大正十三年春場所、東三段目筆頭若汐〔後関脇大潮〕の星取表です。や●玉錦(幕下24)=後横綱や〇藝州山(三段目3)や〇十勝嶽(幕下22)〇千秋嶽(〃32)や〇若響(幕下27)や興行日数を11日間に“延長”していたんだが、関東大震災で“都落ち”を余儀なくされ「晴天10日間」に逆戻りだった。当場所の三段目優勝は、後関脇の“永遠の風雲児”天竜で、成績は4勝零敗1分けであった。但し、「表彰」はなかったかも知れない。初日●が惜しかった
江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。
去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。
大正十三年春場所、東三段目筆頭若汐〔後関脇大潮〕の星取表です。や●玉錦(幕下24)=後横綱や〇藝州山(三段目3)や〇十勝嶽(幕下22)〇千秋嶽(〃32)や〇若響(幕下27)や興行日数を11日間に“延長”していたんだが、関東大震災で“都落ち”を余儀なくされ「晴天10日間」に逆戻りだった。当場所の三段目優勝は、後関脇の“永遠の風雲児”天竜で、成績は4勝零敗1分けであった。但し、「表彰」はなかったかも知れない。初日●が惜しかった
※昨日の閲覧…1,139・訪問者…576トータル訪問者数1,199,006窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)及び名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhis...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈
大正十四年春場所、東幕下六枚目1字名狼(おおかみ)猛(たけし)の星。や●花坂(幕下17)や●小金山(十両15)や●若汐(幕下5)=後関脇大潮や〇太刀ノ海(十両10)=元幕内〇立汐(幕下2)=後十両や●楢ノ里(幕下12)他の場所では、下の名前が「雲龍型」手数入(でずいり)の雲龍久吉と同じもの。大正十四年夏の幕下十五枚目で2勝・4敗━が最後となっている。過日、マイナスイメージを書いたが、『角川漢和中辞典』に「狼」の字義として、「東方にある星の名」━と記載もあるのだ。元幕内を破った狼(おおかみ)猛
※昨日の閲覧…448・訪問者…273トータル訪問者数1,198,430NHKの大相撲放送、神風正一・玉ノ海梅吉の両解説者の頃まで“TV桟敷”に釘づけだったけれど、平成・令和の「現代相撲」は、味も素っ気も乏しく、みられた“ざま”じゃぁない。殊に、上位陣の取組ほど面白味なんか殆んどないに等しい。二日目の三段目取組、元幕内炎鵬に注目せずにいられない。相手は、元幕下で、背が炎鵬より12cm高く、体重は80kgも重いのだ。今後の炎鵬の相撲ぶりを占う“試金石”となりそう━と、愚考する次第。炎鵬、重量級にどう対処するのか…?
初場所大相撲が初日の蓋を開けたけれども興趣が沸かないので179年前の「春場所」にタイムスリップ━━幕末、弘化三年春場所における初日の“取組順序”を『相撲起顯』に拠って検証。その初日。17番の幕内力士の相手はすべて幕下なので安泰かと思いきや、“番狂わせ”が続出したのである。即ち、関の戸・柏戸・黒雲・千年川・武藏野の5人の平幕が幕下に黒星を頂戴した。扨て、大きな問題箇所に出くわした。二日目である。幕内関係取組が7番とは極めて少ない。『起顯』に拠れば、30番が中入り前に取組んだらしいが、幕内力士は登場せず、幕下以下ばかり。疑義なのは、左頁に「二日目」とあるが、「中入後」の3文字を欠いているのが不審。そして幕内7番のあと、「雨天ニ付是切」と断り書きしている。愚考。中入り前に「入れ掛け」となったが、天候恢復で中入り...179年前、二日目の“謎”
※昨日までのトータル訪問者数1,198,157昭和九年春場所、東前頭筆頭幡瀬川〔元関脇=後楯山理事〕の星取表であります。〇筑波嶺(前五)打棄り●大潮(小結)寄倒し●男女ノ川(関脇)踏切り〇大邱山(前二)引落し〇武藏山(大関)小股掬い●瓊ノ浦(前六)寄切り〇清水川(大関)捲落し〇寳川(前三)掬い投〇双葉山(同四)寄倒し〇鏡岩(同七)仝〇能代泻(小結)小股掬い彼も小兵・軽量力士である。173cm・86kgと記録されている。上位で活躍していた頃、“お座敷”遊びでは、芸者衆に“新弟子”と間違われたそうな…。双葉山をも寄倒す…
179年前の幕末、弘化三年春場所における入幕力士は2人━東方の幕尻へ昨冬“貧乏神”〔註=幕下筆頭の隠語。現代ならば十両筆頭のこと。〕で勝越し3点の達ヶ関(後大関猪王山)が……。西方幕尻へ、同じく昨冬は“貧乏神”で勝越し3点の天津風がそれぞれ幕内力士に列している。これを現代で想定すれば、東・西の十両筆頭で各々9勝6敗の星で、東西幕尻へ入幕するようなものだ。綿密に調べた訳じゃぁないけれども、多分はじめての記録だと思っている。その後、総当り制下では充分にあり得るので、御存知の方は御教示いただければ誠に幸甚であります。東西同点で同時幕尻へ入幕
※昨日の閲覧…437・訪問者…278トータル訪問者数1,197,943同時横綱免許〔乃至推挙〕5組のうち、谷風━小野川は計17回対戦〔但し、3場所は小野川が非幕内のとき〕を記録している。2組めの常陸山━梅ヶ谷(2代め)は、15回の対戦記録〔但し、1場所は常陸山の入幕直前のとき〕を残している。ところが、3組めの安藝ノ海━照國は、たった6度、しかも横綱同士では全然対戦がなかったのである。①昭和十四年夏場所十四日目東前頭四●安藝ノ海(絡み投)照國〇西前十五②同十五年春場所十一日目西関脇〇安藝ノ海(寄切り)照國●東前頭二③同十五年夏場所十三日目西関脇〇安藝ノ海(下手投)照國●東張関脇④同十六年春場所十二日目東大関●安藝ノ海(切返し)照國〇西関脇⑤同十六年夏場所十一日目東大関●安藝ノ海(上手投)照國〇西関脇⑥同十七...安藝ノ海3━3照國
昭和四六年九月号の『大相撲』特集記事━9ページ超にわたって三宅充氏が執筆した「八百長はなくせるか」で小見出し「〔星を〕貸したことならある」の箇所を抜萃してみたい。〔前略〕自分で“星を借りた”ことを白状したのは少数だったが、逆に“星を貸した”話なら、しょっちゅう聞いた。私の取材範囲で“星を貸した”ことが一度もなかったのは、残念ながら一人もいなかった。星を貸した人が多いということは、当然、借りた人も同数いることになり、数多くの八百長が存在したことになる。私など、支度部屋で、八百長の取引に巻き込まれて往生したこともあった〔後略〕平成末期から令和の現代では、角界もすこしは“清浄化”されているらしいけど…。八百長相撲と認定されたら、その両力士に厳しい処分が待っているのだから。星を貸した事はある…
※昨日の閲覧…453・訪問者…294トータル訪問者数1,197,665大正十二年春場所は、幕下以下も全日出場が原則だったと思われる。西幕下二四枚目の一字名、狼(おおかみ)の星取表。●古賀ノ浦(幕下15)=後幕内●笹ヶ峰(〃23)●青海川(〃29)〇三杉岩(〃18)●玉碇(〃20)=後幕内●関ノ川(〃18)〇相ノ川(〃10)〇安藝ノ浦(〃22)〇朝風(〃21)〇洋ノ花(〃32)=後幕内(伊勢ノ濵)「珍名番附」に載ってないかも知れないが、手許の電子辞書をみると「か弱い女性を脅かす恐ろしい者」━と怪説している。非関取の狼(おおかみ)
拙作&私家版『相撲史発掘』第108号は全て原稿清書完了と相成ったので、一服せずに…次号〔第109号〕の制作に…。拙稿「江戸大相撲熱戦譜」は、弘化三(1846)年春場所を吟味・検討する。当該場所の幕内力士略歴の作成が終った。この幕内陣容は、二つの特色がある━初めて認識するに至った。そのひとつは、後大関小柳と黒雲が三十代の仲間入りで、小柳入幕以来の二十代幕内力士が消えてしまった。天保十(1839)年冬場所以来13場所ぶりの記録と云うことになる。但し、鳥渡ばかり「現代感覚」とのギャップがあることに注意せねばならない。それは満年齢に非ず、「数え年」を前提に考察しているのだ。だから満ならば、未だ二十代かも知れないのである。もうひとつの特徴は、明日以降に詳述したい。では、お休みなさい。13場所ぶり20代幕内姿を消す
※昨日の閲覧…424・訪問者…259トータル訪問者数1,197,371『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著、平成十二年、勉誠出版刊、本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち千六百人が登場!!保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲ロマン大事典』無代進呈
対戦成績が五分・五分の拮抗した最高地位は横綱同士のカードを御覧。①昭和二一年秋場所十日目西横綱〇羽黒山(吊出し)千代ノ山●東前頭筆頭②同二二年秋場所八日目東横綱●羽黒山(突出し)千代ノ山〇西前頭筆頭③同二四年夏場所八日目西張横綱〇羽黒山(上手投)千代ノ山●東関脇④同二四年秋場所十四日目西横綱●羽黒山(突出し)千代ノ山〇西大関⑤同二五年春場所十四日目東横綱●羽黒山(送出し)千代ノ山〇東大関⑥同二五年夏場所十四日目東横綱〇羽黒山(下手投)千代ノ山●東大関⑦同二六年春場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(寄切り)千代ノ山●東大関⑧同二六年夏場所十四日目西横綱●羽黒山(外掛け)千代ノ山〇東大関⑨同二六年秋場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(寄切り)千代ノ山●西張出横綱⑩同二七年春場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(下手投)千代ノ山●西張横...羽黒山6━6千代ノ山
※昨日の閲覧…611・訪問者…304トータル訪問者数1,197,112今日づけS紙の広告『漢字脳活』左上の「二字熟語クロス」が鳥渡ばかり…頭脳のトレーニングになった感じ。当初難しいと思ったので、漢和辞典の【羽】をみたら…すぐわかった。羽衣・衣食・浴衣・衣服で正解は「衣」なのである。話は、ここから相撲史になるんだ。江戸後期、寛政期の横綱谷風以来〔?〕の幕内力士の弓取力士、大岩山が昭和二十四年春場所、東前頭十六枚目で「羽衣天曻」と名乗った━珍名力士の登場だ。3場所番附最上段に記載されたのである。このうち、見事勝越した同年夏場所の星取表である。東方前頭十九枚目〇大江戸(前二十)上手投〇若潮(同十五)仝●羽島山(同十七)上手投〇甲斐錦(〃)押出し〇大熊(同十六)打棄り●明瀬川(同廿一)突落し●大蛇泻(同十八)押出...クイズで珍名力士「羽衣」聯想
最高地位は横綱同士で対戦成績が殆んど互角のカードをひとつ。①昭和十九年秋場所九日目東横綱●羽黒山(寄倒し)東冨士〇西関脇②同二十年夏場所五日目西横綱●羽黒山(外掛け)東冨士〇東関脇③同二十年秋場所八日目西横綱〇羽黒山(打棄り)東冨士●東大関④同二一年秋場所千穐楽西横綱〇羽黒山(寄切り)東冨士●東大関⑤同二二年夏場所九日目東横綱〇羽黒山(上手投)東冨士●西張大関⑥同二二年秋場所九日目東横綱〇羽黒山(上手投)東冨士●西大関⑦同二四年夏場所十四日目東横綱●東冨士(上手投)羽黒山〇西張横綱⑧同二四年秋場所千穐楽西横綱●羽黒山(寄切り)東冨士〇西張横綱⑨同二五年春場所千穐楽東横綱〇羽黒山(寄切り)東冨士●西横綱⑩同二五年夏場所千穐楽東横綱●羽黒山(寄切り)東冨士〇西横綱⑪同二六年春場所十三日目西横綱●東冨士(寄切り...羽黒山7━8東富士
※昨日の閲覧…531・訪問者…296トータル訪問者数1,196,808今年は、「昭和百年」に当るので、それに因んで……。最近落手の資料に、野球界社發行「運動全般雜誌野球界臨時增刊第拾七卷第貳號號撲相所場春」━奥付には、大正十五年十二月廿日印刷…大正十六年一月十日發行━と、ある。周知の如く、大正十五年十二月二十五日に大正天皇崩御に因り「昭和」と改元されたため、“昭和元年”は一週間しかない。そのため大正十六年の新年号が存在するわけ。当該古雑誌に「有望視される幕下力士」なる記事があるので、対象力士を列記すれば━。男女ノ川横綱鳥ヶ峰十両二幡瀬川関脇天竜関脇栃ノ花十両二高ノ花前頭八鏡岩大関右側に最高位を記した。大正16年新年號
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵上の主役─力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、力士写真のみの御希望には応じられませんので悪しからず御諒承ください。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@y...『日本相撲大鑑』&名力士写真5枚進呈
※昨日の閲覧…704・訪問者…296トータル訪問者数1,196,512煽情記事が売りものの週刊誌では、嘗て彦山光三や元横綱大鵬が『週刊新潮』の「掲示板」を利用していた。前者は、初代梅ヶ谷に関すること、後者は相撲博物館々長のときに史料に関すること━各々照会をしていた。一方、『週刊アサヒ芸能』は相当むかし、大鵬に関して“暴露記事”を掲げた━と彦山論文が述べている。同誌の平成二七年十月一日号に三宅充・中澤潔の両記者が登場。その対談での三宅氏の発言をピックアップしておきたい。「それにしても、今の力士は稽古しないね。本場所では立ち合いの変化が多いしね。太りすぎで、稽古できなくなっているんだ。」「初代若乃花や大鵬の稽古は、最近の力士の稽古とはまるで違う。〔後略〕」週刊誌からの話題…
昭和十四年は、春場所が13日間で夏場所は2日延長して現行15日間興行と相成った。おなじ“2日間延長”と云っても、遠く江戸時代のそれは相当様相が違っている。安永七(1778)年から従前の8日間から晴天「10日間」に延長されているが、途中打切りの本場所を除いても、ずっと「8日間」だった訳じゃぁない。明和三(1766)年春場所は、1日だけ延長して臨時的に「9日間」興行となっている。その9年後の安永四(1775)年冬場所も晴天「9日間」興行が記録されている。私見・愚考では、当時の江戸相撲會所(現協会)が「試行錯誤」の意味で1日延長したと思われる。即ち、いきなり10日間興行をやって採算がとれなかったら大変なので…試験的に9日間興行を実施してみた。それが明和のときは、すこしばかり上手くいかなかったけれど、安永のときは...試行錯誤の「9日間」興行2場所
※昨日の閲覧…437・訪問者…289トータル訪問者数1,196,216彦山光三が不朽の名著『橫綱傳』で、総理大臣も横綱力士も立派な人物にちがいない云々━趣旨の記述をしている。そこで、昭和最強力士の双葉山定次が横綱時代の7首相を列記してみよう。35代め、近衞文麿昭和12.6.4~36代め、平沼騏一郞〃14.1.5~37代め、阿部信行〃14.8.30~38代め、米内光政〃15.1.16~39代め、近衞文麿②〃15.7.22~40代め、仝③〃16.7.18~41代め、東條英機〃16.10.18~42代め、小磯國昭〃19.7.22~43代め、鈴木貫太郞〃20.4.7~近衞内閣が第3次までなので、人数としては7名と云うことになる。尚、双葉山の昭和二十年秋〔十一月〕は場所前引退決意とする。なにを力士と大臣と比較するっ...横綱双葉山時代の7首相
昭和十六年夏場所、東三段目十八枚目松竹〔後小結五ッ海〕の星取表である。〇室戸海(三段目18)や●竜ヶ﨑(三段目16)や〇岩ヶ﨑(三段目22)や〇土州灘(三段目21)や〇矢留石(三段目23)=後幕内大蛇泻金作や〇八戸海(三段目29)〇日ノ出山(〃19)や〇奄美嶋(三段目8)や当場所の三段目優勝は、後幕内藤錦で7勝1敗の同成績だった。同点の場合は上位力士の優勝。尚、松竹は同年春(前場所)も序二段で8戦全勝なのに「優勝」を逸していた。三段目でも優勝を逸す
※昨日の閲覧…375・訪問者…263トータル訪問者数1,195,927268年前の寶暦七年旧暦十月から連綿と発行されつづけているのが本場所大相撲の縦一枚「番附」で、体裁そのものも殆んど変っていない。この番附に書かれている「文字」の種類は、漢字・平仮名・片仮名に限られており、いつ頃だったか、相撲協会の「電話番号」が最下段に一・二・三…で表記された際、洋数字の1・2・3…は使われていない。ところで、今年の名古屋場所の開催場所が「IGアリーナ」と称している。番附「蒙御免」の下部へ、アルファベットで表記されれば、史上初だが、矢張り“伝統を半壊”させるものだ━と、愚考する次第。名古屋場所「番附」では…?
