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理刹主義-躁鬱病と診断された女- https://risetsu.hatenadiary.com/

30代、添病約10年。B型通所2年を経て就労移行を志す。病的被害者ではない、社会的加害者の偏屈な自白。

メンタルヘルスブログ / 躁うつ病(双極性障害)

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季戸あいら
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2017/08/06

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  • 死ぬほどのことではない

    9月は散々だった。 約2週間、常に泣いていて、自殺念慮が強くある状態が続いた。 気分の落ち込みが激しく、辞職し精神科に入院することを考えるほど追い詰めていた。 そうする真の理由もないことから、現実逃避だったことが伺える。 現実逃避したいほどに嫌な状態だったことは事実で、 1年近くの蓄積もあったように思われた。 定期通院でも定着支援事業へ行っても涙を耐え切れず思うように話すこともできないのは不便だ。 主治医にはとにかくシンドイことすらも伝えられず半ば強引で前向きな助言を受け、 定着支援では結局のところ不安定な状態で大きな決断をすることは良くないと諭される。 「死ぬほどのことではない」 主治医が言…

  • 掴みかけた「低め安定」

    なんとなく気だるい日が続いた。 しかしこの程度でも良いのかとなんとなく思っていた。 仕事に大きく影響があるわけでもないからだ。 勤怠面だけを取れば、なんとなく安定しているような気もしていた。 「それは正解かもね。調子いいと思う時はやりすぎな可能性があるよ。」 主治医はそう言った。 なんだか初めて明確に「これでいいんだ」と思えた。 低め安定がなんたるか、分からない。 この先にも波は必ずあることは分かっている。 できれば今の「気だるさ」を意識して暮らしてみようと思えた。

  • 疲れないという躁転

    5月は日中、特に午前中強い眠気に見舞われる日が多かった。 なんとなく感覚的に薬によるふらつきが残っているように思われることが強かったため、6月初旬の通院時に試しに「クエチアピン」を2錠から1錠に減らしていただいた。 医師は積極的ではなかったが私の強い申し出に、ほかに減らせるものがないといった印象だった。 減薬3日目頃から7日目頃は無気力な状態が続いた。 日中眠くなることもなければ楽しいと感じることもない。 周囲に迷惑をかけないのであればこれはもしかしたら「低い安定」なのかとさえ思えた。(「低め」ではない) 9日目、「怒り」や「喜び」など分かりやすい感情を抱くようになる。 10日目、仕事での集中…

  • 固有の人生

    人様のブログを拝読すると、さまざまな日常の困りごとがあり、それに立ち向かったり、立ち向かわなかったり、ご自身を卑下されていたり、やたら明るい文章であったり、それぞれの「固有の人生」があるのだなぁと痛感する。 私は私の固有の人生をどのように捉えているのだろうか。 日々目を覚ますこと、己を保つことに精一杯なだけで特に固有といった自覚はない。 どのように見えているのかは今更問題ではない。 主体的にどうなのかといったことが、よくわかっていない。 己を完全に客観視することほど困難なことはないとも思うのだ。 過去のブログに目を通せば、よほど認知が歪んでいることは認識できる。 しかし「今」の自分を私は知りた…

  • 死にたくなくなる薬

    これを痛感したのは先々週のことだ。 耐えがたい希死念慮・自殺願望に支配されていた。 会社に行くこと、家事をすること(特に料理)、減塩を考えることなど。 耳鼻科にかかり内リンパ水腫と診断されてから塩分制限が課せられている。 様々なストレス要因があった。それに伴う疲れもあったのだろう。 一気に死にたくなっていた私は通勤どころか外に出ること自体もままならない。 町にはいくらでも自傷できるきっかけが転がっているようにしか見えないのだ。 (たとえば車、陸橋、踏切など) そんな日に就労移行へ通勤できそうもない旨を「自殺しそうだ」といった文言を明記した上でメール連絡した。 改めて電話をした際に、支援員は出社…

  • 死ぬ気で働かないこと

    死ぬことを考える・想像する回数が最近増えている。 考えては、想像してはその行動を耐えることに疲れている。 今にも自殺行為に及びそうな状態というとかなり久しぶりのような気もする。 及びそうなだけで及んではいない。 精神科医に自殺行為は禁止されている。それを私は5年以上守っているのだ。これからも、よほど勢いが過ぎない限りは耐えた方がよいのだろうとは思える。 踏切を渡る際に遮断機が降りているとなかなか耐え難く心拍数が上がるような気がする。 そういった時、電車でひとはどのように死ぬのか細かく具体的に想像してみることにしている。 まずどこが接触するのだろうか。 どのように引きずられるのだろうか。 あるい…

