昭和十六年夏場所、東十両七枚目輝曻〔後関脇〕の星取表である。〇布引(十両7)〇武ノ里(〃6)=元幕内〇大ノ森(〃11)=後幕内〇大熊(〃6)=後幕内〇富ノ山(〃4)=元幕内富野山●矢筈山(〃8)〇廣瀬川(〃14)=後幕内〇神風(〃2)=後関脇、解説者〇照ノ海(〃15)〇一渡(〃4)=元幕内〇若瀬川(〃2)=後小結、解説者〇平戸灘(〃9)佐賀県出身〇常陸海(〃11)=後幕内〇小戸ヶ岩(前廿一)〇朝明山(十両13)翌場所入幕なのだから、対幕内戦がたった1番は少なすぎる。たった1番の対幕内戦
江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。
去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。
2025年7月
昭和十六年夏場所、東十両七枚目輝曻〔後関脇〕の星取表である。〇布引(十両7)〇武ノ里(〃6)=元幕内〇大ノ森(〃11)=後幕内〇大熊(〃6)=後幕内〇富ノ山(〃4)=元幕内富野山●矢筈山(〃8)〇廣瀬川(〃14)=後幕内〇神風(〃2)=後関脇、解説者〇照ノ海(〃15)〇一渡(〃4)=元幕内〇若瀬川(〃2)=後小結、解説者〇平戸灘(〃9)佐賀県出身〇常陸海(〃11)=後幕内〇小戸ヶ岩(前廿一)〇朝明山(十両13)翌場所入幕なのだから、対幕内戦がたった1番は少なすぎる。たった1番の対幕内戦
※昨日の閲覧…568・訪問者…331トータル訪問者数1,256,496昭和十四年春場所、西幕下三五枚目若瀬川〔後小結〕の星取表である。〇江戸桜(幕下35)〇葵竜(〃34)=後幕内駿河海や〇陸奥ノ里(幕下19)=後幕内や〇鐘ヶ渕(幕下42)=後十両大平山や〇武ノ里(幕下17)=後幕内や●安武(幕下24)=後幕内八方山、不知火監事。や〇照錦(幕下39)=元十両や当場所の幕下優勝は、東幕下筆頭で“同点”の後十両、松若であった。幕下で優勝同点の後小結…
「個人別星取表」の資料的価値を高めるためには、対戦相手名のみならず、対戦当時の相手地位も記入すべきだ━と思っている。ところが今まで出版された相撲諸書掲載の星取表で対手地位まで載っているものは極めて稀れであろう…。前頭筆頭を最高位とする石山昇之助は、“改名歴”がない〔但し、『日本相撲史』に拠れば、幕下時分は下の名前が登之介となっている。〕彼は十両2場所めの明治四四年春、六日目〇平ノ石、八日目〇近江冨士、楽日〇大緑━幕内力士を3人も破り翌場所新入幕を果している。ところが、その入幕場所5勝4敗1引分けと勝越したけれども、相手の過半は十両力士だったのである。新入幕前・後の石山は…
※昨日の閲覧…432・訪問者…302トータル訪問者数1,256,165大正末期~昭和初期の好取組と、その結果。最高位は両力士とも横綱なのです。①大正十五年夏場所八日目西横綱〇西ノ海(寄切り)玉錦●東前頭六②昭和二年春場所四日目東横綱〇西ノ海(寄倒し)玉錦●西前頭三③同三年春場所六日目西張出横綱〇西ノ海(押出し)玉錦●東張小結対戦回数は少ないけれど、弱い横砂が負けていないのは意外な気がするのである。3代め西ノ海3━0玉錦
古本『日本相撲大鑑』(窪寺紘一氏著。平成四年、新人物往来社刊。函入466頁定価5,000円)および名力士の写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&名力士写真
※昨日の閲覧…553・訪問者…350トータル訪問者数1,255,863昭和十六年春場所、東十両二枚目双見山〔翌場所入幕〕の星取表。●豊嶋(十両3)=後幕内〇八方山(〃3)=後幕内〇倭岩(前十八)〇國光(十両11)〇大熊(〃10)=後幕内〇二瀬川(前十九格)=後関脇〇若潮(十両4)=後幕内〇増位山(前十六)=後大関〇一渡(十両12)=元幕内〇陸奥ノ里(前十七)〇十三錦(同十三)〇大邱山(同十五)〇四海波(同十九)●若瀬川(十両13)=後小結〇小戸ヶ岩(〃5)=後幕内豊嶋も13勝しているが、同点決勝は行われていない。7人の幕内と対戦…
『江戸時代相撲名鑑』で調査すれば“1字名”も意外と少なくないけれども、「狼(おおかみ)」と名乗ったやつは残念ながら皆無━京・阪の番附を対象にしても……。関脇玉手山の“初名”が狼なのであった。彼は、在幕15場所で関脇を2場所、小結を3場所つとめている。〔名人と称賛される玉椿は、関脇4・小結7場所だった。〕最高位が横綱や大関に対する玉手山の通算成績を調べてみた。太刀山ら5横綱のうち、太刀山と大錦(卯一郎)からの白星は皆無だが、栃木山ら3横綱から各々1勝を記録している。対大関戦跡では、駒ヶ嶽や伊勢ノ濵から各1勝、朝潮(←朝汐←朝嵐)・九州山(十郎)・對馬洋から各々2勝している。大正六年春場所は東小結で、初日から9連敗━急速に衰えたとみえるのは甚だ残念だった。玉手山を名関脇と評価
