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2016/05/14

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  • 第三者委員会とは何だろう

    第三者とは、「ある事柄について直接関与する以外の者のこと」である。何かと言うと「第三者委員会」を持ち出すが、直接関与する者はどうなってるんだろう。自分達ではどうしようもないので、直接関係ない他人に委ねてしまうのはあまりにも無責任である。少なくとも自分達が説明責任を果たして自分達の結論があってそれを公表するところまではやってもらわなければならないと思う。これに対して第三者の意見と評価を乞うのが当然のような気がする。どうしてこのような展開になってしまうのだろう。「直接関与する者」が最初から信用されていないんだろう。と言うよりも、信用を獲得する努力をしていないんだろう。最初からあきらめてしまっている。第三者委員会を持ち出した時点で信用を全面的に放棄しているに等しいと思う。そんな認識があるんだろうか?どこから見て...第三者委員会とは何だろう

  • 贅沢について、

    贅沢とは何だろうと考えてみる。必要以上に限度を超えた要求を満たすことではないか?必要以上であるので、結論から言うと贅沢は必要ないすなわち不要なのである。なくてもいいことだともいえる。人間として生きるのに贅沢は必要ないし、贅沢しなくても人間は生きてゆけるのである。何故人間は贅沢をしたがるんだろう?必要以上のもので満たされるのは満足である。必要以上であればあるほど満足感は強くなり、病的であれば際限なく満足感を追い求める。しかしながら、通常は満足が得られれば贅沢はそこで止まる。その限度が問題なのであろう。贅沢が許されるなら贅沢をしてもいい。大いに満足感を味わえばいいと思う。しかし、贅沢できなくても何も困らないのである。生命の危機が生じて耐えられない我慢を強いられるのであれば問題ではあるが、通常であれば平穏な生活...贅沢について、

  • 75兆円というお金はどれほどなんだろう。

    米アップルが今後4年間で5千億ドル(75兆円)以上を米国に投資すると発表した。一万円札が1gとして、75億枚になり、75億g、7500tとなる。10tトラック750台分である。日本国内に流通している一万円札は約150億枚である。日本国内の一万円札を約半分集めた金額である。もうこうなると、お金とは言えない。お金として流通させることも不可能である。そんな想像を絶するような現実にはあり得ない数字なのである。こんな話をシャーシャーと公表している米アップルの気持ちが知れないし、こんな話が信用されるような投資そのものが私はいかがわしいと思う。そのいかがわしい話を信用して経済が回っているのにも驚いてしまう。米アップルはどのようにしてこれだけの金を回収しようとしているのだろうか?これが可能な仕組みそのものがおかしいと思う...75兆円というお金はどれほどなんだろう。

  • 証拠って何だろう。

    証拠とは「事実・真実を証明するよりどころ。あかし。」とある。果たして、事実・真実を完全に証明することはできるのだろうか?まずは、この出発点から考えて怪しいし、心もとない。事実・真実と思い込んでいるだけなのかもしれないし、時が経てば、事実・真実と思っていたものが間違いだったということもある。しかも、時が経てば当時の事実・真実を証明しなおすことは不可能に近い。その時の状況に戻すことはできないし、新たな証拠が現れない限り過去に立証された「証拠」は真実とは言わないが厳然たる事実として残されている。犯罪を証明する時、犯した犯罪の証拠を集めて、これを事実・真実として証明する。しかしながら、個々の証拠は完全なる事実・真実ではない。それでは「証拠」とは何なんだろう。それは、犯罪を犯した本人やその周囲の人達を証明し説得する...証拠って何だろう。

  • 不毛地帯

    山崎豊子の小説の題名ではない。土地や気候などの条件が悪く、作物などが育たない土地のことである。放射能で汚染されている土地や砂漠などが代表で、土地がやせていて草木が育たなく、何の成果も得られないことを意味する。日本は緑豊かな国で、不毛地帯と言っても鳥取砂丘ぐらいしか浮かばないが、鳥取砂丘でさえ草木が生えて砂漠ではなくなりつつある。ことほど左様に日本の気候と風土と環境は人間が住むのに適した素晴らしい国土である。しかし、別の観点からみてみると、日本を「不毛地帯」に急速に変えてしまっている。日本に張り巡らされている道路や都市部のコンクリートジャングルはどう考えても不毛地帯である。そして今現在でもせっせとアスファルトやコンクリートで日本の国土を覆いつくしている。建造物や住宅の立っているところは考えてみると不毛地帯で...不毛地帯

  • AIの進化で人間の仕事がなくなるか?

    何でもできるAIが仮想的に実現したとして、例えば、世界中の膨大な一流シェフのデータを集めて、これを使ってオムレツを作ったとする。出来上がったオムレツを食べた時、人間はこれを黙って食べるだろうか?私はそう思わない。これを何も考えないでそのまま食べて問題ない人はそれでいいだろうけれども、それは怠惰で妥協しているような気がしてならない。その味をこの先何十年も食べ続けることができるのだろうか?「今日の気分としてはもっと塩気が欲しいな」「調味料がイマイチだな」「もっと半熟気味がいいな」「明日はお大事な客さんがあるのでもっと高級な卵を使いたいな」などと文句を言うのだろう。実は、この文句の部分が人間の果たす役割である。黙って提供された料理を食べている人は、人間としての仕事をしていないことでもある。AIが万能でなんでもで...AIの進化で人間の仕事がなくなるか?

  • 個人の意見と組織集団の意見は区別してほしい。

    トランプさんがそうである。まだ大統領に就任していない。そうであれば今現在トランプさんが発言している内容はトランプさん個人の意見である。それなのに大々的にメディアで取り上げて大騒ぎしている。メディアももっと冷静に受け止めるべきであり、反対に誇張したり扇動したりでは世の中を混乱させるだけである。メディアの影響力をもっと考えるべきである。個人的なローカルな話は関係する人達に伝えればいいのであって、全世界に大々的に伝える必要はない。イーロンマスクさんがネット上で個人攻撃している。個人と個人の話であれば、個人同士で話し合ったらいい。何もネット上に公開する必要もないし、メディアもこれに追随して必要以上に荒立てる必要もない。是非、個人同士でお互いに気のすむまで膝を突き合わせて納得行くまで話し合ってもらったらいい。自分の...個人の意見と組織集団の意見は区別してほしい。

  • 2025年令和7年の幕開けに思う

    小さな幸福に感謝する毎日。毎日が絶頂の幸福に包まれる状態が真の幸福ではない。人間は幸福を常に消費する存在でもある。そしてもっと素晴らしい幸福を求めて常に次を切望することになる。ところが、幸福は周囲から与えられるものであり、常に与えられるものではない。幸福を手に入れるためには、自分の内面の充実を図る必要がある。外に向かって幸福を追求することは、内面の充実を疎かにしていることでもあるし、すでに今ある幸福を当たり前のものとして実感することができなくなっている。これがないと生きていけないという思い込みは不幸でもある。常に新しい幸福に依存していることでもあるし、この状態では真の幸福を手に入れることはできない。幸福とは快楽とは異なる。快楽に際限はないし、どこまでも追い求めることは不毛でもある。ささやかな幸福にささやか...2025年令和7年の幕開けに思う

  • フェアートレード

    またまたカタカナ言葉でFairTradeのことである。日本で使われる場合は、ほとんどが経済的な面からだけである。社会的、環境的な立場から論じられることは少ない。そして、短絡的に「フェアートレードマークの商品を買いましょう」と呼びかけている。しかし、フェアートレードマークの商品は当然価格が高くなるし、数も少ないので市場にはあまり出回っていないし、普及もしていない。なぜならば、従来のフェアートレードでない製品が同じ店頭で安く並んでいるからである。何が問題かと言うと、発展途上国で金儲けだけの目的で、正当な対価を生産者に払わなかったり、生産性を上げるため環境を破壊したり、労働環境を悪化させたりである。そうであれば、この金儲け目的の人達を直接取り締まればいいと思う。間接的にフェアートレードの優良企業の製品にマークを...フェアートレード

  • 嘘をつく

    どういう時に嘘をつくのだろう。自分の考えることと違う状況になった時に辻褄を合わせるために嘘をつくようである。そのような状況に陥った時に嘘をつく衝動に駆られる。この時、嘘をつくかつかないかは個人の裁量にまかされている。通常は嘘をつかないように努力するのだろうし、嘘はつきたくないのが信条だろう。常に嘘をつく人はちょっと人格を疑ってしまう。そして、嘘をつくことはますます自分を貶めることとなる。自分の考えている状況との違いは全く変えることができていないのである。子供に対して教育する時、ああしなさい、こうしなさい、と一方的に強制すことが多い。これをよく考えてみると、言われたほうは言われたことに決して賛同していない。それでもイヤイヤ「はい」と言わされる。これは「嘘」である。その度に嘘をつくことを強制させられているので...嘘をつく

  • ウォーキングでは寝たきりは解消できない

    何かと言うと運動は有酸素運動が推奨される。運動の指導を見ると、呼吸ができることを維持しながらやりなさいと教えられる。運動には有酸素運動と無酸素運動がある。勧められるのは有酸素運動である。しかし、有酸素運動だけでは寝たきりが解消できないことを知った。筋肉には速筋と遅筋がある。有酸素運動で鍛えられるのは遅筋である。無酸素運動で鍛えられるのは速筋である。起き上がったり立ち上がったりする筋肉は残念ながら速筋なのである。息を止めて動かしているのが速筋なのである。速筋が衰えたのでは起き上がることも立ち上がることもできないことになる。何故有酸素運動だけが推奨されるのだろう?有酸素運動が楽だからである。100メートルを全力疾走しなさいというよりも、5000歩歩きなさいと言うほうが受け入れやすいのである。筋力トレーニングす...ウォーキングでは寝たきりは解消できない

  • 自民党公約案6本柱

    今朝の新聞に「自民党公約案6本柱」とあった。①ルールを守る②暮らしを守る③国を守る④未来を守る⑤地方を守る⑥新たな時代を切り拓く、だそうである。ある意味で私は思わず笑ってしまった。これが党の公約であろうか?いや違った、これは時期衆議院選挙のための公約らしい。選挙のための公約であったらこれでいいと思っているのだろうか?あまりにもお粗末である。果たして党を挙げて議論して作り上げたものなのだろうか?これで選挙が戦えると思っているのだろうか。まずは①ルールを守る、であるが、ルールを守るなんて当然のことである。あえて改めて言わなければならないところに問題があるが、これが一番最初に来ているのも笑ってしまう。まるで幼稚園か小学校の教室の張り紙みたいである。これに対する反対意見はルールを守らないであるが、こんなことはあり...自民党公約案6本柱

