市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
警視メグレの憂鬱なパリ ~シムノン「モンマルトルのメグレ」に舌鼓を打つ
(表紙のイラスト。左は巨漢メグレ、右はチビ助の“ばった”)■ジョルジュ・シムノン「モンマルトルのメグレ」矢野浩三郎訳(河出文庫2000年刊)原本は"MaigretauPicratt's"1950年Amazonのレビューで「ダントツのAランク」と書いている読者がいる。それほどおもしろかったということなのだ。わたしも、本編「モンマルトルのメグレ」をAランクとすることに躊躇しない♪なぜこういう作品が品切れなのか、首をかしげたくなる。過去のメグレ警視ものを、ハヤカワ文庫のように3冊でいいから再刊しましょうね、河出書房さん。・・・といいつつ調べていたら、Kindle(Digital)はかなりの数がUPされていた↑ふ~む、電気を使って見ろ、ということかね(´Д`)先日読み了えた「メグレと若い女の死」に比肩できる・・・...警視メグレの憂鬱なパリ~シムノン「モンマルトルのメグレ」に舌鼓を打つ
被害者の立場になってみること ~シムノン「メグレと若い女の死」が胸に沁みた
■ジョルジュ・シムノン「メグレと若い女の死」平岡敦訳(ハヤカワ・ミステリ文庫2023年刊)原本は1954年以前から気にはなっていたが、新刊では見つけることができなかったシムノン。ところが2023年に、早川書房が新訳版を刊行してくれた。古本でもいいのだが、文字が小さいと気勢を削がれる。わたしが老齢とえる年齢になったからだ。フランスのミステリは、たしかはじめてのはず(-ω-)ミステリは、基本英米文学と相場が決まっている。いつの時代だったか、河出文庫に収録されていたことがある。表紙のイラストがへちゃむくれだと思ったが、2~3冊は手許にある。昭和の末期あたりまではシムノンはよく読まれていた。シムノンは、75作の長篇、30作ほどの短篇を書いた多作家。そのころ「雪は汚れていた」を読んだ知り合いが、なかなかよかったよ、...被害者の立場になってみること~シムノン「メグレと若い女の死」が胸に沁みた
本人は7月末から介護施設に入所してしまったけれど、今年はわが家のミカン、まずまずの豊作(*^。^*)このとき、100個ほど食べ、介護施設にもお土産で2袋持って行った。父は食べられないのが残念。まだまだ200個以上あるなあ。最後は野鳥たちに食われてお・し・ま・い(苦笑)。田舎暮らしの愉しみ♬田舎暮らしの愉しみ
■F・W・クロフツ「死の鉄路」中山善之訳(創元推理文庫1983年刊)原本は1932年この「死の鉄路」は、途中まではとてもおもしろかった(^^♪どうやらクロフツの生真面目な作風が、わたしにフィットするようである。しかも1932年刊行とは想像できない現代感覚にあふれている。企業ミステリの秀作である。一点一画をも疎かにしない“楷書の見事さ”は本編にもあてはまる。鉄道事業の内実は隅々まで緻密に描かれているため、多少息苦しさを感じる読者はいるだろう、わたし自身をふくめて(^^;;)そこがよくも悪くも持ち味となっている。鉄道技師としての長いあいだの蓄積。その蓄積が、十分に発揮され、本編「死の鉄路」の裾野を高い密度を支えている。作者は事件と詐欺行為との関連で図版までもちいて細かく展開してみせる。しかし、すらっと読んだだ...企業ミステリの佳品~クロフツ「死の鉄路」を読む
王道の英国ミステリ ~クロフツ「スターヴェルの悲劇」がおもしろい
■F・W・クロフツ「スターヴェルの悲劇」大庭忠男訳(創元推理文庫1987年刊)原書は1927年アガサ・クリスティーがミステリの女王だとしたら、クロフツは王ということになるかもしれない・・・とかんがえるようになった。ハラハラ、ドキドキ、おもしろかったですよ、これ(^^♪いろいろな隠し味が、じんわりと舌を痺れさせてくれた。クロフツは“退屈派”だという人がいるいようだけど、とんでもない話(*´ω`)《スターヴェル屋敷が一夜にして焼失し、主人と召使夫婦の焼死体が焼け跡から発見され、金庫の中の紙幣が大量に灰になるという事件が起こる。微かな疑問がもとで、スコットランドヤードからフレンチ警部が乗り出すこととなった。事故か?放火殺人か?だが、フレンチの懸命な捜査を嘲笑うように、事件は予想外の展開を見せて……。クロフツ初期...王道の英国ミステリ~クロフツ「スターヴェルの悲劇」がおもしろい
