大正十年春場所、東幕下二七枚目常陸岩〔後大関=年寄境川〕の星。や〇谷泉(幕下41)や〇葵竜(幕下41)や〇大滝(幕下25)や〇晴ノ海(幕下43)=後幕内や●朝日岩(三段目10)=後十両❔朝日岩は当場所の三段目優勝だが、関取にはなれなかったかも知れない。後大関…、幕下Vを逸す
江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。
去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。
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大正十年春場所、東幕下二七枚目常陸岩〔後大関=年寄境川〕の星。や〇谷泉(幕下41)や〇葵竜(幕下41)や〇大滝(幕下25)や〇晴ノ海(幕下43)=後幕内や●朝日岩(三段目10)=後十両❔朝日岩は当場所の三段目優勝だが、関取にはなれなかったかも知れない。後大関…、幕下Vを逸す
たまには所謂“無名力士”を採りあげてみたい。昭和三一年春、西幕下三七枚目北ノ花〔非関取〕北海道出身、時津風部屋。〇谷ノ花(幕下37)〇栃旭(〃38)やや〇初昇(幕下39)や〇萩ノ里(幕下31)〇富士昇(〃45)やや〇志岐(幕下53)や〇佐賀ノ里(幕下20)=後幕内宮柱●九十九海(〃31)や8番相撲の相手は初日●を記録していたが、結局4力士の同点決勝で北ノ花が優勝。無名力士の幕下V
※昨日までのトータル訪問者数1,113,313拙稿「兵庫県出身入幕力士一覧」では、大阪横綱の大木戸森右エ門を敢えてオミットした。訝しく思われる“向き”もあるかも知れない。でも、先達の若嶋權四郎とちがって、彼は現日本相撲協会の流れを汲む東京大相撲に全然関係した経歴がない。但し、勿論合併相撲で東京力士との対戦を記録している。東京地裁書記官だったN氏の労作『明治大正の全三役力士略伝』に拠れば、大木戸の東京横綱力士との対戦成績は次のとおり。対横綱Ⅱ梅ヶ谷零勝15敗・分預4〃常陸山零勝23敗・分預1〃太刀山5勝12敗・分預5〃鳳1勝4敗・分預2〃Ⅱ西ノ海1勝0敗・分預2対東京横綱7勝…の大木戸
大正十年春場所、東幕下二七枚目常陸岩〔後大関=年寄境川〕の星。や〇谷泉(幕下41)や〇葵竜(幕下41)や〇大滝(幕下25)や〇晴ノ海(幕下43)=後幕内や●朝日岩(三段目10)=後十両❔朝日岩は当場所の三段目優勝だが、関取にはなれなかったかも知れない。後大関…、幕下Vを逸す
※昨日までのトータル訪問者数1,113,821自家製ノートには江戸・明治期における各本場所ごとに引分け数を記入している。鳥渡ばかり話題を披露してみたい。幕末期、嘉永二(1849)年冬から…同七年冬までの連続11場所の幕内取組における引分け相撲の数値は下記のとおり。嘉永二年冬102番うち14分〃三年春9016分〃三年冬11414分〃四年春6013分〃四年冬9315分〃五年春8414分〃五年冬11211分〃六年春10311分〃六年冬10211分〃七年春9911分〃七年冬9210分私見・愚考をふたつ。①当時の相撲内容は、あくまでも勝手な想像だが、「押し相撲」は極めて稀で、大抵が土俵中央附近で“がっぷり四つ”になる。②「日本史」的に俯瞰すれば、「黒船来航」に象徴される如く、日本内・外でどこからともなく不穏な空気━...幕末、連続11場所2桁の引分相撲
たまには所謂“無名力士”を採りあげてみたい。昭和三一年春、西幕下三七枚目北ノ花〔非関取〕北海道出身、時津風部屋。〇谷ノ花(幕下37)〇栃旭(〃38)やや〇初昇(幕下39)や〇萩ノ里(幕下31)〇富士昇(〃45)やや〇志岐(幕下53)や〇佐賀ノ里(幕下20)=後幕内宮柱●九十九海(〃31)や8番相撲の相手は初日●を記録していたが、結局4力士の同点決勝で北ノ花が優勝。無名力士の幕下V
※昨日の閲覧…412・訪問者…295トータル訪問者数1,113,608窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等々は一切ございません。主要内容は次のとおりです。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-679932年前の本『日本相撲大鑑』進呈
江戸時代の勝負づけに表記されている「無勝負」なる判定が比較的に多かった時期・期間は、文政年間である。そこで、その文政期の江戸本場所25場所における幕内関係取組、総計2,066番のうち、無勝負が何番記録されているのか━綿密に調査してみた。その結果、合計101番だと算出した。したがって、4.89%が当該期間の無勝負率と云うことになる。まぁ…、幕末乃至明治前期における引分け相撲の割合なんかと比べると少ない。次の元号である天保年間になるとこの変てこりんな判定が激減する。やや「牽強付会」的に云えば、幕府の水野忠邦が断行した「天保の改革」の“影響”が角界まで波及して、当時の相撲會所(現協会)関係者のあいだで出来るだけ“不明朗”な判定を減らしていく方針が、「回向院定場所」化と並んで意図されたのじゃぁないか。文政25場所、4.9%が「無勝負」
