先にも述べている様に、ふたつ目の課題の結末は、テッポウユリと同じ様なものになる。 内容は同じ様なものでも、繰り返しとなれば険悪なものになっていく。 二回目の講評会 僕の認識としては、この課題は僕の意思で制作したものではなく、教員達の指事に従ったものである。 そう思わなければやりきれない程、酷い出来でもあった。 僕の意思で描いた上で、どう悪いのか聞く流れで制作してはダメか、質問を持ちかけた場面もあった。 それも即答で「ダメ」と言われていて、解らないことへの具体的な質問も取り合ってもらえない。 テッポウユリの課題と同じ状況を繰り返しそうだと思いながら、同じ道を辿る。 それを回避しようとした分だけ、…
大学のふたつ目の課題でも、起こることは殆んど同じ様なもので、険悪さばかり増していく。 この記事は、アメーバブログで書いていた内容を元にしているが、教員達の都合等の話を追加している。 その為、アメーバブログの方を読んでくれていた人にとっては、知らない話や少し違った印象を受ける内容になっているかもしれない。 鳥の剥製の日本画制作 僕自体は、教員たちの教え方や考え方等を早く理解しようと考え、それ迄と同じく質問を繰り返していた。 その質問や疑問などの僕の話など、教員達は殆んど聞き入れず、その都度、理解に悩む指示ばかり出してくる。 その為に、僕は自分の本来の描き方を保留し、教員達の指示を満たす描き方を考…
日本画制作で、テッポウユリの細密描写の課題。その講評会前後の話。 講評会の直前 大学が始まり、最初の課題制作を始めた辺りでは、特に疑問もなく始まっていた。 しかし、教員達の話に耳を傾ける度、理解の出来ないことばかり増えていく。 そのことに質問を持ちかけても、答えてくれないか、聞いたこととは少し違った内容しか返ってこない。 僕の質問の仕方が悪いのだろうが。 それ以前に、教員達の「解らないことがあったら、聞きに来てください」という言葉を額面通りに受け止め、質問をしている僕の行為自体が悪いのだろうか、等と考え込んでいた。 テッポウユリの講評会は迫ってきて、ようやくS先生やA先生(女子)なりの教える描…
僕はこの美術大学で、誰に見られても恥ずかしくない勉強をするつもりで入学してきた。 他人からどう見られるかとか、目立って恥ずかしいとか、そんな目先の小さなことで大切な学ぶ機会を失う訳にはいかない。 K先生やS先生やA先生(女子)が持っている僕への認識は、間違っていると見てとれる。 僕は、教員達や日本画のことをバカにはしていないし、絵に対しても、必死に取り組もうとしていた。 だから、何かの切っ掛けさえあれば、すぐに解り合えると信じていた。 同級生達と解り合うのは、教員達と解り合った後になるだろう。 時間はかかるだろうが、絵を志す者通しなのだから、入学して半月程度で起こったことなど、漠然としたいつか…
前回までに、何度か書いている話から始めることになるけれど。 アメーバブログをやっていた頃、この辺りの話がまとまらず、同じ様な話を何度も繰り返していた。 はてなブログへ記事を移行していく過程では、ある程度の話はまとめようと思っている。 それでも、元の記事が繰り返し過ぎているので、くどい処は残ると思う。 テッポウユリの写生 美大の最初の課題はテッポウユリなのだが、写生からはじまり、写生を元にした日本画の際密描写へという流れで進む。 まだユリがつぼみの状態でモチーフを渡され、それをスケッチブックに写生する。 花が咲くのを待ちながら、写生と同時に、日本画の制作行程を教わる。 その写生の途中で「光が当た…
話の流れとしては、前回の続きとなるが、今回は日本画と影の話となる。 日本画には影がない 日本画を学んでいると、割りと早い段階で「日本画に影はない」という言葉を耳にする。 それから、日本画では影を描いてはいけない、というルールに従うことになる。 しかし、その意味合いをきちんと説明していない場面も多く、疑問に思う人も多いのではないだろうか。 結論を急ぐ人は、次の見出しまで文章を飛ばすとよい。 僕がこの言葉をはじめて聞いたのは、浪人生活を始めた予備校でのこと。 教わったのは、通っていた造形美術学院という予備校・研究所の創設に関わった木路先生という方。 画家であり、美術評論家でもあった。 この先生は、…
実際に美大に入学して、思っていたものやそれまで聞いてきたものとの違いを感じてしまう。 大学生活を送るうちに感じていくのではなくて、最初から何かがおかしいと感じ、戸惑ってしまう。 今回は、そんな話。 美大の授業のはじまり 美大の授業が始まって最初の一週間程で、僕は、気のせいではなく、何かがおかしいという考えが過る。 大学の最初の課題は、テッポウユリの写生と細密描写だった。 モチーフはまだつぼみ状態で、各生徒に一本ずつ配り与えられていた。 その一番最初の課題の制作途中で、日本画の非常勤講師のK先生が、教室の生徒全員に対してこんな発言をする。 「日本画では、光が当たった結果現れるものは一切描かないで…
