このブログの最初の投稿が2012年8月19日なので,まもなく10年を迎える。そこで、10周年記念企画として「自転車日本縦断の旅」で訪れた駅を紹介しようと思う。1回目は、出発の地の西大山である。2013年3月20日の13時40分頃に、日本最南端の駅西大山についた。ここから「日本縦
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このブログの最初の投稿が2012年8月19日なので,まもなく10年を迎える。そこで、10周年記念企画として「自転車日本縦断の旅」で訪れた駅を紹介しようと思う。1回目は、出発の地の西大山である。2013年3月20日の13時40分頃に、日本最南端の駅西大山についた。ここから「日本縦
今回いろいろと心配なことはあったけど、2日間で140kmを走りきって何とか目的地に着くことができた。これで「自転車日本縦断の旅」はめでたくゴールしたことにしたい。 今回の走行距離2日目:7月1日 恩根内→音威子府→天塩中川→雄信内 70.36km3日目:7月2日
5日目、朝6時前に宿を出て、駅まで数百メートル自転車で走り,駅前で車輪を外して輪行袋に詰める。稚内駅6時36分発のサロベツ2号で南に向かう。稚内駅は道北では圧倒的に大きな駅で、駅舎も立派で人もたくさんいるのだけど、線路は1本だけでホームも一つだけの「1面1線」
野寒布岬からは向かい風にめげながら稚内市街地に戻ってきた。駅の北側で海辺に出ると稚内港北防波堤ドームがある。昔はここから樺太に向かう船が出ていた。今日の宿はこの防波堤の前の広場に最近建ったバブリーなビルのホテルである。今回の旅で初めて見る高層建築である
最北端の鉄道の駅に到達したので,次は自転車でいける最北端である。本当の最北端宗谷岬にはすでにバスで到達したので、稚内半島の先端である野寒布岬を目指す。出発点も自転車で行きやすい長崎鼻だったので,終着点も自転車で行きやすい野寒布岬でちょうど釣り合いがとれ
あと少しでゴールに着く所で他に用事ができてブログを書かないでいたら体調を崩してそのまま放置することになってしまった。復調したのでとにかくケリをつけておきたい。 4日目の7月3日、宗谷岬からバスで南稚内まで戻り、宿に駐めてあった自転車をとって稚内駅に向かっ
2日間で南稚内まで来たので3日目は稚内に行くだけである。その前に最北端の地宗谷岬に行くことにした。宿に自転車を置いて近くの停留所から路線バスの音威子府行きに乗る。音威子府駅で見た稚内行きの反対コースである。 バスには10人ほど乗っておりほとんどが宗谷岬で
道道256号で幌延の市街地にやってきたので豊富方面に行くためには国道40号に戻らなければならない。国道40号は幌延の近くから「豊富バイパス」という自動車専用道が分かれて山越えで北に進むので一般道は一度大きく西に迂回している。ここへ向かう道がなかなか困難な道であっ
南幌延駅を後にしてさらに北に進むと10分ほどで上幌延駅の跡に着いた。前にも書いたように昨年の3月で宗谷本線の駅がたくさん廃止されてしまった。そのうちの一つが上幌延駅である。道と地続きのホームに貨車の車輌の駅舎が置いてある「ダルマ駅」だったのだが今は駅標も外さ
7月2日、朝5時前に起きて出発の準備をする。さすがに寝不足だが幸いまだ体は痛くなっていない。60を過ぎた頃から筋肉痛が出るのは3日以上たってからなので、今回もそれまでに走りきってしまう覚悟だ。 南稚内5:25発の始発名寄行きに乗る。この日は記念入場券の発売日だっ
雄信内発18:11の各駅停車の最終列車は南稚内には19:44につく。やってきた列車には乗客が一人いたけど、幌延駅で下車してしまい、そのあとは貸し切りだった。豊富駅を出てしばらく行くと列車は北西に向きを変え、左前方に鮮やかな夕日が見えてきた。今は夏至から一週間ほど
約20km先の雄信内(おのっぷない)駅で18:12の稚内行きに乗るので3時間弱ある。道も平坦なので以前だったら楽勝なのだが、何せ加齢による体力低下は否めない。今日はすでに50km走っているのでどこかで足をつるかもしれないし,疲れで気力がなくなってしまうかも知れない。
佐久から天塩中川までは右岸を通る道道541号線を走った。はじめは佐久の集落の間を進み、その後鉄道に沿って林の間を抜けてゆく。地形に合わせて曲がり、何度か踏みきりで線路を渡る。きれいに舗装された道だったが中川の駅近くに着くまで一台も車に出会わなかった。後半は
「北海道命名の地」を後にしてしばらく行くと音威子府村と中川町の境についた。中川町のカントリーサインには首長竜とアンモナイトが描かれている。後で調べてみると、このあたりは明治時代からアンモナイトの化石が発見さていた所で、1974年に首長竜の化石も発見されたとの
音威子府から佐久までの間、天塩川は西に向かっている。地形に沿って何回も蛇行しながら険しい谷を刻んで流れている。国道40号線もこの川の流れに沿ってくねくくねと曲がりながら進んでゆく。途中それなりのアップダウンもあり、20kmくらい人里を通らないので、今日の行程の
天塩川温泉入り口から音威子府にかけては下り基調の道でホッとする。10分ほどで咲来(さっくる)駅への分岐があった。寄って見ようかと思って曲がってみたけど結構遠そうなので、踏切からはるかに駅を望んで引き返した。サックルとはアイヌ語で「夏の道」という意味だそう