※昨日までのトータル訪問者数1,113,313拙稿「兵庫県出身入幕力士一覧」では、大阪横綱の大木戸森右エ門を敢えてオミットした。訝しく思われる“向き”もあるかも知れない。でも、先達の若嶋權四郎とちがって、彼は現日本相撲協会の流れを汲む東京大相撲に全然関係した経歴がない。但し、勿論合併相撲で東京力士との対戦を記録している。東京地裁書記官だったN氏の労作『明治大正の全三役力士略伝』に拠れば、大木戸の東京横綱力士との対戦成績は次のとおり。対横綱Ⅱ梅ヶ谷零勝15敗・分預4〃常陸山零勝23敗・分預1〃太刀山5勝12敗・分預5〃鳳1勝4敗・分預2〃Ⅱ西ノ海1勝0敗・分預2対東京横綱7勝…の大木戸
昭和十七年夏場所、東幕下十枚目大ノ海(後幕内=花籠理事)星取表。〇高田山(幕下10)●岩ノ里(〃11)や〇三濱洋(幕下13)=後幕内や〇宇佐ノ山(幕下5)や〇五ッ海(幕下14)=後小結や〇田嶋(幕下14)や〇竜ヶ﨑(幕下29)〇相武山(十両13)や当場所の幕下優勝は、大頭〔幕下筆頭〕の後横綱吉葉山で7勝1敗の同点で上位優勝。尚、竜ヶ﨑は前日まで6戦全勝であった。後幕内大ノ海、幕下で優勝同点
※昨日までのトータル訪問者数1,113,09643年前、某誌へ発表した「寶暦末以降の引分け・預り・無勝負率」から鳥渡ばかり話題を拾ってみたい。その拙稿では、昭和三二年までを14期間に「時代区分」を設定して調査したもの。ここでは、幕内記録における引分け相撲を採りあげたい。各期間において引分けの割合が最も高かった時期は、明治前期(元年~十六年の30場所)だ。幕内取組総数〔対幕下・十両戦を含む〕は、2,936番に対して引分け相撲が455番も記録されており、その引分け率は15.5%である。但し、引分け相撲と云っても、大正末期以後と、それ以前ではその内容に大きな相異があり、往時の引分けは、がっぷり四つで土俵中央で数秒間、両力士の“動き”が止れば、すぐに行司がなかに入って「水入り」となり、再開後また静止相撲になれば引...明治前期の引分け率15%超
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)を御希望の方先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等々は一切ございません。520円分の切手を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799古本『日本相撲大鑑』進呈
※昨日までのトータル訪問者数1,112,92766年前の昭和三十三年夏、十両における「同点決勝」に進出した力士たちを“七人の侍”と形容されている。即ち、若秩父(後関脇)・富樫(後横綱柏戸)・北葉山(後大関)・明歩谷(後関脇明武谷)・富士錦(後小結冨士錦)・若三杉(後関脇大豪)、それに玉響だ。98kgの軽量力士玉響だけが平幕止りで終った。彼は、“荒法師”玉乃海(後片男波監事)と同郷で、憧れて二所ノ関部屋に入ったが、なんで“独立”に際して片男波へ移籍しなかった・できなかったのか…?在幕15場所だが、10勝の好成績が3度もある。反面、横綱・大関陣からの殊勲の星は皆無だった。昭和三十年代の軽量力士玉響
大正末期~昭和初期の好取組とその結果。最高位は横綱対大関である。①大正十二年夏場所五日目西大関✖常ノ花(━━)能代泻✖東前頭四②同十三年春場所四日目西大関〇常ノ花(突落し)能代泻●東前頭筆頭③同十三年夏場所五日目大関兼横綱✖常ノ花(━━)能代泻✖西前頭六④同十四年夏場所四日目西横綱✖常ノ花(━━)能代泻✖東張関脇⑤同十五年春場所千穐楽西横綱〇常ノ花(突出し)能代泻●東関脇⑥昭和二年春場所九日目西横綱●常ノ花(踏越し)能代泻〇東大関⑦同二年夏場所千穐楽西横綱〇常ノ花(…出投)能代泻●東大関⑧同二年京都〔十月〕十日目東横綱●常ノ花(上手投)能代泻〇西大関⑨同三年名古屋〔三月〕八日目西横綱●常ノ花(極倒し)能代泻〇東大関⑩同三年夏場所八日目西横綱〇常ノ花(上手投)能代泻〇東張大関⑪同三年広島〔十月〕十日目横綱〇...横綱常ノ花7〔3分〕6大関能代潟
※昨日までのトータル訪問者数1,112,754春秋園事件は角界に“異変”をもたらした。力士数“激減”のため、幕下も「連日出場」となっている。昭和七年春〔二月〕場所、東幕下二三枚目、汐泉の星取表である。●金剛山(幕下23)●黒部岳(〃24)●横手山(〃26)●加州山(三段目3)●四方ノ海(幕下22)●富ノ里(三段目1)●神威山(幕下28)=後十両●楫保川(三段目5)流石に、すべて“全敗同士”で取組ませるのは難しく、楽日の相手は前日まで2勝。兎に角、連日出場の幕下全敗は他に事例が少ないので敢えて採りあげた次第。幕下で8戦全敗
【前稿の脱落を加筆しました。】『大相撲人物大事典』436頁「福田山…」の項〔最高位のとき…幸右エ門〕に…大鵬と複数回対戦して黒星のない、唯一の力士…とあるが、昭和三十五年春場所十三日目の“初顔”合せの一番、●大鵬(寄倒し)福田山〇は、はっきり云って“誤審”なのである。古雑誌『大相撲』(読売新聞社刊)をあらためてみると、「熱戦グラフ」に「福田山の右肘がはっきりと土俵外の砂についている」とあり、本文「総観戦記」にも谷口正美記者が「行司の団扇は福田にサッと上がり〔中略〕あとでアイモ写真がとらえた一瞬をみたら、福田山の右肘が土俵に先に落ちていた」と記述している。土俵下の“利益代表”たる検査役に二所ノ関系がいなかった…?初顔の●大鵬(寄倒し)福田山は誤審
