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絵と猫とぐだぐだ https://www.motonari.work/

趣味で絵を描いている者です。 絵を描きながら思うことを中心に、雑記的なものを書き綴っています。

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2019/01/25

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  • 『再興第106回院展 東京展』見てきました。画像あり。

    久々の更新でございます。 再興第106回院展 東京展 3日の金曜日に院展を見に行ってきました。 それから、このブログにも画像を挙げなくちゃと思っていましたが…画像とタイトル・名前をつけて投稿するのが面倒くさいなぁと、投稿を後回しにしていたら、いつの間にか7日の火曜日も終わろうとしています。 そういうわけで、今ごろになって投稿している次第です( ̄▽ ̄;) 巡回展なので、東京の展示が終わった後、各地域をまわっていくことになります。 これから見る予定の方、今回も面白い展示となってますので、お楽しみに。 展示しているなかで、あくまでも僕の好みの絵をここに幾つか挙げているだけです。 ですから、他にも面白…

  • 『創作表現者「受賞作家展」』作品掲載

    早稲田ドラードギャラリーさんにて、『創作表現者「受賞作家展」』が開催されました。 期日は5月28日(金)~6月1日(火)まで。 ↓下の画像は、今回僕が出品した油絵です。 以前にも書きましたが、この展示の前段階に「創作表現展(2020.12)」があり、僕は人気投票で本当のギリギリのスレスレで入選者となれ、今回は運に恵まれてこの展示に参加できました。 今回も、展示作品の写真を撮ってきたので、ここで紹介していきます。 『ホタルノハラ』水谷 美穂 『VISITOR』エセム 万 『黄金の森』松江 比佐子 『明けに想う』奥田 みき 『小さな幸せ』森下 よし子 『HAZAMA-34 Tasmanian de…

  • グリム童話と旭川14歳いじめ事件。

    旭川市14歳いじめ事件。 僕はもう1ヶ月くらい、この事件に意識を傾けていて、新情報が出てくる度に、いたたまれない気持ちになっています。 僕のブログでは基本的に、自分の思ったことを中心に書いていくつもりです。 情報元もネットでの拾い読みしてばかりなので、詳しい人なら既に知っている情報ばかりでしょうし、不確かな情報も含まれているでしょう。 ですので、最新情報や細かな情報を探している方には、他のブログ記事やYouTube動画とかを検索した方がよいです。 僕が語るのは、新しい情報や考察よりも、僕個人がこの事件から感じ思ったことです それと今回の内容は、全面的にも胸クソ悪い内容ばかりであることを、先に伝…

  • 創作表現者『受賞作家展』への出品と告知

    少しだけ早めの告知です。 早稲田ドラードギャラリーさんにて、『創作表現者「受賞作家展」』が開催されます。 期日は5月28日(金)~6月1日(火)まで。 この展示の前段階で、「創作表現展(2020.12)」があり、僕は人気投票で本当のギリギリのスレスレで入選者となれ、今回はこの展示に参加できました。 いい絵を描いている人は沢山いるなかで、僕の絵は展示スペース的に凄くいい処に飾って貰えたこともあり、何かと運に恵まれました。 ↓下は、その時に出品した油絵です。 このドラードギャラリーさん、元々はFacebook友達の『いいね』経由でオーナーさんの存在を知りました。 その方の投稿を見ていると、僕の持つ…

  • YouTube動画で、車に轢かれてしまった猫の話を見ています。

    ここ何日か見ているYouTube動画です。 夜に車にひかれたらしい猫を見つけ、保護した人と猫の一連の話となります。 この猫の動画しか見ていないので、細かな処までは把握していませんが。 動画の主は、動物の保護活動をしている人の様です。 車に轢かれていた猫を救出して保護しました。助かってほしい・・・ - YouTube 保護されて一週間。 ↑怪我している猫の為、動画主さんは自身のコートを使い、毛布の様に猫を包み動物病院へ運びます。 車に轢かれ保護した猫が深刻な状況。決断を迫られる。 - YouTube ↑症状が酷くて体力も落ちていて、猫白血病や猫エイズなどもあり、手術をしようにも出来ない状態にある…

  • 油彩の制作途中、部分。

    ↓の画像は、今朝から再開した絵の部分。というか、指触乾燥を待ってただけだけどね。 今回は、Facebookでの投稿をコピーして貼り付けたコピペです。 手抜きして、すまんません。 先週は、ある人に手紙かこうと頑張ってたんだ。 元々お馬鹿な僕だから、気を遣ったり、礼儀的な書き出しを考えたりも出来なくて。 その相手とは二十年ぶりのやり取りで、二十年前の僕はもっと馬鹿なりに、気を遣おうと、でも表向きは失礼なことをしていた。 本質はたった一言で終わることでも、色んな状況や事柄が複雑にして、本質から遠ざかっていくことが多いんだよ。 そういう手紙を書くのに、内容より形式的なもので苦しんでいた^^; 関係ある…

  • 先日『現代童画会'21 春季展』へ行ってきました。

    この記事の投稿日ですと、既に会期は終えてますが、『現代童画会'21 春季展』に行ってきました。 現代童画会 会場では、写真を撮ってもよいとなっていたので、確認をとった上で写真も撮りました。 ほんの一部ですが、よかったら見ていってください。 作品のサイズは10号くらいまでなのでしょうか? 軽くネット検索しましたが、規定サイズがわかりませんでした。 でも、これくらいのサイズの絵は、しっかり描き込みやすくて、僕もよく描くサイズです。 そういうのもあってと思っていますが、出品数も多いなか、見ていて楽しくなりました。 能書きはいいから早く絵を見せろ、という声が聞こえそうなので、画像を添付していきます^^…

  • 新商品のスティックおにぎり❗️美味しいのか?

    今回は、Facebookで語った話をそのままコピーして貼っております^^; LAWSONの新商品、スティックおにぎり この新商品、昨日の夜中にはじめて見かけた商品なのだけれど、 今また買い物に来たら、そのときの子達がそのまま値引き品になっている。 普段はこんな投稿しないのに、気紛れでこんな投稿を始めて、値引き品になっているとか、どうせ美味しくなくてネタ投稿をしてるんでしょ? という声が、どこからか聞こえてきそうだ。 でも、もうここまで読んだんだから、最後まで読んでいきない❗️ 僕は新商品を試すのが好きだから、この『スティックおにぎり』というものを試しに買って食べてみた。 う~ん、これは特に美味…

  • どうでもよい話(+_+)

    先日、面倒事がひとつ片付きました。 というのは、近頃の話ですが。 画学生時代の話の移行と手直しの作業をのんびりやってきましたが、それもようやく終えました。 やっと解放された感があり、気分も一新出来そうです。 その間、幾つかの絵を描き、幾つかの展覧会への参加もしました。 参加したものに関しては、過去の記事にあげた通りです。 ↑の絵に関しては、今はまだ全体をお見せできませんが、油絵具でこういう絵も描きました。 日本画の絵に関しても、近頃になって手をつけました。 ↑こっちも、全体をお見せできませんが、日本画の絵具を使い描きました。 日本画は、幾つかの絵に手をつけては失敗を繰り返していたもので、十何年…

  • 再興第105回 院展

    横浜のそごう美術館で開催中の『再興第105回 院展』へ行ってきました。 僕が院展を見に行くのは、十何年振りだと思います。 ブラック企業に縛られてから、十年くらいはお出掛けの機会を失い、解放された後のここ何年かも、色々とタイミングを逃していました(^_^ゞ 僕が二十歳前後の頃は、公募展に出品するなら、まずは院展かなぁ~という考えを持っていたのです。 あの頃は、戦前の日本画のことを知ろうと、色々と本を読んでいまして、院展の設立の中心となる岡倉天心のことにも興味を持っていましたから。 そう思いながらも、僕は人の繋がり関係から院展への応募には踏み出せなかったので、今も個人的なことで色々と考えてしまう処…

  • 『-水と油-小尾 修・永山 裕子 二人展』見に行ってきました。

    Gallery Suchiさんで開催されている展示 -水と油-小尾 修・永山 裕子 二人展 数日前に行ってきました。 どちらの作家さんの絵も、僕は好感持っていますが、展覧会のタイトルには少し笑ってしまいました。 そして、毎度のことの様に、筆跡まで見るようにじっくりと見て来ました。 因みに、ギャラリーさんから写真撮影はよいと確認した上で、写真を撮らせて戴きました。 小尾 修 油彩『7:30am.』 どの絵も迫力があって、見ごたえありました。 僕は昔から、実物の絵を見に行こうと心がけています。 鑑賞している絵と自分の描く絵に違いがある程、自分が描いている絵がどんなものか、自分ならどんな感じ描くのか…

  • 『美樹本晴彦展』と『山本恭子&aomana 展』

    久々の投稿となります。 幾つかの展覧会へ行きまして、今回は、その記録というか~思い出を残しておきます。 美樹本晴彦展 先ずは美樹本晴彦展のことからです。 こちらの展示は、作品の写真撮影はダメということで、ポスターと特典で貰ったクリアファイルの写真だけ撮りました。 実際に会場へ行くと、版画展ということでした。 絵の楽しみかたは人それぞれなので、僕の感想は、あくまでも僕なりのものです。 特に賛同とか求める気もないので、ご理解ください。 正直な感想を言うと、あまり楽しめませんでした。 作品は全て版画で、原画はありませんし、昔に描いていた、オーガスとかガンダムとかもありません。 展示している絵は、たぶ…

