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いつも最高inFukuoka https://blog.goo.ne.jp/sansei103

1940年生まれ。旧八幡市枝光生まれ。写真掲載して福岡市を紹介するサイト。併せて出身の北九州市も。生来の好奇心をフルに活用して、カメラをぶら下げブラブラ散歩を趣味。

サンセイ
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2017/02/21

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  • 台風10号接近

    超大型の台風10号が鹿児島に上陸し、北上しています。速度は遅くノロノロ台風です。特に風が強いとのことで、昨晩ベランダの数個の鉢を室内に入れました。一見窓外を見ると風雨がなさそうに見え、午前中近くのコンビニに行きましたが、なんと強烈な風と雨でほぼズブ濡れ状態。まだバスは動いていますが、午後からは運休とのこと。まずは通り過ぎるまで、家の中でじっとしているしかありません。進路予想では熊本から東に進路を変えるようです。ということで、今日の投稿は写真はありません。台風10号接近

  • アクロス福岡ビル誕生30年

    天神の旧福岡県庁跡地に建つ「アクロス福岡ビル」は公民複合施設として1995年4月に誕生し、まもなく30年になるそうです。このビルを都会の中の一つの山として、壁面を全面を緑化して都会のオアシスとなっています。地上14階、地下4階、内部は巨大なアトリュウムに」によって明るく開放感に満ちています。建物内部は本格的なクラシック専用の「福岡シンフォニーホール」や「国際会議場」やいくつかのイベントホール等の「多目的ホール」や「ギャラリー」等の施設があります。東京にも大阪にもないこの独特の緑のビル。外から見ると小山のようにビル全体が緑に覆われていますが、秋には紅葉に変化する楽しみがあります。内部の景観を含めいくつかの写真を掲載します。アクロス福岡ビル誕生30年

  • 長浜ラーメン探索

    この猛暑の中で高齢者の無謀な挑戦です。「博多とんこつラーメン」の代名詞「長浜ラーメン」を体験しました。この地域のラーメン店街は昔から有名ですが、博多の街に屋台が出店する大きなきっけとなった場所でもあります。昨日、この猛暑の最中、この長浜地域にある元祖長浜ラーメンを食しました。まず入り口の自動販売機でチケットを購入、といってもメニューは「ラーメン」と「替え玉」だけ。チケットを持って店内へ。中は全く飾り気もなく、四人掛けのテーブルが6脚。テーブルには中くらいの洗濯籠らしき中に、プラスチックの湯飲みが山済み。それに紅しょうがの瓶だけ。厨房前には東南アジア系の青年が6人。「イらっしゃいませ」と馴れたカタコトでいうや否や「かた?やわ?」の質問。いわゆる麺の硬さの確認。慣れた客は「かた!」と一言叫ぶだけ。「硬いを麺を...長浜ラーメン探索

  • 天神北という繁華街

    まだまだ猛暑が続きます。学校もまもなく夏休みが終わりますね。我が家からバスで乗り換えなしの終着駅がここ「天神北」です。昨年春に「ミーナ天神」という新しい商業ビルがリニューアルオープンして以来、天神駅前の「ファッションコミュニティーストア」としてこの街の人の流れが変わりました。地下鉄天神駅のすぐ傍、天神地下街から直結して、雨の日も安心して利用できます。このことがまた地下街の大きなメリットでもあります。我が家からバスで20分。暑さも寒さも雨も風も心配なく買いもに寄ることができます。天神北という繁華街

  • 博多の地下街

    関東地方を襲った台風7号も太平洋の方に逃げていったようで、大きな被害もなく何よりでした。福岡地方は依然と猛暑が続いています。先日、博多駅に行った折に「地下街」を歩いてみました。昨年地下鉄七隈線が天神から博多駅まで延伸開通し、博多駅の博多口地下街も大きく変身しました。天神の地下街は古くからあって、ビックバン開発と相まって、変化しつつあります。しかし、福岡県の大都市の地下街はこの博多駅と天神だけで、北九州小倉にも久留米にもありません。不思議なのは北九州市は当初人口100万の九州最初の政令指定都市になったものの、この地下街建設には手つかずでした。この地下街は新しい商業施設のみならず、防災、被災に役立つ施設と思います。今や地下街の有無は日本全国で大都会の象徴となってきました。その意味では博多駅の地下街もますます意...博多の地下街

