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意志による楽観主義のための読書日記 https://blog.goo.ne.jp/tetsu814-august

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ム

意志による楽観主義のための読書日記
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2015/07/14

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  • 名字と日本人 先祖からのメッセージ 武光誠 ***

    日本に存在する名字の種類は29万種、そのうち斎藤と斉藤、齋藤などのように類似名字で一字の漢字種類が微妙に異なる場合を除くと10万種類。名字と苗字は文部省によれば正式には名字、法務省は氏としており法律上は氏、氏名である。一方姓は一族や血族を表し、天皇の支配を受けるすべてのものが名乗る呼称であり、氏は古代の支配層であった藤原氏、大伴氏などで地方の中流豪族や庶民は氏としての組織はなかった。蘇我氏、葛城氏などは本拠地の地名、物部氏、鏡作氏などは大王から与えられた職名を世襲するものがあった。平安時代になり、武士の間で生まれた通称が名字で当初は姓とは明確に区別された。例えば北条時政は名字が北条、姓は平朝臣、徳川家康でも天皇に対しては源朝臣家康。江戸時代には名とは領地を表すため苗字として苗字帯刀令などの語ができたが、明...名字と日本人先祖からのメッセージ武光誠***

  • 黒潮と倭人の国 立石 巌 **

    古事記は稗田阿礼の暗誦した神話や歴史を太安万侶が7-8世紀初頭に編纂したとされている。神話を語り継いできた人たちは、「大倭豊秋津島」と、その時代に日本が島国であることを知っていたことになるが、延々と長い海岸線を小さな船で一回りしたのであろうか。筆者は「倭人は海人だったに違いない」と考えた。同じ時代に編纂されたもう一つの歴史書が「日本書紀」、当時の知識人たちが中国の史書などを比較検討して編纂したものであり、それと比べるとその正当性に疑問がつけられてきたが、本当にそうであろうか。古事記は四国を次のように記述する。「面毎に名あり。伊予の国は愛比売、讃岐の国は飯依比古、粟の国は大宜都比売、土佐の国は健依別という」つまり東西南北にそれぞれ面した地域があり国となしているということ。九州は「筑紫島も面四あり。筑紫の国は...黒潮と倭人の国立石巌**

  • 師・寅次郎と主君・慶親 鶴田慎一 ***

    「激動の幕末、吉田寅次郎(松陰)は、弱冠9歳で長州藩校の教授を務めた天才教育家である。日本の行く末を想い純粋に道を究め続け、多くの若者の心を魅了して、主君・毛利慶親(敬親)までもが弟子入りを願った。獄中では獄囚たちを改心・放免させ、司獄(刑務官)までもが弟子入り。私塾「松下村塾」で3年足らずで多くの若者を開眼させ、多くが幕末・維新を奔走し、日本の将来のために若い命を捧げた。また、幕末を生き延び、明治新政府の中核を占める多くの人材を輩出した松陰の功績は計り知れない。松陰は「人は自分が持つ能力と立場において、何ができるのか。学び、考え、実践によって世の中に価値をもたらす。」という教えを貫き、「安政の大獄」で非業の死を遂げた。現代人が忘れかけている「立志」「使命感」を覚醒させてくれる「29年の短い生涯を熱狂的に...師・寅次郎と主君・慶親鶴田慎一***

  • 秀吉と海賊大名 藤田達生 ***

    信長・秀吉・家康が東海地方から西に向けて進出して天下統一を目指したとき、その鍵を握ったのが瀬戸内海。伊予は中国、四国、九州を結ぶ要、瀬戸内海での鍵となる地域となっていた。そこで活躍した海賊衆が村上氏、来島氏らで、彼らを束ねたのが河野氏と毛利氏。彼らは西国に向けて天下統一を進めようとする秀吉との衝突を余儀なくされた。日本における「海賊」は外国のように一般の船を追い回して積荷を奪うような盗賊ではなく、設けられた海における海関を通る商用船など一般の船から決められた関銭を徴収することを権力者から任された存在だった。彼らは軍船を巧みに操る技を持つため守護大名や戦国大名の軍隊の一翼を担うこともあり、学術的には水軍と呼ばれる。瀬戸内地域では水路は陸路と表裏一体の位置づけであり水軍である彼ら一族が荘園の代官を務めることも...秀吉と海賊大名藤田達生***

  • 紫式部と藤原道長 倉本一宏 ***

    2024年大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を務めた筆者が、ドラマの主人公二人について、史実を一次資料をもとに確認しながら、中世史専門家として二人にまつわる歴史的流れを推測していく一冊。解説は章立てに従うと次の通り。1.紫式部と道長の生い立ち紫式部の父藤原為時は文章生出身の学者であり、式部は生母と早くに死別した。出身地は当時の東京極大路と鴨川の間であり、現在の廬山寺あたり。一方の道長は藤原兼家の五男として966年生まれ、紫式部が973年生まれとすると7歳年上と推定できる。兼家が藤原家系であっても摂関家として確立したシステムはその時点ではなく、天皇家との関係において、次期天皇を生むことになる后を誰の家系から入内させるかという権力闘争が始まっていた。道長の幸運としては兄たちが成人する時点では父親の立場が不遇であ...紫式部と藤原道長倉本一宏***

  • AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争 ***

    以下Amazon解説より。本書には、「カラー化された」戦前から戦後にかけての写真が収録されています。当時の写真は、もっぱらモノクロです。カラーの写真に眼が慣れた私たちは、無機質で静止した「凍りついた」印象を、白黒の写真から受けます。このことが、戦争と私たちの距離を遠ざけ、自分ごととして考えるきっかけを奪っていないでしょうか。私たちはいま、AI(人工知能)と人のコラボレーションによって写真をカラー化し、対話の場を生み出す「記憶の解凍」プロジェクトに取り組んでいます。戦前の広島・沖縄・国内のようす。そして開戦から太平洋戦線、沖縄戦・空襲・原爆投下・終戦。自動カラー化ののち、写真提供者との対話、資料、SNSでの時代考証などを踏まえて仕上げた、約350枚のカラー化写真が収録されています。しあわせな暮らしが、少しづ...AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争***

  • 歴史探偵昭和の教え 半藤一利 ***

    2021年1月に逝去した著者のエッセイ集。生涯のテーマの一つだった二・二六事件を始めたとした昭和史、幕末、戦国時代の歴史の真相に迫るエッセイが綴られている。2.26事件を引き起こしたメンバー内では、宮城の占領計画があったというのは「昭和史発掘」で紹介された。近衛歩兵第三連隊の中橋中尉は、当日の自連隊が宮城護衛当番であったことを利用して、高橋是清邸襲撃後に、宮城に侵入して天皇を奉戴しクーデターを成功させようともくろんでいた。それが、他の連隊からの襲撃報告を受けた宮城護衛任務に就いていた将校により入門を拒否され失敗していた。クーデター首謀者たちは蜂起さえすれば天皇は味方してくれると信じていたが、現実は正反対であり、天皇はクーデター軍を反逆軍として激怒した。エッセイーは古事記、日本書紀の時代から戦中、戦後史に至...歴史探偵昭和の教え半藤一利***

  • 日本の近代とは何であったかー問題史的考察 三谷太一郎 ****

    政治史学を専門分野とする筆者による日本における明治維新による近世から近代に向けた変革ポイントは何だったのかを解説した一冊。近世と近代の違いについては、19世紀後半に英国のジャーナリストであったウォルター・バジョットの考察を紹介。近代とは「議論による統治」であり、前近代でもある近世の要素とは「慣習の支配」だとした。バジョットが慣習の支配からの変革要因として示したのは貿易と植民地化であり、議論による統治のために必要だったのは憲法と議会だった。日本では議会制と政党政治が明治初期に成立し、幕藩体制で胚胎していた「公議輿論」の要請に対応し東アジアでは例外的に成立した複数政党制が成立した。貿易に関しては明治政府が掲げた「殖産興業」政策の実現が良い影響を与えた。もう一つは租税制度の確立で国家資本の源泉となった。その資本...日本の近代とは何であったかー問題史的考察三谷太一郎****

  • なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議 半藤一利 ***

    太平洋戦争において陸軍中枢にいた高級参謀の将校たちが、戦後の昭和51年に大いなる反省を込めて情報と意見交換を行った座談会を、半藤一利が解説付きで編集したもの。特に、昭和15年(1940年)9月の日独伊三国同盟、北部、南部仏印進駐、独ソ開戦、御前会議、東条内閣成立、対米開戦のタイミングをそれぞれ軍参謀本部ではどのような視点で分析議論決断していったのかを紹介する。実際の歴史では、ワシントン体制、ロンドン軍縮条約などで軍備を抑え込まれた反動として起きてしまった1931年の満州事変、リットン調査団、国連脱退あたりからすでに引き返すことができない坂道を下り始めていた日本だったはずだが、開戦決断の直前まで政府内部では開戦回避の努力は続けられていたということ。本座談会で分かるのは、日本軍部の内部構造として、陸軍対海軍、...なぜ必敗の戦争を始めたのか陸軍エリート将校反省会議半藤一利***

  • 歴史でたどる領土問題の真実 保阪正康 ***

    北方領土、尖閣、竹島の話になるとナショナリスティックになってしまい、相手の言い分を聞くという姿勢になれない日本人が多く、そして相手国人も同様である。「わが国固有の領土」という言い方があるが、「固有」というのはずっと以前より継続的に認知された、という意味を持つが、いずれのケースでもそうとは言い切れない、というのが本書。事情はそれぞれ異なる。日本にとっての国家体制は江戸時代と明治維新以降の明治政府、そして太平洋戦争後の日本国政府でそれぞれ大きな変化があり、国民の意識も同様である。ロシアでは帝政ロシアから第一次世界大戦を経て1917年のロシア革命があり、1945年2月のヤルタ会談があり、そこでは8月の対日参戦を前提としたルーズベルトとスターリンの間でクリル諸島の領土化合意があったと考えている。ソ連軍はその合意に...歴史でたどる領土問題の真実保阪正康***

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