  • 「疲れ知らず」の不自由

    「可哀想な高校生」と形容した自らの発信力・発表力の類への謎が解明されつつある。 診察にて、主治医との会話の一部。 私:発表とかプレゼンテーションが得意だとずっと思ってたんですけど、実際はそうじゃないのかなって気が付いたんです。(深刻) 医:そうなんだね。私の考えだとね、そういうのはその時によって違ってくると思うんだよね。 私:あ~、成長?していくってことですか? 医:うん~、得意な人だってうまくいかない時もあるし、不得意な人だって練習すればうまくいく時もあるし、繰り返すことによって変わるし。その時その時なんじゃないかな。 私:いえ、先日、試しにわざと発表を控えたんですね。そしたらとてもラクだっ…

  • 可哀想な高校生

    元来の私は大変な引っ込み思案だった。 人前で話すことは大の苦手。作文や感想など書けないし思い浮かびもしない。少しでも排他的なことを言われると言い返せずすぐに泣いてしまう。そんな自分を変えたくて高校入学後すぐ演劇部へ入部した。決まったセリフを発することができるようになれば自己発信ができる自分へ繋がると考えたからだ。 結果は見事なものだった。 人前で表現発表すること、冗談を言うこと、機転の利いたアドリブで場を繋ぐこと、部員の演技に対して感じたことを述べること。 すべてができるようになった。できるどころではない。それらが快感にすら思えるようになった。 最終的にうまくいかないと思い込んで自殺未遂を犯し…

  • ひとの分別と生きづらさ

    近年、世の中には「生きづらさ」が溢れている気がする。 これは今までもあったことなのに、声に出せなかっただけのことなのではないかとなんとなく思う。 書店へ出向くと「自己肯定感」であったり「HSP」といった帯付きの書籍が平積みで置かれていたりする。それも、1冊や2冊ではない。 働き盛りとされる世代の人間が「自分の中の受け入れがたい何か」にこっそり悩まされているのだ。そういう時代になっている。 精神障害や発達障害、知的障害などに関して、そうではない状態と線引きをするイメージはまだまだ払拭されない。私は世の中の「あちら側」の住人である。 「あちら側」に行くまいと、人々は必死なのだろう。 しかし実際のと…

  • 核戦争に現実味を感じた時に

    最近の私は平和だった。 平和になったという方が適切かもしれない。 いろいろありつつ生きることを試してみようとしている最中だ。 そんな中、世の中は穏やかではない。 私としては人類には早々に滅亡してほしいというゆるい願望がある。 でもそれが今ではなんとなく困る。 しかしどうやら「今」なのだ。 かつて考えていたような、「明日生きるか死ぬか」といった状況下に置かれれば精神疾患など完全に排除されるか、当たり前になるだろうと思う部分もある。 実際にそうならないと人類は変わらない。私も変わらない。 願っていたことが現実味を帯びて来ているらしい。 実感はないし私がコントロールできることではない。 世の中のせい…

  • 低め安定を目指す

    双極性障害は低めの安定が望ましい。 そう言われることは多いし私自身、まったくその通りであると思っている。 しかし具体的にどのようなことを心がけ、どのような取り組みをすれば低めで安定させられるのか、どこにも記事がない。 世の中が全体的に答えを出せずにいるのだろうと思った。 先日通院の際たずねた時も、主治医はしばらく考え込んでしまった。 追々考えて行くという提案の下、いくつかのヒントをもらった。 ・6~7割の力でブレーキをかける意識をすること ・何事も絶好調でやらないこと ・自分より、身近な人の方が高さに気が付きやすいということ なんとも曖昧かつ感覚的で分かりにくかった。しかしその感覚的なものを見…

  • 当たり前が溢れる世界の中で

    一般企業で働くことはこの国では当たり前のことなのだろう。 5年以上前の私もそう思っていた。 しかしながら働けず、世界のことも知らなかったため存在することに対して強い劣等感を抱いていた。 実際のところ当たり前とは、そういった傾向が圧倒的に強いということに過ぎない。 現在は「働く」がすべてではないと思っている。 そのため働いていることを当たり前だと誇張する表現や、働けないことを卑下したり差別的な表現をするような言動を見聞きするとなんとなくモヤモヤする。 自分がどこに立っているのかよく分からない。 半端な場所にいるような気はしている。白黒付けないでいて平気になったのはよいことだ。このままの感覚をなん…

  • 勤怠が安定しない理由

    このところ欠勤が増えた。 10年前の私では考えられないことだ。まずその場にいなければ話にならない。 通勤途中倒れた際に連絡をつけた上司から「今日は来なくていい」と言われた時には「お前は世の中に必要ない」と言われたことと同義だった。 しかしながら歳月は流れ、この度は障害者雇用という枠にいる。 周囲は私に気を遣うが、私も必要以上に気を遣って来たのだろう。 もう少しこうしたい。もう少しあんな風にできれば。といった考えはおおむねコミュニケーション不足に直結する。 極端な話、異国の民でもないし違う星からやってきたわけでもないのだ。 私にだって日本語の日常会話くらいはある程度ならできる。 ある程度社風に合…

