市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
鉄板ハウス「つくしんぼ」だってさ♬寄ってみようかどうか、このところ迷っている。お好み焼きともんじゃ、両方やっているんだねぇ。閉店した様子はない(失礼)けど、看板は一部壊れているし、平日に客のクルマが止まっているの見たことない。じいさんばあさんが顔をだすのか、自分もそうだけど(笑)。鉄板ハウス「つくしんぼ」
ちょっとした気まぐれから、池波正太郎への関心が蘇ってきた(*´ω`)「鬼平犯科帳」が11-2冊、「剣客商売」と「仕掛人・藤枝梅安」はそれぞれ数冊。今回はまずは梅安から。その昔、台東区役所の資料館へ出かけたこともあった。文字が大きくなった新版を、気がついたら20冊ばかり買い直していたよん。どういうわけか、日本のハードボイルドというと、まず、時代小説の池波正太郎を思い出す。文庫本で、現在5-60巻は手に入るだろう。鬼平犯科帳だけで24巻だし別巻もある。沼にはまったらけっこう大変(;^ω^)あ映画やTVでお茶をにごす人も多いだろうけど。むかし好きだった時代小説の池波正太郎
おお、影が躍っている。小学生だろう。髪の毛が風にうねって、それが車体に美しい影となって映っているんだね(^^♪小学校時代の、漠然としたワンシーンを思い出す。こんな写真プレゼントしてくれてありがとう。影が躍る
仕事にかけた男たちのクールな神話 ~ギャビン・ライアル「深夜プラス1」のいま
■ギャビン・ライアル「深夜プラス1」鈴木恵訳(ハヤカワNV文庫2016年刊新訳トールサイズ)原本は1965年冒頭からこんなことをいっては申し訳ないが、かつて冒険小説の最高峰の1冊として取り沙汰されていた「深夜プラス1」。だが、今回の読書では、わたし的評価では、残念なことに冒険小説のオールタイム・ベストの30から陥落しそうである。本編を有名にしたのは、よく知られているようにコメディアン&書評家、内藤陳さん。内藤さんは日本冒険小説協会設立発起人の一人で、新宿に酒場「深夜プラス1」を経営なさっていた。わたしもそこに友人と二人で出かけていったことは、すでに述べさせていただいた(*´σー`)「深夜プラス1」がヒギンズの「鷲は舞い降りた」とならんで、冒険小説の代名詞となったのには、内藤陳さんの功績が大きい・・・といわ...仕事にかけた男たちのクールな神話~ギャビン・ライアル「深夜プラス1」のいま
プレリュードとフーガ、そして雨 ~ヒギンズ「死にゆく者への祈り」を読む
(左はトールサイズの、右は旧版の表紙)■ジャック・ヒギンズ「死にゆく者への祈り」井坂清訳(ハヤカワNV文庫1982年)活字が大きく読みやすい<トールサイズ>小説全体にバッハのオルガン「プレリュードとフーガニ長調」などが鳴り響く♬そしていつまでもやまない雨。この作品は、情念がメラメラと燃えているような一篇である。なぜか、読み了えるまで、ずいぶん時間を要した、通常の倍・・・くらい(-ω-)複数の主人公。その一方のマーチン・ファロンは、テロリストでありなら、オルガンの名手なのだ。必要にせまられ、愛銃チェスカを使って、ミーアンの手下どもをつぎつぎ殺してゆく。本編の最後の場面で「死にゆく者への祈り」というタイトルの真の意味がわかる。乾いたヒロイズムが、大袈裟な身振りやセリフを浸している。「ちょっと臭えなあ」「あんた...プレリュードとフーガ、そして雨~ヒギンズ「死にゆく者への祈り」を読む
ムハハ、知らなかったなあ。「深夜プラス1」は菊池光訳だと思い込んでいやした(;^ω^)2016年に鈴木恵さんという人の新訳がハヤカワ・ミステリ文庫から刊行されていたんですね。よそのジャンルに気をとられていたから、うっかりしていた。文字が大きくなったのは大歓迎だけど。新訳の「深夜プラス1」
メグレという男とその周辺 ~シムノン「メグレとマジェスティック・ホテルの地階」を読む