※昨日までのトータル訪問者数1,112,529六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第106号の進捗状況を報告いたします。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第5回)●明治→大正篇③5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜(第86回)●天保十五年冬場所折込み両面●幕内関係勝負&星取表8~9頁〇大正期の新聞記事から(17)折込み表面〇京都府出身入幕力士一覧〇昭和十九年夏七日目、6万3千人の大観衆!折込み裏面●不知火諾…対手地位つき星取表●彦山翁を感銘・堪能させた國貞の錦絵だが…11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(36)以上、原稿清書を完了いたしました。10ページ〇昭和三十年代前半の軽量力士◎下段20行を現在鋭意執筆中。12ページ横書きコラム●兵庫県出身入幕力士一覧から外した大阪横綱、大木戸森右エ門について◎現在、...106号進捗率90.6%
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(21.6×15.4cm、466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主なる内容を列記。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は520円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799平成四年刊『日本相撲大鑑』進呈
※昨日までのトータル訪問者数1,112,351大正七年春場所、東幕下五十枚目阿久ツ川〔後幕内阿久津川→佐渡ヶ嶽理事〕や〇小松泻(三段目10)や〇太刀ノ海(三段目1)=後幕内や〇菊地川(幕下47)や〇稲穂山(幕下24)〇白鷺山(〃38)や当場所の幕下優勝は、中位の奈良錦(後幕内楢錦)の5戦全勝━但し、「表彰」されてはいないだろう。元阿久津川→佐渡ヶ嶽元理事は天竜三郎とともに昭和三二年の国会参考人招致で協会の武蔵川理事(元幕内出羽ノ花=後理事長)と“対決”したが、翌三三年からの「6本場所」制については天竜氏ともども「賛成」意見を陳述している。後幕内阿久津川、幕下で全勝
大正十一年春場所、東序二段二六枚目天竜三郎〔後関脇→関西大関→解説者〕や〇碇山(序二段15)や〇松ヶ濱(序二段41)や〇喜多ノ川(序二段35)や〇絹ノ山(序二段32)や●高瀬川(序二段6)当場所の序二段優勝は、後幕内の雷ノ峰で5戦全勝であった。後関脇天竜、楽日●で序二段V逸す
※昨日までのトータル訪問者数1,112,137昭和八年春場所、西三段目二七枚目玉ノ海〔後関脇→二所ノ関理事→解説者〕〇三高野(三段目28)や〇大曻(三段目29)=後幕内…とは別人。や〇園田(三段目31)や〇高鍋(三段目32)=後幕内竜王山や〇速瀬川(序二段6)や●白鷲(三段目27)=後十両平戸灘当場所の三段目優勝は、後幕内の青葉山徳雄で6戦全勝だった。郷土力士…楽日●で三段目V逸す
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」の“起点”となっていた享和元(1801)年春場所に於る引分け相撲を列記してみたい。初日西前頭四✖山颪━八ヶ峰(幕下)二日目東前頭六✖鯱━鳰ノ里(幕下)西前頭五✖達ヶ関━荒海(〃)三日目西前頭二✖桟シ━田子ノ浦✖東前頭五六日目東小結✖鬼面山━桟シ✖前二七日目前五✖達ヶ関━出潮(幕下)前四✖山颪━田子ノ浦✖前五東前頭二✖大綱━桟シ✖前二八日目東前頭四✖靏翼━達ヶ関✖前五九日目前二✖桟シ━鴻ヶ峰✖東前頭三西関脇✖千田川━鬼面山✖小結十日目(楽日)前六✖鯱━千歳川(幕下)24年ぶりに更新して12番の新記録。223年前、幕内の引分け12番
※昨日までのトータル訪問者数1,111,938窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(21.6×15.4cm、466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名さまに無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容は次のとおりです。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役・力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は、520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-679932年前の『日本相撲大鑑』進呈
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大正十年春場所、東幕下二七枚目常陸岩〔後大関=年寄境川〕の星。や〇谷泉(幕下41)や〇葵竜(幕下41)や〇大滝(幕下25)や〇晴ノ海(幕下43)=後幕内や●朝日岩(三段目10)=後十両❔朝日岩は当場所の三段目優勝だが、関取にはなれなかったかも知れない。後大関…、幕下Vを逸す