  • 本末転倒、自業自得

    人間は本来自分たちの住みやすいように自然を変えてきた。人間が幸せに暮らせることを目的にして自然を改善し改良してきた。まずは自然ありきであったのである。ところが、何を勘違いしたのか、人間の作り出した文明で独自の環境を作り出して、その環境に自分達を合わせようとしている。何もかも人間の作り出した人工物に囲まれてその人工物に合わせて暮らさなければならないのは何とも窮屈なものであり、これを日常的に強制されると精神的に病んでくる。これが現代病ではないだろうか。人間の本性とは何だろうか?人間に適した環境とは何だろうか?果たして現代人はこの文明に囲まれた中で幸福に暮らせているのだろうか?文明的な暮らしは無意味で面倒な決められた手順を強いられる。その手順通りにしないと目的を達成することはできない。その手順はいつかどこか誰か...本末転倒、自業自得

  • どんぐりの背比べ

    どんぐりとは、「鈍栗」である。本当は「団栗」が正しいようである。「団」とは丸いという意味であり、丸い栗のことを言うらしい。しかし、食べられる栗も丸いが、どんぐりとは言わない。通常どんぐりは渋くてそのままでは食べられないものを言うようだ。「どんぐりの背比べ」とは、少しの差で本質的にはほとんど差がないことのたとえである。形や大きさも同じようで代わり映えしないことから平凡で特に優れたものがないことを意味する。ただし、「どんぐり」は「栗」と違っていずれも食用には適さない。動物の餌にはなるようである。自民党総裁選が始まった。史上始まって以来の9人もの候補者が顔を並べている。今までと何が変わってこのような状況になっているのだろう。一つは「派閥」の影響が考えられる。「派閥」に関係なく誰でも自由に立候補できる環境が整った...どんぐりの背比べ

  • 風評被害(3)

    風評被害は福島原発事故に限ったことではない。世界のあちこちの事件に風評被害が付きまとうし、この頃は「フェイクニュース」などと言う言葉も出現して、何が本当で何が偽物かわからないような状態が続いているし、この頃ではAIを使ったまことしやかな情報が大量に出回っているようである。ますます世の中のメディアは混沌とした状況であり、メディアそのものがその混沌を増幅し爆発寸前までになっているような状況である。それはそれとして、この状況を冷静に見守る側としては、そんなことに巻き込まれることなく、日常生活を送っている。風評被害によって直接被害を被るのは風評にさらされる側である。そして、間接的に直接の被害者と関係する周辺の人達である。風評被害をもたらすのは直接関係ないその他大勢の人達である。風評被害を最初に作り出すのはメディア...風評被害(3)

  • イヤイヤ期

    お盆休みに孫達が遊びに来た。下の孫娘がただいまイヤイヤ期である。何でもかんでも「イヤだ」「いらない」「やりたくない」「ほっといて」の連発である。最初はかまってみるが、最後はめんどくさいので、「あ、そう、わかった」と受け流すのであるが、母親にするとこれが冷たいと反対に怒られる。その受け答えに本人は傷ついているんだそうである。困ったものであるが、そう言われればそうかもしれないと反省しきりである。イヤイヤ期の本人は周囲から注目され、かまってもらいたいのである。その一手段としてイヤイヤを繰り返しているのである。それを無視して、スルーされると本人は落ち込んでしまうことになる。ますますどうしていいかわからなくなり、為すすべもなくなり機嫌が悪くなり、最後は大声で泣き出してしまうことになる。母親はそれを十分わかっていてそ...イヤイヤ期

  • アフォーダンス

    私の使っているクラシックギターのペグ(糸巻き)が故障して調弦ができなくなった。よく観察してみると、つまみが壊れて空回りして弦を巻き取ることができなくなって音程を上げることができない。最初は耳で聞いて発見し、手の感触で空回りしていることを確認し、目で見て巻き取られていないことを確認した。ここまでが五感からくる感覚である。これをもとに脳で考えてなぜ空回りしているか考えてみる。これ以降が知覚である。たぶん、つまみの穴が大きくなっていると思われる。分解してみると、金属の軸に切り欠きがある。この切り欠きで回転しないようにしているが、つまみの穴がすり減って大きくなっているために固定されないで空回りしている。さぁ、どうしよう。これからは知識の総動員である。全体を新しいものと交換する、つまみを新しいものに交換する、つまみ...アフォーダンス

  • 「道」について

    昔は道は大切にしたらしい。よく時代劇で、街道を掃除したり水をまいたりしているのを見かけるが、あれが道を大切にしていた頃の名残かもしれない。現代では道は移動のための便利な施設に過ぎなくて、道を大切にする気持ちなんてあまりないし、使いっぱなしで整備は国や地方自治体に任せっぱなしである。しつけの悪い人たちは道を汚したりゴミを捨てたりすることに何のためらいもない。こんなところから公徳心や倫理や伝統が廃れてゆくのだろう。昔(江戸時代)は道、特に街道と言われるものは一般の人達は走ってはいけなかった。走れるのは飛脚か火消しか早馬であったという。一般の町民はひたすら静かに歩いていたのである。また、大八車という二輪の運搬具も道が滅茶苦茶になるという理由で街道は通れなかった。下駄を履いて歩くのも不届き者で、草鞋を履いて、荷物...「道」について

  • 科学的根拠

    健康のためウォーキングをしている。もう始めてから20年以上にもなる。歩きながら常にどのように歩いたら理想的かと考えながら歩き続けている。もうそろそろ結論が出そうであるが、未だに理想を追求しながら歩いている。一生かけたら世界的にも素晴らしい成果が出るのだろうかと思ってはいるが、誰も相手にしてくれないだろう。タダの自己満足ではあるが、これはこれで私なりの現時点の結論である。自分でも素晴らしいと思っているし、機会があれば世に向けて発表したいくらいではあるが、すでに誰かが発表しているかもしれない。歩くときに、大きな球の中で歩いている自分を想像するのである。球の中心は頭のてっぺんである。この球を転がすつもりで歩くのである。両脚の長さは身長の約半分であるから、半径が足らないために身体全体で補正してやらなければならない...科学的根拠

  • 一部と全体の話

    一部が悪いから全体が悪いという言い方がある。これも一つの考え方ではあるが、悪いのは一部であって、この一部を良くすれば何も問題はなくなる。全体が悪いと言われるのは、こんな悪い一部を生み出した責任の一端が全体部分にもあるという意味で悪いのであって、全体の全てが悪いわけではない。だからと言って、この一部を否応もなく切り捨ててしまうことが最善の方法とは思えない。全体部分を見直して必要な部分は改善していかないとまたぞろヘンテコな一部を生み出してしまう。一部が悪いのは見直すための絶好の機会であり、その悪い一部を良く観察し分析して教訓事項を見出して全体部分の改善につなげなければならない。これを無視して見直しをしなかったら全体部分の悪いところがじゃんじゃんと広がって最終的には全体が悪くなってしまう。当然ながら悪い部分が見...一部と全体の話

  • 国の生い立ち

    人間に生い立ちがあるように国にも生い立ちがある。それぞれの国の生い立ちによって国の性質が違ってくる。当然と言えば当然であるが、意外と気づかないことが多いし、あまり気にしていない。考えようによっては人間でも一人一人の生い立ちを細かく気にしていないし、そのような情報をいちいち確認することも不可能である。時々犯罪を犯した人の生い立ちを事細かく調べあげていろいろと分析しているが、果たして正しいのかどうか怪しいものである。我々は現在に生きている。しかしながら膨大な過去の経歴を抱えて生きている。現在の考え方や行動を決めるのは膨大の過去の経歴から絞り出したエキスに基づいている。しかしながら、それを具体的に表現することはできないし、理由を明確に説明することもできない。いい加減ではあるが、何となく決めているのが現実であろう...国の生い立ち

  • 政治資金規正法問題

    国会で大騒ぎである。いったいなんで騒いでいるんだろうと不思議でたまらない。大体が政治資金って何なのだろうと思うと、政治に必要な資金なのだろう。政治に必要な資金は政治活動に必要なのだろう。何の問題があるのだろう。政治活動には即座に使える資金が必要なのもわかる。いちいち申請して手続して許可を経て給付される資金では時機を失してしまう。このこともわかるし、使い方にいちいち注文をつけられていたら自由な政治活動ができないのもわかる。そのためには自由に使える現金が必要なのもわかる。では、何が問題なのだろう。政治資金の大本に立ち返って考える必要がある。政治資金を提供する側は、政治家を信用して政治家の打ち出す政策に賛同してこれを支援するために政治資金を提供しているのである。そうであれば、政治家はその信用に応えて、打ち出して...政治資金規正法問題

  • 痛風の歴史的考察

    またまた痛風になった。現代人の贅沢病である。過食と運動不足とアルコール摂取であろう。運動はしているし、過食も節制しているつもりだが、アルコールはやめることができず今でも楽しんでいる。反対にアルコールを楽しむくらいの身体上の余裕を持ちたいと考えているが、何かのきっかけで突然に痛風に襲われる。体が肝臓で増産した尿酸を血中に排出し始め、あふれた尿酸を末端部分に廃棄した結晶によって大量の針で突かれたような痛さで、力を入れることができない。今回は左足首であるので、歩くのが困難であり、杖を頼りに家の中を動き回っている。片足が踏ん張れないと身体全体のバランスが壊れてしまう。まずは体全体が傾いてしまうし、自分ではまっすぐのつもりでいるので、あちこちにぶつけてしまう。手の動きさえもおかしくて、物を取り落としたり、しっかりと...痛風の歴史的考察

  • 多数派と少数派の戦い

    日本の場合は従来多数派に流される人がほとんどだった。大多数の他人と変わったことをするのに抵抗があり、周囲からも悪人扱いにされていた。現在でもその傾向にあると思う。大多数の判断基準がどこにあるのかを気にしながら周囲の環境に合わせようとしている自分がいる。また、このほうが生活しやすいのである。また、大多数の意見は概ね正しいことが多いし、間違ってもいわゆる常識とかけ離れた意見であることは少ない。常識と言われるもののほとんどが大多数の意見の中にあると言ってもいい。しかしながら、大多数の意見を強要することは許されない。強要しているのは大多数の中の一人の個人である。その個人がたぶん大多数の意見はこうであろうと思い込んでいる偏った意見の可能性がある。あくまで大多数の意見はこうであろうという判断は各人ごとに行っているので...多数派と少数派の戦い

  • 民主主義は民衆主義

    「民」が「主」であることには誤解が多い。民が主(あるじ)に仕立て上げられている気がする。本当に民が主(あるじ)であれば、政治が気に食わないなら倒せばいい。企業の不正がどうしようもないなら潰してしまえばいい。民主主義がなかった頃には政治を自分達で改革し不当に搾取する会社があれば敢然と戦って自分たちの権利を守った。日本の現在の社会でこんなことができるかと言うと疑問であるが、本来は民主主義という仕組みを使ってこんなことができるのが当然なのであり、これができるために民主主義という仕組みを作ったのである。政治が悪いのはなぜだろう。政治家が悪いのであり、庶民である民衆が安心安全に暮らせる環境が壊されているのである。その悪い政治家を選出しているのは我々民衆である。優秀な人格者であり尊敬できるような人材を選出していないの...民主主義は民衆主義

