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  • 木漏れ日の下のアトリエ【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<8>】

    梅雨の中休みの晴れ間が続いている。夏の到来を思わせる太陽の光だ。中庭を片付け、落葉や枯れ枝を集めて焚き火をしながら、冬に描いた大作(90センチ×12メートル他)を広げて、仕上げをする。ストーブの煤や竹炭の粉、樫の葉、椎の古木の皮などをブレンドした「黒」や、草木染めの染料(今回は山桜の染液)などを調合した絵の具を作る。それらの絵の具で画面に濃淡をつけてゆくのである。途中で、仕上げているのか、壊しているのか、わからなくなる時間帯がある。それでも描き続けていると、乾くにつれて次第に浮き上がってくる形態がある。それが、夜神楽の舞い続けられている村を取り巻く山岳や、霧が立ち上り、朝の光がさし始める山の峰などの形象が立ち現れ、画面から神楽笛の音が響いて来れば、仕上げは順調に進んでいると思っていい。そのかすかな響きを受...木漏れ日の下のアトリエ【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<8>】

  • 椎葉山の博物学者、逝く―「おばあさんの植物図鑑」(文・斎藤政美、語り・椎葉クニ子/葦書房:1995)【かさこそ森の読書時間<7>】

    おクニばあちゃん、椎葉山の博物学者などと慕われた、椎葉クニ子さんの訃報が届いた。椎葉の最奥の村で過ごした99年。大往生である。椎葉村日添(ひぞえ)地区は、源氏の追討軍があまりの険しさに追手を治めて引き返したという伝説を伝える「追手納(おてのう)」地区からさらに奥山へ入った険しい山岳の村である。峠ほ超える道は五家荘へと続いている。平家の落人たちがたどった道である。私が訪ねた30年ほど前は、まだご主人の椎葉秀行さんがご存命で、二人で「最後の焼畑」と言われた焼畑耕作を続けておられた。ばあちゃんと一緒に山を歩くと、その博学ぶりに驚かされた。見るもの、手に触れるもの、足元にある草や木の幼生まで、ほぼすべての名と、それが食べられるか否か、または薬効などの効用があるか、あるいは日常の農具や山仕事の道具などに利用できるか...椎葉山の博物学者、逝く―「おばあさんの植物図鑑」(文・斎藤政美、語り・椎葉クニ子/葦書房:1995)【かさこそ森の読書時間<7>】

  • 切なくて哀しくて美しい絵/Kの劇場<2021:高田啓二郎画集・求龍堂>【かさこそ森の読書時間<6>】

    すべての出発はひとりぼっちではじまる――高田啓二郎の画帖から 高田啓二郎は、1951年生まれ。5歳の時に小児リューマチに罹患し、手足が委縮して通常の社会生活が困難になる。中学のころから絵を描き出し、それが日記代わりとなる。高校生活が、彼にとっては最も充実し、制作も進んだ時代だったのだろう。友人たちは、明るくて優しい性格の男だったと言っている。友と過ごした楽しかった高校生活も終わり、大学も就職も断念しなければならなくなり、彼は一人、部屋に籠って小さな画面に絵を描く日々を送るようになる。藁半紙やメモ帳、たばこの空き箱などに、片腕のない少年や、サーカスの家族、自画像などが繰り返し、描かれる。 僕はいつもこれからだと思っているのではなくいつも、これっきりだと思っている。 風よそれでも僕をなぐさめる言葉が残っている...切なくて哀しくて美しい絵/Kの劇場<2021:高田啓二郎画集・求龍堂>【かさこそ森の読書時間<6>】

  • ジャガイモの皮を剥く朝/アニメ版・フランダースの犬(金の星社:1997)【かさこそ森の読書時間<5>】

    今日から三日間、「かさこそ森珈琲店」を開店する。中二の不登校生・カワトモ君が来るから、今日からは彼に珈琲を淹れてもらおう。冬の間は森の仕事をこなし、春から夏へかけて草刈りや山道の補修、古民家の移築なども手伝い、逞しくなった。その彼が、味覚に対して鋭敏な感覚を持ち合わせているのだ。野草を採集して作る「野草茶」の微妙な味の変化や、渓流で釣って来たばかりのヤマメ料理の塩かげんに――おいしい!とか――うーん、今一つ・・・?などという反応を示す。その彼に、珈琲の淹れ方を教えたら、すぐに会得した。そして、父君と相談して、私が最上としている新宿ヤマモト珈琲店の豆を取り寄せてもらい、その豆で淹れる。それが、絶妙の味わいなのである。ところで、私は毎朝、朝食を作る。そのことはべつに苦にはならない。山の村で育った小学5年のころ...ジャガイモの皮を剥く朝/アニメ版・フランダースの犬(金の星社:1997)【かさこそ森の読書時間<5>】

