大船フラワーセンターでは芍薬が見ごろを迎えている。春の花見シーズンが終わって一息ついているころボタンや芍薬が咲くのだけどついつい見逃してしまって、気が付くと牡丹園、芍薬園は葉っぱばかりになっていることが多い今回もボタンはもう花期を終えていたようだった。「
今回は歩いてでも行ける地元の名所に行ってみた。我が家の前を通る環状4号線(原宿六浦線)で六浦方面に行き、「八軒谷戸」というどこの田舎かと思わせる名前のバス停で降りると、西に向かって急な登り坂が続いている。その坂道を10分くらい登ると鎌倉カントリークラブのゴル
花菖蒲園は今が見頃で,たくさんの人で賑わっています。
4年前の11月に松戸にある本土寺に紅葉を見に行った。その時に結構広い菖蒲園があったので、また菖蒲の季節に行ってみたいと思っていた。本土寺のホームページには「六月上旬にはは花菖蒲が五千本、下旬に向けて十種類以上の紫陽花が境内中に咲き渡り、その数は五万本以上
清澄庭園にも花菖蒲園がある。大泉水を回り込んだ向こうに涼亭という建物があり、その向こう側に花菖蒲田が広がっている。そんなに規模は大きくないが、ちょうど見頃を迎えている。同じ都立の公園である小石川後楽園と「園結び」というわけである。
芭蕉稲荷から地下鉄の駅の方にもどり清澄庭園を目指した。清澄庭園は、大名の下屋敷だった一帯を三菱の創始者・岩崎彌太郎が買い取り、1891(明治24)年に社員の慰安や貴賓を招待するための庭園として開園した。回遊式庭園で、中央の池である「大泉水」の周りには、全国から
小石川後楽園でもらったパンフレットに「花菖蒲がむすぶ園結び」として清澄庭園が紹介されていたので帰りに寄ってみることにした。後楽園の西門を出て5分くらいで飯田橋の駅につく。長い通路を通って地下鉄大江戸線のホームに行き清澄白河まで行った。 清澄庭園は地下鉄の駅
池に沿って進んで行くと花菖蒲田が見えてくる。花菖蒲田の隣に光圀が造ったとされる稲田が1枚だけあり、ちょうど田植えが終わった所である。回り込んで背景を見ると後楽遊園地のジェットコースターが見えて、ときおりワーッという歓声があがっている。
小石川後楽園に行って花菖蒲を見てきました。水道橋の駅を降りると後楽園球場のドームが見え、ドームホテルが聳えています。交差点をわたって5分ほど歩くと小石川後楽園の入り口につきます。ビルのすぐそばに都心とは思えない静かな雰囲気が広がります。ちょうどバスで外国人
ボタンやシャクヤクは残念ながら花期が終わって葉が茂っている。ピクニックグラウンドでは中央のプラタナスの木が堂々と新緑に茂って立っている。春の花が咲き終わって今は花の乏しい季節にさしかかっている。藤棚の藤もすっかり豆になって垂れ下がっている。鉢で育てられて
バラ園に行く。バラのシーズンである。バラ園ではいつも花の多さに圧倒されて、何を写真に撮ったらよいのかわからなくなる。
久しぶりに大船フラワーセンターに行った。ボタンやシャクヤクの季節も終わり、花壇が夏仕様になって花の少ない時期を迎えている。入り口近くの盆栽コーナーであじさいの盆栽が迎えてくれた。すっかり葉が茂った梅林の下で様々なあじさいが咲き出している。花菖蒲にはまだ早
奥の方にいくと、小山にバラが咲き乱れていた。たくさんの人がバラの間に入って写真を撮っている。高島屋の包み紙のようなローズピンクのバラもあった。赤っぽい花が多い中で黄色いバラもひときわ目を惹く。
30分ほどで吹上会場を後にして吹上駅にもどる。次はバラ園のある川里会場に行ってみることにする。吹上駅から高崎線に乗って2つもどり鴻巣駅で、またシャトルバスを待つ。今度はずいぶん立派なバスがやってきた。バスに乗るとしばらくは鴻巣の町中を通る。結構渋滞していてな
19日の日曜日にこうのす花まつりに行ってきた。大船から上野東京ライン籠原行きに約2時間乗って吹上についた。この日は花まつり期間最後の日曜日なので駅前から荒川河川敷にある会場まで無料のシャトルバスがでている。鴻巣市市政70周年記念「こうのす花まつり」は3つの会場
