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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
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2015/12/21

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  • 壇ノ浦と檀ノ浦

    今夜は、日本史と漢字の勉強である。840年前、「壇ノ浦の戦い」で源・平が最後の合戦をやって平氏滅亡と相成った。土偏の「壇」を漢和辞典で調べてみた。①まつりのにわ。祭場。②一段高く造った場所。③特殊な社会における仲間。②の字義から「土俵場」を聯想する。では、木偏の「檀」は如何かな。①まゆみ。落葉の亜喬木で材質が強い。②栴檀は熱帯産の喬木。③香木の総称。②から「栴檀は双葉より芳し」→双葉山を聯想しないではいられない。寶暦期に檀ノ浦灘右エ門、化政期に小結の檀ノ浦力右エ門━両者が入幕力士に列している。ところが、『江戸時代相撲名鑑』では、檀ノ浦じゃぁなく、壇ノ浦…と表記━随分杜撰と云うほかはあるまい。壇ノ浦と檀ノ浦

  • 『相撲史発掘』第108号 堂々完成 !!

    ※昨日の閲覧…534・訪問者…377トータル訪問者数1,205,862拙作&私家版『相撲史発掘』第108号【画像】ができました。御希望の方に洩れなく進呈します。(題簽は元大相撲立行司40代・式守伊之助氏)〇“時代”を超えた力士たち(第7回)●明治→大正篇⑤日露戦争に出征した8代め…勝越しは2場所だけの…関脇2場所、勝越せなかった…明治6場所“皆勤”の快記録入幕前、全9場所勝越し〇江戸大相撲熱戦譜(第88回)●弘化二年冬場所3年ぶりの“怪”記録秀の山、25連勝でストップ5年ぶり千穐楽に幕内出場〇もと横綱力士長寿十傑〇大正期の新聞記事から(19)●『國民新聞』の相撲記事〇関脇鷲ヶ濵の相手地位つき星取表〇古今平幕最優秀力士星取表(38)●昭和28年夏~同29年秋場所☆精神一到何事か成らざらん★頒布を御希望の方、...『相撲史発掘』第108号堂々完成!!

  • 大関級の実力なのに平幕止り

    幕末、文久二(1862)年春場所、東前頭筆頭、大鳴門の星取表。〇檀ノ浦(幕下11)〇君ヶ嶽(〃6)〇小野川(小結)△小柳(前三)や〇鷲ヶ濵(関脇)〇荒馬(前四)〇鹿嶋灘(同六)〇武藏泻(同五)や五日目の「や」は、現代ならば不戦勝になりそう…。四日目の相手は、当場所中に斬殺された小柳平助なのである。当場所の最優秀成績なのに翌場所も筆頭に止められてしまった。大関級の実力なのに平幕止りで終った不運力士であった。大関級の実力なのに平幕止り

  • 五分で4枚も下降

    ※昨日の閲覧…993・訪問者…513トータル訪問者数1,205,485大正十二年春場所、西三段目十七枚目信夫山〔最高位前頭二枚目〕の星取表である。〇岩ノ山(三段目29)〇吉ノ川(〃22)●礒ノ濵(〃30)〇八ッヶ嶽(〃19)●五國山(〃6)〇勝嵐(〃9)●雷ノ峰(〃3)=後幕内〇朝浪(〃25)●中井川(〃14)●谷泉(〃31)負越していないのに、同年夏は4枚も下降して三段目二十一枚目に…。五分で4枚も下降

  • 64場所ぶりの不名誉なタイ記録

    拙稿「江戸大相撲熱戦譜」は、「弘化三年春場所」を現在鋭意執筆中である。当場所初日中入り前の取組結果に注目せねばならない。次の3番なのである。東前頭七●武藏野━荒岩(幕下10)西前頭五●千年川━雲早山(〃6)〃前頭二●柏戸━靏ヶ関(〃7)平幕3力士の黒星は“波瀾”とまでは云えないかも知れないけれど、“番狂わせ”の続出だ。上記の約33年前=64場所前の文化十(1813)年冬場所、初日中入り前取組3番。西前頭六●龍門━泉﨑(幕下1)〃前頭四●八ッ橋━山響(〃11)東前頭三●三國山━鯱ノ海(〃9)たしか昭和戦前の『中央公論』へ徳川“16代め”将軍様が相撲論を寄せて、幕下は幕内力士には勝てない、と“相場”が決っていた━趣旨の説を寄稿。本当ならば当該記録をどう説明されるのか……。64場所ぶりの不名誉なタイ記録

  • 『相撲ロマン大事典』無代進呈

    ※昨日の閲覧…653・訪問者…432トータル訪問者数1,204,972『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠堂出版刊。本文820頁定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担願います。当古本の保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!書籍本体の重量が1.6kgほどありますが、どんな方法が安く送れるのでしょうか…?jhisa104@ybb.ne.jp『相撲ロマン大事典』無代進呈

  • 「弘化三年春場所」序章

    江戸大相撲熱戦譜第89回☆弘化三年春場所★弘化三(1846)年の春場所は当初、旧三月十八日の開幕予定が延引して同二十三日(陽暦四月十八日)より本所回向院境内にて晴天10日間興行。二十代幕内、姿を消す小結2場所めの小柳らが数え30歳に達したので、天保十年冬以来13場所ぶりに幕内番附から二十代力士が姿を消してしまった。番附編成の吟味。勝越して下降はないが、昨冬2勝4敗…の黒雲が1枚上昇した反面、東・西を4度“異動”の友綱(←千田川)は大関秀の山や小結荒馬らを破り、6勝土つかずで旧地位据え置きなのは合点がいかない。天保末から始った荒馬・御用木の理不尽な“地位交替”は連続4度めを記録している。昨冬、東西“貧乏神”で勝越し3点の達ヶ関(後大関猪王山)と天津風が各々幕尻へ入幕したのは珍しい。全幕内力士22名の平均年齢...「弘化三年春場所」序章

  • 十両“2桁”で対幕下戦なし

    ※昨日の閲覧…650・訪問者…391トータル訪問者数1,204,54015日制の劈頭場所である昭和十四年夏、西十両十枚目四海波の星取表。〇矢筈山(十両11)〇八幡錦(〃9)〇綾錦(〃4)=元幕内●九ヶ錦(〃5)=後幕内〇源氏山(〃10)=元幕内、改名歴なし〇若潮(〃15)=後幕内〇嶺幟(〃1)=元幕内鷹城山〇小松山(〃2)=後幕内〇二瀬川(〃12)=後関脇●布引(〃12)〇桂川(〃2)=元幕内〇錦谷(〃14)=後幕内有明〇若浪(〃4)=後幕内〇佐渡ヶ嶋(〃6)=後幕内〇加古川(〃11)=元幕内小野錦十両2桁なので、幕下戦があるかも…と、思ったら全て十両同士の取組が記録されている。十両における13勝の第一号と思える。十両“2桁”で対幕下戦なし

  • 相撲史は繰返す…?