倒叙ミステリの鮮やかな里程標 ~クロフツ「クロイドン発12時30分」に胸を震わす
■F・W・クロフツ「クロイドン発12時30分」霜島義明訳(創元推理文庫2019年刊新訳)原本は1934年未知の方だけれど、神明明さんという人が、本書巻末にすばらしい解説をお書きになっている。1.倒叙ミステリとしての「クロイドン」2.警察小説としての「クロイドン」3.リアリズム・ミステリとしての「クロイドン」4.経済・企業ミステリとしての「クロイドン」5.心理スリラーとしての「クロイドン」6.法廷ミステリとしての「クロイドン」7.傑作ミステリとしての「クロイドン」この7つの観点から本編「クロイドン発12時30分」について、分析し、解説しておられる。当然ながら十分な紙幅をあたえられているわけではない。しかし、こちらはこちらで、解説の“見本”といっていいかもしれない^ωヽ*現行版でこの解説をふくみ392ページ、...倒叙ミステリの鮮やかな里程標~クロフツ「クロイドン発12時30分」に胸を震わす
パーコにピーコ、ヤヨイにリサ。イチロー、タカシ、ヨシヲ、ケンスケ・・・。みんな同じに見えるよ、区別がつかな~い(;^ω^)学校でどんなこと教わっているの?宿へ引き上げるにはまだ早いからねぇ。フレームにおさまりきらないスズメたちもいたんだよ、この3倍くらい♬それにしてもにぎやかです。スズメの学校
うぁお、信号待ちしていたら、自転車に乗ったこんな女性が通り過ぎました(^^♪さほど大きくはないけど、利根川に流入する一級河川があって、その堤防にサイクリングロードが設置されています。左からだれかくる!と思って助手席のカメラに手をのばした数秒後。いやあ颯爽としてカッコいいですよね(ˊᗜˋ*)ガールズバイカー
救いのない暗い心の風景 ~ヒラリー・ウォー「生まれながらの犠牲者」を読む
■ヒラリー・ウォー「生まれながらの犠牲者」法村理絵訳(創元推理文庫2019年刊新訳)原本は1962年の刊行読み了えて、どうも後味の悪い作品だなあ・・・と思った。それに、半分ばかり読みすすめたところで、誰が犯人かの見当がついてしまった。何度もいうように、ドキュメンタリー(あるいはノンフィクション)のような現実を丹念に描いてゆく作風はもちろん健在。署長のフェローズが、部下に対してブチギレル場面がある(^^;;)まあ、名場面といえないことはないが。彼の作品は300ページ前後(本編は現行版で323ページ)の場合がほとんどだが、ここでフェローズ署長シリーズをもう一回確認しておこう。1.ながい眠り1959年2.RoadBlock1960年(未訳)3.事件当夜は雨1963年4.TheLateMrs.D1962年(未訳)...救いのない暗い心の風景~ヒラリー・ウォー「生まれながらの犠牲者」を読む
着地が決まってさらに傑作となった ~ヒラリー・ウォー「ながい眠り」を愉しむ
■ヒラリー・ウォー「ながい眠り」法村理絵訳(創元推理文庫2006年刊)原本SLEEPLONG,MYLOVEは1959年刊行最後のページ数行で、ぴたりと着地が決まった。うん、お見事というしかないだろう(*・ω・*)3作つづけての星5つは、わたしの読書体験でもそうめったにあることではない。盛大な拍手を送っておこう。東京創元社さん、翻訳権を独占しているのだからもっともっと出してよ、頼むから!!著作リストを眺めると、ヒラリー・ウォーはほかに多くの小説を書いている。フェローズ署長ものは11作中6作が翻訳されている。さらにハードボイルド小説で私立探偵サイモン・ケイシリーズ等があり、ケイブンシャから刊行されていたようである。しかし、実店舗で見かけた記憶はないなあ(;^ω^)わたしはこの3作ですっかりヒラリー・ウォーのフ...着地が決まってさらに傑作となった~ヒラリー・ウォー「ながい眠り」を愉しむ
