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一日一日大切に生きること https://blog.goo.ne.jp/fiji-island-nadi

毎日を楽しく生きるために、人間について、この世の中の諸問題について一生懸命に考えてみたいと思います。

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2015/06/25

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  • ナウマンゾウについて、その「補遺編」(5)

    ナウマンゾウについて、その「補遺編」(5)ナウマンの1879年の論文から―横須賀産マンモス?について―(その3)1.ナウマン教授の後任、ブラウンス氏来日ナウマンは、日本の地質研究を進めるうちに、日本列島の起源や構造について、地質学的に本格的な調査の必要性を考えるようになりました。そこで、大学の教壇と掛け持ちでは十分な地質調査はできないため1879年任期満了と同時に教授の職を辞し、列島の地質調査に専念することを決意しました。そのため1879年12月、ナウマンの後任の東京大学理学部地質学教室第二代教授として明治政府(文部省)によって招聘されたのがナウマンと同じドイツ人の地質学者ダーフィト・アウグスト・ブラウンス(DavidAugustBrauns:1827-1893)でした。ブラウンスは東京大学に赴任後は、東...ナウマンゾウについて、その「補遺編」(5)

  • ナウマンゾウについて、その「補遺編」(4)

    ナウマンゾウについて、その「補遺編」(4)ナウマンの1879年の論文から―横須賀産マンモスについて―?(その2)1.山下昇、ナウマン論文(1881)を精査ナウマン論文(1879)は、1996年に故山下昇(1922-1966;日本を代表する地質学者の一人、信州大学名誉教授)先生によって邦訳されました。先生は地質学者でありましたから、ゾウの化石にも大変造詣が深く、1879年の論文の中でナウマンが用いたElephasprimigeniusnという用語を分り易く「マンモス」と訳されています。また、山下先生のナウマン研究は大変良く知られていますが、特に『地質学雑誌』・第98巻第8号、1992年8月に掲載されています《特別寄稿》論文「ナウマンの化石研究―ナウマンの日本地質への貢献4―」では、ナウマンの1881年の論文...ナウマンゾウについて、その「補遺編」(4)

  • ナウマンゾウについて、その「補遺編」(4)

    ナウマンゾウについて、その「補遺編」(3)ナウマンの1879年の論文から―横須賀産マンモスについて―?(その1)1.横須賀・白仙山産下顎の化石さて、前述しましたように、1867年横須賀・白仙山開鑿跡地で発見された「ゾウの下顎の化石は、1871年5月に田中芳男の要請で横須賀製鉄所から大学南校に送られ、そして田中の企画で開催された大学南校物産会に出品展示されました。その4年後の1875年に来日したナウマンによって、その化石は科学的に分析されてゾウの化石であることに間違いないことが明らかにされたのですが、ナウマンが研究に用いるまでの数年間、その化石はどこで保管されていたのでしょうか。何でもないことのように思われますが、このことは大変興味深いことなのです。大学南校での物産会が終了した後、横須賀製鉄所に戻されたのか...ナウマンゾウについて、その「補遺編」(4)

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