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まほろばの泉 https://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集

まほろばの泉
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2015/01/13

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  • いま、陛下は何処(いずこ)に あの時もコメはなくなった 15 7/27 改稿

    2016年掲載旧題あの頃に倣う移風は、陛下の「威」と「忠恕」しか解決はない「移風」・・・忌まわしい雰囲気を祓い、新しい気風を起こすあの時もコメは欠乏した。原因は多くのコメを将軍をはじめとする高位な武士が住む江戸に送り、関西は食べるコメが欠乏した。昔から幕府(政府)の行うべきことは,治山、治水、食料充足が主たる政策であった。近代社会において主食となるコメが2倍の価格となり、不足するような四角四面な対策しかとれない政府とは・・・・その時、一人の善良な下級役人が義憤に感じて動き、庶民のために法を超えて天皇も動いた。天明・天保、あの頃も天変地異は多発して人心は乱れただだ、民の窮状を直視し、禁中並諸法度を越えた英知で人心を整えた賢帝や国母がいた。それは民の依頼心や皇位の謀でもない醇なる忠恕心だった。真の学を作興し、...いま、陛下は何処(いずこ)にあの時もコメはなくなった157/27改稿

  • 山田純三郎の仲介による、幻の毛沢東、蒋介石会談

    末長節頭山満佐藤慎一郎http://sunasia.exblog.jp/7292498/滞在から数日して山田が真剣な顔で佐藤に伝える。「じつは蒋さんの依頼で大陸へ行く」「大陸って、中共ですか」「毛沢東主席に会う。慎ちゃんもいっしょだ」佐藤は驚いた。蒋介石は常々大陸進攻を唱えている。それが毛沢東主席と…しかも伯父さんが…山田はあえて事務的に指示をあたえる。「廖承志さんを通じて毛主席には伝えてある。廖さんの母親が上海に迎えにくることになっている」廖承志の父、廖仲ガイ(りっしんべんに豈)は孫文の革命に山田とともに奔走した革命の同志である。その息子の廖承志は、子供のころに山田の腕であやされていた関係である。後年、廖承志は中日友好協会の代表として来日すると、まずはさておき山田の家を訪問している。こんな逸話も残ってい...山田純三郎の仲介による、幻の毛沢東、蒋介石会談

  • 東条英機と積善の宿 あの頃

    上毛の湯宿は伊香保、草津など全国的に名高いものが多い。その中でも上野ノ国四万温泉には古くからの旅館が軒を並べ、今でも都心からの湯治客を多く招いている。病気の回復治療や、近在の軽井沢より以前に拓けた避暑地として、政経人、文人などが、清流を渡る風によせて一刻の思索と風雅を愉しんでいた。病は気からというが、地中の陰気を含留する温泉と地上の陽気が、山間に寄り添う大小の木々の間をわたる爽やかな風に調和して浮俗の邪気をとき放してくれる奥まったところに積善館という宿がある。宿の名前からして、さぞ創建者の教養は素晴らしいものであった事だろうと想像する。善を積むことは、不特定な利他への貢献に加え、子孫に大きな恩恵を遺すことは我国の道徳的規範の徳行として、戦前の教養には欠くことのできないものであった。゛善とは何なのか゛などと...東条英機と積善の宿あの頃

  • 煙草の話 「格好よく吸うべし」 12 1/28 あの頃

    ベンガルこども新聞「キシロチェトロ」1月号転載日本特集ちかごろタバコといえば健康が問題になっていますまた、タバコが嫌いな人、好きな人など感情の問題もありますするとタバコを吸う人は悪い人、吸わない人は良い人と、人の心は移ってきますところが、世界中からタバコは無くならず、かえって人の好みに合わせてたくさんの種類が作られ、その税金は国の金庫を潤しています日本ではタバコを「煙の草」と書きます英語でもsmoking、煙です🚬シガレットむかしはタバコにも色々な文化があり、戦争に行く兵士や労働者のポケットにも必ずといってよいほどタバコとマッチがありました。米兵はラッキーストライクにコークです。家ではお祖父さんが煙管(キセル)でタバコを吸っていました。それはタバコが休息の合図であり、仲間と楽しむものだったのです。少ないと...煙草の話「格好よく吸うべし」121/28あの頃

  • 「人間考学」より 自己憲章のすすめ (再掲載)10/6

    「歴史は人から人への精神の流れ」東京工大芳賀教授産経正論欄より「人間考学」たかだか人間の問題である。また、そう考えることが此処でいう「人間考学」の端緒でもある聴き慣れないことだろうが筆者の奨めである。とくに「伸ばす」「省く」を目標として掲げ習慣化することへの薦めである。たとえば理想とすべき人物の座右を借用するもよし、感度とオンが馴染むと造語するもよし、それを自己流に、しかも能力の足らないところの目標でもよし、気の付くところへ掲げる薦めである。よく心に銘記すればいいとはいうが、さしずめ携帯の待ちうけ画面に芸能人やペットを添付するように人生針路として活用したらどうだろう安岡正篤氏の「六然訓」を借用して掲げる方もあるが、難しいことを簡易に自分勝手に解釈するより、「あがるな落ち着け」「怯むな」「競うな」「あげつら...「人間考学」より自己憲章のすすめ(再掲載)10/6

  • 安岡正篤氏も驚嘆した佐藤慎一郎という人物 再

    杉並区の荻窪住宅23楼301号の住人、佐藤慎一郎宅には多くの客人が訪れる。さて、幾人が荻窪南口から経由する団地行きのバスに思い出を乗せたことだろう文章定かではないが梅里先生(徳川光圀)の碑文にこんな刻文がある「第宅器物その奇を用せず。有れば有るに随い、無ければなきに任せてまた安如たり」書棚に囲まれた部屋に、まるで帰宅するような厚かましさで拝聴する無恥と無学の懇請は、まさに附属性価値を排して、無名で有力であれと諭す佐藤先生と懇意な碩学の言に沿ったものでもあろう。はじめは異質、異文化の世界かと伺っていると、浮俗にまみれていた自分に気付く。驚くほどに透明感のある率直な欲望を鳥瞰して、そのコントロールの術を自得する人間学の存在を認識する。いわゆる自ずから然りという(自然)と人間の同化と循環、そして離反に表われる歴...安岡正篤氏も驚嘆した佐藤慎一郎という人物再

  • デモ・クレージーと人物を得ない議会 再々掲載

    ある日のこと白山の自宅書斎で碩学は紫煙をくゆらせて呟いた。「デモクラシー変じてデモ・クレージーになると人物二流でしか議員になれない」古典(昔の格言や栄枯盛衰の逸話)を活学することによって世の中の表れる関係性が幾らか解かるようになるが、単なる知った、覚えた類の数値評価や選別では本質は見えない。もともと人が群れあう中では様々な現象が表れるが、単なる客観的評価や論理では事は動かないばかりか、問題発生に於いての解決はおぼつかない。標記のデモ・クレージーだが、多くは欲望を誘引し虚栄や競争を促すものに安易に乗じ、かつ受益があると錯覚する人間によって起こされる姿だが、ことに一義的にマスコミや政治のせいにするが、自他循環からすれば、それは生きること、活かすこと、死ぬことを基とする人生観を亡失した自意識の内観に因を求めない...デモ・クレージーと人物を得ない議会再々掲載

  • 「五寒」 生じて国家無し

    「五寒」生じて国家無しと言われる現象亡国の兆候顕著になって現れる姿は、政治、宗教、法律によるものばかりではなく、民族そのものの経年劣化、あるいは循環の妙ともいえるものである。分かり易くいえば、成功価値や幸福感の錯誤のようなものが人間と複合的社会の関係を考察する座標や、人そのものを観る「観人則」の亡失であるといってよい。宰相、荀悦が憂いた偽、私、放、奢を表す「四患」もその例である。以下「五寒」を照らして世俗の現象をみると、普段の情報知識とは異なる切り口でそり問題の本質が浮かび上がる。つまり自身の置所を変えた新たな感覚による考察が浮かび上がることでもある。《政外》政治のピントが外れる。《内外》国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない《敬重》敬われる人物の欠如敬う意味の欠落《謀弛》謀が漏れるゆるむ《女レイ》...「五寒」生じて国家無し

  • 大相撲は「清規」には馴染まない 08 10/19 あの頃

    清規(成文法)と陋規(掟、習慣等)についての放談だが好奇心の誘導なのか、相撲が八百長論議で騒がしい。゛そもそも゛になるが、いつから国技と呼ぶようになったのだろうか。また、数多のスポーツと称されるものと同様に、歪なコンプライアンス、つまり成文法の机上に乗せられるようになったのだろうか。「我国の・・・」と振りかざす相撲だが、農耕神事から豪族、大名のタニマチ興行となり、近代では競馬などに冠されるように天皇杯が下賜され、形式的には法人化され国家のお墨付きを戴いている団体だが、だからといって全てが清規(成文法)に属する問題ではないと考える。他のスポーツでもそうだが、猛特訓やシゴキが趣を変えればリンチ(私刑)になり虐めになる。それも先輩後輩や段階序列に処をかえれば、いつ加害者になるか判らない問題でもある。それを清規に...大相撲は「清規」には馴染まない0810/19あの頃

  • 小学に観る 習慣学習と、その活学 Ⅴ 7 12,20

    ある日の大学講話【鬼平犯科帳の頃】歴史でいえば、このような時代がありましたじつは私は18歳からボランティアでBBSという少年のためのケースワークを行ってきました問題になっている保護観察の子供たちですそのとき過去にもこんな歴史がなかったかな、と考え江戸時代を調べました鬼平犯科帳というテレビがありましたか゛あの頃です考え方では平和な時代でしたが、政治も驕り、それにつれて人々の生活も乱れていましたいわゆる贅沢な時代でした今みたいに、「いいんじゃなぃ」、という時代でした若者が集えば持ち物のや流行の話題で、当時はグッチだとかシャネルとかないけど、かんざしは何処どこの店、刀のつばは誰々の作、江戸は滅ぶべきして滅んだ、その兆候があったのです犯罪は犯さないが昼間から遊びまわり、仕事に就かない人が増え、風紀も乱れましたいま...小学に観る習慣学習と、その活学Ⅴ712,20

  • 外交における応答辞令 あの頃も

    あの時は岸田さんがバイデン大統領と、麻生氏がトランプ元大統領と会った。今は関税交渉とやらで、石破さんのご指名で数少ないお友達の中で赤沢議員が交渉に渡米した。何を話題にしたのかわからない。毎度のことと国民も諦めているが、売文の輩や商業新聞はお決まりの覗きと予想記事で紙面を埋めている。問題はアメリカ国民が現と元に朝貢と迎合を繰り返す日本の媚態政治家を人物としてどのようにみているのか気になるところだ。政治的背景や経済的事情はあるとしても、国民の代表として説明や営業、加え信頼確認のために米国民のみならず、遣いに出す日本国民の軽重すら測られる姿であろうか憂慮がある。中国共産党の党学では歴史、古典の科目があるという。いま日本では受験科目にも忌避され、企業でも採用には無用の能力として顧みられることが少なくなった。それで...外交における応答辞令あの頃も

  • 安岡正篤と参議院選挙 あの頃も 10 5/31再

    このコラムに多くの読者が訪れている一人は『君、議員になるのか?」と訊かれ、もう一人は『安岡が入れるからおやりなさい」と・・・衆議員議員の秘書を永年勤め郷学研修所々長であった柳橋由雄氏の笑談だった。「先生には参った・・、あるとき議員に立候補しようと慎重にも機会を見つけ先生にお話したら、「君、議員になるのかね…?」でやめた。それから新しい気持ちで学問したものですよ」もう一人は前ブログに登場した岡本義雄である或る時、近所の在日韓国人が『近頃の日本人はおかしくなった。選挙公約だって守られたことなど無い。国民はだまされているのに怒らない。岡本さん出たらいい』地盤、看板、かばん(資金)もない岡本だが頭には百万の援軍を思い描いた。世情では宰相のご意見番として持てはやされているが、岡本にとっては公憤の烈行を思い切りぶつけ...安岡正篤と参議院選挙あの頃も105/31再