見事な構図、そして第二幕がはじまる! ~ヒラリー・ウォー「事件当夜は雨」を読む
■ヒラリー・ウォー「事件当夜は雨」吉田誠一訳(創元推理文庫2000年刊)原本は1961年刊ショッキングな書き出しにびっくりさせられる。わけのわからない奇怪な開幕は近ごろのミステリなみ・・といっていいかな?しかし、そのあとがいささか中だるみだと思えた。緊迫感が足りないのですね、たとえば「失踪当時の服装は」に比べて。ミスディレクションはある。サブ・ストーリーもないではない。そういったものを折り込んでゆくと、上下2巻、1000ページの大作、などとなりかねない(^^;そこがいいのさ、という人もいるだろうが。聞き込みをすればするほど、謎が深まり、捜査関係者を混乱と当惑の沼に引きずり込む。主役と脇役は、「失踪当時の服装は」の場合、ブリストル警察の署長フォード、巡査部長キャメロンの二人であったが、本編では、コネチカット...見事な構図、そして第二幕がはじまる!~ヒラリー・ウォー「事件当夜は雨」を読む
エポックメーキングな傑作! ~ヒラリー・ウォー「失踪当時の服装は」を堪能する
■ヒラリー・ウォー「失踪当時の服装は」法村里絵訳(東京創元社2014年刊)原本は1952年つぎのページを繰るのがもどかしいほど、夢中にさせられた。いやはや、す、すばらしい♬これほどの出来映えはディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」以来となる。ドキュメンタリータッチの地味なリアリズムが、冴えにさえて・・・警察小説の傑作が誕生したのだ。こういうミステリが1952年に刊行されていたということが、ちょっと信じられない。なぜこういう小説が書かれたのかは、解説(<警察捜査小説>を確立した三つの出会い)の中で川出正樹さんが理由をいくつか挙げている。・実在の都市や施設名を採用したこと・十話の犯罪実話を集めたチャールズ・ボズウェルのノンフィクション“TheyAllDiedYoung(彼女らは皆、若くして死んだ)”を...エポックメーキングな傑作!~ヒラリー・ウォー「失踪当時の服装は」を堪能する
激しい憎しみの連鎖 ~ロス・マクドナルド「象牙色の嘲笑」を読み了えた
■ロス・マクドナルド「象牙色の嘲笑」小鷹信光・松下祥子訳(ハヤカワ・ミステリ文庫2016年新訳)最初に結論を述べさせていたくと、本編は「動く標的」に比較し、小説として明らかに落ちる、と思われる。なぜこんなに複雑な、入り組んだ小説を書かなければならなかったのか(^^;;)文体が秀逸なため、何とかしまいまで読み了えたけど、かなりしんどかった。人間関係があまりに錯綜しているため、途中で二度ほど迷子になりかけた。ことに第27章など、いまだもってわからない。暗喩・直喩はあいかわらず精彩があるし、背景描写もうまいから、つい乗せられてしまう。だが、たとえがこれほど多いと、“喩”そのものに引っ張られて、気持ちがそれてゆく。ストーリーがかえって見えづらくなると感じたのはわたしだけかしら?「ふむ、うまいなあ」そういった暗喩・...激しい憎しみの連鎖~ロス・マクドナルド「象牙色の嘲笑」を読み了えた
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市街地に自動販売機がこれほど存在するのは、日本だけという話を友人から訊いたことがあります。そういえば、スペインにもインドにもその他の町の街角にも、自販機は見かけなかったなあ(*´ω`)よくお世話になります。平和の象徴として、このジョージアはここにあるんだし、それを日常風景として写真に撮るのだねぇ。このころ、フィルムカメラはニコンFE2を使っていました。自動販売機
大岡信選『折々のうた』(二)を読みはじめた。一茶からはじまる近代俳句。この区切りかたはおもしろい♪子規をのぞいて、尾崎放哉や山頭火以外には関心がもてなかった。大岡さんに説得されるのかな、ふむむ(´・ω・)?短歌は本当のところおもしろくない。辻原登編「与謝蕪村」(河出文庫)も買ってきてある。『折々のうた』(二)長谷川櫂編を読みはじめた