  • 無意義から考える面白さ

    ふと、休みの午前中を有意義に過ごしたいと思った。 しかし、有意義って何だろうとすぐに行き詰った。 「意味・価値があると考えられること」と出てくる。休みに意味を持たせて過ごそうというのか。我ながら大層なことを考えたものだ。 休息にはそれだけで価値がある。休まなければ生物は存命しないからだ。 おそらく私は休むのではなく活動をしたいとなんとなく思ったのだろう。そこに意味なんておそらくない。何をもって活動とするかも曖昧だ。 有意義の反対は「無意義」というらしい。価値のないこと、つまらないこと。 こういったとき何の苦労もなく反対語を検索できる時代はもはや無意義なような気がする。その語句の入力に数秒とかか…

  • 求・いいかんじデータ

    冬の体調は一進一退だ。例年に比べれば考えられないほど動けてはいる。 ただでさえ苦手意識の強い冬。しかし夏の躁よりはマシだと思えるのだ。 元気がありすぎるのは本当によろしくない。 だからといって就業中に耐えがたい眠気に見舞われるともう罪悪感しかない。 呼吸を止めるだとか、数十秒離席し伸びをして来るだとか、最近は耳を引っ張るマッサージを意識的に取り入れているが、充分な睡眠時間をとっていても眠い時は眠い。帰った方が良いと思うほど眠い。それでもなんとなく居てしまう。 なんとなく、居られるようになったのかもしれない。 例年であればなんとなくでも居ることもできなかっただろう。 気分を上げる工夫の方が気分を…

  • 対等か合理的配慮か

    職場において、もはや申し訳なくなるほどの多大なご配慮をいただいている。面接時に私はそこまで求めなかったのだが、完全に助かっている。だから対等ではありえないのだ。 おそらく、私が「居心地が良い」と感じるのは最低限度 ひと と ひと として程度の配慮がある場だと思う。そういった場面はどのような肩書であれ、障害であれ、(便宜上)一般人であれ存在がおおむね「対等」に近いのだろうと思う。それは言葉にする必要はない。そういった場は少なくとも持っていると思っている。 そうでない場が職場なのだろうとなんとなくわかったような気がした。 既に頂いているご配慮をひとつひとつ少なくしていく必要もないかもしれない。こう…

  • はためいわくにはたらく

    「はたらく」とは、はた(傍=そばにいる人)をラクにすることだと思うようになったのはB型事業所で作業をしていた頃だ。 障害者雇用ではそういった幸福感のようなものが微塵もない。 社風もあると思われるが、なんというか古風だ。 そもそも精神障害者を初めて雇う企業、勤怠の安定以外で何を求められているわけでもないだろう。妙に気を遣わせてしまい、実に「はた迷惑」な存在になっている。それでも賃金をいただいて動くからには、勤怠以外で何かしら会社に貢献したいと考えてしまったり、若い世代や同じ年代と思われる社員の方々と比較してしまったりする。 比較対象を間違えていることには割とすぐに気が付く。 私は10年以上社会人…

  • 大量服薬の理由

    大量服薬は私の現実逃避の術だったらしい。 本日より年始の出社となることから、昨晩はやたらとひっ迫した状態だった。 私にとって「はたらく日々」とはまだまだデフォルトではないのだ。1週間も休めば「休む頭と体」になるのは当然である。なんとなく翌朝のことを思い浮かべては涙するといった、昨年の冬~春頃と似た症状に見舞われていた。 行ける気がしない、生き抜ける気がしない。 そう思ったとき、相当久しぶりに「不慮の事故」に見舞われればよいのだといった発想に至った。不慮とはいっても自発的に起こさなければならない。 そうだ、薬をいただいてきたばかりではないか。 私にはその快楽がわからないため差別的な表現になること…

  • たぶん生きてもよいという自信

    生活環境が変わる。 だからといって慌てているわけでも困っているわけでもない。 これを人は「自信」と呼ぶのだそうだ。 入社日のことは今考えてもしかたがない。 もし気分が上がってしまったら、支援機関に相談すれば落ち着くことができる。 もしへこんでしまったら、気分を下げようとすることより断然ラクである。 もしこのままふらっとな状態でいられたら、それに越したことはない。 (If thenプランニング。) どのような状況におちいっても早くにリカバリーできる安心感がある。 私の安心材料は主に人との繋がりにある。 各支援機関、病院、家族、友人、犬、そして自分で作ったセルフケアツールだ。 (家族と犬は若干の不…