前回、最終日の目的地は天塩川温泉駅で、美深の宿からは15kmほどの距離だった。列車の時間まで2時間ほど見て出発すれば行けないことはなかった。しかしこの間にはかなり登り坂があり、だいぶ疲れていたのでその前の駅である恩根内でリタイアしてしまったのである。今の体力と
昨日、稚内から列車を乗り継いで無事帰って来た。今回の旅を順番に振り返って見ることにしたい。 いろいろと心配なことはあったけど、結果としてはほぼ6月24日に書いた当初の予定通りに進んで3つのゴール、最北端の地「宗谷岬」,最北端の駅「稚内」、自転車で到達した最
稚内からサロベツ2号に乗って家に向かいます。ホテルから稚内駅まで自転車に乗り、輪行袋に入れました。夏の間はピンク色のハマナス編成が来るようです。最後尾に自由席を一両増結していましたが途中の駅でホーム長が足りずドアが開かないようでした。
7月3日(日)頑張って2日で南稚内まで来たので3日目は稚内と宗谷岬を目指す。片道30kmの道のりを自転車でゆくのは諦めて路線バスで行くことにした。9時45分に南稚内をでて45分ほどで宗谷岬に着いた。2013年3月20日に薩摩半島の南端長崎鼻を出てから9年と3ヶ月、これでひ
朝一番の列車で雄信内駅まで戻った。駅から自転車に乗り道道256号で幌延方面を目指す。すぐにきつい上り坂になりそれを越えると平坦な道が続き両側には牧場が広がっている。幌延に向かう途中で北緯45°を通過したらしい。宗谷線に沿って北上する。南幌延駅、廃止された上幌延
2日目 7月1日(金曜日)名寄駅から各駅停車稚内行きに乗る。旭川からやってきた列車は2両で、名寄駅で切り離して1両になる。20人くらい乗っていて途中の美深で何人か降りた。前回の終着地である恩根内で降りる。もちろん恩根内駅には誰もいない。自転車を組み立てて9時15
港南台駅始発の4時50分の電車に乗って、東京6時32分発のはやぶさ1号で北海道に向かう。新函館北斗8分の乗り継ぎで北斗9号に乗り、14時38分に札幌、22分の乗り継ぎで旭川行きのライラック23号に乗る。旭川で13分の乗り継ぎで名寄行きに乗って18時14分に着いた。12時間くらい
境川遊水地公園は、境川の氾濫原を遊水池として整備し、池のまわりにグラウンドやテニスコートなどを配置したもので、2019年に完成したばかりの公園である。管理棟には資料室もあり、冷房が効いた休憩スペースもあるのでこの日はホット一息つける場所だった。家族連れが何組
26日の日曜日晴れて暑い日だったけど、50km走れそうか予行練習をしてみた。家から、境川遊水池公園まで片道20km弱の行程で往復40km越を目指した。大船駅の西口から東海道線に沿って進むと工場群が並ぶ地域を通る。去年の2月にこのあたりに東海道線の新駅(村岡新駅)をつく
廃止されるかも知れないあるいは廃止されてしまった宗谷本線の駅 最初にも書いたが、2021年3月に、宗谷本線の多くの駅が廃止対象になっていた。南比布、北比布、東六線、北剣淵、北士別、北星、南美深、紋穂内、豊清水、安牛、上幌延、恩根内、抜海の13駅で、このうち、抜
宗谷岬日本縦断の趣旨から言って、最北端の地は踏んでみたい。本当は自分の自転車で到達したかったけど、稚内から宗谷岬まで30kmあり、往復すると60kmになってたっぷり1日分の行程になる。しかもさんざん疲労したあとである。輪行すればバスに乗れるらしいのでそれも考えて
2日目、3日目の行程で恩根内から雄信内までは約70km、雄信内から稚内も73kmと2日で140kmちょっと走る計画である。3年前の行程を見ると1日の走行距離は長い日は80km程度だったから普通だと思ったけど、今は輪行して一日30km走る程度できつくなっていて、2,3日後に体が
このブログの本来の目的である「日本縦断の夢」のフィナーレを飾るべく北海道編4の計画である。このブランクの3年の間に世の中の状況も私の健康問題もずいぶん変わってしまった。70歳を過ぎて体力が極端に落ちて、「あと140km」がとても遠く感じられる。それでもここまで
あじさいの季節である。今年は開成町あじさい祭りに行ってみた。6月9日、小田急線に乗って開成駅で降りる。あじさい祭り期間中は駅から20分おきに会場までのバスが出ている。バスで10分ほどで会場近くの駐車場につく。3年ぶりなので地域の人たちがいっぱい出て誘導やら案
大橋を渡って湖岸に沿ったサイクリングロードを4kmほど行くとかすみがうら市水族館があり、家族連れで賑わっている。今回は止まって休むだけだが前に来たときに入ってみたことがあるので、その時の写真を載せておく。ここの丘の上の国道沿いにお城の形をした建物の「かすみ
向かい風にめげながら一時間半ほどで、霞ヶ浦ふれあいランドの虹の塔の所までやってきた。途中で買ったサンドイッチを食べて昼食とする。今回は殺風景だったが、12年前初めて霞ヶ浦サイクリングをしたときは5月初めだったので虹の塔には鯉のぼりが泳いでいた。その時の写真
5月29日の日曜日に霞ヶ浦西浦東岸を走った。昨年西岸を走ったのでこれで西浦北部を一回りしたことになる。恋瀬川サイクリングロードの時のゴールであった高浜駅が今回の出発点である。高浜駅を出てすぐに水辺を走るようになり、やがて前方に湖が開けてくる。やがて湖に沿っ