※昨日の閲覧…546・訪問者…335トータル訪問者数1,255,513拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーが下記の如く在ります。第99号(令和4年2月)【残部僅少】〇全勝力士が消えた星●天保十二年春場所〇明治大正の新聞記事から●昭和二十年代の重量力士〇島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(令和4年6月)●日本國技の洋風化について〇天保十二年冬場所●大正期の新聞記事から〔改題〕〇場所中改名物語●徳島県出身入幕力士一覧第101号(令和4年10月)〇“時代”を超えた力士たち(新連載)●天保十三年春場所〇大正期の新聞記事から●昭和二十年代の短身力士〇香川県出身入幕力士一覧第102号(令和5年2月)●“時代”を超えた力士たち〇天保十三年冬場所●大正期の新聞記事から〇昭和二十年代の長身力士●広島県出身入幕力...No.99から旧号揃ってます
私見では明治以降の最強力士とする太刀山。明治四十四年春場所後、吉田司家から「横綱免許」となって、番附で正横綱〔片屋(東方もしくは西方)は個人成績が反映されない。〕となり、Ⅱ梅ヶ谷は「正」位置から「張出」へ廻った。この正横綱太刀山、張出……梅ヶ谷の両横綱の位置は、4年=8場所変らなかった。(明44夏~大正4春)ところが、“角聖”と尊称される常陸山引退に因って異変が起った。雷(いかずち)部屋所属の梅ヶ谷と、友綱部屋の太刀山を東・西に対峙させて、両者の“初顔合せ”をいわば売りものにしたい━協会の思惑があったのじゃぁないか…?しかし、大正四年夏場所は東横綱が梅ヶ谷、西横綱が太刀山の番附だったが、梅ヶ谷は最早「引退決意」の状態で初日~楽日を欠場し結局、梅ヶ谷対太刀山の好取組は実現せず…。幻の好取組梅ヶ谷━太刀山
※昨日の閲覧…415・訪問者…261トータル訪問者数1,255,178明治大相撲のパーフェクト記録。最高地位は、関脇対前頭筆頭であった。①明治六年春場所初日東前頭五●鬼若━武藏泻(十両格3)②同六年冬場所七日目東前頭五●鬼若━武藏泻(十両格1)③同七年春場所六日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭六④同七年冬場所三日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭三⑤同八年春場所七日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭四⑥同十年春場所八日目西前頭二〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭四⑦同十年夏場所四日目西前頭二〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭三⑧同十年冬場所八日目西前頭筆頭〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭二⑨同十二年春場所五日目西関脇〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭三⑩同十三年夏場所九日目西小結〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭五引分け等が多かった頃、パーフェクト記...関脇武藏潟10━0勝ノ浦
拙稿「“時代”を超えた力士たち」は、八甲山・平ノ石につづいて関脇玉手山の項を鋭意執筆中である。大正四年春場所、西関脇玉手山の星。✖綾川(前六)〇陣幕(同七)〇釈迦ヶ嶽(同五)〇宇都宮(同八)●大錦(同十二)●両國(同三)〇四海波(小結)や✖綾浪(関脇)✖千年川(前二)4勝2敗・3引分け…と勝越したのに翌場所番附では東張出小結に“格下げ”となっているのである。関脇で勝越し→小結へ格下げ
※昨日の閲覧…457・訪問者…289トータル訪問者数1,254,917昭和十九年春場所、西十両十四枚目九州錦(後幕内)の星取表である。●相武山(十両15)〇冨久錦(幕下1)=元十両〇富ノ山(十両8)=元幕内〇鏡川(〃12)〇双子岩(〃13)=後幕内〇大ノ海(〃10)=後幕内、花籠理事〇照ノ海(〃10)●小戸ヶ岩(〃14)=元幕内〇信州山(〃9)=後幕内〇斜里錦(〃6)=元幕内〇廣瀬川(〃5)=元幕内〇朝明(〃5)〇五ッ海(〃2)=後小結〇十勝岩(〃4)=後幕内、暫定二所ノ関〇信濃川(幕下9)=後十両当場所の十両優勝である。十両で13勝以上の記録は比較的に少ないので敢えて採りあげた次第。十両で13勝の記録…
昭和十八年春場所、西幕下四枚目大蛇嶋〔後幕内甲斐ノ山〕星取表。●和歌木山(幕下2)=元十両や●和歌ノ海(幕下4)=後十両や●明瀬川(幕下1)=後幕内や●大塚(幕下7)=後横綱栃錦や〇大ノ峰(幕下17)〇嶋ノ里(〃9)や〇照錦(十両14)やや〇山陽山(十両12)負越してないのに…翌場所の番附は1枚下降となっている。4連敗後4連勝
