大船フラワーセンターでは芍薬が見ごろを迎えている。春の花見シーズンが終わって一息ついているころボタンや芍薬が咲くのだけどついつい見逃してしまって、気が付くと牡丹園、芍薬園は葉っぱばかりになっていることが多い今回もボタンはもう花期を終えていたようだった。「
ドイツ村から袖ケ浦に戻る途中に袖ケ浦公園があって、郷土博物館や万葉植物園があるので帰りによって見た。郷土博物館はきれいな建物で袖ケ浦の郷土の歴史が展示されていた。郷土博物館の近くに万葉植物園がある。万葉集に出てくる植物を植えた一画で、植物とともに万葉集の
池をぐるっと一周してさらに坂道を登ると,ネモフィラの丘に着いた。芝桜はちょっと開花期を過ぎそうだったけどネモフィラはちょうど満開の時期を迎えている。ひたち海浜公園が有名だけど、横浜からはだいぶ距離があるのでなかなか行く機会がない。
駅から30分ほどでひらおかの里農村公園という所に着いた。もうドイツ村まではすぐだけど小休止をすることにした。広い園内には水車や、いろいろな時代の田んぼがあったり、農業体験の施設があったりして面白そうだが、誰も入園者はいなかった。農村公園から3kmほどでドイツ
4月23日(土)、天気が良いので芝桜とネモフィラを見にドイツ村へ出かけた。大船から総武線・内房線直通の君津行きに乗り袖ケ浦まで2時間ちょっとでゆく。袖ヶ浦の駅前のフィットネスクラブで自転車の貸し出しをしている。電動アシストつきの自転車で一時間200円であった。駅
高倉休憩所より下流は堤防上の道が続いていてやっと一定のスピードで走れるようになった。振り返ると筑波山がずっと見えている。やがて、平和橋という所で右岸に渡ると、河口が近い。常磐線の下をくぐると向こうに終点の愛郷橋が見えてくる。列車の時間も迫っているので急
サイクリングロードは基本的には左岸の堤防の上を進んでいくのだが、多摩川や荒川のように堤防がきちんと整備されているわけではない。走り始めて割とすぐに、突然急な登り坂が現れて道が川から離れて林の中に登ってゆく。林を通してみると川ははるかに下に見える。いったい
今回石岡まで来たのにはもう一つ理由がある。それは恋瀬川サイクリングロードに行くことだ。 「関東周辺サイクリングロードガイド」という本には22のサイクリングロードが紹介されていて、そのうち19のコースには行ったことがある。行ったことがないうちの一つが「恋瀬川サ
この地域には縄文時代弥生時代の遺跡が多くあり、風土記の丘にはその資料館や、古代住居の復元施設などがある。その部分は有料ゾーンになっている。桜を見に来ている人はいっぱいいるのに,有料ゾーンを見学しているのはチラホラである。 資料館には例によって発掘された土
ストーンヘンジのような「時の門」をくぐって展示施設のある領域に行く。向こうの丘の上に、常陸風土記の丘のシンボルである。「獅子頭展望台」が見えてくる。登って見ると、歯の間から公園内が見えるが展望はあまりよくなかった。
5kmくらい走って風土記の丘が近づいてくると車が渋滞し始めた。駐車場への列のようだ。車の間を抜けていくと車両通行止めの道があり、自転車を押して入って見ると風土記の丘の展望広場だった。裏側から入ったので改めて駐車場に自転車を置いてくる。展望広場のまわりの桜は満
今シーズンの花見の締めくくりとして、常陸風土記の丘に行った。今回はダホンを輪行して行った。春の18切符最後の日の4月10日(日)、大船から上野東京ラインに乗り、上野で向かいのホームに止まっている常磐線土浦行きに乗る。土浦で水戸行きに乗り換え石岡駅で降りる。石岡
外野橋で中川を渡ると権現堂堤の桜を背景に菜の花畑が広がっている。ニュースで、写真を撮るために菜の花畑に侵入する人が多く、菜の花がだめになってしまうということをやっていた。菜の花に触らないよう気をつけて写真を撮ることにする。このあたりまではあまり人に出会わ
学校の新学期も始まり、近くの小学校では運動場で始業式をやっていて、新しい担任の発表に歓声があがっていた。今年の桜もそろそろ見納めである。前に曼珠沙華の時に行った権現堂堤の桜が散りそうだというので見にいった。 18切符で東北線の栗橋まで行き、東武日光線に乗
展望台のある松風閣まで行って見た。桜越しに本牧の海が見える。北西の方向には石油タンクの向こうの雲の間に雪の多い富士山が見える。