武家屋敷を回った後お城の北門の近くでオムライスを食べた。オムレツの上にケチャップで「たけるふじ」と描かれていた。青森県五所川原の出身だからだろうか。せっかく新入幕優勝をしたのに今場所はけがで休場とは悲しい。 ゆっくりと休んであとは駅にレンタサイクルを返す
藤田記念庭園を後にして、次は弘前ねぷた村に行ってみた。東北地方の町ではその地域によって異なった「ねぶた」があるそうで、ここでは弘前ねぷたまつりに使われるねぷたの展示と津軽三味線の演奏などが行われている。駐車場に観光バスが何台も止まっていて御賑わいである。
禅林街を後にしてお城の方に戻ると広い通りに突き当たったところに藤田記念庭園がある。ここは弘前市が市制100周年を記念して平成3年7月に開園した日本庭園で、もともと、日本商工会議所初代会頭藤田謙一氏が東京から庭師を招いてつくらせた江戸風な景趣の庭園である。広々と
禅林街の坂道を下ると一番奥に津軽家の菩提寺である長勝寺がある。重要文化財の立派な山門が出迎えてくれる。中は静かな佇まいで、弘前公園の人出が嘘のように人がいない。女の人が一人で草むしりをしていた。長勝寺の右手に広場があって、戦没者の供養塔が建っていた。その
翌日はまたレンタサイクルを借りて、弘前市内を回った。まず、宿に近い弘南鉄道の中央弘前駅に行ってみた。ホームには普通列車が止まっていて、ホーム上ではこけしが出迎えている。しばらく進むと五重塔が目立つ最勝院についた。境内はいろいろな花が咲いていて風情のあるお
夕暮れも近いのでレンタサイクルを返して一度宿に戻り、6時頃にもう一度弘前公園にやってきた。桜のライトアップを見ようと思う。東門の所までバスでやってきてた。今日一日分の花びらがお堀の縁にたまっている。東門の前にかがり火がたかれているが、本物の火ではないようで
天守台付近は有料ゾーンである。料金を払って中に入る。天守台は現在石垣の積み直し中で、本来この上に乗っかっていた天守の建物は「曳家」によって解体せずに70mほど内側に移動している。それでも現在も天守の内部は公開中である。
東門を入って本丸の方へ向かうと、東内門の前のところに中濠遊覧船の乗り場がある。前週末はすごい人出だったと思うが、今は盛りを過ぎているのであまり行列はできていなかった。15人ほど乗せて内濠の中をゆっくり進んでゆく。途中、南門の方にかかる杉の大橋の下をくぐる。
ちょっとたってしまったが4月に弘前桜まつりに行ってきたので報告しておく。昨年、北上展勝地と角館には行ったのだが、弘前は開花時期が会わずに行けなかったので、今年は弘前の開花時期に会わせて宿を予約した。しかし今年は昨年に比べ東京地方では10日以上開花が遅く今度は
小田原高校の前の坂を下って線路の方に戻る。狭い道と階段をぬけてゆくと小田原城天守閣が見えてくる。新幹線のトンネルの上を通り、東海道線の上を橋で渡るとお城の北側に出る。現存天守は1960年建造のコンクリート製で、近くなので何度か来たことはあるが、2016年に修理さ
まわりは林になっているので歩いているとわからないが地図で見ると、城山の跡は陸上競技場になっていてそのまわりを進んでいるようである。しばらくゆくと林の間に城山公園が見えてきて、戦没者の慰霊塔があった。さらに進むとテニスコートの前の駐車場のまわりに桜が植えら
城山に登る途中で家の切れ目から遠く天守と海を望むところがあった。しばらく進んでゆくと、「山ノ神堀切跡」というところを通った。大きな堀切の跡が残っている。
ことしの関東の花見の最後に小田原城に行ってみました。小田原駅で降りてまず北側の城山に登りました。家が立ち並ぶ急な坂道をのぼってゆくとところどころに「白秋童謡の散歩道」という看板が立っていて白秋の童謡が掲示されています。さらに10分ほど歩くと、「総構」の看板
上ノ池の左手の丘の上に登って少し休憩する。丘の上には様々種類の木が植えられている。カエデの新緑が目にまぶしかった。丘を下ると「水の広場」でこのあたりにはテントを張ってデイキャンプをしている人たちもいた。石で組んだ池の噴水があるのだけど残念ながら水は出てい