  • 絵に描いた餅(画餅)

    どんなに巧みに描いてあっても食べられないところから、何の役にも立たないもの、実物・本物でなければ何の値打ちもないこととある。それじゃあ、本当に画餅が役に立たないかというと、実物・本物を見て食べて味あわなくても「餅」とはどういうものかを理解させる意味で十分価値がある。餅を食べた経験のある者にとっては、画餅を見ただけでおいしかった餅を再現することができる。実物・本物の餅は劣化して腐ったりするが、画餅はいつまでも残って餅の存在を表現し再現してくれる。画餅にもピンからキリまである。いかにも本物を連想させるような巧みな絵から、落書きみたいな稚拙な絵もあるし、ただ楕円を書いて「餅」ですというのもある。やはり価値が認められるものは限りになく詳細に巧みに描かれた「餅」であろう。そんな素晴らしい画餅を「何の値打ちもない」と...絵に描いた餅(画餅)

  • ハラスメントの洪水

    何でもかんでもハラスメントである。いい加減にしてほしい。もうこの辺でカタカナ英語の「ハラスメント」を日本語に翻訳すべきだし、新しい概念で日本語にないというなら新しい日本語を作るべきだ。私もいろいろ考えたが、従来の日本語で「いびる」という言葉がある。「ハラスメント」はこの「いびる」を名詞にした「いびり」でのいいのではないかと思っている。本来は火にあぶって焼くことであるが、しいたげ苦しめ、いじめて困らせることである。この「ハラスメント」を「いびり」に置き換えたらもっと具体的に実感できる気がする。「セクハラ」は「性的いびり」でいいではないか。わざわざ「セクシャルハラスメント」を略して「セクハラ」にしても実体とは結びつかないし、従来のどの部分が「セクハラ」なのかわからないし、「セクハラ」の言葉だけが暴走している。...ハラスメントの洪水

  • アンチエイジング

    「アンチ」とは抵抗のことである。年齢は受け入れればいい。年齢に抵抗して戦う必要はない。年齢を考えるのは人間くらいで、数字を発見したばかりに年数を数えることを覚えてしまったが、その数字にあまり意味はない。毎年繰り返される歳に名前を付けて区別しているだけで、一年の繰り返しにそれほどの違いはない。いつも通りの一年を繰り返せることに感謝しなければならない。その繰り返しの中に進歩があり進歩の履歴が自分の人生である。せっかくの進歩を台無しにしてしまっては意味がない。貴重な自分だけの人生である。アンチエイジングを商売にしている人達がいる。その人達に騙されないことである。身体に問題が生じればこれに対応して改善を図るだけで、若さを取り戻すことによって問題がなくなるわけではない。若くても問題を抱えている人はたくさんいる。体に...アンチエイジング

  • 民主主義は民衆主義

    「民」が「主」であることには誤解が多い。民が主(あるじ)に仕立て上げられている気がする。本当に民が主(あるじ)であれば、政治が気に食わないなら倒せばいい。企業の不正がどうしようもないなら潰してしまえばいい。民主主義がなかった頃には政治を自分達で改革し不当に搾取する会社があれば敢然と戦って自分たちの権利を守った。日本の現在の社会でこんなことができるかと言うと疑問であるが、本来は民主主義という仕組みを使ってこんなことができるのが当然なのであり、これができるために民主主義という仕組みを作ったのである。政治が悪いのはなぜだろう。政治家が悪いのであり、庶民である民衆が安心安全に暮らせる環境が壊されているのである。その悪い政治家を選出しているのは我々民衆である。優秀な人格者であり尊敬できるような人材を選出していないの...民主主義は民衆主義

  • 民主主義は民衆主義

    「民」が「主」であることには誤解が多い。民が主(あるじ)に仕立て上げられている気がする。本当に民が主(あるじ)であれば、政治が気に食わないなら倒せばいい。企業の不正がどうしようもないなら潰してしまえばいい。民主主義がなかった頃には政治を自分達で改革し不当に搾取する会社があれば敢然と戦って自分たちの権利を守った。日本の現在の社会でこんなことができるかと言うと疑問であるが、本来は民主主義という仕組みを使ってこんなことができるのが当然なのであり、これができるために民主主義という仕組みを作ったのである。政治が悪いのはなぜだろう。政治家が悪いのであり、庶民である民衆が安心安全に暮らせる環境が壊されているのである。その悪い政治家を選出しているのは我々民衆である。優秀な人格者であり尊敬できるような人材を選出していないの...民主主義は民衆主義

  • 幸運のつかみ方

    運は万人に平等に与えられている。この運を見逃さないで自分のものにするのが幸運の持ち主である。そのためには何をしなければならないか考えてみた。運には幸運と不運があるが、どちらも運であることには変わりない。幸運を見逃さないで生かして、不運による被害を最小限にする努力を怠らないことが幸運の持ち主であるかもしれない。なおかつ不運を踏み台にしてさらに向上することを目指すことによって不運さえも幸運にしてしまう。幸運を見つけるためには、周囲の状況に敏感である必要がある。過去、現在、未来の流れの中でその変化に気づく感覚が重要である。これを見逃さないのが運を見つけるコツである。運そのものがそんなものである。この変化こそが運の兆候である。幸運であろうと不運であろうとこれをいち早く察知することが求められる。幸運を見つけられない...幸運のつかみ方

  • 金儲けは個性を潰す

    金儲けをするためには大衆を相手にしなければならない。個性的なお客を相手にしていては販路を拡大できない。かといって世にありふれたものを売っても売れない。個性的と思われるものを持ち出して、大衆に宣伝して買わせようと努力している。しかし、大衆がそれを受け入れた時はそのものは既に個性的なもではない。大衆とは大多数の標準的なグループであり、大衆が受け入れたものは既に個性的なものではない。常に新しい個性的なものと思われるものを売り出して目先を変えて売り込むことになる。個性はコロコロと変わるものではない。個人に目を向ければ、個性的な人はずっと変わらない。ずっと変わらないから個性的なのである。自分の個性を貫き通す人が個性的な人である。流行を追い求めている人は個性的とは言い難い。常にコロコロと変わっているのが個性と言えば個...金儲けは個性を潰す

  • 偏差値教育の弊害

    自然界の現象は統計を取ると標準偏差の曲線になる。ただし、要素を別のものにすると、同じような標準偏差曲線を描くが、横軸の対象は全く別の動きをしているし、一つの対象がどの統計でも分布曲線の上位または下位に常にあることはない。通常はほとんどが中央の正規分布に収まっている。そして、どんな現象であっても一部特異な数値を示す対象があるが、それはそれぞれの個性であって決して否定されるものではない。かえって、その部分に注目してその個性を見極めてやらなければならない。偏差値教育が批判され、今も批判されているのだろうが、未だに入学試験では重用されて活用されているようだ。何が悪いかというと、試験の成績だけの標準偏差で本人の学力の評価をすることである。学力は試験の成績だけでは測れないし、学力だけが本人の生来の実力ではない。本来で...偏差値教育の弊害

  • 価値は創造するものである

    その価値を創造するのは個人であり、私自身である。価値は無限に創造できる。簡単である。自分で価値を認めれば、どんなものでも価値あるものとなる。ただの石ころであっても自分なりの価値を認めれば、価値あるものに変化し、その石ころを自分なりに加工すればより高い価値のものに成長してゆく。石ころは世界中のどこにでも転がっており、タダ同然である。最初の材料は地球上に存在するもので、これを加工してより価値の高いものへと変えてきたのが人類のいや人間の歴史である。そしてその価値創造に貢献してきたのは有史以来の過去の膨大な人間の祖先である。価値を創造するのは人間なのである。お金でも機械でも工場でも記録データでもない。これらのものは出来上がった時点で過去のものである。そこから創造されるのは既成のものでしかない。新たな価値のものを新...価値は創造するものである

  • アンポ反対

    60~70年代に展開された安保闘争である。私は小学校、中学校の頃で、大人達が何で血相を変えて騒いでいるのかがよくわからなかった。また、反対ありきで中身は何も見えないし伝わってこなかったのを覚えている。大学入試の時もまだ全国の大学で学生運動が続いており、学園は荒れに荒れていたのを思い出すが、私にはほとんど関心がなく、有り余ったエネルギーを体制批判にぶつけているだけにしか見えなかった。みんながやっているから自分もやるみたいな雰囲気も感じていた。一人一人の主体性が見えてこないのである。問題はサンフランシスコ平和条約締結である。本来は第二次世界大戦の47ヶ国の連合国との間の条約であったが、これに潜り込ませて米国との二国間協定を特約として結んだことである。その後、新安保条約が締結されたが、旧安保条約の占領軍としての...アンポ反対

  • 主体性と情報発信

    偽情報が騒がれている。偽情報であっても発信者がいるのであろう。その発信者がはっきりしていれば、偽情報ではなくなるし、その情報の真意を発信者に確かめることができる。その情報に対する責任もはっきりする。そうであれば、なぜ偽情報が世界を飛び回っているのだろう。原因ははっきりしている。情報の発信元がわからない状況で発信している又は発信されているのである。そうであれば、すべての発信されている情報に発信元のデータを付加するようにすればいいと思う。すでに発信元は発信データに付加されている。URL(UniformResourceLocator)という機能がある。インターネット上に存在する情報資源の場所を指し示すものであるが、現在時点ではこれだけでは不十分であり、この欠点が悪用され、情報源がわからないようにして情報発信する...主体性と情報発信

  • グローバリズムとナショナリズム

    バイデンさんとトランプさんの戦いを見ているとこの言葉が浮かんでくる。徹底したグローバリズムも徹底したナショナリズムも現実には存在しない。いずれも考え方で、現実を前にしてはどうしようもない矛盾が生じるばかりである。現実は、ある時はグローバリズムをある時はナショナリズムを適用して対処してゆくのであろう。そして、結果的にはグローバリズムとナショナリズムの中間を目指して調和を図ってゆくのだろう。東洋思想の中庸である。是か非か、善か悪か、右か左か、賛成か反対か、という二者選択だけでは現実世界は通用しない。バイデンさんもトランプさんもおおむね真ん中である。バイデンさんがグローバリズム寄りであり、トランプさんがナショナリズム寄りである。というか、経済、外交、軍事、貿易、移民政策、人種問題などなどバイデンさんのグローバリ...グローバリズムとナショナリズム