『相撲ロマン大事典』(弥谷まゆ美著、平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。尚、保存状態良好で切抜きや書込み等は一切ございません。内容は、1の建御雷神と建御名方神から、141の大関小錦八十吉まで。お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。25年前の相撲書を無代進呈
※昨日までのトータル訪問者数1,195,664私見・愚考。平成・令和の「現代相撲」を面白くするには、土俵上の“角逐”を充実させなければならない。現代力士が日頃の鍛錬━稽古の質・量とも充実しているならば、最近の如く、「団栗の背比べ」状態から脱却できるはず。角界では昔から、3年先・5年先に強くなるための「苦しい稽古」をせよ━と、口を酸っぱくして・喧しく云われてきた。昭和三十年代前半あたりまでの力士は「稽古を1日休むと、“取戻す”のに骨が折れる」と云って、正月元旦以外は毎日の鍛錬を怠らなかった。彦山光三も、たしか「力士は年中無休だ」と発言したことがあったみたい。〔但し、猛稽古をやろうと思えば、深夜だって出来る云々の言葉はいただけない。〕横綱の「権威」向上のためには、その推薦基準を大甘にして、横綱力士を「粗製・濫...綱の権威のためハードル下げるな!
古今最強力士と云われる雷電爲右エ門の「出場率」を調査・算出してみた。彼の「出場すべき日数」は、独断ではあるが、296とする。そして肝腎の「出場数」が285である━これは100%異論・異議なし。285÷296=96.3%と算出したのである。尚、雷電の名が番附面不掲載の場所とか「入れ掛け」は、出場すべき日数には算入しない。但し、相手に休まれたか・否か━釈然としない箇所があるので〔現代ならば不戦勝〕それは欠場あつかいせざるを得ない。超剛雷電の「出場率」は96%強
※昨日の閲覧…452・訪問者…281トータル訪問者数1,195,522江戸時代後期以来、長い歴史の大相撲史上、「黄金時代」と云われるのは、次の3例だ。〇寛政期谷風・小野川対立時代〇明治後期梅ヶ谷(2代め)・常陸山対立時代〇昭和戦前双葉山時代3番めの「双葉山時代」を別にすれば、両力士の対立が相撲人気を牽引してきた。それを振り返ってみたい。●文化期柏戸(利助)・玉垣(越ノ海)時代●文政期阿武松・稲妻時代●天保期劔山・秀の山時代●昭和戦後栃錦・若乃花(初代)時代このなかでは、柏戸・玉垣対立期がもっともスケールが小さい。この両者以外は「団栗の背くらべ」的だった。その証左としては、柏戸の最優成績15~16回で“全勝”が皆無だった。名力士2人対立が理想だが…
昭和二九年秋場所、東三段目二九枚目泰山〔後小結廣川〕の星取表である。〇立龍山(三段目29)や〇多賀ノ山(三段目28)〇畠山(〃23)やや〇林(三段目26)〇武蔵嶽(〃18)や〇須藤(三段目41)=後幕内一乃矢や〇富士昇(三段目12)や●佐賀ノ里(三段目21)=後幕内宮柱や上位の同部屋・同期生に三段目Vをもっていかれた。〔当時、決定戦せず…〕尚、全て全勝同士かと思ったら、8番相撲の相手は4戦めに富士昇に負けていた。7連勝しながら…
皆さま明けましておめでとう御座います。本年も当ブログを何卒よろしくお願いいたします。扨て、昨年の訪問者数を振返ってみれば━。●令和五年大晦日までのトータル訪問者数1,081,831〇令和六年大晦日までのトータル訪問者数1,195,241◎昨年1年間の延べ訪問者数は113,410※1日平均の訪問者数を算出すれば…113,410÷365=≒310.7今年も差支えが生じない限り、1日2回の更新をつづける所存であります。昨年の延べ訪問者…11万3千超
本年の当ブログ訪問者数の最多記録。令和六年一月一月二十一日(日曜)410令和六年二月二月十九日(月曜)401令和六年三月三月十二日(火曜)683令和六年四月四月三十日(火曜)368令和六年五月五月十二日(日曜)417令和六年六月六月十七日(月曜)497令和六年七月七月十八日(木曜)515令和六年八月八月三十一日(土曜)585令和六年九月九月十六日(月曜)487令和六年十月十月十四日(月曜)372令和六年十一月十一月二十二日(金曜)405多くの皆様方に御訪問いただき、誠に光栄であり、衷心より感謝いたします。三月に訪問…683
※昨日の閲覧…879・訪問者…443トータル訪問者数1,194,779かつて時津風定次理事長(元横綱双葉山)は、協会機構改革構想のなかに「年寄定数」削減も視野に入っていた。しかし、昭和四三年末急逝すると、“立ち消え”になってしまった。兎に角、角界では所謂「労働者側」の力士は徐々に“少数精鋭”の方向が趨勢なのに、「使用者側」たる年寄は依然百名を超過した侭で、石を投げれば相撲取に当らず親方衆に当る━なんて揶揄されそう…。私見・愚考。現年寄名跡105家のうち、下記を“廃家”の候補としたい。小野川・阿武松・不知火・秀ノ山・陣幕・境川。理由は、古今の横綱力士と“同名”なのは鳥渡ばかり面白くないからだ。即ち━五人目小野川喜三郎六人目阿武松緑之助八人目不知火諾右エ門九人目秀の山雷五郎十一人目不知火光右エ門十二人目陣幕久...愚案かも知れないが…
今夜は相撲史と直接関係ない話━現代日本人で知っている者は少数派と思えるから詳述したい。今年も「衝撃的」ニュースが日本列島を駆け巡ったが、吾輩が一番衝撃を感じたのは、アフリカ大陸の某新興国〔国名は失念。〕では、「銀行」と称するものが全然存在しないと云う━即ち、紙幣や硬貨の所謂「貨幣」なるものが一切流通せず、国民の売買など全てデジタル通貨━私見では「仮想通貨」━最近流行の言葉で「暗号資産」で実行されているそうな。じゃぁ、輸出入の貿易は如何。畢竟、¥は勿論、人民元とか$なんか使用できまい。日本銀行だって将来の導入を視野に…「デジタル通貨」の準備・研究・検討をやってるらしいが、仮想通貨と一体どこが違うのか━政府発行がデジタル通貨で発行元不在なのが仮想通貨━単純考察でそう云い切ってしまうのである。兎に角、仮想通貨な...某アフリカ新興国の現実…?!