  • 心境変化

    最近ブログを書く理由がなくなった。 6月末に「書く瞑想」なるジャーナリングアプリをダウンロードしたからだ。 自分が思ったこと、感じたこと、その日の出来事はすべてそちらに入力している。 1週間に平均30件ほどの投稿になる。ある程度勉強に使っていたSNSもほぼ開かなくなった。精神面はほぼ良好と言える状態に近いかもしれない。もちろん波はある。 このブログを設立したきっかけは確か己の存在への劣等感、不安感、社会に対する罪悪感や過去への未練などがあったことが大きかったと思う。 退院してから4年以上になる。現在の私はそれらのすべてからだいたい解放されている。 生活環境が変わったわけではない。 私の考え方が…

  • 死にたいほどのストレス

    希死念慮、自殺願望の類がのしかかるとき、それほどまでのストレスがかかっているのだと考えることができるようになった。これの頻度は昨今激減していたがこのところ週末になるとほぼ決まって見舞われる。 外的な要因が大きいため問題焦点型コーピングを一気に試行することは極めて難しい。 それでも私の持つ性格的な部分に焦点を当てるならこれができないこともない。いわゆる認知の歪みだ。「こうあるべき」「こうすべき」「こうでなければならない」といった「べき思考」が大きく関係していることに気がつく。 法律を犯さない範囲であれば本来人間に「こうすべき」といった縛りはほぼないようなものであってよいはずだ。 ではなぜ「べき」…

  • 自己を含むすべてへの期待はどうでもいい

    「等身大」とはよくいったものであるがそれは物理的ではないため目には見えない。明らかに己の身の丈にそぐわない期待を無意識にしてしまうこともあるものだ。 そういったとき、自分にはそのような能力、たとえばひとに嫌われないでいることや理想の業務を理想の時間以内にこなすことなどがそなわっているわけがないことを知らなければならない。それが最近うまくできない。 自分とは、この程度のものなのだ。 このくらいのことを出来て当然だとする考えの根拠はどこにあるのか。 根拠なき自信はただの躁病相なのだ。 だからといって爽快感があるわけでもないしイライラするわけでもない。 なんらかの普段とは少し違った様子に気がつくこと…

  • 優生保護法から考える

    こういった相談をまず誰にすることが適当なのかまったく見当がつかない。 ただ、就寝しようとしてから3時間近く様々に思考を巡らせてしまっている。 最近は考え事をすると紙に書き出し破り捨ててすっきりさせることが定着してきていた。しかし今夜の用紙は破り捨てることもできないでいる。 つい先日の話だ。知人の4歳の愛娘と顔をあわせる機会があった。おそらく成人してから初めてに近いほど、子どもが愛おしく思えたりしていた。私は元来子供好きだった。ただし私自身、安定しない精神状態の中で人工妊娠中絶手術をした10年前から、「子どもを産む」ということの想像が出来なくなった。しないようにしてきたのかもしれない。 社会情勢…

  • 推論の誤りと概念の消失

    人間とは誰しも疲労し疲弊するものだ。 私は普段「疲れた」という言葉を発しなかった。ある時からは発しないよう心がけてきた。 「疲れた」と言ってもよいのは“高度な仕事”をこなしている人や肉体労働やスポーツに励んでいる人々、思い切り心置きなく遊び倒した場合などに限ると考えたからだ。 私はそれらに該当しない。私は「疲れた」と言ってはいけない・私は疲れる「べきではない」と何年にも渡り思い込んでいたのだ。 視点を変えると、躁病相において私は「疲れる」ことを知らない体験をしている。 それは病状であったという知識は後から知り得たことだが、認識のどこかで「疲れない躁状態」を理想に感じる、あるいはごく当たり前のこ…

  • 障害者雇用求人検索

    求人検索をしている。自分にできそうだと思える仕事は見当たらない。 今までは職安サイトのみを見てきたが、大手人材派遣企業サイトも見るようになった。 しかし後者は就労支援求人も多いため「障害者雇用」そのもので検索することがやや困難だ。 県内の事務関係の仕事はチェックしているものの、私は事務職が何たるかをしっかりと把握できていない。エクセルも2年前に初めて触ったものだ。 利用している就労移行からは事務職に就く人が非常に多い。元事務職の方が多いのだろう。 多いからといって私もそうするという「なんとなく事務職」検索では事務職員の方々に大変失礼である。しっかりとした動機が欲しいために企業研究から入る。 接…

  • セルフケアツールを増やす

    昨夜は22時より前には就寝した。24時頃に中途覚醒し早朝覚醒するのも無理はない。 ほとんど実のないGWが終わり本日より5月度が始まる。 本来なら就労移行における利用期間の「最後の3ヶ月」に当たる。 しかしながらメンタルの安定が不十分であることやコロナ禍で満足に就職活動ができなかったことなどから1年単位での利用延長がゆるやかに可能であるらしい。 3ヶ月はあっという間だ。 はじめこそ延長に気乗りしなかったが、ここまでなんとかして積み上げてきた事物を冷静に鑑みて、今では比較的前向きに検討している。 今月の個人的な目標は「セルフケア」に関する項目にしてある。 2年前、現在の就労移行事業所の見学や体験に…

