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相撲史に関心・興味のある方どうぞ https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948

江戸勧進相撲以来の相撲史を中心に関聯事項 に対する私見・愚考を発表しています。

 去る十月、訪問者数が延べ30万人を 突破いたしました。

相撲史研究者・田中 健
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住所
長崎市
出身
長崎市
ブログ村参加

2015/12/21

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  • 照 國10━1前田山

    昭和中期の好取組とその結果。最高地位は敢えて記載しない…。①昭和十五年春場所三日目西大関●前田山(寄倒し)照國〇東前頭二②同十五年夏場所千穐楽西大関●前田山(下手投)照國〇東張関脇③同十六年春場所千穐楽東張出大関●前田山(外掛け)照國〇西関脇④同十六年夏場所十三日目東張出大関〇前田山(寄切り)照國●西関脇⑤同十七年夏場所千穐楽東大関●前田山(押倒し)照國〇西張大関⑥同十八年春場所十一日目東張横綱〇照國(浴せ倒し)前田山●西大関⑦同十八年夏場所十一日目西横綱兼大関〇照國(寄倒し)前田山●西大関⑧同十九年春場所十三日目東横綱兼大関〇照國(吊出し)前田山●西大関⑨同十九年夏場所六日目西横綱兼大関〇照國(鯖折り)前田山●東大関⑩同二二年秋場所九日目西横綱〇照國(吊出し)前田山●西張出横綱⑪同二四年夏場所十二日目東...照國10━1前田山

  • 幕下戦たったの1番

    ※昨日の閲覧…732・訪問者…378トータル訪問者数1,233,424昭和二二年夏〔六月〕東十両十三枚目立田野〔元幕内〕の星取表である。●髙潮(十両15)●大蛇泻(〃13)=後幕内●照ノ海(〃9)●那智ノ山(〃12)=後幕内●八幡野(〃5)●泉州山(〃10)●竹旺山(〃3)=後幕内●宮城海(〃7)=後幕内●八劔(〃8)=後幕内二瀬山●朝見山(幕下1)=前十両十両どん尻から3枚めだから、もっと幕下との対戦が組めるはず。幕下戦たったの1番

  • 103年前、三段目に 狼 が出現

    1字名の狼(おおかみ)が突如として姿を現すのは大正十一年春場所である。西方三段目二一枚目の星取表●稲穗山(三段目30)や〇藝州山(三段目3)や〇筑波嶽(三段目21)や●洋ノ花(三段目16)=後幕内伊勢ノ濵や〇築堰川(三段目32)や翌場所は幕下に昇進、東四六枚目の最下位だった。103年前、三段目に狼が出現

  • 非「認知症」の記憶力減退…!

    ※昨日の閲覧…665・訪問者…325トータル訪問者数1,233,046言い訳になるが高齢者の「記憶力減退」は不可避であろう…。昔の記憶そのものが喪失することは殆んどないけれど、最近の出来事の方は忘れっぽくなる。但し、「認知症予備軍」とは無関係━例えば、朝飯を食べたか・否かの記憶喪失はその“前兆”だが、何を口に入れたのかは、単なる「物忘れ」〔吾輩の場合、朝は毎日同じメニューなので、忘れる筈がないのさ。〕元幕内の人気力士、炎鵬が春場所既に「幕下」三十枚目まで再昇進していたのは前稿「7人衆…」のなかで充分認識してたはずなのに、不足気味の“脳味噌”は、「三段目上位」の侭だった。誠に、赤面・汗顔の至りであります。非「認知症」の記憶力減退…!

  • 炎鵬「7戦全勝」並みの昇進?!

    大相撲における「番附」編成の基準なるものは、“変動相場制”と云うほかない。一応、鳥渡ばかり参考のために書いておくと、勝越し1点につき1枚昇進し、負越し3点ならば3枚降下━これも平幕や十両に限られた話。幕下以下ならば、4勝3敗でたった1枚しか昇進しない━なんてことは絶対ない。この度、元幕内の炎鵬が幕下の十枚目まで大幅にUPしたのは、想定外だった。はっきり云ってしまえば、仮に7戦全勝の場合だって幕下“ひと桁”の五枚目以内に据えられるとは思われない。去る初場所、某力士は三段目の五枚目で6勝1敗の星で幕下の三一枚目までしか上っていなかった。炎鵬「7戦全勝」並みの昇進?!

  • 『日本相撲大鑑』プラスα 進呈

    ※昨日の閲覧…672・訪問者…348トータル訪問者数1,232,721窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)および名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、全て入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇・出羽錦忠雄。2、関脇・時津山仁一。3、関脇・安念山治。4、小結・若ノ海正照。5、大関・栃光正之。勝手ながら力士写真のみの御希望には応じられませんので、悪しからず御諒承ください。御希望の方は、600円分の切手を同封のうえ下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8...『日本相撲大鑑』プラスα進呈

  • 炎鵬の夏は幕下25~30枚目か

    嘗て廃刊した『大相撲』誌へS氏(故人)が「なんでGWを無視する?」と、夏場所の開幕日が“連休明け”になるのに対して、いちゃもんをつけていた。でも、「価値観」が多様化しレジャーやスポーツ等々の娯楽が豊富になっている現代では、連休期間中に「本場所」をもってきたって、あまり観客増加にはむすびつくまい。相撲なんかより面白い対象は無限に存在するのだから……。そのGW期間中の明朝、新番附が発表される。注目は幕下へ再昇進の元幕内炎鵬の地位・枚数だ。春に7戦全勝だったら幕下“一桁”が確実視されるが、6勝1敗なので、二桁の二五~三十枚目あたりじゃぁないか。もう、本年中の「再入幕」は相当難しいと思っている。炎鵬の夏は幕下25~30枚目か