  • 人間考学「五寒」 生じて国家無し その四

    文佐藤慎一郎氏「五寒」とは《政外》政治のピントが外れる。《内外》国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない《敬重》敬われる人物の欠如敬う意味の欠落《謀弛》謀(はかりごと)が漏れる弛(ゆるむ)《女レイ》女性が烈しくなる。荒々しくなる。孫文夫妻[両性の調和]娘、嫁、姑、姥、と変化する女性の表現文字は、男性から見ると、その積み重ねた経験の変化に、尊敬と慶び、あるいは慈愛にあふれた母性に感謝が込められています。言葉のニュアンスを論ずるものではありませんが、「女厲」にある女の烈しさと、母の剛さはその意味において大きな隔たりがあります。「強さ」と「剛さ」、「烈しさ」と「激しさ」も同様に似て非なるものです。女性には元々、性における特質があります。表現方法も男性とは違います。一つ一つの問題に互いの劣性、優性を争うもので...人間考学「五寒」生じて国家無しその四

  • 「五寒」 生じて国家無し その二

    果たして我国の現状は・・・《五寒》中国は漢代のころ、当時の識者は国家社会を衰亡させる要因に五つの兆候があると説いている。其の一「敬重」ケイチョウ敬われる人物がいなくなる敬う対象がなくなるのか、あるいは敬意の心そのものを無くしてしまうものなのか、閨閥、学閥、財力、名誉、地位など人格以前の属性価値の変化から生ずる無秩序な社会の一過性の現象とも考えられる。いわゆる民心の混乱でもある。其の二「謀弛」謀(はかりごと)が弛(ゆるむ)大切な問題が筒抜けになる。相互信頼の欠如によって心の動揺が生まれ、公私の分別がつかなくなり我欲が際立つ社会構成になってしまう。また国家の重要な問題が他国に漏洩したりして、国家の維持機能が軟弱になったりします。また、綱紀が弛むなど自己規制がなくなる状態である。其の三「内外」ナイガイ内面の欠点...「五寒」生じて国家無しその二

  • 小学に観る 習慣学習と、その活学 其の一 07 12/17再

    無機質な教育を有機的な学問に(官制学校歴と真の学問歴)亜細亜大学教職専攻課程226号1st12:302st2:50①有機的に教えるということ⑩成長に沿った学問②自と分について⑪古典を尋ねる③活き方を探す⑫ある警告④満州崩壊と土壇場の学問⑬鬼平犯科帳の頃⑤トヨタの小学の活用と継承⑭亡国の後、その亡国を知る⑥吾を活かす青年⑮世代の調和と礼⑦今に無い明治復興のカリキュラム⑯トヨタの合理と歴史の科学⑧憲法は権力制御⑨小学に観る習慣学習と躾ゲストスピーチ金沢明造弁護士の堕落と学問サキール・カーン日本における大学というところ村岡聡史教学随聴記寳田時雄特別講義を終えて今回はゲストとして金沢明造、サキール・カーン、村岡聡史の各氏を招請し、サキール・カーン氏には日本の学生への率直な感想を英語のスピーチで、金沢明造氏には裁判...小学に観る習慣学習と、その活学其の一0712/17再

  • 「人間考学」は無限空間での「心の標(しるべ)」である

    ≪解題≫【寳田氏の「人間考学」を含めて、その他の作品群を集積し、分類し、然るのち体系化することは可能である。作業としてはできる。しかしほとんど無意味だ。氏の思想と文章は一個の芸術だからである。氏のどの個々の作品の中にも全体が貫徹し、全体を観ればそれが個々の作品を写影している。戦後、発展した複雑系の数学では、これを基本原理(フラクタル)になっているのだが、要するに芸術の芸術たる所以は人々に生き活きとした感動を与える事にあるのであって、体系化や分析をした途端、何かおかしなものになってしまう。「目黒の秋刀魚」になる恐れがある。読者に注意を喚起したい。※「目黒のさんま」とは七輪で丸ごと焼いたさんまは美味いが、骨を取り頭と尻尾を取って身だけ献上しても丸ごとの焼きさんまの美味しさとは違うと殿様の面白噺である。】宇宙は...「人間考学」は無限空間での「心の標(しるべ)」である

  • 小学に観る 習慣学習と、その活学 随聴記 7 12,24再

    寶田教学随聴記≪その志、嗣ぐものあらんことを≫国策研究会元評議委員村岡聡史亜細亜大学における寶田時雄氏の特別講義の内容それ自体について、私が独言(論評)を展開することは極めて難しい。何となれば「屋上屋を架す」の恐れがあるからです。それゆえ本稿では「何故に寶田時雄という日本人離れした大型の人物が形成され、皆さんの教壇の前に立つに至ったか?」という視点から寶田教学の本質と学問の方法論に就いて随聴記を編んでみました。実相観入して神髄を極めるところ、寶田教学の本質と学問の方法論は、佐藤一斎(註�)の次の言葉に尽きる。「学は自得を貴ぶ。人徒らに目を以って有字の書を読む。故に字に曲し、通透することを得ず。当に心を以って無字の書を読むべし。乃ち洞して自得するところ有いん」【言志四録】問題はそこに至った寶田氏自身の学問上...小学に観る習慣学習と、その活学随聴記712,24再

  • 陸奥斗南の憧憬. 15. 11/23 あの頃

    陸奥湾を望む八戸から青い森鉄道、途中、野辺地から大湊線に分かれて一路下北へ・・この章を記したとき、女性自身」の皇室担当記者松崎敏彌氏から「むつは秩父宮様のご縁で松平さんと行きました。市長さんも立派な方で此れからも期待できるところですね・・・・」と妙縁を教えて頂いた、その後、台湾同行した津軽の方々との再会と今夏のむつの再訪を期していた松崎さんは病の床から戻る事はなかった。そんな縁を抱いての津軽墓参の途に、ふとむつに想いを運んでみたくなった。その日は偶然にも田名部神社の大祭だった。久々に見た郷の力つよくも雅な祭りだった。歴史ある郷の新たな期待、それは臨機応変、縦横無尽に繰り出す機略ある若い市長に委ねられていると聞く。以下は昨年の備忘録だが・・・・・左松崎さん台湾亜東関係協会蔡秘書長平田元空将青森県津軽地方の行...陸奥斗南の憧憬.15.11/23あの頃

  • 相撲も野球もプロという興行 2011 あの頃

    写真はデイリースポーツより選手や力士に罪は無い全国津々浦々の興行、イベントは未曾有の震災に配慮して中止や延期をしている。街のスナックや居酒屋で予約されていた送別会や親睦会までキャンセルが多くなっている。なかには、形式的な付き合い宴会に疑問を持っていた若者にとっては、ごく自然に受け入れられた。時宜を得た選択という名目があったとしても、歳時の倣いになった酒会は考え直す風潮にある。形式的といえば冠婚葬祭が代表的なところだが、結婚は経済事情もあり地味婚が流行り、葬儀は家族葬、密葬と称して経費のかからない葬儀が多く見られるようになったあのとき、陛下のご平癒を祷り歌舞音曲も控えた。地震災害や火山の噴火もそうだった。だだ、これも納得性の問題なのか、青少年の育成を冠としたスポーツや催しについては計画通り行なわれることが例...相撲も野球もプロという興行2011あの頃

  • 佐藤慎一郎氏に観る 官房機密費という銭 2010 加筆再

    ≪最近、以下の内容に極めて似た著作が出版された。濾過された情報の又聞きだが、実直な作者ゆえか、佐藤先生象の感受表現は改めて懐かく感じられた。もし先生にお会いして盃を交して著作にある記述を拝聴するならば、P44のような言動をするような風はないと認識するでしょう。また「おれ・・・(俺)」は、申が上から押されて下部が曲がった姿、つまり男性シンボルが押し曲げられた、いわゆる男の機能はないと、「日本人は面白い呼称をする」と云われたことを笑い話として語られた。残置された書類はすべて焼却を切望していましたが、書類現物があることは不思議なこと。残っていたとしても触れた御仁は師の切望を知らぬはずはない。真実を追うことが学問だと認識するのは勝手だが、切望の意を曲解なり隠匿することそのものを利とするのなら、どこかの国の大量破壊...佐藤慎一郎氏に観る官房機密費という銭2010加筆再

  • 「人間考学」 人の心の進む方向を知る 再

    それはコンビューターの2000年問題が起きる以前、今から27年前のことだった純朴で稚拙な童のころに目にした西洋の章を想起したその結果は民族固有の暦(カレンダー)を亡きものとして西洋歴に収斂される企てだと、後で知った。人々の成功価値は数値による財貨に向けられ、そのグランドも降り注ぐ「情報」という案内(インフォメーション)に先導され、ハーメルンの笛吹の逸話や羊飼いの群れのように、笛や一頭の牧羊犬に従順となってきた。掲げられた「民主と自由」によって人々は仮装した自由を疑いもなく受け入れ、嬉々として民族の連帯を解きつつも、個別から孤独への道に迷い込んた。国家は融解し固有の情緒も崩壊した。戻るべき所もなく、唯一偶像視する財貨の欲望に狂騒し、為政者の執る政治すら無意味なものとした。それは、気がつかないように、いや気が...「人間考学」人の心の進む方向を知る再

  • 人間考学講話 ある隊士の所感、 2022/7 あの時

    数次にわたる空自幹部講話ですが、懇嘱を受けて教授案の作成に取り掛かります。近隣のパワーバランス変化が危機感となり、特異な職掌ある隊員諸士の講話については技術や知識の類ではない内実が必要となります、しかし、此の全体を包み込む言辞は、コネまわした付け焼刃で適わないことは当然のこととの受任でした。この章は、講話後に送付された隊員の所感への、感じたままの応答ですよく、統御(組織マネージメントなど)には、人間の問題として「観人則」を伝えます。今回、教場の一隅で虚ろに聴いていた隊士の所感は講者の人物そのものを観る洞察がありました。洞察力とは、対象となるものの本質に潜在するものや、その奥底まで見透す醇なる観察眼です。まさに驚愕し講者も学ばせていただいた所感でした。数次にわたった講話で継続課題としたのは「統御」・縦横無尽...人間考学講話ある隊士の所感、2022/7あの時

  • 安岡正篤の「六然」と「官吏十戒」 08. 6/14. 再

    安岡正篤氏は数々の金言、人生マニュアルを遺している。漢学古典を氏の曰く「活学」したものだが、「臨機応変」(機会のタイミング)に、人を観察して言葉を発している。とくに歴史の位置づけへの考察力は、その時々の社会情勢を読み込んで大向うを唸らせる。それは活躍の機会を発した頃に、時の内大臣牧野伸顕氏への大量の提言書簡にも観ることができる。その論は「天子論及官吏論」である。戦後は数多の増幅されたエピソードによって、また一般庶民に不得意な漢籍のもつ簡潔性、かつ漢字一字のもつ膨大な情報量と多岐な意味を縦横に活用して各界要路に特異な発言をしている。その中で「六然」がある。隣国では養生訓の「五医」、国家の病弊を記した「四患」、共産党の四つの近代化「四化」など、数字を以って解りやすく取りまとめ周知する方法が伝統的にある。「何々...安岡正篤の「六然」と「官吏十戒」08.6/14.再

  • 安岡正篤氏は「六然」と掲げるが・・・

    碩学と謳われた安岡正篤氏は古典を引用した数々の格言を提示した。多くは著作権などない中国の古典にある昔話や逸話からだが、それを応用する「活学」もその一つだ。※碩学・・・学問が広く深い超然、泰然に代表される「六然」も先に付く文字によって「然り」が感覚で解る容易な処世の自覚ではあるが、浮俗時世にはマニュアル格言として挨拶や上司の訓話に用いるにはホドよい引用だ。語る方も聴く側も何となく納得するが、どのような姿を具体的に表すのかは不明のようだ。手とり足とりで隣国の古典(昔話)をひいて説明しても、もともと国柄、民癖も似て非なる地域ゆえ、ときに錯誤珍奇な受け取り方をしてしまうこともある。ただ、明治以降のフランス革命の前段仕込み思想のようだった啓蒙思想によって、これも我が国の民癖である好奇心、阿諛迎合でカブレ取り入れた官...安岡正篤氏は「六然」と掲げるが・・・

  • 異なることを恐れない意志 08,8再

    粛軍演説で国会を除名された斉藤隆夫氏国際主義、平和主義、平等主義耳障りのよい文字配列だが、そこに自由主義、民主主義、はたまた経済構成を消費資本主義と管理社会、それらをミックスすると現代社会のようになり、茫洋としたなかで目標を描こうとしても、情報という便利魔物にかき回され、確かな答えがうっすらとモザイクを掛けられたような、まさに混沌とした状態が導き出される。そもそも「主義」なるものをみるに一例がある。戦前の碩学といわれた大川周明の日記の一章に、「近頃、主義と冠するものが増えたが、往々にして主義業のようなもの・・・」とある。つまり食い扶持を賭して主義を唱えていたのである。国際の云うところ、ボーダレス。平和が謳われると戦争への道程。平等は特徴を無くし却って不平を生ずる。自由は放埓、民主は分裂、消費は贅沢を生じ、...異なることを恐れない意志08,8再