※昨日の閲覧…526・訪問者…300トータル訪問者数1,254,628昭和十七年春場所、西三段目七四枚目御殿山〔後幕内東海〕の星取表である。〇濱勇(三段目74)や〇若ノ松(三段目73)や〇鯱ノ岩(三段目85)や〇天地風(三段目61)や●不動岩(三段目78)=後関脇や〇荒船山(三段目51)〇忍山(〃53)や〇陸奥ノ海(序二段6)や当場所の三段目優勝は、後関脇の力道山が8戦全勝で…。三段目で7勝1敗
参院選の入場券用葉書が届いた。極論すれば、参議院は不要なので、お隣り大韓民國みたいに「一院制」にした方が…“節税”になるし、少子化で日本人口だって数十年以内に「一億人」を割込むのは必至なのだから…。身を切る改革で「議員削減」は血税を払う立場の納税者の声なき声と思う。選挙の焦点になりそうで・ならない「消費税」導入直前の『時事放談』で、たしか加藤寛氏が主張していたのは、「十円未満を切捨て」にせよ━との発言を覚えている。当初の税率3%では一円玉不足を懸念して、アルミ硬貨の一円玉を大量に製造・発行した造幣局だったか。なんで問題提起するのか。それはズバリ一円硬貨製造が1箇につき「3円」のコストがかかるのだ。他の紙幣や硬貨で、コスト3倍の種類なんか全然あるまい。すべて消費税は10円未満切捨てにすれば、5円玉や1円玉は...今夜の愚考…
※昨日の閲覧…425・訪問者…253トータル訪問者数1,254,328昭和三二年秋場所、西三段目四二枚目佐々田〔後佐田の山、出羽海智敬→境川尚〕〇北ノ濵(三段目44)〇神路山(〃44)やや●吉ノ岩(三段目53)=後十両〇増原(〃49)や〇石見龍(三段目41)や〇滝葉山(三段目53)やや〇平石(三段目59)〇弓ヶ嶋(〃75)や当場所の三段目優勝は、同じく郷土力士〔大村市〕の吉ノ岩で8戦全勝であった。同郷に敗れ三段目V逸す
『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!扨て、一番安上りの送本法は……?jhisa104@ybb.ne.jp古本『相撲ロマン大事典』進呈
※昨日の閲覧…524・訪問者…309トータル訪問者数1,254,075平成・令和の若い相撲記者諸氏は全然知らないのか・或は「知らぬふり」をしてるのかも知れない。━昭和三十年秋の本場所大相撲「番附」━当時の出羽海理事長(元横綱常ノ花)が彦山光三の提言を受けいれて…拵えた貴重な番附なのだ。西方横綱鏡里張横吉葉山<大関空位>関脇若ノ花ところが、昭和三四年夏に時津風(双葉山)が「横綱兼大関」なる有り得ない地位を復活させてしまった。一般的には最近では、社長兼会長なる職制があるらしいが、理事長兼副理事長とか、理事兼副理事や、副理事兼役員待遇なんて絶対あり得ない筈だ。正当な昭和30秋「西大関空位」
2025年7月
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昭和十六年夏場所、東十両七枚目輝曻〔後関脇〕の星取表である。〇布引(十両7)〇武ノ里(〃6)=元幕内〇大ノ森(〃11)=後幕内〇大熊(〃6)=後幕内〇富ノ山(〃4)=元幕内富野山●矢筈山(〃8)〇廣瀬川(〃14)=後幕内〇神風(〃2)=後関脇、解説者〇照ノ海(〃15)〇一渡(〃4)=元幕内〇若瀬川(〃2)=後小結、解説者〇平戸灘(〃9)佐賀県出身〇常陸海(〃11)=後幕内〇小戸ヶ岩(前廿一)〇朝明山(十両13)翌場所入幕なのだから、対幕内戦がたった1番は少なすぎる。たった1番の対幕内戦
※昨日の閲覧…568・訪問者…331トータル訪問者数1,256,496昭和十四年春場所、西幕下三五枚目若瀬川〔後小結〕の星取表である。〇江戸桜(幕下35)〇葵竜(〃34)=後幕内駿河海や〇陸奥ノ里(幕下19)=後幕内や〇鐘ヶ渕(幕下42)=後十両大平山や〇武ノ里(幕下17)=後幕内や●安武(幕下24)=後幕内八方山、不知火監事。や〇照錦(幕下39)=元十両や当場所の幕下優勝は、東幕下筆頭で“同点”の後十両、松若であった。幕下で優勝同点の後小結…
「個人別星取表」の資料的価値を高めるためには、対戦相手名のみならず、対戦当時の相手地位も記入すべきだ━と思っている。ところが今まで出版された相撲諸書掲載の星取表で対手地位まで載っているものは極めて稀れであろう…。前頭筆頭を最高位とする石山昇之助は、“改名歴”がない〔但し、『日本相撲史』に拠れば、幕下時分は下の名前が登之介となっている。〕彼は十両2場所めの明治四四年春、六日目〇平ノ石、八日目〇近江冨士、楽日〇大緑━幕内力士を3人も破り翌場所新入幕を果している。ところが、その入幕場所5勝4敗1引分けと勝越したけれども、相手の過半は十両力士だったのである。新入幕前・後の石山は…
※昨日の閲覧…432・訪問者…302トータル訪問者数1,256,165大正末期~昭和初期の好取組と、その結果。最高位は両力士とも横綱なのです。①大正十五年夏場所八日目西横綱〇西ノ海(寄切り)玉錦●東前頭六②昭和二年春場所四日目東横綱〇西ノ海(寄倒し)玉錦●西前頭三③同三年春場所六日目西張出横綱〇西ノ海(押出し)玉錦●東張小結対戦回数は少ないけれど、弱い横砂が負けていないのは意外な気がするのである。3代め西ノ海3━0玉錦