美術大学へ入学してからの話に入る前に、今回は、僕が日本画を専攻した考えについて書こうと思う。 そのことを高校生の頃の話として、時系列的な流れで書いていっても良かったのだけど。 そうすると文章は長くなったり、話としてまとまらなかった。 その為、ここでこの話を書いておかないと、この話を書く場面は失くなるだろうとも思えている。 日本画とはなに? 美大・芸大への進学を志望したあの頃、洋画を学ぶべきか日本画を学ぶべきか、随分と悩んだものだ。 特に、浪人時代や画学生時代に、「何で日本画なの?」と聞かれる場面は何度もあった。 それ以前に、まわりから「日本画ってどういうもの?」という質問もそれ以上に多かった。…
大学受験が終わり、自分の望んでいた大学ではなかったけれど、なんとか美大生になることができた。 この合格通知は、母にはより一層苦労がかかる始まりでもある。 僕の家庭は母子家庭で、学費や生活費などは母ひとりの労働に頼る。 ここでかなりの苦労をかけるのだから、いつかは恩返しをしようと、漠然と考えてはいた。 合格通知を受け取ってから 古くからの友人のなかには、僕の美術大学への合格に、苦い思いをしているやつもいた。 その友人たちは、本当はやりたい進路があるのだけど、その道へ進めずに燻っていて、美術大学へ進学する僕が羨ましい…そんなことをグチグチ言うのだ。 中学で知り合い、高校は別々のところへ進学したけれ…
時間が経過すれば、入試の時期はやってくる。 僕個人は、どこか特定の大学を目標に頑張るという考えはなかった。 どの大学でも通用する腕を身に付けたい、それが難関高と言われている処であっても。 美大・芸大の予備校のなかで、僕は力もないのに力のある者に競り合おうとして、よく笑われている存在ではあった。 それだけに、一番の難関と言われている東京芸大も視野にいれて努力している、等とは口には出来ない。 それでも、そういう意識は持っていた。 その意識以前に、自分の思うようなデッサンや着色写生も出来ていないことを自覚していて、その悔しさから、予備校から帰っても絵を描いてしまう。 家に帰ったら、絵ではなく勉強をし…
高校を卒業してから、一年間の浪人生活を送る。 高校生の頃に美術部で経験した話は、また暫く後になってからも出てくるのだけど。 取り敢えずはここで区切りとする。 一年間の浪人生活と未練 高校卒業後は札幌で独り暮しを始め、美大・芸大を目指して浪人生となった。 実家は北海道の旭川市で、札幌へは特急電車でも一時間半ぐらいの時間はかかっていたと思う。 この浪人生時代で、初めて絵画の基礎らしい基礎を教わり、絵に関しては濃い勉強が出来た。 でも、筆記の勉強は全く身が入らず、ダメダメだった。 美大・芸大も大学なので、筆記の勉強はある程度出来ていることが前提なのであって、今にして思えば、そこが致命的だった。 浪人…
高校生になってからの話は、まだ本題に触れてはいないのだけど。 心境的なものや、僕が作っていく状況の渦のようなものが、その後の状況と似通っている為に、この辺りの話はもう少し書いていくことになる。 異性に向けた気持ち 異性に対する気持ちを書き綴ると言うのは、どうにも恥ずかしいことなのだけど。 このことも後々のことに繋がっている話となるので、適当に跳ばさず、ある程度は書いていくことにする。 前回にも少しだけ書いた高文連。 ここでは、高校生を対象にした芸術関係の公募展、という説明にしておく。 ↓は高文連のホームページへのリンク。 全国高文連とは 全国高等学校文化連盟 もっと細かく正確に知りたい人は…
進学科に編入して、僕はすぐに美術部へ入った。 最初から柔道なんかやらずに、絵を描いてだけいれば良かったのだろうな、等と当時は考えたものだ。 美術部 美術部に入部した頃は、上級生にも顧問の先生にもあまり相手にされていない感があった。 実際に活動している人物は数人しかいない美術部で、僕なんかも最初だけ顔を出して消えていく存在に見えたのだろう。 それでも、僕が絵に取り組む姿勢が他の生徒と違っていることは、数ヵ月程で見てとれたのだと思う。 それと、元が体育科で柔道部員だったことは、最初のあたりで警戒心する要因だったのかもしれない。 美術部の顧問は平田先生という方で、時々奇抜な行動を起こすとのことで、ア…
高校の一年時。 毎日毎日、嫌々な気持ちで柔道を続けていた。「早く柔道を辞めたい」 いつもそう思っていた筈が、いつの間にかそんな事を考えなくなっていた。 親や担任の先生とのやり取りのなかで、二年生になるまでは編入できず、それでも柔道を辞めるには、高校を退学するしかなかった。 母とのやり取りのなかで、退学もしないことを決めていたので、柔道を続ける以外に道が見付からなかった。 怪我の痕 僕は柔道部のなかで一番非力だった。 脱臼して数ヵ月間は、顧問の先生の指示で筋トレばかりしていたが、それでも一番の非力であることは変わらなかった。 脱臼のギプスをとった腕は、以前よりもずっと細くなり、肘間接をずっと固定…