  • アメリカ大統領選挙~6日の上下両院議会に向けて

    Facebookの方で、珍しく長文を書いたので、こっちにも転載しておこうかと思いました。 アメリカ大統領選挙の話なので、興味ない人はスルーしてください。 画像は、香港の民主化運動をしているアグネス・チョウさんです。 https://www.instagram.com/p/CDgiRHaHfhz/?utm_source=ig_web_copy_linkアグネス・チョウさんのことは、話の後半で少し絡みます。 大統領選挙で今一番の話題になっているのは、1月6日の上下両院合同議会。 米 歴代国防長官が共同声明 “大統領選の結果受け入れるべき” アメリカ大統領選 NHKニュース アメリカ大統領選…

  • 第10回 創作表現者展 展示作品

    第10回 創作表現者展 ドラードギャラリーさんで開催中の『創作表現者展』ですが、実際に会場へ行って作品を見てきて、写真も撮ってきました。 という訳で、展示作品から幾つかを、ここであげていきたいと思います。 まずは、僕のイチオシの絵からはじめますよ。 『柿紅葉』油彩 金住公博 『祈り』油彩・金箔 荒木 恵美子 『ハートの小窓』アクリル Yomi 『さいごまで愛して…』油彩 福本 綾 『不思議の森の中の仲間たち』アクリル・水彩 Kiyoto 『星降る夜に』アクリル 森下 よし子 ここからは、動物関係の絵を幾つか添付していきます。 『ウィザード・ペンギン』アクリル 伊豆 里美 『満月ポン』アクリル・…

  • 第10回 創作表現者展

    今回は、展覧会の告知というか、記録残しです。 第10回 創作表現者展 2020年12月19日~26日まで(水曜定休日 入場無料) ドラードギャラリーさんにて『創作表現者展』が開催されます…というか、このブログ更新日から展示が始まっています。 この展示のなかで、僕の油絵『茶トラの子猫』も展示して貰えることとなりました。 例年ですと、100人前後の出品者で展示を行うのですが。 今年は73名の出品という話で、これもコロナ問題の影響でしょう。 僕もこれから展示会場に向かい、他の出品者さんたちの作品を見てくるつもりです。 展示場所は、東京の早稲田にあるドラードギャラリーさんです。 地下鉄東西線の早稲田駅…

  • 茶白の母猫と、その子たちの絵

    久しぶりのブログ更新となりました。 近頃は、これ迄の記事を少しだけ手直しするつもりで、過去の記事を見直していたのですが、上手く書けていないことばかりで、結構な期間を費やしてしまいました。 のんびりやっていたのもありますが、のんびりやり過ぎたかも知れません。 というか、僕は文章を書くの下手すぎて、いくら直そうとしても上手く直らず困ってます(*_*) 今は『#あの時の話』のNo.82を終えた処で、まだまだ終わりまでは長いですが、どこかで適当にして、切り上げないとですね(^_^ゞ 茶白のお母さん猫 さて、書くべきことは色々と溜まっています。 今回の話は、2017年の半ば頃に描いていたアクリル画達のモ…

  • 銀座・京橋サムホール公募展二◯二◯

    身のまわりのことにかまけて、展示の話が遅れました。 といっても、僕と繋がりのある方は、このブログよりFacebookの方を見てくれるので、こっちは記録を残す意味合いになるだけですが。 さて、まずは告知です。 『銀座・京橋サムホール公募展二◯二◯』開催 10月12日(月)~17日(土)まで こちらの公募展で、僕の絵も入選し、現在展示されています。 僕の絵は茶トラの猫の絵で、タイトルは『白詰草』です。 この絵は、幼い頃に仲良くして貰った、茶トラの野良猫との思い出やイメージを描いている連作のひとつです。 連作といっても、多くは納得のいく絵になっておらず、公開もせずに眠っているものばかりだったりします…

  • 竹内香ノ子さんの個展へ行ってきました。

    昨日ですが、竹内香ノ子さんの個展へ行ってきました。 会場は、早稲田にあるドラードギャラリーです。作品画像、幾つか撮らせていただきました。 3~4年前、Facebookの「いいね」経由で見つけた作家さんです。 当時は、クマ母ちゃんの絵にメロメロになりまして~でも、クマ母ちゃんの絵を乗せなくても、いい絵ばかりなのですよ。 動物たちの優しい世界が描けていて、凄くいいでしょ。 相変わらず、写真とるのが下手くそで申し訳ありません。 凄く凄くいいでしょ。 僕も、昔からこういう絵を描きたいイメージは持ってますが、僕には描けないのです。 ドラードギャラリーさんでの開催で、期間は10月13日までです。 会期にま…

  • 『#あの時の話』の終わり No.148

    随分と長く書いてしまった『あの時の話』というカテゴリーの話だけれど。 今回で、このカテゴリーの話は終わりとする。 またいつかこのカテゴリーを使って、新しい話を書くかもしれない。 でも今のところは、その予定や考えはない。 人生は、色々とある。 誰かからは小さな問題に見えても、別の誰かには、一生つきまとう大きな問題だったりもする。 誤解もある。 ただ愚かに見える行動でも、そこには必然や深い意味や悪意や善意が隠れていることもある。 善意でとった行動が、仇になったり、悪意に受け取られたり、そのことで恨まれたり。 能力や思考的なもので、出来ることや出来ないこともあり、そのことで面倒なことにもなる。 こう…

  • 労働裁判の終わり No.147

    最後の和解案 話し合いを終え、裁判官から最後の和解案を提示される。 原告である僕側から残業代請求した額より、数割ほど(だったと思う)少ない額が提示された。 理由は2つある。 ひとつは、勤務時間内に休憩は取れなかったとしても、食事休憩をとる様な時間はあったのではないか。 もうひとつは、弁護士さん側で計算した残業代の請求計算に間違いがある、という指摘だった。 ひとつ目の食事休憩の問題。 これに関しては、拒む。 パチンコ店であれば、食事休憩をとる体制を作り、多少の時間差はあっても、食事休憩はみんな取っていた。 しかし、カラオケ店での僕に関しては、その食事休憩への想定をして貰えた場面すらない。 顧客の…

  • 労働審判5 No.146

    シフト表の再現 弁護士さんからの促しでは、和解の話に入っていくか、新しい証拠や話を持ってこれるか、どちらかにしか向かえないだろう、という話だった。 そこで僕の出した話は、シフト表の再現をする、というもの。 これ迄の訴訟のなかで、僕は毎日、ホール作業全般をしている主張をしてきた。 店長業務も一部は行ってはいたが、その業務は、他の従業員も多く出勤して手の空いた時や、閉店後等でないと手が出せない場面が多い。 全ては、会社幹部達の強要していた人件費の削減によるものから、その様な状況にも陥っていた。 この話を、言葉や文章だけで主張しても、被告側は認めない。 口頭で『やった』『やっていない』という話し合い…

  • 労働裁判4 No.145

    和解案の拒否 前回の訴訟で、被告は『裁判官の提示した額では了承出来ないが、検討してみる』という返答をして終わった。 そうして、次の訴訟では『裁判官の提示したその額でなら、和解してもよい』という返答を持ってきた。 しかし、原告である僕は『やっぱり和解の話し合いはしません』という返答を用意していた。 そういう返答を弁護士さんにさせる過程でも、それなりの苦労はしていた。 僕は弁護士さんに対して『主張すべきことを、きちんと主張して貰ってきたとは思っていません』と強く語り、それでも和解を強引に押し進めるならば、弁護士さんを解任して、別の弁護士さんと契約をするつもりで動いていた。 依頼者である僕にそう言わ…

  • 労働裁判3 No.144

    情報開示請求 被告との話し合いは、同じ様な内容を繰り返し、最終的な期間としても1年半の訴訟となった。 被告は話し合いの最後まで、原告の立場は管理監督者であり、現場作業なんか殆どしていなかったと語る。 同時に、『原告のブログで書かれた内容は信用できない』という否定もずっと続けている。 そもそもは、被告から『仕事中にブログを書いたりしていて、仕事をしていない証拠だ』というかたちで、訴訟のなかで出てきたものである。 それが休憩時間内で書いていたものだ、という話となると、ブログで書かれている被告会社の酷い雇用内容の記録としての意味合いだけが残った。 原告である僕側は、ブログの内容については訴訟内で語る…

  • 労働裁判2 No.143

    便利さと違和感 僕と弁護士さんとの契約では、裁判の全てを弁護士さんへ一任するものになっていた。 一任すると言っても、僕と弁護士さんとで前以ての打ち合わせをするし、その打ち合わせの内容を基に、弁護士さんは訴訟を進めていく。 その一任の契約をしているので、僕は裁判所へ行くことはなく、訴訟の日でも普通に仕事へ出勤できて、便利ではあった。 しかし、訴訟~公判へ出席しないというのは、便利である一方で、様子のおかしさに気付くのも遅れる。 被告である会社側の主張等のひとつひとつは、どうにも愚かに見えるのだが、訴訟での話し合いが進んでいくと、なぜか被告に有利なかたちで話が流れている。 そのことに気付き、僕は弁…

  • 労働裁判1 No.142

    訴訟の始まり 民事訴訟は始まる。 僕側が原告となり、会社側は被告となる。 訴訟は、原告から未払いの残業代を求める書類を作り、そこへ被告が反論していく。 移行は、原告と被告で交互に主張していく。 お互いの主張は、訴訟前から殆ど変わらない。 『原告である僕は、管理監督者ではなく、労働も上司や会社に管理されていた立場にあった。 未払いの残業代を受けとる権利はあり、残業代を支払いなさい。』 『被告である会社は、高木を管理監督者として扱ってきた。 管理監督者としての給与も十分に支払っていたし、勤務時間に関しても、自身で調整できる状態にあった。 その為、高木には残業代は発生しない。 会社は高木に対して、残…