  • こどもをつくらないりゆう

    私はこどもが好きだ。 私は必要十分な理解のあるパートナーに恵まれている。 一般的にいわれる「出産適齢期」の終盤は近い。 私は私の人格を保つだけで精一杯だ。 私は私の人格を保てないことがしばしばある。 私は「人格を保てない私」も含めて私であると理解している。 私は母親が健在のうちに孫の顔を見せたいと切望していた時代がある。 私は精神科薬を6種類服薬している精神異常者だ。 もしもこどもを授かることができたとしたら 彼または彼女は何らかの先天的な障害を持っている。 時代は進み彼または彼女は現代以上に生きにくさを感じることになる。 私は彼または彼女が「生きたくない」と言った時にそれを否定する能力が欠落…

  • 社会的生存が困難になるきっかけ

    意味もなく生きていた。 1ヶ月ほどの間で徐々に思考力は上がり、行動が伴わない日が続いた。 就労移行も3月までは在宅支援が続き、人が多くいる場所に出向くことが久しぶりだった。 気持ちは行きたくない・新年度でなんとなく使命感はある。 朝から気分はバラバラだったのだ。 そんな日に事件は起きた。 ちょっとした認知の歪みから故意に他者を困らせる言動をし、対人関係に害が及んでも構わない、あるいはこの程度で害が発生するわけがないと開き直るほどの状態に陥ったのだ。 それで間違いはないと思い込んでいた。 その点に注意を促されてから思考を修正するまでに3〜4時間ほどの時間を要した。 結果として躁転のデータが取れた…

  • 自殺志願者が35年も生きた意味

    私は今日までよく生きてこられたものだと思う。 なんだかもうじゅうぶんだろう、こんな気がするのは初めてな気がする。 何かに絶望でもしたのだろうか。 特に何でもなく普段通りの在宅支援を受けた。 特に何でもなく普段通りに求人検索もした。 特に何でもなく普段通りにタイピング練習をしていた。 特に何でもなく普段通りに報道番組を聞き流していた。 大きな出来事は見当たらない。 だとするならば蓄積になる。 少しずつの何かマイナスなことを発散できていなかったのだろう。 毎日記録をつけても気づかないこともあるのだなあ。 己の能力に万能を求めているとでもいうのだろうか。 そんなことは不可能だ。 不可能だ。 ここへき…

  • ホームポジションは自殺願望

    私のホームポジションには「自殺願望」という文字がある。 過去形にしたいものの未だに完全に消しされたとは言い切れない。 小学校高学年の頃からだろうか、以前にも書いたような気がする。 ある時突如として世の中の何もかもが虚しく意味のないものにしか思えなくなったのだった。 その矛先が向かったのは自分自身の存在に対してだった。 「誰にでもそんな風に考えたりする時期はあるの。それが周りの子たちより少し早かったんだね。」 親や学校の先生はそう言った。 その頃から熱心に聴き込むバンドが1つあった。 彼らがいるから、彼らのライブに足を運びたいから生きていなければならない。 彼らの存在が生きるすべてだった。 彼ら…

  • 34分の4で人生は変わる

    退院してから4年が経とうとしている。 この4年間で私は本来の人間になりつつあるのかもしれないことをなんとなく感じる。 10代の頃から希死念慮や自殺願望は誰にでもあるものだと疑わなかった。 私自身が常に持っていただけであって、それははっきり言って普通ではない。 普通ではなかったことを知るのはずいぶん後の話だ。 20代の頃は普通ではないことを開き直っていた。 私は精神異常者だと触れまわり、それまでの大切だった人間関係は崩壊した。 心身ともに充実していてよいはずの20代は非人道的に過ぎていった。 30代になり、もうそろそろ自殺しても良い年頃だと本格的に考える。 それは高校時代の恩師が現代社会の授業で…

  • 眠れないと

    眠れないとつらい 眠れないとハイになってしまう 眠れないと焦る 眠れないと明日動けないかもしれない 眠ったら朝になってしまう 眠らなくても朝は来てしまう 眠ったらラクかもしれない 眠ろう眠ろう眠ろうと考えてしまったら 眠れなくなるものだ 朝になるのを怖いと感じるのは結構久しぶりだと思う