バスの発車まで時間があったので、すぐ隣の方丈のお庭も見ることにした。ここでもウェディングフォトを撮っている。後で調べてみると「東福寺前撮りロケーション」のイベントらしい。秋はさすがに撮影できないので新緑のこの季節がおすすめなのだそうだ。このわずかな間に3組
「最強青もみじ」コースの最後は東福寺通天橋だった。東福寺には何度か来たことがあり通天橋も行ったことがあるが、新緑の季節は初めてである。駐車場から参道を歩いて臥雲橋のところでガイドさんが紅葉の頃はこのあたりから行列ができて1時間以上も並ばなければいけないと行
バスの出発までまだ間があったので、天授庵の隣にある三門に登って見た。歌舞伎で石川五右衛門が登って見得をはる三門である。高さは22mあるそうで、近くからでは相当広角なカメラでも全体像がうつらない。急なはしごのような階段を数十段上ると楼上に出る。確かに絶景では
ここで昼食となる。お昼は下鴨の料理屋さんでとる。お昼がちょっと豪華なのでこのコースは1万円を越えるお値段である。お昼を食べた後は南禅寺に向かう。南禅寺は大きなお寺で塔頭も多い。その中でも天授庵はお庭が有名なところである。本堂東庭は幾何学模様の畳石と白砂と苔
圓通寺の次は蓮花寺に向かう。昨日行った瑠璃光院の近くのお寺で、左京区高野にある。こちらもお庭が有名なお寺である。圓通寺から宝ヶ池の近くを通り高野川沿いの細い道をゆくとすぐに目的地に着いた。ガイドさんについてゆくと「崇道神社」の門前についた。ガイドさんが
京都旅行2日目は観光バス「最強青もみじ」コースで紅葉の時期には混雑するが今なら余裕のお庭を巡る。10:00に京都駅前を出発する。お客さんは16名だった。まず北へ向かう。最初についたのは圓通寺。圓通寺は,左京区岩倉にあり、後水尾天皇の離宮として建てられ、後に禅宗の寺
1日目の宿は清水寺の近くだったので、翌日5月16日の朝食前に清水寺に出かけた。山際にある宿から坂を下って産寧坂に出る。坂を登って参道に出る。早朝のせいかコロナ禍のせいか、前に何度か来たときはいつも人であふれていた参道にはほとんど人影はない。それでも店を開ける
上賀茂神社から南に下がると京都府立植物園の賀茂川門に着いた。この植物園は1924年にできた日本で最初の公立植物園だそうで、広大な園内には森林や神社もある。花としてはバラが見頃で、花菖蒲園はまだこれからという所だった。夕暮れも近くなってきたので,レンタサイクルを
大田神社から西に1kmほど進むと賀茂別雷神社(上賀茂神社)に着いた。この日5月15日は、本来なら葵祭の行列が行われる日だが、今年も中止であった。もっとも、もし行列が行われていたらこんなにのんびりと自転車で回ることもできなかった訳だが。 行列はなくなったが、社
叡山電鉄で修学院まで戻り、再び自転車に乗って北山通を西へ向かいます。地下鉄の北山駅を過ぎたあたりで北に向かうと4kmほどで大田神社に着きました。大田神社は上賀茂神社の摂社で本殿の800mほど東側にあります。境内にある大田の沢のカキツバタ群落が有名で、いつもなら
5月15日から3日間京都に行ってきました。新緑の青さを味わう旅でした。新幹線で京都まで行き、地下鉄で北大路まで行って,駅の近くでレンタサイクルを借りました。電動アシストつきの3段変速の自転車で一日1000円でした。自転車で3.5km走って、叡山電鉄の修学院駅から電車
植物園を後にしてさらに下流に向かう。川幅も広くなり、両側に背の高い建物が目立つようになってくる。植物園ではゆっくり休めなかったので、川沿いの公園の木陰で休憩にしてお弁当の残りを食べた。 やがて柴崎の駅の近くで京王線の鉄橋をくぐる。ここでたたんで新宿まわ
天文台下から少し下流に行くと、神代植物園下に着く。坂道を登って神代植物園の入り口についた。さすがに連休中だけあって大変混雑している。ホームページでは「混雑時は入場を制限することがあります」と書かれていたがそんなこともなさそうですぐに入場できた。 シャクナ
武蔵野の森公園を後にして調布飛行場に沿った道をゆくと、調布飛行場の建物があり、見学者も入場できるようになっていた。しかも見ている間に小型の飛行機が一機離陸していった。後で調べてみるとここからは伊豆諸島の4つの島へ定期便が運行しているのだった。建物に入っ
公園の中を進んでいくと、二枚橋というところで西武多摩川線の下をくぐり、左側に森林が広がるようになる。この辺一帯を野川公園というらしい。野川公園の中に、フェンスで囲まれた自然観察園という一画があり自由に入場できるので入って見た。目立つ花はないがいろいろな植
連休中どこにも出かけなかったので、久しぶりにダホンを輪行して野川サイクリングコースを走ってみた。横浜線で八王子まで行き中央線の上りに乗って国分寺まで行く。家から2時間程度で国分寺についた。 野川は、国分寺駅の近くにある日立製作所中央研究所の所内にある池
ドイツ村から袖ケ浦に戻る途中に袖ケ浦公園があって、郷土博物館や万葉植物園があるので帰りによって見た。郷土博物館はきれいな建物で袖ケ浦の郷土の歴史が展示されていた。郷土博物館の近くに万葉植物園がある。万葉集に出てくる植物を植えた一画で、植物とともに万葉集の
池をぐるっと一周してさらに坂道を登ると,ネモフィラの丘に着いた。芝桜はちょっと開花期を過ぎそうだったけどネモフィラはちょうど満開の時期を迎えている。ひたち海浜公園が有名だけど、横浜からはだいぶ距離があるのでなかなか行く機会がない。