日曜日に三ツ池公園の桜を見にいった。鶴見駅からバスで20分ほど、三ツ池公園正門というバス停で降りるとすぐ目の前、すでに多くの花見客で賑わっている。入り口の所の地図を見て回り方を考える。池に沿って時計回りに歩き、地図の左上⑲番の「花の広場」を目指すことにする
急に暖かくなって桜の開花がいっぺんに進んだ。東京はもう満開だそうだ。虻名公園の桜も見頃を迎えている。
暖かい日が続いて東京地方の桜が開花した。今年は千鳥ヶ淵の桜を見にいった。まだ二分から五分咲き程度だったけど外人さんを含めて多くの人で賑わっていた。
天気がよく暖かくなったのでフラワーセンターに行きました。アーモンドの花が咲いていました。見かけは桜に似ています。ソメイヨシノは開花寸前でしたがその他のいろいろな花が咲いていました。これは子福桜というらしいです。いろいろな鳥が花に集まってさえずっていました
29日に東京の桜開花が発表されました。我が家近くの虻名公園の桜も5輪以上咲いていました。ちなみに去年は3月15日でした。
河津桜とスカイツリーの写真が撮れると評判なのはもう少し下流の江東新橋近くの川沿いのようだ。旧中川に沿ってぶらぶらと歩いてゆく。途中で犬を散歩させている人や自転車に乗った人とすれ違う。30分くらい歩くと前方に江東新橋が見えてきた。 江東新橋を渡って堤防上に降
そろそろ河津桜が見頃の時期になった。このごろ毎年のように松田西平畑公園や三浦海岸に行っているので違うところを探していたら、旧中川に近頃植えた河津桜が見頃だというので行ってみた。 総武線を平井駅で降りて東に数百メートルいくと荒川につきあたる。土手を上って何
大船フラワーセンターの梅も早咲きのものは見頃を迎えている。
今年は梅の花の開花が早く1月の中頃に開花していた。我が家から坂を下った下のいたち川の土手に梅の木が植えられていて毎年マスコミで発表される開会時期と同じ頃に咲くので、勝手にこの地域の標準木にしている。その木も三分咲きほどになりそろそろ見頃を迎えている。
箕輪城の帰りに高崎駅までバスで戻り、少し時間があったので駅から歩いて15分ほどのところにある円筒分水堰に行ってみた。円筒分水堰とは、用水を円周の比率によって分ける仕組みである。昨年行った魚津の円筒分水槽が「日本で一番美しい円筒分水槽」と言われているが「治水
林の中を下ってゆくと虎韜(ことう)門跡に出た。城の西側にあたり搦手口の反対側になる。虎韜とは兵法書の名からとったものでいわゆる「虎の巻」である。井伊直政の命名によるという。虎韜門から少し南に向かうと大堀切の下に出る。城を南北に分断するように深い堀があった
本丸跡を眺めながら駅で買ったおにぎりを食べて昼食にする。ここにはいったいどのような「お城」が建っていたのだろうかと思いながらしばし休憩する。広い城山にひとりぼっちでここまで工事関係者を含めて誰にも会わなかった。本丸跡の西側の堀に向かい側の蔵屋敷に通じる木
高台に登ると、左側に御前曲輪跡がある。説明文によれば、城の精神的中心であり、落城の際城主がここで自刃したと伝えられる、とあるがどんな建物が建っていたのかよくわからない。昭和2年に発掘された井戸が復元されていた。御前曲輪に隣接して大きな広場があり、一部にブ
しばらく歩いてゆくと、やがて「丸馬出」の標識があるところについた。今は広場になっているだけでどこがどのように馬出なのかよくわからない。ここが箕輪城のいちばん北の外れになるようだ。丸馬出からお城の内部に向かう。お堀の中だろうか、くぼんだところを落ち葉を踏み
図書館で「関東一円古城址ハイキング」という本を借りてきた。手軽に行けそうなところを探してみると、高崎駅からバスで行ける箕輪城があったので行ってみた。箕輪城は、1510年頃長野氏によって榛名山の南東の尾根の端に建てられた城で、武田信玄の猛攻に7年間耐えた城として