  • 火垂るの墓/野坂昭如(徳間アニメ絵本/1988)【かさこそ森の読書時間<4>】

    近所の漁師さんから、本マグロの切り身をいただいた。大切に包まれた「トロ」と思われる塊と、長さ40センチにも及ぶ「カマ」(魚の胸鰭を含む鎌形に切った部位。頭の下部の顎の部分で鰓を隠している。大型の魚では身が付いており、脂が乗って美味。)も一緒だった。漁船から揚ったばかりの、今朝まで黒潮の海を泳いでいたイキの良いやつ。早速、調理する。まずは刺身で一杯。夕食後だったが、郁子(むべ)の花酒をオンザロックで傾ける。マグロとは、こんなにも旨い魚だったのか。翌朝は、お腹が重かったのでお粥に山奥の村の神社から届いたお餅を焼いて乗せ、刺身の残りの醤油漬けと野菜の味噌汁で軽く済ませる。昼は、マグロ丼、夜はカマの塩焼き。マグロ三昧とはこのことだ。「ひなたの国」と呼ばれるこの地の豊かな暮らし。――いったい、あなたは何を食べて生き...火垂るの墓/野坂昭如(徳間アニメ絵本/1988)【かさこそ森の読書時間<4>】

  • 火垂るの墓/野坂昭如(徳間アニメ絵本/1988)【かさこそ森の読書時間<4>】

    近所の漁師さんから、本マグロの切り身をいただいた。大切に包まれた「トロ」と思われる塊と、長さ40センチにも及ぶ「カマ」(魚の胸鰭を含む鎌形に切った部位。頭の下部の顎の部分で鰓を隠している。大型の魚では身が付いており、脂が乗って美味。)も一緒だった。漁船から揚ったばかりの、今朝まで黒潮の海を泳いでいたイキの良いやつ。早速、調理する。まずは刺身で一杯。夕食後だったが、郁子(むべ)の花酒をオンザロックで傾ける。マグロとは、こんなにも旨い魚だったのか。翌朝は、お腹が重かったのでお粥に山奥の村の神社から届いたお餅を焼いて乗せ、刺身の残りの醤油漬けと野菜の味噌汁で軽く済ませる。昼は、マグロ丼、夜はカマの塩焼き。マグロ三昧とはこのことだ。「ひなたの国」と呼ばれるこの地の豊かな暮らし。――いったい、あなたは何を食べて生き...火垂るの墓/野坂昭如(徳間アニメ絵本/1988)【かさこそ森の読書時間<4>】

  • 時代が巡り、アートが新しい価値観を獲得し始めたこと 【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<7>】

    昨日、『「時」が育てたアートプロジェクト』という大仰にもみえるタイトルを掲出してしまったので、弁明を兼ねた追記をしておくことにしよう。私は、25歳から30歳までの5年に及ぶ入退院を繰り返した療養生活を終えて湯布院の町に社会復帰の場を得た。そこが、のちに「町づくり」と呼ばれた運動の初発の地であったから、私は迷わずその渦の中に飛び込んだのである。人生の転機というものは、どこにあるかわからないものだ。その後の四半世紀に及ぶ人生は、「由布院空想の森美術館」を設立し、「文化を基軸とした癒しの保養地づくり」という理念を掲げて大きく発展した由布院の町の疾風怒涛の歴史と重なっている。私は美術館設立と運営という幸運を喜びながらも、それは「観光」という湯布院の町の主軸と比例し、そこから獲得した価値観だと理解していたから、美術...時代が巡り、アートが新しい価値観を獲得し始めたこと【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<7>】

  • 【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<6>】

    由布院空想の森美術館と小鹿田焼ミュージアム渓声館の展示を終えて帰って来た。7月22日からは南阿蘇聚遠館&BanbooForestKAGUYAでの展示も始まる。「神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展」という五会場を廻るアートプロジェクトがこうして進展してゆく。この企画はかねてより協議を重ねてきた大きなアートフェアとのリンクが決定した(公表はもう少し先)。この状況を念頭に、古い教会を改装した「友愛の森空想ギャラリー」に作品を並べ、仕上げをしてゆく。描きかけの大作や、心象風景に仮面をコラボした作品などを置き、どの作品をどの会場に配置するか、会場と作品の響調が生まれるかどうか、などを確認する作業だ。現場で描いた葉書大の商品も額装してゆく。【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<6>】

