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  • 53歳の独り言「1989年12月」

    1989年、私は大学生だった。歪んだ大学生活を送っていた。二浪して入学したせいか、大学内にほとんど友人を作らずに、ひたすらバイトに明け暮れていた。塾の講師と夜の商売のバイトを掛け持ちしていた。とくに夜の商売がおもしろくてバイトにのめり込んでいった。何がおもしろかったか・・・ただ単に女性が集まる店だったから。次第に女性関係も派手になっていった。53歳の独り言「1989年12月」

  • 53歳の独り言「消息」

    20代のころに付き合った女性をふと思い出す瞬間がある。どこで何をしているのだろうかと・・・・・せめい無事な夜を過ごしてほしいと・・・・・53歳の独り言「消息」

  • 53歳の独り言「過去の幸せ」

    私はあの幸せを選択しなかった・・・あの幸せとは・・・私は20代後半に一つ年上の女性と付き合った。スレンダーな誰もが認める美人だった。彼女の仕事も家柄も良く、一見すると理想的な彼女だった。私も彼女との結婚を考えた。しかし、私は自分から逃げるように彼女の元を離れた。理由はただ一つ・・・彼女といる時間は、彼女中心の時間だったということ彼女といる時間には安らぎがなかった常に彼女にペースを握られていた。彼女の元を離れ、私は別の女性と結婚した。外見も彼女には到底及ばない。結婚した理由は彼女は私に安らぎを与えてくれたから・・・それが現在の妻だ。今日も一日が始まる。53歳の独り言「過去の幸せ」

  • 53歳の独り言「夢中になって生きたことはありますか」

    人生において夢中になって生きた瞬間があっただろうか。高校時代の部活浪人時代に志望校を目指して費やした時間大学時代のアルバイト苦しくなるほど人を好きになった時間出世を目指して仕事に没頭した時間人生の中で夢中になった時間は宝物だ。先のことを考えて生きることは大事だが、夢中になって生きることはもっと大切なことのように思う。今日も一日が始まる。53歳の独り言「夢中になって生きたことはありますか」

  • 53歳の独り言「晩夏」

    コロナ下で飲みに出ることがなくなった。昨日は、夜、何だか無性に夜の街の中で過ごしたくなり、一軒の町中華の店に寄った。私が20代のころから定期的に泥酔した後に訪れる店だ。決しておいしいとは言えないが、洋楽のBGMと深夜2時までの営業時間が店の雰囲気をより一層マニアックなものへと引き立てている。私はチャーハンとギョーザを注文した。料理が出てくるまで店の中を眺めながら、物思いにふけていた。人生のいろいろなシーンが蘇ってきた。料理は相変わらずおいしくなかったが、そのおいしくなさのまま30年も営業しているそのスタイルもまた粋に感じた。何だかおいしくないことを確認することでほっとしている自分がいる。帰り際、70を超えるマスターが「いつもどうも」と声を掛けてくれた。「おいしかったです。また来ます」とお礼を言って店を後にした。...53歳の独り言「晩夏」

  • 53歳の独り言「昼酒」

    昨日、昼に寿司屋に行き、寿司をつまみながら、酒をのんだ。店を出たのは14時ぐらいだった。亡くなった父親から「昼酒は飲むな」と教えられた。昼酒に溺れると、人間は堕落するそうだ。その教えを守って生きてきた。父の教えが何となくわかった。昼酒は旨い。しかし、危険だということを・・・53歳の独り言「昼酒」

  • 53歳の独り言「連休明け」

    みんな気怠い雰囲気で出社してくる。連休明けのオフィスは、無言な人たちのテンションの上がらないオーラで満たされている。徐々にペースを上げていくしかない。今日も一日が始まる。53歳の独り言「連休明け」

  • 53歳の独り言「休む人」

    忙しい時に休む人がいる。ちょっと足が痛くて・・・ちょっと鼻水が出て・・・ちょっと・・・・・で・・・・・そのぐらいで休んでどうする!という言葉が出そうになるが、グッとこらえて、大事にしてねと伝える。そういう人にも力を貸してもらわないといけないときもある。今日も一日が始まる。53歳の独り言「休む人」