  • 安岡正篤が親しんだ郷学

    佐藤慎一郎氏新京にて以下は郷学作興の提唱者である教育者安岡正篤氏の生地である地域の郷学の形態である。現在の郷学研修所の前身であった日本農士学校の趣にあるアカデミックな学問とは異なり、しかも志願、推薦の類ではなく普遍的かつ地域特性を活かした場面であった。その後の師範学校にある官制学校の硬直性と比べると、まずはその教育過程において人を選別の具にしない、つまり時習学(情報、知識)の習得優劣によって人物の評価はしない、あくまで人格の涵養に重きをおき、その後の必然的欲求による科目志願の本(もと)としての本質学(人間学)が行われていた。なるほど、陸羯南、児玉源太郎、後藤新平、南方熊楠、らの英傑が輩出された驚嘆する当時の教育である。以下参考に掲載する田原小学校では秋山好古も教師に名を残している【以下、田原小学校の資料よ...安岡正篤が親しんだ郷学

  • 人間考学の提唱 小学より「潜在するものを観る」

    冠位褒章歴ナシ、記すべき官制学校歴ナシ、数多の成文あれど商業著作ナシ世俗無名に座し、と教えられればそれに随い、貪るな、と諭されれば貧を悦こび、枯木寒岩を装いつつも、浮俗に浸ることを一片の学として朋と遊び、時として独り逍遥しつつ清風の至るを悦しみ、齢を重ねている処士なり。頑迷の誹りあるも、学ぶ処、唯、先人万師の追隋なり寳田時雄著「天下為公」自歴より致知出版社所沢木鶏倶楽部依頼講話https://www.youtube.com/watch?v=UO0lQkpPk94(財)郷学研修所安岡正篤記念館寳田時雄講話https://www.youtube.com/watch?v=V-KOP9uItA8郷学研修会当初の構成http://kyougakuken.wixsite.com/kyougaku/blank-1売文で...人間考学の提唱小学より「潜在するものを観る」

  • 君が在る世を鎮考する

    このような気概と忠恕心をもった人物が存在する意義、それは政治権力や財の所有多寡にはない長(オサ)のような存在でもあろう。明治天皇は在任中に10万部に届こうとする和歌を詠んでいる勅語とは異なり、真情が表れている。なかには国民をおもう御心や、重臣、官吏、教育者に諭すような詠み歌がある。これを別位置の客観性と見る向きもあろうが、なかなか届くことのない境地である。詠み歌は国民には直接届くことのないことだが、為政者を越えて繋がる太い綱がある。あの被災地の歴訪も多くの為政者が訪れたが、陛下のなす自然の動きと言葉に多くの国民は感動した。そして選良といわれる為政者の言の葉と比べたりもした。歌会始でも御心を詠まれ、皇族もそれに倣った。中学校でも和歌の授業が行なわれ、多くの生徒が和歌に心模様を託している。ここでは、明治天皇の...君が在る世を鎮考する

  • 疑問の源泉 柔軟剤?

    秋山真之氏このままでいい、いや変えなくては、との様々な世俗の評を観る時、直すべき対象を吾が身に振り返るときがある。ものを書き、ものを云ってみたところで、その技量の乏しさの為か余計に滞留するものが滲み出ることがある。それは衣服を伝って表面に染み出るように、云い難い匂いを漂わせている。若い頃、よく古老から「問題意識を持ちなさい」と言われた。また、それを素朴で純粋に観察する為に「無名かつ有力に」と付け加えられた。力を抜くことでもあろう。近頃は懐中の厚みや、食い扶持となる釜の蓋を開け加減を横目で見ながら、自分にとっての人生の仕事の住処について譬えられる、蟹の甲羅に合った穴探しに没頭している。掘ったと思えば狭く、あるいはユルイ、下手な穴掘りでもあるが、身を休めるつもりは無い。気は阿修羅だが、お人好しの気弱で、お節介...疑問の源泉柔軟剤?

  • 人間考学 君は手を差し出して貰えるか 8 11/20 あの頃も

    孤立無援、国会で粛軍演説を行なった斉藤隆夫タダでくれるものには、意味がある。それが乗数効果という国民を相手にした投資なのだ出したら回収することは銀行も同じ手法だ。以前、別枠信用保証があった。中小商工業者は競って借りた。借りた途端、金融機関は今までの負債と相殺した。数兆円の資金は真水といわれる使える資金ではなくなった。しかも金融機関は日銀に還流したが政府保障貸出金より多くの資金が日銀の金庫に回収された。エサを撒いて大魚を釣ったのだ。流動資金は枯渇してサラ金、商工ローンへ追いやることになった。この政策で助かったのは金融機関だ。だが貸借バランスは良くなったが、国債は買わされ、これもエサになった。天邪鬼の屁理屈だが、金をくれると云われた時の人間の姿を考えてみた。まずは、民主の時代の政府と国民の関係におかしいと思わ...人間考学君は手を差し出して貰えるか811/20あの頃も

  • 《或る法律家の節操》 ラダ・ビノード・パル 07 7/8 再

    清瀬一郎氏パル博士岸信介氏パル博士と日本人の関係では、箱根のパル・下中記念館という名もあるとおり平凡社創業の下中弥三郎氏が特筆される存在でもある。また「パル判事の日本無罪論」を著し、晩年は南京虐殺の欺瞞を英書にして配布した田中正明氏は松井岩根大将の側近として、かつ下中氏の傍にいてパル・下中厚誼を観てきた市井の証言者でもある。筆者はふとした縁で下中氏の子息で平凡社の相談役であった邦彦氏との好誼によって多くのエピソードを遺しかつ願望を託されている。よく業界では、゛社会に為すべき仕事゛をする独特な社風をもつ平凡社ではあが、邦彦氏から託された下中弥三郎辞典にある膨大かつ有意な事跡を観ると、なぜパル博士との交流がこれほど深甚になったのかを下中氏の人物像をとおして現代に語りかけてくれるものがある。このほどベンガルのパ...《或る法律家の節操》ラダ・ビノード・パル077/8再

  • よく、相手の立場になってと教えるが・・ 2014 再

    銀座某風呂屋にてもし、あの太平洋戦争がアジア民族解放のための聖戦と考えるなら・・・・いまでも国内に膨大な面積を占領(領土を占める)している米軍基地の諸問題に難儀している日本を中国が開放名目として企てたら・・・稚拙な問答だが、たしかに日本は独立国の態をなしていないと考える人間もいるだろう。少しは考える人間は、行動を起す前に理屈の立つことを考える。あなたがやったことなら,オレもいいだろうと・・・あなたはアジア解放を旗印に進軍した。それに倣ってオレも解放軍とした。要は資源と人間の支配だ。オレは金で白人の棄てた世界に傀儡政権をつくる。ところで、精神が確かな日本人は、「聖戦の美名に隠れ・・」と議会で唱えたが、国民の代表と地位も名誉も保全された議員の多くは大勢に迎合して野次を飛ばして除名した。だが、次は最高得票で議会...よく、相手の立場になってと教えるが・・2014再

  • 後藤に見る人物と器量 〈観人則〉

    後藤新平児玉源太郎寶田時雄著「天下為公」より◆ユング教師の伝えたアメリカとリンゴ津軽を懐かしむ佐藤の言葉は"人間至る所、青山あり"といった地球上のどこにわが身を置いても時流に迎合せず自らを見失わず、しかも衆を頼まぬ「孤高の憂国」といったものを感じさせるものだ。「ユングという教師がいた。ユングが語学授業の合間に語る米国の思想や民情は、生徒の感動を呼び起こし、ときに忠孝の話になると、一同、感涙し戦慄といった状態がしばしばあった。山田と孫文☆りんごの原木来日のときに大切にもってきた米国リンゴの苗木は、その後の津軽の殖産事業として立派に役立っている。その原木はわが家の前にある。余談だがそのリンゴの育成方法を教えてくれと長野から来たが、なかには小心者がいて『せっかく儲けられるものを教えられない]』と追い返してしまっ...後藤に見る人物と器量〈観人則〉

  • あの頃も、いまも屈原にも成れなかったー

    《ドジョウは目が泳ぎ、溝(ドブ)に潜るのか》ことさら目くじらを立てることではないが・・・・以前、日中友好交渉の訪中の際、周総理から論語の一章を田中総理が貰ってきたことがある。その内容について当ブログで紹介したが、揮毫されていた文は「言必信行必果」で、まさに実行力を謳われた田中総理に適した内容だった。内包されている意味は『守って実行しなさいよ』という事だ。問題は、そのあとに続く章だ。「硜々然として小人なるかな」(小石のような小者)という章が前の色紙の語と一つになって意味となる。孔子に弟子が質問した逸話である。弟子が問う「言うことが信用できて、行うことに必ず結果が出る、このような人物は?」孔子が応えて「それでも一等な人物ではない。せいぜい小石の様な小者だ」「ならば、どのような人物が・」「君主の命を受けて他国に...あの頃も、いまも屈原にも成れなかったー

  • 麻生氏はあの時「さもしい」と賢察した。いまは騒がしく、かつ卑しくなっている 10 6/19 再

    以前、大相撲は清規(成文法)に馴染まないと書いた。つまり、おなじ社会の、同次元のことだが、ここでは狭い特殊社会の特別な人たちの同様には扱われない考え方と行いだと考えるのである。法人として優遇を受け公器としての役割が必要とはいうが、人が違えば公器等は看板の類であり、大義を謳うメディアにとっては何でも言い募る絶好なターゲットでもある。人の棲みわけられた世で、これが無くなれば清河百年を待つ、つまり元通りになるには百年三代かかるというものがある。仕草では「食三代」があるが、各々の家庭の味覚もあるが、食べ方、ここでは喰い方もある。これは作法だが民族が異なれば違うというような屁理屈ではなく、ことに色、食、財に関することは我国の人の所作に基づく問題でもある。昨今の就職活動(就活)や婚活の重要な部分を占めるであろう共通の...麻生氏はあの時「さもしい」と賢察した。いまは騒がしく、かつ卑しくなっている106/19再

  • まちづくりに外国人の発想をという初夢

    桂林の子供たち弟子(役人)が孔子に尋ねています新たな「まち造り」の根本的要諦は・・?「外の人、来たる。内の人,説こぶ(よろこぶ)」2008年の伴氏の章ですが、今と変わりませんね萬晩報主宰伴武澄(共同通信経済部,現高知市議)昨年来考えていることは、日本の物価水準が世界的に安くなっているのではないかということでした。日本経済新聞の新年企画は「YEN」から始まりました。アジアの人たちが日本で買い物天国を楽しむさ風景はまさに20年前の金満ニッポン人が欧米で繰り返したビヘイビアでした。日本の物価が高い、人件費が高いといっていた時代はとうの昔に終わっていたのです。47ニュースの編集で頻繁に目にする地方紙の記事はアジアからの観光客誘致です。正月にも山形新聞は蔵王での韓国からのスキー客誘致の話題がトップでした。日本の半分...まちづくりに外国人の発想をという初夢

  • 人間考学 民主主義の周縁 14 9/15 再

    青森県弘前市子供議会(中学生)猫も杓子も「世の中は民主主義だから・・」とうそぶく。それを有効成さしめるのは議会制民主主義の要員を選ぶ選挙だという。近ごろは国民も選挙にはお付き合い程度の感覚しかなくなっている。それに連れて議院内閣制である行政府と立法を専らとする議員の関係が混在し、その整理なのか,専制への導きなのか、内閣官房の力が増大している。つまり、官吏の集合体と化し、形式的になった政府の発する規制、扶養、が、これまた委任事務を扱う出先の自治体の作業を通じて、政府と国民の関係が密になり、その選挙を通じて選ばれた議員の権能が、とみに衰えているようになった。それは連帯を希薄にして個別化の進んだ国民個々と内閣が直結して,慣らされた群行選挙によって選任した中間監視組織でもある議会の衰退でもある。むかしは陸軍、いま...人間考学民主主義の周縁149/15再