寒い日が続いてなかなか花見に出かけられなかった。4月5日、今日は暖かくなるという天気予報だったので三溪園に出かけてみた。もう満開も過ぎて花吹雪になりつつあるが、5日まで開園時間をのばしてライトアップをやっているというという。 朝、開園時間すぐに出かけたので
米子駅で多少時間があるので、駅から歩いて行けそうな米子城にでも行ってみようかと思ったのだけど生憎ポツポツと雨が降ってきた。時刻表を調べると15分後に境線が出るので境港まで往復することにした。境線のホームは1番線の奥にある0番線である。 鬼太郎キャラクターが
備中高梁発11:16発の伯備線新見行きに乗って11:49に新見についた。次の芸備線備後落合方面は13:02なので新見駅近くで何か見るものがあるかと思って駅前の観光案内所に行ったのだけど1時間程度で行ける所がなさそうだったので駅前の食堂で昼飯を食べた。地元の割烹料理屋のよ
本丸広場からは高梁市の市街が見える。周囲を山に囲まれているが結構大きな町である。帰りはタクシーを呼ばずに、登山道を歩いて帰った。膝ががくがくするが息は切れないので、下りは人並みの早さで降りられる。駐車場のあたりからかなりの急坂を30分ほど下って市街地まで降
登山口からお城まで700m、案内書には徒歩20分とある。ふいご峠が標高290mで、天守のある城跡が430mだから140mの標高差を登らなければならない。このごろ心肺機能が低下してすぐ息苦しくなるので登りはコースタイム通りに行かなくなってしまった。険しい石段が続く。途中休
2日目(3月23日)、朝7時頃宿を出て岡山駅に向かう。7:25発の備中高梁行きに乗った。倉敷までは山陽線を走り、通勤客や高校生で車内が結構混んでいる。倉敷を出て伯備線に入ると急にローカル線ぽくなり、次の清音駅近くから高梁川に沿って登ってゆく。総社駅を出てトンネル
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大船フラワーセンターでは芍薬が見ごろを迎えている。春の花見シーズンが終わって一息ついているころボタンや芍薬が咲くのだけどついつい見逃してしまって、気が付くと牡丹園、芍薬園は葉っぱばかりになっていることが多い今回もボタンはもう花期を終えていたようだった。「
昭和記念公園原っぱ西花畑ではネモフィラが見ごろを迎えていた。御本家?ひたち海浜公園のスケールには及ばないけど結構広い範囲にネモフィラが植えられていて人がたくさん出ていた。
久しぶりに昭和記念公園に行った。こもれびの丘はポピーとカスミソウがいっぱいの季節である。カスミソウの小さな白い花と、ポピーの赤い大きな花の対照が美しい。
平和観音像から見下ろすと一面にツツジが植えられている。ツツジの間の小道に沿って斜面を降りてゆく。ピンクから薄紫の色の花が咲きそろっているが赤い系統のものがまだなのでちょっと派手さが足りない気がする。下りきって見上げるとこんな感じである。もう一週間くらいた
「大人の塗り絵」の本の日本の美しい風景の中に出てくる「塩船観音寺のツツジ」を見に行ってきた。お寺の背後の斜面にツツジの丸いかたまりが点々と並んで夢のような景色に思えて一度行ってみたかった。青梅線の河辺駅で降りると駅前のバス停に人が並んでいた。すぐに来たバ
観光案内所でもらった地図を見て大洲市内を自転車で回ってみた。まず、お城の裏手の肱川沿いに出て川の方からお城を見てみる。肱川ではカヌーの練習をしている人たちがいた。次に川沿いの道を走って大洲赤煉瓦館にやってきた。明治34年に建てられた旧大洲商業銀行の建物で今
松山から次は宇和島を目指すが途中、大洲に寄ることにした。松山を13:30発の宇和海15号に乗って大洲駅で降りる。駅の観光案内所で地図をもらい自転車を借りた。駅から2kmほどで、肱川を渡るとすぐに大洲城の下の広場に着いた。ここでも桜が満開で結構人が出ている。坂道を登
松山駅は新駅を作っていて一応昨年の9月に新しいホームでの営業を開始したのだが、まだ旧駅の遺構が残っていて工事中であった。市電などが通っている東側には旧駅の駅標が残っている。しかし、この建物はもう使われておらず、中に入ると仮の通路が続いていて旧ホームの撤去
一の門、二の門、三の門と通ってやっと天守入口に着いた。姫路城に登るときにも感じたが、国宝の歴史的建造物にこんなに無造作にあがっていいものだろうかと思う。今回2つめの現存天守登城である。小天守越しに松山の町が見える。松山は人口51万6千人で四国第一の都会である