※昨日までのトータル訪問者数1,113,821自家製ノートには江戸・明治期における各本場所ごとに引分け数を記入している。鳥渡ばかり話題を披露してみたい。幕末期、嘉永二(1849)年冬から…同七年冬までの連続11場所の幕内取組における引分け相撲の数値は下記のとおり。嘉永二年冬102番うち14分〃三年春9016分〃三年冬11414分〃四年春6013分〃四年冬9315分〃五年春8414分〃五年冬11211分〃六年春10311分〃六年冬10211分〃七年春9911分〃七年冬9210分私見・愚考をふたつ。①当時の相撲内容は、あくまでも勝手な想像だが、「押し相撲」は極めて稀で、大抵が土俵中央附近で“がっぷり四つ”になる。②「日本史」的に俯瞰すれば、「黒船来航」に象徴される如く、日本内・外でどこからともなく不穏な空気━...幕末、連続11場所2桁の引分相撲
たまには所謂“無名力士”を採りあげてみたい。昭和三一年春、西幕下三七枚目北ノ花〔非関取〕北海道出身、時津風部屋。〇谷ノ花(幕下37)〇栃旭(〃38)やや〇初昇(幕下39)や〇萩ノ里(幕下31)〇富士昇(〃45)やや〇志岐(幕下53)や〇佐賀ノ里(幕下20)=後幕内宮柱●九十九海(〃31)や8番相撲の相手は初日●を記録していたが、結局4力士の同点決勝で北ノ花が優勝。無名力士の幕下V
※昨日の閲覧…412・訪問者…295トータル訪問者数1,113,608窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等々は一切ございません。主要内容は次のとおりです。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-679932年前の本『日本相撲大鑑』進呈
江戸時代の勝負づけに表記されている「無勝負」なる判定が比較的に多かった時期・期間は、文政年間である。そこで、その文政期の江戸本場所25場所における幕内関係取組、総計2,066番のうち、無勝負が何番記録されているのか━綿密に調査してみた。その結果、合計101番だと算出した。したがって、4.89%が当該期間の無勝負率と云うことになる。まぁ…、幕末乃至明治前期における引分け相撲の割合なんかと比べると少ない。次の元号である天保年間になるとこの変てこりんな判定が激減する。やや「牽強付会」的に云えば、幕府の水野忠邦が断行した「天保の改革」の“影響”が角界まで波及して、当時の相撲會所(現協会)関係者のあいだで出来るだけ“不明朗”な判定を減らしていく方針が、「回向院定場所」化と並んで意図されたのじゃぁないか。文政25場所、4.9%が「無勝負」
※昨日までのトータル訪問者数1,113,313拙稿「兵庫県出身入幕力士一覧」では、大阪横綱の大木戸森右エ門を敢えてオミットした。訝しく思われる“向き”もあるかも知れない。でも、先達の若嶋權四郎とちがって、彼は現日本相撲協会の流れを汲む東京大相撲に全然関係した経歴がない。但し、勿論合併相撲で東京力士との対戦を記録している。東京地裁書記官だったN氏の労作『明治大正の全三役力士略伝』に拠れば、大木戸の東京横綱力士との対戦成績は次のとおり。対横綱Ⅱ梅ヶ谷零勝15敗・分預4〃常陸山零勝23敗・分預1〃太刀山5勝12敗・分預5〃鳳1勝4敗・分預2〃Ⅱ西ノ海1勝0敗・分預2対東京横綱7勝…の大木戸
昭和十七年夏場所、東幕下十枚目大ノ海(後幕内=花籠理事)星取表。〇高田山(幕下10)●岩ノ里(〃11)や〇三濱洋(幕下13)=後幕内や〇宇佐ノ山(幕下5)や〇五ッ海(幕下14)=後小結や〇田嶋(幕下14)や〇竜ヶ﨑(幕下29)〇相武山(十両13)や当場所の幕下優勝は、大頭〔幕下筆頭〕の後横綱吉葉山で7勝1敗の同点で上位優勝。尚、竜ヶ﨑は前日まで6戦全勝であった。後幕内大ノ海、幕下で優勝同点
※昨日までのトータル訪問者数1,113,09643年前、某誌へ発表した「寶暦末以降の引分け・預り・無勝負率」から鳥渡ばかり話題を拾ってみたい。その拙稿では、昭和三二年までを14期間に「時代区分」を設定して調査したもの。ここでは、幕内記録における引分け相撲を採りあげたい。各期間において引分けの割合が最も高かった時期は、明治前期(元年~十六年の30場所)だ。幕内取組総数〔対幕下・十両戦を含む〕は、2,936番に対して引分け相撲が455番も記録されており、その引分け率は15.5%である。但し、引分け相撲と云っても、大正末期以後と、それ以前ではその内容に大きな相異があり、往時の引分けは、がっぷり四つで土俵中央で数秒間、両力士の“動き”が止れば、すぐに行司がなかに入って「水入り」となり、再開後また静止相撲になれば引...明治前期の引分け率15%超
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)を御希望の方先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等々は一切ございません。520円分の切手を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799古本『日本相撲大鑑』進呈
※昨日までのトータル訪問者数1,112,92766年前の昭和三十三年夏、十両における「同点決勝」に進出した力士たちを“七人の侍”と形容されている。即ち、若秩父(後関脇)・富樫(後横綱柏戸)・北葉山(後大関)・明歩谷(後関脇明武谷)・富士錦(後小結冨士錦)・若三杉(後関脇大豪)、それに玉響だ。98kgの軽量力士玉響だけが平幕止りで終った。彼は、“荒法師”玉乃海(後片男波監事)と同郷で、憧れて二所ノ関部屋に入ったが、なんで“独立”に際して片男波へ移籍しなかった・できなかったのか…?在幕15場所だが、10勝の好成績が3度もある。反面、横綱・大関陣からの殊勲の星は皆無だった。昭和三十年代の軽量力士玉響
