篠ノ井線経由で貨物列車を引いてやって来たEF64-1027。勾配用電気機関車EF62やEF64-0番台が歩んだ道を支えてきたEF64-1000番台にも交代の時が迫って来ました。
北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
1889年の刻印が残る古レール。明治中期に開通した古き鉄道の証。
埋め尽くすように電車が並ぶ戸倉駅。経営分離の際に車両基地が整備され、側線が車庫に姿を変えました。
3両運転の115系に対して、新型車は2両に。合理化は今も続いている、かつての信越本線。
今も運転が続けられている115系。山の緑に映えるワインレッド。
坂城駅を出発した貨物列車と入れ替わりでやって来たEH200-14。重量物は横川・軽井沢間を通れなかったため、国鉄時代から中央本線を迂回する経路で多くの貨物列車が運転されてきまし…
緑を背に走るEH200-8。EF62が急坂を踏破して来た信州路、今は矩形の大型機。
道路沿いに残る古レールの強固な防護柵。対策していたものの斜面の崩落が続いたため、山を迂回していた旧線は廃止。道路の整備で跡はほとんど残っていませんが、藤の花が被さった…
築堤上の115系。坂城駅を出た信越本線は千曲川沿いに山を迂回していましたが、1960年代に横川・軽井沢間の新線切り替えに続いて、坂城駅周辺でもトンネルで抜ける新線が造られま…
小型機関車が荷役線から着発線へタンク車を移動。各地にあった駅横の石油基地が消えていく中、山裾の坂城駅では貨物列車の姿が残っています。
横川・軽井沢間では坂の下側でEF63と連結していた動力付きの先頭車クモハ169-1。様々な国鉄の電車でライトをシールドビーム化…
坂城駅横の貨物側線跡で保存されている直流急行型169系。165系8両をEF63で押し上げていた信越本線の急行は、1968年からEF63と協調運転可能…
古レールが支える屋根。ホームは嵩上げされましたが、駅にはかつての情景が残されています。
貨物列車が発車を待つ坂城駅。千曲川沿いの宿場町にある駅で、旅客と貨物を扱う一般駅として残りました。
久喜駅の北側には再利用されなかった側線跡。中央から左に合流するのは東鷲宮駅に続く連絡線で、東武鉄道に貨物輸送があった頃は東北本線ではなく東武鉄道の側線に繋がっていまし…
都心を離れて、新幹線の高架下で並ぶ半蔵門線。久喜駅の一コマ。
引上線には半蔵門線のトップナンバー。車体裾が下に長い初期型のため、奥に見える10両化で増結した中間車と側面が違って見えます。
東急車もやってくる久喜駅。銀色の車体を輝かせていた8500系。
特急「りょうもう」が久喜駅を出発。乗り換えに対応して久喜駅でも特急が止まるようになりました。
地下鉄乗り入れの急行に合わせてやってくる区間運転の普通電車。世代交代が進み、本線系統はステンレス車のみになりました。
南側から到着した地下鉄車はそのまま北側へ。電車が走るのは貨物列車の受け渡しが行われていた側線だった場所。
複数の支線に分かれていく東武鉄道ですが、今は全て館林行。区間運転の乗り継ぎが基本になりました。
館林駅から来た電車は南側の引上線へ。地下鉄半蔵門線乗り入れで運転系統が分断され、ほとんどが久喜駅で折り返すようになりました。
ホーム2本が並ぶ東武鉄道の久喜駅。外側が地下鉄直通の発着、内側が館林方面の発着。元は奥の石積みホーム1本の中間駅で、手前にあったのは5本の貨物側線。国鉄の番線と連番にな…
新幹線の下、久喜駅で東北本線と並ぶ東武伊勢崎線。東武鉄道開業以来の連絡駅で、貨物輸送廃止後に地下鉄折返しで活用されるようになりました。
通勤電車が横切る小さな踏切。一面の畑はいつしか住宅地に変わり、畑の中にあった細道の踏切だけが小さいままで残りました。
田畑の緑を駆け抜ける赤い特急。伊勢崎線の沿線に残された原風景。