石垣の間をくねくねと登る。各所に説明看板があって、みんな見ているとなかなか先に進まずそれだけで疲れてしまう。まだ、本丸は見えない。立派な現存天守の顔を見ないうちにぜいぜい言っている。 それでも隠門をくぐってさらに上ると最後の門である太鼓門が見えてくる。
ロープウェイを降りると早速石垣が見えてくる。少しのぼると待合番所跡というところにつく。看板の説明文によれば、ここは登ってきた東雲口からの登城道と大手門方面からの登城道との接点で番所があったという。ここから石垣の間の狭い道を上って本丸方面を目指す。この突き
松山城という名のお城はいくつかある。これから行く伊予松山城が一番有名だが、「天空の城」として知られる「備中松山城」をはじめとして全国に10くらいあるらしい。 道後公園前から市電に乗り、警察署前で降りる。地図で見るとここがロープウェイ乗り場に最も近い。ビル
道後温泉から歩いてすぐのところに道後公園がある。道後公園は湯築城跡につくられた公園で、堀や土塁などの遺構が残っている。松山城に行く前に湯築城跡を見ることにした。湯築城は中世伊予の国の守護であった河野氏のお城で、1585年の秀吉の四国攻めによって小早川隆景に
バスで今治駅まで戻り今治駅からしおかぜ17号に乗って松山まで行った。せっかく松山まで来たのだから道後温泉に泊まってみようと思って道後温泉に宿をとった。松山駅から市電に乗って道後温泉駅までいく。宿に荷物をおいて温泉街を歩いてみた。宿にも大きなお風呂があるの
早速、天守に登城した。コンクリート製なので立派な階段があるが、エレベーターはついていなかった。6階建てで各階が資料館になっており、2階には自然科学展示まである。上に登ると瀬戸内海の眺望が開ける。自転車で2度渡ったしまなみ海道の来島海峡大橋も見える。天守を
初日から二つの城に登城し、万歩計もとっくに一万歩を超えて、体力も限界に近かったが、松山に着く前にもうひとつ今治城による予定だった。丸亀駅からしおかぜ13号に乗り、一時間半ほどかけて今治駅に着いた。2009年に来たときは今治駅からバスで糸山公園まで行き、サンライ
現存天守は基本的にバリアフリーなどということは考えらえていないので、階数分の急な木の階段をのぼらないと天守の上につかない。丸亀城は3層だから大したことないけど姫路城や松江城などもう降りてこられないんじゃないかと思うこともあった。 でも天守はその地域の最
呼吸を整えていよいよ登山である。最初からものすごい急坂でめげる。昔の武士は強健であったのだつくづく思う。年をとると上り坂は急激に消耗するのでゆっくりのぼる。すぐに高い石垣が見えてくる。10分ほどで三の丸の広場についた。一休みである。三の丸広場からはきれいな
高松駅から予讃線に乗って一日目は松山まで行く。今回の主な目的地は松山城と宇和島城であるが、その前に丸亀城にも寄りたい。高松駅から特急いしづちに乗って丸亀駅まで行く。大した距離ではないので特急料金がもったいないが、地方の幹線鉄道は特急は一時間に一本あるが各
披雲閣のお庭を通って北側にいくと月見櫓が見えてくる。こちらが現在のお城の北東側にあたる。かつてはこの北側はすぐ海になっていたらしい。月見櫓の南側に水手御門という門があって、ここから直接海に漕ぎ出すことができたという。今は広い道が通っていて海は50mくらい向
今回は歩いてでも行ける地元の名所に行ってみた。我が家の前を通る環状4号線(原宿六浦線)で六浦方面に行き、「八軒谷戸」というどこの田舎かと思わせる名前のバス停で降りると、西に向かって急な登り坂が続いている。その坂道を10分くらい登ると鎌倉カントリークラブのゴル
花菖蒲園は今が見頃で,たくさんの人で賑わっています。
4年前の11月に松戸にある本土寺に紅葉を見に行った。その時に結構広い菖蒲園があったので、また菖蒲の季節に行ってみたいと思っていた。本土寺のホームページには「六月上旬にはは花菖蒲が五千本、下旬に向けて十種類以上の紫陽花が境内中に咲き渡り、その数は五万本以上
清澄庭園にも花菖蒲園がある。大泉水を回り込んだ向こうに涼亭という建物があり、その向こう側に花菖蒲田が広がっている。そんなに規模は大きくないが、ちょうど見頃を迎えている。同じ都立の公園である小石川後楽園と「園結び」というわけである。
芭蕉稲荷から地下鉄の駅の方にもどり清澄庭園を目指した。清澄庭園は、大名の下屋敷だった一帯を三菱の創始者・岩崎彌太郎が買い取り、1891(明治24)年に社員の慰安や貴賓を招待するための庭園として開園した。回遊式庭園で、中央の池である「大泉水」の周りには、全国から