大正末期~昭和初期の好取組とその結果。最高位は横綱対大関である。①大正十二年夏場所五日目西大関✖常ノ花(━━)能代泻✖東前頭四②同十三年春場所四日目西大関〇常ノ花(突落し)能代泻●東前頭筆頭③同十三年夏場所五日目大関兼横綱✖常ノ花(━━)能代泻✖西前頭六④同十四年夏場所四日目西横綱✖常ノ花(━━)能代泻✖東張関脇⑤同十五年春場所千穐楽西横綱〇常ノ花(突出し)能代泻●東関脇⑥昭和二年春場所九日目西横綱●常ノ花(踏越し)能代泻〇東大関⑦同二年夏場所千穐楽西横綱〇常ノ花(…出投)能代泻●東大関⑧同二年京都〔十月〕十日目東横綱●常ノ花(上手投)能代泻〇西大関⑨同三年名古屋〔三月〕八日目西横綱●常ノ花(極倒し)能代泻〇東大関⑩同三年夏場所八日目西横綱〇常ノ花(上手投)能代泻〇東張大関⑪同三年広島〔十月〕十日目横綱〇...横綱常ノ花7〔3分〕6大関能代潟
※昨日までのトータル訪問者数1,112,754春秋園事件は角界に“異変”をもたらした。力士数“激減”のため、幕下も「連日出場」となっている。昭和七年春〔二月〕場所、東幕下二三枚目、汐泉の星取表である。●金剛山(幕下23)●黒部岳(〃24)●横手山(〃26)●加州山(三段目3)●四方ノ海(幕下22)●富ノ里(三段目1)●神威山(幕下28)=後十両●楫保川(三段目5)流石に、すべて“全敗同士”で取組ませるのは難しく、楽日の相手は前日まで2勝。兎に角、連日出場の幕下全敗は他に事例が少ないので敢えて採りあげた次第。幕下で8戦全敗
【前稿の脱落を加筆しました。】『大相撲人物大事典』436頁「福田山…」の項〔最高位のとき…幸右エ門〕に…大鵬と複数回対戦して黒星のない、唯一の力士…とあるが、昭和三十五年春場所十三日目の“初顔”合せの一番、●大鵬(寄倒し)福田山〇は、はっきり云って“誤審”なのである。古雑誌『大相撲』(読売新聞社刊)をあらためてみると、「熱戦グラフ」に「福田山の右肘がはっきりと土俵外の砂についている」とあり、本文「総観戦記」にも谷口正美記者が「行司の団扇は福田にサッと上がり〔中略〕あとでアイモ写真がとらえた一瞬をみたら、福田山の右肘が土俵に先に落ちていた」と記述している。土俵下の“利益代表”たる検査役に二所ノ関系がいなかった…?初顔の●大鵬(寄倒し)福田山は誤審
※昨日までのトータル訪問者数1,112,529六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第106号の進捗状況を報告いたします。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第5回)●明治→大正篇③5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜(第86回)●天保十五年冬場所折込み両面●幕内関係勝負&星取表8~9頁〇大正期の新聞記事から(17)折込み表面〇京都府出身入幕力士一覧〇昭和十九年夏七日目、6万3千人の大観衆!折込み裏面●不知火諾…対手地位つき星取表●彦山翁を感銘・堪能させた國貞の錦絵だが…11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(36)以上、原稿清書を完了いたしました。10ページ〇昭和三十年代前半の軽量力士◎下段20行を現在鋭意執筆中。12ページ横書きコラム●兵庫県出身入幕力士一覧から外した大阪横綱、大木戸森右エ門について◎現在、...106号進捗率90.6%
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(21.6×15.4cm、466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主なる内容を列記。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は520円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799平成四年刊『日本相撲大鑑』進呈
※昨日までのトータル訪問者数1,112,351大正七年春場所、東幕下五十枚目阿久ツ川〔後幕内阿久津川→佐渡ヶ嶽理事〕や〇小松泻(三段目10)や〇太刀ノ海(三段目1)=後幕内や〇菊地川(幕下47)や〇稲穂山(幕下24)〇白鷺山(〃38)や当場所の幕下優勝は、中位の奈良錦(後幕内楢錦)の5戦全勝━但し、「表彰」されてはいないだろう。元阿久津川→佐渡ヶ嶽元理事は天竜三郎とともに昭和三二年の国会参考人招致で協会の武蔵川理事(元幕内出羽ノ花=後理事長)と“対決”したが、翌三三年からの「6本場所」制については天竜氏ともども「賛成」意見を陳述している。後幕内阿久津川、幕下で全勝
大正十一年春場所、東序二段二六枚目天竜三郎〔後関脇→関西大関→解説者〕や〇碇山(序二段15)や〇松ヶ濱(序二段41)や〇喜多ノ川(序二段35)や〇絹ノ山(序二段32)や●高瀬川(序二段6)当場所の序二段優勝は、後幕内の雷ノ峰で5戦全勝であった。後関脇天竜、楽日●で序二段V逸す