古本『日本相撲大鑑』(窪寺紘一氏著。平成四年、新人物往来社刊。函入466頁定価5,000円)および名力士の写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・東京・出羽錦忠雄。2、関脇・福島・時津山仁一。3、関脇・北海道・安念山治。4、小結・秋田・若ノ海正照。5、大関・熊本・栃光正之。御希望の方は600円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。『日本相撲大鑑』&名力士写真
※昨日の閲覧…553・訪問者…350トータル訪問者数1,255,863昭和十六年春場所、東十両二枚目双見山〔翌場所入幕〕の星取表。●豊嶋(十両3)=後幕内〇八方山(〃3)=後幕内〇倭岩(前十八)〇國光(十両11)〇大熊(〃10)=後幕内〇二瀬川(前十九格)=後関脇〇若潮(十両4)=後幕内〇増位山(前十六)=後大関〇一渡(十両12)=元幕内〇陸奥ノ里(前十七)〇十三錦(同十三)〇大邱山(同十五)〇四海波(同十九)●若瀬川(十両13)=後小結〇小戸ヶ岩(〃5)=後幕内豊嶋も13勝しているが、同点決勝は行われていない。7人の幕内と対戦…
『江戸時代相撲名鑑』で調査すれば“1字名”も意外と少なくないけれども、「狼(おおかみ)」と名乗ったやつは残念ながら皆無━京・阪の番附を対象にしても……。関脇玉手山の“初名”が狼なのであった。彼は、在幕15場所で関脇を2場所、小結を3場所つとめている。〔名人と称賛される玉椿は、関脇4・小結7場所だった。〕最高位が横綱や大関に対する玉手山の通算成績を調べてみた。太刀山ら5横綱のうち、太刀山と大錦(卯一郎)からの白星は皆無だが、栃木山ら3横綱から各々1勝を記録している。対大関戦跡では、駒ヶ嶽や伊勢ノ濵から各1勝、朝潮(←朝汐←朝嵐)・九州山(十郎)・對馬洋から各々2勝している。大正六年春場所は東小結で、初日から9連敗━急速に衰えたとみえるのは甚だ残念だった。玉手山を名関脇と評価
※昨日の閲覧…546・訪問者…335トータル訪問者数1,255,513拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーが下記の如く在ります。第99号(令和4年2月)【残部僅少】〇全勝力士が消えた星●天保十二年春場所〇明治大正の新聞記事から●昭和二十年代の重量力士〇島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(令和4年6月)●日本國技の洋風化について〇天保十二年冬場所●大正期の新聞記事から〔改題〕〇場所中改名物語●徳島県出身入幕力士一覧第101号(令和4年10月)〇“時代”を超えた力士たち(新連載)●天保十三年春場所〇大正期の新聞記事から●昭和二十年代の短身力士〇香川県出身入幕力士一覧第102号(令和5年2月)●“時代”を超えた力士たち〇天保十三年冬場所●大正期の新聞記事から〇昭和二十年代の長身力士●広島県出身入幕力...No.99から旧号揃ってます
私見では明治以降の最強力士とする太刀山。明治四十四年春場所後、吉田司家から「横綱免許」となって、番附で正横綱〔片屋(東方もしくは西方)は個人成績が反映されない。〕となり、Ⅱ梅ヶ谷は「正」位置から「張出」へ廻った。この正横綱太刀山、張出……梅ヶ谷の両横綱の位置は、4年=8場所変らなかった。(明44夏~大正4春)ところが、“角聖”と尊称される常陸山引退に因って異変が起った。雷(いかずち)部屋所属の梅ヶ谷と、友綱部屋の太刀山を東・西に対峙させて、両者の“初顔合せ”をいわば売りものにしたい━協会の思惑があったのじゃぁないか…?しかし、大正四年夏場所は東横綱が梅ヶ谷、西横綱が太刀山の番附だったが、梅ヶ谷は最早「引退決意」の状態で初日~楽日を欠場し結局、梅ヶ谷対太刀山の好取組は実現せず…。幻の好取組梅ヶ谷━太刀山
※昨日の閲覧…415・訪問者…261トータル訪問者数1,255,178明治大相撲のパーフェクト記録。最高地位は、関脇対前頭筆頭であった。①明治六年春場所初日東前頭五●鬼若━武藏泻(十両格3)②同六年冬場所七日目東前頭五●鬼若━武藏泻(十両格1)③同七年春場所六日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭六④同七年冬場所三日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭三⑤同八年春場所七日目東前頭三●勝ノ浦━武藏泻〇西前頭四⑥同十年春場所八日目西前頭二〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭四⑦同十年夏場所四日目西前頭二〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭三⑧同十年冬場所八日目西前頭筆頭〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭二⑨同十二年春場所五日目西関脇〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭三⑩同十三年夏場所九日目西小結〇武藏泻━勝ノ浦●東前頭五引分け等が多かった頃、パーフェクト記...関脇武藏潟10━0勝ノ浦