黒木書院を出ると別の行列があった。普段は公開されていない西南櫓の特別公開の列だった。名古屋城には江戸初期に建てられた三つの隅櫓が残っておりいずれも重要文化財に指定されている。普段は非公開だがお正月で公開されていた。重要文化財なので一度に入れる人数が制限さ
上洛殿から廊下でつながっている湯殿書院と黒木書院は別拝観になっている。こちらは15分に一回人数を限って拝観するようなのでその列に並んだ。幸い1回15分待ちの列に入れたのですぐに順番が来た。 湯殿書院とはその名の通り風呂場である。この時代の風呂はまだ湯船がなく、
本丸御殿の玄関の前に着く。玄関といっても、一之間・二之間のあわせて46畳もの広さからなり、一之間には虎の障壁画もある。玄関から進むと表書院である。謁見に使われた場所であり、全部で120畳ほどもある5つの部屋からなっている。表書院から一度外の廊下に出る。次の建物
名古屋城に行った。名古屋城は徳川家康が建てさせた尾張藩のお城で、廃城令を免れて1945年まで現存していた。1945年の空襲で焼失し、1959年に天守がコンクリート造りで復元された。昔名古屋に住んでいた頃何度か行ったことがある。最近になって2009年から本丸御殿の木造復
さらにしばらく歩くと笹尾山入り口につく。笹で覆われた小高い山の手前に木組みの馬防柵が組まれていて、「笹尾山入り口」の看板がある。階段を5分ほど登ってゆくと開けた所に出る。三成の紋の入った幕がかかっている展望台があった。展望台に上ってみると関ヶ原の開けた地形
連休に関ヶ原に行った。名古屋から車で関ヶ原を目指した。名古屋の都市高速から一宮ICで名神に入り関ヶ原ICで降りる。名古屋は快晴だが関ヶ原は山の隙間から流れ出る雲に覆われている。「関ヶ原」と名のつくところをカーナビに適当に入れたら関ヶ原ウォーランドという所に案
宇都宮LRTに乗ってきました。宇都宮駅東口のペデストリアンデッキを進むとLRT乗り場の標識がある。エスカレーターを降りると駐まっている車輌の屋根が見える。路面電車といってもパンダグラフがついている。結構乗る人が並んでいる。写真を撮ってから最後に乗ったらほとんど
今年もよろしくお願いします。
冬の植物園を堪能して最後は温室である。温室の前には「カリヨン」があって毎時間ごとに鐘をならしている。この時は「もみの木」の演奏であった。温室の中は季節知らずの南方の植物が茂っている。大きなシダのこぶしのような芽は何度見ても不思議な気持ちにさせられる。こん
気候のよいときにはこども達でにぎわっている中央芝生広場にも人影はなく、パンパスグラスが寒い季節の彩りになっている。樹々も葉を落として、褐色の枝振りが青い空を背景に映えている。小さな黄色い柑橘系の実をいっぱいつけている木があった。何かなと思って名札を見ると
冬の植物園に行ってみた。三鷹駅からバスに乗って青渭神社前で降りた。神代植物園に付属するような感じで神社が建っている。神社はすっかり初詣モードになっている。今年も一年無事に過ごせたことに感謝してお礼を言い、神社のわきの道を進むと3分ほどで植物園の深大寺口につ
広い道まで戻ってきたところの角に「大石邸跡」がある。忠臣蔵で有名な大石内蔵助の祖父は笠間の出身で浅野家もかつては笠間藩主であったのだという。今は遺構は残っていないが大石内蔵助の像が建っている。大石邸跡から5分くらい行くと真浄寺というお寺があり、笠間城八幡台
本丸跡から少し登った高台に八幡平櫓跡の碑がたっている。ここに建っていたという櫓が廃城の時に払い下げられて近くのお寺に移築されているという。後で行ってみようと思う。城跡からは山道を通って山麓公園から稲荷方面に通じる道がある。徒歩できたのだったら行ってみた
本丸広場にでる直前に石垣の遺構が残っていた。この坂を登り切ると本丸広場に出た。良い天気だったので広々として気持ちがいい。残念ながらここが城跡であることを思わせるような遺構は残っていない。石碑がいくつかたっているだけである。本丸広場から一度下って向かいの丘
