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一日一日大切に生きること https://blog.goo.ne.jp/fiji-island-nadi

毎日を楽しく生きるために、人間について、この世の中の諸問題について一生懸命に考えてみたいと思います。

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2015/06/25

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  • 絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち(その2)

    絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち(その2)1.日本には凡そ2000万年前にもゾウの仲間がいた(1)日本列島はどのように生まれたのか(2)日本のいろんなところにステゴロフォドンゾウがいた以上は前回掲載(3)とにかく大昔のはなしです―ステゴロフォドンゾウ1)輪島市で見つかったゾウの化石、実はステゴロフォドンだった凡そ2000万年も大昔に生息していたゾウの仲間なんです。それが日本列島のいろんなところから、ゾウの仲間の化石が見つかっています。生息年代も化石が見つかった地層で判断されますから、発見した専門家によって、その年代が異なることもやむを得ないことだと思っています。ステゴロフォドンゾウは、湊正雄監修の『〈目でみる〉日本列島のおいたち』(築地書館、1973)では、新第三期・中新世前期(1900万年前~165...絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち(その2)

  • 絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち(その1)中本博皓

    《少し準備に時間を要しましたが、いままでに書いた「絶滅した日本列島のゾウのはなし」を読み直して、書き残している古代ゾウの仲間や幅を広げて増補したい部分を「絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち」と題して書いて見ることにしました。》絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち(その1)Ⅰ.日本列島には凡そ2000万年前にもゾウの仲間がいた1.日本列島はどのように生まれたのか凡そ2000万年前頃の日本列島ってどんな地形だったんだろうか、と調べて見ましたがちょっとやそっとで、理解できる代物ではありません。ましては、その頃の日本にゾウがいたと言われましても、わたしのような素人には信じがたいことです。そこでいくつか文献をひも解いてみました。その中の一つに平朝彦(1946-)氏の『日本列島の誕生』(岩波新書、1990)がありま...絶滅した日本列島の古代ゾウの仲間たち(その1)中本博皓

  • ナウマンゾウについて、その補遺編(7)

    ナウマンゾウについて、その「補遺編」(7)(2)ナウマンゾウ研究の成果、高橋啓一著『ナウマンゾウ研究百年』―その紹介ナウマンゾウについては多くの日本の古生物学者によって研究が行われて来ましたし、いまもさらに研究が進められています。このほど(2022年12月)、その総括の第2弾とも言うべき研究報告が、滋賀県立琵琶湖博物館から公表されました。それが、琵琶湖博物館研究調査報告第35号として公刊された高橋啓一著『ナウマンゾウ研究百年』です。著者の高橋啓一氏は、ナウマンゾウに関する長い研究歴を有されており、日本におけるナウマンゾウ研究の専門家として知られています。高橋氏は、1976年2月26日、東京日本橋の地下鉄(都営10号線)の工事現場から発見されたナウマンゾウの化石の発掘調査にも参加(日本橋ナウマンゾウ研究グル...ナウマンゾウについて、その補遺編(7)

  • ナウマンゾウについて、その「補遺編」(6)

    ナウマンゾウについて、その「補遺編」(6)(1)ブラウンスについて―山下昇の論文からわたしはこの東京大学『科学論集4』(1881)に掲載されたブラウンスの論文は読んでいませんので内容は全く分りませんが、山下昇の1990年の論文「ナウマンの関東平野研究-ナウマンの日本地質への貢献3-」(『地質雑誌』・第96巻第12号)によりますと、ブラウンスは1880年1月から1881年12月まで東京大学地質学の教授として在任しましたが、前述の論文(1881)で、日本産のゾウ化石にも言及していることが紹介されています。また、日本の地質学の研究にも貢献したことでも知られています。しかし、ブラウンスが論文で扱っている材料(ゾウ化石)は、ナウマンが1881年の論文で扱った材料と同じもであったと指摘し、「ブラウンスの記述が簡単で、...ナウマンゾウについて、その「補遺編」(6)

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