  • 習慣化、継続を目指せるとき

    緊急事態宣言が発出されてから、なにかと物事を継続している。 これは良好サインなのだろう。 まだ1週間や2週間で継続ということもおこがましい。 それでも私の中で新しいことを同時に始めることは極めて稀だ。 こういったとき、特別に他者と比べたりしていないことにも気がついた。 気がつく余裕がある。 これらができなくなる時は確実におとずれる。 それを予測しながら、できれば回避する術を考える。 目標はスモールステップが良いという話もよく聞く。 小さな成功体験を継続することはとても大切なことである。 できなくなったとき、せめてできなかったことをこのブログに嘆くことに決めるのは果たしてスモールステップだろうか…

  • くだらない対抗心

    日常生活や支援機関において他者に対して負けまいとして張り合う気持ちはくだらない。 元来持っているものが全く違う上に目指すものもおおむね異なるからだ。 職場であれば対抗心を燃やしたりしてもよいのかもしれない。 企業の成長に繋がる可能性があるからだ。 前者の場合、そもそも何に関して張り合うのか理解に苦しむ。 しかしながら張り合って苦しんでいる人がいる。やめればラクになるのに。 考え方ひとつで片付けられるストレスはできる限り抱かないに越したことはない。 それに気がつかない時というのは、他者に負けまいとしているのだろう。 どうせなら自身の特性に負けまいとしたほうが建設的である。 今の自分に対して対抗心…

  • 絶望的な交友関係

    昔の友人の夢を見た。 楽しい夢のなのか、そうではないのかいまいち分からない。 それでも彼女たちはいた。 彼女たちと交友を絶ってから5年ほど経つかもしれない。 7人ほどのグループで、もちろん個々に仲の良い者同士もいたかもしれないが、何かあると決まって全員に声がかかっていた。 おそらく今もそうしているだろう。 交友を絶った理由はつまらない劣等感と、特定の人物から嫌悪されたことだった。 当時私は決められた時間に決められた場所へ出向くことが困難なことも多々あった。 ある時に度々出向けない自分のことが嫌になり、開き直って暴言を吐きながらグループを抜けたのだった。 その後冷静になり6人ひとりひとりに謝罪の…

  • 緊急事態においても就活

    眠ることによって思考がリセットされることは多い。 履歴書や職務経歴書の作成でがんじがらめになっていた。 なぜ会社に入る前段階がこんなにも苦行なのか、改めて我が国の流れを呪いたい。 それでも自発的に応募書類を作成し始める日が来るともあまり思っていなかった。 その点は自らを評価しようと思う。 評価したところで、である。 どのような説得力を持たせる文書が適切なのか、まるで見当がつかない。 応募書類作成のいろはのようなサイトは散々拝見した。 ほとんどが実務経験があるか、まったくないかに二分化されている。 私は極めてイレギュラーかもしれない。 就労移行事業所のスタッフも赤ペンを入れる程度をためらうほど悲…

  • 無意味に卑屈になる時

    このような世の中で誰もが多かれ少なかれ苛立ったり荒んだりしているだろうと思う。 報道番組を眺めていると、今夜は如実にそれが見られた。 いわゆる「自粛警察」といった言葉は好きではないがそういった考え方にも同意できる部分はある。 シトラスリボンなどの象徴を持たなければ差別や偏見を無くせない世の中に嫌気がさす。 そして個々人の極めてどうでもいい願望に目が向く。 私は何に対して見栄を張っているのだろうか。 どのようにはばかっても井戸の中は限りなく狭い。 比較対象は過去の自分。それ以外は必要ない。 悔しければたとえば1やれば済むことを10や20やるくらいの努力をするしかないのだ。

  • PCR検査結果待ち期間とひとを殺すもの

    先週急な発熱があった。結果としては何事でもないただの風邪症状だったらしく、現在落ち着いている。 今月は今までにない疲れが溜まっていた。無自覚な部分のセルフケアが疎かだったのかもしれない。滅多に風邪は引かないのに迂闊だった。また、落ち着いているからといって油断もできない。 このようなご時世では判断は紙一重かもしれないがすぐにかかりつけ医へ行くとPCR検査を受けることになった。 症状があり受けるだけでも不安だった。 結果は一般的に二日後の午前中となっているらしい。この結果待ちの二日間の精神的な負担たるや、なかった。 陽性だったら事業所も封鎖されるかもしれない、前2週間に接触した人はどれだけいる、 …

  • 反動の観察方法と企業訓練

    企業の実習訓練に3週間参加した。 無遅刻無欠勤だったことのみが評価であり、それだけが最も大切な目標だった。 現在の私の体調を考えると多少の波があることは当然であり普段と違う環境で無欠勤だったことは奇跡にも近い。 2週目の後半に反動で耐え難い眠気と気だるさに見舞われ、朝早くから事業所に電話をかけ泣きついたがそれはよい方向へ作用した。 障害者へ向けた訓練のため業務内容は一貫して難しい内容ではない。 ただし走り書きしたメモを「まとめる」という習慣がなかった私ははじめの1週間は帰宅後にメモを書き直すことに体力も時間も消費した。 そして10年以上前に在籍していた企業で日々罵倒されていたことを思い出しては…

