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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
ブログ村参加

2015/12/21

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  • 武藏山14━4幡瀬川

    身長173cm・体重86kgの小兵・軽量力士で「相撲の神様」と異名の最高位が関脇の幡瀬川〔後楯山理事〕の星取表からピックアップしてみたい。昭和四年夏場所八日目●武藏山(前八)押切り同四年名古屋〔九月〕八日目●武藏山(仝)寄倒し同五年大阪〔三月〕千穐楽●武藏山(前二)押倒し同六年春場所初日〇武藏山(小結)下手投同六年京都〔三月〕三日目●武藏山(仝)突出し同六年夏場所五日目●武藏山(小結)寄切り同六年大阪〔十月〕七日目●武藏山(仝)寄切り同七年春場所二日目●武藏山(大関)上手投同七年名古屋〔三月〕三日目●武藏山(仝)寄切り同七年夏場所八日目〇武藏山(大関)肩透し同七年京都〔十月〕七日目●武藏山(仝)突倒し同八年春場所三日目●武藏山(大関)上手投同八年夏場所七日目〇武藏山(大関)二枚蹴同九年春場所五日目〇武藏山...武藏山14━4幡瀬川

  • 新十両で8戦全勝V

    ※昨日の閲覧…776・訪問者…461トータル訪問者数1,143,753昭和七年春〔二月〕場所、新十両東十両八枚目、大浪〔後幕内〕の星。〇常陽山(十両9)〇濱ノ石(〃10)〔当県出身、詳細?〕〇嶋和泉(〃10)〇雷山(〃9)=後幕内〔十両で柏戸〕〇愛ノ花(〃8)〇駒ヶ谷(幕下1)〇能登錦(〃2)=後幕内綾錦〇小野ヶ嶽(〃20)新十両での全勝優勝は珍しいので敢えて……。力士数激減で取組編成に苦慮したらしく、幕下下位で前日まで6勝1敗の相手で千穐楽。新十両で8戦全勝V

  • 106年前の相撲記事に雨+妾

    徳富蘇峰(文久三年生れ~昭和三二年歿)が創刊した『國民新聞』の大正七年五月十四日づけ相撲記事を転載してみたい。◆晴の勝負◆初日の好取組九州山に浦ノ濱九は例の通り左を當て體をすくめて押して出るのを浦心得て負けずに押して霎時互に押し合ふ……問題箇所は、「雨冠」+「妾」の漢字だ。そして「霎時」に「しばし」と云うルビがついているのである。非「教育的」漢字「妾」の上部が雨━手許の『角川漢和中辞典』にも載っていた。「霎」の訓読みは「こさめ」とあり、「霎時」の意味は「少しの間」と解説している。106年前の相撲記事に雨+妾

  • 12月→正月の改竄事例は…❔

    ※昨日の閲覧…536・訪問者…300トータル訪問者数1,143,292先ずは一般論だが、現行法では子供が誕生した場合、14日以内に「出生届」を出さねばならぬ。まぁ、人間のすることだから…生れた日づけを1~2日勘違いして間違えるケースもないとは云えまい。太陽暦で「満年齢」が当り前の現代では絶対あり得ないのが、旧暦で「数え」年だった頃は、意図的な誤魔化しも少なくなかったらしい。即ち、実際は旧十二月生れなのに、数えで年明け直後2歳になってしまうので、敢えて出生届を旧正月誕生にしたい“悪智慧”が働くみたい。昔の横綱力士を例にあげれば、幕末の安政二(1855)年旧正月三日生れの西ノ海(初代)だが、本当は前年十二月出生じゃぁないのか…❔12月→正月の改竄事例は…❔

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈 !

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)プラス名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真〔撮影年月不明〕は━。1、関脇・東京・出羽錦7cm×10.5cm2、関脇・福島・時津山8cm×12cm3、関脇・北海道・安念山仝4、小結・秋田・若ノ海7cm×10.5cm5、大関・熊本・栃光8cm×12cm御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、勝手乍ら力士写真のみ頒布はお断りします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈!

  • 名古屋で頑張った「7人衆」

    ※昨日の閲覧…899・訪問者…477トータル訪問者数1,142,992勝手に選抜した現代力士「7人衆」〔メンバーは夏…と同じ。〕の名古屋での土俵を総括しよう。西前頭六枚目〇王鵬9勝6敗「押し…」相撲で4勝したが、組んでも・離れても取れる“二刀流”をめざすの…?今年中の三役入りは、鳥渡ばかり微妙な感じ。西前頭十枚目〇翠富士8勝7敗「肩透し」を“封印”したみたいで評価したい。でも、元大関…からの不戦勝がなければ…?西十両四枚目●朝紅龍6勝9敗初日から4連勝したのに、その後4連敗・5連敗。「調子相撲」から脱却し、地力をつけねば入幕できまい。西幕下二枚目●北石番磨1勝6敗元幕内力士のプライドを捨てて、あと何年頑張れる…?序二段十六枚目〇翔傑5勝2敗十四日目、土俵際で「打棄り」を披露した。秋場所前には満48歳に━5...名古屋で頑張った「7人衆」

  • 相対的な星で新大関 大の里

    独断と偏見で…秋場所の三役番附「私製版」をこしらえてみた。横綱<該当力士なし>東大関大の里32勝13敗西大関琴櫻31勝14敗東関脇豊昇龍30勝13敗・2休西関脇阿炎27勝18敗東小結大栄翔25勝20敗西小結照ノ富士14勝10敗・21休数値は最近3場所の通算成績である。尚、貴景勝と霧島は、3場所トータルで「負越し」となる勘定だ。相対的な星で新大関大の里