  • 政府の経済対策

    マイナス金利政策を脱却してプラス金利になるらしい。これは私にとってどんな意味があるのだろうと改めて考えてみた。貯金の金利がプラスになり、借金の金利もプラスになる。貯金のプラスは私の収入になるが、借金のプラスは私の支出となる。これに対応するためには「借金をしないで貯金をしなさい」と言うことらしい。難しいことを言わないで、簡単に考えたらこういう結論に落ち着く。結局は借金している人が損をして、貯金している人が得することになる。借金額と貯金額が同じであれば、相殺されて何も影響ない。マイナス金利の場合は金利を気にせずに借金ができる。今の政府が借金の山を築いているが、たぶん、金利を払いたくなかったのだろう。これからは金利の支払いが発生する。金利が正常に戻れば、政府はもっと金利の支払いが増大してゆく。借金をどうするかを...政府の経済対策

  • 人は何のために生きるのか

    日本国民の多くが何のために生きているのかで悩んでいる。その悩んでいる人の中のほとんどは、考えても仕方ないと途中であきらめて放置したままで生きている。胡麻化しながら生きているとも言える。本当に真剣に考えだしたら、見つからない答えを見つけようとして、見つからないことに絶望して生きることができなくなる。最悪はこんな自分の人生を悲観して自死に走るかもしれない。自死も一つの逃避であるが、自死で問題が解決する訳ではなく、ただの終焉にしか過ぎない。何のために生きるかは重要な根源に迫る疑問である。誰でも自分の人生の中でこの疑問にぶち当たって真剣に考えた時期があるはずである。私は小学高学年から中学にかけてであった気がする。モヤモヤとした疑問と不安を抱き続けていた記憶がある。そして、結果的には答えが出ないままにそのままあきら...人は何のために生きるのか

  • 高校運動部での暴力事件

    あちこちで発生しているようだ。学校は事件が発覚すると、当該運動部を活動停止し、連盟に報告し、対外試合禁止処分とするのが定例となっている。最終的に高校側は対象者を校則違反として謹慎処分などの処置をして、終わりになっている。果たしてこれでいいのだろうかと思ってしまう。そして、時が経てばまた元通りになって、何もなかったのように活動開始され、試合出場も許されている。これで本当に問題が解決しているのだろうかと確かめてみると、過去に同じような事件が発覚し校則違反として処分した実績がある。何も改善されていないということである。当該対象者を処分するだけでは問題解決しない。そのような事件を起こす学生がなぜ生じたか、そのような学生をなぜ事前に発見できなかったか、また、そのような学生を正しい方向に指導できなかったのか、学生の立...高校運動部での暴力事件

  • 野良熊

    近くの郊外を20年以上ウオーキングしているが、観察していると、野良猫、野良犬は人間の住居近くにしかいないことに気づいた。特に野良猫は人家近くでしか見ない。犬は時々人里離れたところで見ることはあるが、リードが外れた迷い犬であることがほとんどである。何でだろうと考えてみると、野良猫、野良犬は人間とともに生きているのである。反対に言うと、人間のいないところでは生きていけないのである。本当の野生動物として狩猟しながら生きる術は失っているのである。そんな自然環境が失われているのかもしれない。野良猫、野良犬を育てているのは人間なのである。人間と共生していると言ってもいいかもしれない。食料と棲み家を与えているのは人間なのである。よって、人間のいるところに棲み付いていると言える。「野良」とは平らな田畑のことであり、野や野...野良熊

  • 無限大の可能性

    若者に対してよく使われる。無限大の可能性があるということは、一つ一つの可能性は無限大分の一であり、ほとんど可能性がないに近い。あらゆる可能性を持ってはいるが、ある一つの可能性は極小の実現の可能性しかないこととなる。果たしてどの可能性が将来実現するのかはやって見なければわからない。結局は宝くじより確率は低いが、宝くじでも必ず当たりはあるのである。無限大という考え方は面白い。数字には自然数、整数、実数、有理数、無理数などがあるが、これは人間が作り出したもので、自然界には無限大と無限小しかない。この無限の中で、奇跡の確率で生存しているのである。瞬間瞬間が常に宝くじを引きながら生きているようなものである。当たりか外れかはやってみなければわからない。結果の評価も自然界にとっては何も関係ない。人間が勝手に右往左往して...無限大の可能性

  • 日本の寄付文化のお粗末

    日本人の助け合いの精神は海外でも評価が高い。ところが、日本国全体の評価は最下位に近いようである。見知らぬ赤の他人を助けることは日本人にとって不得手であるようだ。だからと言って、身内の小集団の中での助け合いは素晴らしいものがあり、その集団に属すれば手厚いもてなしを受けることができるのである。外国の旅行者が日本を訪れて日本国民と直接交流すると、その親切心に心から感動してしまう。災害が起きた時の地域住民同士の助け合いも海外で評判になっている。礼儀正しく、謙虚であり、他者を尊重する心はそのまま助け合いの精神に結びついている。我も我もと自己主張し集団の調和を乱すものは少なく、災害時にもかかわらず秩序を保って行動している状況を見て世界から賞賛の声が上がっている。それでは、何故見知らぬ人を助ける風習がないのだろう。日本...日本の寄付文化のお粗末

  • 約束

    約束は未来に向かってするものである。未来は予測困難で、いつ何が起こって約束を果たせなくなるかは誰にもわからない。それなのに我々は安易に約束をしてしまう。通常約束する時は、このまま状況が変化しなければ予定通り約束を果たせるという意味だとお互いに思っている。日本の交通機関は通常定時運行されていて、その信頼性が高いので、他の交通手段にもまして公共の交通機関を利用する。約束をより確実に守りたければ公共の交通機関を利用することとなる。このために注がれる技術と労力は相当なものだと思うが、日本人の真面目で几帳面な性格は世界的にも有名である。昔中東で勤務していた時、重機をトレーラーから降ろしている現場に立ち会った。斜めのスロープの踏板を使ってバックで降ろしているのだが、どう見ても角度からして重機の後ろのシャーシーが路面に...約束

  • 尊敬できないけど好きな人

    昔、職場でパーティーがあって私の上司が悪酔いして事務所に帰ってきた。どうやらボスに酒の勢いを借りて日頃から言いたかったことをぶちまけたようだ。ところがボスに大上段から一喝され何も言えなくなって、最後は「何様と思っているんだ、自分の立場をわきまえろ」というような決まり文句で一蹴されたようだ。そのあとヤケ酒に近いほど大量飲酒して事務所に戻って我々の前で事のいきさつを説明して鬱憤を晴らしていた。そのあと、トイレに行ったのだが、気になって様子を見に行くと、トイレまでの廊下沿いに堂々とゲロを吐きながらトイレに向かっていた。しょうがないので、私は後ろからモップをもって掃除しながら追いかける羽目になった。次の日は何もなかったかのようにケロッとして我々の前に顔を出していた。この上司を手放しで尊敬できるとは思わないが、私は...尊敬できないけど好きな人

  • 自分を大切にしよう

    世界中の人が自分を大切にする心を持てば、世界は平和になる。誰だって自分は大切である。何を言っているんだとご立腹の方もいるだろう。でもよく考えて、冷静に客観的に自分自身に立ち返って問いかけると、どう考えても自分を大切にしているとは思えない。わかりやすく言うと、生まれたての赤ん坊のように真っ裸の自分で居れるかという問いである。確かに世界中の人が生まれたての真っ裸の赤ん坊であれば世の中平和になるかもしれないが、反対に困ったことになる。赤ん坊は周囲のことや他人のことを考えないで自分中心で利己的なのである。自分が生きるために必死で周囲や他人のことなど考える余裕がない。しかし、人間は成長するとともに他人と協調して生きることを学習し、社会的生活を始める。人間は社会的動物なのである。自分を大切にする心とは何だろう。自分に...自分を大切にしよう

  • インターネットの広告がうざい。

    毎日のようにインターネットやSNSで情報検索しているが、どこに行っても広告が我が物顔に見ている人とまるで関係なく垂れ流されている。当然ながら無視しているが、目障りで仕方ない。次から次に飛び出てくる広告は自分の望むものとはまったく関係なく、こんな広告を見て商品を買ったり、これをきっかけに新たな情報を得たりすることは全くない。思いつくところで、こんな広告から金を出して商品を買ったことも過去に全くない。世間の人はこんな広告から購買意欲をそそられるのだろうか?広告の効果があるから広告を出しているのだろうが、広告は自社のドメインから発信すればいいと思う。他人の領域に侵入して人権侵害に近い広告を垂れ流すのは迷惑以外の何物でもない。考えてみると、広告を見せられている側は、その広告のデータ通信料はその人が払っているのだろ...インターネットの広告がうざい。

  • 適者生存と運者生存

    環境に適応したものが生き残るのが適者生存である。通常は適者生存が普通に言われている。キリンの首が長いのは、高い所の餌を食べれるように適用したことによって生存することができたとよく言われる。多くの人がこの説に納得できるが、適用するまでに長い時間が必要だが、適応途中の首の長さのキリンの存在は見つかっていないようである。そうであれば、突然変異で首が長くなり、結果としてたまたま高い所の餌が食べれて生き延びることができたとも言える。後者が運者生存である。運者生存とは、運がいいものが生き残ることである。たまたま運がよく生き残ったものが現在に存在していると言う考え方である。時間をかけて適応したのではなくその時の環境にたまたま合致していた種族が生き残ったということになる。適者生存と運者生存の違いは、自ら環境に適応する努力...適者生存と運者生存

  • 解かっているつもりの弊害

    政治の世界で政治資金パーティーが問題になっている。メディアでは政治資金収支報告書に記載しているかいないかが問題視されているが、記載されていようといまいと、集めた政治資金の使い道そのものがいい加減であり、集めた政治資金を政党が所属議員に配分した使い道もいい加減なものである。国の予算で配分されたものではないので、使い道はやり放題である。集めた政治資金は現金であるので、何に使おうと勝手であり、そこにうまみがあるのだろう。政治家もそれを知っていてその現金にたかっているのだろう。私は、政治家はこの政治資金その物がいかがわしいと感じていると思っている。本人は理解はしているが、これを客観的に認識することができなくなっている状況だと思う。自分自身の行動を客観的に認識すること先延ばしにしているのではないかと思う。結局は目先...解かっているつもりの弊害

  • ピラミッドの建設費はいくら?

    答えはゼロ円である。当時は貨幣がないので、使ったお金はゼロ円である。ゼロ円でもピラミッドを建設することができたのである。なぜできたのかを考えると、当時の王様の権力によるものである。王様が建設しろと命じたからピラミッドはできたのである。そのためには、国中のたくさんの人達が献身的に労働力を提供して完成したのである。建築に携わった人達だけではなく、その周囲の人達も糧食や衣服や建築材料や道具や様々なものを提供することによって可能になったのである。ピラミッドを現代の技術で建設すると1200億円くらいでできるらしい。しかし、当時はほとんどが人力であり、当時の方法で建設すると4兆円ほどの金が必要になるそうである。当時の王様は現代で言うと、4兆円のお金を個人で動かすほどの権力を持っていたことになる。これだけの偉業を成すこ...ピラミッドの建設費はいくら?