高校生になってから、色々思い悩み始めることになる。 でも、ここはまだ本題には入れておらず、これから長い話になる。 わざわざこの時期の話を持ってきているのも、僕はこういう流れを作ってばかりの存在なのだろう、という話を書こうと思うからだ。 柔道 高校では、柔道部の強い学校の体育科に入学した。 僕の出身地では、毎年実績をあげている学校であり、中学生で実績をあげている生徒を特待生として集めて入学させたりもしていた。 そういう学校の科に入学したが、僕自身は特待生ではなかった。 それから、僕はその高校は入学した最初の月で、退学を申し出る。 今になって考えるのは、この考えたことこそ、ある意味で正しい思考や判…
中学生になると、部活動で柔道を始めた。 途中から、ボクシングも始めたけれど、その後の絵と比較して考えると、中途半端にやっていた様な感じもある。 正直な処、格闘技でなくても良かったのだけど、絵以外のことを始めたのには、幾つかの動機はある。 格闘技をやろうと思い立ったのには、当時テレビでやっていた「仮面ライダーBlack」の影響も大きかった。 でも、それだけではない。僕は余計なことにすぐ首を突っ込み、そのせいでゴタゴタの中心で泣いている場面が多かった。 僕がいくら殴られていても、その場を見る人達はいつも知らない振りをする。 いじめられている誰かを庇う経緯があっても、結局は、僕側にも問題があると言う…
僕が絵を描きを始めたのはいつ頃からなのか、考えてみた。 一番古い記憶では、幼稚園でのこと。幼稚園の先生から「お友だちの顔を描こう」と言われて、向かい側にいる友達の顔を描いていた。 その友達がこう言ってくる。「お前の顔を変な風に描いてやる」この程度の言葉に、あの頃は泣いていた様な気がする。 同じく幼稚園で、先生がチューリップの花を持ってきて、こんな事を教えてくれた。「お花の葉っぱはね、右と左とは一緒に生えていないんだよ」 そんな当たり前のことでも、あの頃の僕は驚きだった。 でもそれは、幼稚園でお絵描きする時間を与えてもらってのこと。 自分で勝手に絵を描きを始めていたのはいつ頃からだったのだろうか…
これから暫くの間、過去にアメーバブログで書き綴っていたものを、多少の手を加えながらこちらに投稿し直します。 アメーバブログで書いていた期間は、2013年12月9日~2017年7月23日迄で、結構な期間で書いていたものですね。 根暗な話となるので、そういうのが苦手な人は、この辺りで止めておいた方が良いかもしれません。 それで、はじまりはじまり~ はじまり 過去の出来事に振り回され、ずっと煮え切らない生き方をしてきた。 もうずっと過去の事なのに、その問題に今も捕らわれていて、そこから抜け出せないでいる。 「こんなことではいけない」 いつもそう思いながら、他人を羨んだり妬んだり恨んだりする自分がいて…
一週間くらい前、このはてなブログ PerfectGuideBookという本を、Amazonさんから取り寄せました。 はてなブログ Perfect GuideBook 作者: JOE AOTO 出版社/メーカー: ソーテック社 発売日: 2016/07/22 メディア: 単行本 この商品を含むブログ (3件) を見る 本を手にとって読むまで、この本を読む行為が少し恥ずかしかったのです。 なぜかというと、はてなブログの機能の多くは、いじっている内にある程度はわかってきます。 わからなければネット検索することで、殆どがの内容はカバーできるとも思うのです。 それだけに、こういう本を読むというのは、自分…
レゲェ・パンチというカクテルがあります。 今回は、そのレゲェ・パンチで使うリキュールの話です。 レゲェ・パンチについて レゲェ・パンチを簡単に言ってしまえば、ピーチティーのお酒で、別名はピーチ・ウーロンです。 宮城県仙台市にあるバーで、レゲェ・パンチは考え作られたと聞いたことがあります。 女性向けに考えたカクテルというだけあって、女性が好んで飲んでいるのを見てきました。 僕の働いていた飲み屋では、最初、メニューに乗っていないメニューでした。 元々は飲食店の会社ではなく、その店舗の管理も適当だったこともあり、メニュー表の作り直しをなかなかされない事情がありました。 その頃の僕は、そのお店に業務命…
業務用のサワーの話しになります。 ここのところ書き綴っているお酒関係の話は、殆ど、僕が飲み屋で働いていた頃に模索してたものなのです。 業務用のシロップやリキュールというのは、とても便利なのですが、気付くと、他のお店で使っているものと同じような感じになってしまいます。 そこから、他のお店と少し変化をつけられないかと考える人もいるでしょう。 お金は飛び、思うようにもいかずに苦労もします。 でも、そういう模索の積み重ねが仕事の自信に繋がったり、お客さんの反応がよかったら嬉しくなったり。 勤めている会社がブラックでも、そういう部分は楽しく思えたものです。 書いていることは、飲食店でそれなりの立場の人に…
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