    この度の、横綱力士「粗製・濫造」では「歴史は繰返す」ならぬ「相撲史も繰返す」と思考するに至った。それは明治の昔、129年前の明治二十九年の話に遡る。即ち、春場所かぎり独り横綱の西ノ海(初代)が引退すると、夏場所には新横綱の小錦が登場して“切れ目”を回避している。西ノ海・小錦とも、ときの権力者だった初代髙砂浦五郎の弟子。トラブルなどはなく、スムーズに“横綱交替”が相成ったと思える。私見では、番附面だって“横綱空位”が数場所つづいたって、興行政策上はなんの不都合もないはず。寧ろ、今度の場合、〔琴櫻は脱落したが〕大関陣による横綱の“先陣争い”が熾烈を極めていけば相撲人気はいやでも沸騰するに決っているじゃぁないか。相撲史は繰返す…?

  • 新「7人衆」をなで斬る

    ※昨日の閲覧…582・訪問者…397トータル訪問者数1,204,149恒例の“7人衆”綜括━今回から一部差替えてみた。独断と偏見の寸評です。西前頭三枚目〇王鵬12勝3敗“大器の片鱗”をみせたと思う。本年中に大関へ手が届くところまでいくか…?東前十一枚目●翠富士7勝8敗もっと“脱皮”して強くならなければ、平幕止りで終ってしまいそうだ。幕下二十四〇北石番磨5勝2敗現在38歳、40代まで頑張れる“気力”はあるのだろうか……。再入幕は難しい?三段目四枚目〇炎鵬6勝1敗白星のなかに「肩透し」が2番は評価できない。幕下を2場所で突破できれば上出来だが、なかなか難しそうだ。同十五枚目〇山藤5勝2敗その炎鵬に7番相撲で敗れた。21歳で74kg弱の軽量━地位上昇に比例して、100kgまで増えれば面白い存在になりそう。序二段...新「7人衆」をなで斬る

  • 新横綱誕生は時機尚早 ! !

    恒例の春場所、三役番附の私製版。昨秋・九州・初場所の通算成績を主な基準として勝手に作成してみた。横綱<適格力士なし>東大関豊昇龍33勝12敗西大関大の里32勝13敗東関脇霧島29勝16敗西関脇大栄翔27勝18敗東小結琴櫻27勝18敗西小結王鵬27勝18敗“同成績”者の査定であるが、先ず九州・初の最近2場所に絞ってみれば、王鵬が18勝で、栄や櫻より劣る。あとの2人の優劣は初場所の星で決った。昨秋の豊昇は、やっと勝越しの8勝7敗だった。大関としてのキャリア・実績不足は誰の眼でも━協会審判部や横審委員以外━あきらかであろう。新横綱誕生は時機尚早!!

  • 怪童の大童山と巨人の生月

    ※昨日の閲覧…917・訪問者…616トータル訪問者数1,203,752拙稿では、欄外に張出された所謂「巨人」や「怪童」は“幕内格”とは認められない━と云う方針である。でも、例外がある。文化二(1805)年春場所、当時17歳の大童山が東方幕尻へ正式に入幕し、8戦全勝の好成績を収めた。相手に幕内力士はゼロだった。当場所、雷電が10戦全勝なので、最優秀成績の認定は全然問題を生ずる余地がなかったのは幸いであった。ところが、超巨人の生月はずっと張出の侭なのに幕末弘化三年冬は、土俵入り専門に非ず相撲を取っている〔どうやら殿様の“後押し”━寵愛されていたもの━があって土俵へ……〕その場合は幕内格としない訳にいくまい。怪童の大童山と巨人の生月

  • “貧乏神”を破り勝越し…

    弘化三(1846)年春場所、東前頭四枚目常山五良治〔後関脇〕の星取表である。〇竹破(幕下8)〇縄張(〃6)●千年川(前頭五)✖秀の山(大関)●荒馬(小結)●天津風(前頭八)〇黒雲(同三)✖柏戸(同二)〇桐山(幕下1)や当場所の幕内力士22名で彼だけが初日から九日目まで“皆勤”を記録したが、“貧乏神”を破ってなんとか勝越し。その九日目の相手と云うのが所謂「万年幕下」で前名を荒井﨑と名乗っていた。明治十二年入幕の荒角はこの8代め桐山の弟子とされている。通常、終盤戦に幕下が相手とは、西方幕内が欠場ばかりなのでは致し方あるまい。“貧乏神”を破り勝越し…

  • 若乃花6━6柏 戸

    ※昨日の閲覧…753・訪問者…502トータル訪問者数1,203,136昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は横綱同士なのである。①昭和三四年夏場所四日目東張横綱〇若乃花(小股掬い)柏戸●東前頭四②同三四年秋場所七日目西横綱〔大〕〇若乃花(寄切り)柏戸●東前頭三③同三四年九州場所十日目東横綱〇若乃花(掬い投)柏戸●東小結④同三五年春場所二日目東張横綱〇若乃花(吊出し)柏戸●西張関脇⑤同三五年夏場所十二日目東横綱●若乃花(寄切り)柏戸〇西関脇⑥同三五年名古屋場所十三日目東横綱●若乃花(寄切り)柏戸〇東関脇⑦同三五年秋場所十四日目東横綱〇若乃花(上手投)柏戸●西大関⑧同三六年初場所十三日目西横綱●若乃花(押出し)柏戸〇西大関⑨同三六年夏場所千穐楽西横綱●若乃花(寄切り)柏戸〇東大関⑩同三六年秋場所千穐楽西横綱●...若乃花6━6柏戸

  • 幕末大相撲の最低場所…?

    拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━弘化三年春場所━は、星取表の作成が一応終ったところ。但し、若干修正を加える“余地”はありそう…。当場所における荒馬・猪名川の両力士の星を掲げておこう。西方小結荒馬〇千代嶽(幕下4)や〇達ヶ関(前八)〇桂野(同五)〇常山(同四)ややややや4勝零敗・5休東前頭筆頭猪名川〇縄張(幕下6)や〇千田川(前七)〇柏戸(同二)△黒柳(同六)やや〇御用木(関脇)やや4勝零敗・1預り4休この両者が当場所の最優秀成績なのである。「や」を「●」と同一視できず、両力士とも勝越し4点であり、去る昭和四七年初場所の平幕、栃東の11勝4敗で賜杯…を想い起してしまう。幕末大相撲の最低場所だともの語るように、当場所幕内で“皆勤”だったのは東前頭四枚目の常山ひとりだけが記録。幕末大相撲の最低場所…?

  • 『日本相撲大鑑』&5力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…537・訪問者…366トータル訪問者数1,202,634窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は撮影年月が不明ですが、各々入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せは...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈

  • 谷風<雷電、常陸山<太刀山

    最近落手の『野球界』━春場所相撲讀物號(昭和16年刊)の巻末に4種の「番附」が載っている。このなかからひとつ、「歴代大関全盛五年間成績比較番附」より抜萃してみたい。東横綱雷電65勝1敗・分預1.978西横綱谷風62勝1敗・分預3.962東大関太刀山74勝1敗・分預4.962西大関常陸山53勝1敗・分預4.949東関脇稲妻60勝3敗・分預4.925西関脇栃木山89勝5敗・分預5.927東小結小野川56勝2敗・分預7.915西小結梅ヶ谷50勝1敗・分預8.915西張小双葉山115勝11敗・0.913東前筆頭小錦54勝3敗・分預6.905西前筆頭陣幕41勝1敗・分預7.908〔以下、省略〕谷風より雷電が強く、常陸山よりも太刀山の方が強いことを実証していると愚考したい。谷風<雷電、常陸山<太刀山

  • 北の富士4━2北の湖

    ※昨日の閲覧…478・訪問者…309トータル訪問者数1,202,268昭和戦後の好取組とその結果。また最高位が横綱同士を採りあげてみたい。①昭和四八年初場所三日目東横綱〔別張〕〇北の富士(上手投)北の湖●東小結②同四八年春場所十一日目西横綱〇北の富士(上手投)北の湖●西前頭五③同四八年夏場所二日目東横綱●北の富士(下手捻)北の湖〇西前頭筆頭④同四八年名古屋場所十一日目東張横綱〇北の富士(寄切り)北の湖●東前頭四⑤同四八年秋場所六日目西横綱〇北の富士(上手投)北の湖●東小結⑥同四八年九州場所六日目東張横綱●北の富士(浴せ倒し)北の湖〇東関脇北の富士が引退して、この取組は終った。北の富士4━2北の湖

  • 輪 島6━1千代の富士

    昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は横綱同士である。①昭和五三年名古屋場所七日目東張横綱〇輪島(押出し)千代の富士●西小結②同五四年初場所五日目西横綱〇輪島(吊出し)千代の富士●東前頭四③同五五年春場所四日目西張横綱〇輪島(上手投)千代の富士●東前頭三④同五五年夏場所二日目東張横綱〇輪島(上手投)千代の富士●西小結⑤同五五年秋場所二日目西張横綱〇輪島(寄切り)千代の富士●東小結⑥同五五年九州場所九日目西張横綱〇輪島(吊出し)千代の富士●東関脇⑦同五六年初場所五日目東横綱●輪島(上手投)千代の富士〇東関脇輪島の引退に因り、このカードは終焉。それにしても輪島は「下手投」の印象だが、上手投で2番も白星━全然記憶にござらん。輪島6━1千代の富士

  • 幕下と2戦、幕内と3戦の天竜

    ※昨日の閲覧…585・訪問者…402トータル訪問者数1,201,959昭和三年春場所、東十両十枚目天竜〔後関脇〕の星取表である。〇三池山(十両9)〇瀬戸山(〃11)〇粂ノ花(幕下2)〇古賀ノ浦(十両8)=後幕内〇立汐(〃8)〇若汐(幕下4)●晴ノ海(十両2)=後幕内〇寳川(前頭十)〇一ノ濵(同九)〇綾錦(同十)〇鳥ヶ峰(十両11)明治末の旧國技館開設後、十両における“二桁白星”の第一号と思われる。幕下と2戦、幕内と3戦の天竜

  • 狼(おおかみ)の前名は…?

    大正十一年春、西三段目二一枚目1字名、狼(おおかみ)の星取表である。●稲穂山(三段目30)や〇藝州山(三段目3)や〇筑波嶽(三段目21)や●洋ノ花(三段目16)=後幕内灘ノ花や〇築地川(三段目32)や翌場所は幕下に昇進しているが、前場所星取表には「狼」の醜名がみつからない。或は、誰かの改名?狼(おおかみ)の前名は…?

  • 後半すべて対幕内戦の貧乏神

    ※昨日の閲覧…546・訪問者…381トータル訪問者数1,201,557幕下以下も原則「全日出場」だった━と思われる大正十二年春場所の“貧乏神”〔隠語=十両筆頭のこと〕の調査は過日東方の友ノ浦を採りあげたので、今度は西方力士大蛇山〔最高位前頭筆頭〕の星取表である。●常陸岩(十両6)=後大関〇槍ヶ嶽(〃3)=翌場所入幕、現役歿〇長良川(〃12)〇髙ノ山(前十二)〇千葉ノ濵(十両5)●楢錦(前十四)〇若常陸(同十一)●山錦(同十五)=後関脇〇伊吹山(同十六)〇清水川(同十五)=後大関彼は、大正時代最後の東京本場所で平幕優勝を成し遂げている。後半すべて対幕内戦の貧乏神

  • 96→78の取組数

    現在、拙稿「江戸大相撲熱戦譜」では弘化三(1846)年春場所の幕内星取表を作成中である。昨冬である同二年冬場所の幕内取組総数が96番だったのに対して、当該場所のそれは18番も少ない78番しか記録されていない。その要因は先ず、前場所の全休力士が皆無だったのに、当場所は小結小柳(後大関)と平幕の雲生嶽が10日間を全休した。それに加えて、二日目は“異変”〔過日、詳細既述〕のため幕内取組が7番に過ぎない〔序盤戦は幕下との対戦が多く、当然取組数は増加傾向になってるはず。〕そのほか中途休場だって少なくないので、よくまぁ10日間を“消化”できたものだ━と、感心するほかはない。96→78の取組数

  • 150年で相撲の「経済規模」3倍?!

