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出身
八幡東区

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ブログタイトル
いつも最高in北九州
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/sansei103
ブログ紹介文
1940年生まれ。旧八幡市枝光生まれ。写真掲載してローカル北九州を紹介するサイト。最近、レトロ昭和のに香りを追求して、カメラをぶら下げ、ブラブラ散歩を趣味。
更新頻度(1年)

88回 / 365日(平均1.7回/週)

ブログ村参加:2017/02/21

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サンセイさん
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サンセイさんの新着記事

1件〜30件

  • 小倉城にも紅葉の訪れ・・でも

    小倉の中央図書館までウォーキングして図書を借りた後、近くの小倉城まで足を延ばすことが多くなりました。図書館まで約7,000歩。帰りはバスを利用しますが、高齢者にとっては程よい距離です。小倉城とその前にある庭園。やっと木の葉も色づき始めました。あと一週間で師走。奇妙奇天烈、複雑で恐怖の一年ですね。初めての新型ウイルスの攻撃、鳴りを潜めている大地震などの自然災害や、そして気が付けば我が領土尖閣の島々に隣国が堂々と(?)近づいています。あらゆる脅威からしっかりと自己防衛に徹しなければなりません。小倉城にも紅葉の訪れ・・でも

  • 立冬

    暦では「立冬」です。冬が始まり、冷たい季節風が吹き始める時期です。まだまだ北九州は紅葉は始まったばかり。今月末頃からまとまった紅葉が見えることでしょう。今日は、スタッフが近郊の妙見山の麓までウォーキングした時の写真を借用しました。ここから見る遠方の八幡の皿倉山も特徴があります。手前のドームは競輪場のある「メディアドーム」。小倉の三萩野周辺です。私はこの日は休養で自宅待機。立冬

  • 小文字山に火が灯る

    昨8日の夜、小倉の小文字山に「小」の火が灯りました。小文字焼きといわれます。標高366mの頂きの小倉側斜面にくっきりと浮かびました。本来、この行事は8月お盆の迎え火として13日の一夜に灯ります。でも、今年はコロナ禍の影響を受けて中止されました。小倉の夏の風物詩ともいえるこの明かりが消えたままでは、市民の気持ちも落ち込みます。そこで、昨夜、このイベントが行われました。くっきりと夜空に浮かぶ灯。早くコロナから脱出したいものです。一番下の写真の山頂の山肌が見えるところが火が灯る場所です。小文字山に火が灯る

  • まもなくクリスマス?

    昨日久方ぶりに、街中にでました。あちこちにイルミネーションもきれいで、この鬱積した気分を灯で吹き飛ばしてくれるようです。アメリカ大統領選挙も変な形で進んでいますが、よその国の選挙制度は批判はできませんが、同盟国の元首ですから穏便な形で早く決着して欲しいものです。まもなくクリスマス?

  • もう11月

    もう11月です。早いものです。この一年何という年だったのでしょう。コロナという中国発のpandemicの災害に、正解のない動きに全世界が踊ろされて、ただ三密を避けて、マスクをして、手を洗って、いつ感染するか分からない恐怖に晒される毎日。余命僅かの高齢者にとっては、夢も希望も少ない日々です。中でも、私のようにコロナではないものの、高い熱に冒されて床に横になっている時間が長くなると、孤独感に襲われます。会いたい人にも会えず、若者ように動けず、「何をあまいことを!世の中にはもっと苦しんでる人が沢山いるだよ」と言われそうで、それはそれで理解できるのですが・・・・・10月という月はそんな月でした。北九州の今日、朝から冷たい雨です。もう11月

  • コスモス群生 見事!