  • トヨタの「5S」プラス「3」の願望は如何に あの頃

    今どきの若者は・・と、いつも世代循環でいわれることだが、企業もコンプライアンスという自縛装置がないころは他社の成功例を自社に当てはめて是正なり更新を試みることがあった。しかも生産性向上を意図した労働の組織構成やシステムにキャッチフレーズを付けて本業とは別にシステムコンサルタントの依頼に応えていた。トヨタには「5S」があった。数字と英文字はトヨタの洒落だが、サ行ではじまる五つの日本語である。その大意は、整理、清掃、習慣などだが、解りやすい本意は「気が利かない」「だらしない」「周りを考えない」そのような人たちが行う作業は不良品も多く、生産効率も悪く、連携が乏しい、ということだ。実はトヨタもそうだった。ただ、周囲の評判は生産と販売の独立した並立関係と、幾らか合理的と思われるトヨタ式オートメーション、車種の多様化...トヨタの「5S」プラス「3」の願望は如何にあの頃

  • 陛下は横田に忠恕の心を語った 2010 あの頃

    ブラジル入植者とその子供達の謁見だった横田は言う「それまでガヤガヤしていた子供たちだったが、陛下が入室すると皆引き締まって整列した。普段はそのような訓練など受けてはいない子供たちだったが、みな真剣な眼差しだった。」横田は代表してこう述べた「私達はブラジルに移住した日本人を代表して参りました」陛下も皇太子のときに訪伯してカイザル大統領と面会している。そのとき大統領は皇太子に感謝の意を伝えている。「不毛の大地といわれたセラードを豊饒の大地に転換させたのは日系ブラジル人のたゆまぬ努力によるものです。勤勉で忍耐強く、しかもその土地の人々に馴れ親しんで立派な成果を挙げブラジル農業に大きな貢献をしていただいた。その姿は畏敬の民として私達も誇りを持っています」地球の裏側において異民族の信頼を集めたことへの大統領の感謝は...陛下は横田に忠恕の心を語った2010あの頃

  • 荻窪酔譚抜粋 其の八 2010 8 再

    佐藤慎一郎先生の現地体験を聴くS・・・佐藤先生M・・・モト夫人T・・・寳田時雄第一宵五坐其一刻S:三(参)と云うのは生命誕生のしるし。男性は何ぼ威張っても子供を産め無い。女性は何歩威張っても独りでは子供をつくれ無い。神様だけでも駄目、三つ一緒で生命が誕生する。中国の皇帝は〝一皇后三婦人九嬪二十七世婦八十一御妻〟を貰う。総数で百二十一人(そして総て、奇数であり参の剰除である)。T:〝世婦(セイフ)〟って、〝婦人(夫人?)〟の〝フ〟は?M:側妾を貰うの?S:三は生命の源。亀の甲羅に焼け火箸を当てて八卦を判断する(亀甲占式)。桃の節句、〝桃〟は厄除け、女性の陰部を顕わしている(印度仏教を起源とする考え方)。老は背を曲げて杖を点いた格好。〝ヒ〟を省いて〝子〟が支えるのが、【孝】ですよ、と昨日も老人会で云った。T:...荻窪酔譚抜粋其の八20108再

  • 「人間考学」人は先ず資格より「人格」を

    バングラデシュ新聞も教材近年、資格ビジネスが繁盛している。とくに介護は社会福祉系、保育は児童福祉系、ビジネスは英語系の資格認定のために多くの若者、とくに女性の男女雇用均等法の援用もあり、盛んになっている。なかには漢字,漫画、歴史などの資格認定もあるが、その資格証発行元も、むかしは各省庁の天下り受け皿としての社団法人が主に行っていたが、内容はともかく、御上の威光なのか仮装信頼を仰ぎ戴いたものたが、最近はNPOの資格認定もある。ビジネスにおいては技術系の技能や検査の認定資格だが、これも生産性と節約で端折るところもある。それも新米の資格持ちの検査より、熟練技術者の確認作業の方が検査も確実なのだが、資格証の所持如何で検査証の認証がとれる。先輩の熟練者は、日々技を磨くために現場に馴染み、習熟を高めて後輩に伝承するの...「人間考学」人は先ず資格より「人格」を

  • 格差とは「官」と「民」の間(かん)に在り 2008 11/1 あの頃

    怨嗟と嫉妬と反目の社会に今更といった内容だが、幾許の叛意を浴びることを思いながら敢えて記してみたい。このところ蟹工船が流行っている。流行りモノといっては恐縮だが、公害問題が騒がれていたときは、栃木県足尾の古河鉱山と下流の遊水地渡良瀬遊水地を舞台にした田中正造翁の義挙が映像化され各地で上映された。ともに資本家と大衆の問題だが、金持ちの長(おさ)が富国強兵にともなう近代工業化によって経営者となり、隣国の近代化にもある先富方針の倣いにもなった金融、諸税などの優遇政策により資本集中から多くの財閥が形成され、曲がりなりにも西洋近代化の産業構造模倣が出来上がりつつあった。この方法はなにも経済理論にともなう政策という代物ではなく、偏向的便宜供与もしくは国家資材の騙取のようなもので、販路開拓などそのための理屈立てに国威伸...格差とは「官」と「民」の間(かん)に在り200811/1あの頃

  • 盧溝橋事件は偶発と、多くの日本人研究者いうが

    盧溝橋事件は偶発と、多くの日本人研究者いうが歴史上の出来事は遠因がある。それは今ばやりの量子学の泰斗ハイゼンベルグ博士の説を用いれば、多くの不確実性要素も考察の切り口として活かせることだ。歴史と複雑数学で・?とは、学派を構築した学び舎教員からは批判もあるだろうが、突発的に起きた事実の不思議感は学び舎で集積されたモノだけでは、ときに四角四面な分析考証学になったしまう危惧がある。いわんやボスの学説を引用しても侵さず、新説異論すら忌避される世界だ。くわえてボスを戴いた学派では、研究費確保やマスコミステータスを企図した、売文の輩、言論貴族の装いは「有名」とする名のもとに、こと歴史については確定もしていない考証に、さも証人的裏付けを提供する「経師」が多数出現している。まさに今風のマスコミの代理説明担当者だが、これさ...盧溝橋事件は偶発と、多くの日本人研究者いうが

  • 戦闘なき80年、兵を養うことの難しさ

    青森県黒石市20251月以前、山本五十六大将の言をひいて、「平時に兵を養うことの難しさ・・」を記したことがある。米国は世界中に軍を展開し、装備の更新や兵站の充実など、戦後、戦闘行動がなかった自衛隊とは現下の指揮隷属関係は同盟とはいえ、この部分においては国権すら委ねざるを得ない状況である。敗戦国の頸木は経済や軍事、はたまた外交においても戦勝国の顔色伺いに終始している。当時は占領国進駐軍配備についても、自衛隊の役割はの多くは国内に点在する数多の米軍施設の警備、防衛を任務としている。主に米軍の三沢、横田、岩国、嘉手納の周辺に設けたレーダーサイトやミサイル迎撃施設、海洋深度調査には国交省所管の海上保安庁、攻撃型空母艦隊の周辺警備や、海自の潜水艦、P3C対潜哨戒機などが任務に就き、基地周辺の国籍不明機には航空警戒団...戦闘なき80年、兵を養うことの難しさ

  • 真の国力に憑依する軍と財への誘惑 09 9/19 再

    [憑依]は弱っているものにとり付くことである現実の生活にある嗜好の基礎的条件を否定するものではない。ただ将来を見つめるための座標軸と欲求充足のホドを弁えることが必要だと考えるからだ。異民族の賢人、孫文は「真の日本人がいなくなった」と歎くが、゛あの時は存在した゛ということだ。その意味で真の国力を考えたみたい。国力のバロメーターは経済力と軍事力だという。またそれがために他国の事情が気になり、ついつい知った時点から意味の無いものになるような一過性のかつ、たかだか努力次第で変化する数字に翻弄されるのが近頃の人の倣いになった。加えて世界に普遍的であるとグローバリズムの基準に沿って、より俯瞰した考察からすれば、たかだか人間のみの要件を引き合いに狭い範囲のルール「掟」によって国内事情までが混乱し、政府は重い荷を背負って...真の国力に憑依する軍と財への誘惑099/19再

  • 「人間考学」 日中はそれぞれを「用」とするか、「体」とするか 8 5/18再

    それぞれの「体」(本質)を理解しつつも、それぞれが「用」(利用、活用)とする妙な関係がそこにはある。今どきの6,3,3制の官製学と教職員による「知った、覚えた」類の数値評価選別には皆無の人間考学ではあるが、「活かす」とはその種の問題に含まれた人の交歓を云うのだろう。あの安岡正篤氏も「応答辞令」について、よく言の葉にのせていた。また、異民族との交歓において、よく感じられることであり、かつ有効となる倣いでもある。中国は日本に中国的なところを観る。日本もそのように感ずるところがある。ここではチベット,餃子など中国に向けて投げかける問題と、靖国、南京を相殺するものでなければ、それぞれが哀れみに近い人情を相互の問題として理解するものでもないが、縁あってアジア圏に棲み分けられて、あまりにも儚く、切なく,亡羊の歎きに近...「人間考学」日中はそれぞれを「用」とするか、「体」とするか85/18再

  • 小事に見る歴史の特異点

    「敬重」は畏敬の存在である。生存を委ねる政治家は見た目の「羨望」ではない。ことに、浮俗の衆を助長させる行為は慎まなくてはならない。前号の小泉進次郎君の「特異点」について多くの反響があった記載したことがある章ですが、歴史の「特異点」について抜粋参考とします。元国策研究会村岡聡史の稿≪Ⅲ歴史に学ぶ≫本節では、歴史(客体)を学びつつ、歴史(主体)の中に教訓や知恵を発見するという課題について論考します。やや大胆な発想になるが、ここでは大日本帝国崩壊をミクロの視点(小さな事系)から分析していきます。①青年中岡艮一の短刀(起)大正十年(1921)11/4大阪毎日号外。「原首相、東京駅で暴漢に刺され絶命」翌朝の見出し、「狂刀、心臓をえぐる。犯人は十九歳の鉄道員(大塚駅)中岡良一」ちなみに、中岡艮一の出自はそれほど低くは...小事に見る歴史の特異点

  • 天涯孤児の人情と許容

    天涯孤児の人情と許容父母不明、親類縁者なし、朋友は見当たらずアカデミックに考えるものではないが・・・。人間は産む本能、あるいは性欲にいう男女交接の歓喜は、なかなか口舌に挙がることは無いが、まつわるハナシや五感を触発する成果物(著作、映像)は数多創造されている。人生の潤いにおいても大切なことではあるが、秘めた心情はより増幅した想像を生んでいる。斯様にもってまわった言い回しだが、あからさまに性交の誘惑や歓喜にまつわる話題を秘めた仲間以外には話すことはない。ただ、視界に思いがけずに飛び込む異性の衣服の乱れや、誘惑されるわけでもないが勝手に妄想してしまう欲望の衝動は男女を問わず覚える程好い緩みの一瞬であろう。そこまでは至極よくある秘めた情感だが、同棲、結婚、生活、離婚という状況に置かれると、飽き、抵抗、排除と動物...天涯孤児の人情と許容

  • 腰の落ち着かない防衛多論 19 7 あの頃も

    腰の落ち着かない防衛多論「腑に落ちない」は、気に入らないことではない。意志を共に行動するとき、頭で考えるロジックなるものを整理納得しても、生死の土壇場に係わる問題は、よく「腑に落ちる」と表現することがある。肉体にも感応する、つまり浸透するように沁みることを言うのだろう。「落ちる」は誤用ともいわれるが、書き物はともかく、内なる心の了解ごととして市井ではよく使う言葉だ。耳から入った情報を賢察もせず口から出る、これを「口耳四寸の学」というが、耳から入り、頭を回って、身体内(体験など)を巡って口から発する、これを浸透学とか実学ともいっている。これに直感力が備われば、瞬時に反応できる。わが国では兵士といわず隊員という。ある壮年の団司令が、「我々は軍人とはいわない、でも武人です」と応えていた。防衛当局者の、゛徐々に゛...腰の落ち着かない防衛多論197あの頃も

  • 切り口として、少子化と虐待の遠因 19 7 あの頃から

    暑くなれば寒さが恋しくなる・・・・岩木山SNSなら炎上は間違いなし。ことさら勇気もいらないが、ゴマメの歯ぎしりとして当世を備忘してみた。中華人民共和国は「一人っ子政策」という、゛人口減対策゛によって産児調整をしていた。いまは小皇帝とよばれる子供たちが青年期に差し掛かっている。彼の地の古い諺に、男児が4人いれば一家を机にたとえ、4脚の支えとして吉事とした。ゆえに一人っ子政策では、女児は忌避されたりもした。日本と同じで、まつりごとは皇帝、為政者も男子が担い、ときに則天武后や清朝の西太后など、幼帝を背後で支える政治を執り行っていた。まさに陰(地・女)の支え、陽(天・男)の動きだ。ちなみに漢字を操るのは男子(漢)、なぜだか女篇ばかりで、男篇は見当たらない。いたぶる意の「嬲」(なぶる)があるが、同意だが女が男を挟ん...切り口として、少子化と虐待の遠因197あの頃から