  • 悪いことと良いことの判断基準

    現役の頃中東で勤務していた時、ホテルの自分の部屋のテーブルに腕時計を置きっぱなしにしてしていたが、失くなることはなかった。部屋には何人もの従業員が掃除をしたり、ベッドメイクをしたり、テーブルの果物を入れ替えたり、消耗品や備品を補充したりしていたが、一度として私の物が失くなることはなかった。最初の頃は外国に来ている感覚から盗難の危険性を感じていたが、最後の方は全く気遣いすることなく過ごしていた。当然部屋には鍵もかけていなかった。まぁ、従業員はマスターキーを持っているだろうが、外部の人が侵入することもなかった。私の赴任した国はイスラム教の国である。何人も悪いことはしてはならないのであり、悪いことは絶対に許されないのである。自分で悪いと思ったことは周囲がどうであろうと絶対やってはならないのである。反対に周囲から...悪いことと良いことの判断基準

  • 引き算の世相

    この頃のメディアの発表内容を見ていると、みんな引き算の考え方ばかりである。高いものは低くし、悪いものは排除し、問題があれば切り捨ててしまう。問題点を解明して新たな要素を付け足そうとする考えは皆無である。なんで高いのだろう、なんで悪いのだろう、なんで問題なんだろう、と考えることもしないで一刀両断である。しかもこれが最適の解決法だと思い込んでいるようである。問題は、根本の原因となる問題点がなにも明らかにされていないことであり、当然ながら適切な対策もなされないまま問題となる対象は闇に葬られ有耶無耶のままに終わってしまう。悪いものも全てが悪いわけではない。不具合はあっても、他の部分で対応できれば問題ないはずである。悪い部分は修正し改善すれば良いはずである。少しでも不具合があれば全てが信用できないと切り捨てるのはあ...引き算の世相

  • 民主主義、自由主義の誤解

    日本は民主主義を史上最高のものと思っている。しかし、民主主義は強烈な体制があってその体制に反抗して生まれたものである。そのための民主主義である。ところが、日本には体制に反抗した経緯がない。敗戦により連合国から強要された民主主義である。日本国民が挙国一致で作り上げたものではない。そのために、単なる制度としての民主主義があり、日本国民の中には民主主義の本来の思想は芽生えていない。体制に反抗して日本国民の意思を貫くためにはどうしなければならないかという具体的なイメージが無い。政府も制度としての民主主義しか経験がなく、日本国民から国を覆すほどの徹底的な反抗を受けたことがない。民主主義の制度は敗戦により連合国からもたらされたものである。民主主義の前は色々な経緯はあるが基本的には封建主義である。封建主義の考えに民主主...民主主義、自由主義の誤解

  • 少子化について

    日本は少子化の傾向がずっと続いている。その原因は何だろうと私なりに考えてみた。はっきり言うと、子供に対する考え方が変わってきていると思う。子供をどう思っているかをもう一度考え直して、日本文化として教育してゆかなければならないのだろう。そこの部分の教育が抜けているのではないかと思う。また、子供を取り巻く環境も大きく変わってきている。それに対してどのように適用してゆくのかも重要だと思う。ただ金銭的な補助をして子育ての環境を整えただけでは、肝心の子供を産み育てる父親や母親のことを忘れてしまっている気もする。昔は子供は多産多死であった。だから、たくさんの子供を産む必要があった。それで人口を適正に維持できた。6人の子供を産んでもそのうち健康に育つのは半数近くであったし、寿命も短くて、早い時期に死亡していた。今は少産...少子化について

  • 理論的な考え方の欠陥

    一番の問題は、自然そのものは理論的でないことである。理論的な考え方は、人間が自然を分析し探求する手法として発展してきた。自然現象は理由も説明も本来は必要なく、ただ存在するだけである。その自然を人間が解明するためにコツコツと積み上げた知識体系に矛盾があってはならないので理論的な考えが発達したのだろう。しかしながら自然そのものは矛盾だらけであり、その矛盾も包含して壮大な原理が存在し、無限の可能性を秘めている。人間が解明したのはほんの一部なのである。そんな理論的考え方を唯一至上のものとして信じて疑わないことは問題を孕んでいる。AはBである。BはCである。よってAはCである。というのが最も簡単な論理的考えであろう。論理的考えに矛盾はない。だからAはCであることは真理だと主張する。しかし、この論理の最初のAそのもの...理論的な考え方の欠陥

  • なんとなくリーズナブル

    テレビでグルメ番組をやっている。出演のタレントが、料理の値段を聞いて「とってもリーズナブルな価格」と言っている。私には何がリーズナブルなのか解らない。そもそも、リーズナブルとはどういう意味だろうと思ってしまう。リーズナブルとは理にかなって納得できることである。何が理にかなっていて何を納得しているのだろうと疑問が湧いてくる。どう考えても「なんとなくリーズナブル」であり、感覚的に言葉を発している感覚しか無い。日本人は言葉に翻弄され過ぎると思う。特にカタカナの外国語の使用は混乱しまくっている。ほんとうの意味を理解しないで感覚的に使っている場合が多い。しかも、カタカナの外国語を使うことがカッコよくて最新の最先端の新しい概念だと思いこんでいる。私はいつもそんな場面に出くわすと首を傾げてしまう。もっと言葉を大事にした...なんとなくリーズナブル

  • 国民の幸福の指標は経済力だけか?

    岸田首相が所信表明演説で「経済」を三度連呼した。経済を好転させることしかやることがないのかと改めて呆れてしまった。これまでもそうだが、これからもずっとそうだと思うと政治に対して不信感と諦めしか感じない。大体が、何かというとGDPを持ち出してとにかく予算規模を拡大して借金しながら金を使うことしか考えていないようだけれども、ここ50年くらいことごとく失敗している過去の歴史がある。少しは反省してほしいものである。GDPは国民総生産のことである。GDPを増大させることは、国民の生産活動を強化することと同じである。経済成長を強調することは、国民に「働け!はたらけ!」と言っていることに等しい。今の世の中で、働くことを強制することが果たして国民の幸福に繋がるのかをちょっと考えてみたらすぐわかることではないかと思う。働く...国民の幸福の指標は経済力だけか?

  • 「アメとムチ」でなく「ムチとアメ」

    ウオーキングの途中で鴨の親子を見た。用水路で、段差があるためヒナ達が昇れないでいる。上では親鳥が待っているが、手助けしようとか、元に戻って後押ししてやろうとかの気配は全く無い。当然といえば当然だが、自力で昇り切ることを強制している。我々人間が傍から見ていると、ヒナ達が健気で可愛そうで何とかしてあげたい気持ちになるが、親鳥はただ上の段でヒナ達が昇ってくるのを待っているだけである。ただ、感心したのは親鳥はそのまま見捨てて先に行くわけではなく、しっかりと見守っていることである。上の段から応援しているような感じでもある。この親鳥のヒナ達に対する教育のやり方に感心した。親鳥としてはヒナ達を教育する義務がある。その内容は、自主自立である。自分で難関を乗り越えなさいと教育しているのである。私はその教育の場に立ち会ったこ...「アメとムチ」でなく「ムチとアメ」

  • 新聞記事からの素朴な疑問

    新聞記事を何気なく眺めていたら、子供放置禁止を埼玉県が条例化したとあった。内容を見てみると、子供を自宅に放置したまま外出したり、車の中に置き去りにしたりする行為を児童虐待と位置づけて禁止する条例改正らしい。罰則規定はなく、小学3年までは禁止、小学4~6年の児童は努力義務らしい。この記事を読んでいて、この条例を定めてなんの意味があるのだろうと思ってしまう。注意喚起するだけなら何も条例で明文化する必要はないだろう。何を目指して条例としているんだろうか?いずれは罰則規定を設けようとしている経過措置なんだろうか。子供の放置とか、虐待などと別の別の言葉を使うから訳がわからなくなる。児童虐待防止法にさえ接近禁止命令違反以外は罰則規定はない。虐待の刑事罰は具体的には暴行、傷害、強要、保護責任者遺棄、ひどい場合は殺人では...新聞記事からの素朴な疑問

  • ストレスと付き合う

    人間の体の不調の原因はほとんどがストレスだと言う。しかしながら、人間に、いや生物にとってストレスは欠かせないものであり、ストレスがなければやる気も起きないし、創造的で前向きな活動はできないし、下手をすると生命さえ維持できないかもしれない。あらゆる生命活動の原点はストレスであり、ストレスがないと何も始まらないと言っても過言ではない。人間はストレスを諸悪の根源のように言い徹底してなくそうとする。確かにストレスは身体に悪影響を及ぼすが、なにか新しいことを始める時は何らかの犠牲が必要であり、その犠牲なしに物事は始まらない。あえて犠牲を覚悟して何かを始めようとしてストレスが生じるし、結果としては身体に犠牲を強いて何らかの損傷が現れる。医学的には炎症と言われる。ストレスによりあちこちに炎症が生じるのである。しかし、生...ストレスと付き合う

  • 誠実って何だろう?

    誠実の「誠」は「まこと」である。こんな名前の人もいるだろうが、「言ったことを成す」という漢字になっている。まずは、自分の言ったことを正当に実行する人のことであろうか。言うこととやることが違うような人は誠実とは言えないようである。そのような人は周囲から不審がられ信用を得ることはできない。信用の「信」も一度言ったことを押し通す人間の行為のことで、この人を用いることが「信用」である。誠実の「実」は事実のことである。人と人の関係で事実を認めるのは最終的には自分自身ではない。相手もしくは周囲の人が認めることが事実である。その決定権は自分にはない。いくら自分の意見を主張してもそれが最終的な事実とはならない。当然相手はその内容を取捨選択し、真実を追求しようとしている。その過程で、発言内容に嘘を汲み取ったらその人を信用で...誠実って何だろう?

