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理刹主義-躁鬱病と診断された女- https://risetsu.hatenadiary.com/

30代、添病約10年。B型通所2年を経て就労移行を志す。病的被害者ではない、社会的加害者の偏屈な自白。

メンタルヘルスブログ / 躁うつ病(双極性障害)

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季戸あいら
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2017/08/06

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  • 死ぬほどのことではない

    死ぬほどのことではない

    9月は散々だった。 約2週間、常に泣いていて、自殺念慮が強くある状態が続いた。 気分の落ち込みが激しく、辞職し精神科に入院することを考えるほど追い詰めていた。 そうする真の理由もないことから、現実逃避だったことが伺える。 現実逃避したいほどに嫌な状態だったことは事実で、 1年近くの蓄積もあったように思われた。 定期通院でも定着支援事業へ行っても涙を耐え切れず思うように話すこともできないのは不便だ。 主治医にはとにかくシンドイことすらも伝えられず半ば強引で前向きな助言を受け、 定着支援では結局のところ不安定な状態で大きな決断をすることは良くないと諭される。 「死ぬほどのことではない」 主治医が言…

  • 掴みかけた「低め安定」

    掴みかけた「低め安定」

    なんとなく気だるい日が続いた。 しかしこの程度でも良いのかとなんとなく思っていた。 仕事に大きく影響があるわけでもないからだ。 勤怠面だけを取れば、なんとなく安定しているような気もしていた。 「それは正解かもね。調子いいと思う時はやりすぎな可能性があるよ。」 主治医はそう言った。 なんだか初めて明確に「これでいいんだ」と思えた。 低め安定がなんたるか、分からない。 この先にも波は必ずあることは分かっている。 できれば今の「気だるさ」を意識して暮らしてみようと思えた。

  • 疲れないという躁転

    疲れないという躁転

    5月は日中、特に午前中強い眠気に見舞われる日が多かった。 なんとなく感覚的に薬によるふらつきが残っているように思われることが強かったため、6月初旬の通院時に試しに「クエチアピン」を2錠から1錠に減らしていただいた。 医師は積極的ではなかったが私の強い申し出に、ほかに減らせるものがないといった印象だった。 減薬3日目頃から7日目頃は無気力な状態が続いた。 日中眠くなることもなければ楽しいと感じることもない。 周囲に迷惑をかけないのであればこれはもしかしたら「低い安定」なのかとさえ思えた。(「低め」ではない) 9日目、「怒り」や「喜び」など分かりやすい感情を抱くようになる。 10日目、仕事での集中…

  • 固有の人生

    固有の人生

    人様のブログを拝読すると、さまざまな日常の困りごとがあり、それに立ち向かったり、立ち向かわなかったり、ご自身を卑下されていたり、やたら明るい文章であったり、それぞれの「固有の人生」があるのだなぁと痛感する。 私は私の固有の人生をどのように捉えているのだろうか。 日々目を覚ますこと、己を保つことに精一杯なだけで特に固有といった自覚はない。 どのように見えているのかは今更問題ではない。 主体的にどうなのかといったことが、よくわかっていない。 己を完全に客観視することほど困難なことはないとも思うのだ。 過去のブログに目を通せば、よほど認知が歪んでいることは認識できる。 しかし「今」の自分を私は知りた…

  • 死にたくなくなる薬

    死にたくなくなる薬

    これを痛感したのは先々週のことだ。 耐えがたい希死念慮・自殺願望に支配されていた。 会社に行くこと、家事をすること(特に料理)、減塩を考えることなど。 耳鼻科にかかり内リンパ水腫と診断されてから塩分制限が課せられている。 様々なストレス要因があった。それに伴う疲れもあったのだろう。 一気に死にたくなっていた私は通勤どころか外に出ること自体もままならない。 町にはいくらでも自傷できるきっかけが転がっているようにしか見えないのだ。 (たとえば車、陸橋、踏切など) そんな日に就労移行へ通勤できそうもない旨を「自殺しそうだ」といった文言を明記した上でメール連絡した。 改めて電話をした際に、支援員は出社…