  • 宰相は、慌てず、競わず、怯まず 14 6/12再々

    青森県十三湖政治の「政」は、正を行う意だが、一に止まる(正)、「してはならないこと」、ことと、「これだけは行わなくてはならない」ことの矜持と決断を表している。それには下座観と時節の俯瞰が必要だが、その思考の座標は沈着冷静を以て行うべきだろう。標記は、総てが沈着冷静を本とする「多不」だ。急がず、阿(おもね)ず、妬まず、など色々だが、要は不完全なる故の「自省」を本としている。茶坊主や陣笠には分からなくてもいいことだが、宰相は内外の施策方針を陛下に奏上(天聴)する務めがある。陛下とて内外の事情、とくに国民(大御宝)の生計を案じ、細かく世情を観察している。安倍さんの叔父さんになる佐藤栄作首相は度々皇居に参内している。いまも変わりはないが、猟官、政策提言、など、こと理由をつけて総理に面会を希望する者がいる。宰相とて...宰相は、慌てず、競わず、怯まず146/12再々

  • 宰相として為すべき学問の特殊性 其の一 2009 7/19再々

    「名山の元に名士在り」と謳われた岩木山(陸(クガ)かつ南)作古人は云う内容はともかく、己の言葉の組み立てに安堵を覚え、人を欺いて雄弁家という安倍晋三さん【再度の総理だが、当時に戻って考えてみたい】平成19年8月27日安倍総理は参議院選挙惨敗後、早々と続投宣言をおこない、明日新しい内閣の布陣を発表するという。独り鎮考するというが、以前と同様つねに被写体フレームに顔を出す家族ぐるみで飲み仲間の官房副長官の進言があると思われる。なぜなら官房副長官の選挙区では当初の組閣で安倍さんから唯一相談があったと吹聴しているからである。あの時も総理は河口湖の別荘で独り組閣人事を練ったことになっていたが・・若者二人は宰相の意義を真摯に熟慮したのだろうか。老婆心ながら彼らの別世界にある、いや官制学校歴マニュアルには無い人間学から...宰相として為すべき学問の特殊性其の一20097/19再々

  • 隣国を悪しざまに罵る日本人の教養 2014 あの頃

    過去の拙い稿を改めて辿ってみたら、いまの世情に似たものがあった。腹にイチモツ、背に荷物、歴史の拘りと内政の閉塞、こんな時には必ず外に騒ぎを起こし民の目転じる、政治の常套手段だ。この情況が続けば経済や軍事の力加減で戦争になる。なによりも、意図、実績、能力が整えば、後は機会だけだ。その機会だが、ベトナムのトンキン湾、日中の盧溝橋、満州の柳条湖、日米の真珠湾、その気があれば誘引や謀略は身近にある。しかも地球の相対する文明からすれば、まさに「夷をもって、夷を征す」まさにアジアの戦いはアジア人同士の血によって贖う一過性の利は一方の夷が得ても、大きな利益は相対する文明である。植民地収奪の置き土産は、民族の分断統治だ。その種(タネ)は、財貨と思想(スローガン)と曖昧な境界地(係争地)だ。つまり偏在し色分けされた置き土産...隣国を悪しざまに罵る日本人の教養2014あの頃

  • 小沢さんと石原さんは何を観るのか 12 5/10 あの頃

    一方はオリンピック招致の助力を皇太子殿下のIOC(国際オリンピック委員会)出席を請い、それに対して宮内庁は皇太子の職務に馴染まないとして丁重な断りを表明したところ、「宮内庁の役人ごときが・・」と乱暴に言い放った。もう一方は、中国の次期指導者候補であった習近平氏の来日に際して天皇陛下への謁見を内規(面会予定の事前申し入れ期間)に照らして困惑したコメントを発表した宮内庁職員を石原氏同様に「役人ごとき・・」と言い放っていた。たしかに皇太子妃の縁戚が外務省のドンなのか、宮内庁人事も外務と警察にうまく棲み分けられ、かつ硬直した官吏の四角四面の対応とみるが、翼賛マスコミは逡巡したかのような記事を書いている。逡巡とはどちらも非難することもなく、否、できなく、しかも双方ともに記事タネとしてことのほか衆目の集める対象のため...小沢さんと石原さんは何を観るのか125/10あの頃

  • 対談録「荻窪酔譚」 抜粋其の五 10 2/14

    モト夫人見ると難解でしょうが、章を追って読んでみてください。何かが腑に落ちます。第一宵五坐其一刻S:三(参)と云うのは生命誕生のしるし。男性は何歩威張っても子供を産め無い。女性は何歩威張っても独りでは子供を創れ無い。神様だけでも駄目、三つ一緒で生命が誕生する。中国の皇帝は〝一皇后三婦人九嬪二十七世婦八十一御妻〟を貰う。総数で百二十一人(そして総て、奇数であり参の剰除である)。T:〝世婦(セイフ)〟って、〝婦人(夫人?)〟の〝フ〟は?M:側妾を貰うの?S:三は生命の源。亀の甲羅に焼け火箸を当てて八卦を判断する(亀甲占式)。桃の節句、〝桃〟は厄除け、女性の陰部を顕わしている(印度仏教を起源とする考え方)。老は背を曲げて杖を点いた格好。〝ヒ〟を省いて〝子〟が支えるのが、【孝】ですよ、と昨日も老人会で云った。T:...対談録「荻窪酔譚」抜粋其の五102/14

  • 最初の一声・・・その覚悟 08/1再

    ゛義理と人情とやせ我慢゛それもホドが肝心だょ(一区五番も組銀座竹本談)西洋は合理主義といわれているが、その事そのものが主義と括るのは如何なものだろうか。たしかに整理したり、分別したりするには理に合うものが必要だろうが、そこには理無し(無理)を生ずることも忘れてはなるまい。今どきは自らの意見や思惑の説明に、いとも合理的ともおもえるロジックを構成し、しかも大義の美名まで添えて人々を言下に置くものもいるが、大よそ時の変化と言下に置かれた人々の情緒などの予測を誤るのが常のようだ。その意味では筆者も、自らの言動にすら慙愧に耐えられないような事態に遭遇するときがある。つまり今ばやりの「KY」(空気が読めない)状態ではあるが、部分の合理と全体の合理、あるいは特定対象の合理と不特定への合理とでも言おうか、はたまたた他と異...最初の一声・・・その覚悟08/1再

  • 人間考学 ある任侠の逍遥備忘として

    「逍遥」自由で気ままな,何ら束縛されない歩みその世界では雲の上の方といわれている人物である。趣味は読書、それも小説の類でなく、内外の栄枯盛衰にみる人間のあり様など、難解な古典を丹念に精読している。反社とか暴力団と呼ばれる立場だが、市井の下座からみる観察は鋭敏だ。ときおり当局(警察)の上級職が訪れるが、傾聴して聴き入っている。足が速く国体にも出た。本当は体育の先生になりたかった。そんな任侠といわれる人物の回顧でもある。任侠の旅した津軽平成26年5月憚りながら一言、つれづれ心に思っていることを述べる齢七十五になったが、いまだ童心のごとく、あの郷里の山野を駆け巡った初心(ウブ)な心が甦る。くわえて、世間を四角四面に渡る人生となった滑稽さをも感ずるのである。家庭も顧みず、律義で人の世話焼きに没頭していた厳しい親父...人間考学ある任侠の逍遥備忘として

  • 「人間考学」体罰 稽古は倣うとこで、習うことではない

    理屈のない体感゛水は自分で掛けるのか、かけてもらうのか゛必要なことは同じだ「倣う」は自身の特徴を活かして自分なりに修得する。つまり人物なら、あのような人になりたい、という目標を設定することだ。一方,「習う」とはまず前例や既存の規格に従って知なり技を習得することだ。昨今、体罰が問題になっている。規律違反があれば対価で補うのではなく、肉体的衝撃や苦痛をもって自身に課すものだが、いまは第三者に依頼して一喝してもらうことでも、もう一方の第三者がみると体罰になるようだ。自己鍛錬のために競技なり芸事を選んで、縁あって指導者や師を得て、もしも同じ訓練者との調和がとれなかったり、互いの礼を失念したとき、自身の軟弱な意志に代って伝え、教えてくれる第三者の人間、ここでは先輩や同級生,師の、゛気付かせてくれる゛本人自覚の代理行...「人間考学」体罰稽古は倣うとこで、習うことではない

  • 勝者の資格 機略のタイミングと逆賭 2015 9/5一部挿入

    「機略」機会に応じた考え。(略には奇略もあれば策略もある)「逆賭」将来を予測して、いま手を打つこと。これでベトナムの敗戦は帳消しだ。政府や軍だけでなく大衆の意識にも認めたくない記憶があった。ベトナムは冷徹な秀才、マクナマラ国防長官、今度も類似したラムズフェルド氏だ。共通点は、兵站、戦端、継戦は数値計算でできるが、防戦、撤退、或いは占領軍政となると世界は解らなくなるようだ。アフガン、イラクは今でも混沌としている。筆者幹部講話統御、機略、浸透学、謀略死生観指揮司令の機略とは、臨機(機会に臨む)に、いかに各ユニットのコンビネーションを計り、組織を司る人間の職掌を超えた連帯意識と調和を考えることであり、かつ目的を共有した使命感がなくては行動のタイミングを失うことになる。また多くの識者も大意はそのようなことを仰せに...勝者の資格機略のタイミングと逆賭20159/5一部挿入

  • 数多の主義とのつきあい方 08/1,17再

    孫文主義なるものはともかくにして、先立つものは金だと・・・歴史をあれこれ言ってもも、生きているうちが華だとも聴く・・・人はそれぞれ、抗論するお節介も江戸っ子には野暮ったい。しばし旧稿を眺めることにしたい。≪2008の章ですが・・≫社会構造の変革は産業革命に匹敵するという情報化社会だが、何れも人知れず人間の悲哀が潜んでいる。当時のイギリスは生産性も上がり消費地を確保する為に国外、とくに野蛮で未開の地と彼らが思っていたアジアに進出した。そこからのアジアの歴史と悲哀も言を多くするところだが、国内に目を転じると労働力確保のために多くの少年少女が日に十数時間と過酷な労働があった。日本でも紡績工場や炭鉱など産業発展の影には多くの労働者の物語がつくられた。それは海外への市場拡大と国威伸張を描き、また背伸びであってもその...数多の主義とのつきあい方08/1,17再

  • 人間がおるじゃないか 2008 12/19 再

    「人間がおるじゃないか」菊池九郎が米国人教師ユングを横浜まで迎えに行く道すがら、須賀川の学校に行く後藤新平に会い、宿や道中でいろいろな話をしている。その不思議な縁は菊池の甥、山田兄弟の仲介での当時台湾民政長官だった後藤新平と孫文会談、台湾施政の要諦は、人を観て、育て特徴を伸ばし、その人物に資財を任せれば、超数的効果が生まれると、菊池の説いた「人物」こそ事業の成否を左右する要諦と確信し台湾の基礎作りを行なっている。青森県黒井市物理的な問題もあろうが、いま若者は車に興味が無く、酒も飲まなくなったという。゛エンジョイ・カーライフ゛などともてはやされ、゛一気飲み゛が流行った世は移り、世界的な博打投機が破綻し、金貸しは資金を膨らますことに没頭し、おんぶに抱っこの柔和な公的という資金がその宴を掃除している。どこ吹く風...人間がおるじゃないか200812/19再

  • 潜在する良心 強く正しい国家の宰相とその教育 09 8/13再

    2024年全国PTA連合会が揉めている。金の使い込みと不透明な会計処理だ。教員が上司へヒラメの付け届け行われている。むかしは親の付け届けが多かったが、校長に成りたいから官官賄賂では締らない。上っ面の道州制や地方分権の争論が華やかだが、善男善女に潜在するであろう良心は他人との調和や制御において強い力のある善なる権力を望んでいる。潜在などと解りづらい表記ではあるが、依頼心や他動的な動きに安住する見方とは別に、またシステム的な分権システムを論ずる前に潜在する心の中に在る「分限」を考えるべきであろうと考えるのである。よく、後味の悪い反発、批判のような自身の付和雷同を悟るとき、それが政治指導者なら尚更のこと、その対象になるような対象は目の前の官吏や職場の上司、あるいは芸能人などと同様に、一過性の怨嗟、反目、嫉妬など...潜在する良心強く正しい国家の宰相とその教育098/13再