  • 睡眠の考察

    睡眠の科学的な研究が進んでいるそうだ。睡眠するのは人間だけではない。動物でも植物でも微生物でさえも睡眠するらしい。科学的に言うと、睡眠は習慣性があり、睡眠中は感覚が鈍くなり、物理的に覚醒させると元の状態に復帰するそうである。この定義に基づいて多種多様なものを実験してみると、いろんなものが睡眠することがわかってきたそうである。しかし、よく考えてみると、これが果たして睡眠と言えるのかは私には疑問に思える。科学は往々にしてこのような手法を駆使する。ある定義に基づいて研究を重ねてゆく訳であるが、果たしてその前提となる定義が正しいのかどうかは疑わしい。あくまで仮説に過ぎない。かといって、睡眠ということを曖昧にしたままでは研究は先に進まない。微生物でさえも睡眠するんだと言われても、私にはピンと来ない。しかし、科学者は...睡眠の考察

  • 天気予報は人間の感覚に合っていない。

    いつも自分の感覚に合っていないと思っている。なんでだろうと考えてみると、確率で予想しているからだろうという思いに至った。確率は数学的にはあり得るが、人間の感覚とは程遠い。人間の感覚を確率に合わせるのは難しいだろう。それでは、どうすればいいかと言うと、それこそAIを使えばいいと思う。AIを使って人間の感覚に近い天気予報をすればいいと思う。こんなところこそAIを使うべきだと思う。例えば、天気予報で雨を予測する場合、降水確率がある。ある時間帯に1ミリ以上の雨が降る確率を示している。例えば、12時から18時の降水確率20%と言う意味は、この間に1ミリ以上の雨が降る確率が20%と言う意味である。反対に言うと80%は降らない確率である。1ミリの雨が一回でも降れば確率20%の予測は当たったことになり、降らなかったら予測...天気予報は人間の感覚に合っていない。

  • 不老不死と錬金術

    世界の主要大国の権力者が昔からご執心だった先端技術である。不老不死は、自分のために永遠の命を獲得するだけでなく、他人の命さえコントロールできる技術を目指したものである。錬金術は金を作り出す技術を獲得すれば巨万の富を手に入れることができる。権力者はこの二つの技術を手に入れれば、永遠に絶大な権力と富を獲得できるのである。考え方と方向は正しいかもしれないが、未だにその技術は確立していない。しかしながら、このために多大の労力と財産を投入し尽力してきた過去の膨大な歴史がある。不老不死と錬金術の過去の功績が現代の科学技術の発達を支えていたと言っても過言ではない。ところが、時の権力者はこの技術を公表することはなかった。公表してしまうと、権力の元となるような貴重な技術を独り占めできないし、意味がなくなる。その技術は闇から...不老不死と錬金術

  • 福島原発処理水の海洋放出

    別に海洋放出に反対しているわけではない。そもそも、トリチウムの環境に対する影響力をそれほど大げさなものとは思っていない。海水の塩分濃度よりももっと影響力は低いだろう。塩分だって生物に悪影響を及ぼす。放射能があるとは言っても、自然界に存在する放射能と比べても問題ない範囲だと思っている。そこの部分をもっと解かりやすく説明してゆくべきだと思う。国際基準を満たしているから大丈夫と言うのも乱暴である。この国際基準そのものがいったい何に基づいているのかも確認する必要がある。諸外国がこの基準に沿って放出していると言うのも乱暴である。諸外国がやっていれば日本もやっていいという論法もおかしい。どこかの国が戦争していれば日本もやっていいと言う訳ではないだろう。国際基準も処理水を海洋放出するための一応の基準であって、基準を満た...福島原発処理水の海洋放出

  • 事実の裏側

    メディアは報道の自由があると盛んに強調する。よく考えると、報道する自由もあるが、報道しない自由もある。しかし報道しない自由についてはあまり問題にならない。メディア側で勝手に決めているし、報道したいものを報道し、報道したくないものは報道していない。そして、報道したこと及びその内容に対する意見なり非難なり圧力なり強制なりが働くと徹底的に反発して「報道の自由」を主張する。時には裁判沙汰も辞さない勢いである。メディアは何を基準に報道内容を取捨選択しているのだろう。大衆の人気か、金儲けか、正義感か、体制批判か、法令順守か、人命尊重か、平和主義か、その他いろいろとあるだろうが、記事を見ているだけではその裏側は解からない。目の前にあるのは記事そのものである。その判断はもともとは読者側にある。それを推測しながら記事を読ま...事実の裏側

  • 最大瞬間風速

    令和元年に台風15号と19号が千葉県を襲った。その時の風雨は尋常のものではなかった。まるで、車の洗車機の中にいるような吹き付ける雨に我が家の庭木はもみくちゃにされていた。最大瞬間風速とは怖いもので、鉄骨の頑丈な支柱が倒されて、松の木が根元から倒れていた。鉄骨は地面にコンクリで固定されていたが、その根元から曲がってキーウィ棚は見事につぶれていた。家庭菜園の鉄のフェンスも倒されていた。自然の猛威は凄いもんだと感心したものである。最大瞬間風速は持続しない。風力発電でも強風はかえって装置に損傷を起こす。適度な風力で持続的に安定した風が生じているのが最適である。最大瞬間風速なんてエネルギー量は高いかもしれないが、必要ないし、かえって迷惑である。この最大瞬間風速をいかにしてやり過ごして装置の安全を図るかが風力発電の要...最大瞬間風速

  • 罰則の強化

    政府は大げさな事件が多発して、世の中で騒がれるようになると、対策として罰則の強化を持ち出す。しかし、よく考えるとその効果はあまりあるとは言えない。例えば、懲役が1年だからやろう、10年だから止めようなんて考えて犯罪を犯す人はほとんどいない。たぶん見つからないだろうと思ってやってみた結果懲役刑に処せられたと言うのが本音だろう。そうであれば、犯罪を犯す前に、やったら見つかって処罰されるぞ、という犯罪抑止の方が大事だと思う。そのためには、犯罪を探知して検挙することがより重要である。罰則はそのあとの話であり、犯罪を犯して検挙された者にとっては結果であって、懲役が何年になろうとどうしようもない。周囲で同種の犯罪が確実に取り締まられて検挙されているのが明確であれば、これ以上の犯罪抑止はない。誰も犯罪に手を出さないだろ...罰則の強化

  • AI再び

    またまたAIの話である。AIの出力されたものは、既製品であり既成事実を組み合わせてもっともらしく作り出されたものである。この結果を利用するにあたって、人間は自分でこれをカスタマイズしなければならない。このカスタマイズする部分が人間のやることであり、この過程がなければAIの結果は使い物にならない。このことは以前にも何度も書いてきたことであるが、もっと違った観点から書いてみたいと思う。AIも一種のロボットである。ロボットには三大原則がある。①人間に危害を与えてはならない。②人間の命令に従わなければならない。③自己を守らなければならない。以上である。この原則に従うと、人間に危害を与えてはならないのである。人間に危害を与えるロボットは、原則からすると抹殺し排除されなければならない。それなのに昨今のメディアはAIに...AI再び

  • 腐敗

    梅雨の時期であるが、食物が腐る時期でもある。腐敗と発酵は同じことであるが、人間に害を及ぼすものを腐敗と言い、人間に有益なものを発酵と言う。人間にとって菌や微生物の働きは生命を維持するために重要な要素でもあるが、これも善玉と悪玉がいる。善玉がいい奴で、悪玉が悪い奴でもなく、時には善玉が悪いことをすることもあるし、悪玉がいなければ生命活動を維持できない。自然の摂理とは何でもこんな感じで、人間中心に考えるから偏った変な考えになってしまう。メディアでいろんな事件が報道されている。人間の善玉か悪玉かは知らないが、とにかく周囲に害を及ぼしている。メディアは事実を報道して、大変だ大変だと騒ぐばかりであり、それを受けて体制側は大衆の不安を取り除くために何か事故対策をしなければならないと躍起になっている。自然の摂理からすれ...腐敗

  • チャットGPT

    チャットGPTがますます騒がれている。一体何だろうと思っている。何を勘違いしているんだろうと思ってしまう。一番の勘違いは、AIそのものは、過去のデータに基づいて分析した結果であって、将来を予測するものではないことである。この過去のデータの分析に基づいて将来のあり方が予測できるという考え方そのものが間違っていると思う。すでに過去のデータは陳腐化したものであり、決して最新の情報ではない。今現在進行形で思いついた情報であっても、即刻に過去のデータになってしまうし、すでに新しい発想のもとに新しいものが創造されているのが現実である。過去のデータの分析の方法において、どのような手法を使っているのかをつぶさに観察すると、例えば、最も単純な多数決法であるが、賛成派と反対派の意見を集約してどちらが多数を占めるかで結論を出す...チャットGPT

  • 北朝鮮の衛星打ち上げ

    北朝鮮が衛星の打ち上げ実験を行った。世界中で大騒ぎであり、特に日本は国を挙げて非難囂々であった。しかし、衛星打ち上げは世界各国がやっていることであり、日本も種子島から打ち上げを繰り返している。この頃は国だけでなく民間企業も打ち上げに熱心である。それなのに、北朝鮮が打ち上げたら自分達のことは棚に上げて、一方的に非難するのは間違っている気がする。今回は北朝鮮の言っていることが正当な気がする。衛星打ち上げと言っているが、実質は核兵器開発である。そんな声も聞こえるが、それでは日本の衛星技術は核兵器開発のためにやっているんですか?と、問いたい。確かに、日本も核を持つ能力を身に着けるため、原子力研究やロケット開発で技術力を誇示して周辺諸国に対する抑止力としようと密かに画策はしているのだろうが、それを咎められることはな...北朝鮮の衛星打ち上げ

  • 「法の支配」って何ですか?

    G7サミットが広島で行われている。その声明に「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」が強調されている。このところ頻繁に出てくる「法の支配」とは一体何だろうと気になって自分でも調べてみた。いつものことではあるが、「法の支配」とは、日本で生まれたものではなく、イギリス由来の「RuleofLaw」を日本語に翻訳したものである。それでは、「RuleofLaw」は何かというと、「人の支配ではなく法の支配を」という概念に由来し、議会政治の発展の中で、議会で制定された法には政府も国民も従わなければならないことである。また、王権による支配を制限または縮小することは国民の権利であることも示している。「法の支配」は英米の考え方なのである。もっと言うならば、民主主義、自由主義国家の考え方なのである。意地悪な言い方をすれば、「...「法の支配」って何ですか?

  • 変化を嫌う

    我が家に鉢植えのリュウゼツランが3株ある。窓際において、ほったらかしで時々水を少しやるくらいである。もともとが砂漠の乾燥地帯に生えている植物で、ほとんど水がなくても育つ強靭な植物である。かえって水をやり過ぎたり、葉っぱに水がかかったりすると根腐れしたり、葉が腐ったりするようだ。反対に空気中の水分を吸収して育つほどである。本当に乾燥しきってカラカラになって、葉がしなびるくらいになった頃に土に少し水を与えるくらいでいいようだ。これが解からない人は、株をだめにしてしまう。一番の原因は水のやり過ぎである。これで根腐れを起こしてしまう。乾燥した状態でほんの少し水分があればいい。根腐れしてきたら掘り起こして、そのまま乾燥させて、乾ききったところで乾燥した土の上に置いておけばうまくいけば復活する。うまくいかないときは生...変化を嫌う

  • 音痴の気持ち

    私は定期的にギター弾き語りのためにスタジオでの発表会に参加しているが、この前、参加している同僚から、音程が狂っているという指摘を受けた。私としては「エーッ!!」という気持ちだったが、確かに全体が狂っていると言うし、歌っている時は自分ではわからないので、一旦録音して聞き直したらわかるという丁寧な助言まで頂いた。あまりにも確信的な言い方であったので、会も終盤であったが、その後は歌うことができなくなってしまった。老化によって音感が狂ってきたのだろうかと自信を失ってしまった。家に帰って、チューナーで客観的に音程を確認したが、特に異常はなかった。これまでも色んな場の演奏活動で披露してきたが、特に指摘を受けたことはなかった。急にこんな状況になったのか、もしかしたらもっと前から音程が狂ったまま演奏していたのかと不安にな...音痴の気持ち