拙稿「“時代”を超えた力士たち」は、八甲山・平ノ石につづいて関脇玉手山の項を鋭意執筆中である。大正四年春場所、西関脇玉手山の星。✖綾川(前六)〇陣幕(同七)〇釈迦ヶ嶽(同五)〇宇都宮(同八)●大錦(同十二)●両國(同三)〇四海波(小結)や✖綾浪(関脇)✖千年川(前二)4勝2敗・3引分け…と勝越したのに翌場所番附では東張出小結に“格下げ”となっているのである。関脇で勝越し→小結へ格下げ
※昨日の閲覧…457・訪問者…289トータル訪問者数1,254,917昭和十九年春場所、西十両十四枚目九州錦(後幕内)の星取表である。●相武山(十両15)〇冨久錦(幕下1)=元十両〇富ノ山(十両8)=元幕内〇鏡川(〃12)〇双子岩(〃13)=後幕内〇大ノ海(〃10)=後幕内、花籠理事〇照ノ海(〃10)●小戸ヶ岩(〃14)=元幕内〇信州山(〃9)=後幕内〇斜里錦(〃6)=元幕内〇廣瀬川(〃5)=元幕内〇朝明(〃5)〇五ッ海(〃2)=後小結〇十勝岩(〃4)=後幕内、暫定二所ノ関〇信濃川(幕下9)=後十両当場所の十両優勝である。十両で13勝以上の記録は比較的に少ないので敢えて採りあげた次第。十両で13勝の記録…
昭和十八年春場所、西幕下四枚目大蛇嶋〔後幕内甲斐ノ山〕星取表。●和歌木山(幕下2)=元十両や●和歌ノ海(幕下4)=後十両や●明瀬川(幕下1)=後幕内や●大塚(幕下7)=後横綱栃錦や〇大ノ峰(幕下17)〇嶋ノ里(〃9)や〇照錦(十両14)やや〇山陽山(十両12)負越してないのに…翌場所の番附は1枚下降となっている。4連敗後4連勝
※昨日の閲覧…526・訪問者…300トータル訪問者数1,254,628昭和十七年春場所、西三段目七四枚目御殿山〔後幕内東海〕の星取表である。〇濱勇(三段目74)や〇若ノ松(三段目73)や〇鯱ノ岩(三段目85)や〇天地風(三段目61)や●不動岩(三段目78)=後関脇や〇荒船山(三段目51)〇忍山(〃53)や〇陸奥ノ海(序二段6)や当場所の三段目優勝は、後関脇の力道山が8戦全勝で…。三段目で7勝1敗
参院選の入場券用葉書が届いた。極論すれば、参議院は不要なので、お隣り大韓民國みたいに「一院制」にした方が…“節税”になるし、少子化で日本人口だって数十年以内に「一億人」を割込むのは必至なのだから…。身を切る改革で「議員削減」は血税を払う立場の納税者の声なき声と思う。選挙の焦点になりそうで・ならない「消費税」導入直前の『時事放談』で、たしか加藤寛氏が主張していたのは、「十円未満を切捨て」にせよ━との発言を覚えている。当初の税率3%では一円玉不足を懸念して、アルミ硬貨の一円玉を大量に製造・発行した造幣局だったか。なんで問題提起するのか。それはズバリ一円硬貨製造が1箇につき「3円」のコストがかかるのだ。他の紙幣や硬貨で、コスト3倍の種類なんか全然あるまい。すべて消費税は10円未満切捨てにすれば、5円玉や1円玉は...今夜の愚考…
※昨日の閲覧…425・訪問者…253トータル訪問者数1,254,328昭和三二年秋場所、西三段目四二枚目佐々田〔後佐田の山、出羽海智敬→境川尚〕〇北ノ濵(三段目44)〇神路山(〃44)やや●吉ノ岩(三段目53)=後十両〇増原(〃49)や〇石見龍(三段目41)や〇滝葉山(三段目53)やや〇平石(三段目59)〇弓ヶ嶋(〃75)や当場所の三段目優勝は、同じく郷土力士〔大村市〕の吉ノ岩で8戦全勝であった。同郷に敗れ三段目V逸す
『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!扨て、一番安上りの送本法は……?jhisa104@ybb.ne.jp古本『相撲ロマン大事典』進呈
※昨日の閲覧…524・訪問者…309トータル訪問者数1,254,075平成・令和の若い相撲記者諸氏は全然知らないのか・或は「知らぬふり」をしてるのかも知れない。━昭和三十年秋の本場所大相撲「番附」━当時の出羽海理事長(元横綱常ノ花)が彦山光三の提言を受けいれて…拵えた貴重な番附なのだ。西方横綱鏡里張横吉葉山<大関空位>関脇若ノ花ところが、昭和三四年夏に時津風(双葉山)が「横綱兼大関」なる有り得ない地位を復活させてしまった。一般的には最近では、社長兼会長なる職制があるらしいが、理事長兼副理事長とか、理事兼副理事や、副理事兼役員待遇なんて絶対あり得ない筈だ。正当な昭和30秋「西大関空位」