  • 残業代請求への拒否 No.141

    退職した会社からの回答書 残業代請求を行った後、退職した会社から、残業代請求に対する回答書が返ってくる。 インターネットで情報収集すると。 この回答書の多くの場合、事実を歪めたかたちで、請求者を批判して支払いを拒否する流れが多い様だ。 僕の場合も、同じ様な感じで返答を受ける。 下に書いた話は、あくまでも僕が要約した内容であり、直接の文面ではない。 『高木は、カラオケ店の管理監督者の立場にあり、管理監督者としての十分な給与を受けとったので、残業代は発生しない。 高木の勤務実態について、会社で後日調査してみた処。 高木は、勤務時間中であるにも関わらず、パチンコ店へ遊びに行ったり、店舗内でも昼寝や絵…

  • 未払いの残業代請求 No.140

    残業代請求への決断 未払いの残業代請求の件で、僕は弁護士さんへ依頼するまでにかなり悩んだ。 会社を退職した直後には、この会社の不当な扱いのなかでも、僕は自分がやるべきことをやり切ったつもりでいた。 だから、残業代請求の考えも僅かに頭へ残しつつも、請求はしない考えでいた。 残業代請求は、やった方が得なのはわかっている。 しかし、退職後の人との関わりや社会通念上のことを考えると、漠然と、退職した会社への残業代請求はしない方がよいと思えてしまう。 それは漠然としたもので、具体的な考えではないのだけど、なぜか『目先のお金よりも信用や信頼の方が大事だ』と思えてしまう。 その反面、美術大学の時と同じく『や…

  • 近年の労働裁判の流れと労働審判 No.139

    むかし何度か耳にしていた言葉で「アメリカ等は訴訟大国である」なんてものがった。 ペットをお風呂に入れて、濡れた毛を乾かすために電子レンジに入れて死なせてしまい、電子レンジのメーカーを訴えて勝訴したとか(この話は嘘らしい)。 バスケットボールのゴールにダンクシュートをしようとして失敗した人が、顔をぶつけて怪我をしたことで、そのゴールを作った会社を訴えて高額な慰謝料を勝ち取ったとか。 そんなアメリカの訴訟の話、昔はよく聞いていたのだけど、近頃はそういう話を耳にしていない気もする。 むかし好きだった海外のドラマで「アリー my Love」という女弁護士の物語もあった。 僕が画学生で卒業する年、シーズ…

  • 退職した会社へ、未払いの残業代請求をすべきかの迷い No.138

    残業代請求への迷い 結果的なことから述べると、僕は退職してから暫くして、会社へ残業代の請求をした。 その過程には色んな迷いがあり、踏み出すまでには時間はかかったし、踏み出してからも『こんなことを始めて良かったのだろうか?』という迷いや戸惑いも、暫くはついてまわった。 それでも、全てを終えた今の僕の気持ちや考えから言えることは、踏み出して良かったと思っているし、良い人生経験にもなった。 ネット検索などからこのページに来た人なら、もしかすると、当時の僕と同じ様な内容で迷っている人なのかもしれない。 そういう部分で、少しでも何かの参考になっていれば、僕も頑張って記事を書いた甲斐になり、励みになるとい…

  • アメブロの後の話3 No.137

    退職直後 カラオケ店を退職する前後でも、細かなトラブルは沢山あった。 カラオケ店を退職した後も、実は半月ほどカラオケ店の仕事をしていた。 会社の誰も引き継ぎをしてくれなかった為に、本来は社員がやるべき食材やお酒などの発注や、設備の手入れなんかもアルバイト達へ教えていた。 在職中に済ませたかったのに、会社の社員関係は、どうしても自分の都合や楽することばかり考えて、何の協力もしてくれない。 退職後の職場がメチャクチャになることが目に見えているのに、S専務もY本部長も怠けるばかり。 退職した後の職場のことなんか、僕が気にかける必要もないし、メチャクチャな状態に陥って苦労すれば良いのだろう。 怠けてい…

  • アメブロの後の話2 No.136

    新店舗の状況 入社当初、本当は働く筈だったパチンコ店の新店舗の話。 そこは会社の一番新しいパチンコ店で、 僕もオープニングスタッフとして働く予定で採用され入社してきた。 処が、旧店舗も人員を補充したいとのことで、同じ時期に入社した従業員のなかで、僕だけが旧店舗の従業員として働くこととなった。 その店舗の従業員達は、入社した数か月後から会社と慢性的にトラブルを起こす。 その内容も、僕の所属していた旧店舗と同じく、会社幹部のいい加減さや労働基準法違反といった待遇に、従業員達は皆で怒っていた。 旧店舗との違いがあるとすれば、新店舗の従業員達は、皆が同じ時期に入社してきたもので、不満を皆で共有し結束し…

  • アメブロの後の話1 No.135

    アメーバブログでこの話を書いていた頃は、僕はまだカラオケ店で働いている時だった。 アメーバブログで書き綴っていた職場の話も、前回に書いた辺りの内容で区切り、ブログの終りとしていた。 このはてなブログでは、もう少し話を追加してから、その後に始まる訴訟のことにも触れていこうと思っている。 前回では、店のメニュー変更とカラオケ機の買い換えの話まで書いてきた。 メニュー変更によって、調理の作業性を向上させることができた。 この頃にいたアルバイト達も仕事を覚え、人手不足のままでも、僕の抱える仕事は少なくなっていった。 そのことで、閉店後のサービス残業の時間も大幅に減っていった。 社長のそもそもの意向は、…

  • 上司の強要への抵抗3 No.134

    メニュー変更の結末 メニューの入れ替えをする過程で、社長やS本部長などもこの問題に関与してくる。 メニューの入れ替えと同時に、10年以上使い続けたカラオケ機を買い換え、複数の事柄を盛り込んでカラオケ店の売上を伸ばそうと試みる。 補足的な話。 多くのカラオケ店のカラオケ機は、レンタルという形式で導入する。 そうすることで、毎月の利用料金を払い続け、長期的には、カラオケ機を買い取るよりは高くつくことにはなるけれど。 カラオケ機の新しい機種が作られ、新しい性能を追加したりされた場合等には、レンタル契約を切り替えることで、買い取った場合よりも容易に新しいカラオケ機を導入できることとなる。 僕のいた会社…

  • 上司の強要への抵抗2 No.133

    Mの指示 S専務が退職したからといって『Mが高木を使って、カラオケを作り替えろ』というS専務の指示は消えない。 S専務の指示は、カラオケ店の売上を上げる、ということを目標にはしているけれど、それに連なった腹黒い考えは色々とあった。 色々とやった結果、売上が上がらすに以前より酷くなった場合は『高木が勝手なことをしたからだ』というかたちで社長へ報告する段取りになっている。 逆に売上が上がった場合には、S専務が『俺が指示してカラオケ店の改善をした』と語る段取りとなっている。 どちらに転んでも『やっぱり高木は使えない従業員だ』と語られる結末が明らかに待っていた。 カラオケ店のことを全く把握していないS…

  • 上司の強要への抵抗1 No.132

    専務の空回り 全く休みを取れなくなってから、一年くらいは経過していたと思う。 それ迄に、僕とS専務との会話の中で、 『最後に休みをとってから、どれくらい経っているの?』 『会社の状況から考えて、高木は休みなんかとれない事、解っているよね?』 という会話を時々行ってくる。 この言葉の指す通り、僕が長期的に休日をとれていないことを認識していて、その対処をする気もないということだった。 そのことへの言い訳をする意味合いで、S専務もS本部長も口を揃えて語る台詞があった。 「パチンコ店も人手不足で…」 「今はパチンコ店は大変で…」 それらが嘘で、本当は対応できるのに面倒臭がっているだけなのも、薄々わかっ…

  • 店長不在の店舗5 No.131

    事務員からの批判 古くからいたアルバイト達を退職させた後、アルバイト事務員から受ける僕への批判は止まらない。 「◯(新人アルバイト)なんかよりも◯(古くからいたアルバイト達)達の方が仕事をしていた。」 「仕事をしなかったとしても、そういう従業員として育ったのだから、その分を高木が働いて補うべきだった」「みんな平等に扱う為、アルバイトは今残っている人物も全員辞めさせるべきだ」「あなたの判断は間違いだらけだ」 「あなたには人の心がない」 何度も繰り返されるこういう批判に、僕もうんざりし、何度か反論したこともある。 その反論に対する事務員は、 「私はアルバイトであり、何の関係や責任もありません」 「…

  • 店長不在の店舗4 No.130

    引き抜かれてきた店長 Kという人物が、店長になることを前提に入社してきた。 Kはパチンコ店の常連客で、S本部長とS専務から誘われて、そのときにやっていた飲食店の仕事を退職して入社してきた。 しかし、入社前にS本部長から聞いていた待遇と実際の待遇に大きな違いがあったらしい。 具体的なことをいうと。 Kは入社した最初の月から、店長としての手当てやそれなりの額の給与を貰うつもりでいた。 それから実際に入社すると、一般の正社員としての一番少ない給与額となっていた。 そのことに対する会社の話は、「仕事の引き継ぎをして店長になった月から、約束の給与額は払う」というものだった。 他にも何かあったのかも知れな…