  • 大切な人に対して言えること

    このようなご時世で、約1年振りに実際に会う友人がいた。 彼女は直近で非常に自責の念にかられていた。 彼女には選択肢がまるでそれしかなかったように思われ、私はそうするしかなかったのだとなだめることしかできないでいた。 しかし彼女の話を聞くうちに、「どうすればよかったのか」という問いに対して「あなたはあなたのことを許してあげることをすればいいと思う」という言葉が私の口から自然に発せられた。 その言葉に嘘偽りはなく、彼女に対して心底そう感じたのだった。 彼女は一呼吸置いて、大変落ち着いた口調で感謝の言葉を述べてくれた。 その翌日、事業所の講座においてまとめの部分で付け加えられた「親しい友人や大切な人…

  • 日本語トラブル

    単語のみで会話をすることは少ない。 文章にはおおむね脈絡がある。 たとえば私は無責任に発せられる「夢」だとか「愛」だとかいった単語が大嫌いだ。 ただしそこに裏付けとなる他の文章や脈絡があれば話は変わってくることがあるかもしれない。 日本人は日本語という極めて優柔不断で面倒な言語を扱う。 その言語の単語のみに着目しては会話や文章はほぼ成立しない。 同じ「C」という単語でも、Aが思う「C」とBが言う「C」は必ずしも同一ではない。 「C」にたどり着く行程や付随する経験、知識が誰しも異なるからだ。 日本人は数学が得意な傾向があるという話を聞いたことがある。 諸外国の数学の概念と比べて我が国における概念…

  • 軽躁エピソードを亡くしたい

    軽躁状態になることを極度に恐れている。 直近でとあるクリニックのサイトを閲覧し、「軽躁エピソード」をなくすことが大切だと読んだためだ。 2日ほど前から、寝起きが軽やかである。 それ以前は眠気が強く気だるい日々が続いていた。 これは軽いうつ状態が明けて躁状態に転じる、まさにその時期なのではないかと実感し、危機感を持って体調を観ている。 しかし「元気」の芽を過剰に摘んでしまっているし、自分が思うほど体の軽やかさも続くわけでもない。 やたらと疲れる。 こういう時は一喜一憂しないことがおそらく大事だ。 就労移行支援スタッフにも日々客観的に見てどうなのかを確認したりしている。 そうするとおおむね「普通」…

  • 面接練習に向けて

    現在まで飛び抜けて避けてきたことがある。 「面接練習」だ。 学生時代にも練習などしたことがない。 思い返すアドバイスといえば「お前はプレゼンができるんだから問題ない、自分をプレゼンすればいいんだ」と言われたことだけだ。 そもそも練習などするべきものなのかとも考えるが、ある程度返答を準備しておくことは大切なのだと思うようになった。 新卒の時も、結果的に面接で自分のことを適切に伝えられなかったため技量以上の業務を与えられ体を壊したのだとも考えられる。 だがしかし、だ。 いざ練習に挑むとなっても志望動機や長所短所すらまともに出てこない。 障害者雇用における面接対策といったホームページをいくつも閲覧し…

  • 心底働きたかったのかもしれない件について

    私はおそらく心底働きたい、働いてみたい。 それは過去の罪滅ぼしのような願望だ。 就労継続支援事業所でもそれは可能だった。 しかしできることなら、一般社会に出て日本人の義務の1つを果たしたいと考えていた。 この考え方は福祉支援の考え方に大いに反する。 そのことから、なかなか表立って「就職するぞ!」といったことを言えなかったのだと思う。 B型事業所に在籍していた頃の親しい友人で、1年ほど前に家庭の事情で突如として事業所を辞めパートタイム勤務を始めた者がいる。 彼女がそうした時、事情が大変なことは知っていたがそれを排除しても労働できることが羨ましくて仕方がなかった。 同時に福祉支援の中にしか居られな…

  • あたたかい世界と冷たい社会

    以前に、「障害者の世界と健常者の世界があると感じた」といった見解に違和感を持っていた。 最近になってそれはあながち間違いではないような気がしてきている。 ただし仮にそのように世界が分かれているのならば、障害者は健常者と同じ生活を営んではいけないことになる。世界が違うのだから。 営んでも良いが、陰で悪く言われることに憤慨してはならない。 悪く言われるか言われないかの差異は、労働して賃金を得ているか否かがほぼ全てであろう。 人は働かないものを人として扱わない節があるように私が感じてきたことは事実だ。 最低限度の健康的で文化的な生活というものの捉え方も人それぞれだ。 だから、衝突するのだ。 「こころ…