  • 大自然から授かる教え 2014 再

    地球に生きている生物は、目に見えないが大きな恩恵を享けています。それは、生命を育むすべての動植物のさまざまな姿として形にも表れます。熱いところ、寒いところ、苦しい時や楽しい時など、色々な場所と時間のなかに棲みわけながら、また大自然の色々な形に素直に随って人間という動物種はそれを保存してきました。アジア観では人間を最高なものとしてではなく、他の動植物と同じような生命体として、共に影響しあい、かつ生きることに必要な共存対象としてみてきました。私たちは感謝したり、猛威を除けたりしながらも抱かれている大自然ですが、近代科学では宇宙の少しの意味や、生物の微細な原子からの成り立ちは解ってきていますが、大部分は解明されていません。また解ったからといって人間は有効な対応がとれません。太陽はいつも輝き人に明るさと暗さを知ら...大自然から授かる教え2014再

  • Japanese ZEN 2012再

    ベンガルこども新聞「キシロチェトロ」10月号コラムよりこの章は翻訳して掲載されます日本語では「禅」ですが、インドのバリュー語ではdhyana、また地方によってはJhanとも発音しています。仏教の詳しいことは省きますが、日本における「禅」は多くの文化を派生させています。武士道、茶の湯、教育、生活習慣など、「静かに物事を考える」dhyanaの意味に沿って日本人の精神や教養を支え、いま世界の人たちに映る日本人の印象に多くの影響を与えています。それは、騒がず、競わず、外のものに影響されずに一人で考える、つまり本当の独立した自分の精神の内面を深く考えることを生活のなかで習慣化することでした。どのような宗教でも物理的な大小や贅沢のために心を滅ぼすことを戒めています。そして悩みや苦しみの救済を説いていますが、真に求める...JapaneseZEN2012再

  • アジアの友人たち あの頃

    【ベンガルこども新聞キシロチェトロ9月寄稿」南スーダンの国連PKOに参加した日本の自衛隊をガードしてくれたのは、バングラデッシュの軍隊でした。日本は自衛隊と名称で国を護るための武力を維持していますが、たとえ外国の平和のために協力するためであっても戦闘は憲法で禁止されています。そのために今回のスーダンでは優秀なバングラデッシュの軍隊に警護されて任務を行っています。では、大きな武力を持っていない自衛隊が紛争地域でどのような援助活動をしているのか、その能力や規律とはべつに、現地の人たちとどのような精神で向き合っているか、イラクPKO部隊の司令の言葉を紹介します。それは、お金や資材、機械を与えるだけの援助や、単に武力制圧の一員としての参加ではなく戦争に苦しんだ現地の人たちと一緒に汗を流して働き、復興の喜びを分かち...アジアの友人たちあの頃

  • 豊かさのあとに 12 7/2 再

    八嶋龍仙作青森県弘前市≪ベンガルこども新聞「キシロチェトロ」コラムより≫編集長地球の薄い表皮、大地では多くの生物が大自然の恵を享けて生活しています生きることから、もっと豊かになろうと知恵を出して、生活に利用できるもの、より便利なものの追及にとどまることがありません。さまざまな地域に棲む人々の習慣や幸福感は異なります。近ごろは、それを追及することによって滅んでしまう心の姿を心配する人々も増えていますまた、その現象に表れる結果を文明とか未開とか、あるいは野蛮とか決めつける人たちの幸福感は、物や利便するテクノロジーによって、よりその状況観察は厳しいものになっています。日本でも西洋人から未開だといわれていたころ、外国の宗教家が、「神がつくった最高のものは人間・・」と教えました。すると日本人の多くは「よく働く牛や馬...豊かさのあとに127/2再

  • ベンガルこども新聞を創刊 2011/2 あの頃

    バングラディッシュという国を知っていますか・・地理的にはインドとビルマの間の中州のような国です。毎年のように洪水に見舞われ、一時は最貧国といわれた国であり地域です。また、日本との関係も深い国です。インドといわれたころ、ベンガル地方に生を享けた詩人タゴールは岡倉天心、インド革命軍の英雄スバス・チャンドラ・ボーズと頭山満、東京裁判のインド判事ラダ・ビノード・パルと下中弥三郎など多くの交流がありました。それはアジアを知り、日本を惨禍から救う精神の援助でありました。貧しいゆえ、抑圧されたゆえ、人は人生を深く考え、あるいは打破し、そして正義の在り処を直言する、そんな賢人達が生まれ、多くの日本人の共感を受けました。また当時の日本人にはアジアに普遍な意志がありました。精細で巧みな仕事をする職人は指を切断され、学校も作ら...ベンガルこども新聞を創刊2011/2あの頃

  • 人を知らずして国を語ることは・・

    桂林よく隣国を語るとき、時の政権の政策、経済、その意図などを科学的根拠として数値を用いて説明し、歴史的経緯の中での事柄も互いに我田引水のように争論さえいとわない、つまり些細な応答の隘路まで一方は四角四面、相手は白髪三千丈のごとく止まることのない外交だが、どちらが猫かわからないが、ネズミをいたぶるように楽しんでいる。たしかに歴史では夜郎自大化した一部の無頼の徒は他国の庭でそのような狼藉を働いたが、相手は巨大になり武力をもって脅かしても、未だに押し寄せてこない、いや白人のケツ持ち頼み(他国の盾)の半植民地根性では嘲られるという負け犬根性が哀れに見えるのではないだろうか。子供の頃に貧乏ゆえに苛められたが、その辛苦がゴム紐のように引っ張られ、離した瞬間のエネルギーは、ぬるま湯で育ち集団で苛めた連中より躍動感もあり...人を知らずして国を語ることは・・

  • ある切り口 オトコの付き合い

    台湾を興した男の付き合い官でも…、軍でも、変わり者同士後藤新平児玉源太郎食い扶持稼業なりには夫々「界」がある。政治の世界、経済界、また「壇」という奇妙なものもある。画壇、文壇だが夫々が「界」を構成している。その世界も狂気の世界、嫉妬の世界、批評の世界と「世」に関わると、「界」なり「壇」なりに棲み分け安住して粗餐をむしばみ兵隊ごっこよろしく「賞」なるものを設け商業出版の奴隷なりパラサイトとして世を惑わしている。世は変わり者を称賛し、汗を知らずして汗を書き、ヤブにらみ批評を斬新とするような、つまり童心から見れば滑稽かつ妖怪の世界を映し出している。世に売文の輩、言論貴族と称す堕落した似非文化人を気取る者がいるが、隣国では「九儒」、や「臭九老」として蔑んだ。先進国と称するところでは知識人、いや今では「識」にいう道...ある切り口オトコの付き合い

  • あの日、私案 憲法前文を撰す 2007年12 あの頃

    ごまめの歯ぎしりのようだが、世情が騒がしいふと思う。あの太子の十七条に簡記された憲法と称する律を本(もと)にすれば、国民は等しく、かつ、そもそも憲法なるものがなぜ必要なのかが腑に落ちるだろう。もともと神棚の護符のように、謂れ因縁は解らずとも都合よく手前勝手な助力を請う様になった憲法観ではあるが、まともに読み理解した国民は微かだろう。必要かといえば、他国を意識した明治初頭はその阿諛迎合(カブレ風)気質を開花?させ、憲法を理解、有効せしめる教育制度まで似て非なる文化を模倣した。故に本義はともかく四角四面な細部にこだわる官吏によって致命的欠陥を含んだ憲法なるものが発布された。ここでも国民は半解のままだった。その欠陥だが、一時は国民を歓喜させたが、徐々に暗雲となって国を覆い自律自制できない情況を誘引した。ある意味...あの日、私案憲法前文を撰す2007年12あの頃

  • 混迷の自由と、やっかいな民主 2009/3 再

    資本家からの解放を謳った一群も、民主と自由を謳った一群も、現状の勝ち負けを論じたところで、体裁のよい噺であろうと考える一群が存在する。一方の自由と民主を提供された一群の掴みどころのない不安だが、為政者の掲げる国民の自由と民主への錯誤は往々にして国家の連帯を融解させることを、人々は薄々気がついている。とくに其の主義と仕組みを提案され、たとえ面従腹背によって好い処取りをした民衆も、悠河が激流に変化するに連れて、自ら生じたさまざまな雑物が混じった汚流になることに、何の処方もなく戸惑っている。たしかに自由な主人は己を扶養することに汲々としている。食い扶持は勝手に探せるが、結果と片付けはおまえの責任だ、ということだが、為政者あるいはそれに伴食を預かっている連中にとっては、管理のコストは主人である、゛あなた持ちである...混迷の自由と、やっかいな民主2009/3再

  • 人間考学 餌を散らせば隠したことがバレる、一網打尽之術

    弘前城旧稿ですが・・・毛沢東は百花争鳴を奨励した。思っていることを自由に、かつ大いに言いなさい。役に立つと思う考えを言いなさいよ、と大衆に宣言した。今までは何か言えば反抗的だと捕らえられたが、恐る恐る言い始めた。今までは陰で隠れていたもの、仲間で色々な政治の話しをしていたものまでが出てきた。盛んになると海外の評価も変り、それらと恊働するものも現れた。それは自由のない頃の社会、いや、食べることの懸命な大衆にとっては異質な人たちだった。多くは読書人(知識人)と称される者たちだった。考えている人間、言っている人間、協力する人間、これで目星はついた。あとは投網を掛ければ、一網打尽。もともと政策の裏付や飾りに知識人らしき者を任用するが、知識人からすれば御上御用で箔が付き、食うには事欠かなくなり、長生きすれば勲章まで...人間考学餌を散らせば隠したことがバレる、一網打尽之術

  • あの頃の米国 職務に忠実なアメリカの高校カウンセラー

    桂林の子供たち1998年02月27日(金)共同通信社経済部伴武澄ニューヨークに赴任したことのある資生堂の八木さんの、初めの半年の悩みは当時高校2年生だった娘さんのことだった。公立高校に通わせていたが、いつまで経ってもアメリカの学園生活に慣れなかった。ある日、高校のカウンセラーに「これ以上この学校にいても娘は慣れることはないだろうから、近くの日本人学校に転校させたい」と打ち明けた。カウンセラーからの返事は八木さんを驚かせた。「あと一週間下さい。自分なりに最後の努力をしてみたい」。日本語では平凡な言い回しにしかできないが、英語ではまるでその娘さんを立ち直らせることが自分の義務であり、一週間の時間が与えられることが担当者としての権利のような言い方に聞こえた。一週間後、カウンセラーの努力のかいがあって娘さんは見事...あの頃の米国職務に忠実なアメリカの高校カウンセラー

  • 次郎長と喜之助、今はいずこに 13 8/13再

    志は青雲次郎長は山本長五郎、幕末任侠の徒。喜之助は戦後の新宿に光を灯した任侠,尾津喜之助。その稼業は異なるが政治が混乱し態をなしていないときに表れた義狭である。ひとは総称してやくざ(役三)と呼ぶ。いまも全国津々浦々に散見するが当局の御都合で暴力団と命名され、いくら善行を積んでも国民の目線から遮断され隠れた存在となっている。いくら格好良く名を売るといっても、端から暴力団では絵にならならない。まして、「俺みたいなやくざもんは・・」といわれたら二の句もさせない。せめて「俺たち任侠は・・」と言ってほしいし、それなりを魅せてほしいのは山々だが本人たちも一種の自虐に陥っている。堅気素人とて「どうせ学歴もなく貧乏で・・」といわれたら、どうも話が暗くなる。土方(土木労務者)とて高学歴の青瓢箪では使い物にならないように、鶴...次郎長と喜之助、今はいずこに138/13再

  • 三笠宮崇仁親王殿下(若杉参謀)に倣う 憲法改正へ向かう前に

    135/7掲載当ブログでも、十七条憲法は権力を構成するであろう人々の集団や、彼らが恣意的に行うであろう行為が人間の尊厳を毀損するであろうと危惧したため、それらの権力集団の権力行使の制御を抑えるために聖徳太子が制定したとされる矩であると度々書いたそして改める意図と機会に際して、慎重な歴史の鎮考が求められるとも記した安倍氏の歴史感覚と当面の対処は是とするが、改正後の人々の動向と民癖のように歴史に刻まれた日本人の変化を想定することも同時に推考しなくてはならないと考えるそれは、ネガティブに足を引っ張ったり、種々な異論を糾合して徒な反対に応ずるのではなく、自らの良心と美しい国とかかげる政権理念を将来にも汚すことなく、かつ現実に対応する胆力を養うためにも一考を呈したい。戦争には秘話がつきものだ。開戦秘話、謀略秘話、日...三笠宮崇仁親王殿下(若杉参謀)に倣う憲法改正へ向かう前に