■ジョルジュ・シムノン「メグレとマジェスティック・ホテルの地階」高野優訳(ハヤカワ・ミステリ文庫新訳2023年刊)原本は1942年作品的な出来不出来だけいえば、たいしたミステリではない。パズルでよくある小説のように、最後に“名探偵メグレ”がこんがらがった謎を、名推理によって解きほぐしてくれる。「あれれ、そうくるんですか?」わたしはちょっと虚を衝かれましたよ(´Д`)でも、この「メグレとマジェスティック・ホテルの地階」の読みどころはそこにはないのですねぇ。謎解きの名作は、ほかにいろいろとありますから。ではなくて、警視メグレという、ある意味凡庸な中年男の“現実”が、うまく書けていることに感心しないではいられない。しかも有名ホテルの内幕が、これでもか、これでもかと、じつによく調べて書き込んである。ホテルの裏方と...メグレという男とその周辺~シムノン「メグレとマジェスティック・ホテルの地階」を読む
時効がせまっている男たちを追いつめる ~シムノン「サン=フォリアン教会の首吊り男」を読む
■ジョルジュ・シムノン「サン=フォリアン教会の首吊り男」伊禮規与美訳新訳(ハヤカワ・ミステリ文庫2023年刊)原本は1931年小説家デビュー初期の3冊の中の一篇らしいけれど、ミステリとしてはちょっと変則的なストーリー展開となっている。犯罪が起こったのはおよそ10年前、このころのフランスでは殺人が10年で時効になるようだ。「首吊りの男の絵」(第6章)をめぐるエピソードにふれているあたり、往年のゴシックロマンの雰囲気がある。なぜメグレが男の鞄をすり替えたのか(冒頭シーン)、ハッキリとした説明がないまますすんでいく。メグレはこの男の自殺を目撃することになるが、そこいらは多少ご都合主義。舞台はドイツへ、ベルギーへ、ブランスへと、けっこう目まぐるしく移ってゆく。サスペンス感覚は、おしまいまで持続する。シムノンがベル...時効がせまっている男たちを追いつめる~シムノン「サン=フォリアン教会の首吊り男」を読む
「明星」「プレイボーイ」など、激写で名をはせた篠山紀信さんが、83歳で亡くなった。数日前、朝日文庫の「決闘写真論」を手に入れたばかり(*´ω`)「アサヒカメラ」に連載されていたのを憶えている。とくに「家」「寺」「平日」の回が鮮烈。中平卓馬アッジェ論、W・エバンス論も刺激的でドカーンとやられた。フィルムカメラ時代の英傑といえるお二人。節目かな、時代の(´・ω・)?篠山紀信逝去
内藤陳さんが、ゴールデン街で「深夜+1」をやっていたころ、友人と出かけたことあった。お遭いできなかったけど、馳星周さんもいなかった。令和のこの時代、「冒険・スパイ小説」ってどうなんだろう(´?ω?)「読まずに死ねるか!」が昭和60年。名著だったなあ。「ジャック・ヒギンズを知らない?死んで欲しいと思う」など、決めゼリフがカッコよかった。陳さんはその後、日本冒険小説協会の会長になっている。でも酒癖は悪かったらしいですね。ハヤカワの「冒険・スパイ小説ハンドブック」が出たのが、1992年(平成4年)。陳さんは2011年(平成23年)に亡くなっている。いろいろと思い出しますなあ(ノω・、)内藤陳さんがいたころ(^^♪
今年は謹賀新年、明けましておめでとうは取りやめ。両親が介護施設に入ってしまい、この母屋にはけん太が一人(一匹)で住んでいます。何とも淋しい年明け。昨日は寺の役員の“お勤め”でした。実質の2024年は今日からのスタート・・・ですねぇ。皆さん旧年中はありがとうございました(^^♪新年のわが家
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市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
大岡信選『折々のうた』(二)を読みはじめた。一茶からはじまる近代俳句。この区切りかたはおもしろい♪子規をのぞいて、尾崎放哉や山頭火以外には関心がもてなかった。大岡さんに説得されるのかな、ふむむ(´・ω・)?短歌は本当のところおもしろくない。辻原登編「与謝蕪村」(河出文庫)も買ってきてある。『折々のうた』(二)長谷川櫂編を読みはじめた