  • 対三段目3勝では…

    ※昨日の閲覧…489・訪問者…317トータル訪問者数1,142,515昭和三年夏場所、東幕下三四枚目土佐ノ海〔後幕内土州山〕の星取表。〇城ヶ山(幕下35)〇関高山(三段目3)や〇沖ッ浪(三段目7)=後関脇沖ッ海〔誤記〕や〇揖保川(三段目17)や〇生汐(幕下31)=後十両や〇國見山(幕下32)や当場所の幕下優勝は、“飛行機出世”の後横綱武藏山で6戦全勝。上記、半数が三段目との対戦だから優勝でなくてよかったと思う。対三段目3勝では…

  • 幕下で9番も…

    昭和十六年春場所、東幕下筆頭緑松〔前場所新十両、後幕内緑國〕●高津山(幕下1)=後関脇〇達ノ里(十両15)や〇玉桜(幕下4)=後幕内玉櫻や●番神山(十両14)=元幕内や●浦ノ里(幕下8)〇鐘ヶ渕(十両15)やや●薬師山(幕下2)=元十両や●播州山(幕下9)●高田山(十両14)1日余分に取らされた事例をみつけた次第。幕下で9番も…

  • 野球<相撲

    ※昨日の閲覧…618・訪問者…338トータル訪問者数1,142,198平成十二年刊、出久根達郎氏著『漱石先生とスポーツ』より「相撲」の2字が入っている項目を列記してみたい━。相撲は芸術である/常陸山対太刀山/腰じゃ荒岩、力じゃ常陸体が弱いゆえ相撲に反感/末は大関、横綱西洋相撲双葉山税相撲レスリング対相撲相撲の力学腕相撲大体、以上のようなところ。次に「野球」の文字が入っている項も少なくない━。野球をベースと称した野球は上達するほど面白い野球漫談雨と野球本と野球とゴルフ“断酒”が遠因で、昭和十五年に急逝したM生命保険会社取締役兼作家の水上瀧太郎は、野球と相撲の両方を愛好し、どちらか一方を捨てて、一方を採るならば、野球を捨てて相撲を採る━と、少数派日本人だった。現代日本人の一部には、国技相撲を「野蛮な男たちの裸...野球<相撲

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入定価5,000円)+名力士モノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名さまに無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。写真〔撮影年月は不明〕の5力士━。1、関脇・出羽錦181cm・143kg2、関脇・時津山182cm・137kg3、関脇・安念山181cm・111kg4、小結・若ノ海169cm・114kg5、大関・栃光176cm・128kg数値は『…人物大事典』に拠る。撮影時の体重と若干相違していると思われる。〔当方が白黒TVでみた印象では、安念山の体重は120kg程度と思えてならない。〕御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 『國民新聞』相撲記事の取捨選択

    ※昨日の閲覧…724・訪問者…337トータル訪問者数1,141,860十月初旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第107号は、冒頭連載の「“時代”を超えた力士たち」が4頁、「江戸大相撲熱戦譜」が3頁━何れも原稿清書完了。〔但し、折込みは未完〕現在「大正期の新聞記事から」その第18回に鋭意とりかかっている。大正7年5月17日づけ『國民新聞』からの援用は、「▼茶氣を出した朝潮」と云う見出し記事を採りあげて…。もうひとつ「▼赤木君に伴られて漱石未亡人の見物」━「漱石」とは、文豪の夏目漱石のことだが、当該記事は、勝手ながら割愛しようと思っている。『國民新聞』相撲記事の取捨選択

  • 宇瑠寅VS炎鵬が幻と化した

    大相撲協会の現審判部も「杓子定規」的取組編成しかできないらしい。序二段下位乃至序ノ口で「5勝1敗」の4者の顔合せは次のように「好取組」実現可能だったのに、惜しい機会を逸した。序二段九五枚目宇瑠寅の対戦相手は序ノ口十三枚目炎鵬━とすれば、序ノ口十枚目の大雄翔の取組相手は序ノ口十一枚目の良ノ富士━で収まる。只、炎鵬にとっては大雄翔の方が寧ろ“難敵”かも知れない。【追記】大雄翔━良ノ富士は既に2番相撲で対戦していました。御免なさい。宇瑠寅VS炎鵬が幻と化した

  • 神風、幕下で7勝1敗

    ※昨日の閲覧…734・訪問者…371トータル訪問者数1,141,523昭和十五年春場所、東幕下三八枚目神風〔後関脇、当時20歳〕の星取表。〇駒ノ峰(幕下37)や〇北ノ浪(幕下39)や〇小田ノ山(幕下41)〇姫浦(〃34)や〇常陸海(幕下18)=後幕内や●若瀬川(幕下6)=後小結や〇吉森(幕下48格)や〇輝曻(三段目5)=後関脇輝昇や当場所の幕下優勝は8戦全勝の若瀬川で、全勝を逸した輝曻も三段目優勝と記録されている。神風、幕下で7勝1敗

  • 大関 三根山7━0小結 潮錦

    昭和戦後のパーフェクト記録。最高位は大関対小結である。①昭和二九年初場所八日目東張大関〇三根山(寄倒し)潮錦●東前頭二②同三十年初場所初日東大関〇三根山(寄切り)潮錦●西前頭三③同三一年春場所七日目西前頭六〇三根山(寄切り)潮錦●東前十二④同三一年秋場所三日目西前頭十〇三根山(寄切り)潮錦●東前十五⑤同三三年初場所七日目東前頭三●潮錦(寄切り)三根山〇東前頭八⑥同三四年春場所二日目西前頭七●潮錦(寄切り)三根山〇東前頭八⑦同三四年秋場所十日目東前頭五●潮錦(寄倒し)三根山〇東前頭九決り手から脳裡に浮ぶのは、ワンパターンの相撲だ。師匠時津風(双葉山)は忙しくて、弟子にアドバイスなんか出来なかった…?大関三根山7━0小結潮錦