  • 死ぬ気で働かないこと

    死ぬ気で働かないこと

    死ぬことを考える・想像する回数が最近増えている。 考えては、想像してはその行動を耐えることに疲れている。 今にも自殺行為に及びそうな状態というとかなり久しぶりのような気もする。 及びそうなだけで及んではいない。 精神科医に自殺行為は禁止されている。それを私は5年以上守っているのだ。これからも、よほど勢いが過ぎない限りは耐えた方がよいのだろうとは思える。 踏切を渡る際に遮断機が降りているとなかなか耐え難く心拍数が上がるような気がする。 そういった時、電車でひとはどのように死ぬのか細かく具体的に想像してみることにしている。 まずどこが接触するのだろうか。 どのように引きずられるのだろうか。 あるい…

  • 「疲れ知らず」の不自由

    「疲れ知らず」の不自由

    「可哀想な高校生」と形容した自らの発信力・発表力の類への謎が解明されつつある。 診察にて、主治医との会話の一部。 私:発表とかプレゼンテーションが得意だとずっと思ってたんですけど、実際はそうじゃないのかなって気が付いたんです。(深刻) 医:そうなんだね。私の考えだとね、そういうのはその時によって違ってくると思うんだよね。 私:あ~、成長?していくってことですか? 医:うん~、得意な人だってうまくいかない時もあるし、不得意な人だって練習すればうまくいく時もあるし、繰り返すことによって変わるし。その時その時なんじゃないかな。 私:いえ、先日、試しにわざと発表を控えたんですね。そしたらとてもラクだっ…

  • 可哀想な高校生

    可哀想な高校生

    元来の私は大変な引っ込み思案だった。 人前で話すことは大の苦手。作文や感想など書けないし思い浮かびもしない。少しでも排他的なことを言われると言い返せずすぐに泣いてしまう。そんな自分を変えたくて高校入学後すぐ演劇部へ入部した。決まったセリフを発することができるようになれば自己発信ができる自分へ繋がると考えたからだ。 結果は見事なものだった。 人前で表現発表すること、冗談を言うこと、機転の利いたアドリブで場を繋ぐこと、部員の演技に対して感じたことを述べること。 すべてができるようになった。できるどころではない。それらが快感にすら思えるようになった。 最終的にうまくいかないと思い込んで自殺未遂を犯し…

  • ひとの分別と生きづらさ

    ひとの分別と生きづらさ

    近年、世の中には「生きづらさ」が溢れている気がする。 これは今までもあったことなのに、声に出せなかっただけのことなのではないかとなんとなく思う。 書店へ出向くと「自己肯定感」であったり「HSP」といった帯付きの書籍が平積みで置かれていたりする。それも、1冊や2冊ではない。 働き盛りとされる世代の人間が「自分の中の受け入れがたい何か」にこっそり悩まされているのだ。そういう時代になっている。 精神障害や発達障害、知的障害などに関して、そうではない状態と線引きをするイメージはまだまだ払拭されない。私は世の中の「あちら側」の住人である。 「あちら側」に行くまいと、人々は必死なのだろう。 しかし実際のと…

  • 核戦争に現実味を感じた時に

    核戦争に現実味を感じた時に

    最近の私は平和だった。 平和になったという方が適切かもしれない。 いろいろありつつ生きることを試してみようとしている最中だ。 そんな中、世の中は穏やかではない。 私としては人類には早々に滅亡してほしいというゆるい願望がある。 でもそれが今ではなんとなく困る。 しかしどうやら「今」なのだ。 かつて考えていたような、「明日生きるか死ぬか」といった状況下に置かれれば精神疾患など完全に排除されるか、当たり前になるだろうと思う部分もある。 実際にそうならないと人類は変わらない。私も変わらない。 願っていたことが現実味を帯びて来ているらしい。 実感はないし私がコントロールできることではない。 世の中のせい…