拙作&私家版『相撲史発掘』第109号【画像】を御希望の方に洩れなく進呈しています。(題簽は元大相撲立行司40代・式守伊之助氏)〇“時代”を超えた力士たち(第8回)●明治→大正篇⑥入幕後、勝越せなかった…満28歳で引退した…常陸山の欧米漫遊に随行…臺灣・香港でも評判の…対横綱4戦4敗の…〇江戸大相撲熱戦譜(第89回)●弘化三年春場所二十代幕内、姿を消す63年ぶりの怪記録破格の取組、御用木─大山〇大正期の新聞記事から(20)●『國民新聞』の相撲記事記者の見識を疑う…〇太刀持・露払も236年前から土俵上へ…〇大関手柄山の相手地位つき星取表●文政12冬~弘化2春の29場所〇奈良県出身入幕力士一覧●虹ヶ嶽から德勝龍まで12名〇古今平幕最優秀力士星取表(39)●昭和30初~同31秋の8場所頒布を御希望の方は、二折り定...『相撲史発掘』No.109頒布中
※昨日までのトータル訪問者数1,253,766昭和戦後の好取組とその結果。最高地位は、兎に角横綱対小結であった。①昭和二四年秋場所十日目東前頭九〇清水川(打棄り)吉葉山●東前頭十②同二五年夏場所十三日目東前頭筆頭●吉葉山(吊出し)清水川〇東前頭七③同二五年秋場所四日目東張関脇〇吉葉山(…出投)清水川●西前頭三④同二六年春場所五日目東関脇〇吉葉山(寄倒し)清水川●東小結⑤同二六年夏場所五日目西大関●吉葉山(打棄り)清水川〇東前頭三⑥同二七年秋場所初日西大関〇吉葉山(寄倒し)清水川●東前頭筆頭⑦同二八年春場所八日目西大関●吉葉山(外掛け)清水川〇東前頭二⑧同二八年夏場所十一日目西大関〇吉葉山(寄倒し)清水川●東小結⑨同二八年秋場所九日目東大関〇吉葉山(寄切り)清水川●東前頭二⑩同三二年春場所四日目東張横綱〇吉...吉葉山7━6清水川
昭和六年三月〔於京都〕場所千穐楽(十一日目)の入れ替え戦。西前十六〇常盤野(下手投)池田川●十両6東前十四〇鏡岩(押出し)高ノ花●〃2西前十五〇大嶋(引落し)高登●〃8東前十三〇吉野山(吊出し)綾若●〃1〃前十二〇若瀬川(打棄り)大和錦●〃3西前十一●伊勢ノ濵(突出し)錦華山〇〃8〃前頭九〇肥州山(吊出し)大潮●〃4幕内力士からみると平幕“一桁”が……。一方、十両の東・西八枚目が幕内に挑戦。93年前、楽日幕内6━1十両
※昨日の閲覧…516・訪問者…319トータル訪問者数1,136,779窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は次のとおりであります。1、出羽錦忠雄昭和22年入幕~39年引退。2、時津山仁一〃24年入幕~36年引退。3、安念山治〃29年入幕~40年引退。4、若ノ海正照〃30年入幕~38年引退。5、栃光正之〃30年入幕~41年引退。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈
昭和二七年春場所、西前頭八枚目輝昇〔元関脇〕の星取表である。ここでは決り手を省略して、相手の前日までの勝・敗を調べてみた。〇國登(前頭九)━━━〇鳴門海(同八)1勝。〇琴ヶ濵(同九)1勝1敗〇清惠波(同五)3勝。〇不動岩(同十)2勝2敗〇米川(同十三)4勝1敗。=後横綱A〇羽嶋山(同四)3勝3敗〇吉井山(同十七)6勝1敗〇松登(同七)5勝3敗〇常ノ山(同六)7勝2敗〇潮錦(同十五)6勝4敗●琴錦(東小結)4勝7敗●栃錦(東張関脇)7勝5敗●鏡里(東大関)10勝3敗〇出羽錦(前頭五)10勝4敗翌二八年夏、前頭六枚目で時津山が全勝優勝したとき、三役戦は小結出羽錦だけ。矢張り当時「取締」(理事長を含む)の弟子は番附も・取組編成も“有利”に扱われる。平幕Vを逸した元関脇輝昇
※昨日の閲覧…652・訪問者…348トータル訪問者数1,136,460去る夏場所幕下V藤青雲の星取表。〇矢後(幕下12)=元十両や〇日翔志(幕下13)やや〇聖富士(幕下14)や〇出羽ノ龍(幕下18)〇大辻(〃7)や〇風の湖(幕下32)や〇草野(幕下60格)や藤青雲自身より“上位”相手だったのは5番相撲だけで、あとは下位力士ばかり━「関取試験」に相当する取組はなかった。7番相撲は、十両下位の幕下陥落〔未確定〕候補者と対戦させるべきだ。「関取試験」的取組なしで…
「15日間」制本場所の嚆矢、昭和十四年夏、西三段目五七枚目諏訪登〔後幕内信州山〕の星取表である。●今錦(三段目58)●山中(〃58)や〇荒船山(三段目45)や〇橋詰(三段目44)やや●谷口(三段目57)や●東洋(序二段4)〇西ノ宮(三段目43)や〇紀勢山(序二段1)残念ながら対戦相手力士に後の関取はいないみたい…。初の15日制で…
※昨日の閲覧…1,123・訪問者…350トータル訪問者数1,136,112昭和五年夏場所二日目の幕内VS十両。東前十四〇綾ノ浪(極倒し)潮ヶ濵●十両4〃前十三〇若常陸(叩込み)晴ノ海●〃4〃前十二●藤ノ里(上手投)池田川〇〃2西前十二〇若瀬川(寄出し)伊勢ノ濵●〃2東前十一●荒熊(〃)肥州山〇〃3西前十一〇剱岳(打棄り)駒錦●〃3東前頭十●常陸嶽(浴せ倒し)沖ッ海〇〃1当時は「東西対抗」制度で、出羽海部屋所属力士が多数派のため取組編成のスタンスが現代とはまるっきり違うけれども…。昭和5夏2日目幕内対十両戦7番