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…613・訪問者…371トータル訪問者数1,141,152窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)+名力士の写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担願います。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士モノクロ写真は次のとおりです。1、出羽錦東京都出身、出羽海部屋。2、時津山福島県出身、立浪部屋3、安念山北海道出身、立浪部屋4、若ノ海秋田県出身、花籠部屋5、栃光熊本県出身、春日野部屋御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne....『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 惨憺たる見習横綱…

    拙作『相撲史発掘』第107号の4ページ下段に転載する相撲絵が決定した。大正五年春場所六日目の━西張出横綱●鳳(首投げ)綾川〇東小結画家は、鰭崎英朋である。この時点までのC級横綱鳳の成績を示す。大正四年夏場所(新横綱)〇〇●●やややややや〃五年春場所〇●〇●〇●即ち、5勝5敗・6休で、勝率5割ジャスト。横綱を免許されて1~2場所と云うのは、その力士として一番充実していなければならないはずだ。彦山光三が地力不足の栃ノ海について、「首投げ」や「小手投」ばかり喰うのは拙い━と発言してたのを忘れない。もし、鳳を吉田司家の主張どおり、横綱にしなければ、明治後期の荒岩の如く「名大関」として永く語り継がれていくことであろう。惨憺たる見習横綱…

  • 初日●で幕下V逸す後関脇…

    ※昨日の閲覧…623・訪問者…329トータル訪問者数1,140,781昭和十五年夏場所、東幕下二十枚目輝曻〔後関脇輝昇〕の星取表である。●野坂山(幕下21)「坂」は「沢」のミス?〇泰平山(〃20)や〇三徳川(幕下18)やや〇紀州山(幕下19)や〇飛竜洋(幕下24)〇北ノ浪(〃18)や〇玉桜(幕下26)=後幕内玉櫻やや〇浦ノ里(幕下37)当場所の幕下優勝は、後解説で一世を風靡した後関脇の神風だった。尚、浦ノ里が白星ならば彼が全勝優勝になるところ……。〔追記〕輝曻は、「関取試験」を経ず翌場所新十両となっている。初日●で幕下V逸す後関脇…

  • 漱石も太刀山が贔屓だった…?

    「現役世代」ならぬ「現金世代」なのに…未だに“新札”を手にしたことがない。そのなかで、千円札は北里柴三郎の肖像だったか。北里博士は好角家のひとりで、板垣退助伯爵らとともに、明治末期に東京大角力協會に対して「要望書」を提出している。そのなかには“ゆるふん”は駄目だとの一項も。やっと2,000円ほどの支払いを終えた新刊『相撲の力学』━劈頭のタイトルは「夏目漱石が贔屓にした太刀山」とある。上記の板垣伯爵が太刀山の大後援者であった。それで「無気力」相撲を取るなとの苦言も呈したらしい。『相撲の力学』の一節より抜萃してみたい。文豪夏目漱石はその太刀山を贔屓にしていました。〔中略〕鳴り物入りで入門したものの下半身が硬いことに加え胃腸で中々太れず苦労した太刀山に、生涯胃腸に悩まされた漱石が「同病相憐れむ」感情を抱いたため...漱石も太刀山が贔屓だった…?

  • 炎鵬VS宇瑠寅の実現性UP ❔

    ※昨日の閲覧…728・訪問者…380トータル訪問者数1,140,452ひょっとしたら…この名古屋の猛暑の所為もあるかも知れない━超軽量力士、宇瑠寅〔序二段九五枚目〕の3連勝だ。序ノ口十三枚目まで転落した元幕内炎鵬と“同成績”なのだから、直近地位に拘泥せず、序二段取組の“目玉”として是非とも対戦させて下さい。120~130kg超の重量級を何番も翻弄の末、投飛ばし倒した体験をもつ宇瑠寅である。炎鵬との取組は土俵狭しと暴れ相撲になるのは必至と愚考したい。炎鵬VS宇瑠寅の実現性UP❔

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真〔撮影年月は不明〕は次のとおりです。1、出羽錦忠雄。最高位は関脇初土俵、昭和十五年夏序ノ口、同十七年春新十両、同二十一年秋新入幕、同二十二年秋新小結、同二十五年夏新関脇、同三十一年夏昭和三九年秋場所後引退、年寄田子ノ浦。2、時津山仁一〔純一〕最高位関脇初土俵、昭和十五年夏序ノ口、同十八年春新十両、同二十二年夏新入幕、同二十四年夏新小結、同二十七年春新関脇、同二十九年初昭和三六年春場所前引退、年寄押尾川。3、安念山治。最高位関脇初土俵...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 後関脇…、三段目で7勝1敗

    ※昨日の閲覧…832・訪問者…471トータル訪問者数1,140,072昭和二八年春場所、西三段目三二枚目岡本〔後関脇岩風〕の星取表である。〇清見﨑(三段目33)や〇生駒山(三段目34)や〇栃ノ山(三段目34)や〇鳴門泻(三段目30)〇若ノ里(〃13)や●秋葉(三段目22)やや〇常若(三段目28)=後幕内福田山幸右エ門〇柏の(〃24)や当場所の三段目優勝は、上位の瓊ノ花〔非関取〕で、同点決勝は行われていない。尚、当時横綱千代の山以外で醜名に「の」がついてるものは非常に珍しかった。後関脇…、三段目で7勝1敗

  • 夢の好取組❔ 炎鵬━宇瑠寅

    地位で僅かに17枚離れているけれども、3番相撲まで終った時点で両力士とも“相星”の2勝1敗。序二段の宇瑠寅と、序ノ口の炎鵬である。4番相撲の中日は、両者とも直近の同成績力士と対戦が決っている。宇瑠寅が今のところ「絶好調」みたいな感じなので3勝めをあげたら、協会も鳥渡ばかり「好取組」の“目玉”として、あまり地位に拘泥せず、割を組んで慾しい。勿論、宇瑠寅が2敗めを喫したら、これは幻の「夢の好取組」に終ります。夢の好取組❔炎鵬━宇瑠寅