  • 店長不在の店舗3 No.129

    下がり止まる売上 パチンコ店に居たとき以上に、カラオケ店の環境は狂っていた。 普通に考えれば、こんな酷い扱いをしてくる会社や店舗の都合なんかを考えずに、職場を放棄して退職を強行すべきだったのだと思う。 でも、新しく入社してきたアルバイト達のことを考えると、僕は退職を強行することは出来なかった。 僕という人間は、本当にお人好しが過ぎている馬鹿なのだと思う。 古くからいるアルバイト達は、主には平日の顧客が殆んどいない時間だけを選んで出勤しようとする。 当人達の言葉上は「店の為に出勤してやっている」と語る。 最初のうちは、そういう時間でも出勤させて、僕は雑務関係に手をつけてはいた。 でも、その時間に…

  • 店長不在の店舗2 No.128

    カラオケ店の変化 M店長が居なくなってから、僕はアルバイト達へ状況を説明した。 『S課長はカラオケ店のアルバイト達を辞めさせようと、口実を探っている。 アルバイト達は、何かがあってもS本部長が助けてくれると思っているけれど、S本部長自体はカラオケ店のことを面倒臭がっていて、自分の都合しか考えず、この状況を利用する考えはあっても、変えたり助けたりしていく意思はない。 僕自体は、この状況をどうにかしようと動いていくけれど、アルバイト達の置かれている立場に関しては、アルバイト達が働き方を改めなければどうにもならない。 僕のこの話をアルバイト達が聞き入れないのであれば、S課長が責め立てている様に、アル…

  • 店長不在の店舗1 No.127

    店舗の営業とヤクザ この頃までには、このカラオケ店にまつわる色んな情報や噂等が耳には入ってきていて、その情報から大体の統合も出来ていた。 このカラオケ店の歴代の店長は、毎回数年程で(待遇の悪さやトラブル等により)退職していく。 その他の社員も、長くは続いた者は居ない。 2代前の店長や3代前の店長はヤクザ関係者だった。 前職がヤクザで、このカラオケ店を退職以降にヤクザに戻った者。 ヤクザではなくても、家族や親戚にヤクザがいて、そのヤクザ達と絡んで違法なやりとりをしている者。 そういう人達の繋がりから、カラオケ店のアルバイトや顧客等にも、ヤクザ関係者は何人も混じっている。 ヤクザ関係者が店長になる…

  • 店長の退職 No.126

    退職への説得 僕の退職に関する話で、M店長と話し合った時の話から。 僕が最初に会社へ退職を求めたのは、12月末だった。 そこからズルズルと時期を引っ張られ、6~7月頃にカラオケ店へ移動してきて、M店長の手伝いをすることとなった。 店の雑務は僕ばかりに押し付け、M店長もアルバイト達も、平日はいつも遊ぶばかり。 店舗の体制を整える様子もなく、翌年もぼくがカラオケ店の居ることを前提に、仕事の話をしてくる。 店舗の営業時間は、早番と遅番に分け、M店長と僕とで別れて仕事をするのだけど。 週末等の忙しい時間はいつも僕に割り振り、M店長は比較的に楽な時間帯しか店舗にいない。 閉店後まで雑務をしているのは僕だ…

  • 移動したカラオケ店の状況2 No.125

    従業員達の腹の底 カラオケ店のM店長は、僕と同じ時期に入社してきた従業員で、数ヶ月前に新店舗からカラオケ店に移動してきていた。 M店長は僕とは違い、本部長との人間関係を上手くやっている。 端からは仲良く見えていても、M店長の居ない場面では「本部長のことは嫌いだ」と語る。 カラオケ店への移動も、本部長に騙されて来てしまったと語る。 カラオケ店のアルバイトは、20歳前後の女の子が殆どで、みんな本部長と仲良い様に見える。 本部長はアルバイトの子達を可愛がっている様子で、口癖の様に「あの子達は話せば解る子達だ」「あの子達は俺の言うことならちゃんと聞く」等と口にしていた。 しかし、そのアルバイト達は影で…

  • 移動したカラオケ店の状況1 No.124

    カラオケ店への移動の経緯 まずカラオケ店の事情と、僕がカラオケ店へ移動することになった経緯から説明する。 このカラオケ店は、S課長のお兄さんが最初の店長であり、S課長もその当時はカラオケ店で働いていたそうだ。 カラオケ店と書いてはいるけれど、元々は個室の居酒屋としての意味合いが強く、料理が美味しいという評判もついていた。 その店長が店を辞めた経緯までは知らないが、その後に何人も店長は入れ替わるけれど、待遇の悪さ等もあり、店長になっても誰もが数年で退職していく。 オープン当初の売上は良かったのだが、時代的には、バブルとバブル崩壊という時期とも重なり、オープン後から十数年間、店舗の記録を見る限りは…

  • 退職願いとカラオケ店への移動 No.123

    パチンコ店の退職願い 専務へ退職の意思を伝える。 具体的な退職理由として述べたのは、もう少し絵を描く時間を確保したいということだ。 僕は使えない従業員という認識を持たれていたのもあり、僕がいなくなること自体に何の心配も持たれなかった。 僕自身も、会社ではいつもその様に扱われてきたので、そんなものだと思っていた。 退職した先輩従業員達も、退職する数ヶ月前には退職することを臭わせながら「俺達が居なくなったら、この店なんかまわらなくなるよ」等と語っていた。 その発言には僕も反論していて。 「貴方が仕事できるのは判っているけれど。 そういう人が何人か退職したとしても、会社や組織は、居なきゃ居ないなりに…

  • 公募おひろめ展2020

    ねこの引出しさんにて開催中『公募おひろめ展2020』7月17日(金)~28日(火)(22日23日は休)営業時間は12時~17時住所 東京都中央区東日本橋2-12-2 先日、『公募おひろめ展2020』の会場へ行ってまいりました。 僕も1点『大福の妖精(大福ちゃん)』を展示させていただいていてまして。 自分の絵が、会場でどのように見えるのか確認してきた訳です。 会場の写真も、許可されている範囲で撮ってきました。 作品ひとつずつ、という訳にはいきませんでしたので、会場風景という感じの撮影です。 立体も幾つかありました。 お、僕の描いた大福ちゃん、↑画像の左の方にいました(^^) 画像を一部切り取って…

  • パチンコ店での勤務2 No.122

    従業員の入れ替わり アルバイト等を含めた8人のホール従業員のなかから、突然4人の正社員が退職するというのは、普通に考えると大変であるし、そう感じていた人もいたと思う。 しかし、僕個人に関しては、変な言いがかりや仕事の押し付けなどをしていた人がいなくなったことで、人手は不足していても逆に働きやすく感じていた。 先輩従業員達が退職して、アルバイトではあるけれど、新しい従業員達が入社してきた。 社長の考えで、これからは社員の割合を減らしてアルバイトを多くする、という方針にしたことを聞いた。 新人教育に関しては、この頃から僕も行うようにと指示を受けた。 僕としては、この会社の従業員・新人の教育には不満…

  • パチンコ店での勤務1 No.121

    班長という役職 パチンコ店に入社してから、僕はよくネット検索をした。 僕は、自分が愚鈍な人間であることは認識している。 そんな自分であっても、少しでも仕事に関することを把握し、前進するように考えた。 例えば、僕が画家として絵を描くという行為を仕事に置き換えて考えた場合、少しでも情報を収集したり、勤務時間(8時間)を越えて頑張ることなんかは、当然のことのように思う。 絵を描く環境を整える為、少しの間、絵に対する情熱をこの仕事に向けている、という意識で仕事に取り組んでいた。 少し脱線した話になるけれど。 職場の休憩所には、いつもパチンコ業界誌が無造作に置いてあった(必勝本の類いではない)。 その業…

  • パチンコ店への就職 No.120

    入社 リーマンショックの影響下で、なかなか仕事を選べない状態となっていた時期。 飲食店かパチンコ店か新聞配達か、僕の選択肢はそんな辺りに絞れていき、そういう仕事であれば、まだ仕事にはありつける感じであった。 そのなかから、最終的にはパチンコ屋で働くこととした。 色々とヤケになって、パチンコに熱くなっていた時期も僕には何度かあるもので、パチンコなら他の仕事よりも熱を持って打ち込める要素はあるのかもしれない、そう考えた。 仕事としてのパチンコ屋のことは何もわからず、給料は1番低く正社員募集のところを選んだ。 給料の高いとか安いとかいうのは、きっと何かしらあってのことだろう… 例えば、顧客数の関係で…

  • リーマンショックと派遣切り No.119

    再び自動車工場へ 清美との同棲生活を終えてから、また派遣会社を利用して工場で働くこととした。 昨年くらいに話題になった、ドーンとかゴーンとかいう感じの人の経営関連で話題になった、あの自動車会社の工場が派遣先だった。 タイトルとこの書き出しで、この話の大体の結末は予想できると思う。 派遣会社を利用して工場勤務をすると、大くは3ヶ月単位で、働く上での契約期間が儲けられる。 その期間満了前に、更新するか辞めるかの選択を迫られるが、大体は更新する前提で話は進む。 それから、工場での仕事が半年くらい経過して、派遣先の職長から「派遣ではなく、工場と直接の雇用契約しない?」という誘いを受けてた。 同じ仕事を…

  • 止まった時間2 No.118

    虫垂炎 今回も、急性腸炎の続きの話となる。 30歳を過ぎて、今は一番頑張っていなければならない時期と思いつつ、思うような人生を歩めず、何もかたちにはならず、派遣会社や派遣先の職場の都合やらで仕事や住まいなんかも失っていた。 その頃の話。 派遣先の会社でリコール問題やらのトラブルが起きると、当然のこととして、派遣従業員から切られていく。 この頃は、平成からずっと続く不景気だと言われていても、細かなことにこだわらなければ仕事自体は多くあるし、派遣会社は別の派遣先や住まいも用意はしてくれる。 でも色々と思うこともあって、僕は新しい派遣先を紹介して貰うことはせず、アルバイトでもしながら暫くゆっくりする…