  • 十両で13戦全敗

    ※昨日の閲覧…467・訪問者…282トータル訪問者数1,232,373昭和二一年秋〔十一月〕西十両二枚目神東山〔元幕内〕の星取表である。●立田野(十両5)=元幕内●緑國(〃4)=元幕内●鏡里(〃3)=後横綱●鶴ヶ嶺(前17格)=後関脇…は別人●玉櫻(十両9)=後幕内●常陸海(〃3)=元幕内●明瀬川(〃11)=後幕内●前ヶ汐(〃12)●新川(〃8)●髙潮(〃11)=後幕内朝若●朝見山(〃13)●藤錦(〃5)=後幕内●達ノ里(〃別格)後横綱の栃錦が付人をしてたらしい。当初「神武山」と名乗っていたが、軍部から畏れ多くも初代天皇の名なので……改名を余儀なくされたわけ。十両で13戦全敗

  • 十両で13勝Vの後小結…

    昭和二六年秋場所、西十両二枚目潮錦〔後小結〕の星取表である。〇大江戸(十両2)=元幕内〇神若(〃1)=元幕内、後芳ノ里〇宮城海(前十九)〇宮錦(十両4)=後小結〇大龍(〃7)=後幕内〇大天龍(〃10)=後幕内Ⅳ海山〇神錦(前十八)●五ッ洋(十両3)=後幕内〇出羽湊(〃5)=後幕内●米川(前二十)=後Ⅳ朝潮〇玉ノ海(十両8)=後関脇玉乃海〇日本錦(〃10)〇白龍山(〃3)=前幕内〇嶋錦(〃13)=後幕内〇大晃(前十六)=後小結当場所、元幕内の小坂川と同点決勝を行い、十両優勝。十両で13勝Vの後小結…

  • 出身地名の変更3力士のみ

    ※昨日の閲覧…505・訪問者…286トータル訪問者数1,232,091明治二十年代・昭和三十年頃に次ぐ「平成の大合併」とされる市・町・村の合併━A町とB村との“対等”な合併でのC市が誕生の如き“単純合併”は少ない。でも、奈良県は他の地方にくらべて抑制的な小合併だったみたい……。明治十八年入幕の小結司天龍とか、大正十年入幕の小結鶴ヶ濵増太郎や、昭和十五年入幕の関脇二瀬川の3名が旧稿で「北葛城郡」となっていたのを「葛城市」と改訂すれば、あとはその侭でOKなのである。出身地名の変更3力士のみ

  • 2度めの11戦全敗

    昭和十年春場所、西十両九枚目灘ノ花〔元幕内伊勢ノ濵〕の星。●照錦(十両10)●冨士ヶ嶽(〃10)=後幕内若港●錦岩(〃13)●天城山(〃12)=後幕内、東関理事●綾錦(〃4)=後幕内●越ノ海(〃2)=元幕内●豊錦(幕下4)=前十両、…喜一郎は別人●土佐ノ浦(〃1)●金湊(十両3)=前幕内●竜ヶ嶽(幕下3)●鯱ノ里(十両12)=後幕内、若松理事当場所を最後に引退、年寄中立を襲名。役員には選出されなかった…?2度めの11戦全敗

  • 十両で11戦全敗

    ※昨日の閲覧…646・訪問者…330トータル訪問者数1,231,805昭和四年夏場所、東十両七枚目開月〔元幕内〕の星取表である。●常盤野(十両8)=後幕内●綾櫻(〃11)=後関脇綾川●髙ノ花(〃4)=後幕内●藤ノ里(〃7)=後幕内●石山(幕下1)=後十両●栃ノ森(十両10)●海光山(〃9)=後幕内●八剣山(〃11)●大鶴(幕下4)=後十両●髙浪(十両10)=後関脇旭川●沖ツ海(幕下2)=後関脇たまには不成績力士をピックアップしてみたい。尚、十両全敗記録は幕内より少ない…?十両で11戦全敗

  • 奈良県は力士不作…?

    拙稿「奈良県出身入幕力士一覧」は、人数が確定したが、残念ながら力士不作県と云わざるを得ない。〇江戸時代安永四(1775)年…の大関、虹ヶ嶽ひとりだから、九十余年間に1人。〇明治時代小結の司天龍と、鶴ヶ濵熊吉の2人。二十余年間に1人の割合だ。〇大正時代鶴ヶ濵増太郎ひとりなので、14年間に1人輩出した勘定。〇昭和戦前眞鶴秀五郎と大和錦の両平幕止りのあと、笠置山・二瀬川・高津山の3関脇。四年間に1人入幕しているわけ。●昭和戦後1人も輩出することがなかった。〇平成時代力櫻・大真鶴・德勝龍。昭和二八年春、元関脇高津山が幕内番附から消えて、43年間の奈良力士はブランクであった━。奈良県は力士不作…?