※昨日の閲覧…871・訪問者…459トータル訪問者数1,194,336去る九州場所、東幕下三枚目の郷土力士、上戸〔関取になったら醜名を…〕の星取表である。や●魁勝(幕下3)●羽出山(〃1)零勝1敗■若碇(十両13)零勝3敗ややや〇大翔丸(幕下9)零勝3敗●宮城(〃2)1勝3敗や〇小原(幕下4)1勝4敗や●朝白龍(幕下5)2勝4敗や〇千代丸(十両11)1勝13敗幕下相手に同成績同士で取組んでいる。不戦敗を含み3勝5敗
去る十月、三十路に達した元幕内力士炎鵬。初場所新番附で三段目の四枚目までカムバック。扨て、どう云う姿勢・心構えで臨もうとしているのか━「勝越し」さえ成就すれば幕下へ戻れるので、それが〔最低〕目標だ━と、「深層心理」的に思っていないか…。だとすれば、絶対「優勝」できまい。幕下は、三段目以下とは鳥渡ばかり違う━幕下中位以下では仮令「全勝」しても、上の“階級”へ昇格OKとはならないのだ。兎に角、目標設定として、あくまでも7戦全勝優勝をめざさなければ、心・技・体が揃って充実した相撲が取れまい。炎鵬よ、勝越しが目標では駄目
※昨日の閲覧…824・訪問者…447トータル訪問者数1,193,877昨日購入の日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』通算〔巻〕973号〔=新年号〕だが、鳥渡ばかり物言いをつけずにはいられない。附録の…カレンダー上部には、珍しい錦絵を転写するのかと思っていたら、「歴代横綱〔力士一覧〕」━前回同様、秀の山雷五郎の「ノ」は1場所だけなので…正しくない。それから誰が筆者なのか知らないが、梅ヶ谷藤太郎が「ケ」じゃぁなく「つ」みたいな文字になっちゃっている。粗探しをつづければ、新潟・長崎など「泻」・「﨑」を使わず、横綱の綱の字を糸偏プラス岡としないのは可笑しい。大砲(一時大炮)万右エ門だって「萬」と番附最上段に書かれてたことはないはず。〔照國は両方表記〕相撲記者のみならず、プロの行司さんも「相撲史」の勉強不足じゃぁない...新年号へ物言い
☆精神一到何事不レ成★前号折込み裏面へ転載した大正期のインテリ横綱大錦卯一郎の書について崩し字の“判読”を試みた…。先ず3行のうち、右側の3文字は「精神一」で中学生あたりでも読めるだろう。問題は真ん中と左側だ。そこで『角川漢和中辞典』(昭和45年102版)の【精】なる項で調べて「精神一到何事不レ成」と云う慣用句が掲載されていたのである。読み方の後半は「なにごとかならざらん」とあり、「不」と「成」との間に“レ点”が記入されている。出典は『朱子語類』━中國、南宋の思想家朱熹の語録140巻で755年前に成立。その朱子学は、鎌倉時代に伝来し、江戸時代に普及して封建社会の中心思想となった━とある。尚、不の崩し字が平仮名「ふ」みたいにみえるのは腑に落ちない。108号「横書きコラム」脱稿
※昨日の閲覧…1,120・訪問者…443トータル訪問者数1,193,430窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円。)及び名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも比較的若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhis...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈
明治~大正期の好取組とその結果。最高位は兎に角横綱同士なんだが…。①明治四二年夏場所初日東横綱〇常陸山(いなし)鳳●西前頭二②同四三年春場所七日目東横綱〇常陸山(踏越し)鳳●西関脇③同四四年春場所四日目東横綱〇常陸山(極出し)鳳●西小結④同四五年春場所六日目西横綱●常陸山(上手投)鳳〇東小結⑤大正二年春場所七日目東横綱●常陸山(押切り)鳳〇西大関最近の若い相撲記者で…「踏切り」と「踏越し」の違いをわかってない人がいたみたい。前者は、足の踵が土俵外へ出ること。後者は、足の爪先が土俵外へ出ること。上記の②は、鳳の「勇み足」じゃぁないの…?これの●は「力士の恥」とされているそうな。常陸山3━2鳳
※昨日の閲覧…1,259・訪問者…503トータル訪問者数1,192,987大正十二年春場所、東幕下三六枚目荒山〔後十両〕の星取表である。△鷲ヶ峰(幕下35)〇星甲(〃25)=後幕内〇浪ノ音(三段目11)=後十両〇佐賀ノ城(〃10)〇岩見嶽(幕下35)〇池田川(〃26)=後幕内〇西ノ梅(〃13)●一ノ関(三段目12)〇玉錦(〃13)=後横綱●新海(幕下34)=後関脇幕下どん尻から3枚めなので、三段目との取組は理解するが、すべて“二桁”で4人━三段目上位に欠場が多かった訳じゃぁない。当場所の幕下優勝は、筆頭の錦洋(後関脇)で8勝2敗。幕下で準優勝
昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は横綱対大関である。①昭和二一年秋場所八日目西大関●名寄岩(寄倒し)千代ノ山〇東前頭筆頭②同二二年秋場所二日目東張出大関●名寄岩(捲落し)千代ノ山〇西前頭筆頭③同二六年春場所五日目東大関〇千代ノ山(叩込み)名寄岩●西前頭二④同二六年夏場所四日目東大関〇千代ノ山(突出し)名寄岩●東前頭四⑤同二六年秋場所十一日目西張出横綱〇千代ノ山(寄倒し)名寄岩●東前頭五⑥同二七年春場所三日目西張出横綱〇千代ノ山(突出し)名寄岩●東前頭二⑦同二七年夏場所五日目西横綱〇千代ノ山(叩込み)名寄岩●西前頭三⑧同二七年秋場所五日目西横綱●千代ノ山(下手投)名寄岩〇西前頭三⑨同二八年初場所三日目東横綱■千代ノ山(━)名寄岩□西関脇⑩同二八年秋場所初日西張出横綱〇千代ノ山(寄切り)名寄岩●西前頭三両...横綱千代ノ山8━2大関名寄岩
※昨日の閲覧…1,171・訪問者…495トータル訪問者数1,192,484昭和二八年夏場所、西幕下九枚目若羽黒〔後大関〕の星取表である。〇青ノ森(幕下10)や〇淀ノ花(幕下8)〇芳野嶺(〃6)=後幕内や〇松緑(幕下13)=元十両やや〇鶴美山(幕下20)や〇黒瀬川(幕下23)●國若(〃6)=元十両や〇前ヶ潮(幕下16)=後幕内や必ずしも“全勝同士”で対戦してない。國若なんか既に2敗を喫していた。当場所の幕下優勝は、五枚目の弟弟子安念山(後関脇)だった。幕下以下は決定戦に非ず、“上位優勝”となっていた。弟弟子に幕下Vを持って…
幕末の弘化五(1848)年旧三月十五日、嘉永と改元された。その改元後で初の江戸本場所である嘉永元年冬場所━。前場所まで通算118勝の東方大関劔山(←鰐石)は、初日から3連勝したものの、四日目から八日目まで1勝2敗・1分1無勝負の不振━それでも入幕以来の通算勝利数が122勝を記録した。一方、横綱免許3場所め〔異説もある〕を数える西方大関秀の山(←岩見泻)は、前場所まで107勝だった。当場所好調で七日目まで5勝“土つかず”だが、翌八日目には自身と同じ体型〔あんこ型〕の小結小柳(後大関)に黒星を頂戴した。でも、通算勝利を112勝として、先頭の劔山との“差”を10勝に迫った。尚、東西両総帥の劔対秀の好取組が九日目に実現する筈だった━と思えるのだが…。星取表は両力士とも「や」が記入されている。幕内最多勝利数の軌跡その168
※昨日の閲覧…875・訪問者…491トータル訪問者数1,191,989力士の醜名〔しこな=四股名は宛字なので採らない。〕に従前は、山・川・海・谷など“自然”現象の文字のつくのが一般的だった。次いで、多いのが所謂「動物名」と云うやつだ。九州地方には熊本県だって居ないとされる「熊」が東日本乃至東北地方で人間さまに危害を加える事件が多発。そこで『江戸時代相撲名鑑』に拠って、“熊”が劈頭につく醜名を調べてみた。熊ヶ石1名熊ヶ谷※27名熊鹿毛1名熊ヶ崎2名熊ヶ嶽15名熊ヶ渕1名熊ヶ洞1名熊川1名熊嶋1名熊蝉1名熊高2名熊鷹5名熊手山1名熊登海1名熊戸山1名熊ノ石1名熊ノ岩1名熊之海1名熊ノ(野)浦2名熊野潟1名熊ノ川13名熊野川4名熊ノ崎1名熊ノ嶋1名熊ノ瀧2名熊ノ嶽1名熊ノ灘2名熊ノ峰1名熊ノ森5名熊ノ山15名熊...熊…の醜名34種
昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は関脇対小結であった。①昭和三四年九州場所五日目西前頭九〇潮錦(腰投げ)明歩谷●東前十二②同三五年初場所九日目東前頭六〇潮錦(寄倒し)明歩谷●東前十五③同三五年九州場所千穐楽西前頭三●潮錦(吊出し)明歩谷〇東前十三④同三六年初場所二日目西前頭九〇潮錦(吊出し)明歩谷●東前頭十⑤同三六年夏場所十一日目東前頭七●潮錦(外掛け)明武谷〇東前頭九⑥同三六年名古屋場所十日目西前頭十〇明武谷(寄切り)潮錦●西前十三元小結潮錦の十両陥落でこのカードは終了。吊り名人の明武谷が吊られて黒星を喫していた。後関脇明武谷3━3元小結潮錦
※昨日の閲覧…502・訪問者…286トータル訪問者数1,191,498昭和二三年秋〔十月〕場所、西幕下五枚目巴浦〔後小結大晃〕の星取表である。〇両邦山(幕下4)=後幕内白龍山や●甲斐ノ山(幕下4)=後幕内や〇平鹿川(十両15)=後幕内や〇玉輝(幕下5)=後十両松緑や〇朝見山(幕下3)や〇小坂川(十両13)=後幕内当場所、7力士の同点決勝で信州(後幕内大昇)が幕下優勝。尚、7名のなかに後大関琴ヶ濵がいた。2十両を破って幕下V逸す
かつて北の湖理事長(元横綱━)は、横綱推薦に関して、13勝を“合格ライン”として…横綱審議委員会の“内規”「連覇乃至それに準ずる成績」なんか問題視しない立場を示して、当時の審判部とのあいだに“齟齬”を生じていた。小錦が横綱問題の当事者だったときの理事長だったか…出羽海智敬→境川尚(元横綱佐田の山)が「小錦は“星数”が足りなかった」と説明したみたいだが、上記の理事長のスタンスと五十歩百歩であり、“数字至上主義”との批判を免れまい。私見では、横綱は大関以下と異なり、単なる「地位」じゃぁない。したがって勝利数より・なにより相撲内容━「横綱相撲」が取れるか・否か━を評価して可否判断すべきものだ。受売りで恐縮だが、彦山光三発言を再録しておきたい。鳥渡優勝・準優勝で…成績がいいから━と、横綱にしてしまって、あとでもっ...悪いのは協会・横審とマスコミだ!
※昨日の閲覧…639・訪問者…357トータル訪問者数1,191,212窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役、力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真は撮影年月が不明ですが、引退直前のものに非ず、何れも若い頃と思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈
明朝は早くも初場所大相撲の新「番附」発表。初日まで約3週間も…、“忘れた頃”に開幕する感じではなかろうか。勿論、メリットはある。協会機関誌と銘打つ『相撲』の新年号が“年内”━大晦日までには購入できるはずだ。一層のこと、番附編成会議の翌日に新陣容すべて発表したら如何。本「番附」の“発行”は相当の日数を要することは承知してる心算。往時、明治中期頃の話。取締の雷權太夫(元横綱Ⅰ梅ヶ谷)が弟子の入幕が“見送り”になって、当人は入幕できると思い化粧廻し等々支度していても、見てみぬふりをした━「極秘」あつかいは厳重に守られていた。その後、各新聞社の“特種”競争もあり、必ずしも“秘密”が漏洩しない保証はなくなってきたみたい。火曜朝の各紙は、一斉に「綱獲り」を記事中で触れるだろう。初場所のキャッチフレーズの如く…。本当に...開幕20日前の番附発表
※昨日の閲覧…755・訪問者…391トータル訪問者数1,190,855昭和三四年九州場所、西前頭二枚目若ノ海正照〔元小結〕の星取表。〇柏戸(小結)上手投〇安念山(関脇)寄切り●若羽黒(大関)寄倒し〇鶴ヶ嶺(小結)掬い投〇栃光(関脇)…出投げ〇栃錦(横綱)仝●出羽錦(小結)寄倒し〇北葉山(関脇)寄倒し〇北の洋(前七)仝〇成山(同九)寄切り〇三根山(同三)押出し●冨士錦(同十一)寄切り〇若前田(同十)押出し〇潮錦(同九)寄切り〇松登(同十)押出し当場所の「技能賞」である。彼の得意技は「掛け投」とされているが、そんなの一番もなく、元大関の2人を「押出し」て破っている。寧ろ、技の“多様性”を技能力士として評価されたのじゃぁないのかな…。8役力士と対戦し12勝
幕下以下も原則的に「全日出場」と思われる大正十二年春場所、西序二段二六枚目、葉颪〔後十両三池山〕の星。〇日向嶽(序二段30)〇種ヶ嶋(〃19)●若瀬川(〃28)=後幕内…栄藏〇八幡﨑(〃15)〇生駒山(〃38)●楢ノ里(〃1)〇薩州山(〃25)〇金ノ花(〃39)〇田湖泻(〃29)〇東達(〃15)当場所の序二段優勝は、9勝1敗の後十両白浪であった。序二段で準優勝の…
※昨日の閲覧…638・訪問者…379トータル訪問者数1,190,464「怪人力士」とは、超巨漢力士なのであり、実例を列挙してみよう━。●平戸・生月鯨太左エ門身長227cm、体重169kg●島根・釋迦嶽雲右エ門身長227cm、体重180kg●山口・龍門好五郎身長226cm、体重150kg●飛騨・白眞弓肥太右エ門身長208cm、体重150kg●山形・出羽ヶ嶽文治郎身長206cm、体重195kgすべてを網羅しないので、御容赦下さい。生月なんか、間違いなく「巨人症」であり、20歳を越しても背丈が伸びる━230cmまで伸びたかも知れない。一説を述べる。彼等のうちには所謂「近親婚」に因って異常に…例えば、「脳下垂体」などのホルモン分泌が異常になってるとか…。兎に角、江戸~明治初・中期頃は、近親婚が少なくなかったらしい...怪人力士出現の要因は…❔