この千羽鶴はすごいなあ♫横の碑に秩父三拾四ヶ所巡拝という文字が刻んである。これを高崎市の下町で撮ったのだ。地蔵さんは敬慕されているんだねぇ。近所に信心深いおばあさんでもいるのだろう。帽子や涎かけ、お供えしてある花々。クルマから下りてお堂をのぞき込んだこと、憶えていまする(。-ω-)お地蔵さんと千羽鶴
これは以前UPしたことがあったかも♪地元ではお花見の名所、前橋公園。“お花見の客”なのです。二人の妙齢の女性はイスラムの人。お訊ねしたわけじゃないですが、髪を見ればわかります。スクエアフォーマットはローライフレックス3.5Fを使用。サクラは満開あるいはほぼ満開に近かったと憶えていまする(´◡`)お花見の女性二人
どこで撮影したのかはよく憶えています。沼田市街を、カメラ散歩していたとき。とてもきれいな帆船だと思ったことも。花屋さんの店先だったかなあ。そのあたりはあいまい(´ω`*)マスト、船体、重りなど、とても精巧にできていますよね。ご主人がマニアなのかもしれません。街中でこんなものを見かけたら、撮るしかありませぬ。美しい帆船模型
今年2月か3月にBOOKOFFで買った半藤一利さんの「漱石俳句探偵帖」(角川選書)は、まったく期待していなかった。それがこれほどおもしろい本だったとは♫読んではポストイットをたくさん挟んだ。半分ばかり読んだ中では「死こそ真のリアリティだ」をはじめ、目が離せない記事がたくさんある。あらためて漱石の俳句の真の魅力を、半藤さんが教えてくれたのだ。漱石全集は売却してしまったけど、岩波文庫の「漱石俳句集」は、2度ばかり読んでいる。「漱石俳句探偵帖」(角川選書)半藤一利
これはどこで撮ったのか、ハッキリとは覚えていません。おそらく、藤岡市内だったと思います。壁の一面が琺瑯看板で埋め尽くされていまする(゚ω、゚)これは意識して集めた・・・のでしょう。キンチョールとかナショナルの文字が多いですね。高齢者の場合、記憶の中に、きっちり刷り込まれているんじゃないかしら。琺瑯看板part2
一茶句集で退屈していたところ、長谷川櫂選の『折々のうた』選(一)を読み出し、頭を殴られたような鈍いショック!その句、内藤丈草「水底を見てきた顔の小鴨かな」であった。丈草は蕉門十哲のひとり。「淋しさの底ぬけて降るみぞれかな」などこちらに12編が収めてある。そのどれも優劣がつけにくいくらい、見事な出来映え(^^♪一度読んでいるけど、ほぼ忘れてしまった。「時鳥(ほととぎす)鳴くや湖水のささにごり」「我事とどじょうの逃げし根芹かな」。また読み返すのかい、あんた(;´д`)トホホ水底を見てきた顔の小鴨
うむむ。これは“婦人服”の専門店です。大きなマネキンが展示されていたのでパチリ!写っているのはわたしのクルマ。マネキンがいかに大きいかおわかりでしょう(゚ω、゚)左にあるのが、普通サイズ。えーっ♫大きなマネキン
昨日ラムネの瓶を見ていて思い出しました。こちらはJR安中駅。ふらりと立ち寄ってみたら、小学生の“図工”が陳列してありました。いやはや、華やか。空き瓶を使ったカラフルな集団演技・・・ですねぇ(ˊᗜˋ*)フィルムカメラはピント、露出を合わせるのが一仕事。むろん、それが愉しいんですよね。JR安中駅
これがどんな情景だか、おわかりになりますか(´?ω?)花弁はサクラ。サクラが散り敷いているのです。前橋公園の満開のサクラを見に行ったとき、ドリンクが、ピンク、ブルー、グリーンといっぱい、浴槽みたいなプールに冷やしてありました。もちろんペットボトルです。「あ~あ。きれいだな」そう思ってパチリ!歩きまわって、のどが渇いていたのです。ピンク、ブルー、グリーンのペットボトル
「凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ」蕪村のこの句がぎらりと光った。朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」(岩波文庫1988年刊)を昨夜読んでいたとき。この本は複数もっているけど、最後まで読んだのはこれがはじめて。小林秀雄「モーツアルト」が世に出たのは昭和21年。一方こちらは昭和11年。はらはらしながらよんだけど、よく最後まで健闘している。批評家としての朔太郎を見直した。「郷愁の詩人与謝蕪村」
この鋭角な建物を桐生市内で撮影したときのこと、はよく憶えています。フジカラー・コニカカラー(その昔はサクラカラー)!2大メーカーがしのぎを削っていましたよね(。-ω-)ポジフィルムも幅を利かせるようになったけれど、主体はネガカラー。フジがややリードしていたはず。くらまたカメラ東店。おおっと路肩に止めてバリバリ撮ったなあ♪桐生のとがったカメラ店
MOMOという文字が何かをアピールしていますよね。そして左下にいる女性。この人を画面に入れるかどうするか、「う~ん」と1分ほど迷ったのを憶えています。小汚い格好(失礼)をしていたからです。看板だけでも絵にはなるんですよね(ノω・、)擬制の窓と赤・青・黒のそれらデザイン、そして室外機。これだけでフレーミングして撮った記憶があります。もちろんフィルムです。MOMO
うわお!アメ車だよ。左折してくるといいな~。期待していたら、その通りになったので、遅れじとパチリ(゚ω、゚)お金をかけ、ずいぶんきれいにリニューアルされているなあ。ビュイック、フォード、シボレーなど50年代のロックンロールが映画で再燃したんじゃないかな。このボディ・カラー、一陣の風。ザッツ・ア・ファッショナル(笑)。アメ車
ワイド版一茶俳句集(岩波文庫1991年刊)。一茶は生涯に2万首といわれているけど、そこから2千首をえらび、制作年代順にまとめ、巻末に初句索引が付されてある。こんな本をどこで買ったのか、まるで思い出せない。以前は普通版の岩波文庫で読んでいるはず。丸山一彦さんの校注。その注がじつに充実していて、目を瞠らせられる。山頭火に引き込まれたいまの気分としては、和歌から俳句へ、くるくる流されるまま。「木々おのおの名乗り出(いで)たる木の芽哉」(寛政元年27歳)。ワイド版「一茶俳句集」を読みはじめた
会社は前橋市内にあったので、高崎からクルマで通勤していました。ここは新前橋駅にほど近い、私立の専門学校。中央専門動物学校と表示されていますね。半分以上は、外国人で占められている、かな?このときはついクルマの運転席からパチリ(ˊᗜˋ*)女性がさしている日傘が目立ちますよね。専門学校の生徒さん
ここからは2019年の写真です。そのほとんどはフィルムカメラによるもの♫さて、自転車のハンドルにひっかけてあるこの赤い帽子。鍔がついてますよ。インナーかな。サッカーボールのようなものが見えます。そして背景の青、黄が赤をきわだたせていまする(´Д`;)ハンドルにひっかけた赤い帽子
山頭火句集の(三)(四)が顔を出したので、(三)は途中までだけど、(四)はさっさと読み了えた。ご本人がセレクトした「草木塔」は、このシリーズの(一)(二)に収録されている。「草木塔」はほかの本をあわせ、何度となく読んでいる。山頭火になるまでの(三)をまとめて読むのははじめてかな。(四)は亡くなる直前まで詠んでいる。山頭火句集~草木塔以外の
たいしたことない写真で、すいましぇん(^^;;)人の撮影したものじゃないから、ま、いっか。ぶらさがっているのはハロウィンのかぼちゃ。前橋市内でうろうろしてるうちに撮ったのです。このときのことはよく覚えていまする。ニコンのFM2またはFE2と、レンズは45ミリF2.8。浅いピントを後ろにかぼちゃに合わせたことまでしっかり憶えてるなあ。ハロウィンのかぼちゃ