駅から30分ほどでひらおかの里農村公園という所に着いた。もうドイツ村まではすぐだけど小休止をすることにした。広い園内には水車や、いろいろな時代の田んぼがあったり、農業体験の施設があったりして面白そうだが、誰も入園者はいなかった。農村公園から3kmほどでドイツ
4月23日(土)、天気が良いので芝桜とネモフィラを見にドイツ村へ出かけた。大船から総武線・内房線直通の君津行きに乗り袖ケ浦まで2時間ちょっとでゆく。袖ヶ浦の駅前のフィットネスクラブで自転車の貸し出しをしている。電動アシストつきの自転車で一時間200円であった。駅
高倉休憩所より下流は堤防上の道が続いていてやっと一定のスピードで走れるようになった。振り返ると筑波山がずっと見えている。やがて、平和橋という所で右岸に渡ると、河口が近い。常磐線の下をくぐると向こうに終点の愛郷橋が見えてくる。列車の時間も迫っているので急
サイクリングロードは基本的には左岸の堤防の上を進んでいくのだが、多摩川や荒川のように堤防がきちんと整備されているわけではない。走り始めて割とすぐに、突然急な登り坂が現れて道が川から離れて林の中に登ってゆく。林を通してみると川ははるかに下に見える。いったい
今回石岡まで来たのにはもう一つ理由がある。それは恋瀬川サイクリングロードに行くことだ。 「関東周辺サイクリングロードガイド」という本には22のサイクリングロードが紹介されていて、そのうち19のコースには行ったことがある。行ったことがないうちの一つが「恋瀬川サ
この地域には縄文時代弥生時代の遺跡が多くあり、風土記の丘にはその資料館や、古代住居の復元施設などがある。その部分は有料ゾーンになっている。桜を見に来ている人はいっぱいいるのに,有料ゾーンを見学しているのはチラホラである。 資料館には例によって発掘された土
ストーンヘンジのような「時の門」をくぐって展示施設のある領域に行く。向こうの丘の上に、常陸風土記の丘のシンボルである。「獅子頭展望台」が見えてくる。登って見ると、歯の間から公園内が見えるが展望はあまりよくなかった。
5kmくらい走って風土記の丘が近づいてくると車が渋滞し始めた。駐車場への列のようだ。車の間を抜けていくと車両通行止めの道があり、自転車を押して入って見ると風土記の丘の展望広場だった。裏側から入ったので改めて駐車場に自転車を置いてくる。展望広場のまわりの桜は満
今シーズンの花見の締めくくりとして、常陸風土記の丘に行った。今回はダホンを輪行して行った。春の18切符最後の日の4月10日(日)、大船から上野東京ラインに乗り、上野で向かいのホームに止まっている常磐線土浦行きに乗る。土浦で水戸行きに乗り換え石岡駅で降りる。石岡
外野橋で中川を渡ると権現堂堤の桜を背景に菜の花畑が広がっている。ニュースで、写真を撮るために菜の花畑に侵入する人が多く、菜の花がだめになってしまうということをやっていた。菜の花に触らないよう気をつけて写真を撮ることにする。このあたりまではあまり人に出会わ
学校の新学期も始まり、近くの小学校では運動場で始業式をやっていて、新しい担任の発表に歓声があがっていた。今年の桜もそろそろ見納めである。前に曼珠沙華の時に行った権現堂堤の桜が散りそうだというので見にいった。 18切符で東北線の栗橋まで行き、東武日光線に乗
展望台のある松風閣まで行って見た。桜越しに本牧の海が見える。北西の方向には石油タンクの向こうの雲の間に雪の多い富士山が見える。
寒い日が続いてなかなか花見に出かけられなかった。4月5日、今日は暖かくなるという天気予報だったので三溪園に出かけてみた。もう満開も過ぎて花吹雪になりつつあるが、5日まで開園時間をのばしてライトアップをやっているというという。 朝、開園時間すぐに出かけたので
米子駅で多少時間があるので、駅から歩いて行けそうな米子城にでも行ってみようかと思ったのだけど生憎ポツポツと雨が降ってきた。時刻表を調べると15分後に境線が出るので境港まで往復することにした。境線のホームは1番線の奥にある0番線である。 鬼太郎キャラクターが
備中高梁発11:16発の伯備線新見行きに乗って11:49に新見についた。次の芸備線備後落合方面は13:02なので新見駅近くで何か見るものがあるかと思って駅前の観光案内所に行ったのだけど1時間程度で行ける所がなさそうだったので駅前の食堂で昼飯を食べた。地元の割烹料理屋のよ
本丸広場からは高梁市の市街が見える。周囲を山に囲まれているが結構大きな町である。帰りはタクシーを呼ばずに、登山道を歩いて帰った。膝ががくがくするが息は切れないので、下りは人並みの早さで降りられる。駐車場のあたりからかなりの急坂を30分ほど下って市街地まで降
登山口からお城まで700m、案内書には徒歩20分とある。ふいご峠が標高290mで、天守のある城跡が430mだから140mの標高差を登らなければならない。このごろ心肺機能が低下してすぐ息苦しくなるので登りはコースタイム通りに行かなくなってしまった。険しい石段が続く。途中休
2日目(3月23日)、朝7時頃宿を出て岡山駅に向かう。7:25発の備中高梁行きに乗った。倉敷までは山陽線を走り、通勤客や高校生で車内が結構混んでいる。倉敷を出て伯備線に入ると急にローカル線ぽくなり、次の清音駅近くから高梁川に沿って登ってゆく。総社駅を出てトンネル