  • “貧乏神”の対戦範囲は…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,231,475昭和七年春〔二月〕西十両筆頭大邱山〔後関脇〕の星取表である。〇若紋竜(十両2)●鷹城山(前頭六)〇大八洲(十両2)=後幕内、白玉理事〇開月(〃3)=元幕内〇射水川(前頭六)〇大ノ濵(同四)●國ノ濵(同五)〇双葉山(同四)=後横綱、時津風理事長双葉山は前頭四枚目へ“繰上げ”入幕なので、上位陣との対戦は回避されている。“貧乏神”の対戦範囲は…

  • “旧姓”に改訂2箇所

    拙稿は「奈良県出身入幕力士一覧」の作製を本格開始した。32年前の平成五年…拙作『相撲史発掘』第12号巻末折込み掲載・発表の改訂・増補版なのである。でも、その“旧稿”には脱落などは一切なかった。江戸が安永期に1、明治が2、大正は1、昭和の戦前が5名━計9力士の少数派と云うことになる。但し、改訂箇所がないわけじゃぁない。④の鶴ヶ濵増太郎の本姓が本多になっていたが、“旧姓”の西本に変更する。もうひとつ、⑧の二瀬川(→二タ瀬川)の本姓は、最近落手の『相撲界』昭和十九年五月號「……略歴表」に関脇二瀬川の箇所に「安川」の旧姓になっているので、これを採用することになった次第。明日からは平成六年以降の奈良県入幕力士を調査しなければならない。“旧姓”に改訂2箇所

  • 『相撲ロマン大事典』進呈

    ※昨日までのトータル訪問者数1,231,275『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7,800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いいたします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!本そのものの重量が1.6kgほどあり、一番安い方法で送本したいと思っており、お智慧を拝借したいと存じます。jhisa104@ybb.ne.jp『相撲ロマン大事典』進呈

  • 谷風時代から太刀持・露払も土俵へ

    某氏が相撲史「年表」における「寛政三年」の箇所へ明治四二年まで120年ちかい長期間、幕内力士は千穐楽(十日目)に不出場━なんて“謬説”を記載したため、大相撲関係図書等々へ流布することになってしまった。私見では、昭和四五年、講談社刊『相撲百年の歴史』のミスだと思っている。彦山光三相撲博士も著書『橫綱傳』に、太刀持・露払いが土俵上へ登場するのは天保期の不知火以降らしい━云々の趣旨は、遺憾ながら謬説の域を出ない。昭和五十年刊『相撲浮世絵』の「江戸錦絵力士群像」66頁「第一部=日下開山・横綱」の劈頭に谷風とともに太刀を左手に持った力士が土俵上に描かれている。吾輩も深く考えず…最近まで気づかなかった━まったく面目なく赤面の至りである。谷風時代から太刀持・露払も土俵へ

  • 1頁半の原稿清書 完了なるか

    ※昨日までのトータル訪問者数1,231,052拙作&私家版『相撲史発掘』の執筆・編輯は、本日これから夕刻の予定。拙稿「大正期の新聞記事から」は、当初2ページを想定していたが、『國民新聞』の大正7.5.5づけ相撲記事がすべて収まらず2頁半の分量になった。1頁めは既に上・下段とも原稿清書完了となっており、2頁の上・下段および3頁上段の原稿清書を予定している。兎に角、ワープロ使用のときは比較的順調に仕あがっていたけれど、パソコン操作はやや難しく時間を3倍ちかく要するのである。1頁半の原稿清書完了なるか

  • 幕下1字名の狼 5勝5敗

    最高位が幕下六枚目で関取になれなかった1字名の狼(おおかみ)だが、大正十二年春場所、西幕下二四枚目。●古賀ノ浦(幕下15)=後幕内●笹ヶ峰(〃23)●青海川(〃29)〇三杉岩(〃18)●玉碇(〃20)=後幕内●関ノ川(〃18)〇相ノ川(〃10)〇安藝ノ浦(〃22)〇朝風(〃21)〇洋ノ花(〃32)=後幕内灘ノ花勝手な推察。大正十年頃、誰かが通常の醜名から“改名”したのと違いますか…?幕下1字名の狼5勝5敗

  • 相撲記者の「見識」を疑う…!

    ※昨日の閲覧…401・訪問者…251トータル訪問者数1,230,810107年前の大正七年夏場所、横綱7場所めの鳳(おおとり)は、初日に入幕2場所めの後関脇福柳に「掬い投」で金星を献上すると、翌二日目から休場してしまった。全休1を含み4度めの欠場である。当時の『國民新聞』に拠れば、場所前の稽古では、171cm・90kgの後小結紅葉川〔改名歴なし〕に「横綱がイナしたり・頭を下げたり…それは俺のやる芸だ」と痛烈に批判されている。尚、宮城野部屋の鳳と、友綱部屋の紅葉川は、本場所の土俵では全然対戦していない。当該記事に、「天晴れ横綱の強味を発揮して元気旺盛を頼もしく思わしめた」と結んでいるけれども、鳳の「非横綱相撲」的取口にはなんの批判もせず、最近の相撲記者同様、その見識を疑わずにはいられない。相撲記者の「見識」を疑う…!

  • 十両6人を破った元学生…

    昭和二四年春場所、東幕下二枚目吉井山〔後幕内〕の星取表である。〇平鹿川(幕下2)=後幕内〇甲斐ノ山(十両15)=後幕内〇琴ヶ濵(幕下7)=後大関や〇信州(十両14)=後幕内大昇〇一錦(幕下4)=元十両〇両邦山(〃7)=後幕内白龍山〇津軽冨士(〃11)=元十両〇神若(十両11)=後幕内芳ノ里〇小坂川(〃6)=後幕内〇櫻國(〃5)=後幕内〇汐錦(〃7)=後小結潮錦●若ノ花(幕下6)=後横綱若乃花全勝は逸したが当場所の幕下優勝。十両6人を破った元学生…

  • 大関●汐ノ海(足取り)後小結〇若葉山

    ※昨日までのトータル訪問者数1,230,559三宅充記者の“初土俵”だった昭和二六年夏場所、西前頭二枚目若葉山の星取表。〇照國(横綱)下手捻●佐賀ノ花(関脇)寄倒し●吉葉山(大関)突出し〇東冨士(横綱)突落し●千代ノ山(大関)突倒し〇汐ノ海(〃)足取り〇若瀬川(前五)渡込み●清水川(同三)寄倒し〇羽嶋山(同六)引落し〇備州山(同八)仝●髙津山(同七)徳利投〇若ノ花(同一)切返し●三根山(関脇)寄倒し●琴錦(前十三)仝〇國登(同九)叩込み天下の大関力士が“足”を取られてひっくり返った相撲は何十年に1度の珍事であろう…!尚、汐ノ海━若葉山は最初で最後の取組。大関●汐ノ海(足取り)後小結〇若葉山

  • 「叩込み」多用しなかった !