大正十二年春場所、西序ノ口八枚目上宮山〔後十両〕の星取表である。〇越ノ雪(序ノ口6)〇新高山(〃5)〇真弓山(〃13)〇大筑志(序二段42)●立ノ海(序ノ口2)〇関東山(序二段28)〇田湖泻(〃29)〇金竜山(〃27)〇桃ヶ谷(序ノ口18)〇高汐(〃15)当場所の序ノ口優勝者である。昭和七年春場所番附で関取の仲間入り。しかし、春秋園事件に加担し脱退、復帰することはなく、その後の消息は不明の侭だ。明治三七年、鹿児島県の出生。本姓名を中間勇一と云う。所属は井筒部屋となっている。関取として土俵へ上らず…
※昨日の閲覧…596・訪問者…382トータル訪問者数1,190,085昭和三二年春場所、東三段目八六枚目宮永〔石川・時津風、後幕内天津風〕●鹿嶋龍(三段目86)〇石見龍(〃80)や〇大望山(三段目85)やや〇若千鳥(三段目84)〇佐々田(〃82)=後横綱佐田の山や〇平石(三段目79)やや〇二瀬龍(三段目106)〇白秀山(〃75)や当場所の三段目は、8力士の同点決勝で非関取の照晃が制した。8人のなかに花田(後栃ノ海)が含まれていた。初日●が惜しかった…
横綱北の富士、優勝の軌跡を簡単に振返ってみたい。昭和四五年夏場所、北の富士勝昭V414勝・1敗同四五年名古屋場所、北の富士勝昭V513勝・2敗同四六年夏場所、北の富士勝晃V615戦全勝同四六年秋場所、北の富士勝晃V715戦全勝同四六年九州場所、北の富士勝晃V813勝・2敗同四七年秋場所、北の富士勝昭V915戦全勝同四八年春場所、北の富士勝昭V1014勝・1敗…勝昭(本名)で優勝4度、勝晃での優勝は3度だけど、うち“全勝”が2回。対して、勝昭で全勝はたった1度っきりだ。したがって、私見としては北の富士勝晃をフルネームとする方針なのであります。「勝晃」で全勝2回なので…
※昨日の閲覧…845・訪問者…486トータル訪問者数1,189,703昨夜の石原裕次郎の映画『嵐を呼ぶ男』に次いで、同じく主演の『青春とはなんだ』を話題に━あとで相撲の話も出てくる。先ず、当該青春映画の共演者に、“子役”出身の太田博之が…。彼が子役で演じた時代劇だったか…衛星放送で鳥渡ばかり視た。現在も実業家として活躍中らしい彼は「団塊世代」の美男子スターだった。吾輩が中学生の頃、相撲放送→ニュースに次いで子供向け番組で初めてお眼にかかった。タイトルは『不思議な少年』で連続劇のなかで“時間よ止れ!”が有名(?)なフレーズだった。続いて、裕ちゃんの話だが、昭和四十年封切の『青春…』では腕時計を右手首に着けていた。たしか昭和三八年頃、スキーで負傷したのじゃぁなかったか。その頃、兄貴の…慎太郎のち都知事が、大相...石原兄弟
昭和二五年春場所、西序ノ口五枚目南秋山〔後小結若ノ海、一時荒岩〕。〇戸村(序ノ口6)〇常錦(〃2)=後幕内〇常ノ海(〃1)●朝曻(〃5)〇小出(〃4)●関東山(序二段17)〇三野谷(序ノ口4)〇谷ノ花(序二段18)〇秀ノ海(序ノ口2)〇神室山(序二段13)●鳴門泻(〃18)〇山形(〃12)=後幕内泉洋〇八染(〃11)=後幕内〇小林(〃14)=後小結時錦〇大幡山(〃20)当場所の序ノ口優勝は、同位の東方朝曻となっている。本日、一時的に『嵐を呼ぶ男』(裕次郎)を視ていたら、当時の人気投票で若ノ海が相撲部門の人気力士No.1と云うことが表現されていたので、上記を特に調査した次第。序ノ口で12勝の後小結若ノ海
※昨日の閲覧…733・訪問者…435トータル訪問者数1,189,217窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)ならびに名力士の写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は、撮影年月が不明です。1、出羽錦忠雄。7cm×10.5cm2、時津山仁一。8cm×12cm3、安念山治。仝4、若ノ海正照。7cm×10.5cm5、栃光正之。8cm×12cm御希望の方は600円分の切手を同封のうえ…下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、勝手ながら力士写真のみの御希望には応じませんので悪しからず御諒承ください。〒852-811...『日本相撲大鑑』&名力士の写真5枚
本日昼過ぎの稿━星取り等々の“記録もの”は、過去発表のやつと“重複”を回避している心算だが…。佐竹義惇氏の労作『戦後新入幕力士物語』第五巻の資料編「各段優勝決定戦出場者一覧」のうち、「幕下優勝決定戦出場者」の項で31・三……〇西37北ノ花の箇所に鉛筆でチェック(「レ」)していたのをうっかり確認しなかった。来春二月完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』の進捗状況の報告。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜9~10頁〇大正期の新聞記事から11ページ〇古今平幕最優秀力士星取表折込み両面〇名力士対手地位つき星取表◎以上、原稿清書完了。尚、昭和29/9の大天龍の星…を10ページ下段末尾へ収めることに“成功”した、万歳!108号進捗率75%
※昨日の閲覧…537・訪問者…314トータル訪問者数1,188,782昭和三一年春場所、西幕下三七枚目北ノ花〔北海道出身、時津風部屋〕〇谷ノ花(幕下37)〇栃旭(〃38)やや〇発昇(幕下39)や〇萩ノ里(幕下31)〇富士昇(〃45)やや〇志岐(幕下53)や〇佐賀ノ里(幕下20)=後幕内宮柱●九十九海(〃31)や当場所の幕下は、4力士の同点決勝で北ノ花が幕下優勝となったけれども、彼は関取の仲間入りを果せずに土俵を去った。幕下Vでも非関取の…
昨日は元関脇力道山〔後プロレスラー兼実業家〕の命日だった。そこで彼が優勝決定戦実施で、その出場権を得た昭和二二年夏〔六月〕場所、東前頭八枚目を採りあげてみたい。〇九ヶ錦(前十)吊出し〇因州山(同十四)打棄り〇前ノ山(同十三)外掛け〇廣瀬川(同十五)吊出し〇大熊(同十一)突出し〇備州山(同七)上手投〇陸奥ノ里(十七)吊出し●羽嶋山(同五)櫓投げ〇櫻錦(同二)押出し〇信州山(同四)突出し4力士に依る同点決勝だが、力道山は横綱・大関陣と対戦してない。〔西方の関脇・小結は全休。〕尚、旧「東西対抗」制度の最後の本場所なのであった。但し、翌場所の番附は旧取組制度前提で編成されていた。力道山、決勝進出は幸運…?
※昨日の閲覧…431・訪問者…288トータル訪問者数1,188,468昭和四十三年十二月十六日、巨星堕る━不世出の大横綱双葉山(当時時津風理事長)が56歳で急逝。でも、その直前の九州場所で協会挨拶や表彰式で土俵上の理事長は、げっそり━往年の双葉山の雄姿━その“面影”の片鱗もなかった……。双葉山と云えば矢張り「不滅の金字塔」に輝く69連勝を話題しないではいられない。その連勝記録のすべてが“完璧”な相撲だったわけじゃぁない。決り手をみても「打棄り」が5番ほど━しかしながら、一番危なかったのは49連勝めの対両國(←瓊ノ浦=176cm・88kg、当長崎市出身)戦である。土俵際で、微妙な攻防は大物言いが40分経過して、「取直し」となり、こうなれば断然双葉山有利。双葉山の●を強硬に主張した控えの横綱玉錦の眼のまえへ「...双葉山忌に因んで…
昭和二十三年夏場所、東幕下二五枚目東川〔非関取〕の星取表である。〇宮錦(幕下23)=後小結〇大竜山(三段目1)=後幕内大龍や〇大蛇洋(幕下16)や〇巴海(三段目4)や●若風(幕下24)やや〇太登(幕下21)表彰されなかったかも知れないが、当場所の幕下優勝と記録。当時の資料が少ないため、彼の生地や所属部屋等々の調査は困難なのです。昭和23夏の幕下V
※昨日までのトータル訪問者数1,188,180先ほど『何でも鑑定団』〔再放送の字幕〕に登場した荒川文夫氏〔その侭、醜名とした。〕は横綱大鵬と同期生だった。同じく昭和十五年生れ、最高位は十両八枚目。〔中入り後取組に記録されてない。〕そこで彼の珍記録みたいな星取表を御紹介。昭和三五年春場所、西幕下四五枚目。〇富永〇光角や〇大國後幕内北ノ國や〇清ノ嶺や●照ノ海後十両やや●栃ノ洋や●古賀●五十鈴嶺や当場所は、史上初の栃・若に依る全勝同士の“横綱決戦”が特筆される。上記、相手の地位は一応調査可能だが、時間的余裕がございません。元十両荒川の珍記録?
昭和二九年秋場所、東前頭十四枚目大天龍光則(→Ⅳ海山太郎)の星取表。●緋縅(前14)首投げ〇若前田(同13)寄出し●常ノ山(同15)突落し〇吉井山(同18)寄倒し〇鶴ヶ嶺(同13)寄切り〇七ッ海(同16)〃〇豊登(同15)吊出し●清惠波(同17)寄切り〇清水川(同9)外掛け〇出羽ノ花(同19)寄切り〇増已山(同20)寄倒し●安念山(同12)上手投〇輝昇(同16)小手投〇若葉山(同19)上手投〇大起(同10)下手捻平成・令和の“現代力士”と全然異なり、「叩込み」とか「肩透し」と云った引技はない。殆んど正攻法の真っ向勝負だ。殆ど平幕2桁が対手だが…
※昨日の閲覧…721・訪問者…329トータル訪問者数1,187,941大正十一年夏場所、東幕下三五枚目相ノ川〔非関取〕の星取表である。〇冨士嵐(幕下28)や〇小田ノ山(幕下17)や〇太郎山(三段目2)=後幕内や〇大岬(幕下9)や〇古賀ノ浦(幕下29)=後幕内や当場所の幕下優勝だが、翌春は東幕下十枚目で2勝6敗・1預り1休と負越してしまった。その翌場所である大正十二年夏の番附に相ノ川なる醜名は見当らず結局幕下一桁まで昇進できなかったみたい。幕下1桁まで上れず…
幕下優勝力士のうち、関取に昇格できなかったものを御紹介。大正八年春場所、東幕下三四枚目筑後川の星取表である。や〇磐梯山(幕下42)や〇関ヶ原(幕下41)や〇中ノ山(幕下39)や〇千葉ノ音(幕下27)や〇一ノ鳥(幕下28)資料不足のため所属部屋はわからず、多分、福岡県の出身と思われる。好角家より恵送いただいた星取表に拠れば、同年夏は西幕下七枚目で3勝2敗と勝越し、大正九年春場所には東幕下二枚目━関取までもう一歩と迫ったけれど1勝4敗の不成績を記録してしまった━これが最高地位だろう。最高位は幕下二枚目
※昨日の閲覧…820・訪問者…401トータル訪問者数1,187,612窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は撮影年月が不明です。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、勝手ながら力士写真のみの御希望に応じませんので悪しからず諒承下さい。〒852-8113長崎市...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈
大正七年五月十四日づけ『國民新聞』の相撲記事━「角界の大問題」なる見出しの過日「後略」とした箇所を転載してみたい。…昔から大相撲組合に▲一人の強者が出來れば他は其に引かれて自然に誘導され後から強いものが出來て來るのだ然るに分離巡業では偉い者がゐても組合全體に好感化を與へる事が不可能で結局一方のみが發達し偏狭になる從つて一方が莫迦に強いに反して一方が莫迦に弱くなる相撲は大事の興味と云ふものが減殺される東京大相撲協會も何とか今の中にしなければ衰微するに極つてゐる故に心ある者は皆心痛して其對應策を講じつゝあるが塲所後に於て協會問題として相談する事になつてゐる』東京大角力協會が“相談”する相手は矢張り「東京相撲記者倶樂部」以外に存在しない❔106年前、相撲協会の危機感…?
※昨日の閲覧…460・訪問者…289トータル訪問者数1,187,211大正十二年夏場所、西幕下二五枚目雷ノ峰〔後幕内〕の星取表である。や〇大海(幕下29)や〇若響(幕下37)や〇中井川(幕下40)〇生田川(〃19)や〇宇出ツ山(幕下36)や●筑波嶽(三段目1)当場所の幕下優勝は、後幕内岩木山で6戦全勝。一方、三段目Vも雷ノ峰の勝者が6戦全勝。興行日数延長に伴い、幕下以下は原則「6日出場」となったみたい。三段目に敗れ、幕下V逸す
拙稿「古今平幕最優秀力士星取表」その38回めを現在鋭意作成中であるが、鳥渡ばかり困惑する直面なのである。(37)が昭和28年3月の清水川・潮錦━ともに11勝4敗━で終っているので、今回は昭和28年5月場所からと云うことになる。上段1枠昭和28.5東前頭6枚目時津山仁一全勝上段2枠昭和28.9東前頭17枚目成山明12勝上段3枠昭和29.1西前頭10枚目北ノ洋昇12勝上段4枠仝東前頭16枚目嶋錦博上段5枠昭和29.3東前頭9枚目成山明11勝下段1枠仝西前頭11枚目二瀬山勝語下段2枠仝東張出前頭22枚目格大天龍光則下段3枠昭和29.5東前頭10枚目北ノ洋昇11勝下段4枠仝西前頭16枚目琴錦登下段5枠昭和29.9東前頭10枚目大起男右エ門11勝問題は、昭和29年9月場所の大天龍も11勝の好成績を記録。生憎“余白”...“1枠”が足りない…!
※昨日の閲覧…521・訪問者…308トータル訪問者数1,186,922大正六年春場所、東十両五枚目常ノ花〔後横綱=藤嶋取締→出羽海理事長〕〇大貫(十両15)〇藤ノ川(〃1)=後関脇〇琴ヶ浦(前頭十五)〇花ノ山(十両9)●千葉ヶ﨑(前頭十四)=後大関〇八甲山(同十七)〇鳴門洋(同十六)●明(あきらか十両3=後小結阿蘇ヶ嶽)〇紅葉川(前頭九)=後小結や幕下以下で優勝してない常ノ花の“初優勝”であった。幕内4人を破り十両で初V
相撲記事満載と云っても過言じゃぁない大正七年五月十四日づけ『國民新聞』━▲角界の大問題━なる見出し記事を転載してみたい。東西不權衡に幹部の憂慮東西勢力の不權衡は當塲所初日に於て遺憾なく暴露した右に就き某幹部の曰く『觀客は初日の相撲を見て大相撲は既う詰まらぬと云ふであらう其は當然である私は今の相撲界を世界の事情に例へたなら東方は▲獨墺の同盟側で西方は聯合軍だと云ふ好く統一された軍隊は何事にも氣が揃つて敏捷に行くが寄り合ひ身所の聯合軍は議論こそ多く立派であつても實力を競ふ段になると殘念乍ら弱い今の西方が丁度それであるさて東西の此不權衡を生じた原因を何かと云ふと分離巡業にある〔後略〕年6本場所制確立後の「大合併」巡業の弊害を上記が想定してないのは致し方ない。昔の東西不均衡、真因は…?