笠間稲荷から笠間城跡のある佐白山に向かった。大石邸跡の横を曲がると急坂が始まる。しばらく行くと笠間つつじ公園の入り口があり、そこを右に曲がるとさらに急坂になる。時間にすれば10分くらいの間だが電動アシストの力を借りてもなかなかしんどくてめげそうになる。
12月21日(木)笠間城に行ってみた。上野東京ラインで小山まで行き、水戸線に乗り換えて笠間駅に向かう。冬型の気圧配置の良い天気で、途中鬼怒川を渡ったあたりから右手に筑波山がよく見えてくる。笠間駅の案内所でレンタサイクルを借りて駅前の通りを2kmほど行くと笠間稲荷が
博物館の近くで一乗谷川が分岐し、この谷に沿って朝倉氏の城下町の遺跡がある。遺跡をめぐりながら復元街並みまでゆく遊歩道が整備されているので歩いて見た。復元街並みや義景邸跡などのあるところまで2kmほどである。まず越美北線の線路を渡る。中央奥に見えているのが一
2日目は福井周辺で、一乗谷朝倉氏遺跡と永平寺に行く。これと恐竜博物館に行ければ福井周辺観光地めぐりだったけどちょっと時間的に難しい。体力も持たない感じだ。 一乗谷は、福井市から10kmほどの足羽川の支流沿いにある越前朝倉氏の城下町の跡で、「麒麟が来る」で光秀が
金沢駅からいよいよ北陸線の特急に乗る。金沢8:48発のしらさぎ56号で福井まで行った。福井駅の西口の壁からは恐竜が飛び出してくる。東口の方は新幹線の開業に向けて工事中である。まだがらんとしているがかなり立派な構えになるようである。
朝早く起きてホテルのおまけの朝食を食べる。新幹線駅前のビジネスホテルだからサラリーマン風の人ばかりが忙しそうに食事をしてさっさと出て行く。新高岡8:00発のつるぎ707号に乗って金沢に向かう。新高岡の新幹線駅は城端線と比べて大きくて立派である。駅の広々としたコン
高岡古城公園から駅方面に戻る途中に高岡大仏がある。高岡大仏は現存するものは3代目で1933年に完成したという。初代は1221年、2代目は1745年に造られたとされる木造のものでいずれも焼失している。現在のものは青銅製の阿弥陀如来座像で、高岡銅器の職人の技術の結晶とされ
魚津駅から旧北陸線であるあいの風とやま鉄道に乗って高岡まで行った。高岡は「日本縦断の旅」で通ったときは倶利伽羅峠越えから富山へ向かう途中だったので国宝瑞龍寺を急いで見ただけで通り過ぎたので是非もう一度来てみたかった。それで駅でレンタサイクルを借りて町の中
東山円筒分水槽から駅の方面に戻る途中片貝川を東山橋で渡った。このあたりの川は高い山から流れ出してすぐに海に注いでしまうので急流が多い。駅の近くまで戻り、線路の下をくぐって海辺の方に出ると埋没林博物館がある。埋没林とは、約2,000年前片貝川の氾濫によって流れ出
やってきた富山行きの電車は昔東急で使われていた17480系という車輌で2両編成であった。座席は半分くらい埋まっていた。途中、電鉄黒部駅で長く停車したので降りて写真を撮った。4つ扉の中二つを潰して沿線風景がラッピングされている。新黒部駅から魚津駅まで530円。魚津駅
来年の3月に北陸新幹線は敦賀まで延伸される。それに伴って並行する在来線(北陸線)の金沢→敦賀間が第三セクター化され、そこを走っていた「しらさぎ」や「サンダーバード」などの特急も(その区間は)廃止される。そこでまだたくさんの特急が走っているうちに乗りに行
飯岡橋を渡ると、旧美作飯岡駅が見えてくる。サイクリングコースの本流ではないので整備されておらず朽ち果てそうなホームの跡が痛々しい感じである。サイクリングコースはこのあたりは広い県道の歩道上につくられていて起伏のある道を3kmほど進むと向こうに柵原鉱山資料館が
片上鉄道の跡はここから周匝の町中に向かっているが、サイクリングロードは旧鉄道跡ではなく吉井川の堤防上につくられている。旧鉄道沿いに町中へ向かうと周匝駅跡や、キャットアイ(自転車用品のメーカー:サイクルメーターや自転車用ライトでお世話になっている)の工場が
「ブログリーダー」を活用して、としちゃんさんをフォローしませんか?