■「妻と私・幼年時代」江藤淳(文春文庫2001年刊)■「悲しいだけ」藤枝静男(恋愛小説アンソロジー「感じて。息づかいを。」川上弘美選光文社文庫)(こちらが「感じて。息づかいを。」の表紙)「感じて。息づかいを。」(光文社)は100円の棚にあったので、たまたま手に取って眺めたら藤枝静男の「悲しいだけ」が掲載されていたため、この恋愛小説アンソロジーと称する文庫本を買うことになった。「藤枝文学の極北と称賛された感動の名作、野間文芸賞受賞の『悲しいだけ』を併録」と謳ってある。ただし、講談社文芸文庫の新刊で買うと税込み1,353円とお高い(゚ω、゚)ナハハ「感じて。息づかいを。」には、本編のほか、「桜の森の満開の下」坂口安吾、「武蔵丸」車谷長吉をふくめ、8篇が収められている。病苦の涯に身罷った妻のことが、容赦のない残...“伴侶の死”をめぐる2篇~江藤淳「妻と私」藤枝静男「悲しいだけ」を読む
福田和也「作家の値打ち」(飛鳥新社2000年刊)、こんな本があったのを思い出した。「作家の価値は、人の記憶に残る作品をどれがけ書けるかで決まる。その点からすれば、やはり《第三の新人》までの作家は偉い、というか高い値打ちをもっていると云わなければなるまい。」文学の世界の“偏向”がどうやら許せないらしい。全574点のうち、最高点をたたき出しているのは「仮往生伝試文」古井由吉、「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹、「わが人生の時の時」石原慎太郎の3篇で、いずれも96点。第三の新人までかあ(*^。^*)「内向の世代」でも阿部昭などはわたし的にはお気に入りだけどね。作品(小説)を横一列にならべて数値化するというのが、おもしろかった。日本文学に反ってきたので、またちょっと読み返そうか。この時期をはずすと、二度と手に取らな...福田和也「作家の値打ち」が出てきた
猛暑襲来!!参ったな、35度を超えたらどこもかしこも熱々で身の置き場がない(´Д`;)クルマには遮光シート、小学生は冷水が入ったお気に入りのボトル。省エネを心がけてはいるけど、やむなくエアコンのスイッチはONにしている。猛暑襲来!
中村光夫「私小説名作選上」で、太宰治「富嶽百景」をしばらくぶりに読み返したが、半分ほど忘れていた。2度目に読み返したのは30代のはじめだったかも♪「晩年」の諸作と「津軽」が好き。中でも本作は極上の逸品。「私小説名作選上」は田山花袋のはじめて読む「少女病」からスタートするが、これは残念ながら習作レベルである。徳田秋声、近松秋江、志賀直哉、嘉村礒多など堂々たる私小説作家の代表作に伍して「富嶽百景」は、まちがいなくトップの3傑に入る。若い女性の二人連れに記念写真を頼まれ、結局は記念写真を撮らず、富士だけを撮ったエピソードなど忘れていた。新潮文庫なら注釈があるかと参照したが思惑ははずれた^ωヽ*読みのスピードががくんと遅くなったため、長篇がなかなか読めないなあ。太宰治「富嶽百景」を読み返す♬
新品だとたった3冊で6,000円超え(´Д`)血迷ったわけじゃないけど、講談社学芸文庫はお高いですなあ。「群像短篇名作選」2,300円、「戦後文学を読む」2,000円、「明治深刻悲惨小説」1,800円。もちろんこれに消費税が加わる。表紙は金文字でピッカピカ♬岩波と新潮にはかなわないからねぇ、破れかぶれ?年表だの解説だのがびっしり付属している。昔の単行本なみか、それ以上なので、お値段が張るのはあたりまえ。講談社学芸文庫の現在
■小谷野敦「私小説のすすめ」平凡社新書2009年刊以前にも読んでいるから“再読”となる。《このいわば「志の低さ」に辟易する人も多いだろう。わたしは、どちらかといえば、この後者》著者には失礼ながら、2010年1月6日のBlog「二草庵摘録」にこう感想を書いている。https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/d6760d02256e271d34a15ea2f35902b3さきごろスタンバイさせてある在庫をひっくり返しているうち、意図に反して出てきた。半分ほど読んで、中絶したかな・・・と思っていた(^^?)人の記憶は、そのくらいあてにならないものであ~る。付録のオビにつぎのような惹句がある。《才能がなくても書ける。それが私小説。その魅力を説き、「書きたい人」に勧める、挑発的文学論!》この惹...小谷野敦「私小説のすすめ」~ぶっちゃけ本音トークを再読する