    私製のノートには、江戸寶暦末期から明治末期までの、江戸→東京本場所における幕内取組番数を記入している。劈頭の寶暦十一(1761)年冬場所の幕内(縦番附最上段)人員は14名で、8日間の幕内取組数は56番であった。その凡そ150年後の明治四五年夏場所における幕内人員は3.43倍の48名〔+番附外出場1〕で、幕内取組総数は10日間で218番なので3.89倍になる勘定だ。鳥渡ばかり“語弊”のある表現をすれば、本場所大相撲の「経済規模」が150年で約3倍になった恰好と愚考したい。だから萩原朔太郎が「國技の洋風化」で指摘した如く、昔の興行日数9日乃至10日間ならば「全勝横綱」が発生し易い趣旨の主張は“妄論”だ━と思うのである。古今十大力士のひとり稲妻雷五郎なんか10戦全勝はおろか9戦全勝だって全然記録していない。150年で相撲の「経済規模」3倍?!

  • 明治初期の横綱空位

    ※昨日の閲覧…420・訪問者…304トータル訪問者数1,201,176どうも…昨夜からインターネットに接続不能で専門家に「訪問サポート」━復旧した。パソコン等々に故障なし。明治になっても番附面最高位大関の初期なんか「横綱不在」が数場所続いている。明治三年冬かぎり鬼面山が引退、明治九年末に境川が五條家から免許されるまで11場所間は実質の横綱ゼロ━しかも象ヶ鼻と云う現代相撲の如く駄目大関も存在していた。その境川が引退した明治十四年から十七年夏の新横綱梅ヶ谷(初代)までは6場所間が横綱不在だった。更に、その梅ヶ谷が引退してから、番附最初の横綱西ノ海までは9場所間が事実上の横綱空位となっている。明治初期の横綱空位

  • 『相撲ロマン大事典』進呈 !

    ※昨日の閲覧…480・訪問者…316トータル訪問者数1,200,872『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著、平成12年、勉誠堂出版刊、本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲ロマン大事典』進呈!

  • 幕末も約10年の横綱空位

    幕末の嘉永三(1850)年春場所かぎり横綱秀の山(←岩見泻)が引退して、次の雲龍の横綱免許までの“空位”期間は凡そ10年=20場所に及んでいる。この間、安政二(1855)年が角界でも大変だった━春場所は番附こそ編成・発行されたけれども、本所回向院が焼失のため興行中止となり、冬場所は江戸の「安政大地震」のため番附も出ず、興行不能となっている。〔年間の本場所ゼロなのは、「飢饉」の天明五(1785)年以来70年ぶりであった。〕もうひとつ特記事項として忘れてはならないのは、秀の山・雲龍の横綱空白期間内に「黒船来航」があり、日・米のデモンストレーションがあった。日本側が驚いたのは、「蒸気機関車」の模型だった。それに対して、米水兵が吃驚したのは、白眞弓らの“怪力”ぶり。横綱力士がいなくても大相撲の“宣伝”にはなったわ...幕末も約10年の横綱空位

  • 横綱空位だって興行価値はある

    ※昨日までのトータル訪問者数1,200,556大相撲史における「横綱空位」時代をふりかえってみたい。先ず、古今十大力士では9~10位に相当される小野川(喜三郎→才助)が寛政九(1797)年冬場所かぎり引退すると、文政十一(1828)年春場所に阿武松(←小柳)が新横綱として登場するまで…実に約30年=60場所間も横綱が誕生しなかった。この間、雷電爲右エ門をはじめ、埼玉出身の柏戸宗五郎、青森出身の柏戸利助、当長崎出身の千田川改めⅤ玉垣や越ノ海改めⅥ玉垣など、大正以降の下手な横綱より強く・成績優秀の大関に横綱免許の機会がなかったのさ。その要因はいろいろあるが、ひとつには熊本の吉田追風家と京都の五條家との“権力”争いも想定されている。まぁ、愚考では真に横綱適格力士がいない場合、10年=60場所ぐらい横綱不在だって...横綱空位だって興行価値はある

  • 彦山名著→郵便事情悪化

    彦山光三の不朽の名著『橫綱傳』(昭和二八年末刊)━末尾の「自跋」よりすこしばかり抜萃。本書をなぜ『横綱伝』と名づけたかについて。伝とは一たい今日の郵便のことであり、郵便は音信をつたへるものだから、おのづから「つたふ」・「うつる」などの義が生れた〔後略〕その「今日の郵便」事情が最悪である。過日、北海道方面へ拙作『相撲史発掘』を送ったら到着まで一週間を要したらしく、“催促”がきたのである。本日夕方届いた郵便物の消印は、「青森…7.1.10」で一週間かかったわけ。料金値上げに反比例してサービス低下では、なんのための「郵政民営化」だったの…?但し、宅急便などと“競合”するやつは、“速達”並みに早く、大抵翌日に配達される。ついでだから、「小泉内閣の規制改革」は評価が相半ば。例えば、経済学理論で、現場を視察せず、竹中...彦山名著→郵便事情悪化

  • 支度部屋の横綱若乃花

    ※昨日の閲覧…545・訪問者…353トータル訪問者数数1,200,325昨日づけS紙一面コラムで「相撲隠語」が採りあげられた。〔前略〕負けた力士が不機嫌になると、取材記者が「北向いちゃったよ」と苦笑まじりに使う…。土俵の鬼・異能力士の横綱若乃花(初代)は支度部屋での記者対応が他の相撲取とは“逆”だった。即ち、負けたときにはよく喋るのであり、快勝したときなんかは、寧ろ“だんまり”戦術みたい。そのわけは、つねに「緊張感」を心底から維持するためであろう━と、好意的に解釈したい。関聯して『大相撲』誌の「笑待席」欄だったか、大関豊山勝夫(後時津風勝男理事長)が「扁桃腺」手術直後、記者が「返答せん」を取ったか…冗談か・駄洒落か━載っていた。支度部屋の横綱若乃花