※昨日までのトータル訪問者数1,112,137昭和八年春場所、西三段目二七枚目玉ノ海〔後関脇→二所ノ関理事→解説者〕〇三高野(三段目28)や〇大曻(三段目29)=後幕内…とは別人。や〇園田(三段目31)や〇高鍋(三段目32)=後幕内竜王山や〇速瀬川(序二段6)や●白鷲(三段目27)=後十両平戸灘当場所の三段目優勝は、後幕内の青葉山徳雄で6戦全勝だった。郷土力士…楽日●で三段目V逸す
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」の“起点”となっていた享和元(1801)年春場所に於る引分け相撲を列記してみたい。初日西前頭四✖山颪━八ヶ峰(幕下)二日目東前頭六✖鯱━鳰ノ里(幕下)西前頭五✖達ヶ関━荒海(〃)三日目西前頭二✖桟シ━田子ノ浦✖東前頭五六日目東小結✖鬼面山━桟シ✖前二七日目前五✖達ヶ関━出潮(幕下)前四✖山颪━田子ノ浦✖前五東前頭二✖大綱━桟シ✖前二八日目東前頭四✖靏翼━達ヶ関✖前五九日目前二✖桟シ━鴻ヶ峰✖東前頭三西関脇✖千田川━鬼面山✖小結十日目(楽日)前六✖鯱━千歳川(幕下)24年ぶりに更新して12番の新記録。223年前、幕内の引分け12番
※昨日までのトータル訪問者数1,111,938窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(21.6×15.4cm、466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)を御希望の方、先着1名さまに無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容は次のとおりです。第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役・力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術御希望の方は、520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて送本いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-679932年前の『日本相撲大鑑』進呈
江戸本場所大相撲のなかで、幕末におけるパーフェクト記録を御紹介。最高位は、横綱対関脇である。①萬延元(1860)年冬場所二日目東小結〇鬼面山─東関(十両格2)②文久二(…62)年春場所二日目東小結〇鬼面山─東関(十両格2)③同二年冬場所初日東関脇〇鬼面山━東関●西前八(幕尻)④同三年夏場所三日目東関脇〇鬼面山─東関●西前七(幕尻)⑤同三年冬場所五日目東関脇〇鬼面山─東関●西前頭六⑥元治二(…65)年春場所六日目東関脇〇鬼面山─東関●西前頭四⑦慶應元(…65)年冬場所五日目東大関〇鬼面山─東関●西前頭三⑧同三年春場所九日目東張小結格?〇鬼面山─東関●西前頭二その後、鬼面山が西方へ異動したのが要因で取組は終り…明治の土俵で顔合せは全然なかった。尚、当時は引分け相撲が多いので「完全試合」は相当な“実力差”が必須...後横綱鬼面山8─0後関脇東関
※昨日までのトータル訪問者数1,018,371昭和三十年初場所、西三段目二十一朝ノ海〔後幕内=奄美大島出身〕の星。〇時津浪(三段目21)=後十両や〇小城ノ花(三段目18)=後関脇〇大海(〃24)や〇勇山(三段目27)や〇須藤(三段目30)=後幕内一乃矢やや〇湊山(三段目11)〇光昇(〃14)や●谷ノ花(三段目3)や決定戦は行わず、上位の谷ノ花が優勝。谷ノ花は2番相撲が黒星であった。でも、彼は関取になれなかった。後幕内朝…、三段目全勝を逸す
百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で
※昨日までのトータル訪問者数1,018,139昭和三三年秋、西序ノ口十五枚目川内〔後幕内逆鉾與…〕星取表。〇瀧(序ノ口18)や〇巴嶋(序ノ口15)〇高岡川(〃14)や〇植田(序ノ口10)や〇長田(序ノ口9)や〇小野岩(序二段126)やや〇英ノ花(序二段114)や●平戸(序二段124)=後十両隆昌山序二段3力士は何れも前日まで「1敗」の星だった。決定戦で植田に敗れVを逸す。当時、172㎝・71.2㎏と記録されていた。京都女性との“逃避行”がなければ、幕内上位で面白い存在になったはず━角界の「損失」であった。序ノ口V逸した後幕内…
拙稿「岡山県出身入幕力士一覧」は、残念ながら江戸寶暦以来、計10名しか該当力士がいなかった。就中、昭和五十九年名古屋…で西前頭十一枚目の元関脇鷲羽山が6勝9敗と負越し、翌場所十両へ陥落━その後、令和の現代に至る凡そ40年間も番附の最上段に「岡山」頭書が記載されていないのだ。兎に角、“質”的には名力士を割合と輩出している。横綱常ノ花寛市(出羽海秀光理事長)以下、大関は寛政期の靏渡ひとりだが、関脇が雲井川と大邱山・鷲羽山の3名だ。“量”の面からみると、矢張り岡山県は相撲熱が高い方とは思われない。“分母”の方を鳥渡ばかり……。手許の大正九年「第1回の国勢調査」の新聞記事に拠れば、東京〔府〕の人口は、3,699,283となっており、当「長崎」は1,135,742だったが、「岡山」のそれは、1,217,663━と当...約40年間、入幕力士出ず…!