  • 大関 九州山3〔1預り〕0関脇 大鳴門

    ※昨日の閲覧…438・訪問者…308トータル訪問者数1,139,601大正本場所における苦手と“鴨”のカード。最高位は大関対関脇である。①大正四年夏場所三日目西前頭四△大鳴門━九州山△東前十五②同六年夏場所七日目西小結〇九州山━大鳴門●東前頭二③同八年春場所七日目東大関〇九州山━大鳴門●西前頭五④同九年夏場所五日目東前頭四●大鳴門━九州山〇西前十二九州山も「弱い大関」の部類だが、幕内勝率が6割台なんだ。大鳴門(←司天竜)を“鴨”にしてたんだし、大関在位中のみの成績で評価はできない。大関九州山3〔1預り〕0関脇大鳴門

  • 107号 冒頭連載記事 脱稿

    拙作『相撲史発掘』第107号の冒頭連載記事「“時代”を超えた力士たち」━明治→大正篇④が一応脱稿した。横綱・千葉・鳳谷五郎94年ぶり復活した鳳…本文35行前二・香川・八嶋山平八郎勝越しは1場所だけの…本文13行関脇・富山・黒瀬川浪之助関脇・小結を各2場所の…本文23行小結・山形・小錦八十吉小結1場所だけの2代め…本文19行関脇・滋賀・大鳴門灘右エ門小結→十両→再入幕→関脇本文23行前四・福井・梅ノ花市五郎横綱に挑戦しなかった…本文15行以上、4頁の上段まで━原稿清書はワープロならば比較的早いのだが…。4頁下段は、写真で埋める予定。107号冒頭連載記事脱稿

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…876・訪問者…515トータル訪問者数1,139,293窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)及び名力士モノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真〔撮影年月は不明〕は次のとおりです。1、出羽錦本場所土俵上で「蹲踞」の姿勢2、時津山“山稽古”で相手に胸を出す構え3、安念山取組前、呼出しの前で体を拭く4、若ノ海支度部屋で笑顔のリラックス…5、栃光出陣前、鉄砲柱に向って……。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。尚、写真のみの御希望には応じられま...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 初日・楽日に黒星の後関脇…

    昭和十七年夏場所、東幕下二八枚目羽島山〔後関脇羽嶋山〕の星取表。●竜錦(幕下28)〇清水井(〃29)や〇藤錦(幕下30)=後幕内や〇矢留石(幕下30)=後幕内大蛇泻金作や〇前ノ山(幕下32)=後幕内やや〇戦山(幕下26)や〇新川(幕下23)=後十両や●御殿山(幕下37)この羽嶋山は新入幕が戦前、戦後の再入幕力士なので、「戦後新入幕力士物語」の対象外━戦後も長く活躍している。初日・楽日に黒星の後関脇…

  • 勝川春朗→葛飾北斎

    ※昨日の閲覧…413・訪問者…313トータル訪問者数1,138,778江戸中期以降、明治初・中期頃までに活躍した「浮世絵師」たるもの━都合何人に達するのであろうか。そのなかでも、葛飾北斎は活躍期間も長く一流の方であろう。最近まで認識していなかったのは、この北斎の前身が「勝川春朗」であったことだ。その「春朗画」となっている相撲絵を知っていたが、葛飾北斎と名乗ってからも相撲絵を制作していた。最新刊『相撲の力学』23頁に『北斎漫画』の「横綱谷風梶之助」が載っている。但し、顔の容貌として谷風にてんで肖像画として似ても似つかない感じ━“漫画”だから致し方ないのか。勝川春朗→葛飾北斎

  • 浅学・菲才の身で難しい…

    元高齢力士の松田哲博氏著『相撲の力学』を落手した。但し、“後払い”のため未決済。氏は大学の理学部物理学科卒だから頭脳明晰。34年前の『相撲史発掘』第5号へ拙稿「著名作家の相撲観」⑧で「寺田寅彦(明11~昭10)の巻」は、明治四一年発表の「相撲と力學」や、昭和十年発表の「相撲」を採りあげた。文・理両道に実績を残した寺田寅彦の言葉「災害は忘れた頃にやってくる」━平成以降の日本は「災害列島」の感があると思わざるを得ない。彦山光三が皇紀二千六百年に上梓した『相撲道綜鑑』にも「實技演練篇」のなかに「相撲技の力學的考察」と云う項目がある。一、「力」と重心の移行二、「力」の作用と運營三、利手・利足と上下體の平均矢張り、頭のなかで考えるよりも、身体そのものが「覚える」方が理解しやすいと云う気がする。浅学・菲才の身で難しい…

  • 8年間で10kgも“増量”の駄目大関

    ※昨日の閲覧…382・訪問者…264トータル訪問者数1,138,465「令和の駄目大関」と揶揄したくなる“角番常習”者、貴景勝は『相撲』最新号に拠れば、175cm・165kgと記載。そこで同誌旧号━新十両当時、8年前は如何だったか、鳥渡ばかり調べてみた。〔尚、当時「貴乃花部屋」所属だった。〕身長はまったく変らず、体重は155kgとなっていた。即ち、8年間で10kgも“増量”したことになるわけだ。矢張り、栄養過多と稽古不足の“たたり”であろう。短躯・肥満型とは云っても150kgが限度と思うのだ。元師匠の貴乃花も、曙や武蔵丸とか小錦の布哇出身重量級と対抗するため“増量”を画策、そのため相撲技術が単純化したり・自身も怪我のリスクが高まった点を否定しようがあるまい。8年間で10kgも“増量”の駄目大関