横浜地方は桜が満開になりました。いたち川沿いの桜も見頃を迎えていて多くの人が訪れています。栄区役所裏のところで柳の緑との対照が鮮やかでした。城山橋から柏陽高校裏方面を見る。この木は花がいっぱいつくので多くの人が写真を撮っていました。
福知山城の下を流れる由良川が大きく蛇行する所に、光秀が築いた堤防と言われる明智藪がある。由良川に架かる橋を渡る所からこの堤防越しにお城が見える。町中を回って駅に戻り15:11発の山陰線に乗り和田山駅で降りた。和田山で3分の乗り継ぎで播但線寺前行きに乗り姫路方面
篠山口の駅で時間があるので駅の外に出てみようと思ったら、改札口に人がいない。自動改札機だけなので18切符では出場できない。よく見ると自動改札機の近くにインターホンがついていて「用があるときはボタンを押して下さい」と書いてある。ボタンを押して「18切符で出場し
大阪から福知山線方面の丹波路快速篠山口行きに乗った。写真に写っているように運転手さんは女性だった。20年くらい前までは鉄道業界、鉄道マニアは男子の聖域だった気がするが、今はJRの大きな駅に行くと女性職員を見るようになり、女性の運転手さんや女性の鉄オタは珍し
米原から18切符を使い始める。 まずはJR西日本の誇る優良列車である「新快速」に乗る。関東近郊の通勤用電車はほとんどがボックスシートかロングシートで狭い思いをして座らなければならないが、関西地方の普通列車は転換クロスシートという進行方向に合わせて背もたれを
春の18切符の旅に出かけた。関東地方や東海地方の路線にはかなり乗ったので、大幅な廃線が予定されているJR西日本管内の路線に乗りたいと思った。山陽路と山陰路を連絡する「陰陽連絡路線」、特に赤字が激しい芸備線と木次線に乗ってみたかった。しかし、芸備線と木次線の
常磐線の偕楽園駅は下り水戸方面にしかホームがないので、帰りは一度水戸方面に向かわなければならない。せっかく水戸まで来たのだから駅から歩いて行ける弘道館に寄って見ることにした。駅前から坂道を登ると三の丸跡に突き当たり塀に沿って歩くと弘道館の入り口に着く。
梅園を抜けて好文亭表門の方から竹林を抜けて好文亭に行った。途中に不思議な卵形のものが並んでいた。どうもライトアップ用の照明らしい。後で調べてみると「チームラボ偕楽園光の祭」というイベントで3月いっぱいイルミネーションをやっているらしい。夜間に来ると次のよう
記事が遅くなってしまいましたが、3月12日の土曜日に偕楽園と弘道館に行ってきました。その時はまだ満開前でしたが、一週間たったこの週末が最後の見頃となったようです。そろそろ桜の便りが聞かれる時期(昨年は3月17日に開花しました)になってきたので梅は終わりです。
急な坂道を喘ぎながら登ってゆくと分かれ道があって、そこから先は急な階段になっている。急な階段を10分くらい登ってゆくと梅林の中心地区についた。田浦梅の里は平成天皇の誕生を記念して植えられたものが始まりだそうで、樹齢80年といった古い木が多く行った時にちょうど
三浦海岸からの帰りに、久里浜でJRに乗り換え田浦で降りた。ここから歩いて田浦梅の里に行って見た。京浜急行に乗っていると京浜田浦と安針塚の間で「田浦梅の里」と書いてある看板が一瞬見えるが、残念なことに京浜急行の駅はなく、最寄りの安針塚の駅からは道がない。 横
公園に戻り、桜並木と京急が橋の上から見えるスポットの方に行ってみる。橋の上ではすでに多くの人がカメラを構えて列車がくるのを待っている。列車は来てないけど横合いから写真を撮ってみた。橋の上では列車の近づいてくる桜並木の方角には割り込めそうにないので、反対側
小松ヶ池公園のところで京浜急行の高架線の下をくぐるとき、ちょうど列車がやってきた。小松ヶ池では釣りをしている人もいた。
先週の末、本場河津の河津桜は満開で見頃に達し多くの人で賑わっていたらしい。河津まで行くのはちょっと遠いので近場の三浦海岸の様子を見に行った。よく晴れた7日(月)、金沢八景から京浜急行に乗って三浦海岸の駅に降りると、駅前にも数本植えられた河津桜のまわりには多く
曽我梅林は食用の梅のための梅林なので、白梅が整然と植えられている区画が多い。まだ咲きそろってはいないが十分見頃を迎えている。場所によってはムクドリやスズメが木の下に群がっているところもあった。メイン会場のところに「富士見ビューポイント」があったので写真を
松田まで来たので同じ御殿場線沿いの曽我梅林にも寄って見ることにした。かなり昔に車で来たことがあるが,下曽我駅から歩いて行くのは初めてである。こちらも、小田原梅まつりは昨日2月27日までだったのだが、メイン会場の梅がまだ咲きそろっていないので3月6日まで延長する
一昨年は2月17日に来たときにすでにほとんど満開だったのだが、今年は2月28日でも下の方は見頃を迎えているが、上の方はちらほらとしか咲いていない。全体としても5分咲きといった感じだ。少し登ってから振り返ると松田の町の向こうに小田原方面の海が見える。
2月も終わる頃になってやっと暖かい日が続くようになってきて、遅れていた梅や河津桜の開花が伝えられるようになってきた。例年だと2月の中旬に見頃を迎えていた松田の河津桜を見にいった。いつもだと小田急の沿線から行くので小田急の松田駅を利用するのだが、今回は東海