  • 79年目の終戦の日

    今日8月15日は「終戦の日」です。我が国は幸いにも79年間、戦争がありませんでした。大変に幸せなことです。しかしこれまでに多くの先人がこの国を守るために尊い命を捧げてこられたことは忘れてはなりません。これからもこの平和が続くように私どもはまた先人の意思を無駄にしないようにしなければなりません。「平和」「平和」と叫んでも、今でもこの地球上ではあちこちで戦争や内戦が続いています。誰もこの戦いを止めることもできません。領土、領海の拡張を図る周辺諸国もあります。これが現実です。少なくともこれらの脅威から守る手立ても大変に重要です。「八月や六日九日十五日」、この詠み人知らずの句に改めて我が国のこれからの平穏な日々を祈る思いに耽ります。79年目の終戦の日

  • 2024 パリオリンピック閉幕

    パリオリンピックが閉幕しました。競技のみならず多くの話題をふりまいたオリンピックでした。また日本選手の活躍は目をみはるばかり。獲得したメダル数だけでなく、選手の若年化や諦めない精神が大いに心を揺さぶられました。次回は四年後の2028年7月、「ロスアンゼルス大会」。さあ、そこまで私の身体は持ち堪えられるか。諦めないで参りましょう。それにしても、この夏は猛暑に加え水害や地震も日本列島を襲いました。今朝はまた東北地方に台風5号が上陸。ただただ被害がないことを祈るばかりです。2024パリオリンピック閉幕

  • 79年目の8月9日

    今日は長崎に原爆が投下されて79年目の記念日です。79年前、米軍は本来は北九州に投下する計画だったいいます。この日、北九州は雲に覆われていて急遽、長崎に変更したとか。当時、私の家族は八幡製鉄所を見下ろす坂の中腹の家に住んでいました。五人姉兄の末っ子の私は就学前とあって、この二年前から両親の故郷である宮崎県日之影町の親戚の家に一人疎開していました。もし、この日北九州に原爆が投下されていたならば、両親と四人の姉、兄は被爆していたと思われます。6日の広島、この日の長崎に「新型の大きな爆弾が落ちた」という大人達の噂話を今でも記憶にあります。家族で今や生存しているのすぐ上の兄と私だけの二人となりました。他人事ではありません。改めて哀悼の気持ちを捧げます。写真は5年前の12月に長崎を訪れた時の記念公園での写真です。79年目の8月9日

  • 南海トラフが揺れた

    猛暑が続きます。今日は所用で博多へ。久しぶりの博多駅です。お盆の帰省客や観光客で混雑していました。駅前広場は週末の夏祭りの準備で華やかな舞台ができていました。そして、帰宅へと向かいバスに乗車。時間は16時30分頃。バスはほぼ満席でした。天神を過ぎたころ、バス内で轟音が。乗客全員の携帯電話が鳴り響いたのです。「緊急地震警報」でした。小さなどよめきが起きましたが、運転手さんが「震源は南部宮崎のようです。落ち着いてください」とのアナウンス。携帯電話に表示された警報では、宮崎県日南、都城の震度「6」の文字が。いやはや驚きました。バスの中での一斉の警報は初めてです。被害がないことを祈りつつ、まっすぐに帰宅しました。南海トラフが揺れた

  • 79年目の8月6日

    今年もまた8月6日が訪れました。広島に米軍が投下した「原子爆弾」。人類史上初めての投下でした。昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。原爆投下後の広島市に来た人も含めて56万人が被爆したとされています。私はもうこれ以上書く術を知りません。写真はスタッフが2018年に広島を訪れた時に写したものです。79年目の8月6日

  • 帰ってきたアオサギ君

    猛暑が続きます。毎日、今年一番の暑さとの報道です。高齢者はどうすればいいのでしょう。生活のための必要最低限の買い物もあります。10分も歩けばどっと流れる汗。そのたびにシャワーを浴びねばなりません。少しばかりの運動も必要です。朝早くや夕方にそろりと近くのR池を散策します。それでもうれしいニュース。アオサギ君が戻ってきました。春にこの池の大掃除があって、以来野鳥たちが来なくなっていました。でも、この暑さの中、やっとアオサギ君が顔を見せてくれました。そろそろ他の鳥たちもまた顔を見せて欲しいものです。帰ってきたアオサギ君

  • 猛暑が止まらない

    8月になりました。猛暑が止まりません。一日中、家の中はクーラーつけっぱなしです。早朝から汗が流れますし、夕方5時を過ぎても外は入道雲がむくむくで、日差しが明るいので外出する気にもなりません。写真は先週お祭りパレードの長住大通り。撮影時間夕方5時頃なのに、空は真っ青、通行人も疎らです。毎日「熱中症アラート」の中ながら、幸いにもパリオリンピックで日本選手が活躍するさまをテレビで眺め、応援する日々です。猛暑が止まらない

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