜大陸―

    夢の中では往々にして感覚器官が鈍磨する。 特に舌はその影響が顕著であろう。 今朝方とても、酒瓶ほどの太さを有するソーセージに齧りついていたのだが、何の味もしなかった。 そこはインドの料理屋で、いや日本にあるインド人が経営する店でなく、本当にあの逆三角の亜大陸の上に立つ、どのチェーンにも属さない、個人経営のこじんまりしためし屋であった。 古い馴染みの友人二人と観光旅行の道すがら、たまたまこれを発見し、そろそろめし時、小腹も空いた、おあつらえ向きではないかねと、暖簾をくぐることにしたのだ。 その結果、私は濡れた厚紙を延々咀嚼するかの如き拷問を味わわされている。 そう、 されて(・・・)いる(・・)…

  • ポルトガルの独裁者 ―外交官のサラザール評―

    1910年、ポルトガルで革命が勃発。 「最後の国王」マヌエル2世をイギリスへと叩き出し、270年間続いたブラガンサ王朝を終焉せしめ、これに代るに共和制を以ってした。 ポルトガル共和国の幕開けである。 (Wikipediaより、革命の寓意画) この国が「ヨーロッパのメキシコ」と渾名されるに至るまで、そう長くはかからなかった。 「彼等の首は三ヶ月ごとに挿げ替わる」と英国人が言ったのは、必ずしも皮肉のみとは限らない。 実際問題、ポルトガルでは1910年から1926年――たかだか16年かそこらの間に、内閣の更迭されること、実に48回の多きに及び。 大統領中、四年の任期を全うし得た者たるや、アントニオ・…

  • 英霊への報恩を ―日露戦争四方山話―

    胆は練れているはずだった。 間宮英宗は臨済宗の僧である。禅という、かつてこの国の武士の気骨を養う上で大功のあった道を踏み、三十路の半ばを過ぎた今ではもはや重心も定まりきって、浮世のどんな颶風に遭おうと決して折れも歪みもせずに直ぐさま平衡を取り戻す、そういう柳の如き精神性を獲得したと密かに自負するところがあった。 その自負が、試されるべき秋(とき)が来た。――明治三十七年、鉄の暴風吹き荒れる、屍山血河を歩むという形で以って。 日露戦争に従軍したのだ。 (東鶏冠山敵堡塁爆破の様子。明治三十七年十一月二十六日撮影) 神職と異なり、仏教徒には徴兵上の優遇措置など存在しない。国家が必要としたならば、否応…

  • 待ちわびた黎明の物語

    『テイルズオブアライズ』を購入。 ゲームを新品で買うのは久しぶりだ。『サイバーパンク2077』以来ではないか。およそ九ヶ月ぶりの決断になる。 このブランドとの付き合いも長い。 一番最初に触れたのは、確か『ファンタジア』のps1移植版であったはず。呪文の詠唱を暗記するという、現代式の日本男児の通過儀礼も本作によって――インディグネイションによって済ました。 私の趣味の形成に、大きく寄与した作品といっていいだろう。 以来、タイトルの殆どを網羅してきた。 六年前、『ゼスティリア』という地雷も地雷、超特大の核地雷をまんまと踏み抜かされた際に於いては、流石に愛想も尽きかけたが。――続く『ベルセリア』の出…

  • 滑雪瑣談 ―石川欣一の流行分析―

    日本スキーの黎明期。人々は竹のストックでバランスを取り、木製の板を履いていた。 材質としてはケヤキが主流。最も優秀なのはトネリコなれど、ケヤキに比べてだいぶ値が張り、広くは普及しなかったという。 そうした素材を、まずはノコギリで挽き切って大体の形を整えて、次いで入念に鉋がけして面をとり、適当な厚さと幅とに仕上げる。下の写真は更にのち、蒸気の作用で曲げをつくっているところ。 大正末から昭和にかけてのスキーブームの真っ只中では、これが飛ぶように売れたのだ。 老いも若きも紳士も淑女も、みな炬燵の誘惑を振り切ってまで肌刺す寒気の戸外へ飛び出し、雪の斜面を滑りまくった。 皇族とても例外ではない。 昭和三…

  • 今に通ずる古人の言葉 ―「正史ならぬ物語は総て面白きが宜し」―

    楚人冠がこんなことを書いていた。 物の味といふものは、側に旨がって食ふ奴があると、次第にそれに引き込まれて、段々旨くなって来るもので、そんな風に次第に養成(カルチベート)されて来た味は、初から飛びつく程旨かったものゝ味よりも味(あじはひ)が深くなる。(『十三年集・温故抄』151頁) 料理漫画を片手に持しつつめしを喰うとやたらと美味く感ぜられる現象とも、これは原理を同じくすまいか。 この用途に具すために、『孤独のグルメ』や『鉄鍋のジャン』、『食いしん坊』等々を常に手元にひきつけている私である。 (『孤独のグルメ』より) むろん、礼儀作法の上からいったら落第もまた甚だしいのは承知の上だ。 しかしな…

  • 越後粟島、環海の悲喜 ―「大正十六年」を迎えた人々―

    1927年1月1日。 たった七日の昭和元年が幕を閉じ、昭和二年が始まった。 が、越後粟島の住民はすべてを知らない。 (笹川流れから粟島を望む) 定期航路の敷かれている岩船港から、沖へおよそ35㎞。またの名を粟生(あお)島、櫛島とも呼びならわされるこの環海の孤島には、医者もおらねば駐在所もない。 明治、否、江戸時代がほとんどそのまま続いているといってよく、情報伝達速度というのもそれに従いまことに緩やか至極であって。 結果、去る十二月二十五日に先帝陛下が崩御なされた現実も。 新帝践祚も、それに合わせて「昭和」と改号が成されたことも。 もろもろ一切、知ることはなく、従って喪に服すなど思いもよらず――…

  • 日本南北鳥撃ち小話 ―蝗と鴉の争覇戦―

    山鳥を撃つ。 すぐさま紙に包んでしまう。 適当な深さの穴に埋(うず)める。 その上で火を焚き、蒸し焼きにする。 頃合いを見計らって取り出して、毛をむしり肉を裂き塩をまぶしてかっ喰らう。 「山鳥を味わう最良の法はこれよ」 薩摩の山野に跳梁する狩人どもの口癖だった。 (Wikipediaより、ヤマドリ) なんともはや彼のくにびとに相応しい、野趣に富んだ木強ぶりであったろう。 中学生のころ、図書室に置いてあった『クリムゾンの迷宮』でこれとよく似た調理法を目にしたような気もするが、なにぶん遠い昔のはなし、うろおぼえもいいとこで、ちょっと確信を抱けない。 当時は未だ、気に入った箇所、忘れたくない知識等を…

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