  • 十両も全日出場なのか…

    往時、十両力士の「出場日数」は一定していなかった。そこで、大正十二年春場所が幕下以下も「全日出場」が原則らしかったので、十両はどうなってるか━鳥渡ばかり調べてみた。東十両筆頭の友ノ浦〔元幕内〕の星。〇江戸ヶ﨑(十両5)●葵龍(〃4)●雷梅(〃6)●藤ノ川(前頭十六)〇大岩(十両2)〇雄勝山(〃11)●小牛田山(前頭十七)△花ノ山(十両9)●緑岩(〃14)〇千葉ノ音(〃15)彼は、明治二六年の岡山生れで昭和四六年に満78歳9箇月━当時の「長寿元力士」のひとりであった。十両も全日出場なのか…

  • 栃錦も最低成績は4勝11敗

    ※昨日の閲覧…729・訪問者…387トータル訪問者数1,199,972初代若乃花の在幕最低成績を採りあげたので、一方の雄たる横綱栃錦のそれは如何だったか。昭和二四年夏場所、西方前頭三枚目における星取表であります。●照國(横綱)寄倒し●力道山(関脇)上手投●前田山(西横)外掛け●佐賀ノ花(大関)突出し●髙津山(前五)寄倒し●羽黒山(横綱)叩込み●鏡里(前四)吊出し●國登(同五)仝●若葉山(同十一)打棄り●大ノ海(同八)…出投〇名寄岩(同十)下手捻〇吉葉山(同三)二枚蹴〇琴錦(同二)下手投〇藤田山(同十二)寄切り●若瀬川(同一)上手投戦後の双璧、栃錦と若乃花。優勝回数おなじ10度で、最低成績も4勝11敗だが、上記栃錦は金・銀星なし。元大関名寄岩戦の勝利は無論銀星にはなりません。矢張り、巧いのは栃、強いのは若だ...栃錦も最低成績は4勝11敗

  • 「土俵の鬼」上位陣への初挑戦

    昭和二五年秋場所、東前頭四枚目若ノ花勝治〔後横綱若乃花幹士〕●羽黒山(横綱)吊出し●吉葉山(関脇)突倒し●照國(横綱)寄切り●大内山(前二)押倒し〇櫻錦(同五)寄切り●千代ノ山(大関)小手投●鏡里(関脇)寄切り〇汐ノ海(大関)押倒し●東冨士(横綱)寄切り●三根山(小結)渡込み●髙津山(前一)上手投●若瀬川(小結)突出し〇愛知山(前四)上手投〇廣瀬川(同七)下手捻●大蛇泻(同十)寄切り初代若乃花の上位陣への初挑戦で、入幕後の最低成績。それでも「赤鬼」の異名の大関から銀星を得ている。「土俵の鬼」上位陣への初挑戦

  • 『相撲史発掘』第108号 予告

    ※昨日の閲覧…1,024・訪問者…579トータル訪問者数1,199,585来月初旬完成確定の拙作&私家版『相撲史発掘』第108号の内容予告。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第7回)●明治→大正篇⑤◎土州山・綾浪の写真、鷲ヶ濵〔別掲〕の錦絵5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜(第88回)●弘化三年冬場所◎幕内略歴・関係勝負&星取表つき8ページ〇元横綱力士長寿十傑◎上段に明治天覧相撲の写真9~10頁〇大正期の新聞記事から(19)◎今回で最後の『國民新聞』記事折込み〇関脇鷲ヶ濵の相手地位つき星取表●和田ヶ原改め高砂も…11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(38)●昭和28夏~同29秋12ページ☆精神一到何事不レ成★●あとがき『相撲史発掘』第108号予告

  • 初日●が惜しかった

    大正十三年春場所、東三段目筆頭若汐〔後関脇大潮〕の星取表です。や●玉錦(幕下24)=後横綱や〇藝州山(三段目3)や〇十勝嶽(幕下22)〇千秋嶽(〃32)や〇若響(幕下27)や興行日数を11日間に“延長”していたんだが、関東大震災で“都落ち”を余儀なくされ「晴天10日間」に逆戻りだった。当場所の三段目優勝は、後関脇の“永遠の風雲児”天竜で、成績は4勝零敗1分けであった。但し、「表彰」はなかったかも知れない。初日●が惜しかった

  • 『日本相撲大鑑』&5力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…1,139・訪問者…576トータル訪問者数1,199,006窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)及び名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhis...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈

  • 元幕内を破った狼(おおかみ)猛

    大正十四年春場所、東幕下六枚目1字名狼(おおかみ)猛(たけし)の星。や●花坂(幕下17)や●小金山(十両15)や●若汐(幕下5)=後関脇大潮や〇太刀ノ海(十両10)=元幕内〇立汐(幕下2)=後十両や●楢ノ里(幕下12)他の場所では、下の名前が「雲龍型」手数入(でずいり)の雲龍久吉と同じもの。大正十四年夏の幕下十五枚目で2勝・4敗━が最後となっている。過日、マイナスイメージを書いたが、『角川漢和中辞典』に「狼」の字義として、「東方にある星の名」━と記載もあるのだ。元幕内を破った狼(おおかみ)猛

  • 炎鵬、重量級にどう対処するのか…?

    ※昨日の閲覧…448・訪問者…273トータル訪問者数1,198,430NHKの大相撲放送、神風正一・玉ノ海梅吉の両解説者の頃まで“TV桟敷”に釘づけだったけれど、平成・令和の「現代相撲」は、味も素っ気も乏しく、みられた“ざま”じゃぁない。殊に、上位陣の取組ほど面白味なんか殆んどないに等しい。二日目の三段目取組、元幕内炎鵬に注目せずにいられない。相手は、元幕下で、背が炎鵬より12cm高く、体重は80kgも重いのだ。今後の炎鵬の相撲ぶりを占う“試金石”となりそう━と、愚考する次第。炎鵬、重量級にどう対処するのか…?