※昨日の閲覧…767・訪問者…366トータル訪問者数1,186,614序ノ口に至るまで10日間「全日出場」が原則だったらしい大正十二年春場所、西序二段二八枚目若瀬川〔後幕内〕。〇最上山(序二段37)〇稲ノ川(〃33)〇葉颪(〃26)=後十両三池山〇常ノ海(〃24)〇金竜山(〃27)〇大筑志(〃42)〇津軽冨士(三段目45)●白浪(序二段19)〇北ノ浪(〃31)〇立ノ海(序ノ口2)この若瀬川は、昭和戦中・戦後の小結若瀬川泰二とは勿論別人。当場所の序二段優勝は、八日目若瀬川を破った白浪〔最高位十両12〕で9勝1敗。尚、七日目の津軽冨士は三段目中軸で全勝同士━破格の取組じゃぁないか…。序二段で9勝1敗
旧制最後の本場所である大正十五年夏、西十両五枚目星甲〔改名歴なし、最高位前頭二枚目〕の星取表。や〇緑里(十両7)や〇幡瀬川(十両7)=後関脇、楯山理事〇浪ノ音(幕下3)=後十両や〇劔岳(十両8)=後幕内〇朝響(前頭十)←朝見冨士〇東関(同九)←鞍ヶ嶽〇常陸嶋(同十一)〔改名歴なし〕や当場所の十両優勝だが、当時は十両の出場日数が確定してなかった…?幕内に3連勝し十両で全勝V
※昨日の閲覧…518・訪問者…293トータル訪問者数1,186,248同時2人横綱推薦の5例━その実態。①寛政元(1789)年旧十一月場所七日目谷風梶之助・小野川喜三郎当初、吉田司家の吉田追風は谷風だけ横綱を免許しようとしたが、小野川を抱える久留米藩関係者からの“横槍”で、小野川も谷風に比し遜色ない理由。②明治三六(1903)年五月場所後常陸山谷右エ門・梅ヶ谷藤太郎(2代め)彦山光三著『橫綱傳』に拠れば、当時の『太陽』に梅ヶ谷の横綱“尚早”説があったと云う。③昭和十七年五月場所後安藝ノ海節男・照國万藏当時「東西〔対抗〕制」の横綱が双葉山・羽黒山の同系に“均衡”をもたせるため━個人の成績なんか二の次だったわけ。④昭和三六年九月場所後大鵬幸喜・柏戸(10代め)剛番附編成会議前、元横綱Mの某取締が「横審が大鵬一...双子横綱誕生の5例━その実態
前稿の「珍力士珍伝」に拠れば、電気燈は大正八年夏には序二段へ落ちて、当場所かぎり角界を去った云云なので、佐竹義惇氏より頂戴した当時の星取表で、相手地位まで調査してみた。西方序二段十枚目、電氣燈の星取表。●久根錦(序二段18)や●多良ヶ嶽(序二段19)や●大勇(序二段20)やややややもう勝越しは無理だと悟って土俵を去った。「有終の美」は飾れなかった。尚、彼のコメントに登場の當り矢は春日山親方で在籍中、関東大震災に因って急逝、享年57歳だった。大正8夏限り電気灯消える
※昨日の閲覧…537・訪問者…304トータル訪問者数1,185,955読売新聞社刊『大相撲』誌が“付録”として「…場所本番附」を挟んだ昭和三九年七月号━落語研究家でもある保田武宏氏の玉稿「珍力士珍伝」が頗る面白い。藤田川ら7力士が登場するが、「電気燈光之介」の項を抜萃。〔前略〕明治三十九年一月に幕下の西十五枚目で、4勝1預りという土つかずの好成績をあげた。翌場所は十両に入れると喜んでいたら、東の大頭(おおがしら=幕下筆頭)に止められた。止められた理由が、頭が禿ているからだという噂をきいて憤慨した。「そんな馬鹿なことがあるかい。禿ているのは俺だけじゃない。當リ矢なんていうやつは、ほんとに矢が当ったらカーンといいそうな薬缶頭をしているのに幕内にいるじゃねえか。面白くねえ」大頭で2勝5敗と負け越して、とうとう十...“禿”の所為で関取になれず…
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は、撮影年月が不明です。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈
※昨日の閲覧…714・訪問者…364トータル訪問者数1,185,651先ほど正午から放送の『…何でも鑑定団』〔地上波民放5局の関東では十一月放送。〕━ゲストには元関脇豊ノ島〔時津風部屋〕も…。久しぶり相撲史関聯資料が登場した。「双葉山サイン入り手形」で、珍奇なのはサインが「山葉双」と“横書き”で、今まで相撲雑誌の附録など“印刷物”のそれは全て縦書きサインである。その手形の右上に「如木鶏」、左下の印に「龝吉」の文字が眼に入った。後者は本姓。彼は、85年前の昭和十四年春場所四日目、新鋭安藝ノ海に敗れ、「69連勝」でストップした直後、「ワレイマダモッケイタリエズ」と、たしか安岡正篤(明治31~昭和58)宛て電報を打った。尚、当該TV鑑定で25万円の値がついた。〔追記〕江戸~大正期における大力士の手形は、軽量級の...「双葉山サイン入手形」25万円!
来春二月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第108号の進捗状況報告。1~4頁〇“時代”を超えた力士たち●明治→大正篇5~7頁〇江戸大相撲熱戦譜●弘化二年冬場所◎以上、原稿清書完了。8~9ページ予定〇大正期の新聞記事から▲8頁のみ原稿清書完了。9~12ページ●11頁の古今平幕最優秀力士星取表現在鋭意作成中。折込み両面〇名力士相手地位つき星取表◎原稿清書完了。第108号進捗率63%
※昨日の閲覧…393・訪問者…278トータル訪問者数1,185,287大正十一年夏場所、東三段目八枚目池田川〔後幕内〕の星取表である。〇浅錦(三段目13)や〇鬼ヶ嶽(三段目17)や〇勝嵐(三段目20)や〇青海川(三段目16)や〇日吉山(三段目5)や当場所の三段目優勝は、池田川より2枚上位の後幕内星甲だが、両者なんで対戦しなかったのかな?因みに、星甲は井筒部屋、池田川は立浪部屋の所属━両部屋は系統的に“一門”じゃぁないはずだが……。三段目で“全勝”したのに…
昭和戦後の名関脇、時津山仁一〔一時純一〕は、時津風部屋所属に非ず、立浪部屋だった。但し、入門したのは時津風部屋である━双葉山が「時津風」を襲名したのは、引退してから…。以上、鳥渡ばかりややこしい話だが、以下の星取表は全然ややこしくないのだけれども…。昭和二八年夏場所、東前頭六枚目。〇神錦(前五)…出投げ〇常ノ山(同十)浴せ倒し〇二瀬山(同六)寄切り〇大起(同七)掬い投〇出羽錦(小結)上手投〇大蛇泻(前九)寄倒し〇松登(同三)寄切り〇緋縅(同十二)寄倒し〇若ノ花(同筆頭)吊出し〇輝昇(同十三)押出し〇玉ノ海(同二)送出し〇嶋錦(同十四)上手捻〇信夫山(同十一)寄切り〇琴錦(同四)仝〇琴ヶ濵(〃)吊出し当場所の上位陣では…。大関吉葉山14勝1敗〃栃錦13勝2敗横綱鏡里12勝3敗関脇三根山仝小結出羽錦戦以外平幕...殆んど平幕戦で全勝V
※昨日の閲覧…860・訪問者…428トータル訪問者数1,185,009大正十二年春場所、東幕下二五枚目星甲〔後幕内、改名歴なし〕の星。や●荒山(幕下36)〇鷲ヶ峰(〃35)〇富士錦(〃29)〇若汐(〃37)=後関脇大潮〇五國山(三段目6)〇雷ノ海(幕下33)●鳥ヶ峰(〃36)=後十両●新海(〃34)=後関脇●池田川(〃26)=後幕内初日の「や」は、「不戦勝」制度確立前なので、自らの欠場か・相手に休まれたのか…全然わからない。大正12春、初日の「や」
昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は、横綱対大関だから面白い…?①昭和二五年秋場所三日目東横綱〇東冨士(寄切り)大内山●西前頭二②同二六年夏場所七日目東張横綱〇東冨士(掬い投)大内山●西小結③同二六年秋場所十日目東横綱〇東冨士(寄切り)大内山●東関脇④同二七年春場所三日目東横綱●東富士(小手投)大内山〇西関脇⑤同二七年夏場所四日目西張横綱〇東富士(寄切り)大内山●西前頭筆頭⑥同二七年秋場所七日目東横綱〇東富士(掬い投)大内山●東張関脇横綱…の引退でこの取組は終った。大内山の“長い顔”は古(いにしえ)の雷電とそっくり?読売…制定「雷電賞」の初回受賞者でもあった。横綱東富士5━1後大関大内山
※昨日の閲覧…913・訪問者…412トータル訪問者数1,184,581今、「長崎巡業」の真っ最中なんだが、それどころじゃぁない“心配事”が……。近くて・近い「大韓民國」の“混乱”である。この情勢を一番刮目しているのは日・米の首脳に非ず、近くて・遠い「軍事大国」北の独裁者、3代め将軍さまだ。韓國の混乱に乗じて首都ソウルを占領する「千載一遇」のチャンスだ━と愚かな発想をしないと断言できるのか…?今月師走と云えば、旧大日本帝國の真珠湾奇襲だって、旧ソ聯軍のアフガン侵攻だって十二月だった“歴史”を忘れてはなるまい。兎に角、「短距離核ミサイル」が韓國上空へ飛んでこないことを只管念じているのだ。「杞憂」であって慾しい…!
徳富蘇峰が創刊した『國民新聞』の大正七年五月十四日づけ相撲記事と…四つに取組んでいるが、知らなかった漢字に出くわしたのである。▲黑瀨川に逆鉾は逆激しく突掛け右手に黑瀨の顎を攻めて押進み黑瀨の怺ふる所をハタキ込んで勝当時の古新聞・雑誌には大抵ルビが振ってあるが、上記はそれがないので仕方なく「怺」なる文字の読み方など辞書で調べた。「こらえる」は通常「堪」を使うはずだ。尚、「激しい」と「烈しい」はどうちがうの…?「怺」がわからなかった
※昨日の閲覧…930・訪問者…329トータル訪問者数1,184,169昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は、大関対大関だから結構面白い?①昭和二四年夏場所十四日目西前頭二〇汐ノ海(押切り)大内山●西前頭九②同二四年秋場所十日目東関脇●汐ノ海(小手投)大内山〇東前頭五③同二五年春場所六日目東張大関〇汐ノ海(押出し)大内山●西前頭七④同二五年夏場所三日目西大関〇汐ノ海(掬い投)大内山●西前頭五⑤同二五年秋場所初日西張大関〇汐ノ海(寄切り)大内山●西前頭二⑥同二六年春場所初日西大関●汐ノ海(寄切り)大内山〇東前頭五⑦同二六年夏場所五日目東張大関●汐ノ海(寄切り)大内山〇西小結“赤鬼”汐ノ海の引退で、この取組は消滅してしまった。大関汐ノ海4━3後大関大内山
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主な内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役、力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真は、撮影年月が不明です。1、出羽錦忠雄。2、時津山仁一。3、安念山治。4、若ノ海正照。5、栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ、下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&力士写真進呈
※昨日の閲覧…643・訪問者…319トータル訪問者数1,183,840昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は大関対小結である。①昭和二六年夏場所十二日目西小結●大内山(送出し)清水川〇東前頭三②同二六年秋場所二日目東関脇〇大内山(寄倒し)清水川●東前頭四③同二七年夏場所十三日目西前頭筆頭〇大内山(小手投)清水川●東前頭十④同二七年秋場所十三日目東張関脇●大内山(内掛け)清水川〇東前頭筆頭⑤同二九年初場所十一日目西前頭三〇大内山(寄切り)清水川●西前頭四⑥同二九年春場所十四日目西小結〇大内山(寄切り)清水川●西前頭六⑦同二九年夏場所五日目西関脇〇大内山(寄切り)清水川●西前頭五⑧同三二年春場所九日目東張関脇●大内山(寄切り)清水川〇西前頭筆頭⑨同三二年秋場所十日目東前頭筆頭〇清水川(肩透し)大内山●西前頭二...大関大内山7━4小結清水川
一般的には「右利き」が使用・操作し易いように諸製品ができている。日本人のまぁ…8割が右利きではないか━そんな統計を寡聞にして知らないのだが…。でも、スポーツ界に限定すれば「左利き」の方が多数派なのではないか。かつて読売新聞社刊『大相撲』誌の記事に「左四つと右四つ」なるタイトルの好読物があり、たしか天竜三郎氏曰く「利き腕は差した方がいい」。今夜は、最近発想したもの・ごとを述べたい。俳優の石原裕次郎が、若い頃「腕時計」を左腕に装着していたのを、たしか“スキー場での事故”で負傷━その後、右腕に腕時計を着けるようになった━衛星放送なんかで彼が出演した旧作映画でわかるのだが、果して「右利き」から「左利き」へ変身したのであろうか…?露國の独裁大統領は、腕時計を右腕に装着してるが左利きなのだろうか。彼と“軍事同盟”の北...利き腕と腕時計の関係は❔
※昨日の閲覧…529・訪問者…267トータル訪問者数1,183,521過日、日本相撲協会理事長八角親方(元横綱北勝海)は、「こんな大関を観たいと思いますか」なんて発言したとか。逆に、〔甚だ僭越ながら〕好角家を代表して「弱い横綱をつくりたいと思ってますか…?」と協会幹部へ質したい。去る昭和三十五年の「協会設立35周年記念式典」が当時管轄の文部大臣も出席して執り行われた━名横綱栃錦は既に引退していたが、一応「両横綱」は存在していた。来年十二月に予定されそうな「100周年記念式典」の際、横綱力士が1人もしくはゼロじゃぁ如何にも恰好がわるい。現独り横綱の“去就”に因っては、北・玉以来の…双子横綱が喉から手が出るほど慾しくなる協会執行部乃至審判部であろう。更に、年末より数箇月前に「英国公演」も日程上にあり、たしか千...咽喉から手が出るほど慾しい…?!