    このところ深い空の秋日和が続きます。今月初めに病に倒れ、死線をさ迷ったような(大げさ!)感覚に襲われ、しばらくは蟄居養生しておりました。でも、この日和に誘われ気分転換になればとスタッフに支えれられて、近郊のコスモス園にでかけました。さわされど、地方のコスモス群だからと期待していませんでしたが、これはまた大違い。見事な群生です。水巻町の遠賀川沿い7kmの河川敷におよそ500万本のコスモス。おそれいりました。素晴らしい色合いと迫力。ふと病を忘れました。コスモス群生見事!

  • 秋深まる

    朝晩とすっかり涼しくなりました。あの猛暑が嘘のようです。空も紺碧の深みが続き、コロナ禍なんて本当にあるんだろうかと思えます。私は今月初めに体調を壊し、いよいよコロナに襲われたかと思いましたが、検査も「陰性」と分かりやれやれでした。一週間ほど寝たり起きたりの状態が続きました。これも齢80の厚い壁かとやや弱気になりましたが、おかげで少しづつ回復しつつあります。昨日、久しぶりに紫川沿いをスタッフに守られて、太陽を浴びてきました。川の主も変わらず元気にしておりました。病は体力だけでなく気力にも大きく響きます。注意したいものです。秋深まる

  • 迫りくる 足立山

    秋もだいぶ深くなってきましたが、地上の紅葉はまだまだです。三萩野の変則交差点をふと東を望むと、小倉のシンボル足立山が道路真ん中に迫っています。日頃あまり気が付かずにおりますが、こうしてみると正にこの山の象徴性が浮き彫りになります。視点というのは、固まったものではなく、多様性の中にその時の大事なことが浮かびがるものですね。まだ、山は緑豊かですが、まもなく紅葉が色づくのでしょう。迫りくる足立山

  • 虫の嫌いな方は要注意  虫愛ずるじい様のお話 

    変な台風が通り過ぎました。九州を直撃すると思いきや、急に進路を東に切って今度は関東を直撃すると思いきや、またもや進路を南に変えて南の島に大きな被害を与えた台風14号。ブーメランのようでしたね。さて、今回も先回に続いて虫のお話。ふとベランダを覗くと、橙の植木に住みついたアゲハ蝶の卵は芋虫となり、順調に成長していることを発見。三匹です。大きさ3㎝くらいになっていました。よく見ると頭の黒い点々が大きな目のように見え可愛い姿。橙の葉っぱを一所懸命に食べています。このまま成長して、蛹になって、そして蝶になっていくのでしょうが、初めてのことでこれからどのように育っていくのかわかりません。静かに見守るしかありません。コロナ禍と老体の体力減から行動範囲が狭まり、被写体探しに苦労しながら、少年返りしているじい様のお話です。虫の嫌...虫の嫌いな方は要注意虫愛ずるじい様のお話

  • 蟄虫坏戸 むしかくれてとをふさぐ

    10月も二週目を迎えました。アメリカのトランプ大統領さえもがコロナに感染したとかで、世界中をウイルスが我が物顔で駆け巡っています。どうすることも出来ない人類。じっと静かに耐え忍ばなければならないのでしょうか。七十二候では、「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」時といわれています。外で活動していた虫たちは、冬ごもりの支度を始める頃です。秋冬が終わるのを待って、約半年の間、土の中で春が来るのじっと待つといいます。8月以来わが家で飼っていたカマキリが産卵を終えたので、放虫することにしました。しばらく草むらを覗いていましたが、そこへ少年二人が虫かごを持って近づいてきました。「おじちゃん、なにしとるん?」「カマキリを放してやったんよ」「じゃ、僕が飼ってもいい?」「そうだね、もうカマキリも自然に帰ったけね。あとは自由じゃ」...蟄虫坏戸むしかくれてとをふさぐ

  • 辛い時があるよな~

    早10月になりました。今年はなんという年なんでしょう。2月頃から始まったコロナ禍。中国武漢から始まったこの不気味なウイルスは、横浜港に入ったあの大型クルーズ船での集団感染で突然に大きな恐怖に陥りました。他人事と思ってた感染が次第に身近に迫ってきて、どうすることも出来ずに秋になってきました。辛い時間が過ぎていきます。80年の生きていれば、いろんな辛さにも遭ってきました。でも、この辛さは辛いと言えることで乗り切れたこともあります。今日、近くの通りを歩いていたら、ふと目にとまったお寺の掲示板。じ~と、見入りました。辛い時があるよな~