  • NYタイムズ東京支局長指摘 「大新聞は国民を見下している」 2015

    NYタイムズ東京支局長指摘「大新聞は国民を見下している」来日して12年になるマーティン・ファクラー氏(C)写真稿日刊ゲンダイウェッブサイトより転載国の根幹が変わるのに、新聞が反論を載せない異常相変わらず安倍政権の支持率は高いが、不思議なことだ。庶民にアベノミクスの恩恵はまったくないし、イスラム国の人質事件は最悪の結末に終わった。政治とカネの醜聞が噴出し、大臣がまた辞任した。そんな中で、安倍政権は平和憲法をかなぐり捨てる法整備を進めているのに、世論は怒るわけでもない。その理由を尋ねると、来日して12年になるニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏からは明快な答えが返ってきた。「報じない大メディアが悪いのです」――。――この調子でいくと、今月中にも自衛隊が世界中に出ていって、戦争協力する法案...NYタイムズ東京支局長指摘「大新聞は国民を見下している」2015

  • 「女厲」は社会を劣化させる 16 4/8. 再

    秩父「女厲」は五寒に記す、政外、内外、敬重、謀弛と同時に表れる相互作用だが、女性が荒々しく烈しくなる現象だ。この兆候が表れると社会は崩壊し、国家はなすすべもなく崩壊する。それは生産や軍事力という数値評価の多寡で競うものではなく、真の国力と云うべき人間の深層に存する情緒が五寒に記すそれぞれの問題の顕在化によって毀損され、数値の繁栄が砂上の楼閣のようになる危険性があることである。なぜなら、数値の多寡を競い、成功価値や幸福感を追求するなかで、個々の成功や幸せが行き着くところにある「全体の毀損」が、まるでエントロピーの法則のようにその高低差を激しくなればなるほど、閉塞感や戸惑い、不安などの精神的社会基盤が歪み、回復力を失くすことになってしまう憂慮だ。昨今は、格差社会といわれ、一過性でもある、情報、収入、などが、そ...「女厲」は社会を劣化させる164/8.再

  • 「義」は人の大本なり 08.6稿 再

    ベンガルの義人シャーカー氏昨日は「利」でした。生活には戸惑いのあるものですが、「義」を理解すれば「利」の効用があるようです。浅学非才の若輩なれど、身の程を忘れ、先人、師、恩人の言を無断で活用いたし、いくばくの利他の増進に役立てばと考え、かつ世代の役割を感じつつ記してみます「義」について「義」は羊と我の合字です。羊は古代いけにえとして神に献上した習慣から吉祥だとか善などの意味が含まれています。ですから、善い、正しい、と解されています。「事宜を知り、恥を知り、為すまじきをなさぬは義」「義は人の大本なり」(准南子人間訓)義は無条件で正しいとおもうことに我を捧げることです。それは、人間のあらゆることの大本であり、根本であると定義されています。「義は己の威義なり」(説文)といいます。威義は、その人の修養の程度によっ...「義」は人の大本なり08.6稿再

  • 上賀茂の葵から観る世 2007 あの頃

    平成19年の初頭、国際フリーターを自称する中野有氏のライフワークとなった上賀茂の「葵」(あうい)を考察するとの名目で、萬晩報の伴主筆、某省の官房補佐官大塚寿昭氏、との京都相伴の機会があった。。訪れたところは、古代における京の豪族、賀茂氏の氏神を祀る賀茂別雷(ワケイカヅチ)神社。別名、上賀茂神社は天武6年(678)に造営され、社殿の後方に在る神山に賀茂別雷神が降臨した地として伝承されている。市内に近い下鴨神社の趣とは異なり、古色蒼然としてまさに京都絵図にある扇の要のような位置に鎮まりを以って座している。社域には社殿、祭殿が深い思慮で配置され、それぞれに意のある存在をつなげるように祷りを奉献するものを包み込んでいる。古都を彩る葵祭の行列や流鏑馬など、今でも残る祭典儀式や陋習などが、上賀茂神社を発祥としているこ...上賀茂の葵から観る世2007あの頃

  • 佐々淳行さんの著書 「私を通り過ぎたスパイたち」投稿読感

    秋篠宮悠仁殿下の御しるし高野槇Amazon投稿レビュー稿題「事件にも近いが、政治にも近かった」懐かしく拝読させていただきましたまさに縦横無尽で臨機応変の「機略」に富んだ公務員だった。『東大法学部』がよく出てきますが、巨悪も検挙する側も学歴ならぬ「学校歴」で、裏も表も明治以降の学制にある立身出世の残像がある。浮俗ではその巨悪も影を潜めでいるが、小悪党の騒々しさにも、どこか通底するものがある。ゾルゲ事件ですが、意図は筆者の推考とおりだが、あくまで内務省管轄の国内事件、つまり内偵、逮捕の手順や経過の記述だが、三田村氏の著書や歴史研究者、はたまた田母神論文でのコミンテルン(ソ連)の策謀とみているが、明確なところはない。いち早く決定を送るのは情報送達、いわゆる国内情報の収集がゾルゲスパイ事件とみる向きもあるが、判断...佐々淳行さんの著書「私を通り過ぎたスパイたち」投稿読感

  • 人間考学から「伸びしろ」をみる 13 ・ 8 再

    新聞の読み聞かせバングラデッシュ多くは「容」「像」「体」から読みとる人物像である「容」は相の具合だが、顔色はもちろん柔和とか溌剌感、目線の落ち着きや口元の締りだ。「像」は容に加えた雰囲気だが、仕草やたたずまい(佇まい)、もしくは圧倒的な威力や謙虚さに観る姿だ。そして「体」は言うまでもなく身体の歪みや緩慢な動作など気力衰退や患いから発する形だが、容と像は体との調和として表れる解り易いイメージと考えるもし相も悪く気分は弛緩して行動が緩慢な人間に財や知恵を付加したkらどうだろう。まだ元気溌剌で柔和な貧乏人の方が感覚を震わせるそれから先は相手の説明や行為から知ることだが、往々にして金と地位とその継続性を詮索することでその価値の優劣が決まるようだ。近ごろは金持ちの未亡人や熟女狙いの狡猾な男が増えたようだが、見えるも...人間考学から「伸びしろ」をみる13・8再

  • 一服 憂さ晴らしの学・・・? 2017

    暇まかせに字引をひらいてみると、漢字ではあるが原典とは違う意味もあれば、錯覚なのか、はたまた「そのように呼称せよ」と指示されたような熟語があれば、日本流に作った俗字もある。漢字は単なる文字記号ではないために意味の錯誤は日本人そのものの印象すら嘲笑の対象にされることもある。「俺」とは、我とか自分という意味で使われるが、「奄」を見ると、宦官とか門番とある。碩学は、伸びるものが「大」という重しに押され「申」の縦線が曲がった状態で、男性器が折れ曲がって使えない意味だと古老は説く。大陸では我が身を「俺」とは言わないという。それと同様に「黄門」といえば水戸黄門だが、黄は皇帝色といって高貴な色であり、その「黄門」を守護しているものは去勢された宦官である。中国文化特有の文字遊びか、はたまたそのように教えられたのか「俺」も...一服憂さ晴らしの学・・・?2017

  • 無名で有能な人たちを探す

    板橋区在住根岸さん東京の片すみに90才の工作者がいます。人々はその自由な発想と精密な細工におどろき、彼を芸術家とよびますが、根岸さんは、好きで、楽しく、熱中できる作業を自分で探し、60才くらいから始めました。多くはニホンザルを人間のおもしろい動きを模してつくります。粘土をこねて乾かして焼く。その作業は無言で一人の作業です。このような自由工作をおこなう無名な人は昔から数えきれない作品をのこし、日本中の海辺,山間に生活しながら、一生発見されることなく工夫精密化された生活の道具や玩具、鑑賞作品をいまでもつくり続けています。根岸さんは自分の作品を売るためにつくるのではなく、集中することと緊張する時間を楽しみ、作品対象としたサルがまるで生命のあるように目の前で遊ぶ姿を想像します。そこには難しい芸術論など入り込む隙間...無名で有能な人たちを探す

  • 数寄屋橋の鬼に酔わされた

    教員免許など無用大学校にて「大学の道、明徳」自身の徳(特徴や意志)を明確にする学び舎(大学校)で、自己を語る。2008記赤尾敏氏を知っているだろうか。この様な書き出しは筆者の出自や思想を云々されそうだが、その云々の無用さを赤尾氏のエピソードから記してみたい。銀座数寄屋橋の街頭で、通称、街宣車(ガイセンシャ)の上で仁王立ちになって演説していた民族運動家である。筆者は赤尾氏の自宅兼道場に伺ったことがある。たしか知事選に立候補した時の選挙の真っ只中、夕刻の7時であった。紹介者とはいっても、安岡氏と懇意な岡本義雄氏である。「赤尾さんに会いに行く、君も来なさい」いつものことだった。強引にも筆者を文京区白山の安岡邸に誘い込んだのも、今回の赤尾氏に連れて行ったのも岡本氏である。好奇心もあったが、そのたび明治人に面白いよ...数寄屋橋の鬼に酔わされた

  • 門田隆将のフルスイング あの頃 08 2 1

    先日、門脇(門田)さんから氏の著書「慟哭の海峡」に記した台湾南部の潮音寺で慰霊祭があるので、との誘いがあった。じつは、その前に戦前の台中の霧社であった事件の慰霊にも誘われた。両方とも門脇氏が記念講話をするという。同伴する予定だった門脇氏の土佐校の先輩の諸都合もあり筆者も遠慮したため、8月2日の潮音寺は行こうと思っている。「ところで、小泉君がアナタの愛読者だと云っているが、会ったことあるのか」『そうらしい、演説でも言っているらしいが、まだ会ってない」「実は台湾映画のKANOのことで彼も関東学院野球部、アナタも少年野球のコーチで、お互いに台湾に関係が深い。できれば21世紀の枠を作って台湾選抜を甲子園に招待できないかと思っているのだが・・・」『選抜は難しいとおもうので、エキジビションならいいのではないか・・・」...門田隆将のフルスイングあの頃0821

  • 疲弊する国家 良くも悪くも、多い少ないも 08 5/23 あの頃

    国会で舌鋒火を噴く「切腹問答」を行った浜田国松氏あの頃より進捗しているここでは人間の問題、とくに群れとなった人々の生き方について、明確かつ隠蔽されたかのように矛盾をはらんだ事柄について記してみたい。それはある隣の酒席の話だが、ことさらコソコソ話をダンボ耳にしたわけではないが、妙に納得した会話だったので紹介します。『ところで公務員は450万人といわれるが、隠れ公務員はそれと同じくらい居るが、家族3人で2400万。隠れ公務員というか税で生活している人のには、各種天下り法人、外郭団体、あるいは民間法人を設立して食い扶持を公共に特化している組織もある。近頃では駐車違反の摘発をする「民間」と称する警備会社もある。ともかく、税や手数料ほか特別予算に依存している組織や人間が多い。これが問題の高給取りで待遇は抜群。定年後...疲弊する国家良くも悪くも、多い少ないも085/23あの頃

  • 人々は分断され、一極で管理される世界 2013 06 再

    それは、見惚れ、憧れ、競争している間に起きていることだ。年齢を重ねて気がつくことがある。それは人々の関係が希薄になり、その都度離合集散を繰り返す、つまり融通無碍な関係になっていることだ。近頃は物を所有するということが一昔前からの価値観とは変化して、リース、ローン、リサイクル、など見方によっては便利性が備わった消費経済との考え方があるが、払い終わるまでは所有権は使用者ではなく、あるいは飽きれば残債ごと利用者は移転し、債務が終わればリサイクルに転用し幾許かの小遣いが残る。ともあれ消費は増え、生産は伸び、金利は稼げる。オリンピックはレガシイー(遺産)だと騒いでいるが、アレも同じパターンだが、地球のどさ回り興行が終われば、あとは片ずけが遺るだけだ。ここでは、゛思いのこもった゛゛愛着のある゛固有の品物の継続性という...人々は分断され、一極で管理される世界201306再