  • 花を摘みながら帰る旅【空想の森から<164>】

    由布院空想の森美術館と小鹿田焼ミュージアム渓声館での「神楽を伝える村へ」の展示とコンサート&ライブペインティングを終え、宮崎へと帰る。日田は生まれ育った故郷であり、由布院は病から復帰し、社会生活に戻り、「湯布院の町づくり」「由布院アート」などと呼ばれた運動に参加した再生の地だが、現在住む宮崎・西都市友愛の森もまた帰るべき場所なのだ。阿蘇から高千穂へと越える山道の脇にスイカズラの群落があったので、採集する。スイカズラの花を焼酎に漬け込むと、甘い香りがして美味しい花酒となるのだ。茎を一本ずつ丁寧に折り取り、束にして車に積み込む。車中が野の香りに満たされた。夕日が山脈を赤色に染めて落ちて行った。少し前に書いたスイカズラの「花酒」の文を再録しておこう。☆すいかずら<吸蔓・忍冬>【花酒と旅の空】より野辺に甘い香りが...花を摘みながら帰る旅【空想の森から<164>】

  • 「前衛=アヴァンギャルド」と「基層=ネイティブ」が響き合う―/小鹿田焼ミュージアム渓声館にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<5>】

    成澤けやき君のティジュリドゥの演奏と私・高見乾司のライブペインティングは、雨のため途中で終わらざるを得なかった。翌日、丸めて持ち帰った紙を広げてみたら、濡れた紙に絵具や墨が滲んで、まったく別ものに変化<へんげ>していた。東洋の幽玄世界のようなその画面を珍重し、加筆して新たな作品として仕上げることにしよう。それもまた前衛美術が獲得した表現領域である。雨を避けて入り込んだ渓声館のギャラリー入口の空間には、かつて前衛美術集団「九州派」で活躍した作家・小幡英資氏の200号の大作「潮音」が展示されている。けやき君は、その前を特設のステージと見立て、第二部の演奏に移行したのである。ヨーロッパを中心に各地で演奏活動を続けているミュージシャンの臨機応変の対応であった。そして、福岡市小戸海岸近くに住み、玄界灘地震に遭遇し、...「前衛=アヴァンギャルド」と「基層=ネイティブ」が響き合う―/小鹿田焼ミュージアム渓声館にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<5>】

  • 小鹿田焼の古陶と神楽画帖の絵が響き合った―小鹿田焼ミュージアム渓声館にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<4>】

    小鹿田焼の古陶と神楽の現場で描いた「神楽画帖」シリーズ、それをもとに構成した心象風景などを展示すると、絵と古い陶器群とが響き合う会場となった。会場の奥の扉を開けると小野川の清流が見え、せせらぎの音が聞こえる。作者としてはほっと安堵の息をつく場面である。村人の日々の生活の中で使われ、また「目利き」「数奇者」などといわれる愛好家の手元で賞翫され、伝わってきた古い器や道具たちは、風化の時間を耐え抜いて来た逞しさと、確かな作陶技術に裏付けられた作品が持つ美しさを合わせ持っている。そしてそれは、私自身が生まれ育った村の歴史とも重複している。そのような「もの」たちと対話し、交歓し合う要素を神楽の絵が持ち合わせているということは大切なことだ。若いころ、郷土の大先輩、宇治山哲平画伯のアトリエを私たちは仲間たちで訪ねる機会...小鹿田焼の古陶と神楽画帖の絵が響き合った―小鹿田焼ミュージアム渓声館にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<4>】

  • 「老境」ということ――小鹿田焼ミュージアム渓声館にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<3>】

    数日前の夜明け前、一度目覚めてまた眠りに落ちた曖昧な時間帯に見た夢は、神楽の絵を描きながら死ぬ、という場面だった。それは、その前日にミュージシャンのM氏が、人生最後の一曲を書き上げたので、これでいつでも死ねるという心境だ、と言っている夢を見たから、その夢と連動していたのだろうと思う。それに近い出来事は、実際に神楽の絵を描いていた米良山系の夜神楽の一夜の夜半過ぎに起きていた。すでに7時間以上描き続けていて、御年104歳の神楽の画家・弥勒祐徳(みろくすけのり)先生が、――この時間帯を過ぎると神楽の神様が降りてくる。という神変・変異の時空間における出来ごとだった。だが、私は神がかりしていたのではなく、ただ、少し飲んだ焼酎の酔いがまわり、体力も尽きて、絵筆を握りしめ、絵を描き続ける姿勢のまま、眠り込んでいたのだっ...「老境」ということ――小鹿田焼ミュージアム渓声館にて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<3>】