大船フラワーセンターでは芍薬が見ごろを迎えている。春の花見シーズンが終わって一息ついているころボタンや芍薬が咲くのだけどついつい見逃してしまって、気が付くと牡丹園、芍薬園は葉っぱばかりになっていることが多い今回もボタンはもう花期を終えていたようだった。「
昭和記念公園原っぱ西花畑ではネモフィラが見ごろを迎えていた。御本家?ひたち海浜公園のスケールには及ばないけど結構広い範囲にネモフィラが植えられていて人がたくさん出ていた。
久しぶりに昭和記念公園に行った。こもれびの丘はポピーとカスミソウがいっぱいの季節である。カスミソウの小さな白い花と、ポピーの赤い大きな花の対照が美しい。
平和観音像から見下ろすと一面にツツジが植えられている。ツツジの間の小道に沿って斜面を降りてゆく。ピンクから薄紫の色の花が咲きそろっているが赤い系統のものがまだなのでちょっと派手さが足りない気がする。下りきって見上げるとこんな感じである。もう一週間くらいた
「大人の塗り絵」の本の日本の美しい風景の中に出てくる「塩船観音寺のツツジ」を見に行ってきた。お寺の背後の斜面にツツジの丸いかたまりが点々と並んで夢のような景色に思えて一度行ってみたかった。青梅線の河辺駅で降りると駅前のバス停に人が並んでいた。すぐに来たバ
観光案内所でもらった地図を見て大洲市内を自転車で回ってみた。まず、お城の裏手の肱川沿いに出て川の方からお城を見てみる。肱川ではカヌーの練習をしている人たちがいた。次に川沿いの道を走って大洲赤煉瓦館にやってきた。明治34年に建てられた旧大洲商業銀行の建物で今
松山から次は宇和島を目指すが途中、大洲に寄ることにした。松山を13:30発の宇和海15号に乗って大洲駅で降りる。駅の観光案内所で地図をもらい自転車を借りた。駅から2kmほどで、肱川を渡るとすぐに大洲城の下の広場に着いた。ここでも桜が満開で結構人が出ている。坂道を登
松山駅は新駅を作っていて一応昨年の9月に新しいホームでの営業を開始したのだが、まだ旧駅の遺構が残っていて工事中であった。市電などが通っている東側には旧駅の駅標が残っている。しかし、この建物はもう使われておらず、中に入ると仮の通路が続いていて旧ホームの撤去
一の門、二の門、三の門と通ってやっと天守入口に着いた。姫路城に登るときにも感じたが、国宝の歴史的建造物にこんなに無造作にあがっていいものだろうかと思う。今回2つめの現存天守登城である。小天守越しに松山の町が見える。松山は人口51万6千人で四国第一の都会である
石垣の間をくねくねと登る。各所に説明看板があって、みんな見ているとなかなか先に進まずそれだけで疲れてしまう。まだ、本丸は見えない。立派な現存天守の顔を見ないうちにぜいぜい言っている。 それでも隠門をくぐってさらに上ると最後の門である太鼓門が見えてくる。
ロープウェイを降りると早速石垣が見えてくる。少しのぼると待合番所跡というところにつく。看板の説明文によれば、ここは登ってきた東雲口からの登城道と大手門方面からの登城道との接点で番所があったという。ここから石垣の間の狭い道を上って本丸方面を目指す。この突き
松山城という名のお城はいくつかある。これから行く伊予松山城が一番有名だが、「天空の城」として知られる「備中松山城」をはじめとして全国に10くらいあるらしい。 道後公園前から市電に乗り、警察署前で降りる。地図で見るとここがロープウェイ乗り場に最も近い。ビル
道後温泉から歩いてすぐのところに道後公園がある。道後公園は湯築城跡につくられた公園で、堀や土塁などの遺構が残っている。松山城に行く前に湯築城跡を見ることにした。湯築城は中世伊予の国の守護であった河野氏のお城で、1585年の秀吉の四国攻めによって小早川隆景に