  • レトロな風景を探して

    これだけあの猛暑を忘れてくると、ぶらり散歩に出かける機会が増えます。コロナ禍の中で、なかなか遠くには出かけられませんが、近くを歩いていると、ふと場違いなような光景にぶつかることがあります。なんだかレトロ調で、昔なつかしい光景。八幡のバス通りで普段は見れないような靴屋さんの看板に出会いました。どこも古くはないんだけど、赤、青、白の三色のサインポールと横に置かれた自転車の組み合わせの散髪屋さんの店先。自転車とのその組み合わせがなんとなくレトロ調に見えるのです。何気ない光景に心落ち着くことがあります。歳かなあ~レトロな風景を探して

  • 秋分 雷乃収声

    21日は敬老の日、私も敬老されるその一人。そして、22日は秋分の日。七十二季候ではこの週は四十六候だとか。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、残暑も落ち着いて秋らしい爽やかな陽気に包まれる日々です。空の様子もすっかり変わります。雷様も長い休みに入ることから「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」の候ともいわれます。ベランダの植木にアゲハ蝶が産卵にやってきて、夏に舞い込んできたカマキリも産卵。近郊のイチョウの枝には銀杏が鈴なりにぶら下がっています。早くも秋本番。コロナ終息の兆しもいまいち。あっという間に冬将軍到来なのですが。秋分雷乃収声

  • 河畔はもう秋

    朝晩、急に涼しくなりました。あの猛暑が嘘のようです。今日は久方ぶりに紫川の畔を散歩。彼岸花がこの時を待っていたかのように咲き始めています。もう秋です。河畔はもう秋

  • 秋高し 紺碧の空に 

    大型の台風が通過後、一挙に秋めいてきました。爽やかな秋空が戻ってきて、久方ぶりにゴルフに興じました。風もなく穏やかな一日でした。コロナ禍が嘘のようです。紺碧の空には綿のようなちぎれ雲が浮かび、前方には皿倉山、帆柱山もくっきり。ここに向けての初一発は、まだまだスイングできる体力もありそうです。「秋高し紺碧の空にボール消ゆ」お粗末!秋高し紺碧の空に

  • 昔懐かし 鳥町食堂街

    暑さも少し和らぎました。外に出る機会も増えそうです。今回は小倉の中心街にある「鳥町食堂街」のことを。ここはすでに多くのグルメサイト等で紹介されていますので、敢えて掲載することもないのですが、でも私にとっては少年時代の思い出が詰まっている場所です。戦後、まもなくこの食堂街はできたそうで、小倉の中心「魚町商店街」の路地に入ると瞬間に当時の面影、匂いがプンプンとします。この路地、長さおよそ100mくらいで、中ほどで鍵状に曲がっていて全体が見通せません。ここに30点近くのローカルな食堂が並んでいます。これも昔のままです。私が高校生の頃、わずかなお小遣いを握って年に一、二度ここで自分なりの贅沢な食事を味わいました。少年なりにわくわくしながら、私にとって高級なレストラン街でした。中華の店は今でも当時そのままの東京ラーメンの...昔懐かし鳥町食堂街

  • 貴い町のお守り

    巨大な台風10号が過ぎ去りました。凄い風でしたが幸いにもこの町に大きな被害はありませんでした。少しは暑さも和らいだ感じがします。日本国中どの町にもローカルなお守りがあって、住民の絆やコミュニティの中心になっているものです。貴い金銀溢れそうなこの町にもいくつかの小さなお守りがあります。それは小さな神社であったり、観音様、お稲荷さんであったり、お地蔵さんであったりで特定の宗教法人ではない本当に小さなものです。でも、大小にかかわらず、この町のお加護の中心である証拠にいつもお花が供えられていて、また線香が絶えることがありません。そのいくつかをぶらり散歩しながら取材しました。詳細は省略します。いつも供花が絶えないお地蔵様高速道路も避けた貴船神社黄金通りにある美人におわす観音様住宅街のど真ん中でお守りする惠良田神社貴い町のお守り