  • 止まった時間1 No.117

    あれからの時間 それからの僕は、ろくな人生などは送っていなくて、大体同じようなことを繰り返している。 新たに出会う人や昔から僕を知る人などは、美術大学を出て絵を描いていこうとする僕の人生を、夢があって羨ましいとか言うけれど、そんな羨ましいなどと言われる様な人生ではない。 僕にしてみれば、そういうことを言ってくる人の人生こそ、遥かに羨ましいと僕は思っている。 美術大学を卒業してから相変わらずで、何度絵を描こうとしても、思うような絵はいつまでも描けない。 いつもイライラしていて、過去の嫌な思い出など忘れなければと考えるのだが、それを忘れた日など画学生の頃から1日としてなかった。 僕が美術大学に入学…

  • K先生との手紙とその背景4 No.116

    実家を離れて 北海道を離れて最終的に行き着いた先は岡山県だった。 暫くのんびりしたい気持ちもあったが、何をするにもお金の問題が絡む為、岡山県にある自動車工場へ派遣会社を通して働くこととなった。 行き先なんかも、どこでも良かった。 絵のことも暫く忘れよう…最初はそう思っていたのだが、忘れることなんか出来ず、いつまでもズルズルというかダラダラというか、そんな感じでやはり絵は描こうとしながら、かたちになるものはないまま、時間ばかり進む。 K先生からの手紙 仕事と住む場所が決まったことで、暫く前から実家に届いていたK先生(女子)からの手紙が岡山の住まいに送られてきた。 この時の手紙に関しては、今も手元…

  • K先生との手紙とその背景3 No.115

    最後に送った手紙 引き払った京都の部屋宛に、K先生(女子)から展覧会の案内が来ていて、そこから実家にいるの僕の処へその案内は転送されてきた。 僕はこれ迄に、何度もK先生へ手紙を書きかけては捨てていた。 自分の気持ちや考えがまとまらず、手紙を書くことに時間をかけるほど、自分の悩んでいることを相手にまで押し付けている行為になっているような気もしたり、いつものイライラで苦しんでもいた。 思えば、最後にK先生(女子)へ手紙を出してから、もう半年から1年くらい経過しているのではないか。 この何年かで、自分の納得する絵が1枚でも描けていたなら、今の自分は違った存在で居られただろう。 でも、僕はそれさえも出…

  • K先生との手紙とその背景2 No.114

    北山と木路先生の話 北海道に戻ったばかりの頃、浪人時代に予備校で仲良くしてくれた北山と札幌で会っている。 北山は、1年間の浪人生活を送った翌年、沖縄芸大へ入学し、同大学の大学院も卒業した。 それから、実家のある北海道の札幌に戻っている。 北山との会話の最初に、木路先生が亡くなった事を教わる。 元々身体が弱く、長く生きられない人だったそうだ。 木路先生とは、浪人時代に予備校でお世話になった先生であり、その予備校や札幌のある専門学校等の創設に関わっている人であり、画家であり、批評家でもあった。 浪人時代、幾つかの有名な美術大学の先生から絵を見て貰えたことには、木路先生の尽力もあってのことだ。 僕に…

  • K先生との手紙とその背景 No.113

    K先生(女子)との手紙のやり取りと、その背景の話。 僕からのK先生(女子)へ手紙を送った最後の数回、僕からの手紙は、K先生(女子)側にとっては意味不明の内容だったかもしれない。 それは気を引こうとしたり、おかしなことをしようと考えた訳ではない。 卒業して一年くらい経過してからだったか、僕は『今年は絵で頑張ります』という内容の手紙を出す。 それから半年~一年くらいしてから、K先生(女子)から展覧会の案内と、それについて少し書かれた手紙が送られてきた。 それに対して、僕は『大学時代のことがどうしても忘れられなかったので、このやり取りは、これで終わりにします』という返事の手紙を返し、一方的にやり取り…

  • 卒業後 No.112

    前回の投稿から、少し間が空いてしまいました。 過去の投稿を少しだけ手直しするつもりが、適切な文章にならず、結構な時間がかかってしまいました。 いま書き綴っている画学生時代の話も終盤なので、頑張って終わらせなくてはですね。 話の流れとして美術大学は卒業しましたが、カテゴリーにしている『画学生時代』としての話は、もう数回くらい続けます。 壊れた心 美術大学を卒業してからも僕の心は、大学在学中と同等か、それ以上に壊れていた。 母がくびをくくってしまう悪夢は、頻度は少なくなっていくものの、その後もずっと見続けていく。 大学4年間で受け続けてきた教員や同級生達の暴言は、寝ても覚めても何かをしていても、頭…

  • 赤綿さんの個展、行ってきました。

    昨日、Facebook上の友達である赤綿さんの個展にお邪魔してきました。 写真も、了承を貰ってスマホで撮影したものです。 赤 綿 個 展 2020年 5月24日~5月31日まで 12:00~20:00 DORADO GALLERY 東京都新宿区早稲田鶴巻町517ドラード和世蛇103 写真も、了承を貰って撮影したものです。 やはり僕は写真とるのがヘタでして、光の反射とかを極力避けようとした結果、結構な割合で絵が斜めに写っていますね^^; うまく撮影できなかった兼ね合いもあって、全てではありませんが、ここに赤錦さんの作品をのせておきます。 『月光浴』 『おかえりなさい』 スマホのカメラで操作で、変…

  • 画材店からの視線 No.111

    画材屋 美術大学を卒業した前後の補足的な話。 大学の敷地内には画材屋さんが入っていて、大学公認で生徒向けに営業をしている。 僕は幾つもの画材屋さんで、画材の買い物をしていた。 大学の敷地内での画材屋さんに関しても、一般的な生徒より一桁多い金額を落としていく客だったそうだ。 その為に、店主さんから僕への接し方は、他の生徒とは微妙に違っていた。 店主さんと他の生徒に関しては、日常的な雑談の会話が中心であったのに対して、僕に関しては絵や画材の話が中心になっていた。 そういう流れと、画材の取り寄せの兼ね合いから、美術大学を卒業して1~2週間後にもちょっとした会話をしていた。 商品の取り寄せと支払関係で…

  • 卒業と訴訟への葛藤 No.110

    卒業 美大の最後の年も、最後まで日本画の授業を受けさせては貰えず、大学事務や日本画教員達は、何ひとつ約束を守ることなく、僕は卒業を迎える。 僕は最後の月まで、担当教員であるK先生(日本画教員・男子)に前向きな話し合いを求め続けて、そのK先生も話し合いは取り合わずに暴言ばかりを返されてきた。 そのやり取りを、僕は毎回大学事務へ報告して、善処を求め続けてきた。 そうやって、K先生(日本画教員・男子)の面目を潰していった結果としては、「俺達(日本画教員)には、何ひとつ悪いことはない」と言い続けていたの言葉は「俺達にも至らないことはあったのかもしれないけれど…」という言い回しと変化はしていった。 それ…

  • 自由と身勝手の違い No.109

    タイトルにした『自由と身勝手の違い』の結論を最初に書いてしまうと、責任を持つか持たないかの違いとなる。 自由という言葉 僕の通っていた美術大学を運営する法人名には、『自由』という単語がついている。 その兼ね合いがあってと思うのだが、僕が大学へ入学当初から、教員達は言葉の端々で「自由」という言葉をよく使っていた。 この『自由』という言葉の扱い方に、僕は入学した当初から違和感を覚えていた。 そこには、たまたま読んだ本や、他の美大・芸大の先生から「もし大学へ入学したら…」という話等も聞いていた影響は大きかっただろう。 そう見ていた僕は、考え方の違い、日本画と洋画の違い、小さな話・細かな話の食い違いと…

  • 大学で取得できる資格・免許4 No.108

    博物館学芸員 学芸員の資格というのは、美術館や博物館等の管理・企画運営をする職員の資格である。 部屋僕が申請した学芸員の資格取得の為の実習は、名古屋市にある古川美術館を第一希望とし、その申請は受け入れてもらえた。 因に、第二希望としたのは愛知県立美術館だった。 その愛知県立美術館は、美術館の規模が大きくなり過ぎていて、国の取り決めている博物館法の範囲に納まっていない施設だと聞いている。 だから、国で公認している形式の美術館ではないとの事だ。(これは20年も前の話なので、現在もそうなのか迄は把握していない。) どちらの美術館も、その美術館で在職している学芸員の方が大学へ非常勤講師として授業を教え…

  • 大学で取得できる資格・免許3 No.107

    教育実習 教育実習では、人間関係とはまた別の問題も待っていた。 僕自体、特に頭が良かったり要領が良いものではないので、これからの話が上手くいかなかったことへの言い訳と思えたなら、そういう可能性もあるのかもしれない。 片寄った考え方であったとしても、そのことについて語る相手もずっといない状態なので、そこは僕の程度の低さとでも思って貰えばよいかと。 ただここでは、あくまでも僕が思った話を書き綴っていく。 教育実習のなかで具体的に悩み苦しんだ要因は、教育実習の教科担当教員との(絵に対する)考え方の食い違いだった。 中学や高校の美術授業の指導内容というのは曖昧な要素が多く、その教師次第で指導の方向性や…