この千羽鶴はすごいなあ♫横の碑に秩父三拾四ヶ所巡拝という文字が刻んである。これを高崎市の下町で撮ったのだ。地蔵さんは敬慕されているんだねぇ。近所に信心深いおばあさんでもいるのだろう。帽子や涎かけ、お供えしてある花々。クルマから下りてお堂をのぞき込んだこと、憶えていまする(。-ω-)お地蔵さんと千羽鶴
これは以前UPしたことがあったかも♪地元ではお花見の名所、前橋公園。“お花見の客”なのです。二人の妙齢の女性はイスラムの人。お訊ねしたわけじゃないですが、髪を見ればわかります。スクエアフォーマットはローライフレックス3.5Fを使用。サクラは満開あるいはほぼ満開に近かったと憶えていまする(´◡`)お花見の女性二人
どこで撮影したのかはよく憶えています。沼田市街を、カメラ散歩していたとき。とてもきれいな帆船だと思ったことも。花屋さんの店先だったかなあ。そのあたりはあいまい(´ω`*)マスト、船体、重りなど、とても精巧にできていますよね。ご主人がマニアなのかもしれません。街中でこんなものを見かけたら、撮るしかありませぬ。美しい帆船模型
今年2月か3月にBOOKOFFで買った半藤一利さんの「漱石俳句探偵帖」(角川選書)は、まったく期待していなかった。それがこれほどおもしろい本だったとは♫読んではポストイットをたくさん挟んだ。半分ばかり読んだ中では「死こそ真のリアリティだ」をはじめ、目が離せない記事がたくさんある。あらためて漱石の俳句の真の魅力を、半藤さんが教えてくれたのだ。漱石全集は売却してしまったけど、岩波文庫の「漱石俳句集」は、2度ばかり読んでいる。「漱石俳句探偵帖」(角川選書)半藤一利
これはどこで撮ったのか、ハッキリとは覚えていません。おそらく、藤岡市内だったと思います。壁の一面が琺瑯看板で埋め尽くされていまする(゚ω、゚)これは意識して集めた・・・のでしょう。キンチョールとかナショナルの文字が多いですね。高齢者の場合、記憶の中に、きっちり刷り込まれているんじゃないかしら。琺瑯看板part2
一茶句集で退屈していたところ、長谷川櫂選の『折々のうた』選(一)を読み出し、頭を殴られたような鈍いショック!その句、内藤丈草「水底を見てきた顔の小鴨かな」であった。丈草は蕉門十哲のひとり。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」などこちらに12編が収めてある。そのどれも優劣がつけにくいくらい、見事な出来映え(^^♪一度読んでいるけど、ほぼ忘れてしまった。「時鳥(ほととぎす)鳴くや湖水のささにごり」「我事とどじょうの逃げし根芹かな」。また読み返すのかい、あんた(;´д`)トホホ水底を見てきた顔の小鴨
うむむ。これは“婦人服”の専門店です。大きなマネキンが展示されていたのでパチリ!写っているのはわたしのクルマ。マネキンがいかに大きいかおわかりでしょう(゚ω、゚)左にあるのが、普通サイズ。えーっ♫大きなマネキン
昨日ラムネの瓶を見ていて思い出しました。こちらはJR安中駅。ふらりと立ち寄ってみたら、小学生の“図工”が陳列してありました。いやはや、華やか。空き瓶を使ったカラフルな集団演技・・・ですねぇ(ˊᗜˋ*)フィルムカメラはピント、露出を合わせるのが一仕事。むろん、それが愉しいんですよね。JR安中駅
これがどんな情景だか、おわかりになりますか(´?ω?)花弁はサクラ。サクラが散り敷いているのです。前橋公園の満開のサクラを見に行ったとき、ドリンクが、ピンク、ブルー、グリーンといっぱい、浴槽みたいなプールに冷やしてありました。もちろんペットボトルです。「あ~あ。きれいだな」そう思ってパチリ!歩きまわって、のどが渇いていたのです。ピンク、ブルー、グリーンのペットボトル
「凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ」蕪村のこの句がぎらりと光った。朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」(岩波文庫1988年刊)を昨夜読んでいたとき。この本は複数もっているけど、最後まで読んだのはこれがはじめて。小林秀雄「モーツアルト」が世に出たのは昭和21年。一方こちらは昭和11年。はらはらしながらよんだけど、よく最後まで健闘している。批評家としての朔太郎を見直した。「郷愁の詩人与謝蕪村」
この鋭角な建物を桐生市内で撮影したときのこと、はよく憶えています。フジカラー・コニカカラー(その昔はサクラカラー)!2大メーカーがしのぎを削っていましたよね(。-ω-)ポジフィルムも幅を利かせるようになったけれど、主体はネガカラー。フジがややリードしていたはず。くらまたカメラ東店。おおっと路肩に止めてバリバリ撮ったなあ♪桐生のとがったカメラ店
MOMOという文字が何かをアピールしていますよね。そして左下にいる女性。この人を画面に入れるかどうするか、「う~ん」と1分ほど迷ったのを憶えています。小汚い格好(失礼)をしていたからです。看板だけでも絵にはなるんですよね(ノω・、)擬制の窓と赤・青・黒のそれらデザイン、そして室外機。これだけでフレーミングして撮った記憶があります。もちろんフィルムです。MOMO
うわお!アメ車だよ。左折してくるといいな~。期待していたら、その通りになったので、遅れじとパチリ(゚ω、゚)お金をかけ、ずいぶんきれいにリニューアルされているなあ。ビュイック、フォード、シボレーなど50年代のロックンロールが映画で再燃したんじゃないかな。このボディ・カラー、一陣の風。ザッツ・ア・ファッショナル(笑)。アメ車
ワイド版一茶俳句集(岩波文庫1991年刊)。一茶は生涯に2万首といわれているけど、そこから2千首をえらび、制作年代順にまとめ、巻末に初句索引が付されてある。こんな本をどこで買ったのか、まるで思い出せない。以前は普通版の岩波文庫で読んでいるはず。丸山一彦さんの校注。その注がじつに充実していて、目を瞠らせられる。山頭火に引き込まれたいまの気分としては、和歌から俳句へ、くるくる流されるまま。「木々おのおの名乗り出(いで)たる木の芽哉」(寛政元年27歳)。ワイド版「一茶俳句集」を読みはじめた
会社は前橋市内にあったので、高崎からクルマで通勤していました。ここは新前橋駅にほど近い、私立の専門学校。中央専門動物学校と表示されていますね。半分以上は、外国人で占められている、かな?このときはついクルマの運転席からパチリ(ˊᗜˋ*)女性がさしている日傘が目立ちますよね。専門学校の生徒さん
ここからは2019年の写真です。そのほとんどはフィルムカメラによるもの♫さて、自転車のハンドルにひっかけてあるこの赤い帽子。鍔がついてますよ。インナーかな。サッカーボールのようなものが見えます。そして背景の青、黄が赤をきわだたせていまする(´Д`;)ハンドルにひっかけた赤い帽子
山頭火句集の(三)(四)が顔を出したので、(三)は途中までだけど、(四)はさっさと読み了えた。ご本人がセレクトした「草木塔」は、このシリーズの(一)(二)に収録されている。「草木塔」はほかの本をあわせ、何度となく読んでいる。山頭火になるまでの(三)をまとめて読むのははじめてかな。(四)は亡くなる直前まで詠んでいる。山頭火句集~草木塔以外の
たいしたことない写真で、すいましぇん(^^;;)人の撮影したものじゃないから、ま、いっか。ぶらさがっているのはハロウィンのかぼちゃ。前橋市内でうろうろしてるうちに撮ったのです。このときのことはよく覚えていまする。ニコンのFM2またはFE2と、レンズは45ミリF2.8。浅いピントを後ろにかぼちゃに合わせたことまでしっかり憶えてるなあ。ハロウィンのかぼちゃ