  • 母校 八幡高等学校の今

    台風10号が近づいています。災害準備は昨日のうちに完了しました。さあ、いつでも来い!母校福岡県立八幡高等高校は昭和46年(1970)に八幡大蔵からほぼ2㎞東の清田地区に移転しました。そして昨年の令和元年(2019)に創立100周年となり、今年の2月に同窓会館も完成しました。先日、車でこの母校に行ってきました。素晴らしい眺望の丘の上にあります。周囲は八幡東ニュータウンの住宅地が囲み、環境としては抜群の印象です。校舎は改装工事中で、校内には入れませんでした。通学する学生にとっては、この急な坂道を登っていくのには少々難儀なことかなとは思いますが、これはこれで彼らの思い出に刻まれることでしょう。さらに母校が発展することを祈りながら下校しました。校舎全景(出典;同期会誌)母校八幡高等学校の今

  • 母校 八幡高等学校への道

    9月に入りました。今年も後半です。今日は防災の日。コロナ、猛暑の次はまたもや自然災害の季節です。今日も大型の台風9号が福岡に接近しつつあります。さて今回は、母校八幡高等学校の話題。昭和31年(1956)3月、明治学園中学校を卒業した私は福岡県立八幡高等学校へ進学しました。当時学校は八幡市の大蔵、勝山にあり、旧制八幡中学が学制改革で、昭和23年(1948)に現在の校名に改称されました。私達は11期生となります。西鉄電車の「大蔵」駅が通学の拠点でした。河内貯水池から流れる板櫃川沿いに大蔵小学校の前を通るおよそ1㎞弱の距離です。先日この通学路を歩きました。卒業以来初めてといっていいでしょう。現在は路面電車はありませんし、電停付近の様子もすっかり変化しています。板櫃川も護岸が整備され、通学路の傍の大蔵小学校も立派になり...母校八幡高等学校への道

  • 転居4年目にして思う身近な台所 黄金(こがね)市場 

    猛暑の中、生活圏の台所を中心にした探索です。先回の住宅地を過ぎて北上すると、国道3号線に出ます。その手前に「黄金市場(こがねいちば)」があります。なんだか、金銀銅の売買で銀座とか金座のイメージが浮かびますが、生鮮食料品を中心とした生活市場です。昭和9年(1934)頃に最寄りの市場から構成されたと言われています。東西150mに及ぶアーケードになっており、生鮮海産物、青果・果物、精肉、食料品、飲食、婦人服・用品そして生活日曜品を含めたおよそ80店余。ちょっとしたスーパーマーケットです。お客と売り子さんの絶妙で親しみのあるやり取りが地方ならではの血の通う市場です。周囲には、すし屋、中華屋、蕎麦屋さんもあり、まだまだ賑わいが続きます。買い物客は周囲の老人達が多いですが、住まいから近い、生き帰りも平坦、幹線バス路線のバス...転居4年目にして思う身近な台所黄金(こがね)市場

  • 北九州へ転居 4年目

    8月24日で、横浜から故郷北九州へ転居してちょうど4年目となります。この間、おおきな病にも罹らず何とか健康を守ってきました。このブログの継続も大きな一助になっているように思います。4年前の引っ越しのこの日は関東は台風に襲われ、強風、豪雨の中での作業でした。夜にこちらへ来る予定が、台風のおかげで飛行機が運休し、翌日早朝の一番機で福岡へ。こちらは猛暑の最中。いやはや思い出しても、よくやったなと思います。さて、今回は住まいの周辺状況を。八幡生まれ育ちの私は小倉についてあまり地の様子がわからない状態でした。今の住まいの近傍はまず閑静な住宅街、小倉の中心街からのアクセスもよく、さらに高齢者にとってはありがたいのが周囲が平地であることです。生活圏の中には坂道がありません。すぐ隣は老人ホーム「年長者の里」。プラネタリュームが...北九州へ転居4年目