  • 大学で取得できる資格・免許2 No.106

    美術の教職員免許 教職員免許を取得する過程の最後の辺りでは、教育実習を行うことになる。 多くの教育実習生は、その免許を取得しようとする人物の通った中学か高校へ、教育実習をお願いする流れが多い。 でもそれは必ずという訳ではなく、母校ではなくても教育実習のお願いをすることはできる。 僕の場合は、実家のある北海道に戻り、そこから高校時代に通った母校へ教育実習をお願いした。 教育実習に対して一番の心配に思っていたことは、人と接してやり取りをしたり、指示に従ったりという人間関係だった。 それまでの僕は、大学生活のなかで人間関係を破綻させ、大学の教員達と毎日揉めていた。 その揉め事のなかでは、教員達は毎回…

  • 大学で取得できる資格・免許1 No.105

    卒業後の進路 大学を卒業した後は、他校の大学院へ進学したいと考えていた。 大学院までの授業料や生活費迄は、母は出せないと1年生の頃から言っていたから、その分は僕自身でどうにか働いて稼ごうと考えていた。 今にして思えば、無謀なことを考えていた訳だけど、当時にはその意思があった。 大学では、絵(実技の授業)については何も教わることもなく終わりそうだが、大学院へ進学して環境も変われば、今度こそ色々なことを学び、一緒に絵を頑張る友人も出来るだろう。 結論から先にいえば、実現しない当時の僕の希望だった。 大学院への進学は、大学の1年生の時から考えていたけれど、母とのやり取りからは、就職の方を現実的に考え…

  • 日本画教員との話し合い4 No.104

    同じことの繰り返し 日本画教員達との話し合いの件については、これ以降から卒業まで、ずっと同じ内容を繰り返していくこととなる。 僕から大学事務へ話し合いのやり直しを求めても、日本画の教員と彫刻のK先生とで、その都度大学事務へ対して勝手に「話合いをやり直して、この件は解決した」と報告して処理してしまう。 僕も「そんな話合いはしていない」「解決なんかしていない」といって、また振り出しに戻る。 そんなことで毎回納得してしまう大学事務も、本当はグルになって、意図的に誤魔化し・はぐらかしを行っていたのかもしれない。 4年生の担当教員であるK先生(日本画教員・男子)とのやり取りでも、僕は卒業まで課題について…

  • 日本画教員との話し合い3 No.103

    話し合いのやり直し 僕はS先生とA先生(女子)に対して「大学事務へ話し合いのやり直しを求める」と語った。 それでも僕は、K先生(彫刻教員)の顔を立てる考えから、大学事務ではなく彫刻科のK先生の所へ行く。 僕はS先生に対して、アトリエ(課題の制作スペース)を他の生徒と同様に与えて貰えるように求めた時の話をした。 その場面では、僕に対してのアトリエの割り振りや、課題についての説明など、約束した内容を守る気はないという反論をされたこと。 日本画の教員への話し合いの内容は、K先生(彫刻教員)が行う約束になっていたのに、それはS先生が行う役割であると主張しながら行っていること等を話して「おかしいのではな…

  • 日本画教員との話し合い2 No.102

    割り振られるアトリエ K先生(彫刻教員)・A先生(男子)・S先生との話を終え、僕は日本画校舎へ行く。 これ迄の話をまとめた兼ね合いから、書き綴っていない部分の話も多いのだが。 少し前に行った話し合いのなかでは、これからの僕は他の生徒と同じ扱いを受けることとなっていた。 大学での課題制作もしてよいことになり、アトリエ(課題の制作スペース)も僕は使ってよいことになった。 これまで教われなかった日本画の授業の内容も、日本画の教員全員で必ず教えていく、という約束も交わしていた。 その為に、まずは僕に割り振られたアトリエの場所を聞きに行ったのだ。 これ迄の大学生活の3年間は、独学ばかりで、日本画教員から…

  • 日本画教員との話し合い1 No.101

    話し合いでの約束 大学事務に求めていた話し合いの日時は、僕の意向など一切聞いては貰えず、大学事務と日本画教員たちの都合だけで決められた。 大学事務から指定された時間といえば、僕は午前の講義時間と重なっていた。 新学期の授業は始まっている時期でもあり、僕は日本画の授業に出席することを禁じられている立場でもある為、その話し合いの日まで日本画の実技の授業は受けられない。 僕は講義の授業も日本画の実技の授業もきちんと受けたいから、話し合いの日時の変更をしてくださいと大学事務へお願いする。 それでも大学事務側は、「君のために、日本画や彫刻の教員たちみんなが予定を開けているのだから、その日に話し合いをしな…

  • 大学事務への求め No.100

    2度目の芸大入試を終えた後、僕はこれ迄の件で大学事務へ話をしに行った。 僕は1~3年生までの間で、多くのトラブルに見舞われていた。 そのことを、大学事務の偉い立場にある人も多少は知っている訳である。 そのことで、これから何等かの対応はして貰えないのか、して貰えないのであれば、この足で大学を相手に裁判を起こす準備を始める、と伝えた。 僕の言葉に、対応していた事務員は「君の状況がよい方向に向かうよう、必ず対処する。」という約束を最初にしながら、この件ですぐに話をする事となった。 僕は大学の組織的なものは全く解らないのだが、これからの対処で大学事務は動くけれど、それでも日本画の教員達が善処する行動を…

  • 大福の妖精(大福ちゃん)

    中止・延期になった展示 中止になった展示です。 アートギャラリー『ねこの引出し』さんで、今月の24日から開催する予定だった『公募おひろめ展』。 そこで、今回は僕も油絵を出品する予定でした。 ↑画像は僕の描いた油絵で、 『大福の妖精(大福ちゃん)』 です。 コロナ問題がこれから集束すれば、展示は7月くらいになるでしょうが、難しいでしょうね。 これから大福ちゃんについて少し書いてみます。 元々は、展示が始まったら書いていこうと思っていたことで、中止とはいえ展示の開催期間がきたことで、完成の画像も含めてここに公開することとしました。 大福ちゃん この大福ちゃんは、Facebook上の友達である小野加…

  • 学生生活部長2 No.99

    M先生のアトリエ 洋画のM先生のアトリエについて、M先生は自身のことや雑談ばかりをする。 M先生の話の区切りをみて、僕は本題に切り替えていく。 僕がM先生に語った話というのは、このブログで書き綴ってきた内容物と同じ性質のものだった。 しかし、M先生は僕の話を途中から聞こうとしなくなり、それでも僕が話を続けようとすると 『これ以上君の話を聞いてしまうと、俺は日本画の先生と喧嘩しなくてはならなくなる!』 といって怒り始める。 その事に、僕がどう言葉を返していこうか考えている時に、M先生はこんな内容の話を語り始める。 『M先生は、僕の話を最後まで聞かなくても、大体の内容は解ってしまったという。 M先…

  • 学生生活部長1 No.98

    洋画のM先生 芸大受験の半ばから終わりにかけて、母から電話が来ていた。 その内容というのも、前回に母とした電話での喧嘩が関係している。 その喧嘩の最後、僕は携帯電話を床に叩きつけて壊した為、新しい機種を購入する迄は、母から僕に連絡をとることは出来なかった。 その喧嘩の後に母は大学事務へ連絡し、大学内で起こっていることを調べて報告しなさい、という主張をしていた。 それから大学事務がやろうとしていたことは、大学の教員内で『学生生活部長』という役職についている洋画のM先生と僕とで会話をさせ、そこで状況を把握しようとしていた。 僕は、学生生活部長というものがどういうものかは解らないが。 説明を聞く限り…

  • 漫画の話2 No.97

    前回に書き綴った宮崎勤の事件は、1988~1989年のことで、劇場版マクロスは1984年に公開されたもの。 宮崎勤の話は、ちょっと脱線しちゃった感じかな。 まぁ~宮崎勤の件があって、漫画やアニメは見ない方が良いとか、見すぎると馬鹿になる、という感じのイメージも一部であったなかで。 それでも僕は漫画やアニメが好きで、もし抑圧された環境が出来ても、好きな気持ちは棄てられなかっただろう。 漫画やアニメが好きな人は、みんなそうだったんじゃないかと思う。 漫画の話を語ろうとすると、際限なく色んな話が頭に浮かんできて、書きたい話は幾らでも出てきてしまうもので。 話が広がるばかりで、なかなか話がまとまらずに…

  • 漫画の話1 No.96

    今回の話も、省いた方がいいのではないかと迷いながら、やっぱり書いてみようと思う。 タイトルに漫画と書いているけれど、アニメ等も含めた話とするつもりでいる。 超時空要塞マクロス 芸大受験であちこちまわっていた時のこと。 何気なく行った銭湯内のサウナでは、ラジオが流れていた。 そのラジオでは、飯島真理という女性が、昔のことを幾つか語っていて、僕は何気なく話を聞いていた。 飯島真理という女性は歌手ではあったけれど、僕はその名前さえも知らなかった。 それから話を聞いて、その歌手が歌った昔のアニメソングが流れてくると、色んなことを思い出し、涙が溢れてきた。 その時の曲は、劇場版アニメで『超時空要塞マクロ…

  • 2度目の美大・芸大受験2 No.95

    ひとつ目の受験 受験した三校とも、一次試験は石膏デッサンだった。 今の芸大の流れはどうだかは知らないけれど、この年も毎年恒例の流れ通りだった。 そのなかで、東京芸術大学だけは、石膏像に黒い布が被さて出題される。 これも東京芸術大学の例年通りの出題なのだが、僕は石膏に布の掛かったものを描いたことがなかった。 見たことのない初めてのものであっても、僕は何でもデッサンは出来ると思っていた。 でも、この時に描いた石膏と黒い布のモチーフはデッサンとしてまとまらず、時間切れとなった。 そうして時間終了と共に、自分で一次試験は通らないことを把握した。 日本の美大・芸大のなかで一番の難易度を誇る入学試験で、作…