  • 53歳の独り言「声かけ」

    私は人相が良くない。話しかけにくいオーラを良く出す。「お前は不機嫌さがすぐにわかる」と若いころ、上司からよく言われていた。私の持論は、上司が手フットワークが良く、社員に細かく声掛けをしている会社ほど業績が伸びている。暗くて何かに怯えながら仕事をしている社風の会社は潰れていく。毎朝、髭をそりながら、創り笑顔の練習をしている。ひきつった笑顔が自分でも違和感を感じる。今日も部下に細かく声掛けをして、一緒に笑ったり、ほっとしたりと、安心感を共有できる職場にしなければ・・・・。今日も一日が始まる。53歳の独り言「声かけ」

  • 53歳の独り言「会社で生き残るために」

    20代の社員が大量に採用されている。しかし、適応できずに退職する人も見受けられる。会社で生き残っていくために必要な力は、相手が誰であるかを問わずに、相手と瞬時にコミュニケーションを構築する力だ。様々な年齢層と職種を相手にしていくために、相手の心を開放させながら関係を築き、業務を遂行しなければならない。私が入社した30年前は、マニュアル通りにやっていれば何とか対応できた。また、イレギュラーな事案もあまり発生しなかった。30代で頭角を現してきている社員は、抜群に相手との関係づくりがうまい。今日も一日が始まる。53歳の独り言「会社で生き残るために」

  • 53歳の独り言「クレーマー」

    人に攻撃的な人が増えてきた現在、クレームをつけてくる人との接し方は避けては通れないスキルである。最初は最前線の現場で対応するが、こじれると上司が介入する。しかし、こじれたあとの対応は本当にきつい。私も「また、クレームか・・・」と何度もつぶやき、ネガティブになった。しかし、今はクレーマーこそ、「おもてなしの心」で接するようにしている。玄関前で出迎え、冷たい飲み物を用意して、和菓子をそっと添える。最初から大切にしている雰囲気のおもてなしをするとクレーマーの感情の高ぶりは収まることが多い。私の尊敬する上司から学んだスキルだ。やはり、出世していく人というのは、懐が深い。今日も一日が始まる53歳の独り言「クレーマー」

  • 53歳の独り言「仕事以外の時間」

    仕事以外の時間の使い方に気を使っている。昔は休日の前は遅くまで酒を飲み、翌日の午前中は寝ている。午後から休日でも会社に行き、何となくダラダラして休日が終わるという形だった。今はウォーキング、ジム、映画、深酒をしない、品のいい店での食事等、スケジュールを組んで過ごしている。どのように休日を過ごすかで仕事のパフォーマンスが決まる。職場の外の勝負を大切にしている出世している。今日も一日が始まる。53歳の独り言「仕事以外の時間」

  • 53歳の独り言「耐え忍ぶ」

    「どこにたどりつこうとしているのか。自分でもわからなくなる」高校生の頃に聞いた歌詞がふと蘇る。53歳、耐え忍んで必死に生きている。53歳の独り言「耐え忍ぶ」

  • 53歳の独り言「1992年11月」

    1992年11月、私は職を転々としていた。そして、11月からある会社で働き始めた。そこで、上司や先輩社員から嫌がらせを受けた。先輩に今日の業務内容を報告すると、執拗にその内容を責められ2時間は毎日、罵倒された。社内では、私の悪口を聞こえるように言いふらしていた。恨みしか残らなかった。しかし、今思うと、私の態度が生意気だったのだと推察できる。あのいじめられた経験も自分のその後の人生に活かされている。今も様々な攻撃を仕掛けられるが、立ち向かい、交わしながら何とかしのいでいる。今日も一日が始まる。53歳の独り言「1992年11月」

  • 53歳の独り言「11月11日(水)朝」

    挫折、嫉妬、希望、夢・・・・・・・自分の人生を表すキーワードしかし、その要素がドラマチックな人生を演出してくれている。「何かできることはありませんか?」とパートで来ている女性が私に言った言葉に安らぎを感じた。「何かできることはありませんか?」こんな言葉をかけてもらえると、人はあたたかい気持ちになれるのだ。今日も一日が始まる。53歳の独り言「11月11日(水)朝」