  • 猛暑は続くよ いつまでも

    猛暑は続きます、このところ雨の恵みもありません。それにも負けじと自然界はそれなりに夏の働きをしています。花壇にはアゲハ蝶が数羽盛んに生き延びるための活動しています。羽を広げると60㎜~80㎜ほどの「ナガサキアゲハ」。アゲハ蝶の代表格です。猛暑は続くよいつまでも

  • 残暑お見舞い申し上げます

    残暑お見舞い申し上げます。先回、頑強なる我がスタッフが熱中症の見舞われたことを報告しましたら、多くの方々からご丁寧にお見舞いのメールを頂きました。ご心配をおかけしました。おかげさまで今では正常にもどり、正規のスタッフ業務についております。それにしても、この暑さには参ります。わが家の近くの公園にはこの暑さにも負けじと色とりどりの夏の花が頑張っております。先ずは数枚。残暑お見舞い申し上げます

  • 母校 明治学園中学校の今 最終章

    猛暑は続きます。日頃強靭なスタッフが熱中症に襲われ、看病、対応に追われました。だいぶ平常に戻りつつありますが、高齢者の熱中症は怖いものです。昨日8月15日は終戦75周年。もう四半世紀になりました。そしてお盆も過ぎ、後はコロナの終息と猛暑の落ち着きが待たれます。母校中学校シリーズの最終回。今回は明治学園の近況を少し。歴史については、学園のホームページにが詳しく書かれています。明治43(1910)に明治専門学校の附属尋常小学校として開校。昭和22年(1947)に明治小学校となり中学校を併設とあります。昭和24年(1949)にはコングレガシオン・ノートルダム修道会に経営が移管されました。翌昭和25年(1950)には高等学校(女子)を併設し、平成4年(1992)には高等学校に男子を受け入れて今日に至っています。私が中学...母校明治学園中学校の今最終章

  • 母校 明治学園中学校への通学経路 その2

    強烈な熱帯日が続きます。コロナと暑い太陽、老人には行き場所がありません。でも、頑張って中学校への通学経路第二弾です。左手に戸畑図書館(旧戸畑市役所)を見て、右手には当時は戸畑図書館がありました。もう建物の痕跡もなく、スポーツセンターになっています。そのすぐ横は「飛幡八幡宮」。このお社は当時のままです。7月に行われる「戸畑祇園山笠」はこの八幡宮のお祭りです。境内から中本町へのまっすぐな一本道。お祭りにはここに多くの露店が並びます。今年は中止ですが・・。通学路に戻って東に進むと「天神」交差点。すぐ右横に県立戸畑中央高校が(現在は名称変更して「県立ひびき高校」)あり、ここのだらだら坂を登りきると「沢見」の交差点です。ここまでくると目の前に明治学園のシンボル「みどりの森」が広がります。思わず♪みどりの森に風かおる・・・...母校明治学園中学校への通学経路その2

  • 母校 明治学園中学校への通学路の今 その1

    昭和28年(1953)3月八幡市立枝光小学校を卒業した私は、戸畑市にある「私立明治学園中学校」に進学しました。学校の詳しいことは別の機会に紹介いたしますが、当学園のホームページの沿革によると、歴史は古く明治43年(1910)に明治専門学校(現九州工業大学)の附属尋常小学校として今ある戸畑の街に開校しました。戦後昭和22年(1947)に学制改革により「明治学園小学校」となり、あわせて「明治学園中学校」を併設したとあります。ということで私は中学校7回生となります。さて、今回はこの中学校への通学経路の今の様子を何回かに分けて写真で紹介しようと思います。私は枝光が実家なので、当時の「西鉄電車枝光線」に走る路面電車に乗り「浅生通り(あそうとおり)」で下車。ここから学校までのおよそ15㎞の道のりを徒歩で通学しました。道筋は...母校明治学園中学校への通学路の今その1

