【前稿の脱落を加筆しました。】『大相撲人物大事典』436頁「福田山…」の項〔最高位のとき…幸右エ門〕に…大鵬と複数回対戦して黒星のない、唯一の力士…とあるが、昭和三十五年春場所十三日目の“初顔”合せの一番、●大鵬(寄倒し)福田山〇は、はっきり云って“誤審”なのである。古雑誌『大相撲』(読売新聞社刊)をあらためてみると、「熱戦グラフ」に「福田山の右肘がはっきりと土俵外の砂についている」とあり、本文「総観戦記」にも谷口正美記者が「行司の団扇は福田にサッと上がり〔中略〕あとでアイモ写真がとらえた一瞬をみたら、福田山の右肘が土俵に先に落ちていた」と記述している。土俵下の“利益代表”たる検査役に二所ノ関系がいなかった…?初顔の●大鵬(寄倒し)福田山は誤審