  • 179年前、二日目の“謎”

    初場所大相撲が初日の蓋を開けたけれども興趣が沸かないので179年前の「春場所」にタイムスリップ━━幕末、弘化三年春場所における初日の“取組順序”を『相撲起顯』に拠って検証。その初日。17番の幕内力士の相手はすべて幕下なので安泰かと思いきや、“番狂わせ”が続出したのである。即ち、関の戸・柏戸・黒雲・千年川・武藏野の5人の平幕が幕下に黒星を頂戴した。扨て、大きな問題箇所に出くわした。二日目である。幕内関係取組が7番とは極めて少ない。『起顯』に拠れば、30番が中入り前に取組んだらしいが、幕内力士は登場せず、幕下以下ばかり。疑義なのは、左頁に「二日目」とあるが、「中入後」の3文字を欠いているのが不審。そして幕内7番のあと、「雨天ニ付是切」と断り書きしている。愚考。中入り前に「入れ掛け」となったが、天候恢復で中入り...179年前、二日目の“謎”

  • 双葉山をも寄倒す…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,198,157昭和九年春場所、東前頭筆頭幡瀬川〔元関脇=後楯山理事〕の星取表であります。〇筑波嶺(前五)打棄り●大潮(小結)寄倒し●男女ノ川(関脇)踏切り〇大邱山(前二)引落し〇武藏山(大関)小股掬い●瓊ノ浦(前六)寄切り〇清水川(大関)捲落し〇寳川(前三)掬い投〇双葉山(同四)寄倒し〇鏡岩(同七)仝〇能代泻(小結)小股掬い彼も小兵・軽量力士である。173cm・86kgと記録されている。上位で活躍していた頃、“お座敷”遊びでは、芸者衆に“新弟子”と間違われたそうな…。双葉山をも寄倒す…

  • 東西同点で同時幕尻へ入幕

    179年前の幕末、弘化三年春場所における入幕力士は2人━東方の幕尻へ昨冬“貧乏神”〔註=幕下筆頭の隠語。現代ならば十両筆頭のこと。〕で勝越し3点の達ヶ関(後大関猪王山)が……。西方幕尻へ、同じく昨冬は“貧乏神”で勝越し3点の天津風がそれぞれ幕内力士に列している。これを現代で想定すれば、東・西の十両筆頭で各々9勝6敗の星で、東西幕尻へ入幕するようなものだ。綿密に調べた訳じゃぁないけれども、多分はじめての記録だと思っている。その後、総当り制下では充分にあり得るので、御存知の方は御教示いただければ誠に幸甚であります。東西同点で同時幕尻へ入幕

  • 安藝ノ海3━3照 國

    ※昨日の閲覧…437・訪問者…278トータル訪問者数1,197,943同時横綱免許〔乃至推挙〕5組のうち、谷風━小野川は計17回対戦〔但し、3場所は小野川が非幕内のとき〕を記録している。2組めの常陸山━梅ヶ谷(2代め)は、15回の対戦記録〔但し、1場所は常陸山の入幕直前のとき〕を残している。ところが、3組めの安藝ノ海━照國は、たった6度、しかも横綱同士では全然対戦がなかったのである。①昭和十四年夏場所十四日目東前頭四●安藝ノ海(絡み投)照國〇西前十五②同十五年春場所十一日目西関脇〇安藝ノ海(寄切り)照國●東前頭二③同十五年夏場所十三日目西関脇〇安藝ノ海(下手投)照國●東張関脇④同十六年春場所十二日目東大関●安藝ノ海(切返し)照國〇西関脇⑤同十六年夏場所十一日目東大関●安藝ノ海(上手投)照國〇西関脇⑥同十七...安藝ノ海3━3照國

  • 星を貸した事はある…

    昭和四六年九月号の『大相撲』特集記事━9ページ超にわたって三宅充氏が執筆した「八百長はなくせるか」で小見出し「〔星を〕貸したことならある」の箇所を抜萃してみたい。〔前略〕自分で“星を借りた”ことを白状したのは少数だったが、逆に“星を貸した”話なら、しょっちゅう聞いた。私の取材範囲で“星を貸した”ことが一度もなかったのは、残念ながら一人もいなかった。星を貸した人が多いということは、当然、借りた人も同数いることになり、数多くの八百長が存在したことになる。私など、支度部屋で、八百長の取引に巻き込まれて往生したこともあった〔後略〕平成末期から令和の現代では、角界もすこしは“清浄化”されているらしいけど…。八百長相撲と認定されたら、その両力士に厳しい処分が待っているのだから。星を貸した事はある…

  • 非関取の狼(おおかみ)

    ※昨日の閲覧…453・訪問者…294トータル訪問者数1,197,665大正十二年春場所は、幕下以下も全日出場が原則だったと思われる。西幕下二四枚目の一字名、狼(おおかみ)の星取表。●古賀ノ浦(幕下15)=後幕内●笹ヶ峰(〃23)●青海川(〃29)〇三杉岩(〃18)●玉碇(〃20)=後幕内●関ノ川(〃18)〇相ノ川(〃10)〇安藝ノ浦(〃22)〇朝風(〃21)〇洋ノ花(〃32)=後幕内(伊勢ノ濵)「珍名番附」に載ってないかも知れないが、手許の電子辞書をみると「か弱い女性を脅かす恐ろしい者」━と怪説している。非関取の狼(おおかみ)

  • 13場所ぶり20代幕内 姿を消す

    拙作&私家版『相撲史発掘』第108号は全て原稿清書完了と相成ったので、一服せずに…次号〔第109号〕の制作に…。拙稿「江戸大相撲熱戦譜」は、弘化三(1846)年春場所を吟味・検討する。当該場所の幕内力士略歴の作成が終った。この幕内陣容は、二つの特色がある━初めて認識するに至った。そのひとつは、後大関小柳と黒雲が三十代の仲間入りで、小柳入幕以来の二十代幕内力士が消えてしまった。天保十(1839)年冬場所以来13場所ぶりの記録と云うことになる。但し、鳥渡ばかり「現代感覚」とのギャップがあることに注意せねばならない。それは満年齢に非ず、「数え年」を前提に考察しているのだ。だから満ならば、未だ二十代かも知れないのである。もうひとつの特徴は、明日以降に詳述したい。では、お休みなさい。13場所ぶり20代幕内姿を消す

  • 『相撲ロマン大事典』無代進呈

    ※昨日の閲覧…424・訪問者…259トータル訪問者数1,197,371『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著、平成十二年、勉誠出版刊、本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち千六百人が登場!!保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲ロマン大事典』無代進呈