靖國神社参拝は、日本国内問題なのであり、中・韓両国から“物言い”をつけられる筋合のものに非ず=内政干渉以外のなにものでもないはず。その靖國神社で晴天10日間興行された大正七年夏場所の二日目、東方大関九州山━西方前頭筆頭の弥高山の一番について、当方所蔵の『國民新聞』同年五月十四日づけの相撲記事は……。〔前略〕結局土俵勝負附共預りにて彌高丸星九州半星と决す手許の『…野球界臨時増刊春場所相撲號』収載、全力士星取表に拠れば両力士とも△印=預り━となっていて、「丸星」とか「半星」など曖昧の彼方なのだ。106年前、靖國…で物言いの結果
※昨日の閲覧…621・訪問者…293トータル訪問者数1,183,254現日本相撲協会が「財団法人」を仰々しく当時の文部省から認可されたのは、大正十四(1925)年十二月二十八日の御用納に辷り込んでいた。〔設立申請代表者は古川九八(元小結両國=諫早出身)。〕来年は丁度100年に当る。この法人認可まで紆余曲折━大きく三つのプロセスを辿る経緯があった。①大正十四年四月に摂政宮(後昭和天皇)の誕生日を祝賀する「台覧相撲」が行われ、その下賜金をもとに作製されたのが「賜杯」である。この摂政杯を東京大角力協會で独占する恰好になるのは忝い━それで……。②大正初期、大阪相撲の大木戸の横綱問題をめぐって紛糾→絶縁状態だった東・西の両協会が融和→合体する機運が盛りあがった。③当時の右翼の大立者、杉山茂丸〔探偵作家夢野久作は子息...来年は法人認可1世紀…!
大正十二年春場所、東幕下九枚目一ノ濵〔後幕内〕の星取表である。〇大岬(幕下1)△岩城川(〃8格)●弥彦山(〃5)〇荒浪(〃?格)〇淀川(〃3)〇大海(〃19)〇吉ノ山(〃21)=後幕内吉野山〇西ノ梅(〃13)〇緑岩(十両14)●兼六山(幕下16)=後幕内幕下2桁でなければ、積極的に関取と対戦させている。大正後期の十両対幕下
※昨日の閲覧…1,458・訪問者…308トータル訪問者数1,182,961〔訪問者数の4.7倍超の閲覧数なの…?〕今日づけS紙「言葉のひと解き▼勤労と農業━見出し消えた「汗水たらし働く」美風━を読んで、次の2点を聯想した。先ず、彦山光三のライフワーク・還暦記念出版『橫綱傳』(昭和二八年末刊)において、日本を「農業国」と書いている。たしかに…昭和二十年代まで“瑞穗國”にちがいなかった。その後、高度経済成長で第2次・第3次産業へ発展、即ち「先進工業国」の仲間入りだ。次に、「講釈師みてきたような嘘を…」云う心算はないが、某日の花籠部屋における「朝稽古」━土俵の中心的存在は、「土俵の鬼」&「異能力士」の横綱Ⅰ若乃花で、その猛稽古の最中、稽古場に異様な臭いとは、“汗”のなかにアルコールが混った“酒臭い”匂い。即ち、...日本人および力士の堕落
昭和十九年秋〔十一月〕場所、東三段目二四枚目櫻國〔後幕内〕〇川錦(三段目別格)〇玉輝(〃25)〇津軽冨士(〃19)〇梅錦(〃8)=後幕内〇鮓本(〃29)当場所の三段目優勝は、上位の藤ノ浪だが非関取であった。三段目で5戦全勝だが…
※昨日の閲覧…1,593・訪問者…273トータル訪問者数1,182,653【「1593」は鳥渡ばかり可笑しい…?】幕下以下も原則的に「全日出場」だった大正十二年春場所、東三段目十三枚目の玉錦〔後横綱〕の星取表である。〇谷嵐(三段目21)〇勝嵐(〃9)●結城川(〃15)〇大麻山(〃6)〇若響(〃10)〇浅錦(〃28)〇劔嶽(〃26)=後幕内劔岳とは別人。〇西田山(〃40)●荒山(幕下36)●雷ノ峰(三段目3)=後幕内玉錦は、後横綱栃錦らと同様、「下位優勝」を記録せず、入幕前の最高成績となっている。後横綱玉錦、三段目で7勝
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は、撮影年月が不明です。1、出羽錦忠雄7㎝✖10.5㎝2、時津山仁一8㎝✖12㎝3、安念山治仝4、若ノ海正照7㎝✖10.5㎝5、栃光正之8㎝✖12㎝御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&名力士写真5枚進呈
※昨日の閲覧…566・訪問者…281トータル訪問者数1,182,380江戸時代は、「幕内格附出し」が少なくなかった。明治時代も大阪系力士の番附外幕内格附出しを除いて、5~6人の「新入幕」が数場所記録されている。102年前の大正十一年春場所、9名の新入幕力士を現出した。後小結・秋田・光風貞太郎大阪・常陸嶋朝次郎青森・綾錦由之丞宮城・陸奥ノ山→眞砂石三郎滋賀・伊吹山末吉愛媛・朝見冨士→朝響信親島根・若常陸恒吉和歌山・高ノ山三郎島根・太刀ノ海浪右エ門“勝負の世界”は頗る厳しい。小結光風のほか8力士は、平幕止りで土俵から去っている。尚、春秋園事件で大関大ノ里とか関脇天竜ら多数脱退したあとの昭和七年春“改編”番附で十両・幕下から10名が繰上げ入幕━そのなかに双葉山や出羽ノ花の後理事長が2人も…。102年前、新入幕9力士
大正十二年春場所、西幕下十三枚目西ノ梅〔「西ノ海」に非ず〕の星取表。〇朝嵐(幕下22)〇晴ノ海(〃19)=後幕内〇青葉山(〃8)〇淀川(〃3)〇錦洋(〃1)=後関脇…与三郎●兼六山(〃16)=後幕内●荒山(〃36)●一ノ濵(〃9)=後幕内●吉ノ山(〃21)=後幕内吉野山●弥彦山(〃5)典型的な「竜頭蛇尾」なので特に採りあげてみた。前半連勝→後半連敗
※昨日の閲覧…674・訪問者…347トータル訪問者数1,182,099江戸~大正期の本場所大相撲における各種記録調査は、昔の相撲研究家━例えば星取りマニアの山本義一氏あたりだって、あんまり熱心に追求していたとは…残念ながら思えない。そこで古今最強力士とされる雷電爲右エ門の「連続出場」記録を調べてみた。文化三(1806)年春三日目や2日出場〔5日間限り〕同年冬10日間出場同四年春場所9日間出場〔楽日欠場は不問〕同冬場所10日間出場同五年春場所8日出場〔八日目入れ掛け・楽日不問〕同冬場所10日間出場同六年春場所9日出場〔五日目“日歿”のため不問〕同冬場所8日間出場〔九日目欠場〕以上、連続出場回数は66日で、4年=8場所を要している。尚、相手に休まれた場合、連続出場を“中断”しないものとするのに躊躇した。あまり...雷電の「連続出場」は66日
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大正十三年春場所、東三段目筆頭若汐〔後関脇大潮〕の星取表です。や●玉錦(幕下24)=後横綱や〇藝州山(三段目3)や〇十勝嶽(幕下22)〇千秋嶽(〃32)や〇若響(幕下27)や興行日数を11日間に“延長”していたんだが、関東大震災で“都落ち”を余儀なくされ「晴天10日間」に逆戻りだった。当場所の三段目優勝は、後関脇の“永遠の風雲児”天竜で、成績は4勝零敗1分けであった。但し、「表彰」はなかったかも知れない。初日●が惜しかった
※昨日の閲覧…1,139・訪問者…576トータル訪問者数1,199,006窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)及び名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhis...『日本相撲大鑑』&5力士写真進呈
大正十四年春場所、東幕下六枚目1字名狼(おおかみ)猛(たけし)の星。や●花坂(幕下17)や●小金山(十両15)や●若汐(幕下5)=後関脇大潮や〇太刀ノ海(十両10)=元幕内〇立汐(幕下2)=後十両や●楢ノ里(幕下12)他の場所では、下の名前が「雲龍型」手数入(でずいり)の雲龍久吉と同じもの。大正十四年夏の幕下十五枚目で2勝・4敗━が最後となっている。過日、マイナスイメージを書いたが、『角川漢和中辞典』に「狼」の字義として、「東方にある星の名」━と記載もあるのだ。元幕内を破った狼(おおかみ)猛
※昨日の閲覧…448・訪問者…273トータル訪問者数1,198,430NHKの大相撲放送、神風正一・玉ノ海梅吉の両解説者の頃まで“TV桟敷”に釘づけだったけれど、平成・令和の「現代相撲」は、味も素っ気も乏しく、みられた“ざま”じゃぁない。殊に、上位陣の取組ほど面白味なんか殆んどないに等しい。二日目の三段目取組、元幕内炎鵬に注目せずにいられない。相手は、元幕下で、背が炎鵬より12cm高く、体重は80kgも重いのだ。今後の炎鵬の相撲ぶりを占う“試金石”となりそう━と、愚考する次第。炎鵬、重量級にどう対処するのか…?