少し暖かくなって梅の開花が進みました。今日は梅の木にメジロが何羽かやってきて蜜を吸っていました。
ガス橋を過ぎるとすぐ次の橋が見えてくる。今度はつくばエクスプレスの鉄橋である。三郷中央と南流山の間にかかる橋で、長さは418m、2003年につくばエクスプレスの開業に合わせてできた。つくばエクスプレスは南流山では武蔵野線と交差するため地下駅になっている。
2月14日に、気象協会が横浜地方で白梅が開花したと発表した。昨年より13日遅いそうだ。昨年は2月4日に春一番が吹いたりして2月の初めも結構暖かかったが、今年は寒い。いたち川沿いの木々もまだほとんど花を咲かせていない。それでも我が家に近い瀬上沢にある梅の木もやっ
武蔵野線の鉄橋を後にするとすぐに休憩所があった。江戸川サイクリングロードとしては初めての自転車用休憩所だ。トイレとベンチの他に自転車用のスタンドもあり、何人かのサイクリストが休んでいた。ベンチはアーチ状の柱に囲まれていてカボチャを思わせる。しばらく休憩し
流山橋を渡って右岸についた。ちょうど武蔵野線が鉄橋を渡ってやってくる。鉄橋の下をくぐって三郷側を走る。振り返ると今度は貨物列車がやってきた。JR武蔵野線はもともと貨物線として建設されたもので、現在では京葉線に乗り入れて「外環状線」として客車がたくさん走って
流山の市内をゆっくり走ってから川沿いの道に戻ると流山橋であった。出発してもう2時間近くたつのにまだ4つめの橋である。1935(昭和10)年に初代の橋ができて、現在の橋は1965年(昭和40)年にかけ替えられた2代目である。すでに57年目になる古い橋で前にも述べたように
富士塚に登ったあと、流鉄流山線の流山駅に寄ってみた。この時にはピンクの「さくら」号が入線していた。前に来たときに乗ったのは黄色い「なのはな」号だった。
このあたりは橋ばかりでなく、堤防の工事も行われていて、流山市が近づくと堤防上の道は工事関係の車の通行のため自転車は通行禁止になってしまった。向こう側に次の流山橋が見えている。 流山の市内に寄って見たかったので川沿いの道を離れて町中の道を通っていると浅間神
常磐道の橋をくぐるとすぐに新しい橋の工事現場にさしかかった。前にも書いたように、この上流の玉葉橋から下流の流山橋までの7km以上の間に一般道の橋がなく、このあたりはつくばエクスプレスの開通によって急速に人口が増えたので新しい橋をかけているのだそうである。「
アルファリンク流山を過ぎると、向こうに高速道路の橋が見えてくる。常磐自動車道江戸川橋である。自転車道は橋の下をくぐる。このすぐ左側に常磐道流山インターチェンジがある。これもこの近くに物流センターをつくる要因なのであろう。昔は水運が物流の要だったのだが、そ
利根運河を過ぎてしばらく行くと左手の田園地帯の中に巨大なクレーンがたくさん立ち並んで工事をしている。高架の道路とその周辺に巨大な施設を建設中のようである。後で調べてみるとこれはDPL流山という施設の工事の一環のようである。DPLとは大和ハウスが2013年から進めて
玉葉橋から1kmほど下ると、水路がほぼ直角に合流してくる。利根運河である。江戸時代の利根川の流路の変更で利根川は東に向かい銚子で太平洋に注ぐようになった。その結果東北の太平洋側から江戸に向かうのに,房総半島を回って東京湾から江戸に向かうのではなく、銚子から
今回は左岸の堤防上のサイクリングロードを行く。海から37.5kmの標識があった。がんばれば今日中に河口まで行ける距離ではあるが、体力も衰えているし、いろいろ寄り道しているとなかなか進まない。4kmほど走って玉葉橋についた。玉葉橋とはなかなかよさそうな名前だと思
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このブログの最初の投稿が2012年8月19日なので,まもなく10年を迎える。そこで、10周年記念企画として「自転車日本縦断の旅」で訪れた駅を紹介しようと思う。1回目は、出発の地の西大山である。2013年3月20日の13時40分頃に、日本最南端の駅西大山についた。ここから「日本縦
今回いろいろと心配なことはあったけど、2日間で140kmを走りきって何とか目的地に着くことができた。これで「自転車日本縦断の旅」はめでたくゴールしたことにしたい。 今回の走行距離2日目:7月1日 恩根内→音威子府→天塩中川→雄信内 70.36km3日目:7月2日
5日目、朝6時前に宿を出て、駅まで数百メートル自転車で走り,駅前で車輪を外して輪行袋に詰める。稚内駅6時36分発のサロベツ2号で南に向かう。稚内駅は道北では圧倒的に大きな駅で、駅舎も立派で人もたくさんいるのだけど、線路は1本だけでホームも一つだけの「1面1線」
野寒布岬からは向かい風にめげながら稚内市街地に戻ってきた。駅の北側で海辺に出ると稚内港北防波堤ドームがある。昔はここから樺太に向かう船が出ていた。今日の宿はこの防波堤の前の広場に最近建ったバブリーなビルのホテルである。今回の旅で初めて見る高層建築である
最北端の鉄道の駅に到達したので,次は自転車でいける最北端である。本当の最北端宗谷岬にはすでにバスで到達したので、稚内半島の先端である野寒布岬を目指す。出発点も自転車で行きやすい長崎鼻だったので,終着点も自転車で行きやすい野寒布岬でちょうど釣り合いがとれ
