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JNR-M http://jnr-m.sblo.jp/

北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。

国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。

武蔵宮
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2016/02/01

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  • 臨港環状線14

    川崎大師駅の踏切。下り線の標準軌に狭軌が乗り入れていた3線区間の末端で、踏切の路盤だけは交換されず、今も内側に溝が残されています。

  • 臨港環状線13

    長い時を生き延びてきた鉄骨の架線柱が並ぶ京急大師線。1944年に戦時中の混雑対策で大師線が延伸される以前、1937年まで終着駅だった川崎大師駅は浜川崎方面へ向かう海岸電気軌道…

  • 臨港環状線12

    市電の環状計画に翻弄された大師線。川崎大師の参詣用に造られながら川崎大師駅の先に続いているのは、延伸と廃止がもたらした鉄道の歴史。

  • 臨港環状線11

    京急大師線の小島新田駅近く、塩浜操車場を挟んだ東側。左に曲がった敷地は廃線跡で、路線短縮・移転前の小島新田駅跡はここの手前。左に進んで貨物線を渡ると今の小島新田駅…

  • 臨港環状線10

    神奈川臨海鉄道千鳥線の踏切。塩浜操車場建設で大師線が縮小され、入れ替わりで直角に貨物線が開通。鉄道を跨ぐ門型だった鉄塔もいつの間にか普通の形に。目まぐるしく景色が変わ…

  • 臨港環状線9

    水江町から離れた市電の跡は北東に向きを変えて道路沿いの細長い敷地に。鉄道開通時に線路の右側は海、1950年代に埋立地が広がり始めてもなお水面が多く残り、市電が廃止され…

  • 臨港環状線8

    水江町の道路は両側を市電から分かれた貨物線と日本鋼管の専用鉄道に挟まれた状態で、貨物線は市電廃止後に神奈川臨海鉄道水江線と繋がって存続。縮小されるまでは東の倉庫街に出…

  • 臨港環状線7

    池上新田公園で90度向きを変えた市電の跡は道路沿いの遊歩道に。ここから先では市電の3線軌条から水江町の各方面へ狭軌の貨物線が分かれていました。

  • 臨港環状線6

    水江町へ入る道路と産業道路の交差点にある池上新田公園。ここは市電よりも少し早く大師線を延長して開通した区間で、1945年に桜本停留所で市電と大師線が接続し、後に市電が大師…

  • 臨港環状線5

    桜橋停留所から近い桜川公園、保存されている川崎市電702。標準軌を採用していたので、幅のある落ち着いた外観。戦後復興の象徴だった電車。

  • 臨港環状線4

    浜川崎駅の端を通過するEF210-8。東海道本線の貨物線は段階的に建設が進められ、1964年に塩浜操車場が暫定開業した際、市電に新設区間を接続。後に市電から独立し…

  • 臨港環状線3

    産業道路と貨物線の高架橋に挟まれた市電の跡。日本鋼管の専用鉄道を間借りしていた工業地帯の貨物列車を市電経由に変更するため、1949年から標準軌だった市電の専用軌道を3線軌…

  • 臨港環状線2

    浜川崎駅のすぐ北側、高速道路の下にある大きな鋼管通り交差点。古くはロータリー型交差点だった場所で、中央を市電が右奥の市電通りからこちらへ曲がって、産業道路沿いの専用軌…

  • 臨港環状線1

    川崎駅の南側。京浜急行のガード下に向かう道路には、市電通りの看板と埋め込まれた市電のタイル。川崎市交通局の軌道線は1969年に廃止されましたが、市電の名称は今も存続。 …

  • 北国の出発点5

    琵琶湖の対岸、長浜駅。創成期の東海道本線では西の大津駅と連絡船で結ばれていた場所。元々は1882年に敦賀の港から南の琵琶湖東岸へ線路が開通し、路線が…

  • 湖畔の道13

    381系が速度記録を出した高規格の路線ですが、特急形・急行形しか交直両用電車が関西地区に導入されなかったため、当初は直流近郊形電車とディーゼルカーの乗り継ぎという状況で…

  • 湖畔の道12

    大津京駅の221系。湖西線には琵琶湖東岸の北陸本線と同様に交直デッドセクションがあったため、普通電車は合流手前の永原駅まで、北陸本線の近江塩津駅より先には近江今津駅で…

  • 湖畔の道11

    一見するとただの街なかにある交差点ですが、ここも江若鉄道の廃線跡。この向こうはトンネルを抜けてきた湖西線の高架橋が廃線跡の上へ。江若鉄道が廃止された当時は周囲に建物が…

  • 湖畔の道10

    左から遊歩道が道路に合流。江若鉄道の廃線跡はここから道路になって北へ。この辺りは車庫があった三井寺下駅跡ですが、半世紀もの時を経て、もう何も残っていません。

  • 湖畔の道9

    ゆるやかに市街地を離れて往く遊歩道。 大正時代に建設が始まった江若鉄道は1931年に浜大津・近江今津間が全通し、国鉄の貨物線を利用して東海道本線と接続していました。本来…

  • 湖畔の道8

    琵琶湖疎水を渡る斜めの橋。足元には歴史ある石と煉瓦の橋台。江若鉄道の廃線跡には遊歩道が整備されて、ガード橋の代わりに歩道橋が架けられています。

  • 湖畔の道7

    琵琶湖疎水を渡る京阪石山坂本線。琵琶湖から分かれた水道は向こうの山をトンネルで抜けて京都の街へ。

  • 湖畔の道6

    三井寺駅で唐突に終わってしまう併用軌道。脇に逸れる小さな道路、ここが大通りでなかった事に気付かされます。

  • 湖畔の道5

    実は偏った位置にある併用軌道。当初は単線だったものが、複線化で道路の片側が埋まってしまったのかもしれません。電柱のように架線柱が道端にある、浜大津の道路。

  • 湖畔の道4

    道路のほぼ全てが軌道敷。これで問題ないのは、ほとんどの自動車は向こうから左の大通りに直進するためで、鉄道の方がこちらの脇道へ逸れている形になっています。

  • 湖畔の道3

    浜大津駅から西の京阪石山坂本線。石山坂・本線と読みたくなりますが、蛍谷の石山寺と比叡山麓の坂本を結ぶ路線。路面電車のイメージがあるものの、併用軌道は浜大津駅付近のみで…

  • 湖畔の道2

    かつて路面電車の標準軌と貨物線の狭軌が存在していた浜大津駅。 大津電車軌道と京津電気軌道は京阪電鉄と合併して石山坂本線と京津線になったものの、駅は1981年に改築される…

  • 湖畔の道1

    湖畔で空が広い、びわ湖浜大津駅。 東海道本線は1880年の建設時に工事の遅れから長浜・大津間を琵琶湖の鉄道連絡船で結んでおり、その際の大津駅がこの場所。京都側から今の膳…

  • 逢坂11

    京阪京津線は琵琶湖の湖畔から坂道を登って、逢坂の峠を越える短い旅。長い路面電車は地下鉄に変わり、二条城の横を通り抜けた先の終点を目指して。

  • 逢坂10

    市街地の中央を横断するアーケード街。横断歩道の中央を横切る軌道と頭上の架線が珍しい、湖畔の街。

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