  • 厚生労働省コロナ関連アプリの開発のお粗末

    元々は、症例情報迅速集積システム(FFHS)」があった。また、国立感染研究所にはサーベランスシステムなるものがあった。2009年の新型インフルエンザの教訓から、サーベイランスシステムを強化するためFFHSの研究が2013年から開発が開始している。そして、今回のコロナウィルスで成果を発揮する予定であったが、厚生労働省は何を思ったか、2020年急きょ観戦情報管理システム「HER-SYS(ハーシス)」の開発を開始した。開発を主導したのは橋本岳副大臣(当時)である。彼はFFHSについての情報を知らなかったと言う。お粗末なものである。コロナ接触確認アプリ「COCOA」の不具合は有名である。厚生労働省はこの開発業務を約4億円でパーソナルプロセス&テクノロジーと言う会社に委託している。これをマイクロソフト社などの3社に...厚生労働省コロナ関連アプリの開発のお粗末

  • 国の少子化対策に対する不信

    今年度予算が成立した。その内容を見ていると、補助金や給付金や手当のオンパレードである。お金を渡せば問題が解決すると思っているのだろうか?そんなことはないし、それで問題が解決するとは到底思えない。単に家計簿の数字が書き換えられるだけで、少子化対策費によって浮いたお金が収入に加えられて、これを支出に回すだけである。国がいちいち各家庭に渡した少子化対策費の使途をいちいち監視するわけにもいかないし、そんなことをすれば非効率なことこの上ない。少子化対策も同じである。学校給食を無料化すると言うが、私にはこれが直接の少子化対策にはならないと思う。学校給食が有料だから子供を産まないなんてことは笑い話でもあり得ない。一寸考えれば解かることだろう。そのほかいろいろな給付金や補助金や支援金が対策として考えられているが、このお金...国の少子化対策に対する不信

  • Chat GTP雑感

    ChatGTPが世間で騒がれている。文部科学省あげての大騒ぎである。一体なんだろうと不思議に思ってしまう。AIが勝手に論文を作ってくれて、それを見破れないのが問題だと言う。学生がこのAIを使って論文やレポートを出されたら大問題らしい。学術的な研究論文に利用されたら混乱は必至らしい。でも、そんなことはないだろうと天邪鬼の私は思っている。ただ机上の空論にしないで、実際にChatGTPを使ってみたら良い。どんな手法を使っても出来上がったものが素晴らしいのであれば問題ないはずである。問題となるのは、それが本当に素晴らしいのかどうかの評価であり、その評価を下す人の能力である。それが、件のChatGTPのAIにも劣るというのであれば、問題は評価する側であろう。次に教育的な観点から本人が作成したどうかを判定する必要があ...ChatGTP雑感

  • 認知症

    自分でも年代的に認知症を心配する時期になっている。認知症とは何だろうと思ってしまう。人間はみんな多かれ少なかれ認知症の症状がある。経験したすべてのことをきっちりと覚えておくことはできないし、必要でないことは片っ端から忘れている。反対に、忘れられなかったら発狂して死んでしまうだろう。当然ながら、脳のキャパシティーは限られている。この脳に何でもかんでも詰め込めば満杯で飽和してしまう。また、新しいものを覚えるためには古いものは消してゆかなければならないのだろう。誰だって少なからず認知症であることを前提としなければならないのだろう。そうであれば、認知症の人を区別したり差別したりするのは間違っている気がする。認知症も一つの個性だと思う。周囲に迷惑をかけないような認知症であれば何も問題ないはずである。たとえ認知症であ...認知症

  • アリとキリギリス

    有名な童話である。普通に理解すれば、気候が良いときにキリギリスは歌を歌って楽しく過ごし、その間にアリはせっせと働いて巣を作り、食べ物を運んで、冬が訪れると、キリギリスは食料もなく、寒さに震え、困ってしまうが、アリは自分の巣と貯蔵した食料で楽しく過ごす、と言う話である。そして、話し終わって子供に「キリギリスでなくアリのように生きましょう。」という教訓を述べるのが一般的である。果たしてそうなんだろうかと思う。みんながキリギリスのような生き方をしたら、冬には困ってしまう。だからといって、キリギリスは冬以外の気候のいい時には楽しい歌を提供してみんなを喜ばせていたのである。この事によって、周囲を幸せにしていたのである。アリもキリギリスと一緒になって、歌を聞く側になって働く合間に楽しめばよかったのである。そのために、...アリとキリギリス

  • マスク着用の基本方針?

    政府が発表したが、なんか変である。3月13日以降着用するかしないかは個人の判断らしい。本来、マスク着用は個人の判断で実施していることである。それに対して国が着用を推奨してきたもので、強制でも義務でもないはずである。強制するのなら罰則も含めて違反者を取り締まる必要があるはずである。最初から中途半端なお願いでしかないのであり、混乱を招いていると思う。だから、「マスク警察」などが登場し、「国が着用しろと言っているのに何でしないんだ!!」というようなおかしなことにもなる。大体が、マスクが万能と思い込んでいることもおかしい。結局はしないよりもしたほうがいいくらいのものである。アクリルシートも同じである。もっとその効果を科学的に分析して判断材料にするべきであると思う。見た目だけで効果がありそうで、あれば安心するような...マスク着用の基本方針?

  • 自己実現のための敬天愛人

    自己肯定感とは何だろう。まずは、他人の評価に囚われないことだろう。他人に振り回されていたのでは、自己は喪失してしまう。自分をしっかりと持ち続けることだと思う。自分を大切にすることでもある。他人よりまずは自分なのである。そう考えて何も悪くない。そこから出発して、よりよい社会生活をするために他人との付き合いが始まるのだろう。出発点が違ったら最後までおかしなことになる。そしておかしくなったら本来の自分に戻るのである。次は、自分の評価に囚われないことである。人間はどういう訳か自己評価をする。他人と見比べて自分を評価するのである。その評価にあまり囚われないことだと思う。他人と比較して自分を見るのは、自分自身を向上するための手段であって、目的ではない。他人と比べて劣っているからと卑下することもないし、それよりもどうす...自己実現のための敬天愛人

  • 2a-a=

    学校で数学の問題を出したそうである。生徒の答えは2だったと言う。確かに2aからaを引いたら残るのは数字の2である。これも一つの考え方であり、記号で見るとその通りである。こんな考え方を無視してはいけない。こんな考え方もあるんだと言う柔軟な考え方をすべきなのである。教育の場において、こんな答えを出したら、頭ごなしにバカにするような言い方をして指導するのだろうが、その途端、生徒は委縮し、後悔を強いられるだけでその後の柔軟な思考の扉は閉じられてしまう。このような答えを出したことは教育の絶好のチャンスなのである。数学的に2aはaが2つと言う意味であること、ここから一つのaを引くと残るのはaが一つである。これは約束事で、2aは2×aを略したものである。この基本的なことをよく教えていないために、答えが「2」になってしま...2a-a=

  • 自分と他人の関係

    人間は自己を客観視する能力を持っている。動物は自己を客観視することができない。自分は自分であり、存在そのものであり、自分を外側から見る能力はない。他の動物は自分と全く異なった個体であり、自分と他の動物との違いを認識する必要さえない。そういう意味では動物はお互いにそれぞれが同じであるし、自己という認識さえ存在しないのだろう。動物はそれぞれが自由に行動し、自分の行動した結果に基づいて反応していることとなる。弱肉強食の厳しい生存競争の中にはあるが、自由といえばこれほどの自由はない。人間は自己を客観視する。自分を外側から客観的に観察することができる。赤ちゃんが自分の手を見つめて、その手を動かしてみて、脳から命令を出して手を動かしてみて、どのような命令を出したらどのように動くかを繰り返し学習している。このようなこと...自分と他人の関係

  • 政府の少子化対策のお粗末

    少子化対策の予算が審議されている。予算額については議場で討論されているが、中身の具体的な対策については、あまり議論されないし、その乏しい中身を見てみても、新しい対策が見えてこない。議題に上がるのはお金の話ばかりである。予算規模をどうするか、少子化対策の支援金をいくらにするか、地方自治体への補助金をどの程度にするか、出産手当の増額をどうするか、子育て支援金をどうするか、教育費の無償化をどうするか、などであろうか…。金を渡せばどうかなるものではない。「金を渡すからこれで自由に少子化対策をしてください。」と国民や地方自治体や団体組織に言っても困ってしまう。国として国民の税金を使ってどんな事業をしようとしているかを明らかにして、その事業に応じて国民や地方自治体や団体組織に協力してもらうために国家予算を組むのだろう...政府の少子化対策のお粗末

  • 死に時について

    死に時は自分で決めたほうがいいらしい。決めた死に時よりも早く死んだら早死にである。死に時以降も生きれたら儲けものである。若い年齢に死に時を決めたら早死にする確率は小さくなる。高齢になる年齢に死に時時を決めたら早死にする確率が高くなる。どの年齢に自分の死に時を決めるのかは個人の自由であるが、死に時までに自分の生活設計を決める必要がある。それが一つの区切りとなる。それまでに人生を全うできるようにしっかりと計画する必要がある。死に時を迎えたら、何も思い残すことがないという心境であるべきである。死に時以降は人生の余録である。好きに生きたらいい。すでにやるべきことはやっているんだから何も思い残すことはない。下手に寿命を伸ばそうなんて考えることもない。生への執着もないはずである。ストレスなく気楽に死を迎えることができ...死に時について

  • 常識について考える

    常識とは何だろう?不思議なことに、常識とは普通の一般知識であり、専門知識ではない。一般人が知識として理解し適宜の処置ができる能力である。そう考えると、常識とは普通の一般的な感覚と理解力と判断力と行動である。それなのに、このごろでは専門知識に偏りすぎている気がしてしょうがない。確かに専門知識は最先端の知識で、信憑性も高く信頼できるが、一般人が理解できずにただ盲信するだけのものでは「常識」とはいえない。ジェフ・ベックと言う有名なギター奏者が亡くなった。超技巧を使って先端的で独創的な演奏で世を風靡したが、本人は一般の普通の人を喜ばせるような音楽ができなかったことを晩年悔やんでいたと聞く。「POPS」という音楽ジャンルがあるが、正確には「PopularSong」で、一般普通の人に好まれて歌われる歌である。日本語で...常識について考える

  • 空海の教え

    先日ホームパーティーがあった。その席で、缶ビールを飲み終えて、そこのホストの人に話題を提供するつもりで、「アルミ缶のつぶし方を知っていますか?」と尋ねたら、怪訝な顔をされた。それでも目の前でサッとアルミ缶を潰して見せたら、「私にはそんな必要はない、それより勝手にそんなことをしないでくれ」と言われてしまった。後でわかったが、その人にとっては、容積を小さくするより、ゴキブリなどが寄らないように、きれいに水で洗って捨てることの方が大事だったようである。私は、二の句が継げなくて、あっさりと引き下がった。そして、潰した缶を元通りに戻して、水で洗って指定されたゴミ箱に捨てた。それだけのことである。しかし、この人はいろんなところで損をしているのだろうなと他人事ながら思ってしまった。たぶん、この人はこのアルミ缶の効率的な...空海の教え

