ナウマンゾウについて、その「補遺編」(5)
ナウマンゾウについて、その「補遺編」(5)ナウマンの1879年の論文から―横須賀産マンモス?について―(その3)1.ナウマン教授の後任、ブラウンス氏来日ナウマンは、日本の地質研究を進めるうちに、日本列島の起源や構造について、地質学的に本格的な調査の必要性を考えるようになりました。そこで、大学の教壇と掛け持ちでは十分な地質調査はできないため1879年任期満了と同時に教授の職を辞し、列島の地質調査に専念することを決意しました。そのため1879年12月、ナウマンの後任の東京大学理学部地質学教室第二代教授として明治政府(文部省)によって招聘されたのがナウマンと同じドイツ人の地質学者ダーフィト・アウグスト・ブラウンス(DavidAugustBrauns:1827-1893)でした。ブラウンスは東京大学に赴任後は、東...ナウマンゾウについて、その「補遺編」(5)
2022/12/18 19:25