小石川後楽園でもらったパンフレットに「花菖蒲がむすぶ園結び」として清澄庭園が紹介されていたので帰りに寄ってみることにした。後楽園の西門を出て5分くらいで飯田橋の駅につく。長い通路を通って地下鉄大江戸線のホームに行き清澄白河まで行った。 清澄庭園は地下鉄の駅
池に沿って進んで行くと花菖蒲田が見えてくる。花菖蒲田の隣に光圀が造ったとされる稲田が1枚だけあり、ちょうど田植えが終わった所である。回り込んで背景を見ると後楽遊園地のジェットコースターが見えて、ときおりワーッという歓声があがっている。
小石川後楽園に行って花菖蒲を見てきました。水道橋の駅を降りると後楽園球場のドームが見え、ドームホテルが聳えています。交差点をわたって5分ほど歩くと小石川後楽園の入り口につきます。ビルのすぐそばに都心とは思えない静かな雰囲気が広がります。ちょうどバスで外国人
ボタンやシャクヤクは残念ながら花期が終わって葉が茂っている。ピクニックグラウンドでは中央のプラタナスの木が堂々と新緑に茂って立っている。春の花が咲き終わって今は花の乏しい季節にさしかかっている。藤棚の藤もすっかり豆になって垂れ下がっている。鉢で育てられて
バラ園に行く。バラのシーズンである。バラ園ではいつも花の多さに圧倒されて、何を写真に撮ったらよいのかわからなくなる。
久しぶりに大船フラワーセンターに行った。ボタンやシャクヤクの季節も終わり、花壇が夏仕様になって花の少ない時期を迎えている。入り口近くの盆栽コーナーであじさいの盆栽が迎えてくれた。すっかり葉が茂った梅林の下で様々なあじさいが咲き出している。花菖蒲にはまだ早
奥の方にいくと、小山にバラが咲き乱れていた。たくさんの人がバラの間に入って写真を撮っている。高島屋の包み紙のようなローズピンクのバラもあった。赤っぽい花が多い中で黄色いバラもひときわ目を惹く。
30分ほどで吹上会場を後にして吹上駅にもどる。次はバラ園のある川里会場に行ってみることにする。吹上駅から高崎線に乗って2つもどり鴻巣駅で、またシャトルバスを待つ。今度はずいぶん立派なバスがやってきた。バスに乗るとしばらくは鴻巣の町中を通る。結構渋滞していてな
19日の日曜日にこうのす花まつりに行ってきた。大船から上野東京ライン籠原行きに約2時間乗って吹上についた。この日は花まつり期間最後の日曜日なので駅前から荒川河川敷にある会場まで無料のシャトルバスがでている。鴻巣市市政70周年記念「こうのす花まつり」は3つの会場
武家屋敷を回った後お城の北門の近くでオムライスを食べた。オムレツの上にケチャップで「たけるふじ」と描かれていた。青森県五所川原の出身だからだろうか。せっかく新入幕優勝をしたのに今場所はけがで休場とは悲しい。 ゆっくりと休んであとは駅にレンタサイクルを返す
藤田記念庭園を後にして、次は弘前ねぷた村に行ってみた。東北地方の町ではその地域によって異なった「ねぶた」があるそうで、ここでは弘前ねぷたまつりに使われるねぷたの展示と津軽三味線の演奏などが行われている。駐車場に観光バスが何台も止まっていて御賑わいである。
禅林街を後にしてお城の方に戻ると広い通りに突き当たったところに藤田記念庭園がある。ここは弘前市が市制100周年を記念して平成3年7月に開園した日本庭園で、もともと、日本商工会議所初代会頭藤田謙一氏が東京から庭師を招いてつくらせた江戸風な景趣の庭園である。広々と
禅林街の坂道を下ると一番奥に津軽家の菩提寺である長勝寺がある。重要文化財の立派な山門が出迎えてくれる。中は静かな佇まいで、弘前公園の人出が嘘のように人がいない。女の人が一人で草むしりをしていた。長勝寺の右手に広場があって、戦没者の供養塔が建っていた。その
翌日はまたレンタサイクルを借りて、弘前市内を回った。まず、宿に近い弘南鉄道の中央弘前駅に行ってみた。ホームには普通列車が止まっていて、ホーム上ではこけしが出迎えている。しばらく進むと五重塔が目立つ最勝院についた。境内はいろいろな花が咲いていて風情のあるお
夕暮れも近いのでレンタサイクルを返して一度宿に戻り、6時頃にもう一度弘前公園にやってきた。桜のライトアップを見ようと思う。東門の所までバスでやってきてた。今日一日分の花びらがお堀の縁にたまっている。東門の前にかがり火がたかれているが、本物の火ではないようで