■「妻と私・幼年時代」江藤淳(文春文庫2001年刊)■「悲しいだけ」藤枝静男(恋愛小説アンソロジー「感じて。息づかいを。」川上弘美選光文社文庫)(こちらが「感じて。息づかいを。」の表紙)「感じて。息づかいを。」(光文社)は100円の棚にあったので、たまたま手に取って眺めたら藤枝静男の「悲しいだけ」が掲載されていたため、この恋愛小説アンソロジーと称する文庫本を買うことになった。「藤枝文学の極北と称賛された感動の名作、野間文芸賞受賞の『悲しいだけ』を併録」と謳ってある。ただし、講談社文芸文庫の新刊で買うと税込み1,353円とお高い(゚ω、゚)ナハハ「感じて。息づかいを。」には、本編のほか、「桜の森の満開の下」坂口安吾、「武蔵丸」車谷長吉をふくめ、8篇が収められている。病苦の涯に身罷った妻のことが、容赦のない残...“伴侶の死”をめぐる2篇~江藤淳「妻と私」藤枝静男「悲しいだけ」を読む
福田和也「作家の値打ち」(飛鳥新社2000年刊)、こんな本があったのを思い出した。「作家の価値は、人の記憶に残る作品をどれがけ書けるかで決まる。その点からすれば、やはり《第三の新人》までの作家は偉い、というか高い値打ちをもっていると云わなければなるまい。」文学の世界の“偏向”がどうやら許せないらしい。全574点のうち、最高点をたたき出しているのは「仮往生伝試文」古井由吉、「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹、「わが人生の時の時」石原慎太郎の3篇で、いずれも96点。第三の新人までかあ(*^。^*)「内向の世代」でも阿部昭などはわたし的にはお気に入りだけどね。作品(小説)を横一列にならべて数値化するというのが、おもしろかった。日本文学に反ってきたので、またちょっと読み返そうか。この時期をはずすと、二度と手に取らな...福田和也「作家の値打ち」が出てきた
猛暑襲来!!参ったな、35度を超えたらどこもかしこも熱々で身の置き場がない(´Д`;)クルマには遮光シート、小学生は冷水が入ったお気に入りのボトル。省エネを心がけてはいるけど、やむなくエアコンのスイッチはONにしている。猛暑襲来!
中村光夫「私小説名作選上」で、太宰治「富嶽百景」をしばらくぶりに読み返したが、半分ほど忘れていた。2度目に読み返したのは30代のはじめだったかも♪「晩年」の諸作と「津軽」が好き。中でも本作は極上の逸品。「私小説名作選上」は田山花袋のはじめて読む「少女病」からスタートするが、これは残念ながら習作レベルである。徳田秋声、近松秋江、志賀直哉、嘉村礒多など堂々たる私小説作家の代表作に伍して「富嶽百景」は、まちがいなくトップの3傑に入る。若い女性の二人連れに記念写真を頼まれ、結局は記念写真を撮らず、富士だけを撮ったエピソードなど忘れていた。新潮文庫なら注釈があるかと参照したが思惑ははずれた^ωヽ*読みのスピードががくんと遅くなったため、長篇がなかなか読めないなあ。太宰治「富嶽百景」を読み返す♬
新品だとたった3冊で6,000円超え(´Д`)血迷ったわけじゃないけど、講談社学芸文庫はお高いですなあ。「群像短篇名作選」2,300円、「戦後文学を読む」2,000円、「明治深刻悲惨小説」1,800円。もちろんこれに消費税が加わる。表紙は金文字でピッカピカ♬岩波と新潮にはかなわないからねぇ、破れかぶれ?年表だの解説だのがびっしり付属している。昔の単行本なみか、それ以上なので、お値段が張るのはあたりまえ。講談社学芸文庫の現在
■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊以前にも読んでいるから“再読”となる。《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^?)人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。付録のオビにつぎのような惹句がある。《才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、「書きたい人」に勧める、挑発的文学論!》この惹...小谷野敦「私小説のすすめ」~ぶっちゃけ本音トークを再読する