  • 低め安定を目指す

    低め安定を目指す

    双極性障害は低めの安定が望ましい。 そう言われることは多いし私自身、まったくその通りであると思っている。 しかし具体的にどのようなことを心がけ、どのような取り組みをすれば低めで安定させられるのか、どこにも記事がない。 世の中が全体的に答えを出せずにいるのだろうと思った。 先日通院の際たずねた時も、主治医はしばらく考え込んでしまった。 追々考えて行くという提案の下、いくつかのヒントをもらった。 ・6~7割の力でブレーキをかける意識をすること ・何事も絶好調でやらないこと ・自分より、身近な人の方が高さに気が付きやすいということ なんとも曖昧かつ感覚的で分かりにくかった。しかしその感覚的なものを見…

  • 当たり前が溢れる世界の中で

    当たり前が溢れる世界の中で

    一般企業で働くことはこの国では当たり前のことなのだろう。 5年以上前の私もそう思っていた。 しかしながら働けず、世界のことも知らなかったため存在することに対して強い劣等感を抱いていた。 実際のところ当たり前とは、そういった傾向が圧倒的に強いということに過ぎない。 現在は「働く」がすべてではないと思っている。 そのため働いていることを当たり前だと誇張する表現や、働けないことを卑下したり差別的な表現をするような言動を見聞きするとなんとなくモヤモヤする。 自分がどこに立っているのかよく分からない。 半端な場所にいるような気はしている。白黒付けないでいて平気になったのはよいことだ。このままの感覚をなん…

  • 勤怠が安定しない理由

    勤怠が安定しない理由

    このところ欠勤が増えた。 10年前の私では考えられないことだ。まずその場にいなければ話にならない。 通勤途中倒れた際に連絡をつけた上司から「今日は来なくていい」と言われた時には「お前は世の中に必要ない」と言われたことと同義だった。 しかしながら歳月は流れ、この度は障害者雇用という枠にいる。 周囲は私に気を遣うが、私も必要以上に気を遣って来たのだろう。 もう少しこうしたい。もう少しあんな風にできれば。といった考えはおおむねコミュニケーション不足に直結する。 極端な話、異国の民でもないし違う星からやってきたわけでもないのだ。 私にだって日本語の日常会話くらいはある程度ならできる。 ある程度社風に合…

  • 無意義から考える面白さ

    無意義から考える面白さ

    ふと、休みの午前中を有意義に過ごしたいと思った。 しかし、有意義って何だろうとすぐに行き詰った。 「意味・価値があると考えられること」と出てくる。休みに意味を持たせて過ごそうというのか。我ながら大層なことを考えたものだ。 休息にはそれだけで価値がある。休まなければ生物は存命しないからだ。 おそらく私は休むのではなく活動をしたいとなんとなく思ったのだろう。そこに意味なんておそらくない。何をもって活動とするかも曖昧だ。 有意義の反対は「無意義」というらしい。価値のないこと、つまらないこと。 こういったとき何の苦労もなく反対語を検索できる時代はもはや無意義なような気がする。その語句の入力に数秒とかか…

  • 求・いいかんじデータ

    求・いいかんじデータ

    冬の体調は一進一退だ。例年に比べれば考えられないほど動けてはいる。 ただでさえ苦手意識の強い冬。しかし夏の躁よりはマシだと思えるのだ。 元気がありすぎるのは本当によろしくない。 だからといって就業中に耐えがたい眠気に見舞われるともう罪悪感しかない。 呼吸を止めるだとか、数十秒離席し伸びをして来るだとか、最近は耳を引っ張るマッサージを意識的に取り入れているが、充分な睡眠時間をとっていても眠い時は眠い。帰った方が良いと思うほど眠い。それでもなんとなく居てしまう。 なんとなく、居られるようになったのかもしれない。 例年であればなんとなくでも居ることもできなかっただろう。 気分を上げる工夫の方が気分を…