    昭和二五年春、西前頭十二枚目藤田山の星取表である。●名寄岩(前九)上手投=元大関〇二瀬山(同十)下手投〇若葉山(同十一)押出し=後小結●輝曻(同十)引落し=元関脇〇不動岩(同八)掬い投=元関脇〇清惠波(同十四)上手投●小坂川(同十八)小股掬●髙津山(同五)引落し=元関脇●櫻錦(同六)突落し=元小結●大起(同四)寄切り=後小結〇大岩山(同十九)仝〇九州錦(同九)押出し●緑國(同十六)突落し●愛知山(同十一)仝●甲斐錦(同十七)寄切り「大銀杏」は不完全だったみたいだが、相撲ぶりは組んでもよし・離れてもよし━平成・令和の現代力士の如く「叩込み」なんか“無縁”で観客を沸かせたと思える。「叩込み」多用しなかった!

  • 進捗率 56.3%

    ※昨日の閲覧…520・訪問者…307トータル訪問者数1,230,343拙作&私家版『相撲史発掘』第109号の制作を急いで…GW期間中までに「原稿清書完了」状態への追込み態勢である。進捗状況を報告しておきたい。1~3頁“時代”を超えた力士たち〇原稿清書完了●4ページは、写真を転載すべく構想中。5~7頁江戸大相撲熱戦譜〇原稿清書完了●折込みの幕内関係勝負&星取表は清書に至っていない。8ページ大正期の新聞記事から〇原稿清書完了●9頁を現在鋭意作成中だが、紙数不足…?11ページ古今平幕最優秀力士星取表〇原稿清書完了折込み大関手柄山の詳細星取表〇原稿清書完了進捗率を計算すれば、56.25%なので「連休気分返上」してピッチをあげたい。進捗率56.3%

  • 「発輝」は「発揮」の誤謬なの…?

    大正七年五月五日づけ『國民新聞』の相撲記事にまたもや問題箇所を発見。〔前略〕無人の境を行くが如く天晴橫綱の強味を發輝して元氣旺盛を頼もしく思はしめた通常は「発揮」と表記されると愚考するが「発輝」となっている。読み方は同じだと思われる。果して、誤謬或いは誤植なのであろうか。手許の『角川漢和中辞典』の【輝】の項をみると、光輝・明輝・映輝・斜輝・発輝の5つの熟語が載っているが、説明や解説など一切ない。だから意味がわからない。「発輝」は「発揮」の誤謬なの…?

  • 『日本相撲大鑑』+α 進呈

    ※昨日の閲覧…450・訪問者…291トータル訪問者数1,230,036窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』【画像】(466ページ。平成四年、新人物往来社刊函入り定価5,000円)および名力士のモノクロ写真5枚を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担ねがいます。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。主要内容は次のとおりです。序章世界の相撲第一章日本相撲史第二章大相撲の組織第三章土俵の主役、力士第四章大相撲本場所第五章相撲と芸術5力士の写真の撮影年月は不明ですが、何れも入幕後の若い頃のものと思われます。1、関脇出羽錦忠雄2、関脇時津山仁一3、関脇安念山治4、小結若ノ海正照5、大関栃光正之御希望の方は600円分の切手を同封のうえ下記宛お送りいただければ、折返し「レターパック…...『日本相撲大鑑』+α進呈

  • 上手くいったレイアウト

    拙稿「大正期の新聞記事から」への写真転載は、スペースに余裕がなく、相当“縮小”せねばならなかったけれど、同じく拙稿「古今平幕最優秀力士星取表」の余白に、昭和三一年初場所14勝1敗の好成績をあげて、初の「技能賞」に輝いた後関脇の鶴ヶ嶺の写真を、当時の大日本相撲協会機関誌『相撲』同年2月号「熱戦グラフ」からの転写は、拡大や縮小の必要はなく、“原寸”の侭でOKとなったのである。殊勲賞の成山や、敢闘賞の清水川と一緒なので、鶴ヶ嶺の部分だけ切取って採用だ。上手くいったレイアウト

  • 107年前の表紙を27%圧縮

    ※昨日の閲覧…547・訪問者…265トータル訪問者数1,229,745107年前の大正七年五月十日發行の『野球界臨時增刊夏場所相撲號』の表紙を27%“縮小”して二七人目横綱栃木山の写真を転載するのに成功した。但し、「▲初日は延さぬ=出羽ノ海談」なる見出し記事の末尾を割愛せざるを得なかった。下記の箇所である。尚、八日は午後一時から回向院の一廣間で例塲所通りの力士會があつたが何事もなく散會した107年前の表紙を27%圧縮

  • 肉「月」に「思」う顎だ…!