  • 53歳の独り言「回り道」

    人生において、当時は、挫折し無駄だと思う時間が何度もあった。しかし、今思うと挫折の時間は必要だったことに気づく。受験の失敗、失恋、人間関係のゴタゴタ、嫌がらせ、親の死・・・しかし、こういった経験が自分を成長させてくれた。今日も一日が始まる。53歳の独り言「回り道」

  • 53歳の独り言「昔見たドラマ」

    昔、付き合っていた女性の部屋で良く見ていたドラマがあった。なぜか、そのドラマはその後再放送されたり、DVDになることはなかった。しかし、偶然、観る機会があった。1993年のドラマを観ながら、あの当時の自分を思い浮かべていた。26歳、定職には就かずにぶらぶらしていた。しかし、好きになった彼女のために、入社試験を受けた。そして合格した。今もなおその会社で働いている。部長にまで昇進することができた。しかし、彼女とは入社してから一年ぐらいで別れた。私は同じ会社の女性と付き合い、そして結婚した。今日も一日が始まる。53歳の独り言「昔見たドラマ」

  • 53歳の独り言「絶対の崩壊」

    私が若いころ、この会社に入れば将来は安泰だと言われていた企業の倒産や撤退が珍しくない。私の20代のころとは、世の中のスピードが目まぐるしく変化している。変化に対応できなければ生き残れない時代そして何よりも求められているのは、高いコミュニケーション能力相手に嫌な思いをさせないで、正しいことわ伝える技術そんなことの大切さを実感している今日も一日が始まる53歳の独り言「絶対の崩壊」

  • 53歳の独り言「夜の街」

    このような状況下で4月から飲みに行くことは控えていた。しかし、先日、久しぶりに馴染みの店に顔を出した。客層が悪くなっていることが第一印象だった。服装や外見に気を使わない下流老人が態度を大きくして飲んでいた。そして、その接待をしているホステスが愛おしかった。以前だったら相手にしなかった客層がこの店にも流れてきていた。良識と社会的に責任があるポジションにいる人たちは私の世代では飲みに行っていない。今、夜の街に繰り出している人たちは、ある意味、失うものがない人たちなのかもしれない。それでも生きていくために下流老人の相手をするホステスに生きる力をもらった。自分も頑張らなけければ・・・。今日も一日が始まる。53歳の独り言「夜の街」

  • 53歳の独り言「寂しいね」

    「最後にもう一杯だけ飲もうか」と私は何気なく言った。彼女は「寂しいね」と呟いた。私は彼女との恋愛にピリオドを打つきっかけを探していた。いつものように意図的に会う機会を少なくし、相手に気づかせようと思っていた。そんな私の言動から彼女は感じていたのかもしれない。別れを告げられることを・・・そうあれは1990年の今頃のことだった。彼女と付き合った理由、好きでもないのに付き合った、ただそれだけだった。あの頃の「寂しいね」という言葉が寒くなり始めた今日、思い出された。偽りの人間は、寂しさを紛らわせるために複数と平気で付き合うことができる。しかし、幸せにはにれない。堕落の深みに嵌るだけだ。私のその後の人生もどん底に落ちた。気づけば、誰もいなくなっていた。53歳の独り言「寂しいね」

  • 53歳の独り言「弱者の視点」

    信頼される上司にならなければ、結局のところ、業績を上げることはできない。少数派の視点に立つ、社内の弱い立場の人々にも寄り添う、そういった人たちを守ることができなければ人の上に立つ資格はない。部下が入院するという連絡が入った。病弱で休みがちな彼女は、以前から、社内で孤立していた。上司からもまともに働けない彼女はお荷物だという引き継ぎも受けた。しかし、彼女は真面目て、頼まれた仕事は責任をもって遂行してくれる。持病を抱えながら働くということは、本人にとっては、辛い。しかしだ。どんな状況に置かれている人も活躍することができるようにしなければ組織力は向上しない。本人のモチベーションをいかに上げてやるかが上司の役目だ。「●●さんはうちの部署にとって貴重な戦力です。休むことを悪いと思わないでください。それよりもよくなったら、...53歳の独り言「弱者の視点」

  • 53歳の独り言「11月」

    11月が始まる。どんな季節になるのだろうか。多弁にならずに誠実に生きていきたい。53歳の独り言「11月」

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