あと少しでゴールに着く所で他に用事ができてブログを書かないでいたら体調を崩してそのまま放置することになってしまった。復調したのでとにかくケリをつけておきたい。 4日目の7月3日、宗谷岬からバスで南稚内まで戻り、宿に駐めてあった自転車をとって稚内駅に向かっ
2日間で南稚内まで来たので3日目は稚内に行くだけである。その前に最北端の地宗谷岬に行くことにした。宿に自転車を置いて近くの停留所から路線バスの音威子府行きに乗る。音威子府駅で見た稚内行きの反対コースである。 バスには10人ほど乗っておりほとんどが宗谷岬で
道道256号で幌延の市街地にやってきたので豊富方面に行くためには国道40号に戻らなければならない。国道40号は幌延の近くから「豊富バイパス」という自動車専用道が分かれて山越えで北に進むので一般道は一度大きく西に迂回している。ここへ向かう道がなかなか困難な道であっ
南幌延駅を後にしてさらに北に進むと10分ほどで上幌延駅の跡に着いた。前にも書いたように昨年の3月で宗谷本線の駅がたくさん廃止されてしまった。そのうちの一つが上幌延駅である。道と地続きのホームに貨車の車輌の駅舎が置いてある「ダルマ駅」だったのだが今は駅標も外さ
7月2日、朝5時前に起きて出発の準備をする。さすがに寝不足だが幸いまだ体は痛くなっていない。60を過ぎた頃から筋肉痛が出るのは3日以上たってからなので、今回もそれまでに走りきってしまう覚悟だ。 南稚内5:25発の始発名寄行きに乗る。この日は記念入場券の発売日だっ
雄信内発18:11の各駅停車の最終列車は南稚内には19:44につく。やってきた列車には乗客が一人いたけど、幌延駅で下車してしまい、そのあとは貸し切りだった。豊富駅を出てしばらく行くと列車は北西に向きを変え、左前方に鮮やかな夕日が見えてきた。今は夏至から一週間ほど
約20km先の雄信内(おのっぷない)駅で18:12の稚内行きに乗るので3時間弱ある。道も平坦なので以前だったら楽勝なのだが、何せ加齢による体力低下は否めない。今日はすでに50km走っているのでどこかで足をつるかもしれないし,疲れで気力がなくなってしまうかも知れない。
佐久から天塩中川までは右岸を通る道道541号線を走った。はじめは佐久の集落の間を進み、その後鉄道に沿って林の間を抜けてゆく。地形に合わせて曲がり、何度か踏みきりで線路を渡る。きれいに舗装された道だったが中川の駅近くに着くまで一台も車に出会わなかった。後半は
「北海道命名の地」を後にしてしばらく行くと音威子府村と中川町の境についた。中川町のカントリーサインには首長竜とアンモナイトが描かれている。後で調べてみると、このあたりは明治時代からアンモナイトの化石が発見さていた所で、1974年に首長竜の化石も発見されたとの
音威子府から佐久までの間、天塩川は西に向かっている。地形に沿って何回も蛇行しながら険しい谷を刻んで流れている。国道40号線もこの川の流れに沿ってくねくくねと曲がりながら進んでゆく。途中それなりのアップダウンもあり、20kmくらい人里を通らないので、今日の行程の
天塩川温泉入り口から音威子府にかけては下り基調の道でホッとする。10分ほどで咲来(さっくる)駅への分岐があった。寄って見ようかと思って曲がってみたけど結構遠そうなので、踏切からはるかに駅を望んで引き返した。サックルとはアイヌ語で「夏の道」という意味だそう
前回、最終日の目的地は天塩川温泉駅で、美深の宿からは15kmほどの距離だった。列車の時間まで2時間ほど見て出発すれば行けないことはなかった。しかしこの間にはかなり登り坂があり、だいぶ疲れていたのでその前の駅である恩根内でリタイアしてしまったのである。今の体力と
昨日、稚内から列車を乗り継いで無事帰って来た。今回の旅を順番に振り返って見ることにしたい。 いろいろと心配なことはあったけど、結果としてはほぼ6月24日に書いた当初の予定通りに進んで3つのゴール、最北端の地「宗谷岬」,最北端の駅「稚内」、自転車で到達した最
稚内からサロベツ2号に乗って家に向かいます。ホテルから稚内駅まで自転車に乗り、輪行袋に入れました。夏の間はピンク色のハマナス編成が来るようです。最後尾に自由席を一両増結していましたが途中の駅でホーム長が足りずドアが開かないようでした。
7月3日(日)頑張って2日で南稚内まで来たので3日目は稚内と宗谷岬を目指す。片道30kmの道のりを自転車でゆくのは諦めて路線バスで行くことにした。9時45分に南稚内をでて45分ほどで宗谷岬に着いた。2013年3月20日に薩摩半島の南端長崎鼻を出てから9年と3ヶ月、これでひ
左岸をしばらくゆくと常磐線の鉄橋の下をくぐった先に「小堀の渡し」というのぼりが立っていて船が係留されていた。面白そうだけど誰もいない。左岸はこの先で小貝川が合流してくるので大回りになりそうだ。結局国道6号線の大利根橋まで戻って右岸に渡ることにした。だいぶ
利根川を下る旅の3回目は、だいぶ暖かくなってきた2月28日(金)、成田方面を目指した。前回は川から離れて終わってしまって、右岸はゴルフ場が邪魔しているので、柏たなかの対岸の守谷まで輪行し左岸を川沿いに少し戻って、前回迷ったゴルフ場の対岸から始めることにした。