※昨日までのトータル訪問者数1,017,915昭和三三年秋、西幕下三九枚目若鳴門清海〔後幕内〕星取表。〇恵戸ノ花(幕下39)〇若天龍(〃37)=後幕内やや●田代岩(幕下41)=後十両〇吉ノ岩(〃40)=後十両やや●大和岩(幕下43)や〇大緑(幕下35)=後十両や〇時津浪(幕下31)=後十両や✖越ノ海(幕下49)当時、未だ自宅にTV受像機が無く、ラヂオ観戦だったが、相撲専門誌も読んでおらず、千穐楽の引分け相撲に気づいていなかった。65年前、楽日に幕下で引分け
拙稿「岡山県出身入幕力士一覧」の作成を開始した。31年前の平成四年二月、拙作『相撲史発掘』第9号折込みに掲載したものに、その後の分を追加すればOKと云うわけには参らない。その劈頭は、寛政期の大関靏渡だったが、それ以前の該当力士を脱落させていた。安永期の関脇雲井川であり、彼には「最優秀成績」を1度記録しており、落す訳にいかない。尚、番附頭書は「備中」とあり、詳細出身地も・生歿年も未詳なのは致し方ない。明治二十四年夏、「廣角組」8名が臨時加入の恰好で番附外幕内格出場━計8勝しか出来ず、古今入幕力士と“同列”にあつかうのに躊躇する側面もあるが、うち2名が岡山県出身だったのに…この度初めて気づいた次第。しかも、意外に経歴など横顔がはっきりしており、あらためて追加する方針である。132年前「廣角組」の2名が…!
※昨日までのトータル訪問者数1,017,753百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で
昭和二八年夏、東序二段二六枚目熊本〔後幕内若杉山〕の星取表。〇浪花山(序二段29)〇泰山(〃27)=後小結廣川や〇太刀勇(序二段22)やや〇石見山(序二段14)や〇成田(序二段35)〇弘ノ海(〃39)やや〇阿州山(序二段6)や●光輝(序二段5)6番相撲まで相手も“全勝”だったが……。上位で7勝1敗の光輝が序二段Vとなった。後幕内若杉山、序二段V逸す
※昨日までのトータル訪問者数1,017,588本日づけS紙におけるY先生の「歴史の交差点━常識否定の幕末維新史」が面白い。“幕末の英雄”坂本龍馬の“虚像と実像”に触れているが、もっとも刮目に値するのは次の一節だ。…日本史教科書にある親藩・譜代・外様などの区分も最近では重視されない…そこで、すぐさま彦山光三の不朽の名著『横綱傳』(昭和二八年末刊)の「外伝」━「超剛雷電爲右衛門」の「横綱問題を解く」を聯想せずにはいられない。なぜ雷電は横綱になれなかったのか━についての箇所を抜萃。第一に、当時は大関が最高位であり、横綱は何等かの儀式を機縁としてゆるされる習わしであって、横綱をもって大相撲の象徴とし最高権威とする、今日の考えかたとはまったく異なっていた〔中略〕第二に、吉田司家が外様大名の細川家の家来であるところか...またもや彦山翁旧説が絵空事化…?!