  • 企画の全体像【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<2>】

    神楽を伝える村へ高見乾司/MIYAZAKI神楽画帖展山を越えて行くと、遠い峰の向こうから、神楽笛の音が響いてくることがある。宮崎県には、総数300座を超える神楽が伝承されており、秋から冬、そして春へかけて、山深い村々や海辺の里で、終夜、神秘の舞が舞い継がれるのである。神楽の場に、荘厳な仮面神が現れ、優美な舞が舞われるとき、そこには、勇壮な国家創生の英雄たちの物語と、古くからその土地に座し、人々の暮らしを見守り続けてきた土地神たちの織り成す絵巻が繰り広げられる。焚き火の煙、焼酎の香り、太鼓の音。舞人、旅人、村人、子供たち。吹きすぎてゆく風、舞い散る小雪。御年104歳になる神楽の画家・彌勒祐徳(みろくすけのり)先生は、98歳頃まで現場に100号のキャンバスを持ち込んで描いておられたが、――夜中の2時を過ぎた頃...企画の全体像【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<2>】

  • 三日間の展示/友愛の森空想ギャラリーにて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<1>】

    高見乾司の近作を展示しています。コロナ感染症蔓延の前に描いていた作品に加筆し、古い金屏風や額縁などに自分流に表装したり額装したりしたものです。これらの作品が、由布院・日田・南阿蘇・高千穂の各会場に新作を加え、会場ごとのコーディネートを変えて展示され、宮崎へと帰ってきます。そのころ、神楽の季節が始まるのです。三日間の展示/友愛の森空想ギャラリーにて【神楽を伝える村へ/高見乾司:神楽画帖展<1>】

  • 常世の舟―川を見に行く―

    各地に大雨を降らせた台風2号が、南海上を東へ去った。すっきりと晴れ渡った朝である。川を見に行く。昨年の台風14号で流出し、堆積した膨大な土砂が、川底を埋め、両岸に堆積しているため、降った大量の雨でどの程度の影響が出るかを見ておきたいのだ。個人が心配してもどうなるというような規模のものではないが、やきり気になるもの気になる。川は平時に近い状態に戻っていた。今回の雨量程度では、大規模な災害を引き起こすという心配はないようだ。上流部の渓谷も大丈夫だろう。要するに、近いうちに釣りに行けるかどうかが、チェックのポイントなのだ。台風が南海上に停滞している間、我が家の周辺は湖のような状態になっていた。一気にあふれた水が、家の周囲を激しく流れ、さらにあふれて、家そのものが水に浮いているような感覚になるほどだった。それで、...常世の舟―川を見に行く―

  • 本日(6月2日)と明日(6月3日)は台風通過にともなう大雨対応のため、「かさこそ森珈琲店」はお休み

    お知らせ☆◇本日(6月2日)と明日(6月3日)は台風通過にともなう大雨対応のため、「かさこそ森珈琲店」はお休みにします。明日(3日)に予定されていた森の草木染め/「姫女苑で黄色、野生化したお茶の葉で紫を染める」は中止となります。◇明日(3日)の午後、雨が小降りになったら、「友愛の森空想ギャラリー」の展示替えをします。高見の神楽の絵(大作あり)の展示と撮影です。助っ人歓迎です。本日(6月2日)と明日(6月3日)は台風通過にともなう大雨対応のため、「かさこそ森珈琲店」はお休み

  • 成澤けやきのデイジュリドゥコンサート&高見乾司のライブペインティング 【日田・小鹿田焼ミュージアム渓声館にて】

    近づいてきました。故郷日田での里帰り企画。思いがけない再会が、また次の出会いを生んでいる。不思議な縁を大切にしながら、男二人のふるさとへ帰ろう。成澤けやき君のフェイスブックから転載。  【6月の非常に光栄な事、2つ】①大分県日田市48年前、東京で僕が産まれた後すぐに、父は脱サラし竹細工職人になるために、母と3人で大分県の日田市に移住した。花月川のそばの小さなお家、裏手のお寺の横の田んぼの畦道を父の手にひかれながら丸の内保育園に4歳頃まで通った。家は小さく暮らしは貧かったが、窓に張り付くヤモリや風呂場にでてくるカエルを捕まえたり、川の土手を転げ回り、黄金の夕焼けの中で寺の鐘の音を聞きながら父に手をひかれて泥だらけで帰るあの毎日は、大人になった今でも心の原風景として強烈に自分のアイデンティティの真ん中にある。...成澤けやきのデイジュリドゥコンサート&高見乾司のライブペインティング【日田・小鹿田焼ミュージアム渓声館にて】

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