開戦が決まったのち、さっそく作戦会議どおりの行動が開始された。周瑜率いる水軍は、長江をさかのぼって大陸を西へ丸く回り込むかたちで陸口《りくこう》へ移動することになった。陸口は、曹操が拠点を置いた江陵《こうりょう》から東へ向かうと、ちょうど長江をはさんで対岸にある土地なのである。だれの目にも、曹操の大軍が陸口を目指してくるのはあきらかであった。陸口への上陸を許したら、あとは陸上戦の連続となってしまう。水上戦が得意な孫権軍としては、それはなんとしても避けたいところなのだ。周瑜の水軍の調練の結果はすさまじく、かれらは鄱陽湖《はようこ》から柴桑《さいそう》に到着後、すぐさま陸口へ移動する準備にはいった。そのあいだに混乱はなく、何者もの付け入る隙を与えなかった。孫権も、全幅の信頼を置いている周瑜のうごきに満足してい...赤壁に龍は踊る二章その1孫権と孔明