関川夏央の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)の中に興味深い引用があった。志賀直哉「小僧の神様」のストーリーにおいて、中沢新一が“成熟した貨幣経済のうちで「純粋贈与」は可能か”と問いかけているという。「小僧の神様」はわずか24枚ほどの短篇だが、昔から傑作として名高い♬「それは不可能」というのが、中沢さんの結論だそうです。近代文学を読むにしても「それはいつ書かれたのか」という問いはつねに重要だと、関川さんはいっています。たとえば向田邦子の「あ・うん」の仙吉も「小僧の神様」からとられているんだって(。-ω-)新しい問いを発見するのが批評家の仕事でしょうね。関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)
割とよく通る交通量の多い交差点。赤い上っぱりを着た女性がいてくれたら・・・と思ったことがあった。そうしたら、この日おあつらえ向きに、ドンピシャリ(´◡`)リフォームの文字に懸け替えられたんだね。まさに“紅一点”のごとく!こんなところでスナップしたがっているのはわたしだけか(;^ω^)写真は1×2にトリミングしました。背景もおもしろい♬
車谷長吉の「武蔵丸」と、織田作之助の「聴雨」は近ごろ“大あたり”だった。拾ってきたカブトムシのことを書いた「武蔵丸」より、坂田三吉のことを描いた「聴雨」の方が上ですね↑フ~ムフム。はてさて大量に抱え込んだ本を、数百冊売らねばならないなあ。6DKでもいる場所がなくなってしまう。5-600冊売れば多少は風通しがよくなる・・・かな!?単行本の類は思い切って捨てることだなあ、やれやれ(´Д`)「聴雨」と「武蔵丸」はよかった↑
完璧な“流し撮り”にはほど遠いなあ^ωヽ*たまたまこうなった。男の子以外はブレてしまったので、そのように見えなくはない・・・というレベルだな。背景は年中出かける高崎のBOOKOFF。ん?流し撮りかな
昨日サルスベリの幹で交尾していたキマダラカメムシ(・・・たぶん)。よく家の中にも入り込んで、出るに出られず干からびているのがこいつだろう。違うかな(´?ω?)サクラ、カキ、サルスベリなど、多くの樹木につき街路樹にも多いようだ。台湾~東南アジア原産の帰化種とのこと。毛虫じゃなくてよかったぜ。キマダラカメムシ(´?ω?)
高橋さんは長吉の隣りに「高橋順子海へ」という生前墓を造ってもらい朱書してあるそうである。「夫・車谷長吉」は生半可な本ではない。読者としてわたしは、すっかり心を掻きまわされてしまった!「終の住処」の一章もすばらしい♬ドキュメンタリーの傑作である。なお本書で2018年講談社エッセイ賞を受賞しているそうである。夫の墓には入りませんという女性がふえているなかにあって、高橋さんの妻としての決然たる“思いの丈”が、この本にギュッとつまっている。読み了えるのがもったいないなあ(。-ω-)高橋順子“海へ”
(一昨日、BOOKOFFで手に入れた車谷長吉の2冊)妻の留守中に、解凍中の生イカをのどにつまらせ、69歳で窒息死した小説家車谷長吉。「四国八十八ヶ所感情巡礼」のレビューでこんな記事をお書きになっている方がいた。《どこかの駅でうんこを垂れ流し、「この始末は誰がするのか」と駅員に言われて「それは、おまえの給料のうち」と言い捨てて、折から着た電車に飛び乗ったという話を得意気に書いている下りでは腹が立った。自分のうんこの始末もできないで、会う人を、それぞれ「極楽に行く・行かない」と「採点」する。》ウハハハ、こりゃすごいな。そのとき、奥様の高橋順子さんはどこにいたのだろう。強度の強迫神経症を発症しているから、「夫・車谷長吉」を読んでいると、もうほとんど狂人と紙一重である。高橋さんはゲッと思うようなことをけっこう淡々...正常・異常の境界例を生きた男~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって
およそ3~4年に1回の頻度で姿を見せる、ゴマダラカミキリ♬この日は南東の植え込みで剪定をしていた。「終わり!」と思ってふと見え上げると、この子が枝に止まっていた。探すと見つからないが、すぐそこいらにいる。子どものころから見慣れたブルーブラックの輝きが、何ともいえず美しい(ˊᗜˋ*)ゴマダラカミキリがやってきた
高崎市の道路維持課の人が6人やってきて、水路や溝の清掃をしてくれた。息子が電話したあと、区長も連絡したようだ。わたしが憶えているかぎり、市の人材出動ははじめてのこと。距離にしたら約150m。左に見えるのはわが家の太陽光発電設備。わたしは屋敷内の雑木を伐採していた(*´ω`)いや~暑かった。水路の清掃
(新刊で手に入るのは、現在「夫・車谷長吉」のほかは文春文庫では「赤目四十八滝心中未遂」、新潮文庫では「鹽壺の匙」だけのようだ)一昨日からこの文春文庫「夫・車谷長吉」を読みはじめた。買おうか買うまいか、迷っていたのだ。本書の文庫が2020年2月刊行なので、まあ、目にとめてから約4年の歳月がたつ。高橋順子さんは、詩集も、1冊か2冊どこかにあったはず。ただし、じっくり腰を据えて読んだ記憶はない。「夫・車谷長吉」を、とうとう読みはじめ、その影響で「寝返りを打つ」という妙チキリンな詩が生まれてきた。高橋さんの詩からは影響をうけなかったのに、この車谷長吉について書かれたエッセイからは、影響をうけた。とてもストイックな、でもやさしさに満ち溢れた、どこかエレガントなエッセイとなっている。ⅠからⅥまで、6つの章に分かたれて...夫・車谷長吉とともに~詩人・高橋順子の愛情告白(2024.6.13記)
あああ。あああ。とつぶやきながら深夜のベッドで寝返りを打つ。そうして深い淵のようなところから這いあがったりずり落ちたりしている。そこに横たわるきみよいいかげんにしたらどうかね。何年こんなありさまですごしている。何年?ごわんごわんとブルドーザーのようなものが通りすぎていった。その轟音がいまでも耳元で響いている。ムクドリや女たちのざわめきや木の葉をゆらす風。反響はもうながいあいだ鳴りやまない。もういちど寝返りを打ったらそれらを払いのけることができるかしら?あああ。耳に栓をして暗闇の向こうを見るふりをしてぼくはなにか“こと”が起きることを待っている。這いあがったりずり落ちたりそのくり返しもまもなく終わりになるだろう。ひんやりとした空気の塊に目を凝らすようにぼくはベッドに横たわる深夜の自分を眺めている。※詩のよう...寝返りを打つポエムNo.2024-01
うけている、ずいぶん大げさに(*^。^*)アジア系は間違いないけど、もしかしたら日本人じゃないかも。ギャハハという声が聞こえてきそう。なにを話しているんでしょうね♪よほど仕合せなのか、右の女性が漫才師なのか!?おいらは四車線道路の反対側で信号待ち。信号待ちで
一週間のうち、半分は本を探しているか、本屋へいって本を物色している(^O^)ナハハどうなっているんだ、あんた。右の本が行方不明となって、もう1年はたつ。そうしたら、白秋の「フレップ・トリップ」と一緒に寝室から出てきた。この樺太の旅は友人から数年前にすすめられて買った、そして積読。詩人白秋の童心があっちこっちで炸裂し、読者を別天地へと誘う紀行文。Cheerfulという英語を連想する人もいるだろう。「美酒について」は、かなりハチャメチャな対談だけど、まあ、ある種の傑作に類しますなあ♬ただしどっちも“品切れまたは絶版”じゃないかしら?寝室から出てきた
「おかしいなあ、おかしいなあ」と、一つの本を3日も4日も探している。現役時代には想像できなかった(;^ω^)ずばりいえばそれだけヒマなのだ。「近代日本人の発想の諸形式」はすぐに見つかった。有名な近代小説論だけど、出版社もおそらく品切れなのだ。「小説の認識」ぜひ読みたい論攷が4つほどある。「小説入門」は古めかしい新書版で手にしたことがある。講談社文芸文庫だと、ん!?¥12,735からはお高いなあ。稀覯本扱いなのだろう(*・д・)20代のころ買っておけばよかった。「見かけたときが買い時」なんちゅうて。見かけたときが買い時