  • 吾 平民なり

    吾平民なり明治の大日本帝国憲法では天皇を内閣が輔弼(助言、沿う行為)すると明記されている。戦後の憲法では天皇は国政に関する権限や統治権もなくなり、象徴としての位置にある。その象徴もオブジェのようなものではなく、国事行為である認証(裁可ではなく)は、内閣、条約、法制について多くの認証御璽を自らの御名によって行っている。つまり天皇は権力を所持しない、国政に関与しないという制約下での象徴としてのご公務を執っている。その意味では英国女王も象徴ではあるが、形式的には元首・君主としての言葉や行為を国民に現示しているのと同様だ。国民からすれば日英の立憲君主は似て非なるものと考える向きもあるが、建国から歴史的経過をたどると「依って立つもの」の異なりと、多文化との干渉なり、あるいは融和によって運用の姿は異なるっているのは当...吾平民なり

  • 敢えて再々読 出処進退 「あるボスの話」

    国会の腹きり問答浜田国松氏《舌鋒火を噴くような議論は時の陸軍大臣に切腹を迫っている》【平成6年、あの当時は、゛変わり者゛゛はじかれ者゛と世間から非難された意見文だが・・・・再度,問う】震災後に海外ジャーナリスト達が集まっての懇談が放映されていた要はこの「まほろばの泉」で読者にはくどいように映る人間(人物)の問題だった。制度・マニュアル・コンプライアンスなど人間を括る方策はあっても、土壇場では能力発揮の自由度と責任感がなければ役に立たない。一人がこう述べていた。「・・・原発や震災の現状をみると作業員の連帯と調和は世界でも驚嘆するの力がある。しかしそれを指揮し背後で支えるべきエリートの醜態は世界ても稀な非能力だ。日本の教育でのエリートの選別はそれほどひどい。どこで間違ったのだろう・・・」この種の人間に囲まれた...敢えて再々読出処進退「あるボスの話」

  • 哲人の出処進退を聴く

    佐藤慎一郎先生お別れの言葉心より感謝し、理屈のない感涙を招いた師の言葉をお伝えいたします【心の講義】最終講義の二、三十分間を借りて、思いつくままのお別れの言葉を云わしてもらいます。私が社会に出ました頃は、不況につぐ不況、おさき真暗な時代でした。五・一五事件、二・ニ六事件、満洲事変、北支事変、大東亜戦争、そして敗戦、そうした激動の中で生きてきました。机に座ったことなどなくして、教壇に立っていたのです。私は、満洲国で、初めて人間の素晴しい生き方を見ました。すがすがしい死に方を見ました。そうした方々の中には、諸君の大先輩、拓大の卒業生の方々もおられました。私は感動を覚えました。また他の一方では敗戦という極限の状態における、人間のあけすけな醜悪面をも見せつけられ慄然(りつぜん)としました。私も敗戦後、共産軍に捕ら...哲人の出処進退を聴く

  • 「人間考学」前例執着から善例創造への臨機 11 4/17 あの頃

    「非道」一石百鳥ならぬ百石半鳥岡本義雄少し落ち着き始めると「前例」による紛い物の規制が頭をもたげるようだ。大勢の人を統率し、普遍的という冠をつけることに慣れた職位にある人たちによって前例が巾を利かすようになる。混乱状態になった現況には前例の投網を掛けることが、選択肢の少ない突発的事件には仕方が無いことでもあるが,従前の垂直指示が途切れ、判断不能になったとき現場当事者は少ない過去の例から探さなくてはならないのも現状である。同じようにマニュアルがある。アンチョコや教科書も同類だ。とくに人の管理が過度の規則などで括られると、家畜同様に時間と存在を管理され、考える工夫もないままに行動を習慣化され、創造的な意思さえ発揮できなくなる。そこに仕組みの標準化として「基準」と称する、現世一過性の時流が押し寄せると、それが例...「人間考学」前例執着から善例創造への臨機114/17あの頃

  • 病院は親切でなくてはならないと賀川はいう

    高知に引っ込んだと思ったら時折東京が懐かしく顔を出す伴武澄さん。本人は『色々とやることがある』というが、思春期に恋愛ごっこで失敗したこともなく、ことのほか表層真面目だったせいか、老境に差し掛かってその人生のスキップを埋め合わせているかのようだ。ゆえに当時は記事にも書けなかった人間愛や平和を書き連ねている。その内に心の底まで書いてくれることを期待している。今回はその一章を賀川豊彦の著書抜粋として紹介している。なるほど、視点が鮮やかだ。賀川豊彦の『十字架に於ける瞑想』を読んで面白い部分があった。病院は英語でHospital。本来は「親切院」でなければならない。そして病院は医者がつくったのではなく、看護師がつくったのだというのだ。以下、その部分を転載します。---------------------------...病院は親切でなくてはならないと賀川はいう

  • 人間考学 愚者の親和力 2011 7 あの頃

    津軽ヨシ人形木村ヨシ作「孫文と側近山田兄弟」高いところに登って下界を観る少し下がって遠目で眺める鎮まりを以って、独り観るそんな時節だろう本稿親和力とは化学の世界で、より似たものが結びあう力の姿を言うらしいが、親しく和する、つまり人間に当てはめれば素朴に仲良くなる状態をつくる包容力なり、理解力だろう。安岡正篤氏は、ことを新たにすることのオンである「シン」を親しむと置き換えて「大学」講義で述べている。大学は四書五経にある「大学、小学」のなかのことで文部省官制校の類では「新」を「親」と言い換える感度は教えない。親しく和することと、新たに和することも和することは変わりがないが、こと古典にある君臣の問題となると大きな隔たりがある。宰相が任を退くとき出処進退を騒がしくいわれるが、進むことも退くことも決断できない人物に...人間考学愚者の親和力20117あの頃

  • そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である 2020 あの時から

    旧掲載だが、あの頃も同じことがあった。そもそも悪党と言うが、善党とは言わない。犯罪でも黒は容疑者、白は無罪という。党の旧字は「黨」、つまり黒を賞する、まして白は党ではない、連(ツル)まない。群れにならず党からは弾かれるのが白のようだ。黨には掟がある。とくに悪党には厳しい掟がある。口の軽さと裏切りだが、ゆえに嘘が上手くなる。むかし、「政治家は人を騙して雄弁家という」一種の戯言があった。近ごろは「会」を装っても腹は黒が多くなった。市井の陶芸家の作品検察官の人事に黨に政治家の介入があったと騒いでいる。幕府でいえば目付の食い扶持を担保するような話だが、あんたの都合で決められては、タマッタものではないという事らしい。下座から眺めれば、暗記上手の学び舎エリートが一方は政治家になり、一方は官僚となり、お手盛り利権で政治...そもそも黨(党)は、黒を賞する集団である2020あの時から

  • 総理・・? 俺たちが当選しやすい看板なら誰でもいい 2022 あの頃も

    青森県弘前市子供議会いつ頃からか議員の資質評価が変わってきた。同時に論議も騒がしくなり、答弁は稚拙で反論もまるで地裁の法廷のような弁護士と検事の応答のようになってきた。それにつれて党首は選挙の顔として実像はともかく、有権者受けする顔と弁舌良し悪しが有効とされてきた。顔は学問や体験で集積された出来上がった容貌ではなく、だだ、器官の位置が整った程度で、弁舌は、まさに舌が言う「話し」ばかりで、吾(自身)を言う「語り」などなく、古人が揶揄した「政治家は人を騙して雄弁家という」そのものになってきた。マスコミとて江戸の瓦版屋が記事の束を振りかざして台の上で庶民の耳目を集める口上を大声で叫んでいたが、政治家も似たようなもので、話す内容は聴衆の興味に合わせて難しいことは云わない。そのせいか聴衆にとっては難解だか、社会や国...総理・・?俺たちが当選しやすい看板なら誰でもいい2022あの頃も

  • 「人間考学」 刮目した野田君 2012 あの頃

    情報サイトより転載「後悔、後に立たず」は、我が国の政治、いや政治家の倣いの様になっている党首討論を観た。視た、見たのではなく「観た」。好き嫌いではなく、政策でもなく、機に臨んだ人物の刮目した姿だ。まして、彼らにとって緊迫した政局なのだろうが、国民は幾分の間をおいて観察している。なかには選挙好きで血が騒ぐ国民もいるが、利他(他のために)は争いに無駄だとする一群はここでは措いて観た。相手は各党首だが,自民党総裁は数年前と少しも変わらぬ様子だ。獲らぬ狸で昂揚しているのか早口がより希薄な人情が表れている。どうしても攻める野党はテレビ向けの演説調になるようだが、野田君の覚悟と比べ軽薄にも映る攻勢だった。生活第一は老練さともみる向きもあるが、「礼」がにじむ聴きごたえのある応答だ。公明党もその姿を見せて、双方、相手の人...「人間考学」刮目した野田君2012あの頃

  • 選挙ポスターはいつから笑う(嗤う)ようになったのか 10 7/28 再

    あの頃と同じく変わらない後藤新平選挙のたびに旧稿を再掲載するが、世は改革と騒ぐが、15年前から相変わらず人間は変わらない。多くなったのは金か色事だ。古臭い考えかと思うが・・・街中のいたるところに掲示されている選挙ポスターだが、今どきはデザインも印刷もナカナカのものである。そして多くが歯を晒して笑っている書きモノの中身は公約が姿を消し、マニフェストやらアジェンダと゛盗って?゛つけたような異文化の文字が約束事として羅列されている。この横文字で有権者の大部分は半知半解のマジックにはまってしまう。昔は「国つくり」「まちつくり」が脚色され、゛お年寄が安全に暮らせる゛゛夢と希望の描ける゛など、曖昧だがどこか納得させるものがあった。近頃では具体性と説明責任が加味され医療や年金、雇用が細かく謳われるが、これもあてにはなら...選挙ポスターはいつから笑う(嗤う)ようになったのか107/28再

  • 本当の姿を出したら、と言われて久しい 18/3

    香港以下は屁理屈だと人はいう人の人生経過はセミや蛇のように脱皮する。いや、しないものもいる。何のことはない暗黒の大宇宙の一塊の誰が名付けた太陽系の親星に近い三番目、地球の表皮に四季のある稀有な地域の環境に順応したと思えば、それも然り。天下思想という生き方のある中国では他人と接するときに「逢場作戯」という妙手がある。「あなたの素晴らしい御高名はこの国でも有名です」大げさとおもっても、普通の日本人なら舞い上ってしまう。これで外交は先手が打たれる。その後に小声で、「ところであの人物は何という名前」これは本当にあった話だ。在中国三十年、北京語が流暢な佐藤慎一郎氏が高官と会った際の逸話だが、佐藤氏は北京語を分からないと思っていたのか、廊下で部下に尋ねていた話だ。たしかに前段では気分悪くないが、その都度、人と逢う場面...本当の姿を出したら、と言われて久しい18/3

  • 嵌って慣らされる、課題(えさ)には喰いつくな。 あの頃 23 2/7

    嵌って・・・ハマって読者からの資料を含む友人の税理士から届いた知らせを転載しますQ&A(質問と応え)これは課題ではなく、今の時点では仮題である。消費税そのものを論ずることは課題だが、想定問答を徴収するする側が仮題であってもクイズもどきの質問と答えを出されると従順と随う民癖には、さぞ丁寧に感ずる国民もいるはずだ。最近、国家を具体的に表す権力為政者の姿は、それに問題意識もなく面従腹背を従順に装う役人、ここでは税官吏の無謬性(間違いがないとの前提)が疑われている昨今、たとえ仮のケースであっても、クイズもどきにして混乱を整える作為には、とこか腑に落ちない。代議士が争論談合して、なんとなく決まったようだが、国民の多くは、どうにかなるだろう、これも慣れるしかないと、種々繰り出される政策同様な諦観(あきらめ感)をもって...嵌って慣らされる、課題(えさ)には喰いつくな。あの頃232/7

  • 安岡が共感し、児玉が師と仰いだ笠木良明

    寺のもみじが色づく頃、毎年のことだが笠木先生の墓前に参って懐かしむことがある。「安岡は先生の葬式のときに、いの一番に到着して墓前には中華月餅を供えてくれた。彼は先生とは袂を別けて権力についたように思うが、かれの目標は別のところにあった。学者としては珍しくも出る場面は政、経、軍に誘われているが、念ずるところはあったはずだ。」「先生は児玉が内地で身を持て余しているのを見て、『君は外地へ行ったほうが能力を発揮できる。すぐにでも行きなさい』と児玉の異質な能力を見抜き促している。」縁者も薄くなった笠木のために世田谷の豪徳寺に同志が墓を建立したとき、傍らには満蒙関係殉職者の墓と児玉が揮毫している。「いゃ・・字を書くのは苦手でねぇ・」と、ようやく動かした筆である。また豪徳寺では宮島大八(詠士)氏が主宰していた鎮海観音会...安岡が共感し、児玉が師と仰いだ笠木良明

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