  • 羽黒山6━6千代ノ山

    対戦成績が五分・五分の拮抗した最高地位は横綱同士のカードを御覧。①昭和二一年秋場所十日目西横綱〇羽黒山(吊出し)千代ノ山●東前頭筆頭②同二二年秋場所八日目東横綱●羽黒山(突出し)千代ノ山〇西前頭筆頭③同二四年夏場所八日目西張横綱〇羽黒山(上手投)千代ノ山●東関脇④同二四年秋場所十四日目西横綱●羽黒山(突出し)千代ノ山〇西大関⑤同二五年春場所十四日目東横綱●羽黒山(送出し)千代ノ山〇東大関⑥同二五年夏場所十四日目東横綱〇羽黒山(下手投)千代ノ山●東大関⑦同二六年春場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(寄切り)千代ノ山●東大関⑧同二六年夏場所十四日目西横綱●羽黒山(外掛け)千代ノ山〇東大関⑨同二六年秋場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(寄切り)千代ノ山●西張出横綱⑩同二七年春場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(下手投)千代ノ山●西張横...羽黒山6━6千代ノ山

  • クイズで珍名力士「羽衣」聯想

    ※昨日の閲覧…611・訪問者…304トータル訪問者数1,197,112今日づけS紙の広告『漢字脳活』左上の「二字熟語クロス」が鳥渡ばかり…頭脳のトレーニングになった感じ。当初難しいと思ったので、漢和辞典の【羽】をみたら…すぐわかった。羽衣・衣食・浴衣・衣服で正解は「衣」なのである。話は、ここから相撲史になるんだ。江戸後期、寛政期の横綱谷風以来〔?〕の幕内力士の弓取力士、大岩山が昭和二十四年春場所、東前頭十六枚目で「羽衣天曻」と名乗った━珍名力士の登場だ。3場所番附最上段に記載されたのである。このうち、見事勝越した同年夏場所の星取表である。東方前頭十九枚目〇大江戸(前二十)上手投〇若潮(同十五)仝●羽島山(同十七)上手投〇甲斐錦(〃)押出し〇大熊(同十六)打棄り●明瀬川(同廿一)突落し●大蛇泻(同十八)押出...クイズで珍名力士「羽衣」聯想

  • 羽黒山7━8東富士

    最高地位は横綱同士で対戦成績が殆んど互角のカードをひとつ。①昭和十九年秋場所九日目東横綱●羽黒山(寄倒し)東冨士〇西関脇②同二十年夏場所五日目西横綱●羽黒山(外掛け)東冨士〇東関脇③同二十年秋場所八日目西横綱〇羽黒山(打棄り)東冨士●東大関④同二一年秋場所千穐楽西横綱〇羽黒山(寄切り)東冨士●東大関⑤同二二年夏場所九日目東横綱〇羽黒山(上手投)東冨士●西張大関⑥同二二年秋場所九日目東横綱〇羽黒山(上手投)東冨士●西大関⑦同二四年夏場所十四日目東横綱●東冨士(上手投)羽黒山〇西張横綱⑧同二四年秋場所千穐楽西横綱●羽黒山(寄切り)東冨士〇西張横綱⑨同二五年春場所千穐楽東横綱〇羽黒山(寄切り)東冨士●西横綱⑩同二五年夏場所千穐楽東横綱●羽黒山(寄切り)東冨士〇西横綱⑪同二六年春場所十三日目西横綱●東冨士(寄切り...羽黒山7━8東富士

  • 大正16年 新年號

    ※昨日の閲覧…531・訪問者…296トータル訪問者数1,196,808今年は、「昭和百年」に当るので、それに因んで……。最近落手の資料に、野球界社發行「運動全般雜誌野球界臨時增刊第拾七卷第貳號號撲相所場春」━奥付には、大正十五年十二月廿日印刷…大正十六年一月十日發行━と、ある。周知の如く、大正十五年十二月二十五日に大正天皇崩御に因り「昭和」と改元されたため、“昭和元年”は一週間しかない。そのため大正十六年の新年号が存在するわけ。当該古雑誌に「有望視される幕下力士」なる記事があるので、対象力士を列記すれば━。男女ノ川横綱鳥ヶ峰十両二幡瀬川関脇天竜関脇栃ノ花十両二高ノ花前頭八鏡岩大関右側に最高位を記した。大正16年新年號

  • 『日本相撲大鑑』&名力士写真5枚 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵上の主役─力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、力士写真のみの御希望には応じられませんので悪しからず御諒承ください。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@y...『日本相撲大鑑』&名力士写真5枚進呈

  • 週刊誌からの話題…

    ※昨日の閲覧…704・訪問者…296トータル訪問者数1,196,512煽情記事が売りものの週刊誌では、嘗て彦山光三や元横綱大鵬が『週刊新潮』の「掲示板」を利用していた。前者は、初代梅ヶ谷に関すること、後者は相撲博物館々長のときに史料に関すること━各々照会をしていた。一方、『週刊アサヒ芸能』は相当むかし、大鵬に関して“暴露記事”を掲げた━と彦山論文が述べている。同誌の平成二七年十月一日号に三宅充・中澤潔の両記者が登場。その対談での三宅氏の発言をピックアップしておきたい。「それにしても、今の力士は稽古しないね。本場所では立ち合いの変化が多いしね。太りすぎで、稽古できなくなっているんだ。」「初代若乃花や大鵬の稽古は、最近の力士の稽古とはまるで違う。〔後略〕」週刊誌からの話題…

  • 試行錯誤の「9日間」興行2場所

    昭和十四年は、春場所が13日間で夏場所は2日延長して現行15日間興行と相成った。おなじ“2日間延長”と云っても、遠く江戸時代のそれは相当様相が違っている。安永七(1778)年から従前の8日間から晴天「10日間」に延長されているが、途中打切りの本場所を除いても、ずっと「8日間」だった訳じゃぁない。明和三(1766)年春場所は、1日だけ延長して臨時的に「9日間」興行となっている。その9年後の安永四(1775)年冬場所も晴天「9日間」興行が記録されている。私見・愚考では、当時の江戸相撲會所(現協会)が「試行錯誤」の意味で1日延長したと思われる。即ち、いきなり10日間興行をやって採算がとれなかったら大変なので…試験的に9日間興行を実施してみた。それが明和のときは、すこしばかり上手くいかなかったけれど、安永のときは...試行錯誤の「9日間」興行2場所