  • 対等か合理的配慮か

    対等か合理的配慮か

    職場において、もはや申し訳なくなるほどの多大なご配慮をいただいている。面接時に私はそこまで求めなかったのだが、完全に助かっている。だから対等ではありえないのだ。 おそらく、私が「居心地が良い」と感じるのは最低限度 ひと と ひと として程度の配慮がある場だと思う。そういった場面はどのような肩書であれ、障害であれ、(便宜上)一般人であれ存在がおおむね「対等」に近いのだろうと思う。それは言葉にする必要はない。そういった場は少なくとも持っていると思っている。 そうでない場が職場なのだろうとなんとなくわかったような気がした。 既に頂いているご配慮をひとつひとつ少なくしていく必要もないかもしれない。こう…

  • はためいわくにはたらく

    はためいわくにはたらく

    「はたらく」とは、はた(傍=そばにいる人)をラクにすることだと思うようになったのはB型事業所で作業をしていた頃だ。 障害者雇用ではそういった幸福感のようなものが微塵もない。 社風もあると思われるが、なんというか古風だ。 そもそも精神障害者を初めて雇う企業、勤怠の安定以外で何を求められているわけでもないだろう。妙に気を遣わせてしまい、実に「はた迷惑」な存在になっている。それでも賃金をいただいて動くからには、勤怠以外で何かしら会社に貢献したいと考えてしまったり、若い世代や同じ年代と思われる社員の方々と比較してしまったりする。 比較対象を間違えていることには割とすぐに気が付く。 私は10年以上社会人…

  • 大量服薬の理由

    大量服薬の理由

    大量服薬は私の現実逃避の術だったらしい。 本日より年始の出社となることから、昨晩はやたらとひっ迫した状態だった。 私にとって「はたらく日々」とはまだまだデフォルトではないのだ。1週間も休めば「休む頭と体」になるのは当然である。なんとなく翌朝のことを思い浮かべては涙するといった、昨年の冬~春頃と似た症状に見舞われていた。 行ける気がしない、生き抜ける気がしない。 そう思ったとき、相当久しぶりに「不慮の事故」に見舞われればよいのだといった発想に至った。不慮とはいっても自発的に起こさなければならない。 そうだ、薬をいただいてきたばかりではないか。 私にはその快楽がわからないため差別的な表現になること…

  • たぶん生きてもよいという自信

    たぶん生きてもよいという自信

    生活環境が変わる。 だからといって慌てているわけでも困っているわけでもない。 これを人は「自信」と呼ぶのだそうだ。 入社日のことは今考えてもしかたがない。 もし気分が上がってしまったら、支援機関に相談すれば落ち着くことができる。 もしへこんでしまったら、気分を下げようとすることより断然ラクである。 もしこのままふらっとな状態でいられたら、それに越したことはない。 (If thenプランニング。) どのような状況におちいっても早くにリカバリーできる安心感がある。 私の安心材料は主に人との繋がりにある。 各支援機関、病院、家族、友人、犬、そして自分で作ったセルフケアツールだ。 (家族と犬は若干の不…

  • 心境変化

    心境変化

    最近ブログを書く理由がなくなった。 6月末に「書く瞑想」なるジャーナリングアプリをダウンロードしたからだ。 自分が思ったこと、感じたこと、その日の出来事はすべてそちらに入力している。 1週間に平均30件ほどの投稿になる。ある程度勉強に使っていたSNSもほぼ開かなくなった。精神面はほぼ良好と言える状態に近いかもしれない。もちろん波はある。 このブログを設立したきっかけは確か己の存在への劣等感、不安感、社会に対する罪悪感や過去への未練などがあったことが大きかったと思う。 退院してから4年以上になる。現在の私はそれらのすべてからだいたい解放されている。 生活環境が変わったわけではない。 私の考え方が…

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