  • 昭和26秋~28春の6場所だ

    拙稿「古今平幕最優秀力士星取表」(37)の中身が確定した。昭和26年9月11勝4敗西前頭8枚目時津山仁一東前頭12枚目廣瀬川宗之助昭和27年1月12勝3敗西前頭8枚目輝昇勝彦昭和27年5月12勝3敗東前頭10枚目清水川光男西前頭19枚目大岩山金次昭和27年9月11勝4敗西前頭6枚目琴ヶ濵貞雄東前頭21枚目五ッ洋義一昭和28年1月13勝2敗東前頭9枚目玉ノ海朝弘昭和28年3月11勝4敗東前頭2枚目清水川明於東前頭13枚目潮錦義秋丁度、1頁の余白一杯に収まる。昭和26秋~28春の6場所だ

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数1,138,201窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真は次のとおりであります。1、出羽錦忠雄7cm×10.5cm2、時津山仁一8cm×12cm3、安念山治仝4、若ノ海正照7cm×10.5cm5、栃光正之8cm×12cm御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで…お気軽に。尚、勝...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 小結戦の白星が唯一の殊勲…

    「元少年力士」の梅ノ花市五郎は、個人別星取表掲載資料が平幕止りのため殆んど存在しないであろう。なので我国最高の相撲文献『日本相撲史』で入幕直前場所および在幕の10場所の星を調べてみた。彼、梅ノ花は横綱との対戦が皆無だった。〔但し、最高位が横綱力士と云う意味に非ず、対戦当時の相手の地位に限っての話である。〕そこで彼が対戦した三役のみを列記してみる。明治四三年春四日目〇小結朝嵐〃四五年夏六日目●小結大ノ川八日目●大関駒ヶ嶽千穐楽●大関西ノ海尚、対戦時が関脇との取組も全然なかった。彼の最高位は、大正二年夏場所の東前頭四枚目だが、初日~千穐楽を休場してしまったのも要因で横綱や関脇との対戦がなかったものと思われる。小結戦の白星が唯一の殊勲…

  • 鳳から梅ノ花まで6力士

    ※昨日の閲覧…419・訪問者…291トータル訪問者数1137980拙作&私家版『相撲史発掘』の冒頭連載記事「“時代”を超えた力士たち」<明治→大正篇>は、当初予定どおりタイトル・見出しを含んで本文3ページ半を近日中に脱稿する所存であります。C級横綱、鳳(おおとり)谷五郎…二枚目、八嶋山平八郎関脇、黒瀬川浪之助小結、小錦八十吉(←山泉)関脇、大鳴門灘右エ門(←司天竜)以上、5力士の執筆が一応終って、本日から前頭四枚目を最高位とする梅ノ花市五郎を俎上に載せる。鳳から梅ノ花まで6力士

  • 61年前の三宅氏記事を…

    世界的な「衝撃事件」発生で、61年前の『大相撲』(読売新聞社刊)記事を想い出した。執筆者は故三宅充氏でタイトル「大相撲界反省のとき」(九州…決算号)〔前略〕初日の前日に大牟田と鶴見で大惨事があったのを皮切りに、衆院選挙、ケネディ暗殺事件とつづき、相撲界でも八百長問題あり、河豚中毒事件ありで、内に外に問題が多かったが、大相撲界にとってもっとも肝腎な土俵内容がまた大荒れに荒れっぱなしのまま幕がおりた。〔後略〕大牟田の惨事とは、三池炭鉱の爆発事故。八百長問題とは、後都知事兼作家が柏・鵬の全勝決戦を相撲協会の“工作”と決めつけ、告訴さわぎに発展…。扨て、「全米ライフル協会」からの献金をこの度の暗殺未遂事件をうけた共和党は、今後一切“腐れ縁”紛いなので転換して、「銃規制」を本格化させる方針を明言すべし。もとよりアメ...61年前の三宅氏記事を…

  • 千穐楽、幕内1━6十両

    ※昨日の閲覧…959・訪問者…445トータル訪問者数1,137,689昭和十一年春場所千穐楽(十一日目)幕内VS十両7番が記録されている。東前十六〇射水川(寄切り)加古川●十両3西前十五●綾錦(上手投)星甲〇〃3東前十四●三熊山(寄切り)太刀若〇〃2西前十三●防長山(仝)照錦〇〃4東前十三●九州山(吊出し)天城山〇〃1西前十二●大八洲(肩透し)大浪〇〃2東前十二●桂川(浴せ倒し)綾若〇〃5当時、幕尻と“貧乏神”との「実力差」は“紙一重”だったみたい…。千穐楽、幕内1━6十両

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)ならびに名力士写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士のモノクロ写真は次の通りです。1、出羽錦身長181cm、体重143kg2、時津山身長182cm、体重137kg3、安念山身長181cm、体重111kg4、若ノ海身長169cm、体重114kg5、栃光身長176cm、体重128kg尚、力士の体重は“変動”があるはずで、当該写真撮影時のそれは必ずしも一致しないと思われる。〔私見では、若ノ海よりも安念山の方が“重量感”があった印象をもっている。〕御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りい...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 関取1場所の郷錦

    ※昨日までのトータル訪問者数1,137,244どうも面目も・なにも御座いません。調査不足でした。S氏から頂戴した資料に、「郷錦廣次」の序ノ口以来星取表がありました。彼も“広義”の戦争被害者━昭和十四年夏から翌年夏まで「応召」━土俵へ上れませんでした。そのブランクがなければ同十六年夏の十両成績、3勝12敗で幕下陥落、その後一時「轟山」と改名するも、再十両昇進は成りませんでした。尚、彼は「新入幕優勝」の両國━武隈と同郷で直弟子だった。昭和二十年秋、廃業後の消息は不明となっている。関取1場所の郷錦