最後尾を飾る電源車カニ24-102。0番台よりも荷物室を拡大した100番台は運転開始以来20系だった「あさかぜ」の24形化で登場したタイプ。…
金帯で統一されていた「あさかぜ」「北斗星」だけでなく、他の寝台特急にも導入が始まった個室車。定員確保で様々な構造…
編成端だけでなく電源車の隣にも連結されていた緩急車。北陸トンネル事故の緊急対策で床下電源の14系に代わ…
金帯と引戸の耐寒改造型オハネ24-44。「北斗星」用の25型のみだった耐寒改造型には24系も加わり、最後には未改造車と混結で…
白帯と折戸で登場時の雰囲気を残していたB寝台車オハネ24-49。24系は三段寝台で登場したものの、東北新幹線開業時に居住性…
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篠ノ井線経由で貨物列車を引いてやって来たEF64-1027。勾配用電気機関車EF62やEF64-0番台が歩んだ道を支えてきたEF64-1000番台にも交代の時が迫って来ました。
地方線近代化で身延線に115系と共に導入された郵便・荷物電車クモユニ143-1。登場があまりに遅く、国鉄末期に生ま…
高架下を走る115系。北陸新幹線が造られた後も信州で第二の人生を歩んでいる近郊形電車。
長野工場で入換を続けてきた小型ディーゼル機関車DD16-11。余剰化したDD16を工場の入換機に使う動きは国鉄末期からありましたが、11号機は現代まで稼働し続けてきた小さ…
最後まで残った石油輸送は奥にあった油槽所へ。北館林荷扱所から分かれていた専用線は更地に変わりましたが、工業団地は貨物輸送廃止時よりもむしろ拡大。旺盛な需要の隣、物を言…
専用線がなくなって、貨物駅だけが残された北館林荷扱所。東武鉄道で最後の貨物輸送があった拠点に並ぶ、行き場を無くした電車。
佐野線の渡瀬駅近く、1972年に開業した北館林荷扱所。私鉄の貨物駅新設は珍しく、工業団地建設に合わせて開業して、右の食品工場からの出荷に対応していました。
群馬県と栃木県の県境、渡良瀬川のすぐ手前にある渡瀬駅。明治時代に起きた鉱毒事件の舞台はわずか1km北、上流の足尾銅山から放出された重金属などが洪水で農地汚染を引き起こして国を巻き…
段々と市街地を離れて。2両編成の電車が走る佐野線。かつて終点の葛生駅から石灰石・セメント輸送があった、高度成長期を支えていた路線の今。
館林駅から東へ分かれて行く佐野線。葛生の石灰石を国鉄の佐野駅まで運んでいた佐野鉄道が東武鉄道と合併し、その後に館林・佐野間が開通して今の佐野線に。東武鉄道での貨物輸送…
館林駅から西へ分かれて行く小泉線。館林・小泉町間の中原鉄道として開通し、東武鉄道合併後に戦時輸送で小泉町・西小泉間と東小泉・太田間が造られて二又の支線に。西小泉駅の先…
館林駅の北側、伊勢崎線沿いにある車両基地。細長い用地にあり、電車は縦列で停車。連結器があれば繋がっているくらい間近に止められています。
館林駅北にある踏切。駅の変遷と密接に関わっていて、駅西側が再開発されて新しい道路が開通するまで、駅の両側を結ぶ主要道路でした。今は自動車禁止になり、ランプも×印が…
先頭車のパンタグラフが特徴的な3両編成。伊勢崎線は逆走しているのではなく、館林駅から北側が単線区間。右は分かれていく佐野線です。
館林駅に隣接する新しい食品プラント。かつてのサイロは姿を消し、港からやってきたホッパ車も見られなくなりました。
館林駅に残る側線。駅の北に車両基地、南に小さな工場があり、その間に位置する電留線のようになっていますが、かつては貨物列車が並んでいた線路。隣接して食品工場の倉庫とサイ…
浅草行の特急電車。伊勢崎線の特急は太田止まり以外ほとんどが赤城行で、群馬県東部の連絡に主軸を置いています。
ホーム端の切り欠きホームが特徴の館林駅。運転系統が南北で分断されており、特急電車以外のほとんどが始発になっています。