バスで今治駅まで戻り今治駅からしおかぜ17号に乗って松山まで行った。せっかく松山まで来たのだから道後温泉に泊まってみようと思って道後温泉に宿をとった。松山駅から市電に乗って道後温泉駅までいく。宿に荷物をおいて温泉街を歩いてみた。宿にも大きなお風呂があるの
早速、天守に登城した。コンクリート製なので立派な階段があるが、エレベーターはついていなかった。6階建てで各階が資料館になっており、2階には自然科学展示まである。上に登ると瀬戸内海の眺望が開ける。自転車で2度渡ったしまなみ海道の来島海峡大橋も見える。天守を
初日から二つの城に登城し、万歩計もとっくに一万歩を超えて、体力も限界に近かったが、松山に着く前にもうひとつ今治城による予定だった。丸亀駅からしおかぜ13号に乗り、一時間半ほどかけて今治駅に着いた。2009年に来たときは今治駅からバスで糸山公園まで行き、サンライ
現存天守は基本的にバリアフリーなどということは考えらえていないので、階数分の急な木の階段をのぼらないと天守の上につかない。丸亀城は3層だから大したことないけど姫路城や松江城などもう降りてこられないんじゃないかと思うこともあった。 でも天守はその地域の最
呼吸を整えていよいよ登山である。最初からものすごい急坂でめげる。昔の武士は強健であったのだつくづく思う。年をとると上り坂は急激に消耗するのでゆっくりのぼる。すぐに高い石垣が見えてくる。10分ほどで三の丸の広場についた。一休みである。三の丸広場からはきれいな
高松駅から予讃線に乗って一日目は松山まで行く。今回の主な目的地は松山城と宇和島城であるが、その前に丸亀城にも寄りたい。高松駅から特急いしづちに乗って丸亀駅まで行く。大した距離ではないので特急料金がもったいないが、地方の幹線鉄道は特急は一時間に一本あるが各
披雲閣のお庭を通って北側にいくと月見櫓が見えてくる。こちらが現在のお城の北東側にあたる。かつてはこの北側はすぐ海になっていたらしい。月見櫓の南側に水手御門という門があって、ここから直接海に漕ぎ出すことができたという。今は広い道が通っていて海は50mくらい向
今回は歩いてでも行ける地元の名所に行ってみた。我が家の前を通る環状4号線(原宿六浦線)で六浦方面に行き、「八軒谷戸」というどこの田舎かと思わせる名前のバス停で降りると、西に向かって急な登り坂が続いている。その坂道を10分くらい登ると鎌倉カントリークラブのゴル
花菖蒲園は今が見頃で,たくさんの人で賑わっています。
4年前の11月に松戸にある本土寺に紅葉を見に行った。その時に結構広い菖蒲園があったので、また菖蒲の季節に行ってみたいと思っていた。本土寺のホームページには「六月上旬にはは花菖蒲が五千本、下旬に向けて十種類以上の紫陽花が境内中に咲き渡り、その数は五万本以上
清澄庭園にも花菖蒲園がある。大泉水を回り込んだ向こうに涼亭という建物があり、その向こう側に花菖蒲田が広がっている。そんなに規模は大きくないが、ちょうど見頃を迎えている。同じ都立の公園である小石川後楽園と「園結び」というわけである。
芭蕉稲荷から地下鉄の駅の方にもどり清澄庭園を目指した。清澄庭園は、大名の下屋敷だった一帯を三菱の創始者・岩崎彌太郎が買い取り、1891(明治24)年に社員の慰安や貴賓を招待するための庭園として開園した。回遊式庭園で、中央の池である「大泉水」の周りには、全国から
小石川後楽園でもらったパンフレットに「花菖蒲がむすぶ園結び」として清澄庭園が紹介されていたので帰りに寄ってみることにした。後楽園の西門を出て5分くらいで飯田橋の駅につく。長い通路を通って地下鉄大江戸線のホームに行き清澄白河まで行った。 清澄庭園は地下鉄の駅
池に沿って進んで行くと花菖蒲田が見えてくる。花菖蒲田の隣に光圀が造ったとされる稲田が1枚だけあり、ちょうど田植えが終わった所である。回り込んで背景を見ると後楽遊園地のジェットコースターが見えて、ときおりワーッという歓声があがっている。