初場所大相撲が初日の蓋を開けたけれども興趣が沸かないので179年前の「春場所」にタイムスリップ━━幕末、弘化三年春場所における初日の“取組順序”を『相撲起顯』に拠って検証。その初日。17番の幕内力士の相手はすべて幕下なので安泰かと思いきや、“番狂わせ”が続出したのである。即ち、関の戸・柏戸・黒雲・千年川・武藏野の5人の平幕が幕下に黒星を頂戴した。扨て、大きな問題箇所に出くわした。二日目である。幕内関係取組が7番とは極めて少ない。『起顯』に拠れば、30番が中入り前に取組んだらしいが、幕内力士は登場せず、幕下以下ばかり。疑義なのは、左頁に「二日目」とあるが、「中入後」の3文字を欠いているのが不審。そして幕内7番のあと、「雨天ニ付是切」と断り書きしている。愚考。中入り前に「入れ掛け」となったが、天候恢復で中入り...179年前、二日目の“謎”
※昨日までのトータル訪問者数1,198,157昭和九年春場所、東前頭筆頭幡瀬川〔元関脇=後楯山理事〕の星取表であります。〇筑波嶺(前五)打棄り●大潮(小結)寄倒し●男女ノ川(関脇)踏切り〇大邱山(前二)引落し〇武藏山(大関)小股掬い●瓊ノ浦(前六)寄切り〇清水川(大関)捲落し〇寳川(前三)掬い投〇双葉山(同四)寄倒し〇鏡岩(同七)仝〇能代泻(小結)小股掬い彼も小兵・軽量力士である。173cm・86kgと記録されている。上位で活躍していた頃、“お座敷”遊びでは、芸者衆に“新弟子”と間違われたそうな…。双葉山をも寄倒す…
179年前の幕末、弘化三年春場所における入幕力士は2人━東方の幕尻へ昨冬“貧乏神”〔註=幕下筆頭の隠語。現代ならば十両筆頭のこと。〕で勝越し3点の達ヶ関(後大関猪王山)が……。西方幕尻へ、同じく昨冬は“貧乏神”で勝越し3点の天津風がそれぞれ幕内力士に列している。これを現代で想定すれば、東・西の十両筆頭で各々9勝6敗の星で、東西幕尻へ入幕するようなものだ。綿密に調べた訳じゃぁないけれども、多分はじめての記録だと思っている。その後、総当り制下では充分にあり得るので、御存知の方は御教示いただければ誠に幸甚であります。東西同点で同時幕尻へ入幕
※昨日の閲覧…437・訪問者…278トータル訪問者数1,197,943同時横綱免許〔乃至推挙〕5組のうち、谷風━小野川は計17回対戦〔但し、3場所は小野川が非幕内のとき〕を記録している。2組めの常陸山━梅ヶ谷(2代め)は、15回の対戦記録〔但し、1場所は常陸山の入幕直前のとき〕を残している。ところが、3組めの安藝ノ海━照國は、たった6度、しかも横綱同士では全然対戦がなかったのである。①昭和十四年夏場所十四日目東前頭四●安藝ノ海(絡み投)照國〇西前十五②同十五年春場所十一日目西関脇〇安藝ノ海(寄切り)照國●東前頭二③同十五年夏場所十三日目西関脇〇安藝ノ海(下手投)照國●東張関脇④同十六年春場所十二日目東大関●安藝ノ海(切返し)照國〇西関脇⑤同十六年夏場所十一日目東大関●安藝ノ海(上手投)照國〇西関脇⑥同十七...安藝ノ海3━3照國
昭和四六年九月号の『大相撲』特集記事━9ページ超にわたって三宅充氏が執筆した「八百長はなくせるか」で小見出し「〔星を〕貸したことならある」の箇所を抜萃してみたい。〔前略〕自分で“星を借りた”ことを白状したのは少数だったが、逆に“星を貸した”話なら、しょっちゅう聞いた。私の取材範囲で“星を貸した”ことが一度もなかったのは、残念ながら一人もいなかった。星を貸した人が多いということは、当然、借りた人も同数いることになり、数多くの八百長が存在したことになる。私など、支度部屋で、八百長の取引に巻き込まれて往生したこともあった〔後略〕平成末期から令和の現代では、角界もすこしは“清浄化”されているらしいけど…。八百長相撲と認定されたら、その両力士に厳しい処分が待っているのだから。星を貸した事はある…
※昨日の閲覧…453・訪問者…294トータル訪問者数1,197,665大正十二年春場所は、幕下以下も全日出場が原則だったと思われる。西幕下二四枚目の一字名、狼(おおかみ)の星取表。●古賀ノ浦(幕下15)=後幕内●笹ヶ峰(〃23)●青海川(〃29)〇三杉岩(〃18)●玉碇(〃20)=後幕内●関ノ川(〃18)〇相ノ川(〃10)〇安藝ノ浦(〃22)〇朝風(〃21)〇洋ノ花(〃32)=後幕内(伊勢ノ濵)「珍名番附」に載ってないかも知れないが、手許の電子辞書をみると「か弱い女性を脅かす恐ろしい者」━と怪説している。非関取の狼(おおかみ)
拙作&私家版『相撲史発掘』第108号は全て原稿清書完了と相成ったので、一服せずに…次号〔第109号〕の制作に…。拙稿「江戸大相撲熱戦譜」は、弘化三(1846)年春場所を吟味・検討する。当該場所の幕内力士略歴の作成が終った。この幕内陣容は、二つの特色がある━初めて認識するに至った。そのひとつは、後大関小柳と黒雲が三十代の仲間入りで、小柳入幕以来の二十代幕内力士が消えてしまった。天保十(1839)年冬場所以来13場所ぶりの記録と云うことになる。但し、鳥渡ばかり「現代感覚」とのギャップがあることに注意せねばならない。それは満年齢に非ず、「数え年」を前提に考察しているのだ。だから満ならば、未だ二十代かも知れないのである。もうひとつの特徴は、明日以降に詳述したい。では、お休みなさい。13場所ぶり20代幕内姿を消す
※昨日の閲覧…424・訪問者…259トータル訪問者数1,197,371『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著、平成十二年、勉誠出版刊、本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち千六百人が登場!!保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『相撲ロマン大事典』無代進呈
対戦成績が五分・五分の拮抗した最高地位は横綱同士のカードを御覧。①昭和二一年秋場所十日目西横綱〇羽黒山(吊出し)千代ノ山●東前頭筆頭②同二二年秋場所八日目東横綱●羽黒山(突出し)千代ノ山〇西前頭筆頭③同二四年夏場所八日目西張横綱〇羽黒山(上手投)千代ノ山●東関脇④同二四年秋場所十四日目西横綱●羽黒山(突出し)千代ノ山〇西大関⑤同二五年春場所十四日目東横綱●羽黒山(送出し)千代ノ山〇東大関⑥同二五年夏場所十四日目東横綱〇羽黒山(下手投)千代ノ山●東大関⑦同二六年春場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(寄切り)千代ノ山●東大関⑧同二六年夏場所十四日目西横綱●羽黒山(外掛け)千代ノ山〇東大関⑨同二六年秋場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(寄切り)千代ノ山●西張出横綱⑩同二七年春場所千穐楽東張横綱〇羽黒山(下手投)千代ノ山●西張横...羽黒山6━6千代ノ山
※昨日の閲覧…611・訪問者…304トータル訪問者数1,197,112今日づけS紙の広告『漢字脳活』左上の「二字熟語クロス」が鳥渡ばかり…頭脳のトレーニングになった感じ。当初難しいと思ったので、漢和辞典の【羽】をみたら…すぐわかった。羽衣・衣食・浴衣・衣服で正解は「衣」なのである。話は、ここから相撲史になるんだ。江戸後期、寛政期の横綱谷風以来〔?〕の幕内力士の弓取力士、大岩山が昭和二十四年春場所、東前頭十六枚目で「羽衣天曻」と名乗った━珍名力士の登場だ。3場所番附最上段に記載されたのである。このうち、見事勝越した同年夏場所の星取表である。東方前頭十九枚目〇大江戸(前二十)上手投〇若潮(同十五)仝●羽島山(同十七)上手投〇甲斐錦(〃)押出し〇大熊(同十六)打棄り●明瀬川(同廿一)突落し●大蛇泻(同十八)押出...クイズで珍名力士「羽衣」聯想
最高地位は横綱同士で対戦成績が殆んど互角のカードをひとつ。①昭和十九年秋場所九日目東横綱●羽黒山(寄倒し)東冨士〇西関脇②同二十年夏場所五日目西横綱●羽黒山(外掛け)東冨士〇東関脇③同二十年秋場所八日目西横綱〇羽黒山(打棄り)東冨士●東大関④同二一年秋場所千穐楽西横綱〇羽黒山(寄切り)東冨士●東大関⑤同二二年夏場所九日目東横綱〇羽黒山(上手投)東冨士●西張大関⑥同二二年秋場所九日目東横綱〇羽黒山(上手投)東冨士●西大関⑦同二四年夏場所十四日目東横綱●東冨士(上手投)羽黒山〇西張横綱⑧同二四年秋場所千穐楽西横綱●羽黒山(寄切り)東冨士〇西張横綱⑨同二五年春場所千穐楽東横綱〇羽黒山(寄切り)東冨士●西横綱⑩同二五年夏場所千穐楽東横綱●羽黒山(寄切り)東冨士〇西横綱⑪同二六年春場所十三日目西横綱●東冨士(寄切り...羽黒山7━8東富士
※昨日の閲覧…531・訪問者…296トータル訪問者数1,196,808今年は、「昭和百年」に当るので、それに因んで……。最近落手の資料に、野球界社發行「運動全般雜誌野球界臨時增刊第拾七卷第貳號號撲相所場春」━奥付には、大正十五年十二月廿日印刷…大正十六年一月十日發行━と、ある。周知の如く、大正十五年十二月二十五日に大正天皇崩御に因り「昭和」と改元されたため、“昭和元年”は一週間しかない。そのため大正十六年の新年号が存在するわけ。当該古雑誌に「有望視される幕下力士」なる記事があるので、対象力士を列記すれば━。男女ノ川横綱鳥ヶ峰十両二幡瀬川関脇天竜関脇栃ノ花十両二高ノ花前頭八鏡岩大関右側に最高位を記した。大正16年新年號
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵上の主役─力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、力士写真のみの御希望には応じられませんので悪しからず御諒承ください。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@y...『日本相撲大鑑』&名力士写真5枚進呈
※昨日の閲覧…704・訪問者…296トータル訪問者数1,196,512煽情記事が売りものの週刊誌では、嘗て彦山光三や元横綱大鵬が『週刊新潮』の「掲示板」を利用していた。前者は、初代梅ヶ谷に関すること、後者は相撲博物館々長のときに史料に関すること━各々照会をしていた。一方、『週刊アサヒ芸能』は相当むかし、大鵬に関して“暴露記事”を掲げた━と彦山論文が述べている。同誌の平成二七年十月一日号に三宅充・中澤潔の両記者が登場。その対談での三宅氏の発言をピックアップしておきたい。「それにしても、今の力士は稽古しないね。本場所では立ち合いの変化が多いしね。太りすぎで、稽古できなくなっているんだ。」「初代若乃花や大鵬の稽古は、最近の力士の稽古とはまるで違う。〔後略〕」週刊誌からの話題…
昭和十四年は、春場所が13日間で夏場所は2日延長して現行15日間興行と相成った。おなじ“2日間延長”と云っても、遠く江戸時代のそれは相当様相が違っている。安永七(1778)年から従前の8日間から晴天「10日間」に延長されているが、途中打切りの本場所を除いても、ずっと「8日間」だった訳じゃぁない。明和三(1766)年春場所は、1日だけ延長して臨時的に「9日間」興行となっている。その9年後の安永四(1775)年冬場所も晴天「9日間」興行が記録されている。私見・愚考では、当時の江戸相撲會所(現協会)が「試行錯誤」の意味で1日延長したと思われる。即ち、いきなり10日間興行をやって採算がとれなかったら大変なので…試験的に9日間興行を実施してみた。それが明和のときは、すこしばかり上手くいかなかったけれど、安永のときは...試行錯誤の「9日間」興行2場所
※昨日の閲覧…437・訪問者…289トータル訪問者数1,196,216彦山光三が不朽の名著『橫綱傳』で、総理大臣も横綱力士も立派な人物にちがいない云々━趣旨の記述をしている。そこで、昭和最強力士の双葉山定次が横綱時代の7首相を列記してみよう。35代め、近衞文麿昭和12.6.4~36代め、平沼騏一郞〃14.1.5~37代め、阿部信行〃14.8.30~38代め、米内光政〃15.1.16~39代め、近衞文麿②〃15.7.22~40代め、仝③〃16.7.18~41代め、東條英機〃16.10.18~42代め、小磯國昭〃19.7.22~43代め、鈴木貫太郞〃20.4.7~近衞内閣が第3次までなので、人数としては7名と云うことになる。尚、双葉山の昭和二十年秋〔十一月〕は場所前引退決意とする。なにを力士と大臣と比較するっ...横綱双葉山時代の7首相
手許の漢和中辞典で「閥」にはどんなものがあるか鳥渡ばかり調べてみた。学閥・門閥・軍閥・財閥・閨閥・藩閥など、現代では存在せぬものも含まれている。輿論調査でも自由民主党の「派閥解消」を望む意見が少なくないみたい。嘗て『時事放談』で細川隆元氏と加藤寛・土屋清両氏何れかとの対談で…組織が大きくなれば派閥を生ずるのは理の当然━なる趣旨の発言をしていた。当時、たしか自民党では、派閥に非ず「政策集団」だと或る種の“言葉の綾”の如き主張が罷り通っていたように記憶する。廃刊してしまった『大相撲』誌の記者座談会「協会理事選を斬る!」だったかの小見出しに「派閥は絶対になくならない」とあったのを忘れない。ひとつだけ指摘しておく。自民党と・日本相撲協会の派閥の相違とは、前者に「無派閥」があり、そこから大臣選出の可能性もあるのに対...自民党と相撲協会の派閥
※昨日の閲覧…397・訪問者…316トータル訪問者数1,085,788天保十五(1844)年冬場所の幕内番附をみて、西方下位に注目せずにいられない。西前頭七枚目に千年川(←大蛇泻)、同八枚目に越の海改め千田川…と並んでいる。当場所、千年川は全休なのだが、仮に土俵へ上っていても、「ちとせ…」と「せんだ…」を行司や呼出しが混同するわけもない。でも、文字に書き表す場合、「千」が同じで、5画の「田」と6画の「年」を見誤るのを想定外にできまい。現に、『…起顯』の筆記者は「雲生嶽」と「雲早山」を混同するミスを犯していたのである。因みに、翌弘化二年春は上記の両力士は各々1枚昇進、こんどは千田川の方が不出場だ。更に、同年冬になると千田川が東、千年川が西で前頭六枚目に対峙している。千年川と千田川
昭和六年三月〔於京都〕場所、郷土力士が三段目で全勝優勝を記録してる。東三段目八枚目、濱ノ石政吉の星。〇十勝石(三段目8)〇東川(〃7)や〇黒部岳(三段目6)や〇小ノ錦(三段目3)や〇嶋田川(三段目10)や〇関高山(三段目9)や春秋園事件で“繰上げ”十両へ昇進、2場所とも各3勝しか出来ず幕下陥落し、肥州洋と改名。6勝5敗と勝越したのに、その後土俵と訣別してしまった。山口姓、長崎県、明治40年生れ━それ以上の詳細が不明。郷土の関取、詳細不詳
※昨日の閲覧…652・訪問者…349トータル訪問者数1,085,472平成四年、新人物往来社刊、窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(函入り462ページ・定価¥5,000)を御希望の方、先着1名さまに無代進呈いたします。ただ、送料は御負担を願います。〔発送方法は御希望を選択可〕著者の略歴。昭和十七年、千葉県出身。早大卒、平凡社編集部勤務を経て、著述家。著書に『イスラム学事始……』などがある。相撲書籍を無代進呈
拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年冬場所━は、未だ本文執筆に至らず、明日から当該場所の星取表を作成する予定。その天保年間最後の江戸本場所は、下記の幕内取組が〇●の決着がつかなかった。初日中入り前三ッ鱗(前六)━縄張(幕下)引分け四日目中入り後鏡岩(小結)━三ッ鱗無勝負御用木(前一)━常山引分け六日目中入り後要石(前五)━千田川(前八)引分け武隈(関脇)━雲生嶽(前三)無勝負八日目中入り後雲生嶽━桂野(前九)引分け前場所と比較すれば、十五年春の取組数は88番で、うち14番が〇●何れでもなかった。当場所は92番に増えて、引分け等は減少している。なによりも鳥渡ばかり不可解なのは、当時「無勝負」なる判定は文政期に比し激減していたのに、2番も記録した反面、勝負「預り」が皆無だ。天保年間、最後の珍現象…?