  • 必要十分の安定

    障害者求人検索を行うと、なんとなく絶望感に包まれることがある。 求める人材像が高すぎるか低すぎるかの両極端のようにうかがえるからだ。 条件としては何より実家から近いことを挙げている。 あとは福利厚生、給与、職種といった順になるかもしれない。ただしまだまだ漠然としている。 そんな時たとえば県内の求人数百件にすべて目を通すことを勧められた。 その中で興味を惹かれた求人をピックアップするのだ。 そうしていけば望む「傾向」が見えてくるらしい。この作業は割と体力も気力もつかうため取り組むことが難しい。 近頃、朝スッキリ起きられないことが多い。うつ傾向のサインだ。 事業所へ行くのも億劫だ。ただし、なんとな…

  • できないと思えること

    私はリーダー職に向いていない。 私は人前に立つことは苦ではない。 私が人前に立つ時には躁状態にならないよう常に配慮する。 とある催事で便宜上、メンバー内からリーダーを決めることとなった。 いうまでもなく立候補などしない。 意に反して、私を推してくれた人は多かったらしい。(ただし諸説ある) これは機会かもしれないとも考えた。 機会とは、躁のコントロールを試す機会である。 現在にそれだけの負荷をかけてもよいものなのか、見当もつかなかった。 私も推薦した別のメンバーがリーダーをすることになり、嬉しかった。 彼女にはやる気もあったらしい。 積極的に負荷をかけている人を見ると心配になると同時に羨ましく思…

  • リフレーム・就労への志

    就労移行支援事業所の馴染みの支援員の方が2名、ご異動されることになった。 私どもにとっては晴天の霹靂でしかない。 朝礼の後、午前の講座が始まるまで御手洗いで泣いていた私に声をかけてくださったのは また信頼している支援員の方で、大変有り難く思った。 ご自身のキャリアアップのためのご異動とのことで大変良いことである。 前向きに捉えようじゃあないか。 夜も遅くなりもう就寝準備をするかという時間になってようやくそのように考えられるようになってきた。 帰宅後約5時間、気分は低迷し、嬉しさも喜びも感じることができない状態になっていた。 かろうじてテレビのリモコンを操作する気力はあったため、ゆったりとしたア…

  • 人生の下準備

    この1年間で私の精神状態はかなり変わったと思う。 もちろんまだまだ安定しない部分は大きい、しかし1年前までと比べ、努力の仕方が変わってきている。 どんな時でも比較対象は他者ではない。過去の自分で良いのだ。 そういったことをようやく受け入れられるようになってきた。 たとえば体調不良と言える状態(元気がありすぎたり、動くことさえままならなかったり)の時、1年前までなら何もかも欠席するしかなかった。 この頃は少しでも日中の活動を促す工夫をする。 元気がありすぎる時は無理やり寝たり、元気が出ないときは体重の増加は気にかかるがあえて甘いものを摂ったりしている。 今こうして文書作成しているのは、やや元気が…

  • 他者のせいにしないこと

    私が就労のことを具体的に考えている時というのは、どうやら躁状態らしい。少なくともそのように見えるらしい。 言われてみれば、そうかもしれない。 元気がなければはたらくイメージすらなかなか湧いてこないものだ。 ここのところ積極的に障害者雇用の求人検索をおこなっている。 希望条件の第一は自宅からの近さ、次に仕事内容、最後は待遇・給与面だ。近ければ近いだけ、よいとしている。 仕事内容に着目してしまうことがある。 そうすると、県外へ出ないと仕事はほぼない。 県外へ通勤する理由があるとすれば専門的な分野以外ではあり得ない。 最低賃金が異なろうとも、専門的ではない分野で県外へ、もしかしたら市外へすら出る気は…

  • らくになりたい

    本日の私の状態は悪くはない。 むしろ少々調子に乗っていて結果的に大事ではなかったがミスをしでかしたほどだ。 このくらいの状態をある程度保つことができたらどれだけラクかと想像する。 大層、らくである。 私が一般的な生活リズムを保つために、おそらく努力しなければならない事柄は山積みだ。 そのひとつひとつを実践していく必要がある。 それらを実践し続けることは私にとって大層、困難である。 根本的に状態が決して均一ではないからだ。 たとえば気分を上げたり、エネルギーを蓄えたりする可能性のある事柄として 「空を眺める」ことであったり、「友人と話す」こと、「散歩」、「温かい飲み物」など 他にも多くのリカバリ…

  • 安楽死始めました

    魅力を感じる人は多いのではないだろうか。 私がベルギーへ行きたかった頃の理由のひとつは安楽死だ。 自殺志願者に対してはこれ以上ない売り文句になる。 "道徳的"な思考からすればまず大衆の意思は良かれとしないのだろう。 ただ、なんとなく自暴自棄になっているこの頃の私にとってはかなり強めに響くフレーズだ。

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理刹主義-躁鬱病と診断された女-
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