  • 初日●が惜しかった

    昭和十九年春、東幕下三一枚目國登〔後小結=改名歴なし〕の星。●藤錦(幕下29)=後幕内〇清惠波(〃32)=後幕内や〇川﨑(幕下36)〔後十両泉州山とは別人〕や〇岩頭(幕下36)や〇石川(幕下40)やや〇郷錦(幕下35)や〇咸陽山(幕下29)=後十両智異ノ山や〇鉾錦(幕下30)=後小結清水川参考資料は「略歴星取表」ではないので、例えば郷錦は幕下止りなのか?尚、当場所の幕下優勝は巨漢不動岩。初日●が惜しかった

  • 元幕内炎鵬、「序ノ口V」は可能❔

    ※昨日までのトータル訪問者数1,137,017軽量級人気力士、元幕内の炎鵬が名古屋…の土俵から復帰するらしい。→十両→幕下→三段目→序二段→…5段階の落武者で矢張り「相撲勘」が心配・懸念される。本音を云えば、「序ノ口7戦全勝」をめざして慾しいが…。もし、仮に初日或いは二日目の「1番相撲」が「惜敗」なんて羽目になった場合、「自信喪失」になりはせぬか━杞憂している。因みに、現炎鵬は「年寄襲名」の有資格者じゃぁなく、土俵と訣別なら角界とも“縁”をきらねばならぬ運命と思える。元幕内炎鵬、「序ノ口V」は可能❔

  • 93年前、楽日 幕内6━1十両

    昭和六年三月〔於京都〕場所千穐楽(十一日目)の入れ替え戦。西前十六〇常盤野(下手投)池田川●十両6東前十四〇鏡岩(押出し)高ノ花●〃2西前十五〇大嶋(引落し)高登●〃8東前十三〇吉野山(吊出し)綾若●〃1〃前十二〇若瀬川(打棄り)大和錦●〃3西前十一●伊勢ノ濵(突出し)錦華山〇〃8〃前頭九〇肥州山(吊出し)大潮●〃4幕内力士からみると平幕“一桁”が……。一方、十両の東・西八枚目が幕内に挑戦。93年前、楽日幕内6━1十両

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…516・訪問者…319トータル訪問者数1,136,779窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は次のとおりであります。1、出羽錦忠雄昭和22年入幕~39年引退。2、時津山仁一〃24年入幕~36年引退。3、安念山治〃29年入幕~40年引退。4、若ノ海正照〃30年入幕~38年引退。5、栃光正之〃30年入幕~41年引退。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 平幕Vを逸した元関脇 輝昇

    昭和二七年春場所、西前頭八枚目輝昇〔元関脇〕の星取表である。ここでは決り手を省略して、相手の前日までの勝・敗を調べてみた。〇國登(前頭九)━━━〇鳴門海(同八)1勝。〇琴ヶ濵(同九)1勝1敗〇清惠波(同五)3勝。〇不動岩(同十)2勝2敗〇米川(同十三)4勝1敗。=後横綱A〇羽嶋山(同四)3勝3敗〇吉井山(同十七)6勝1敗〇松登(同七)5勝3敗〇常ノ山(同六)7勝2敗〇潮錦(同十五)6勝4敗●琴錦(東小結)4勝7敗●栃錦(東張関脇)7勝5敗●鏡里(東大関)10勝3敗〇出羽錦(前頭五)10勝4敗翌二八年夏、前頭六枚目で時津山が全勝優勝したとき、三役戦は小結出羽錦だけ。矢張り当時「取締」(理事長を含む)の弟子は番附も・取組編成も“有利”に扱われる。平幕Vを逸した元関脇輝昇

  • 「関取試験」的取組なしで…

    ※昨日の閲覧…652・訪問者…348トータル訪問者数1,136,460去る夏場所幕下V藤青雲の星取表。〇矢後(幕下12)=元十両や〇日翔志(幕下13)やや〇聖富士(幕下14)や〇出羽ノ龍(幕下18)〇大辻(〃7)や〇風の湖(幕下32)や〇草野(幕下60格)や藤青雲自身より“上位”相手だったのは5番相撲だけで、あとは下位力士ばかり━「関取試験」に相当する取組はなかった。7番相撲は、十両下位の幕下陥落〔未確定〕候補者と対戦させるべきだ。「関取試験」的取組なしで…

  • 初の15日制で…

    「15日間」制本場所の嚆矢、昭和十四年夏、西三段目五七枚目諏訪登〔後幕内信州山〕の星取表である。●今錦(三段目58)●山中(〃58)や〇荒船山(三段目45)や〇橋詰(三段目44)やや●谷口(三段目57)や●東洋(序二段4)〇西ノ宮(三段目43)や〇紀勢山(序二段1)残念ながら対戦相手力士に後の関取はいないみたい…。初の15日制で…

  • 昭和5夏 2日目幕内対十両戦7番

    ※昨日の閲覧…1,123・訪問者…350トータル訪問者数1,136,112昭和五年夏場所二日目の幕内VS十両。東前十四〇綾ノ浪(極倒し)潮ヶ濵●十両4〃前十三〇若常陸(叩込み)晴ノ海●〃4〃前十二●藤ノ里(上手投)池田川〇〃2西前十二〇若瀬川(寄出し)伊勢ノ濵●〃2東前十一●荒熊(〃)肥州山〇〃3西前十一〇剱岳(打棄り)駒錦●〃3東前頭十●常陸嶽(浴せ倒し)沖ッ海〇〃1当時は「東西対抗」制度で、出羽海部屋所属力士が多数派のため取組編成のスタンスが現代とはまるっきり違うけれども…。昭和5夏2日目幕内対十両戦7番

  • 『日本相撲大鑑』と5力士写真進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本の保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は、プロのカメラマン撮影に非ず、素人が撮ったものと思えますが、撮影年月は全然わかりません。1、出羽錦東京出身、出羽海部屋、最高位関脇。2、時津山福島出身、立浪部屋、最高位関脇。3、安念山北海道出身、立浪部屋、最高位関脇。4、若ノ海秋田出身、花籠部屋、最高位小結。5、栃光熊本出身、春日野部屋、最高位大関。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて御送付いたします。〒852-8113長...『日本相撲大鑑』と5力士写真進呈

  • 宇瑠寅、2.7倍の重量級を翻弄 !