  • 横綱双葉山時代の7首相

    ※昨日の閲覧…437・訪問者…289トータル訪問者数1,196,216彦山光三が不朽の名著『橫綱傳』で、総理大臣も横綱力士も立派な人物にちがいない云々━趣旨の記述をしている。そこで、昭和最強力士の双葉山定次が横綱時代の7首相を列記してみよう。35代め、近衞文麿昭和12.6.4~36代め、平沼騏一郞〃14.1.5~37代め、阿部信行〃14.8.30~38代め、米内光政〃15.1.16~39代め、近衞文麿②〃15.7.22~40代め、仝③〃16.7.18~41代め、東條英機〃16.10.18~42代め、小磯國昭〃19.7.22~43代め、鈴木貫太郞〃20.4.7~近衞内閣が第3次までなので、人数としては7名と云うことになる。尚、双葉山の昭和二十年秋〔十一月〕は場所前引退決意とする。なにを力士と大臣と比較するっ...横綱双葉山時代の7首相

  • 三段目でも優勝を逸す

    昭和十六年夏場所、東三段目十八枚目松竹〔後小結五ッ海〕の星取表である。〇室戸海(三段目18)や●竜ヶ﨑(三段目16)や〇岩ヶ﨑(三段目22)や〇土州灘(三段目21)や〇矢留石(三段目23)=後幕内大蛇泻金作や〇八戸海(三段目29)〇日ノ出山(〃19)や〇奄美嶋(三段目8)や当場所の三段目優勝は、後幕内藤錦で7勝1敗の同成績だった。同点の場合は上位力士の優勝。尚、松竹は同年春(前場所)も序二段で8戦全勝なのに「優勝」を逸していた。三段目でも優勝を逸す

  • 名古屋場所「番附」では…?

    ※昨日の閲覧…375・訪問者…263トータル訪問者数1,195,927268年前の寶暦七年旧暦十月から連綿と発行されつづけているのが本場所大相撲の縦一枚「番附」で、体裁そのものも殆んど変っていない。この番附に書かれている「文字」の種類は、漢字・平仮名・片仮名に限られており、いつ頃だったか、相撲協会の「電話番号」が最下段に一・二・三…で表記された際、洋数字の1・2・3…は使われていない。ところで、今年の名古屋場所の開催場所が「IGアリーナ」と称している。番附「蒙御免」の下部へ、アルファベットで表記されれば、史上初だが、矢張り“伝統を半壊”させるものだ━と、愚考する次第。名古屋場所「番附」では…?

  • 25年前の相撲書を無代進呈

    『相撲ロマン大事典』(弥谷まゆ美著、平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。尚、保存状態良好で切抜きや書込み等は一切ございません。内容は、1の建御雷神と建御名方神から、141の大関小錦八十吉まで。お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。25年前の相撲書を無代進呈

  • 綱の権威のためハードル下げるな !

    ※昨日までのトータル訪問者数1,195,664私見・愚考。平成・令和の「現代相撲」を面白くするには、土俵上の“角逐”を充実させなければならない。現代力士が日頃の鍛錬━稽古の質・量とも充実しているならば、最近の如く、「団栗の背比べ」状態から脱却できるはず。角界では昔から、3年先・5年先に強くなるための「苦しい稽古」をせよ━と、口を酸っぱくして・喧しく云われてきた。昭和三十年代前半あたりまでの力士は「稽古を1日休むと、“取戻す”のに骨が折れる」と云って、正月元旦以外は毎日の鍛錬を怠らなかった。彦山光三も、たしか「力士は年中無休だ」と発言したことがあったみたい。〔但し、猛稽古をやろうと思えば、深夜だって出来る云々の言葉はいただけない。〕横綱の「権威」向上のためには、その推薦基準を大甘にして、横綱力士を「粗製・濫...綱の権威のためハードル下げるな!

  • 超剛 雷電の「出場率」は96%強

    古今最強力士と云われる雷電爲右エ門の「出場率」を調査・算出してみた。彼の「出場すべき日数」は、独断ではあるが、296とする。そして肝腎の「出場数」が285である━これは100%異論・異議なし。285÷296=96.3%と算出したのである。尚、雷電の名が番附面不掲載の場所とか「入れ掛け」は、出場すべき日数には算入しない。但し、相手に休まれたか・否か━釈然としない箇所があるので〔現代ならば不戦勝〕それは欠場あつかいせざるを得ない。超剛雷電の「出場率」は96%強

  • 名力士2人対立が理想だが…

    ※昨日の閲覧…452・訪問者…281トータル訪問者数1,195,522江戸時代後期以来、長い歴史の大相撲史上、「黄金時代」と云われるのは、次の3例だ。〇寛政期谷風・小野川対立時代〇明治後期梅ヶ谷(2代め)・常陸山対立時代〇昭和戦前双葉山時代3番めの「双葉山時代」を別にすれば、両力士の対立が相撲人気を牽引してきた。それを振り返ってみたい。●文化期柏戸(利助)・玉垣(越ノ海)時代●文政期阿武松・稲妻時代●天保期劔山・秀の山時代●昭和戦後栃錦・若乃花(初代)時代このなかでは、柏戸・玉垣対立期がもっともスケールが小さい。この両者以外は「団栗の背くらべ」的だった。その証左としては、柏戸の最優成績15~16回で“全勝”が皆無だった。名力士2人対立が理想だが…

  • 7連勝しながら…

    昭和二九年秋場所、東三段目二九枚目泰山〔後小結廣川〕の星取表である。〇立龍山(三段目29)や〇多賀ノ山(三段目28)〇畠山(〃23)やや〇林(三段目26)〇武蔵嶽(〃18)や〇須藤(三段目41)=後幕内一乃矢や〇富士昇(三段目12)や●佐賀ノ里(三段目21)=後幕内宮柱や上位の同部屋・同期生に三段目Vをもっていかれた。〔当時、決定戦せず…〕尚、全て全勝同士かと思ったら、8番相撲の相手は4戦めに富士昇に負けていた。7連勝しながら…

  • 昨年の延べ訪問者…11万3千超

    皆さま明けましておめでとう御座います。本年も当ブログを何卒よろしくお願いいたします。扨て、昨年の訪問者数を振返ってみれば━。●令和五年大晦日までのトータル訪問者数1,081,831〇令和六年大晦日までのトータル訪問者数1,195,241◎昨年1年間の延べ訪問者数は113,410※1日平均の訪問者数を算出すれば…113,410÷365=≒310.7今年も差支えが生じない限り、1日2回の更新をつづける所存であります。昨年の延べ訪問者…11万3千超

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