加須未来館を出て15分くらい走ると東武日光線の利根川橋梁が見えてきた。背景に筑波山が見えている。利根川はこの先で北から来る渡良瀬川と合流する。合流した後すぐに今度は南へ流れる江戸川と東へ流れる利根川とに分かれる。右岸は江戸川になってしまうので新利根川橋で左
出発するとすぐ、国道122号線の昭和橋についた。川の近くに「道の駅はにゅう」があり、一休みして途中で買ってきたパンを食べて昼食にした。 道の駅の川沿いに「川俣締切址」の碑があった。江戸時代より前の古利根川はこのあたりで、主流である南に流れる「会の川」と幹流
2回目は、年が明けて2014年1月19日(日)。前回の続きで、利根大堰から渡良瀬川との合流地点を経て千葉県を目指した。 前回の終点である利根大堰へは、東武伊勢崎線の羽生から利根川を渡った先の川俣からの方が近そうにも見えたが、それよりも羽生から秩父鉄道に乗ると、武
11月の末は日の入りが早い。明るいうちに目的地に着きたいと思っていたのだけど、4時半にはやっと向こうに利根大堰(武蔵大橋)が見えてきた。あたりはすっかり夕暮れの風情である。16時43分、利根大堰のたもとに着いた。今回はここを終点にしたい。利根大堰は、埼玉の穀倉
出発してから1時間半、30km近く走って斉田休憩所で一休み。他にも自転車に乗った人たちが結構休んでいた。斉田休憩所からさらに30分ほど下った五料橋で左岸に渡る。右岸はその先で烏川が合流してくるため堤防上の道が一度なくなってしまうようだ。その先坂東大橋までは左岸
利根川サイクリングロードを走った4回のうち3回は寒い季節である。関東地方の冬は強い北西風が吹くので自転車の走行には向かない。しかし関東地方を流れる利根川、荒川、鬼怒川、江戸川などはみんな北(西)から南(東)に向かって流れるので、これらの川を下る道は冬は追
大正橋から入った所はこんな感じである。なかなか走りやすそうな道に見えた。このあたりの河原には大きな石がゴロゴロしていて、さすがに大河の上流という感じがした。15分ほどで5km近く下って、最初の大きな橋である板東橋の所まで来た。
まず1回目、2013年11月24日(日)朝7時前に家を出て、湘南新宿線と高崎線アーバン快速を乗り継いで、10時56分に渋川に着いた。自転車を組み立てて、駅前から国道17号を通り、大正橋で川沿いのサイクリングロードにはいる。
夏も本番になり、毎日暑い日が続いている。本来、日本縦断の旅のゴールを目指して準備中のはずだったのに、首都圏も北海道もコロナ禍の勢いが止まらず、暢気にサイクリングに出かけるのは難しい。昨年はそれでも近場に出かけていたのだけど、今年は近場が危険な状況なので、
7月11日の日曜日早起きして古代バスの花を見にいった。大船から上野東京ライン高崎行き一本で行田に着いたのが9時40分。駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りた。赤いクロスバイクで結構ハンドルが低くスピードが出そうな自転車だった。古代バスの里までは自動車道路を7
今回は千葉県佐原で自転車を借りて、目的地の多くは茨城県潮来市だった。レンタサイクルはママチャリだけど電動アシストのおかげで楽ちんであった。佐原駅→二本松寺 約12km二本松寺→潮来あやめ園 約5km潮来あやめ園→水郷佐原あやめ園 約4km水郷佐原あやめ園→佐原駅
あやめパークを出た後、目の前にある「千葉県立中央博物館大利根分館」に寄った。利根川の歴史の展示を見て、午後3時頃佐原駅に向かう。田んぼのわきの水路に沿ってまっすぐな道が続いている。観光案内所に自転車を返して4時少し前に佐原駅に戻ってきた。ちょうどこの時期
次に潮来大橋で北利根川を渡って、再び千葉県側の中州に戻り、水郷佐原あやめパークに行った。前に自転車を輪行して来たときは花が咲いていなかったのでリベンジである。今回は「あやめ祭り」の最中で人もたくさん出ていた。園内の水路をゆくお手軽な観光船に乗ってみた。
二本松寺から次は潮来駅の近くの水郷潮来あやめ園へ向かう。国道51号線を潮来方面へ向かい途中で利根川方面へ向かって降りる道に入って川沿いの道に沿って進むと30分ほどで着いた。さすがにシーズンの真っ最中なので、人が出ているが、それでもコロナウィルス騒ぎでかなり少
二本松寺のあじさいには、日頃見かけない珍しい種類のものが多かった。
北利根橋を渡って3kmほど内陸に進むと一つ目の目的地の二本松寺についた。近づくと「あじさいの杜」というのぼりが立っていて、田んぼの中の道を通ってたどりついた駐車場には車がたくさん止まっている。40000平方mの境内に100種類1万株のあじさいが咲き誇るそうで、6
梅雨入り間近の6月13日、水郷地方にあじさいと花菖蒲を見に行った。朝早く家を出て、横須賀線、総武線、成田線に乗って10:10頃佐原の駅に着いた。自転車を持ち運ぶのがだんだんかったるくなってきたので、今日は手ぶらでいって、駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りた。
筑波休憩所をでてしばらく行くと北条地区になる。ここから少し山側に登ると北条大池の近くに、奈良時代の郡の正倉といわれる平沢官衙(ひらさわかんが)の遺跡がある。建物がいくつか復元されていて興味深いがあまり行く人が多くないようで、りんりんロードの地図にも載って