    ※昨日の閲覧…2,420・訪問者…264トータル訪問者数1,135,762去る夏場所、最軽量力士の宇瑠寅は2勝5敗と、負越したけれど、序ノ口陥落を免れている。その十日目、2勝めの相手、京の里━『相撲』誌の略歴星取表に拠れば、身長185cmで体重が165.6kgとある。宇瑠寅は61.3kgなので、凡そ自身の2.7倍の重量級を翻弄したことになる。「小よく大を制す」の大相撲の醍醐味を観客は味わったはずだ。宇瑠寅、2.7倍の重量級を翻弄!

  • 昭和15夏 初土俵、10名が入幕

    さきに採りあげた力道山対出羽錦だが、実は両力士は昭和十五年夏場所の初土俵なので「同期生」と云うわけだ。この昭和十五年夏の初土俵組には、大ものがすくなくない。小結・清水川光男→明於小結・國登國生関脇・時津山仁一(純一)関脇・信夫山治貞幕内・若嵐武〃・平ノ戸千代藏幕内・出羽湊秀一〃・福ノ里牛之助昭和15夏初土俵、10名が入幕

  • 『相撲』最新号の大ポカだ !

    ※昨日の閲覧…1,618・訪問者…311トータル訪問者数1,135,498日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』の表紙には、3月号「春場所本物新番付」5月号「夏場所本物新番付」と誰にも目立つように赤丸で表示していたのに、今度の最新号には全然それがない。唯、35頁「目次」の上部中央に「…付録名古屋場所本物新番付」と記載しているだけだ。はっきり云ってしまえば、表紙の「大の里」顔の右側に表示するのをうっかり忘れちゃった編集部のミス。“失態”を演じた場合、誰だってその“責任”をとりたくない風潮が…Bマガジン社に限った話じゃぁないね。『相撲』最新号の大ポカだ!

  • 幕内8力士と対戦した“貧乏神”…

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」の「明治→大正篇」④は、横…鳳・八嶋山・関…黒瀬川の記述が終り〔但し、爾後編輯の過程で自ら“添削”するかも知れぬ〕現在、山泉改め小錦を鋭意執筆中である。この2代め小錦の入幕直前“貧乏神”での珍・怪記録を御紹介したい。明治四二年春場所、東十両筆頭山泉●藤見嶽(西前十四)〇有村(東前十五)〇立川(西〃)●男嶋(東前十五格)〇鬼竜山(西前十一)や〔東前12両國に休まれる?〕〇神﨑(東前十三)●大ノ川(東前十一)〇大緑(東前頭十)△小櫻(十両2)当時、十両以下は現行「部屋別」総当り制と殆んど変らないので、対戦相手は東・西に関係なく取組が編成されていた。幕内8力士と対戦した“貧乏神”…

  • 『日本相撲大鑑』+力士写真5枚 進呈

    ※昨日の閲覧…562・訪問者…312トータル訪問者数1,135,187窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。力士写真は次のとおりで、撮影年月はわかりません。1、出羽錦忠雄7cm×10.5cm2、時津山仁一8cm×12cm3、安念山治仝4、若ノ海正照7cm×10.5cm5、栃光正之8cm×12cm御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて御送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@...『日本相撲大鑑』+力士写真5枚進呈

  • 改名表示を欠く217年前の番附

    この度、文化四(1807)年春場所の番附〔複写版〕を落手したので…。東ノ方大関丸亀平石七太夫関脇江戸柏戸宗五郎小結久留米荒馬源弥前頭庄内春日山鹿右エ門前頭仙臺大木戸森之助前頭久留米揚羽空右エ門前頭秋田四ツ車大八前頭白川音羽山峯右エ門前頭江戸滝ノ音礒右エ門前頭越中淺香山吉五郎西ノ方大関雲州雷電爲右エ門関脇同玉垣額之助小結南部二所ノ関軍右エ門前頭雲州鳴滝文太夫前頭同関ノ戸澤右エ門前頭因州千田川善太郎前頭同山颪源吾前頭同眞靏政吉前頭同桟シ初五郎前頭南部階玉右エ門原「番附」には、「佐渡嶽改」とか「滝ノ上改」のような“改名表示”が全然ないのである。改名表示を欠く217年前の番附

  • 関脇 力道山3━1後関脇 出羽錦

    ※昨日の閲覧…470・訪問者…294トータル訪問者数1,134,875昭和戦後の好取組とその結果。最高位は両力士とも関脇だったが…。①昭和二三年秋場所五日目東小結〇力道山(外掛け)出羽錦●西前頭二②同二四年秋場所十三日目西前頭二〇力道山(寄倒し)出羽錦●東前頭三③同二五年春場所四日目西小結●力道山(寄切り)出羽錦〇東前頭筆頭④同二五年夏場所十四日目西関脇〇力道山(肩透し)出羽錦●西小結力道山が大正十三年十一月…、出羽錦が翌十四年七月…の出生だから、力道山の突如廃業がなければ、すくなくとも10回は対戦しているはず。関脇力道山3━1後関脇出羽錦

  • 3年前から旧号が在ります

    拙作&私家版『相撲史発掘』のバックナンバーを御紹介いたします。第97号(令和三年六月)〇改名の嫌いな力士たち●天保十一年春場所〇明治・大正の新聞記事から●横綱稲妻相手地位つき星取表〇愛媛県出身入幕力士一覧第98号(令和三年十月)●全勝力士が消えた星〇天保十一年冬場所●明治・大正の新聞記事から〇昭和二十年代の軽量力士●高知県出身入幕力士一覧◎以上、残部僅少!第99号(令和四年二月)〇全勝力士が消えた星●天保十二年春場所〇明治・大正の新聞記事から●昭和二十年代の重量力士〇島根県出身入幕力士一覧創刊100号記念号(令和四年六月)●日本國技の洋風化について〇天保十二年冬場所●大正期の新聞記事から【改題】〇場所中改名物語●徳島県出身入幕力士一覧第101号(令和四年十月)〇“時代”を超えた力士たち●天保十三年春場所〇...3年前から旧号が在ります

  • 規則 正しい配列…?