※昨日の閲覧…386・訪問者…269トータル訪問者数1,085,123昭和二三年夏場所、東幕下二五枚目東川の星取表である。〇宮錦(幕下23)=後小結〇大竜山(三段目1)=後幕内大龍や〇大蛇洋(幕下16)や〇巴海(三段目4)や●若風(幕下24)〔「風」は別の字?〕やや〇太登(幕下21)当場所、幕下は7力士での優勝決定戦となって東川が優勝。でも、彼は残念ながら関取の仲間入りができず……。幕下7力士の決定戦でVだが…
拙稿「天保十五年冬場所」は、「幕内関係勝負」の作成が一応終った。『相撲起顯九輯』での取組順序の検証。現代とは異なり横綱・三役だって“中入り前”の土俵に登場する場合も少なくない。『起顯』の「六日目〔中入〕前勝負附」浪渡り太孝山縄はり君ケたけ尾上佐渡ケたけ浪渡は当場所の新入幕で、西方幕尻。前場所まで幕下では五十嵐と名乗っていた。縄張も君ヶ嶽も当場所番附は幕下である。なんで中途に幕下取組が入ってるのか…?東前頭八枚目の白山が尾上と改名したのは当場所中の三日目だが、『起顯』は翌四日目中入り前“結び”5番めに「白山改尾上」と記載しているのは、杜撰な編輯だ。粗さがしをすれば、二日目中入り前の出場力士「雲生嶽」を「雲早山」とミスしているが、当場所幕下の雲早山は全然出場していない。杜撰な『起顯九輯』
※昨日の閲覧…360・訪問者…258トータル訪問者数1,084,854大正十一年夏場所、東幕下三五枚目相ノ川の星取表である。〇冨士嵐(幕下28)や〇小田ノ山(幕下17)=最高位十両?や〇太郎山(三段目2)=後幕内や〇大岬(幕下9)や〇古賀ノ浦(幕下29)=後幕内や当場所の幕下優勝。当方所蔵の『武侠世界・臨増・相撲画報』に拠れば、大阪出身で出羽海部屋。明治卅年生れで本名北村常吉と云う。残念ながら関取には昇格できなかった。幕下全勝V…関取になれず
資料整理の一環〔「終活」に非ず〕として下記を御希望の方、先着1名さまに無代進呈。送料は御負担をお願いします。平成四年、新人物往来社刊、窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(函入462ページ、定価5,000円)であります。主要の内容は次のとおり。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役・力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術その本の重量が凡そ1㎏なので、宅急便の着払いでは“割高”になるでしょうか…?尚、保存状態は並より上で、切抜きや書込みなどは全然ございません。32年前の古本を無代進呈
※昨日の閲覧…409・訪問者…279トータル訪問者数1,084,596嘗てプロレスでタッグを組んだ元関脇力道山と、元横綱東冨士。金銭に細かい前者と、逆の立場の後者で“馬”があう筈もない。〔尤も、東冨士の最後の職業は「サラリーマン金融」社長ではなかったか…。〕①昭和二三年夏場所二日目西大関2●東冨士(打棄り)力道山〇東前頭二②同二三年秋場所四日目西大関〇東冨士(寄倒し)力道山●東小結③同二四年春場所九日目西張横綱〇東冨士(叩込み)力道山●西小結④同二四年夏場所十日目東横綱〇東冨士(引落し)力道山●西関脇⑤同二四年秋場所三日目西張横綱●東冨士(寄切り)力道山〇西前頭二⑥同二五年春場所九日目西横綱〇東冨士(寄切り)力道山●西小結⑦同二五年夏場所九日目西横綱〇東冨士(打棄り)力道山●西関脇7場所連続対戦を記録して...最初・最後とも「打棄り」だ!
平成横綱の実績くらべ━数日前に追加して列記してみたい。先ずは「駄目横砂」の代表は……。鶴竜力三郎266勝117敗・227休その勝率が6割9分5厘━横綱の重責を全然果してない。白鵬の引立て役に過ぎぬ。その白鵬翔。899勝129敗・232休で勝率は8割7分5厘、千代の富士や貴乃花を凌駕している。その白鵬の大連勝を阻止した稀勢の里寛は、36勝36敗・97休で計算するに及ばぬ━昭和初期の武藏山武同様5割ジャストだ。双葉山の大大連勝阻止の安藝ノ海節男は38勝19敗・25休、6割6分7厘━安藝・稀勢とも横綱と云うより「連勝ストッパー」と称した方がびったりじゃぁないか。情けない“横砂”たち…
※昨日までのトータル訪問者数1,084,317昭和五年十月以来の福岡市での本場所となった同三十二年九州場所、東十両十五枚目、佐賀光の星取表。〇伊勢錦(十両15)〇朝錦(〃16)〇二瀬山(〃12)=元幕内〇那智ノ山(〃20)=元幕内〇羽子錦(〃13)=後幕内●秀湊(〃18)=元幕内〇太刀風(〃8)=元幕内●豊ノ海(〃23)=後幕内〇鎌錦(〃22)〇福ノ里(〃5)=元幕内〇伊集院(〃20)〇佐久昇(〃16)〇前ヶ潮(〃7)=後幕内〇芳野嶺(〃1)=元幕内〇増巳山(〃9)=元幕内秀湊との同点決勝を制し十両V。しかし、最高位は十両五枚目で終った。十両13勝V、入幕できず…
力道山のプロレス中継を視聴していたとき、同じく元力士の芳ノ里(←神若=二所ノ関部屋〕と豊登(立浪部屋)の姿もあった。両者は、大相撲の土俵で2度ばかり対戦していた━この度の調査でわかった。昭和二六年秋場所千穐楽東十両筆頭●神若━豊登〇東十両十一同二九年初場所十四日目西十両四〇豊登━芳ノ里●西十両八某書に拠れば、神若は174cm・84㎏、豊登は173cm・105㎏となっており、後者の“体力勝”であろう━と想像するしかない。芳ノ里0━2豊登
※昨日の閲覧…611・訪問者…307トータル訪問者数1,084,080拙稿「江戸大相撲熱戦譜」第86回━━天保十五年冬場所は、未だ本文執筆に至っていない。『相撲起顯』第九輯によって「取組順序」の検証中なので…。当場所の幕内取組総数は92番。それが90に達したのは、天保初期の三年冬の97番以来、実に24場所ぶりなのである。しかしながら、「三役戦」が七日目の西大関岩見泻改め秀の山(後横綱)対東小結鏡岩(後大関)━たった1番しかみられず、本場所大相撲としての評価は決して芳しいものじゃぁなかった。今も・昔も真に充実した本場所は滅多にあるものではないことを痛感させられる。多い取組数なのに…
今夜は最近の「横綱力士」実績くらべ。横綱在位期間トータルの勝率を算出した。〔但し、〇●などの数値はHPに準拠。〕先ず、ウルフこと「小さな大力士」千代の富士貢。625勝112敗・148休8割4分8厘〔「や」はノーカウント、以下同様。〕彼の弟弟子、北勝海信芳(現八角理事長)はどうか…。250勝76敗・109休7割6分7厘━兄弟子より相当遜色がある。同時代の肥満体、大乃国康。155勝79敗・111休6割6分2厘てんで“駄目横砂”の典型じゃぁないか。若・貴兄弟は如何だったか。貴乃花光司429勝99敗・201休その勝率は、8割1分3厘ウルフと比しても遜色は殆んどなかった。ところが若乃花勝〔3代め…幹士に非ず〕、61勝38敗・57休、6割1分6厘大乃国より低率だから、小坂秀二氏「横綱の器ではない」意見に賛同せざるを得...勝率6割台は綱の責任放棄だ!
※昨日の閲覧…368・訪問者…269トータル訪問者数1,083,773大正十年春場所、西幕下三十枚目出羽ノ花栄市の星取表である。〇谷嵐(幕下38)や〇黒潮(幕下36)や〇立ノ山(幕下39)や〇高ノ濱(幕下25)や〇淀川(幕下34)や春秋園事件で幕下から“繰上げ”入幕となった出羽ノ花國市(後武蔵川理事長)の“先代”であるが、関取になれなかった。当方所蔵の古雑誌に拠れば、北海道の富良野出身、明治卅一年生れで、松岡姓となっている。尚、翌場所は東幕下筆頭まで躍進し、逆に5戦全敗の体たらくだった……。幕下Vで非関取の出羽ノ花
拙作『相撲史発掘』35周年記念号が予定どおり脱稿したので、拙稿「江戸大相撲熱戦譜」━天保十五年冬場所の下調べが始った。天保年間最後の本場所、先ず幕内力士略歴表の作成が一応終ったところ。当場所の特色・話題は豊富にある。先ずは、江戸最弱横綱不知火諾右エ門が前場所かぎり引退、“後釜”の西方大関に岩見泻(後横綱秀の山)が就いた━と、云っても「新大関」に非ず、再大関昇進なのである。過去連続3場所在位していたので、通算4場所めの大関だ。鳥渡ばかり見逃し易いのが、東前頭筆頭の後大関小柳常吉の番附頭書だ。前場所までの「江戸」から「阿刕」と変った。元横綱阿武松の弟子だが、徳島藩抱えになったもの。更に、前場所幕下〔現十両〕三枚目で4勝5敗と負越した桂野が新入幕。この検証は後日に……。天保年間最後の江戸本場所
※昨日の閲覧…371・訪問者…274トータル訪問者数1,083,504昭和二九年春場所、西十両二十枚目愛知山〔元幕内〕の星取表である。〇照美山(十両21)〇太刀風(幕下3)=後幕内〇神生山(十両20)=後幕内、昭57不慮の事故で歿。〇前ヶ潮(〃16)=後幕内〇荒馬(〃17)=元幕内豊山鬼吉、政治家に転身。〇若椿(〃15)〇國若(〃19)●若前田(〃6)=後関脇〇白雄山(〃9)●若ノ海(〃13)=後小結〔一時荒岩〕〇千曲錦(〃11)=元幕内〇芳ノ里(〃9)=元幕内神若、プロレスラーに転身〇松緑(〃15)〇秀湊(〃7)=後幕内〇大龍(〃8)=元幕内当場所の十両優勝。でも、その後十両三枚目までカムバックしたが、「再入幕」は成らなかった。十両優勝後、再入幕成らず…
慣用句に「講釈師、みてきたような嘘を云い…」なんてのがあるらしい。相撲部屋における力士たちの稽古を見学した経験は全然ないばかりか、長崎巡業での稽古相撲をみた記憶もない━その分際で「偉そうなこと」を記述するのは僭越なのも承知です。むかしの名力士は、正月元旦以外は鍛錬を怠らなかった━稽古を一日休むと“取戻す”のに“骨”が折れると云う訳だ。ところが、平成・令和の現代力士は、364-(15✖6)=274日のうち「猛稽古」に励むのは何日位なのか。例えば、“綱獲り”と騒がれた九州場所前、その当事者たる大関が「首が痛い」の理由でまる一日土俵へ上らなかった━それが「横綱候補」だとすれば、全然お話にならない。大正十二年の「関東大震災」以降、日本全国に「鉄道網」が整備され、長距離の移動は“乗り物”利用が主流派となった。角界で...僭越ながら…
※昨日の閲覧…412・訪問者…276トータル訪問者数1,083,230仮令「自民党」が潰滅したって、野党側に肝腎の“受皿”がない━困った日本政界だ。プロレス界はかつて失格力士の“受け皿”として存在してるかのような時期があった。逆に、プロレスから力士へ変身し、立派に関取になった天山(二所ノ関部屋)が幕下Vを惜しくも逸した昭和三三年九州場所の星。西幕下五三枚目、甲泻の星取表である。〇富永(幕下51)や〇福錦(幕下50)や〇扇山(幕下52)=後幕内や〇元吉(幕下58)〇沼田(〃63)やや〇増登(幕下30)〇鷲ヶ谷(〃49)や●海乃山(幕下39)=後関脇や「技能賞」を3度受賞している海乃山だが、あまり好印象じゃぁなかった。もと兄弟子の名関脇信夫山(治貞)なんかと比較するまでもあるまい。後十両天山、幕下V逸す