  • 2度目の美大・芸大受験1 No.94

    美大受験 平田先生が亡くなっていたことを知ってから一ヶ月以上、物思いにふけるばかりで何もしていなかった。 それから我に返り、これからやらなければならないことを整理して考える。 日本画の未提出課題が幾つかあり、それについては一応は全部やる。 この時期になってしまったなら、やっつけ仕事や納得のいかないものになろうと、関係はない。 2年次の学年末から、3年次のこの時期も似通った状態になることは予想できていたから、気持ちの割りきりはできている。 (とはいっても。割りきれていなかったから、教員達の意見を聞こうとしたり、制作に時間をかけてしまい、提出期限に間に合わなかった訳だが。) 前以て予想していただけ…

  • 平田先生3 No.93

    物思い 北海道から愛知県の住まいに帰ってきて、ひと月くらいはボーとしていたのだと思う。 食べるものも飲むものも、全く口にせず、物思いにふけていた。 平田先生が亡くなってしまった。 本来ならば平田先生が亡くなる前までに、僕はそれなりの力をつけて、何かしらの実績をあげていくつもりでいた。 平田先生は不器用ながらも絵に打ち込んできた人だけど、それらしい実績はあげてこれなかった人だった。 その教え子として可愛がられていた僕が、幾つかの実績をあげていくことで、平田先生の他界前に、人生のなかで、充実していた部分もあったと思って貰いたかった。 僕が本来、そのような状況に持っていくべきだった時期といえば、大学…

  • 平田先生2 No.92

    北海道のラーメン 平田先生の自宅に行くと、先生の奥さんがでてきた。 浪人時代に一度だけ会ったことのある先生の奥さんは、以前会った時よりも明らかに痩せていた。 僕が平田先生に会いたいことを伝えると、「もしかして、年賀状をくれた方ですか?」と聞かれた。「そうです」 そう伝えると、奥さんは先生ではなく義父さんを呼んでくる。 それから改まって、平田先生が昨年に亡くなっていたことを伝えてくれた。 その話を聞いていて、平田先生が亡くなっていたことには驚いた。 でも、先生の死を知っても涙が出る訳でもなく、悲しみで溢れる訳でもなく、自分が普通でいることの方が驚きだった。 そこからはあまり会話もせず、先生の為に…

  • 平田先生1 No.91

    北海道の実家へ 大学へ入学してから、はじめて実家へ帰ることとなった。 時期としては、8~9月の夏休みだったと思う。 通っていた美術大学は愛知県で、そこから北海道への移動には、それなりのお金がかかる。 それまでの母は、正月などに帰るように言ってきてはいた。 なかなか帰らない僕としては、移動の為の飛行機代をケチっていた部分もあるけれど。 実はそれ以上に、年末年始や長期の休みであっても、教員達との課題のトラブル件で、実家に帰ってゆっくりする余裕を作ることは出来なかった。 自分の学んでいる絵や大学の課題に対して、適当に考えて割りきっていれば、こうはならなかっただろう。 色んな問題で噛み合わないまま、そ…

  • 大学への呼び出し3 No.90

    学ぶ過程 K先生(女子)から借りたノートは、僕のフレスコ画の制作が終わってから初めて目を通した。 この数日で本を読み漁り知ったフレスコ画の知識は、K先生(女子)のノートからも外れた内容ではなかった。 そのことが、良くも悪くも、僕の自信になっていた。 僕が持っている日本画の知識の殆どは、本を読み漁って知ったものだった。 実技ではない講義の先生達の授業や直接会話から、知っていった知識もあるけれど。 実技で、日本画の教員達から教わったのは、入学してから数ヶ月くらいの期間だけで、絵具の溶き方くらいのものだった。 そうなったのも。 僕は教員達の発言に疑問を持ち、そこに質問を繰り返すことでそうなった訳であ…

  • コロナウィルスによる、個人への社会的な振りまわし

    これから書き綴っていくことは、見る人から見れば、自身で情報収集している人であれば、当たり前の話や予想になってしまう。 そのことに対する僕のいい訳としては、自分の為の書き綴りで、記録しているものだということ。 今の現状 2020.3.28 今流行しているコロナウィルスの問題から、外出やイベント等を自粛する流れが強くなっている昨今。 これからの事では、どうしてもよくないことばかり予想できてしまう。 コロナウイルスとは 外出の自粛が本格的になってきて、今でひと月位経過しているのだろうか。 その程度の近頃でも、中小企業は次々と倒産している事実がある。 目の前の仕事と身の回りのことにばかり目がいっている…

  • 大学への呼び出し2 No.89

    フレスコ画の準備 K先生(女子)から電話をもらい、指定された日時に研究室へいく。 そこにはK先生(女子)がいて、上級生(4年生)の数人も待機していた。 K先生(女子)の書き控えたフレスコ画についてのノートを貸してもらえ、ノートを読んだ上で制作を頑張るように言われた。 それから、上級生はフレスコ画制作の漆喰を塗る直前までの作業を、僕に見せながら作っていく。 漆喰を塗ってしまうと、フレスコ画の完成を急がなくてはならなくなる(数時間以内というタイムリミットが発生する)。 まだ乾燥していない漆喰に絵具を塗り、漆喰(壁面)の乾燥に合わせて染み込ませて色を定着させるのがフレスコ画の描き方なのだ。 この後は…

  • 大学への呼び出し1 No.88

    フレスコ画の授業 日本画の授業のなかで、フレスコ画をやることとなった。 これは課題や提出物という強制的なものではなく、希望する生徒には参加してもらうという程度のものだと聞いていた。 授業での話は少しだけ置いておいて。 まずはそのフレスコ画のことを簡単に説明すると。 フレスコ画は壁画という形式の絵画で、まだ乾いていない漆喰の壁に石灰水で溶いた顔料等で描いく絵画である。 以前の投稿で、ミケランジェロの壁画の話を少ししたけれど、そのシスティーナ礼拝堂の天井画もフレスコ画である。 ミケランジェロ システィーナ礼拝堂 創世記の物語 作品紹介 このフレスコ画を日本画研究の一環として、授業内でやるという話を…

  • K先生(女子)との接触 No.87

    担当教員への求め 画仙紙に墨を主に使い、自画像を描いていた。 僕は研究室(日本画の職員室)へ行く度に「3年生の担当教員であるA先生(男子)に絵を見て貰いたいです」と求める。 しかし、僕の求めに対して、A先生(男子)に会わせて貰うことは一度もなく、いつもS先生ばかりが対応しようとする。 それ迄のやり取りの関係上、僕はS先生の指導等を信用していなかった。 いつもの流れとして。 僕はA先生(男子)からの指導を求めているのだが、S先生は僕の持っている課題等の絵を覗き込んできて、その批評や指示などを出してくる。 僕は、そのS先生の言葉に耳を傾けて聞きはする。 きちんとしたことを言っていれば、その言葉は心…

  • 絵柄と破墨 No.86

    今回の話の流れとしては、複数の絵柄を持つことについての話を語り、それから破墨(はぼく)という技法を学ぼうとしたことを語る。 実際の処、破墨を学ぶのは中途半端に終わったのだけれど、その破墨をやる過程がK先生(女子)との会話の切っ掛けとなる。 そういう流れで、書き綴っていくつもりでいる。 破墨 『破墨』というのは、紙に塗った淡い墨の濃淡の上に濃い墨の濃淡を描き、立体感を持たせた感じの絵を描く技法だ。 日本画では殆んどの場合、麻紙や絵絹等に滲み止めの液を塗って、紙を加工してから描くことになる。 でも破墨の場合には、滲み止めの加工をしないで描いている制作の過程もあった。 その辺りは、使う紙の兼ね合いも…

  • 同じことの繰返し3 No.85

    帰宅 講評会から、僕は「ふざけんな!」と怒鳴り、アトリエ(教室)を出ていく。 それからずっと苛々しながら、大学から家へと帰っていった。 幾ら自分の反省するべきことを考えようとしても、大学の教員や同級生達の理不尽な言動ばかり頭を過る。 僕は、誰よりも教員達の言葉に耳を傾けてきたし、そのことを深く理解しようと、繰返し質問もしてきた。 絵に費やしてきた労力等でも、僕の上を行っている人物などはいないと考えている。 それでいて、何で僕はこんな状況に追い込まれてしまうのだろう。 僕は、この大学に来たこと自体が失敗だったとしか考えられない。 いつも苛々してばかりで、いつかは堪えきれず、誰かをあやめてしてしま…

  • 同じことの繰返し2 No.84

    講評会へ向けての約束 僕はS先生と約束していた。 課題制作の方向転換を強要してきた意味や内容について、その説明を講評会で必ず行ってくれると。 しかし、その課題の講評会の当日、約束を交わしたS先生と、担当教員であるA先生(男子)も用事があるということで、講評会には現れなかった。 本来来る筈だった先生の代わりにK先生(男子)とA先生(女子)が講評会を行う。 この状況を当日の講評会で知り、やはり今回もS先生には騙されたのだと感じた。 しかし、少し考え直す。 僕はあれだけしつこく求めて約束したのだから、S先生からのこと付けくらいはしているかもしれない。 或いは、何等かの対処はして貰えているだろう。 S…

  • 同じことの繰返し1 No.83

    裸婦の課題を終えて、いつもの課題に切り替わってからの話。 結論的な話を書いておくと、3年生になってから始まった自由課題を契機に、僕はある先生から「他の生徒の迷惑だから、もう学校には来るな」と怒鳴られる。 そうして僕も、大学でのアトリエ(教室)は利用しなくなり、それ以降、僕の課題の制作場所は与えられなくなる。 今回から何回かの投稿は、その経過をダラダラと書いていく流れだ。 A先生(男子) その自由課題が始まる前、A先生(男子)からは「課題は家でやらずに学校で制作しなさい」という言葉をかけられる。 それ迄の僕の盗難問題の話を、A先生(男子)は知っていたかどうかは判らないのだが。 これからの課題の制…