    大正七年五月九日づけ『國民新聞』の相撲記事を検証していたら、またもや…難しい漢字にぶつかった。〔前略〕千葉〔ヶ﨑〕突張つて勝たんの註文か突掛けて右手に腮を攻めて押す…通常は「顎」と表記するのを当該記者が鳥渡ばかり“ひねくれもの”とみえて…難解な文字〔?〕で書いているのだ。ルビつきなので浅学菲才の当方だって読むことができた次第。13画なので筆で書いてみるのは簡単なのだが誰だって読めるとは限らない。肉「月」に「思」う顎だ…!

  • 不公平番附で…

    ※昨日の閲覧…1,939・訪問者…308トータル訪問者数1,229,480昭和二六年夏場所、東十両六枚目平ノ戸〔翌場所入幕〕の星取表。〇大ノ浦(十両9)=後幕内●大龍(〃6)=後幕内〇朝若(〃7)=元幕内〇美楯山(〃4)〇藤田(〃2)=元幕内藤田山〇玉晃(〃8)〇日本錦(〃7)●宮錦(〃10)=後小結●大岩山(〃3)=元幕内〇嶋錦(〃12)=後幕内●松登(〃1)=後大関●大天龍(〃15)=後幕内Ⅳ海山〇北ノ洋(〃1)=後関脇北の洋〇今大嶋(〃16)=後幕内楯甲〇玉ノ海(〃14)=後関脇玉乃海二所ノ関一門の小部屋力士を無理やり幕内から十両へ陥落させて、「幕内試験」的取組も全然なく、当時の出羽海理事長直系弟子優遇の入幕。不公平番附で…

  • 楽日、十両に敗れ幕下V逸す

    昭和六年夏場所、東幕下五枚目出羽ノ花〔後幕内=武蔵川理事長〕の星取表である。〇射水川(幕下9)=後幕内や〇伊豫ノ海(幕下11)や〇磐石(幕下3)=後関脇や〇鳴潮(幕下4)=後十両や〇越ノ海(十両10)=後幕内や●太刀若(十両6)=後幕内当場所の幕下優勝は、同系の後十両秋田嶽で6戦全勝。楽日、十両に敗れ幕下V逸す

  • 前頭筆頭格なのに…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,229,172旧大阪協会を吸収した昭和二年春場所、西張出前頭筆頭格の綾錦の星取表である。●錦城山(前十)突倒し〇西ノ海(横綱)下手投〇小野川(関脇)打棄り〇清水川(前一)浴せ倒し●宮城山(横綱)仝●能代泻(大関)吊出し●錦洋(前五)寄倒し〇清瀬川(同三)叩込み●大蛇山(同二)外掛け●若葉山(小結)押切り●一ノ濵(前十一)寄出し多くの本の番附や星取表で、この綾錦を西方幕尻の“次位”みたいなあつかいをされているのは遺憾。横綱・三役と対戦してるのだから“幕尻格”であるはずがない。西張出小結出羽ヶ嶽と西前頭筆頭眞鶴とのあいだに据えるべきである。前頭筆頭格なのに…

  • 76年前の十両 牛若丸

    昭和二四年夏場所、西十両六枚目福ノ里改め牛若丸の星取表である。〇高潮(十両6)●若ノ花(〃8)=後横綱若乃花〇増巳山(〃7)=後幕内●緋縅(〃12)=後幕内〇那智ノ山(〃5)=後幕内●一錦(〃13)●赤城山(〃14)●鬼竜川(〃16)=元幕内〇九州海(〃13)〇梅錦(〃1)=元幕内〇藤錦(〃2)=元幕内●巴浦(〃11)=後小結大晃〇出羽港(〃15)=後幕内出羽湊●小坂川(〃1)=後幕内〇本間(〃15)=後関脇信夫山76年前の十両牛若丸

  • 古雑誌の表紙、栃木山の“下の構え”

    ※昨日の閲覧…432・訪問者…269トータル訪問者数1,228,946大正七年五月十日發行の『…野球界臨時增刊夏場所相撲號』の表紙は、「新橫綱栃木山守也三色版」である。これを相当に“縮小”して拙稿「大正期の新聞記事から」の余白へ転載しよう━━と、思い至った。もしも、上手くいかない場合は、拙文を鳥渡ばかり短く書き直さねばならなくなりそうである。果して…どうなるか?古雑誌の表紙、栃木山の“下の構え”

  • 佐賀なのに平戸…

  • 珍名力士 狼

    大正十四年春場所、東幕下六枚目狼〔…少年に非ず。下の名は失念〕の星取表━多分、最高位であり、非関取。や●花坂(幕下17)や●小金山(十両15)や●若汐(幕下5)=後関脇大潮や〇太刀ノ海(十両10)=元幕内〇立汐(幕下2)=後十両や●楢ノ里(幕下12)『江戸時代相撲名鑑』に「狼」と名乗ったやつは皆無。「古今珍名番附」に載せてみては如何であろうか。珍名力士狼

  • 新横綱 栃木山の星取表

    ※昨日までのトータル訪問者数1,228,422107年前の大正七年夏場所〔於靖國神社〕新横綱栃木山守也の星取表。〇清瀬川(前七)突落し〇浦ノ濵(同六)押切り〇弥髙山(同一)吊出し〇錦嶋(同四)押倒し〇大鳴門(小結)押切り〇大潮(関脇)押倒し〇黒瀬川(前三)押出し●朝潮(大関)叩込み〇三杉礒(前二)押倒し〇千葉ヶ﨑(大関)突放し9勝のうち6番を「押し相撲」で制した。尚、「押切り」と「押出し」の違い。前者は、相手が土俵際で懸命に堪えるのを徹頭徹尾押して土俵外へ…。後者は土俵際で相手の“余力”を封殺して圧倒する取口なんです。底の浅い平成・令和の「現代相撲」では「押出し」が多く、「押切り」は稀であろう…。新横綱栃木山の星取表