小石川後楽園に行って花菖蒲を見てきました。水道橋の駅を降りると後楽園球場のドームが見え、ドームホテルが聳えています。交差点をわたって5分ほど歩くと小石川後楽園の入り口につきます。ビルのすぐそばに都心とは思えない静かな雰囲気が広がります。ちょうどバスで外国人
ボタンやシャクヤクは残念ながら花期が終わって葉が茂っている。ピクニックグラウンドでは中央のプラタナスの木が堂々と新緑に茂って立っている。春の花が咲き終わって今は花の乏しい季節にさしかかっている。藤棚の藤もすっかり豆になって垂れ下がっている。鉢で育てられて
バラ園に行く。バラのシーズンである。バラ園ではいつも花の多さに圧倒されて、何を写真に撮ったらよいのかわからなくなる。
久しぶりに大船フラワーセンターに行った。ボタンやシャクヤクの季節も終わり、花壇が夏仕様になって花の少ない時期を迎えている。入り口近くの盆栽コーナーであじさいの盆栽が迎えてくれた。すっかり葉が茂った梅林の下で様々なあじさいが咲き出している。花菖蒲にはまだ早
奥の方にいくと、小山にバラが咲き乱れていた。たくさんの人がバラの間に入って写真を撮っている。高島屋の包み紙のようなローズピンクのバラもあった。赤っぽい花が多い中で黄色いバラもひときわ目を惹く。
30分ほどで吹上会場を後にして吹上駅にもどる。次はバラ園のある川里会場に行ってみることにする。吹上駅から高崎線に乗って2つもどり鴻巣駅で、またシャトルバスを待つ。今度はずいぶん立派なバスがやってきた。バスに乗るとしばらくは鴻巣の町中を通る。結構渋滞していてな
19日の日曜日にこうのす花まつりに行ってきた。大船から上野東京ライン籠原行きに約2時間乗って吹上についた。この日は花まつり期間最後の日曜日なので駅前から荒川河川敷にある会場まで無料のシャトルバスがでている。鴻巣市市政70周年記念「こうのす花まつり」は3つの会場
武家屋敷を回った後お城の北門の近くでオムライスを食べた。オムレツの上にケチャップで「たけるふじ」と描かれていた。青森県五所川原の出身だからだろうか。せっかく新入幕優勝をしたのに今場所はけがで休場とは悲しい。 ゆっくりと休んであとは駅にレンタサイクルを返す
藤田記念庭園を後にして、次は弘前ねぷた村に行ってみた。東北地方の町ではその地域によって異なった「ねぶた」があるそうで、ここでは弘前ねぷたまつりに使われるねぷたの展示と津軽三味線の演奏などが行われている。駐車場に観光バスが何台も止まっていて御賑わいである。
禅林街を後にしてお城の方に戻ると広い通りに突き当たったところに藤田記念庭園がある。ここは弘前市が市制100周年を記念して平成3年7月に開園した日本庭園で、もともと、日本商工会議所初代会頭藤田謙一氏が東京から庭師を招いてつくらせた江戸風な景趣の庭園である。広々と
禅林街の坂道を下ると一番奥に津軽家の菩提寺である長勝寺がある。重要文化財の立派な山門が出迎えてくれる。中は静かな佇まいで、弘前公園の人出が嘘のように人がいない。女の人が一人で草むしりをしていた。長勝寺の右手に広場があって、戦没者の供養塔が建っていた。その
翌日はまたレンタサイクルを借りて、弘前市内を回った。まず、宿に近い弘南鉄道の中央弘前駅に行ってみた。ホームには普通列車が止まっていて、ホーム上ではこけしが出迎えている。しばらく進むと五重塔が目立つ最勝院についた。境内はいろいろな花が咲いていて風情のあるお
夕暮れも近いのでレンタサイクルを返して一度宿に戻り、6時頃にもう一度弘前公園にやってきた。桜のライトアップを見ようと思う。東門の所までバスでやってきてた。今日一日分の花びらがお堀の縁にたまっている。東門の前にかがり火がたかれているが、本物の火ではないようで