  • 3年次の新入生歓迎会 No.82

    裸婦のデッサンと着色写生の時の話は、今回まで続く。 放課後に行ったK先生(女子)とS先生と、他の生徒たちとの話し合いのことについて、多少の葛藤もあった。 あの話し合いの場で、僕がこの美術大学で受けている仕打ちを話していくすべきだっただろうか。 もっと、具体的にS先生や他の教員たちの悪いところを挙げていき、あの場にいるS先生を追い込むところまでやるべきだったのではないだろうか。 そういう後悔や迷いの様な考えが、何度も頭を過る。 …いや、あれで良かったのだ…という考えもあり、過ぎたことでありながら、あの時はどうするべきだったかの結論に悩んでいた。 新入生歓迎会 後になって考えてみれば、新入生歓迎会…

  • 3年次の裸婦のデッサンと着色写生 3No.81

    放課後に行ったデッサンの話 ここで書いていく話は、K先生が『一枚の葉っぱ』の話をした翌日~数日後辺りでのこと。 裸婦のデッサンを進めている時に、K先生(女子)は教室の生徒たちにこう話す。「みなさん、この授業時間が終わったあとで少しお話ししませんか?これは強制ではないので、残らなくても良いのですが、よかったら絵のことでお話ししましょう。」 そうして、この日の授業を終えたあと(裸婦のポーズの時間が終えたあと)、K先生は数冊の画集を持ってやってくる。その後、話が始まってから少し遅れてS先生もやってきた。 この話に参加した生徒は半分ぐらいで、残る半分は話に参加せずに帰っていた。 急な話で、アルバイト等…

  • 3年次の裸婦デッサンと着色写生2 No.80

    これ迄と違った流れ デッサンでの話は、根本的な部分で同じことを繰り返している。 僕としては。 黒いデッサンに拘るつもりはないが、鉛筆でも木炭でも、濃い濃淡での描きたかを苦手としている。 自身の絵の向上の為には、そこは通らなくてはならない部分と考えていた。 それがこの大学でやっていけないであれば、僕もやりはしない。 それをI先生とS先生は、『彫刻のデッサンみたいだ』『日本画には日本画に適したデッサンがある』と語り、遠回しにやってはいけないことと語っていた。 途中からは、木炭や濃度の濃い鉛筆の使用を禁止することまでもしてきた。 それ等の指示については、後になってから『あの時は機嫌が悪くて…』という…

  • 3年次の裸婦デッサンと着色写生1 No.79

    進歩のない経過 3年生になってからの課題は、裸婦のデッサンから始まった。 デッサンを描くに関して、今回も教員たちからは何ら説明などはなかった。 ただ課題として、裸婦のデッサンと着色写生の課題が始まっただけだ。 2年生の頃は、裸婦のデッサンや日本画制作の件で何度も揉めてきたのだから、今回もデッサン等で揉める覚悟はしていた。 しかし、この時のデッサンや着色写生では、教員たちから何の言葉もかけられない。 それは僕だけではなくて、他の生徒達も同じく、殆ど声をかけられていなかった様に思う。 周りの生徒に関しては、相変わらず僕の絵を見て何かと噂する。 一部には、僕のデッサンが上手だと言って後ろから覗き、話…

  • 割田さんと呼んだ猫 No.78

    割田さんという仔猫 新学期になって近所では仔猫と知り合い、その子の名前は『割田』と名付けた。 名前を呼ぶときは呼び捨てではなく『割田さん』と呼んだ。 美大生の頃はラジオをよく聞いていて、あるラジオ番組で知った『割田康彦』という音楽家の名字を、冗談も含めながら仔猫の名前にしたものだった。 仔猫の割田さんはとにかく元気だった。 あっという間に、僕の住まいは割田さんにバレてしまい、よく住まいドアの前で、割田さんは僕を待ち伏せする。 朝、学校へ行くために玄関のドアを開けた時、割田さんはドアの向こうから勢いよく飛び込んできて、僕の膝辺りに抱きついてくる。 最初はとても驚いたが、何度かやられてその行為を知…

  • 美大3年生の新学期2 No.77

    再受験への意思 入学して数ヶ月経過した辺りから、ずっと思っていたこと。 僕がこの美術大学へ入学するまでに身に付けた絵を描くための技術は、そんなにも程度の低いものだろうか? 日本画と洋画の違い、ということも有るかもしれないが、僕は大学へ入学してくる迄の一年間、それなりの努力をしてきた。 複数の美術大学の教授・助教授という立場にある人達へ、デッサンや着色写生等を何度か見てもらっている。 入試前辺りでかけてもらった数々の言葉も、決して悪いものではなかった。 僕の在籍している美術大学は、そこから幾つもランクは落ちる。 このランクの低い美術大学で、僕は全くの素人並みの腕しかなく、絵についての常識さえ全く…

  • 美大3年生の新学期 No.76

    進級問題 二年生の年度末。 課題関係では、全部を提出できたわけではないが、やれるだけのことはやった。 しかし、本来の段取りなどは無視して制作してきた為、この課題が提出物として通ったのかどうかわからないまま、日にちだけ過ぎていく。 大学事務を通した話し合いの日取りの件も、音沙汰はない。 僕と教員達との話し合いは、いつになったら始まるのだろうか… 出来ることなら、日本画の教員達が進級の成否を判断される時期が来る前に、第三者を挟んだ話し合いが行われることを、僕は望んでいた。 そうすれば、課題が一部未提出になっても、そうなった経緯を語ることで、その経緯や教員達側の不備等も考慮されるかもしれない。 そん…

  • 美大2年生の年度末 No.75

    S先生との約束のなかで、I先生を増やした話し合いを行うか、課題や授業関係での再説明を受けるか、どちらかでの連絡が来る筈だった。 しかし、そんなものは幾ら待っても来ない。 僕は課題関係の締切関係で苦しんでいて、S先生から連絡が来ないことに不安を覚えながらも、連絡が来るまでは自分の終わらせるべき課題に必死に取り組んでいた。 この頃は、時期は年末年始の辺りだった。 この時期まで、僕はこれからどうがんばっても、3年生には進級できないという認識を持っていた。 課題の提出を守れず、多くの課題が未提出状態になっているからだ。 それから、年が明けた頃に母からの電話がきて、課題が幾つも未提出になっている事で叱ら…

  • S助教授との話し合いと約束 No.74

    今回も、細かな話を長々と書いていく。 アメーバブログでこの記事を書いた時は、思い出すのに結構な時間を書けたし、後から思い出したこともあったりで、修正も何度かした。 読み返してみて、もっと少ない文章にまとめられる部分は多いのだが。 これから先の展開を考えると、まとめたり省いたりするには悩む要素ばかり多い。 結果として、省いた部分もあるけれど、アメーバブログの時に書いた話の多くは、ここでも残すことにした。 繰り返し求める話し合い 裸婦の課題を完成させ、I先生とS先生との会話を求める。 でもその前に、僕は大学事務へ行って、第三者を挟んだ話し合いを求める意思を伝えていた。 ここでも昔から治らない、まわ…

  • ネコ🐾コンペティション2020 作品掲載

    今回は、ネコ🐾コンペティションの展示作品の写真を全て撮ったので、ここで掲載してみます。 閲覧してくれる人(アクセス数)が多かった場合には、また別の展覧会の記録も、こんな感じであげようか検討してみます。 …やってみると、写真とったり名前を控えたりする作業も面倒臭かったので、あまり見る人が居なければ、こういうこともしないかもしれません。 (´ε`;)ゞ スマホでの素人撮影ですし、順番も写真を撮った順番で掲載しているだけなので、そのあたりに意図等はありません。 ご理解ください。 Mile Paxton『Mother Goose』 Michelle Benee 『Willese dumit mirge…

  • ネコ🐾コンペティション

    本日、2月16日より、ドラードギャラリーさんにて、ネコンペ展開催です。 2月16日~2月23日まで 〒162-0041 東京都新宿区早稲田鶴巻町517 ドラード和世蛇103 僕も1点出品しています。 絵の題材は、エジプトの猫の神様であるバステトです。 アクリル絵具 『Bastet(バステト)』 今回の絵は、アクリル絵具と軽石を使って描きまして、朽ちた壁画の様な感じの絵肌を作りました。 僕は今年からの油絵具を使い始めていて、これからはあまりアクリル絵具は使わなくなるかも知れません。 そういう部分でも、僕にとってはひとつの区切りになる絵だったりします。 一緒に展示している作家さん達は力ある人たちで…

  • またたび堂 「猫と少女公募展」

    少し事情がありまして、告知が遅れました。 既に始まってますが、猫専門 またたび堂さんにて、「猫ひなまつり展」&「猫と少女公募展」が開催されています。 そちらへ、僕の作品も展示させていただきました。 ↓下は、またたび堂さんのページから拝借した展示中の画像です。 【猫専門 またたび堂】猫の雑貨販売、ギャラリー、ワークショップスペースを備えた猫が好きな方のための猫のアート専門店 開催期間は、2月12日(水)~3月2日(月)まで。 〒980-0811 宮城県仙台市青葉区一番町3-8-1ラベルヴィビル 1F ↓この画像は、「猫と少女公募展」へ出品した僕の絵です。 アクリル絵具「姉妹」 またたび堂さんへの…

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