  • 体調崩した新横綱 栃木山

    久しぶりに彦山光三の不朽の名著『橫綱傳』(昭和二十八年末刊)より抜萃してみたい。「列伝二十七人目栃木山守也」の項から…。〔前略〕独特ともいうべき異色は全休した場所が〔中略〕皆無ということである。この点彼がいかに誠実で責任を重んずることが厚かったか、またそれを裏づけるだけの健康保持者であったか、さらにそのためいかに摂生に注意したかをもの語る〔後略〕さきに転載した『國民新聞』大正七年五月九日づけ相撲記事の見出し「新横綱、新大関が床に就く」の…“新横綱”とは、同年二月に吉田司家から免許された栃木山その人だった。当該記事に拠れば、日本橋の「昇進披露會」から帰った直後に「悪寒発熱」で「八度三分」の高熱━稽古に出られず云々。でも、結局は、靖国神社で興行の当年夏場所、新横綱栃木山は初日からフル出場し、9勝1敗で3連覇を...体調崩した新横綱栃木山

  • 勝手な占い…?!

    ※昨日の閲覧…426・訪問者…268トータル訪問者数1,228,190「煽情記事」が売りものの週刊誌のそれには所謂“尾鰭”がつきものだ━『文春』だって例外ではあるまい。けれど、「火のない所に煙は立たぬ」のも正真正銘の事実のはず。元横綱白鵬翔の去就を勝手に占ってみようか…。来春には日本相撲協会の「役員改選」があり、またもや「無投票当選」の確率大ではあるが、万一投票が行われたとして、元白鵬が“落選”した場合、即刻の退職の可能性がありそうだ。嘗て、稀勢の里と同系の二所ノ関一門では、元横綱Ⅰ若乃花(後二子山理事長)が引退後、理事就任まで実に14年━“冷や飯”を喰わされつづけた。同じく、大鵬(一代年寄)もたしか8年を要していた。勝手な占い…?!

  • 全敗の無名力士…?

    大正十三年夏、東三段目三枚目東泻〔非関取?〕の星取表です。や●鏡岩(三段目4)=後大関や●南州山(幕下28)や●藤ノ里(三段目3)=後幕内●亀甲山(〃13)や●大響(三段目8)や●藝州山(三段目11)たまには不成績力士も採りあげてみた方が面白味がありそう…。全敗の無名力士…?

  • 江戸力士非輩出の奈良県…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,227,922六月上旬完成予定の拙作『相撲史発掘』第109号の折込みに「奈良県出身入幕力士一覧」を掲げる所存。32年前の平成五年…発表のものの“改訂版”ではある。安永四(1775)年に入幕した最高位大関の虹ヶ嶽杣右エ門が天明三(…83)年冬場所の小結を最後に姿を消し、明治十八年夏に鶴ヶ濵(→司天竜)が入幕するまで…80年ばかり番附の最上段に奈良県出身力士は皆無だったのであろうか…❔江戸力士非輩出の奈良県…

  • 107年前の『國民新聞』

    拙作『相撲史発掘』第109号での連載記事「大正期の新聞記事から」は、徳富蘇峰が創刊した『國民新聞』の大正七年五月九日づけを俎上に載せる。相撲記事の見出しは━●橫綱も敵はぬ風の神新橫綱、新大關が床に就く何の部屋も〱病人だらけ文中に鳥渡ばかり難しい漢字表記がある。「宛然」に「さながら」とルビがついている。昭和四六年から愛用の『角川漢和中辞典』にも載っているが、読み方は「えんぜん」である。他の一般辞書では、「宛ら」と表記して、“然”は使っていないみたいだ。平成・令和の現代力士は、「病人」よりも「怪我人」の方が断然多い。107年前の『國民新聞』

  • 「関取試験」に合格…

    ※昨日までのトータル訪問者数1,227,695昭和二八年秋場所、西幕下筆頭若ノ海〔後小結〕の星取表です。●前ノ山(幕下1)=後幕内〇芳野嶺(〃2)=後幕内や〇筑後山(幕下3)や〇豊光(幕下4)=後十両や●國若(幕下2)=元十両やや●玉風(十両20)〇美楯山(〃19)や〇大土﨑(十両20)や十両を2人破って勝越し2点で、文句なしに翌場所お関取であった。「関取試験」に合格…

  • 三段目筆頭なのに幕下戦なし

    大正十三年夏場所、西三段目筆頭楢ノ里〔非関取〕の星取表である。〇雷ヶ谷(三段目1)や〇萩ノ浦(三段目6)や〇千葉ノ花(三段目8)や〇桜川(三段目13)や〇小田ノ里(三段目2)や〇加賀錦(三段目12)現代の「取組編成」みたいな感じが百余年前もあったんだねぇ…。当場所の三段目優勝とされている。三段目筆頭なのに幕下戦なし

  • 神 若0━2豊 登

    ※昨日の閲覧…419・訪問者…276トータル訪問者数1,227,463①昭和二六年秋場所千穐楽東十両筆頭●神若━豊登〇東十両十一②同二九年初場所十四日目西十両四枚目〇豊登━芳ノ里●西十両八枚目プロレスでは“日本人”力道山の日本組対外人組の構図だったが、二所ノ関部屋の神若(→芳ノ里)対立浪部屋の豊登は、2度十両で取組んでいた。矢張り軽量級の芳ノ里が不利の相撲展開になったと思える。尚、相撲解説者として一世を風靡した神風に“師事”していたため「神若」の醜名に…。神若0━2豊登

