佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
ホキ2500の編入車と新製車ホキ2000の狭間に生まれたホキ19500。かつては細かな形態の差異を持っていた貨車という存在を伝…
無蓋車・ホッパ車・タンク車・専用コンテナと会社によって様々な私有貨車が存在していた鉱石輸送。国鉄末期と…
国鉄ホキ2500から編入されたホッパ車ホキ9500。北海道の石炭輸送から始まった短い車体と側開きのホッパ車は、…
黒塗りの鋼板で造られていた私有の有蓋車ワ1。プレス板の国鉄車が姿を消した貨物駅の隅で。
分解された貨車の向こうに佇むトキ28921。側板は変形して外にふくらんでしまった、晩年の無蓋車。
貨物駅の作業用になっていたトキ28664。解体された機関車の部品を載せて。
手頃な代車がなかったので長生きだった無蓋車トキ25000。国鉄時代から多くの物を運んできたトキ27022。
止まったままのタンク車タキ43550。北の大地からやってきて迎えた雪のない冬。
機関区の隅に取り残された大型有蓋車。コンテナ化で消えていったプレス版の車体。
北海道から九州まで、各地を結ぶコンテナ車。1両単位への回帰で珍しい存在になった4両ユニット型コキ102-533。
ライトは簡易な1灯ながら国鉄車との類似点も多いND5528。長生きを続けたDD13の系譜。
貨物列車を後押しするEF210-306。新型機の登場で様々な場面が過去のものになった峠道。
瀬野駅を通過するEF200-14。瀬野駅での後部補機連結・八本松駅での走行中解放はなくなり、峠道で止まらなくなった貨物列車。
向洋駅の通過線を駆けるEF210-140。段々と数を増やし、EF66・EF200に代わって主力に。
広島貨物ターミナル駅を出発するEF200-4。余りある出力6000kWの電気機関車。
傷みが目立ち始めたEF67-103。迫っていたEF210-300番台との交代。
EF61-200番台と交代して約30年。広島の街とともに歩んできたEF67-102。
EF65から改造された、もみじ色のEF67-105。重量貨物列車を後押しするため、連結器の基部が強化された勾配補機。
朝の広島。まだ現役だったEF200-20。
日夜忙しく入換を続けてきたDE10-1164。民営化で貨物用になった客貨両用の1000番台。
暗くなり始めた広島の街。止まっているのは吹田機関区のEF210-167。
パンタグラフを片方だけ上げたEF210-127。関東地方への出発を待つひととき。
EF66よりもシンプルに、EF65よりもパワフルに。現代へと繋がる0番台、EF210-17。
大動脈の山陽路を支えてきたEF66-124。少し煤けてきた白い車体。
歴史あるレンガ倉庫に横付けされたままの配給代用有蓋車ワム283430。その向こうには大型機EF66-27。いつしか国鉄生まれの車両は消えていき、レンガ倉庫だけ…
富山機関区から来たEF510-11。直流機EF210に混じって工場で検査を受ける交直流機。
再び動き始めるEF210-126。岡山機関区へ帰るまであと少し。
関東の新鶴見機関区から来たEF210-132。近隣の大宮ではなく、広島に集うEF210。
磨き上げられたEF210-101。工場の中でしか見られない分解された車体。
よく晴れた休日。民営化後に生まれながら、国鉄機よりも早く舞台から去る事になったEF200-6。
もみじ色の警戒色になったものの、国鉄機のシルエットが残っていた勾配補機EF67-101。
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佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
従来の15t積から17t積に拡大した大柄な2軸有蓋車。17000両以上も造られた黒い貨車のトップナンバーは保存施設入口のシンボルに。
太子駅の上、工場跡地の丘で保存されている有蓋車ワラ1。国鉄を代表する2軸貨車は標高700mの山間部。ここまで風光明媚な場所で保存されている貨車は珍しい存在です。
京都市で保存されていた車掌車ヨ6720。小柄なヨ6000はホッパーのある山の貨物列車によく合います。
茨城交通の無蓋車トラ15。国鉄トラ55000に似たタイプで、元は東武鉄道が杉戸工場で自作した17t積無蓋車。保存されている無蓋車の中では近代的な貨車で、海に近い車庫から山へとや…
綺麗に補修された無蓋車ハト37・ハト152。遠く九州の大牟田駅東側、三井専用鉄道の隅に止められていた小さな貨車。専用鉄道は三井三池炭鉱と港・工場を網羅する大規模なもので…
大井川鉄道からやってきた無蓋車ト111。1930年代の鋼製車ながら古典的な小型車。国鉄では戦後の輸送力拡大に対応出来ないので10t積は早くから淘汰が進みましたが、私鉄車だっ…
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。
南郊運河沿いの高架橋は西名古屋港線のすぐ手前で建設が止まり、接続は実現しませんでした。空き地に残された高度成長期の置き土産。
遊歩道は西名古屋港線から分かれて中部鋼鈑の北側に繋がっていた専用線の跡。専用線とは別に、壁の向こうには工場を繋いでいた専用鉄道のレールが今も残っている、色々な鉄道が紆…
中部鋼鈑の西端、橋脚が乱立する遊歩道。南方貨物線はここで高さを変えながら単線高架の西名古屋港線を跨いで名古屋貨物ターミナル駅へ。
中部鋼鈑の中を北へ曲がる南方貨物線。遮音壁まで存在し、完成状態だった高架橋。
南郊運河沿いでは1970年代のうちに高架橋の大部分が完成しましたが、道路を跨ぐ部分は全て撤去済み。再利用されているとも、放置されているとも言えない、負の遺産。
埋められた運河と使われなかった高架橋。不可思議な人工の景観。