六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第103号は、“追込み”態勢に入った。今夕までの進捗状況は次のとおり…。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち●明治→大正篇①◎原稿清書完了。尚、4頁下段は写真━横綱太刀山・大関駒ヶ嶽・小結緑嶋・1字名の甲(かぶと)━の4力士である。5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜●天保十四年春場所◎原稿清書完了。但し、折込み掲載分は清書してない。8~10頁上段〇大正期の新聞記事から◎原稿清書完了。余白に古新聞・古雑誌から写真を転載する。10頁下段〇江戸本場所大相撲三役陣18世紀“最初の記録”◎原稿清書完了11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表◎原稿清書完了折込み掲載●明治入幕、大正で引退45名一覧表◎原稿清書完了予定に「岡山県出身入幕力士一覧」未調査だが、「横書きコラム」のテーマは構想済...103号の進捗率75%
※昨日までのトータル訪問者数1,017,414昭和三五年初場所、西三段目九四竹美山〔後横綱北の富士〕の星取表。〇玉津久見(三段目97)〇琴風(〃98)=後大関とは別人やや〇陸奥ノ海(三段目101)や〇志賀登(序二段2)や〇玉兜(三段目95)や〇日向岩(三段目70)〇柏國(〃78)や●川内(三段目59)=後幕内逆鉾與治郎や川内(せんだい)ら7力士のV決定戦で琴櫻が三段目優勝。後横綱北…、三段目Vを逸す
百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまに譲渡いたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799百余年前の絵葉書を廉価で
※昨日までのトータル訪問者数1,017,231大正六年夏場所、西三段目三九枚目陸錦〔後大関豊國←小野川〕の星。〇若武藏(三段目51)や〇千葉ノ音(三段目43)や〇御國山(三段目37)や〇阿久津川(三段目27)=後幕内、佐渡ヶ嶽理事や〇小牧川(幕下51)や三段目優勝は、上位の後幕内鞍ヶ嶽(→東関)にもっていかれてしまった。後大関…、三段目Vを逸す
拙作『相撲史発掘』次号(No.103)では、「江戸大相撲三役陣18世紀“最初の記録”」を調査・掲載する予定。往時「東西制」の取組で、三役同士は1、東大関対西大関2、東大関対西関脇3、東大関対西小結4、東関脇対西大関5、東関脇対西関脇6、東関脇対西小結7、東小結対西大関8、東小結対西関脇9、東小結対西小結━以上、9番みられるのが理想的だ。しかし、「看板大関」の陋習が要因で滅多に全9番の三役戦が実現しない。“起点”の寶暦十一(1761)年冬場所は、六日目の東西両小結戦と、八日目(楽日)の東関脇対西小結━計2番にすぎない。安永四(1775)年冬場所六日目の西大関〇虹ヶ嶽━黒岩●東小結は、史上初めての東小結対西大関の取組であり、寶暦末から実に14年も経過していたのであった。或る“時差”が実に14年も…
※昨日までのトータル訪問者数1,017,030德富蘇峰(文久三年、熊本…生れ、昭和三二年歿)が創刊した『國民新聞』━大正七年五月二三日附の相撲記事には、“謎の人物”が登場する。新横綱栃木山が29連勝でストップした直後の支度部屋での記者が取材しての記事。◇重い沈默に耽る〔栃木山〕小川作藏が『關取察するよ九分と云ふ所でやられたんだからネ』と慰める…〔後略〕小川作藏なる人物像がまるっきり判然としない。『大日本人名辭書』等々にも不掲載みたいだし、HPあたりを「検索」しても無理。一応、横綱栃木山の“谷町”らしい感じを否定しないけど、肩書等々わからないのである。謎の人物小川作藏
古今最軽量横綱力士、大正期の東京大相撲で君臨した栃木山守也(後春日野剛史取締)は、平幕3・小結1・関脇1・大関2場所で横綱を免許されている。その関脇のとき八日目から…新横綱の七日目まで30連勝━1預りを挟む━その預り相撲が所謂「陰星」と称して、実質的には白星なる説もある。しかし、公式記録は「預り」で星取表には「△」印が記入されている。その連勝を阻止したのが、大関8場所めのⅡ朝潮だった。問題は、その決り手が昭和55講談社刊『国技大相撲の100傑』や同61読売新聞社刊『古今横綱大事典』━両資料の星取表では「はたきこみ」とあり、当時の『國民新聞』の相撲記事だって同様。ところが、昭和50四季書館刊『國技遺芳』明治・大正相撲名勝負画集━では「うっちゃり打棄り」となっている。打棄りと叩込みとでは全然別の決り方だ。●新横綱栃木山━大関朝潮の極り技
※昨日までのトータル訪問者数1,016,861百年ばかり前の大正初期乃至中期に「明治大帝御事蹟保存會」なる組織が発行した、明治十七年三月十日に挙行された天覧相撲━「御濱御殿内延遼館相撲天覽」と銘打つ絵葉書〔旧官製葉書と同じ9cm✕14cm〕を御希望の方、先着1名さまにお譲りいたします。120円切手10枚を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ折返し御送付いたします。尚、頂戴した切手は『相撲史発掘』の発送に使用しますので必ず額面120円の切手にて…お願い申しあげます。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。☎095-845-6799明治天覧相撲の絵葉書を廉価で
六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第103号の進捗状況を御報告いたします。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち(第3回)●明治→大正篇①◎原稿清書完了。5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜(第83回)●天保十四年春場所◎原稿清書完了、但し折込みの関係勝負&星取表は清書してない。8~10頁上段〔予定〕〇大正期の新聞記事から(15)◎8ページのみ原稿清書完了。11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表(33)●昭和十四年夏~同十八年夏◎原稿清書完了折込み表面〇明治に入幕し、大正で引退の…全45力士一覧◎原稿清書完了第103号進捗率62.5%
※昨日までのトータル訪問者数1,016,673明治本場所大相撲のパーフェクト記録を……対戦回数は多くないが仕方ない。最高位は、大関対小結である。①明治二一年春場所七日目東前頭五〇八幡山━千歳川●西前十一(幕尻)②同二二年春場所四日目東前頭二〇八幡山━千歳川●西前頭九③同二二年夏場所九日目東前頭三〇八幡山━千年川●西前頭七④同二三年夏場所九日目西小結〇八幡山━千年川●東前頭五⑤同二四年春場所五日目西関脇〇八幡山━千年川●東前頭四その後、八幡山の“連休”が要因で対戦していない。現代と違って、当時は5回以上の顔合せそのものが比較的すくない。大関八幡山5─0小結千年川