  • 豊登の十両V

    昭和二八年秋、東十両十三枚目豊登〔後幕内→プロレス転向〕の星取表である。〇那智ノ山(十両13)=元幕内〇大田山(〃14)=後幕内〇秀湊(〃15)=後幕内●平ノ戸(〃12)=元幕内〇秀ノ花(〃16)〇若前田(〃18)=後関脇〇玉風(〃20)●小川(〃10)=後幕内星甲〇白雄山(〃7)〇大土﨑(〃20)〇森ノ里(〃17)〇出羽ノ花(〃6)=後幕内●鶴ヶ嶺(〃1)=後関脇〇大瀬川(〃9)=後幕内〇楯甲(〃3)=後幕内力道山がプロレスの王者だった頃、同じく力士から転向したのが豊登と芳ノ里(←神若)であり、吾輩も毎週TVで観戦していた。当該場所、のち星甲と同点決勝で豊登が十両優勝を成し遂げた。豊登の十両V

  • 『日本相撲大鑑』&力士写真5枚

    ※昨日までのトータル訪問者数1,227,187窪寺紘一氏著『日本相撲大鑑』(466頁。平成四年、新人物往来社刊。函入り定価5,000円)及び名力士の写真5枚【画像】を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみ御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。5力士の写真の撮影年月は不明ですが、全て入幕後の若い頃のものと思われます。1、出羽錦忠雄。7cm✖10.5cm2、時津山仁一。8cm✖12cm3、安念山治。仝4、若ノ海正照。7cm✖10.5cm5、栃光正之。8cm✖12cm御希望の方は600円分の切手を同封のうえ…下記宛てお送りいただければ、折返し「レターパック…」にて発送いたします。〒852-8113長崎市上野町14-11田中健お問合せはjhisa104@...『日本相撲大鑑』&力士写真5枚

  • 紛わしい若太刀と太刀若

    大正六年春場所、東三段目六四枚目若太刀〔非関取?〕の星取表。や〇肥後響(三段目58)や〇一ノ鳥(三段目55)や〇相ノ川(三段目50)や〇江戸﨑(三段目69)や〇千田川(序二段38)=地位は誤謬かも知れない。醜名にも“流行”があって、太刀山に当初弟子入りしたものに「太刀」の文字が入ってるのが少なくない。尚、幕内力士に列した太刀若とは別人であろう。当場所の三段目優勝は、後関脇の若葉山だった。紛わしい若太刀と太刀若

  • 終盤4日間、幕下と対戦

    ※昨日までのトータル訪問者数1,226,963昭和二六年春場所、東三段目四枚目山形〔後幕内泉洋〕の星取表。〇達志山(三段目3)●響矢(〃2)〇御幸山(〃1)〇三嶋山(〃4)〇小野若(〃6)〇河津山(〃11)〇満潮(〃6)〇柏山(〃10)〇柏竜(〃8)〇幸見川(〃20)〇八泻錦(〃2)●八染(幕下28)=後幕内〇天津風(〃20)●八竜(〃25)〇出羽ノ花(〃16)=後幕内当場所の三段目優勝であり、泉洋自身の最高成績を記録したわけだ。尚、幕下以下の改名をすべて把握してないので、後関取は脱落がないとの自信はございません。終盤4日間、幕下と対戦

  • 次号(No.109)冒頭記事 脱稿

    六月上旬完成予定の拙作&私家版『相撲史発掘』第109号の冒頭連載「“時代”を超えた力士たち」<明治→大正篇>⑥が一応脱稿した。但し原稿清書完了まで数日を要する。小見出しは次のとおり━。入幕後、勝越せなかった…満28歳で引退した…常陸山の欧米漫遊に随行…臺灣・香港でも評判の…対横綱4戦4敗の…見出しをみただけでは、誰を詳述しているか、わからないように━本文をじっくり読んでいただきたいから。登場人物の初出箇所は“太字”で表記する。登場順〔=入幕順〕に、桂山勘五郎・関脇大蛇泻粂藏・小結近江冨士初太郎・雲竜辰五郎・佐賀ノ海初太郎。次号(No.109)冒頭記事脱稿

  • 後小結…、序二段で8戦全勝

    ※昨日までのトータル訪問者数1,226,728昭和十六年春、東序二段三十枚目山本〔後小結大起〕の星取表です。〇荒雄川(序二段31)〇武錦(〃32)や〇藤ノ浪(序二段44)やや〇朝若(序二段35)=後幕内や〇岡崎(序二段27)や〇玉柳(序二段29)や〇越後山(三段目58)〇鬼竜川(序二段12)=後幕内やまさか、三段目と対戦しているとは想定外だった。しかも、相手は既に1敗を記録していた。後小結…、序二段で8戦全勝

  • 対横綱4戦4敗だが…

    福岡県出身の佐賀ノ海、最高地位のとき下の名前は「初太郎」と番附表記であった。彼、佐賀ノ海は横綱対戦が4番記録されている。①明治四五年春場所二日目東張横綱〇梅ヶ谷(押出し)佐賀ノ海●西前頭七②大正二年春場所初日西張横綱〇梅ヶ谷(寄出し)佐賀ノ海●東前頭七③同三年春場所二日目東張横綱〇梅ヶ谷(浴せ倒し)佐賀ノ海●西前頭六④仝八日目東正横綱〇太刀山(突放し)佐賀ノ海●残念ながら、“金星”どころか引分け・預りもない4戦4敗だった。反面、大正三年春場所の四日目には、名人の異名の関脇玉椿を「小手捻」で破っている。対横綱4戦4敗だが…