関川夏央の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)の中に興味深い引用があった。志賀直哉「小僧の神様」のストーリーにおいて、中沢新一が“成熟した貨幣経済のうちで「純粋贈与」は可能か”と問いかけているという。「小僧の神様」はわずか24枚ほどの短篇だが、昔から傑作として名高い♬「それは不可能」というのが、中沢さんの結論だそうです。近代文学を読むにしても「それはいつ書かれたのか」という問いはつねに重要だと、関川さんはいっています。たとえば向田邦子の「あ・うん」の仙吉も「小僧の神様」からとられているんだって(。-ω-)新しい問いを発見するのが批評家の仕事でしょうね。関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(集英社文庫)
割とよく通る交通量の多い交差点。赤い上っぱりを着た女性がいてくれたら・・・と思ったことがあった。そうしたら、この日おあつらえ向きに、ドンピシャリ(´◡`)リフォームの文字に懸け替えられたんだね。まさに“紅一点”のごとく!こんなところでスナップしたがっているのはわたしだけか(;^ω^)写真は1×2にトリミングしました。背景もおもしろい♬
車谷長吉の「武蔵丸」と、織田作之助の「聴雨」は近ごろ“大あたり”だった。拾ってきたカブトムシのことを書いた「武蔵丸」より、坂田三吉のことを描いた「聴雨」の方が上ですね↑フ~ムフム。はてさて大量に抱え込んだ本を、数百冊売らねばならないなあ。6DKでもいる場所がなくなってしまう。5-600冊売れば多少は風通しがよくなる・・・かな!?単行本の類は思い切って捨てることだなあ、やれやれ(´Д`)「聴雨」と「武蔵丸」はよかった↑
完璧な“流し撮り”にはほど遠いなあ^ωヽ*たまたまこうなった。男の子以外はブレてしまったので、そのように見えなくはない・・・というレベルだな。背景は年中出かける高崎のBOOKOFF。ん?流し撮りかな
昨日サルスベリの幹で交尾していたキマダラカメムシ(・・・たぶん)。よく家の中にも入り込んで、出るに出られず干からびているのがこいつだろう。違うかな(´?ω?)サクラ、カキ、サルスベリなど、多くの樹木につき街路樹にも多いようだ。台湾~東南アジア原産の帰化種とのこと。毛虫じゃなくてよかったぜ。キマダラカメムシ(´?ω?)
高橋さんは長吉の隣りに「高橋順子海へ」という生前墓を造ってもらい朱書してあるそうである。「夫・車谷長吉」は生半可な本ではない。読者としてわたしは、すっかり心を掻きまわされてしまった!「終の住処」の一章もすばらしい♬ドキュメンタリーの傑作である。なお本書で2018年講談社エッセイ賞を受賞しているそうである。夫の墓には入りませんという女性がふえているなかにあって、高橋さんの妻としての決然たる“思いの丈”が、この本にギュッとつまっている。読み了えるのがもったいないなあ(。-ω-)高橋順子“海へ”
(一昨日、BOOKOFFで手に入れた車谷長吉の2冊)妻の留守中に、解凍中の生イカをのどにつまらせ、69歳で窒息死した小説家車谷長吉。「四国八十八ヶ所感情巡礼」のレビューでこんな記事をお書きになっている方がいた。《どこかの駅でうんこを垂れ流し、「この始末は誰がするのか」と駅員に言われて「それは、おまえの給料のうち」と言い捨てて、折から着た電車に飛び乗ったという話を得意気に書いている下りでは腹が立った。自分のうんこの始末もできないで、会う人を、それぞれ「極楽に行く・行かない」と「採点」する。》ウハハハ、こりゃすごいな。そのとき、奥様の高橋順子さんはどこにいたのだろう。強度の強迫神経症を発症しているから、「夫・車谷長吉」を読んでいると、もうほとんど狂人と紙一重である。高橋さんはゲッと思うようなことをけっこう淡々...正常・異常の境界例を生きた男~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって
およそ3~4年に1回の頻度で姿を見せる、ゴマダラカミキリ♬この日は南東の植え込みで剪定をしていた。「終わり!」と思ってふと見え上げると、この子が枝に止まっていた。探すと見つからないが、すぐそこいらにいる。子どものころから見慣れたブルーブラックの輝きが、何ともいえず美しい(ˊᗜˋ*)ゴマダラカミキリがやってきた
高崎市の道路維持課の人が6人やってきて、水路や溝の清掃をしてくれた。息子が電話したあと、区長も連絡したようだ。わたしが憶えているかぎり、市の人材出動ははじめてのこと。距離にしたら約150m。左に見えるのはわが家の太陽光発電設備。わたしは屋敷内の雑木を伐採していた(*´ω`)いや~暑かった。水路の清掃
(新刊で手に入るのは、現在「夫・車谷長吉」のほかは文春文庫では「赤目四十八滝心中未遂」、新潮文庫では「鹽壺の匙」だけのようだ)一昨日からこの文春文庫「夫・車谷長吉」を読みはじめた。買おうか買うまいか、迷っていたのだ。本書の文庫が2020年2月刊行なので、まあ、目にとめてから約4年の歳月がたつ。高橋順子さんは、詩集も、1冊か2冊どこかにあったはず。ただし、じっくり腰を据えて読んだ記憶はない。「夫・車谷長吉」を、とうとう読みはじめ、その影響で「寝返りを打つ」という妙チキリンな詩が生まれてきた。高橋さんの詩からは影響をうけなかったのに、この車谷長吉について書かれたエッセイからは、影響をうけた。とてもストイックな、でもやさしさに満ち溢れた、どこかエレガントなエッセイとなっている。ⅠからⅥまで、6つの章に分かたれて...夫・車谷長吉とともに~詩人・高橋順子の愛情告白(2024.6.13記)
あああ。あああ。とつぶやきながら深夜のベッドで寝返りを打つ。そうして深い淵のようなところから這いあがったりずり落ちたりしている。そこに横たわるきみよいいかげんにしたらどうかね。何年こんなありさまですごしている。何年?ごわんごわんとブルドーザーのようなものが通りすぎていった。その轟音がいまでも耳元で響いている。ムクドリや女たちのざわめきや木の葉をゆらす風。反響はもうながいあいだ鳴りやまない。もういちど寝返りを打ったらそれらを払いのけることができるかしら?あああ。耳に栓をして暗闇の向こうを見るふりをしてぼくはなにか“こと”が起きることを待っている。這いあがったりずり落ちたりそのくり返しもまもなく終わりになるだろう。ひんやりとした空気の塊に目を凝らすようにぼくはベッドに横たわる深夜の自分を眺めている。※詩のよう...寝返りを打つポエムNo.2024-01
うけている、ずいぶん大げさに(*^。^*)アジア系は間違いないけど、もしかしたら日本人じゃないかも。ギャハハという声が聞こえてきそう。なにを話しているんでしょうね♪よほど仕合せなのか、右の女性が漫才師なのか!?おいらは四車線道路の反対側で信号待ち。信号待ちで
一週間のうち、半分は本を探しているか、本屋へいって本を物色している(^O^)ナハハどうなっているんだ、あんた。右の本が行方不明となって、もう1年はたつ。そうしたら、白秋の「フレップ・トリップ」と一緒に寝室から出てきた。この樺太の旅は友人から数年前にすすめられて買った、そして積読。詩人白秋の童心があっちこっちで炸裂し、読者を別天地へと誘う紀行文。Cheerfulという英語を連想する人もいるだろう。「美酒について」は、かなりハチャメチャな対談だけど、まあ、ある種の傑作に類しますなあ♬ただしどっちも“品切れまたは絶版”じゃないかしら?寝室から出てきた
「おかしいなあ、おかしいなあ」と、一つの本を3日も4日も探している。現役時代には想像できなかった(;^ω^)ずばりいえばそれだけヒマなのだ。「近代日本人の発想の諸形式」はすぐに見つかった。有名な近代小説論だけど、出版社もおそらく品切れなのだ。「小説の認識」ぜひ読みたい論攷が4つほどある。「小説入門」は古めかしい新書版で手にしたことがある。講談社文芸文庫だと、ん!?¥12,735からはお高いなあ。稀覯本扱いなのだろう(*・д・)20代のころ買っておけばよかった。「見かけたときが買い時」なんちゅうて。見かけたときが買い時