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本の保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は、プロのカメラマン撮影に非ず、素人が撮ったものと思えますが、撮影年月は全然わかりません。1、出羽錦東京出身、出羽海部屋、最高位関脇。2、時津山福島出身、立浪部屋、最高位関脇。3、安念山北海道出身、立浪部屋、最高位関脇。4、若ノ海秋田出身、花籠部屋、最高位小結。5、栃光熊本出身、春日野部屋、最高位大関。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて御送付いたします。〒852-8113長...『日本相撲大鑑』と5力士写真進呈
※昨日の閲覧…2,420・訪問者…264トータル訪問者数1,135,762去る夏場所、最軽量力士の宇瑠寅は2勝5敗と、負越したけれど、序ノ口陥落を免れている。その十日目、2勝めの相手、京の里━『相撲』誌の略歴星取表に拠れば、身長185cmで体重が165.6kgとある。宇瑠寅は61.3kgなので、凡そ自身の2.7倍の重量級を翻弄したことになる。「小よく大を制す」の大相撲の醍醐味を観客は味わったはずだ。宇瑠寅、2.7倍の重量級を翻弄!
さきに採りあげた力道山対出羽錦だが、実は両力士は昭和十五年夏場所の初土俵なので「同期生」と云うわけだ。この昭和十五年夏の初土俵組には、大ものがすくなくない。小結・清水川光男→明於小結・國登國生関脇・時津山仁一(純一)関脇・信夫山治貞幕内・若嵐武〃・平ノ戸千代藏幕内・出羽湊秀一〃・福ノ里牛之助昭和15夏初土俵、10名が入幕
※昨日の閲覧…1,618・訪問者…311トータル訪問者数1,135,498日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』の表紙には、3月号「春場所本物新番付」5月号「夏場所本物新番付」と誰にも目立つように赤丸で表示していたのに、今度の最新号には全然それがない。唯、35頁「目次」の上部中央に「…付録名古屋場所本物新番付」と記載しているだけだ。はっきり云ってしまえば、表紙の「大の里」顔の右側に表示するのをうっかり忘れちゃった編集部のミス。“失態”を演じた場合、誰だってその“責任”をとりたくない風潮が…Bマガジン社に限った話じゃぁないね。『相撲』最新号の大ポカだ!
拙稿「“時代”を超えた力士たち」の「明治→大正篇」④は、横…鳳・八嶋山・関…黒瀬川の記述が終り〔但し、爾後編輯の過程で自ら“添削”するかも知れぬ〕現在、山泉改め小錦を鋭意執筆中である。この2代め小錦の入幕直前“貧乏神”での珍・怪記録を御紹介したい。明治四二年春場所、東十両筆頭山泉●藤見嶽(西前十四)〇有村(東前十五)〇立川(西〃)●男嶋(東前十五格)〇鬼竜山(西前十一)や〔東前12両國に休まれる?〕〇神﨑(東前十三)●大ノ川(東前十一)〇大緑(東前頭十)△小櫻(十両2)当時、十両以下は現行「部屋別」総当り制と殆んど変らないので、対戦相手は東・西に関係なく取組が編成されていた。幕内8力士と対戦した“貧乏神”…
※昨日の閲覧…562・訪問者…312トータル訪問者数1,135,187窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は次のとおりで、撮影年月はわかりません。1、出羽錦忠雄7cm×10.5cm2、時津山仁一8cm×12cm3、安念山治仝4、若ノ海正照7cm×10.5cm5、栃光正之8cm×12cm御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて御送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@...『日本相撲大鑑』+力士写真5枚進呈
この度、文化四(1807)年春場所の番附〔複写版〕を落手したので…。東ノ方大関丸亀平石七太夫関脇江戸柏戸宗五郎小結久留米荒馬源弥前頭庄内春日山鹿右エ門前頭仙臺大木戸森之助前頭久留米揚羽空右エ門前頭秋田四ツ車大八前頭白川音羽山峯右エ門前頭江戸滝ノ音礒右エ門前頭越中淺香山吉五郎西ノ方大関雲州雷電爲右エ門関脇同玉垣額之助小結南部二所ノ関軍右エ門前頭雲州鳴滝文太夫前頭同関ノ戸澤右エ門前頭因州千田川善太郎前頭同山颪源吾前頭同眞靏政吉前頭同桟シ初五郎前頭南部階玉右エ門原「番附」には、「佐渡嶽改」とか「滝ノ上改」のような“改名表示”が全然ないのである。改名表示を欠く217年前の番附