  • じっと我慢の異常事態

    コロナの影響はいつまで続くのでしょうか。小倉鍛冶町にある「森鷗外旧居」では毎月一回行わたれていた「鷗外を語る会」や恒例のイベントはこの影響で、3月から休会が続いています。何しろ狭い部屋での三蜜を避ける趣旨から旧居内での10名を超える集会は禁止されています(市からの指示)。今の状況では9月も中止です。なんとか10月からの再開を期待していますが、盆休みの帰省や旅行も自粛ムード。じっと我慢しなくてはなりません。なにしろ我々高齢者に感染させないという趣旨も大きいことから、高齢者自らの節度ある行動が望まれます。昨年の講演会の写真じっと我慢の異常事態

  • 裕福そうな町中に 幸せいっぱいの老舗お餅屋さん

    もう八月になりました。コロナ情報におびえながら、なんとか感染拡大が終息するのを祈るばかりの日々が続きます。不要不急の外出は控えながらも、気晴らしも大事です。先日、北九州の文化財に強い関心がある方から貴重な情報をいただきました。先回のブロブで紹介した不肖私が住む裕福そうな町中に、有名な老舗のお餅屋さんがあるとのこと。今日、早速に行ってきました。すぐ近くにある「お多福餅本舗」がそれです。明治42年(1909)、八幡製鉄所の工員さんのために八幡で餅屋を創業し、先代からの暖簾分けで、今ある小倉に新しいお店を構えて50余年とか。小倉では三本の指に入るほどの老舗甘味処。古い昔ながらの店構えですが、このところ名物かき氷を求めてお客さんが並ぶほどの有名店。早速に私どもも冷たさを堪能しました。店主さんの許可をいただき、狭いながら...裕福そうな町中に幸せいっぱいの老舗お餅屋さん

  • 金銀あふれる裕福で高貴そうな街並み

    やっと梅雨明けまじかになりました。今年の梅雨雨も各地に大きな水害をもたらしました。コロナに加えて外出もままなりませんね。でも、身近に面白いことや不思議な発見もこの時期ならでは。先日、バスに乗っていましたら、この路線で、バス停の名前のつながりがなんだか裕福そうに見えることに気づきました。「三萩野」という小倉では交通の要衝の付近。「黄金町(こがねまち)」、「白銀町(しらがねまち)」、「貴船町(きふねまち)」と続きます。日頃、気づきませんでしたが、このバス停名の連続は、金銀あふれる裕福で高貴な街並みが想像されます。この道路は国道三号線で、三萩野のこの交差点を左に行けば大分中津方向へ、右に曲がれば小倉の中心街へ。そして直進すれば、八幡、黒崎、折尾を経て、福岡へ。更に熊本、鹿児島とつながる大動脈です。小倉の街は小笠原藩の...金銀あふれる裕福で高貴そうな街並み

  • コーラス練習もリモートで

    コロナも続き、長雨も止みそうになく、人間の社会生活は歪なものになりつつあります。コロナ感染者が再び急増する中、「gotoトラベル」という政府のキャンぺーんもなんだか矛盾を感じます。「旅をしなさい」「楽しみなさい」の掛け声は、必死に患者を守っている医療従事者の皆さんはどのような思いで聞いているのでしょうか。先ずは患者拡大防止に全力を上げる時でしょう。わがスタッフのコーラスグループもついにリモート練習にとりかかりました。傍で見ていると正常な社会生活ではないこの状態。早く安心して本来の人間社会に戻って欲しいものです。コーラス練習もリモートで

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