  • 空海の教え

    先日ホームパーティーがあった。その席で、缶ビールを飲み終えて、そこのホストの人に話題を提供するつもりで、「アルミ缶のつぶし方を知っていますか?」と尋ねたら、怪訝な顔をされた。それでも目の前でサッとアルミ缶を潰して見せたら、「私にはそんな必要はない、それより勝手にそんなことをしないでくれ」と言われてしまった。後でわかったが、その人にとっては、容積を小さくするより、ゴキブリなどが寄らないように、きれいに水で洗って捨てることの方が大事だったようである。私は、二の句が継げなくて、あっさりと引き下がった。そして、潰した缶を元通りに戻して、水で洗って指定されたゴミ箱に捨てた。それだけのことである。しかし、この人はいろんなところで損をしているのだろうなと他人事ながら思ってしまった。たぶん、この人はこのアルミ缶の効率的な...空海の教え

  • 国によるマスク着用の解除

    今月末からマスクの着用義務をなくすという。いちいち国から指導されないとマスクが外せないと言うのも問題に見えるが、果たして着用義務をなくしてもいいのかどうかの判断も疑問に見えてしょうがない。根拠が不明なのである。少なくても科学的な根拠が必要だろう。世間が認めるような風潮にあるから、また着用反対の声があるから止めようと言うのでは根拠に乏しい。もっと言うと、今更ではあるがマスク着用の効果そのものもはっきりとしない。みんな何となく気分で同調圧力でマスクをしているのが実体である。目の前に感染者がいて、マスクで防げるのか?私は未だに確信がないし、必要なデータを持ち合わせていない。確かに確率的には感染率は低下するだろうが、ウィルスはマスクでは完全に防げないと言うのが正しいようである。感染者が出す飛沫そのものはある程度防...国によるマスク着用の解除

  • 福島原発事故東京高裁判決

    3月18日判決が言い渡される。1審で無罪とされ、高裁が刑事責任について全員無罪とした。起訴されているのは東京電力の旧経営陣3人で、罪状は業務上過失致死傷である。私は法務にはとんと疎いが、私なりに考えてみたいと思う。争点は、巨大な津波が予測可能だったという「予見可能性」と、有効な対策をとれば事故を避けられたという「結果回避可能性」であるそうである。素人考えでは、争点が違っているのではないかと思えてしまう。予見可能性については、はっきり言って、日本国中の誰もがあの日に巨大津波が発生すると予測できていなかったではないかと言うのが正直な感想である。それなのに、東京電力の首脳陣に巨大津波の発生を予見できたと主張するのが無理がある。確かに国の地震調査研究推進本部が2002年の長期評価では、福島県沖を含む広い範囲で巨大...福島原発事故東京高裁判決

  • グレーゾーン

    善悪の判断基準は難しい。誰が考えても善の領域があり、誰が考えても悪の領域がある。そして、その中間に善でも悪でもないグレーゾーンがある。きっちりと判断がつく善と悪は何も問題ないし、悩むこともない。問題はグレーゾーンなのである。それなのに世の風潮はグレーゾーンを悪いものとして切り捨てようとしている。グレーゾーンにあるものを善か悪か個人個人で見極めて判断して行動することが重要なのに、その努力を怠って、悪いものとして片付けてしまう、もしくは無視して何もしようとしない。排除しようとしているのは、悪である。悪を含むグレーゾーンは悪で片付けてしまうほうが簡単である。しかし、よく考えてみると、善の部分も切り捨てている。本当に大切なものは、グレーゾーンの中にある善の部分であり、ここに新しい善を見つけてゆくことが創造的、挑戦...グレーゾーン

  • 令和5年 あけましておめでとうございます。

    コロナ禍やウクライナ紛争や世界不況や気象変動にかかわらず、平穏なお正月を迎えています。年の初めに幸福について考えてみる。世の中お金お金と金儲け話ばかりが充満しているが、お金のことを気にしないで暮らせることが幸せだと改めて感じている次第である。お金のために無理に働くこともなく、お金に縛られることもなく、お金に振り回されることもない。なければないで何とかなるものであり、ないなりに工夫することが生き甲斐になっている。幸福の要素は何だろう。お金だけではないだろうし、お金で幸福になるとは考えられないし、お金で買えないものもたくさんある。健康、時間、価値、信用などだろうか、お金で買えないにもかかわらずお金のためにこれらを犠牲にしてお金を稼いでいる人がいる。お金は信用の塊ではあるが、信用そのものがお金ではない。信用を一...令和5年あけましておめでとうございます。

  • SDGSに思うこと

    事あるごとにSDGSが喧伝されているが、現実的、具体的な実行には程遠い気がする。環境保護の観点からは、化石燃料の使用を抑制するもしくはなくすことが最重要だと思うし、それに向かっての将来への筋道を明確にすべきだと思う。脱炭素だ、レジ袋廃止だ、ペットボトルだ、ストローだ、スプーンだ、発泡スチロールだ、リサイクル・リユース・リデュースだなどと掛け声だけは聞こえてくるが、根本のところはそれほど変わらないし、効果も上がっていない気がする。SDGSは国や企業のイメージアップの道具になっている。本当に本腰でSDGSをやろうとしているのかは疑問である。世界が周囲がみんながやっているから少しはやる姿勢を見せるかぐらいの意気込みである。人気取りの一貫にも見えてしまう。環境問題ばかりに特化しているのもなんかおかしい。ほかにもや...SDGSに思うこと

  • 防衛力強化と増税

    岸田首相は防衛力強化のため増税が必要だと言う。防衛費は安定的な財源で賄うべきであり、借金は妥当ではないと言う。今を生きる我々が将来世代の責任として対応すべきものだと言う。しかし、庶民レベルでよく考えてみるとおかしいと思う。賢明な主婦が家計が苦しくなったと言って問題解決のため収入を増やすことや借金することを最初に考えるだろうか?怠惰な主婦は安易に夫の稼ぎが悪いと不満を言い、安易に借金でその場をしのぐのだろうが、普通の主婦でさえこの解決法は最後の手段である。まずは、現在の家計の状態を見直すのだろう。そして、やり繰りできるところや無駄なところを見つけて不足分を補う努力をするだろう。普通の主婦はほとんどこれによって何とか問題を解決している。賢明な主婦はこれに計画的な過去の貯蓄分を充てて問題解決するだろう。自分たち...防衛力強化と増税

  • 「よろしくお願いします」の心

    おはようございます、こんにちわなどのあいさつの意味を詮索しても仕方ない。ただ単に時候を述べてあいさつ代わりにしているだけである。午前中はおはようございます、昼あたりからこんにちは、日が落ちたらこんばんは、であろうか。相手に発する最初の掛け声でもある。この掛け声がなければ会話は前に進まない。反対にあいさつもしないことは会話を拒否していることでもある。関わりたくないと思っているのだろうから放っておくしかない。この頃「よろしくお願いします」が気になっている。これもあいさつ代わりの言葉になっているようだが、問題は最初でなく、最後に言うことである。さんざん会話して、最後に「よろしくお願いします」と言われる。時にはあいさつが終わった後、「よろしくお願いします」と言われることもある。よく考えると、何をよろしくと言ってい...「よろしくお願いします」の心

  • 人生浮き沈み

    この前、友人達と話していた時、人生の浮き沈みはその人の一生でゼロサムだという説が唱えられていると紹介があった。それにしても、裕福な人も、貧困の人も幸福な人も不幸な人もみんな同じだとはちょっと抵抗があるという話で盛り上がった。何が実体験と違うのか話し合ったが、どうやら最初の出発点が違うということになった。出発点、すなわち生まれ出た環境が裕福か、貧困か、幸福か、不幸かが大きく影響しているようである。電気信号で考えると、人生の浮き沈みを波形で表すと、確かにその変動はトータルするとゼロサムになりそうだが、下部には直流分の電圧があり、この電圧の高い低いによって同じ波形であってもレベルは大きく違ってくる。そして、この波形の積分値は全く変わってくるはずである。この直流分の電圧のかさ上げは何によって決まるのだろう。人生の...人生浮き沈み

  • 小さな脳の存在

    脳は一つだけではないようである。あちこちに小さな脳が存在し、身体を動かしている。この小さな脳に指令を出して統一的に制御しているのがいわゆる我々が考えているところの頭脳である。頭脳とは頭にある脳であって、この頭脳もたくさんの小さな脳の組み合わせで構成されている。そしてそれぞれの脳が役割分担して指令機能を果たしている。頭脳はコンピュータのプログラムのようにすべてを制御しているわけではないし、いちいち細部まで統制しているわけではない。まぁ、コンピュータプログラムもメインとサブに分かれていて、メインがサブを呼び出しながら動作している。人間には無意識と意識がある。人間が意思決定する時に最初に決定しているのは無意識においてである。意識する前に無意識ですでに決定しているのである。我々は自分の意識で行動や決断を決定してい...小さな脳の存在

  • 小さな脳の存在

    脳は一つだけではないようである。あちこちに小さな脳が存在し、身体を動かしている。この小さな脳に指令を出して統一的に制御しているのがいわゆる我々が考えているところの頭脳である。頭脳とは頭にある脳であって、この頭脳もたくさんの小さな脳の組み合わせで構成されている。そしてそれぞれの脳が役割分担して指令機能を果たしている。頭脳はコンピュータのプログラムのようにすべてを制御しているわけではないし、いちいち細部まで統制しているわけではない。まぁ、コンピュータプログラムもメインとサブに分かれていて、メインがサブを呼び出しながら動作している。人間には無意識と意識がある。人間が意思決定する時に最初に決定しているのは無意識においてである。意識する前に無意識ですでに決定しているのである。我々は自分の意識で行動や決断を決定してい...小さな脳の存在

  • 差別のマニュアル

    差別にならないためのマニュアルを作ると言う。いつも思うのだけれども、差別しないようにしようと心がけることは、すでに差別していることでもある。全く差別していないのであれば、あえて気を付ける必要もない。それでも差別が生じるのは、差別される側に問題がある気がする。差別される側が被害者意識が強くて、何でもないことでも差別されたと思い込んでしまうからであろう。差別する側も差別される側も同じ土俵に立って考えなければならない。対等の立場から出発して考えないといけないようである。「めくら」や「ちんば」は差別用語であるらしい。「はい、私はめくらです。」「はい、私はちんばです。」から出発したら差別ではなくなる。めくらでちんばであることは事実なのである。それを差別と感じるのはなじったり見下げたりからかったりする感情が働くからだ...差別のマニュアル

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