※昨日の閲覧…470・訪問者…294トータル訪問者数1,134,875昭和戦後の好取組とその結果。最高位は両力士とも関脇だったが…。①昭和二三年秋場所五日目東小結〇力道山(外掛け)出羽錦●西前頭二②同二四年秋場所十三日目西前頭二〇力道山(寄倒し)出羽錦●東前頭三③同二五年春場所四日目西小結●力道山(寄切り)出羽錦〇東前頭筆頭④同二五年夏場所十四日目西関脇〇力道山(肩透し)出羽錦●西小結力道山が大正十三年十一月…、出羽錦が翌十四年七月…の出生だから、力道山の突如廃業がなければ、すくなくとも10回は対戦しているはず。関脇力道山3━1後関脇出羽錦
拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーを御紹介いたします。第97号(令和三年六月)〇改名の嫌いな力士たち●天保十一年春場所〇明治・大正の新聞記事から●横綱稲妻相手地位つき星取表〇愛媛県出身入幕力士一覧第98号(令和三年十月)●全勝力士が消えた星〇天保十一年冬場所●明治・大正の新聞記事から〇昭和二十年代の軽量力士●高知県出身入幕力士一覧◎以上、残部僅少!第99号(令和四年二月)〇全勝力士が消えた星●天保十二年春場所〇明治・大正の新聞記事から●昭和二十年代の重量力士〇島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(令和四年六月)●日本國技の洋風化について〇天保十二年冬場所●大正期の新聞記事から【改題】〇場所中改名物語●徳島県出身入幕力士一覧第101号(令和四年十月)〇“時代”を超えた力士たち●天保十三年春場所〇...3年前から旧号が在ります
※昨日の閲覧…486・訪問者…290トータル訪問者数1,134,581昭和三二年初場所、西序ノ口十五枚目若い國〔後大関清國〕の星取表である。〇守谷(序ノ口14)〇山野辺(〃16)やや●佐賀ノ海(序ノ口11)や●鹿嶋(序ノ口17)〇佐藤山(〃16)や〇尾川(序ノ口9)や●酒田山(序ノ口18)やや●渡ノ辺(序ノ口8)五分の星だが、「〇〇●●〇〇…」みたいに“規則正しい配列”は左程多くあるまい。尚、清國の本姓は「佐藤」で、当時理事長出羽海の本姓は「山野邉」であった。追記。当時の『相撲』「…全力士略歴星取表」の見出しには「若ノ国」と間違っていた。規則正しい配列…?
窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに5力士のモノクロ写真を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担願います。古本の保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。写真5枚の内容は1、出羽錦忠雄昭和22入幕、同39引退2、時津山仁一〃24入幕、同36引退3、安念山治〃29入幕、同40引退4、若ノ海正照〃30入幕、同38引退5、栃光正之〃30入幕、同41引退最高位は栃光が大関、若ノ海が小結、他の3力士は関脇。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にてご送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈
※昨日の閲覧…447・訪問者…296トータル訪問者数1,134,291明日都内で発売の日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』の表紙をHP画像でみると、「名古屋…本物新番付」の記載がないみたい。万一、新「番附」添付がなかった場合は本号から購読を一切中止することにしたい。…のみならず、ベースボール・マガジン社の出版物も一切購入いたしません。付録「新番附」なければ購読中止
超剛横綱力士太刀山の決り手附星取表において「つきとばし」なる“珍手”は、老眼の身に小文字で記入されて…ずっと気がつかなかった。それで彦山光三の名著『橫綱傳』の「自跋」から想い出した一節をどうぞ読んで…。〔前略〕私は生きてゐるうちに私を蹴とばし・蹈みにじり・乗りこえてゆく俊英があまたあらはれることを切念してやまない。勿論私自身そのあまたのなかの一人であることをさまたげないつもり。ちと残念だったね。「突き飛ばし」ならぬ「蹴飛ばし」と表現していた。尚、明治四十四年当時の相撲記者の“主観”で考案した決り手の名称を当時18歳の彦山翁も想定外だったにちがいあるまい。彦山自跋に「蹴飛ばし」…
※昨日の閲覧…409・訪問者…286トータル訪問者数1,133,728遂に、元幕内の人気力士炎鵬が序ノ口まで陥落してしまった。序二段までの“落武者”元幕内力士ならば、明治以降も数人存在したけれど、序ノ口まで陥落したものは鳥渡ばかり記憶にない。去る夏場所、超軽量力士の宇瑠寅が序二段八二枚目、炎鵬が同百枚目だったが、前者が序二段に残留したのに、連休の炎鵬は番附の最下段まで落っこちてしまった。もう7~8場所欠場が続いて、「相撲勘」を取戻すのは不可能と思ってしまう……。元幕内炎鵬、序ノ口へ陥落