2両編成の8000系が特急電車と並ぶ館林駅。伊勢崎線から東へ佐野線、西へ小泉線が分かれる分岐点。利根川と渡良瀬川に挟まれた沼が多い城下町。東へ細長く飛び出た群馬県が栃木県…
かつての工場は花咲く丘に変わり、貨車の向こうには霞む浅間隠山。草津温泉への道中でしたが、西にも道路が開通して静かになってしまった六合村。
割と新しい強固なコンクリート舗装の道路。斜めに曲がった側溝はかつて踏切があった頃の名残。
西名古屋港駅から南の埠頭へ斜め踏切が3箇所連続していた道路。現代でも石炭埠頭は操業中ですが当時を偲ぶ物は少なくなりました。
西名古屋港駅の跡地を再利用して造られた名古屋臨海高速鉄道の車庫。民営化後も残った貨物駅の西名古屋港駅でしたがコンテナ扱いがなく、コンテナが積まれた港との関わりは段々と失われていき…
車両基地へ降りる高架橋が分かれて地上へ。西名古屋港線の終点、貨物駅の西名古屋港駅があった場所。埋立地が拡大したりしたものの、倉庫の佇まいなど周囲はそれほど変わっていません。
あおなみ線の電車が荒子川公園駅へ。荒子川公園は運河が荒子川に合流する予定地だった場所で、2km東にある名古屋港線が橋を渡っていた港北運河の延長。戦後に建設が始まった運河は先に造られ…
荒子川のガード橋は西名古屋港線のもの。1950年の開通時は周辺に農地が広がっていました。
荒子川を渡る橋。公園の歩道となったガード橋の上にはあおなみ線の吊り橋。同じ鉄道橋ながら全く違う存在感。
新しい高架橋は広々とした団地の中を南へ。この向こうにある港北駅は高架化された西名古屋港線が地上に降りていた部分で、中部鋼鈑の専用線が分かれる部分でもありました。高架橋の真下は…
ここは国鉄時代の高架橋から新設された高架橋に切り替わる部分。西名古屋港線は現在のあおなみ線下り側に線路を敷いて使っていましたが、ここから南側は西名古屋港線の左右に並んでいた複線の…
高架脇に残る地上時代の廃線跡。もう当時の面影は残っていませんが、駐車場の左角にある踏切の基部が歴史を物語っています。
南方貨物線が途切れたまま建設中止になった一方で、西名古屋港線は踏切解消の名目で途切れていた部分を単線高架橋でつないで国鉄末期に高架化。建設当時は高架橋と道路橋の隙間を通って、西名…
西名古屋港線の途中に新しいコンテナ対応の貨物駅として開業した名古屋貨物ターミナル駅。1980年5月1日の開業日は名古屋港駅の先にあった堀川口駅の廃止日で、最後には名古屋駅の南に広が…
小本駅の西に残るカーブした敷地。 貨物列車の主要ルートになるはずだった南方貨物線は名古屋貨物ターミナル駅に合流し、そこからは複線化された西名古屋港線が東に向きを変えて名古屋駅へ…
希少なコキ250000の向こう、休憩室に使われていたコンテナ緩急車コキフ50000の車掌室部分。車掌業務が無くなって以降もしばらくはコキ50000に混じって使われ、いつし…
開業当初から電化が準備されながら、DD51が出入りしていた名古屋貨物ターミナル駅。ディーゼル機関車を置き換えた国鉄の電気機関車も姿を消し、並んでいるのは広島の…
待機中のハイブリッド機HD300-11。臨海鉄道のディーゼル機関車が姿を消した今の名古屋貨物ターミナル駅。
大都市の片隅に残っていた転車台。国鉄時代から名古屋客貨車区の客車・気動車の転向をしてきましたが、今は1両も客車が存在しません。
名古屋駅を出たEF210-112があおなみ線へ。ささしまライブ駅の東側は全て貨物駅だった笹島駅の跡地で、西名古屋港線の築堤横から大規模なコンテナホームが向こうの新幹線に突き当…
名古屋駅の西名古屋港線部分にはホームが造られて名古屋臨海高速鉄道に。使われないままの平らなホーム端部。
名古屋駅を通るEF210-309。名古屋貨物ターミナル駅へ向かう通路になっている新幹線横の単線。