  • 後横綱…三段目V

    ※昨日までのトータル訪問者数1,226,483大正十五年春、西三段目十二枚目男女ノ川〔後横綱〕の星取表である。〇今錦(三段目16)や〇常曻(三段目14)=後十両や〇鷹ノ國(幕下34)や〇大高山(三段目19)=後十両〇荒山(〃1)=後十両や〇鋭山(三段目12)や当場所の三段目優勝となっている。三段目“2桁”だって幕下と取組ませているのである。後横綱…三段目V

  • 少数派の九州出身…

    拙稿「“時代”を超えた力士たち」は現在、「佐賀ノ海初太郎」を鋭意執筆中である。ところで、明治→大正篇に登場する45名に九州出身力士が極めて少ない。種子島〔「種子ヶ島」とか「種子が島」等あやまりである。〕で生れた2代め西ノ海(←錦洋)と、福岡県柳川…出生とされる上記の佐賀ノ海━この両者だけなのである。当該45力士を出身地別に調べて多い方から列記すれば━。青森県7人富山県6人千葉県5人東京都4人あと、複数輩出が宮城・高知・滋賀・福井・新潟・兵庫━いずれも2人である。因に、四国4県では徳島だけが出ていない。流石の相撲王国の青森出身は━関脇浪ノ音小結千年川関脇綾浪(源鋭)前七雲竜辰五郎前四八甲山前二櫻川前十三立汐註=入幕順に並べた。少数派の九州出身…

  • 三段目筆頭なのに対幕下1番

    ※昨日までのトータル訪問者数1,226,268大正十五年夏場所、西三段目筆頭羽後響〔後十両〕の星取表である。●汐ヶ﨑(三段目3)や●若瀬川(幕下30)=後幕内や〇大岩﨑(三段目7)〇太刀若(〃10)=後幕内や〇亀甲山(三段目4)や〇十和田泻(三段目9)や筆頭なので幕下との対戦がもっと記録されてると思ったが……。尚、若瀬川は戦中・後活躍した元小結の…泰二とは勿論別人。三段目筆頭なのに対幕下1番

  • 楽日●で三段目V 逸す

    昭和四年名古屋〔九月〕場所西三段目十九枚目、太田〔後関脇両國←瓊ノ浦〕の星取表である。〇筑波嶺(三段目19)=後幕内〇時ヶ濱(〃18)や〇有馬洋(三段目10)や〇曻天竜(三段目25)や〇小嶋洋(三段目20)やや●三熊山(三段目1)=後幕内当場所の三段目優勝は、筆頭の三熊山で6戦全勝であった。楽日●で三段目V逸す

  • 『相撲ロマン大事典』無代進呈

    ※昨日の閲覧…707・訪問者…282トータル訪問者数1,226,056『相撲ロマン大事典』【画像】(弥谷まゆ美著。平成十二年、勉誠出版刊。本文820頁、定価7.800円)を御希望の方、先着1名様に無代進呈いたします。送料のみの御負担をお願いします。当該古本は保存状態良好で、切抜きや書込み等は一切ございません。神代の昔の名勝負から、現代の小錦関の大一番まで、相撲史を彩る力士たち1,600人が登場!!諸物価高騰の折、送料が一番安い方法は……?jhisa104@ybb.ne.jp『相撲ロマン大事典』無代進呈

  • 往時の検査役選挙風景

    昨夜紹介の『角力雜誌』第三十二號には、「勝負検査役」の選挙模様の記事も掲載されている。井筒氏の取締當選と、峰崎氏の逝去に依る、檢査役二名の補缺選擧は二十七日〔註=大正十一年十二月〕午前九時取締選擧に引續き投票を開始し午後四時開票の結果左の二氏が當選した當選九十二票振分健藏〔註=元関脇浪ノ音〕同八十六票千賀の浦五郎治〔註=元関脇綾川〕次點四十六票立浪彌右衞門〔註=元小結緑嶋〕朝の九時に始まって開票が夕刻四時と云うのは、鳥渡ばかり“長時間”を要している感じだ。尚、浪ノ音は高砂系だが、一時的に出羽海一門の傘下に入っていた。緑嶋の弟子に双葉山・羽黒山の両横綱や大関名寄岩らを輩出。往時の検査役選挙風景

  • 後横綱 双葉山5━4大関 清水川

    ※昨日までのトータル訪問者数1,225,774昭和戦前の好取組とその結果。最高地位は横綱対大関であった。①昭和七年夏場所二日目東張大関〇清水川(上手投)双葉山●東前頭二②同八年夏場所三日目西大関〇清水川(上手投)双葉山●東前頭二③同九年夏場所四日目西大関〇清水川(外掛け)双葉山●西前頭筆頭④同十年春場所九日目東大関●清水川(上手投)双葉山〇東小結⑤同十年夏場所二日目西張大関〇清水川(上手投)双葉山●東前頭筆頭⑥同十一年春場所三日目西大関●清水川(打棄り)双葉山〇東前頭三⑦同十一年夏場所千穐楽西大関●清水川(打棄り)双葉山〇西関脇⑧同十二年春場所九日目東大関〇双葉山(寄切り)清水川●西大関⑨同十二年夏場所十一日目東大関〇双葉山(絡み投)清水川●西大関名大関清水川引退に因り、終止符。後横綱双葉山5━4大関清水川

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