    ※昨日の閲覧…486・訪問者…290トータル訪問者数1,134,581昭和三二年初場所、西序ノ口十五枚目若い國〔後大関清國〕の星取表である。〇守谷(序ノ口14)〇山野辺(〃16)やや●佐賀ノ海(序ノ口11)や●鹿嶋(序ノ口17)〇佐藤山(〃16)や〇尾川(序ノ口9)や●酒田山(序ノ口18)やや●渡ノ辺(序ノ口8)五分の星だが、「〇〇●●〇〇…」みたいに“規則正しい配列”は左程多くあるまい。尚、清國の本姓は「佐藤」で、当時理事長出羽海の本姓は「山野邉」であった。追記。当時の『相撲』「…全力士略歴星取表」の見出しには「若ノ国」と間違っていた。規則正しい配列…?

  • 『日本相撲大鑑』+5力士写真 進呈

    窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに5力士のモノクロ写真を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担願います。古本の保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。写真5枚の内容は1、出羽錦忠雄昭和22入幕、同39引退2、時津山仁一〃24入幕、同36引退3、安念山治〃29入幕、同40引退4、若ノ海正照〃30入幕、同38引退5、栃光正之〃30入幕、同41引退最高位は栃光が大関、若ノ海が小結、他の3力士は関脇。御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にてご送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@ybb.ne.jpまで...『日本相撲大鑑』+5力士写真進呈

  • 付録「新番附」なければ購読中止

    ※昨日の閲覧…447・訪問者…296トータル訪問者数1,134,291明日都内で発売の日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』の表紙をHP画像でみると、「名古屋…本物新番付」の記載がないみたい。万一、新「番附」添付がなかった場合は本号から購読を一切中止することにしたい。…のみならず、ベースボール・マガジン社の出版物も一切購入いたしません。付録「新番附」なければ購読中止

  • 彦山自跋に「蹴飛ばし」…

    超剛横綱力士太刀山の決り手附星取表において「つきとばし」なる“珍手”は、老眼の身に小文字で記入されて…ずっと気がつかなかった。それで彦山光三の名著『橫綱傳』の「自跋」から想い出した一節をどうぞ読んで…。〔前略〕私は生きてゐるうちに私を蹴とばし・蹈みにじり・乗りこえてゆく俊英があまたあらはれることを切念してやまない。勿論私自身そのあまたのなかの一人であることをさまたげないつもり。ちと残念だったね。「突き飛ばし」ならぬ「蹴飛ばし」と表現していた。尚、明治四十四年当時の相撲記者の“主観”で考案した決り手の名称を当時18歳の彦山翁も想定外だったにちがいあるまい。彦山自跋に「蹴飛ばし」…

  • 元幕内 炎鵬、序ノ口へ陥落

    ※昨日の閲覧…409・訪問者…286トータル訪問者数1,133,728遂に、元幕内の人気力士炎鵬が序ノ口まで陥落してしまった。序二段までの“落武者”元幕内力士ならば、明治以降も数人存在したけれど、序ノ口まで陥落したものは鳥渡ばかり記憶にない。去る夏場所、超軽量力士の宇瑠寅が序二段八二枚目、炎鵬が同百枚目だったが、前者が序二段に残留したのに、連休の炎鵬は番附の最下段まで落っこちてしまった。もう7~8場所欠場が続いて、「相撲勘」を取戻すのは不可能と思ってしまう……。元幕内炎鵬、序ノ口へ陥落

  • 彦山翁も吃驚の「突き飛し」…!

    彦山光三が昭和三十八年に発表した「相撲技百七十五手絵とき」に採りあげられてない“珍手”を発見〔❔〕した。113年前の明治四十四年春場所五日目の西大関〇太刀山━東前頭二枚目●八嶋山の決り手は「つきとばし」で漢字表記ならば「突き飛ばし」である。当初、「つきはなし」の誤謬かと思いきや、複数の資料で「…とばし」と記載されている。昭和五五年、講談社刊『国技大相撲の100傑』収載星取表。その6年後に出た読売新聞社刊『古今横綱大事典』収載星取表もまったく同様だった。尚、彦山翁は大砲から栃ノ海までの〔大阪系を除く〕横綱力士の手数入(でずいり)をみてきた━と、書いているが、太刀山の本場所における相撲は殆んどみていなかったんじゃぁなかろうか。彦山翁も吃驚の「突き飛し」…!

  • 『日本相撲大鑑』+力士写真 進呈

    ※昨日の閲覧…409・訪問者…286トータル訪問者数1,133,728窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)並びに昭和戦後の名力士モノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士を入幕順に列記。1、出羽錦忠雄土俵上で蹲踞の姿勢。2、時津山仁一山稽古で受身の姿勢。3、安念山治取組前に体を拭く…。4、若ノ海正照支度部屋で笑顔の表情5、栃光正之鉄砲柱に向って…御希望の方は520円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて御送付いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa10...『日本相撲大鑑』+力士写真進呈

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